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長野電鉄屋代線を行く

長野県には長野電鉄、上田交通、アルピコ交通、しなの鉄道、と民間鉄道会社が4社(いずれも株式会社)ある。長野電鉄は長野線(長野ー湯田中)、屋代線(屋代ー須坂)、上田交通は上田市にあり、上田と別所温泉を結ぶ単線運行、アルピコ交通は松本交通から社名変更され、松本から新島々を結んでいる。しなの鉄道(軽井沢ー篠ノ井)はかつてのJR信越本線だったのだが、長野新幹線開通によりJRから経営が移管されて誕生した。篠ノ井からはJR長野駅に乗り入れており、実質的に長野ー軽井沢往復運行となっている。

今回は長野に出かける用があったので、ついでに長野電鉄屋代線に乗りに行ってきた。実は来年の3月を以て屋代線は廃線となってしまうのである。屋代線はしなの鉄道屋代駅の構内にホームがある。ここから乗るのもいいのだが旅の都合上、長野線で須坂まで行き、須坂から屋代へ向うことにした。

長野線長野駅はJR長野駅前の地下にある。地下鉄っぽくてかっこいい。
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実際長野から善光寺下までは地下鉄でそこから地上に出る。長野線にも桐原、朝陽、柳原、村山と素晴らしい木造駅舎が点在しているが、今回は屋代線に乗るのが目的なので今回はパス。須坂で屋代線に乗り換える。屋代線ホームにはカメラを提げた鉄道ファンがちらほら、まあ私もその一人だが。

須坂を出て井上を過ぎてまずは最初の目的地・綿内で降りる。ここも歴史を感じさせる木造駅舎なのだ。ほぼ一時間おきに列車が通る無人駅なのでひっそり閑としている。そもそも屋代線は屋代と須坂、松代以外はすべて無人駅だ。
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暫く滞在してから屋代行きに乗って信濃川田駅で降りる。ここも歴史を感じさせる木造駅舎だ。線路の向こうに紅葉した山々が見える。
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日が傾いてきて寒さが厳しくなってきた。ここで撮影を終えて暫くぼんやりとしていると、屋代方面から列車がやってきた。時刻表ではこの時間に運行はないので回送列車だろうか、と思って眺めていたら、なんと成田エクスプレスがやってきた!と言ってもこれは元成田エクスプレスの特急2100系で、長野電鉄では「スノーモンキー」という名前の特急車輛として親しまれている。長野線を走っているスノーモンキーが、なんで屋代線を走っているのかと思ったが、どうやらイベント運行のようであった。
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すっかり日が傾いた頃に松代駅に到着。やはり駅員がいる駅は暖かみが違う。駅が生きている。
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しかもここにあるものは駅舎も含めて悉く日本の鉄道遺産だ。正式には何と言うのか、硬券切符を指してある棚も、かつては日本中の駅員が改札でカチカチやっていた改札鋏も現役だ。
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屋代行き列車の到着時間が迫ってきた。乗客がぞろぞろ(そんなにいないがw)ホームに集まっていると、駅舎から駅長さんが出てきて叫んだ。「すいませーん、屋代行きが15分ほど遅れてまーす。申し訳ありませーん」構内放送じゃないところがなんとも楽しいというかなんというかww
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今回は時間が足りず昼間の松代駅やその他鉄道施設を堪能できなかった。また年末年始に訪れることにしようと思っている。
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石巻へ

お盆休みに帰省する途中で東北を経巡ってきた。今回行ってみたかったのは石巻。昨年の夏に訪れて名物焼きそばを食べた街。しかし3月11日の地震と津波で大きな被害を受けてしまう。別に石巻に深い思い入れがあるわけではないが、少しでも被災地に行ってささやかな買い物でもしたいと思ったのだ。

仙台から東北本線に乗り換えて小牛田へ向う。ここから石巻線で石巻に向うのだ。仙台からは仙石線で行った方が近いし本数も多いのだが、野蒜、東名の辺りが甚大な津波被害で線路も駅舎も破壊され不通になっている。代行バスが走っているのだがひとまず小牛田経由で石巻に向うことにした。
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広大な駅構内には東北色のキハ48系がたくさん留置されている。
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入線してきたキハ48系はそのまま折り返し石巻行きとなる。残念乍ら終着駅の女川が壊滅しているため石巻止まり。
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石巻商業高校の野球部員たちが大挙して乗ってきた。屈託なく節度を保って賑やかに騒いでいる。この子たちの多くも、16〜17歳で家族や友人知人を失う経験をしたのだろう。屈託なく騒いでいいのだぞ。

暑い夏の陽射しが降り注ぐ。稲穂はやや黄色に色づいている。この辺は津波の被害はなかったのだろうか? 小牛田から上涌谷→涌谷→前谷地→佳景山→鹿又→曽波神を経て石巻に到着。記録によれば鹿又、曽波神辺りまで津波が遡上したようだが、現在はその痕跡は車上からは認めることができなかった。

石巻駅を降りて駅前の食堂で遅い昼餉をいただく。ささやかな復興支援。駅前からは地震と津波災害の痕跡は伺うことができない。だいぶ片付いているのだろうが河口はどうなっているのだろうか。とぼとぼと商店街を歩く。

河口の金属製の杭がこんなにへしゃげている。
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川岸の家々の惨状。
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石ノ森章太郎マンガ館も大きな被害を受けた。
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河口の建物も廃墟に…
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今日も穏やかにたゆたっている海が、あの日、牙を剥いて襲いかかってきたのだ。

駅舎の思い出

JR石巻線の女川駅。瀟酒な駅舎だった。
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階段の青い筋の横には「チリ地震津波のときはここまで水が来た」と書いてあった。
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構内にはキハ40が留置されていた。グーグルアースで見てみたら赤っぽい車輛が横転していた。きっとこの車輛だろう。
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現役車輛も横転していた。なんとも言いようがない。
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明けない夜はない

以前載せたこともある画像だが、これは三陸鉄道車輛。
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大船渡線の終点・盛から釜石まで三陸海岸を走る第3セクター。このとき乗った車輛は車内に地元の小学生が描いた絵が飾られていた。笑顔で眺めるお爺ちゃんお婆ちゃん、居眠りをする高校生やサラリーマン、運転手が乗り降りするお客さんに一声かける暖かさ。
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釜石では製鉄所の煙が寒空にたなびいていた。
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陸前高田駅の向こうに広がる静かな風景。
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いまニュース映像で見る三陸海岸は痛々しく、というよりも惨たらしくて胸が潰れる思いだ。あのお爺ちゃんお婆ちゃんや絵を描いた小学生たちはどうしているのだろう。またいつか三陸鉄道に乗れる日が来るのだろうか。いや、きっと来る。きっと来ると信じたい。

人がいれば鉄道は走る。鉄道に乗って人は故郷を離れ、また故郷に帰る。冬は必ず終わって春が来る。雪は必ず融けて花が咲く。それが、日本だ。

陸奥阿房列車 阿仁合~山形

深い雪に埋もれたマタギの里の駅でストーブに当たり乍ら『最後の狩人たち~阿仁マタギと羽後鷹匠』を読む。著者は朝日新聞の記者で、本の内容は昭和50年頃に秋田支局にいた頃に取材したものだ。当時ですら衰退しつつあった阿仁マタギの伝統的な狩猟方法や独特の習俗が興味深い。熊狩りと解体の儀式がとても面白かった。
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厳しい自然のなかで縦横無尽に山を駆け巡るマタギは凄い。山の中を移動するときは驚く程少量の食糧しか持たず、しかも今からみるととても薄着なのだが、それは腹いっぱい食うと集中力が落ちるとか、厚着をすると汗をかいたら身体が冷えてかえってよくないという理由。もっとも動き回っているから身体もそれほど冷えないのだろう。
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東京の冬は建物も電車もやたらめったら暖房が効いているのでうっかりすると汗だくになる。私もこれに懲りて冬でもできるだけ効率のいい服装にしている。例えば冬は保温性の高い下履き(股引だ)、長袖シャツを下に着込んで手袋とマフラー、毛糸の帽子などで首や袖口、足下などで冷気を遮断したほうがいい。マタギの本はいろいろと勉強になるのであった。あ、そうそう新田次郎の『八甲田山死の彷徨』も寒さ対策の勉強になります、ってこっちは極限状態だけど。寒さは怖いねえ。

やがて角館行きの改札が始まり再び車中の人となる。
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ここからは笑内、比立内とアイヌ語由来の地名駅がある。そしてこの辺りが阿仁マタギ発祥の地なのだそうだ。なるほど深い山に囲まれたところだ。阿仁マタギからアテンダントのお姐さんが乗り込み沿線案内を担当。地方交通ならではの試みだ。由利高原鉄道でも女性アテンダントが活躍しているが、相変わらず経営の将来は楽観できない状態だという。地方交通は難しい局面にあるのだ。秋田内陸縦貫鉄道も楽観的な状況ではないのだろう。列車行き違いのため上桧木内で長いこと停車。雪の海に浮かぶ小島のような駅だ。やがて列車は終点の角館に到着。左側からJR田沢湖線が合流してくる。

陸奥の小京都と呼ばれる角館だがいつも乗り換えでしか降りていない(苦笑)大曲で奥羽本線に乗り換えて新庄へ向う途中、小腹が空いたので横手で下車し名物焼きそばを食べる。横手は駅舎改築中のため仮駅舎。列車に乗って新庄で乗り換え終点の山形に着いた頃、冬の日はとっぷりと暮れてすっかり暗くなっていた。

投宿してから夜の街に出た。山形といえば創業300年の老舗書店『八文字屋』だ。ここでは伊藤孝博『イザベラ・バードよりみち道中記』(無明舎出版)を購う。駅近くの居酒屋で郷土料理に舌鼓を打ち良い加減で酔っぱらう。
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陸奥阿房列車 青森~阿仁合

早暁に青森を発ちJR奥羽本線で弘前へ。『東北「方言」ものがたり』を読み終える頃、列車は弘前に着いた。弘前で大館行きに乗り換えて『最後の狩人たち~阿仁マタギと羽後鷹匠』を読む。

弘前を過ぎるとだんだん雪が深くなってくる。奥羽本線も弘前を過ぎて白神山地の麓、秋田県境に来ると雪が深くなる。大館で短い乗り換え時間を縫って名物駅弁鶏めしを買い鷹ノ巣行きに乗り換える。地元の高校生が少しだけ乗っている鷹ノ巣行きのキハ110系で、車窓の雪景色を眺め乍ら鶏めしをわしわしと食べる。

鷹ノ巣で降りて秋田内陸線の鷹巣から阿仁合行きに乗り換える。秋田内陸線はかつての国鉄阿仁合線(鷹巣〜比立内)と角館線(角館〜松葉)。秋田内陸縦貫鉄道に経営が移ってから、未開通だった比立内〜松葉間が開通して鷹巣〜角館を結ぶ路線となり、同時に秋田内陸線の駅名が鷹巣となった。もともと同じ駅なので、JR鷹ノ巣駅とは同じホームで乗り換え可能なのだが、駅名がJRでは鷹ノ巣、秋田内陸縦貫鉄道では鷹巣と表記が異なる。
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秋田内陸線は沿線の雪景色が絶景。以前に乗ったときも感じたのだが、車窓から見える山や田畑は一面の白い雪、さらに林立する秋田杉が雪化粧してこれが幻想的なまでに美しいのである。阿仁前田で行き違いのため10分程停車。この辺りまで来ると更に雪が深い。やがて列車は終点の阿仁合に到着した。
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阿仁合は秋田内陸線の要所であり車庫も併設されている。駅舎には事務室の他、売店やそば屋も営業しており、待合室にはストーブがカンカンと燃えて暖かい。近所の爺様婆様の集会所的な役割も果たしているようで、待合室にたむろする客の中には、昼間からカップ酒を飲んでわいわい喋っている爺様がいる。特に列車に乗るわけではないようだ。
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次の角館行きまで約2時間の待ち合わせ、近所を散策して高台から駅や列車を撮影する。それにしても寒い。周囲を深い山に囲まれ、きれいな川が流れている小さな街。時折通る車の音しか聴こえてこない静かな静かな時間を過ごす。
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駅に戻り食堂「こぐま亭」でうどんを食べる。自然藷を練り込んだうどんの上に馬肉がトッピングされた素朴なうどん。隣の爺様たちは昼間から酒飲み乍らわいわい喋っている。駅員も食堂や売店のオバちゃんも爺様婆様と顔見知りのようで、みんな和気藹々と喋っているが、方言がキツくて何を喋っているのか半分以上わからない。待合室に戻りストーブに当たり乍ら『最後の狩人たち~阿仁マタギと羽後鷹匠』を読む。外は雪がしんしんと降っている。
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陸奥阿房列車 八戸~久慈~青森

八戸線に乗って終点の久慈まで往復した。
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八戸線には鮫、大蛇、侍浜と珍名駅がある。鮫なんていかにも三陸という雰囲気で良いではないか。「次はサメです!」という車掌のアナウンスが面白い。「次はクジラです!」「次はイルカです!」なんてことになるともっと面白い。どうせなら「次はホヤです!」「次はナマコです!」「次はキタフウセンイソギンチャクです!」というのも良いな。ナンダカヨクワカラナイ。
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大蛇はダイジャではなくオオジャ。音だけ聞いていると王者に聞こえる。名前に蛇がつく駅はここと蛇田(仙石線)ってのがある。蛇嫌いにはイヤな駅名。侍浜は、寒風吹きすさぶ浜辺に剣豪が佇んでいるようでかっこいいじゃないか。しかし駅周辺は寂しい林の中にあり浜辺からは離れている。岩手県に入ると有家(うげ)という駅があるが、駅の周囲には家が無い。
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途中で乗り込んでくる地元の爺様婆様たちの会話が聞こえてくるが、何言ってんだかさっぱりわからない。日本人は英語ができないとか下手だとか言われるが、方言だってなかなかのものである。津軽弁なんかフランス語みたいだしなあ。同じ冬の海でも太平洋はなんだか明るい。日本海とは違うんだなあ。なあなあといろいろなことをぼんやりと考えているうちに列車は三陸海岸を走る。

終点の久慈駅構内に立ち食いそば屋があった。「こはくそば」というのがあったので食べてみる。カウンターのお嬢さんに尋ねてみると「菊とキノコが入ってるソバです。久慈は琥珀が採れるんですよ。菊の花を琥珀に見立ててるんです」とのこと。とても美味しいというものではないが暖かいそばが腹に沁みる。
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JR久慈駅構内は三陸鉄道北リアス線と共有なので、三陸鉄道のカラフルな車輛が数台留置されている。これに乗り換えて宮古・釜石方面に行きたいのだが、これはまた次回の楽しみとしよう。
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久慈から折り返し八戸から青い森鉄道に乗り換えて青森へ向う。12月4日の青森新幹線開通に伴い、JR東北本線の八戸~青森間は、JR東日本から経営分離されて第3セクターになったわけだ。いくら地方は自動車が普及しているとはいえ、由緒正しい東北本線の一部が第3セクター化され、栄枯盛衰なのだなあとぼんやり思う。

夕暮れの車内で『昭和東北大凶作~娘身売りと欠食児童』の続きを読む。昭和初期の三陸で生まれ育った著者だけに、貧困と飢餓に苛まれた実体験が反映されていて凄い。そうこうしているうちに三沢、野辺地、浅虫温泉を過ぎて夕暮れの青森駅に到着。さすが青森、けっこう雪が積もっていた。

宿に荷物を置いて地元の『成田書店』に向う。ここの郷土出版物コーナーはとても充実しているので好きだ。長田雅彦『最後の狩人たち~阿仁マタギと羽後鷹匠』(無明舎出版)を購い、店を出て駅前の居酒屋に入る。定番のじゃっぱ汁、ホタテの貝焼き、店のお姐さんオススメの下北のイカとソイの刺身を肴に酒が美味い。ほろよい加減で店を出たら粉雪が舞っていた。
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陸奥阿房列車 盛岡〜八戸

年末の仕事を無理矢理納めて旅に出た。
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東北新幹線盛岡駅ホームに降り立って、在来線の改札にふらふら歩いて行ったら、JR山田線が大雪のため運休していた。駅員さんに尋ねてみるに「ええ動いでません、宮古まで代替バスが出ますけど、釜石まではわがらないですね、ええJR釜石線も運休です、今日は宮古方面には行がないほうがいいですよ」しかたないので宿泊予定の釜石の宿に電話したら「三陸鉄道も止まってますね…ええ事情が事情ですからキャンセル料はいりません…まだ今度いらしてください」

ま、雪が降れば列車は遅れるのである。線路が雪に埋まったら列車は止まるのである。何も不思議なことはない。とは言え、明日はJR八戸線に乗らねばならぬ。しょうがないので IGRいわて銀河鉄道で八戸に向うことにした。

ぽっかりと時間が空いてしまったので駅の構内をうろうろしていたら、盛岡を代表する書店『さわや書店』の支店があった。ちょっと覗いてみたら、なんともセンスの良い内装で嬉しくなってしまう。郷土出版物コーナーも充実していて、ついつい山下文男『昭和東北大凶作~娘身売りと欠食児童』(無明舎出版)、毎日新聞地方部特報版『東北「方言」ものがたり』(無明舎出版)、田中忠三郎『下北忘れえぬ人びと』(荒蝦夷)と3冊も購ってしまう。これから旅に出ると言うのに何をしておるのか。

盛岡駅前は後から後から雪が降り積もりけっこうな雪景色になっていた。銀河鉄道に乗って八戸へ向う。途中の好摩から分岐するJR花輪線も運休とのこと。車中、先ほど購った『昭和東北大凶作~娘身売りと欠食児童』読む。ここからJR八戸線で本八戸下車。暫し歩いて市内のホテルに投宿、人心地つく。
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市内の屋台村で一杯。気さくな八戸のおばちゃんが勧める八戸名物、サメの酢味噌和え、サバの冷燻、辛味噌(青唐辛子を漬け込んだ味噌)などに舌鼓。これがまた酒によく合う。

常連の二人連れのおっちゃんが酎ハイを頼んだら、おばちゃんが「シガ入れっかね」「おお、あだりめだ、シガ入れでくれや」というやりとりがあった。ぼんやりと聴いていたらおばちゃんが「お客さん『シガ』ってわがる? 氷のこど、このへんで『シガ』って言うんです」と解説してくれた。おっちゃんも「秋田もね、氷のこど『シガ』て言うよ」と教えてくれた。東北方言なのだろう。新潟方言では氷は「こおり」だよなあ。

「お兄ちゃん『ダダミ』てわがる?」おっちゃんがまた尋ねてきた。「何ですか?それ?」「タラのシラコのこどだよ、秋田さ仕入れに行ぐと、シラコのこど『ダダミ』て言うんだ」「へえ、ここ(八戸)では言わねなあ」「んだ、こごらでは言わねけどな」おっちゃん、秋田によく仕入れに行くらしい。

方言飛び交うカウンターで、独りとろとろと酔う八戸の夜であった。

石巻線をウロウロと

石巻でキハ40系東北色に乗り換えて石巻線の前谷地へ向かう。古びた良い感じの駅舎だった。
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20分ほど待ち合わせの後、小牛田方面からやってきたキハ40系に乗って終点の女川へ向かう。乗った列車が非冷房車だったので嬉しくなる。まだ走っているのだなあ。
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石巻で30分程待ち合わせの後女川へ。万石浦を右手に見て女川へ到着。といっても特にどこへ行くわけでもなくそのまま石巻へ戻るのである。
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石巻駅にて

今日はだらだらと石巻線に乗る。あおば通りから首都圏でもお馴染みの205系に乗り、塩竈を過ぎて松島湾付近に差しかかると、進行方向左側に東北本線が見えてくる。

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石巻市には石ノ森章太郎のマンガ館があり、駅から街全体が仮面ライダーやサイボーグ009など石ノ森マンガのキャラクターで埋め尽くされている。石巻といえば私のなかでは由利徹と天津敏の出身地(笑)…石ノ森も何か関係があるのだろうか。宮城県出身ということだけは知っているが…

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仮面ライダーとサイボーグ009、003、001がお出迎え…
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足下にサイボーグ006、007、008が…
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そういやロボコンも石ノ森作品だったな…
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石ノ森先生もお出迎えです…
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