2008年5月 6日 (火)

五月の谷根千

谷中といえば愛玉子(オーギョーチ)
何回か行ってるんだけど屋号はなんていうんだろう…(笑)

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言問通沿いの喫茶店『カヤバ』
ここにはルシアンという謎の飲み物があります。長期休業という貼紙がありましたが、もう閉店なんだろうか…

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上から見た三浦坂。

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あかじ坂上にある『大名時計博物館』
精巧な仕組みに感心してしまいました。面白い!

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谷中2丁目にあった貸本屋『なかよし文庫』
残念ながら閉店だそうです。今後は古本屋になるとのこと。

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つつじ祭りで賑わう根津神社

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活気あふれる谷中銀座商店街。
谷中に住んだら楽しいだろうなあ…メンチカツ食べ放題だし(笑)

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日暮里駅南口陸橋から線路を眺める。
右から山手線、京浜東北線、東北・上越・長野各新幹線、高崎線、東北本線(宇都宮線)、京成本線……絶景です。

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2008年4月13日 (日)

What A Diff'rence A Day Makes

昨夏、臺灣へ行ったときのこと。ローカル線も屋台も堪能した私は臺北に近い基隆に宿を取り、暫くこの趣き深い港町を散策することにした。基隆車站(駅)を中心に市内の繁華なあたりは散策したので、こんどは郊外を散策することにして、路線バスに乗って和平島へ行ってみた。ここは海岸一帯が公園になっており、波風に浸食された不思議な形の奇岩群で有名。その日は小雨模様で空も海も鈍色、風の強い海岸は散策する人も少なく荒涼としていた。

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私が荒涼とした海岸を歩いていると岩のあいだで何かしている人影が見えた。岩のあいだに座り込んで何やら熱心に草を採っているらしい。ふだんはそんなことはしないのだが、なぜだか私は声をかけてみた。近づいてみてわかったのだがその人は年配の尼僧だった。

「こんにちは。ここで何をしておられるのですか?」
「こんにちは。私は海苔を採っているんです」
「こんなところに海苔が?」
「ええ、満潮のときはこのあたりも海の底ですから」
「仏門の方とお見受けしますが、なぜ海苔を採っておられるのですか?」
「ふだんは寺にいるのですが時間があるときはここで海苔を採っています。これを市場に売るといくらかになるのですよ(笑) この海苔は多くは採れないうえに品質が良いので、これでもけっこう高く売れるのです…ほら、これが海苔です。よく揉んでゴミを取るのですよ。どうぞ食べてみてください」

尼僧から渡された海苔は見たところ毛糸の固まりのようだが、口に含んでみると潮の香りが強く、舌の上で溶けてゆくとまさに海苔の味がした。しかもたいそう美味しい。とても美味しいですね、と答えると尼僧は嬉しそうににっこりと笑った。

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暫く四方山話をしたのだが、尼僧はこんなことを話し始めた。

「私は四十歳を過ぎてから仏門に入ったのですよ。もう二十年以上むかしのことです…ええ、まあいろいろありましてね(笑)…仏にすがることでようやく生きる意味を見出したのです。いまは寺でお勤めをするほかは心安らかに暮らしています。あなたは日本の方? 日本でも仏に祈るときは『阿弥陀仏』と言いますか? そうですか『南無阿弥陀仏』と言うのですか? 殆ど同じですね」

私がそろそろ失礼します、と言うと、尼僧は腕にはめていた数珠を取って私に差し出した。

「あなたにこの数珠を差し上げます。どうぞご遠慮なく…これはどこでも買える安いものです。あなたはこれから海を越えて故国へ帰るのですからこれを持ってゆきなさい。『一路平安』(道中ご無事で)ですよ(笑)」

恐縮する私に数珠を渡すと尼僧はにっこりと微笑んだ。

「たいせつなのは数珠ではありません。数珠などいくらでも手に入りますから…ここで私たちが出会ったのは何かの縁です。だからこの数珠をあなたに差し上げるのも縁なのですよ」

何度もお礼を言って私は尼僧に別れを告げて歩き出した。暫く歩いてから後ろを振り返ると、尼僧はもう岩のあいだにしゃがみ込んで海苔を採っていた。私は声をかけずにもういちど尼僧に頭を下げてまた歩き出した。

数珠のおかげか、私は無事に日本に帰ってくることができた。尼僧にもらった数珠は今でも私の家にある。

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2008年4月 7日 (月)

餃子餃子した街

宇都宮へ行ってきた。といってもいつものように鉄道に乗ってきたのだが、やはり宇都宮に来たからには餃子を食べねばならぬ。「ならぬ」って気張るこたぁないのだが、名古屋に行ったらきしめんを食べにゃあならぬのと同じだ。それがお約束というものである。

とはいえ独り旅なのでそんなにたくさんハシゴすることもできず、とりあえずJR宇都宮駅前の『宇都宮餃子館』に入ってみる。とりあえず生ビールに焼き餃子を一枚注文しひと齧り……まあこんなもんかなあ……決して不味くはないが、といって吃驚するほど美味しくもない。

店でもらった餃子マップを片手に市内メインストリートを歩く。マップに載っていない餃子屋もあちこちにあるようだ。露地裏にある小さな餃子屋に長い行列ができていたりして、さすが餃子の街だけのことはある。

オリオン通りという商店街を抜けると東武宇都宮駅にぶつかる。このへんでもう一軒の店に入ってみる。名前は『宇味屋(うまいや)』という店だ。カウンターと小上がりしかない小さな店でなんとなく居酒屋風。ここでは生ビールに水餃子を注文。ほどなく出てきた水餃子は一個がけっこうな大きさ。決して不味くはないが、といって吃驚するほど美味しくもない。噛んでもスープが出てこないし水餃子が浮いている湯(スープ)も味が無い。

「餃子マップには乗って(ママ)いない店」と壁に大書してあるが、このあたり宇都宮餃子振興会(そんなのあるのか)との確執とかナントカ、まあそういったムニャムニャというかドロドロというか、そういうものがあるのかもしれないナ……と気楽な旅人は邪推するのであった。

やっぱり中国や臺灣の水餃子のほうがいいなあ。小ぶりで皮がぷりぷりしてて、噛むと熱々のスープがジュワッと出てきて、茹でたスープもダシが効いてて……いや、そうではない。宇都宮で本場の餃子を求めるのがそもそも間違いなのである。ここは北京でも上海でも香港でも臺北でもない。ここは宇都宮、北関東の地方都市なのだ。ここにあるのは「宇都宮餃子」という餃子の一種なのである。

「餃子」というのは水餃子のことであり、焼き餃子は別の料理である。「まんじゅう」はふつう蒸し器で蒸したもの。それをふつうは「蒸しまんじゅう」とは言わず単に「まんじゅう」と言う。そしてそれを焼いたものを「焼きまんじゅう」と呼んで区別するようなものだ。

よく焼き餃子と称するものは「鍋貼児(guotier)」と言う、と言う人がいるが、実は違う。「鍋貼児」というのは餃子の形状をしておらず、餡を皮の真ん中に置いて春巻きみたいに皮を畳んだ……両端をひねったりせずに包んだ……ものである、とかつて中国人の教師から聞いたことがある。

……などとウンチクをたれるほど宇都宮餃子を食べ歩いたわけじゃないナ、と反省。それにしてもなんと餃子餃子した街であることよ。

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2008年4月 5日 (土)

関東平野のブラジル

JR取手駅から関東鉄道常総線という地方ローカル線が伸びている。守谷、水海道、下妻を過ぎて関東平野をガッタンゴットンと走り乍ら、JR水戸線の下館駅に到着するなんとものんびりしたローカル線。水海道駅で各駅停車に乗り換えたときにホームから駅前を眺めていたら駅前にこんな店があった。

SUPER MERCADO TAKARA…しかもブラジル国旗? なぜ水海道にブラジルスーパーが? あとで調べてみたら水海道近辺には在日ブラジル人がたくさん暮らしており、下妻市にはブラジル人学校もあるのだそうな。そういえば常総線にはラテン系の方々が乗っていたなあ。

どんなブラジルフードやブラジルグッズが売られているのだろう? こんど機会があったら水海道で下車して中を覗いてみたいものである。

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2008年2月28日 (木)

パパはメキシコ人♪

タイトルにピン!ときたらマニア確定。

いわき駅で購った『いわきウニピラフ弁当』

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旅行記にも載せたけど中身はこんな感じ。

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シーフードレストラン『メヒコ』のキャラクター

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メキシコ人はみんなソンブレロ&ポンチョ&ひげなのか!
日本におけるメキシコ人はこういうイメージなんですね。
もはや記号と化してます。

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2008年2月25日 (月)

仙台の焼きそば

せ、せ、仙台といえば牛タンと『萩の月』なんだナ。
でも、ぼ、ぼ、ぼくは路地裏で焼きそばを食べたんだナ。
なぜかというと、ガ、ガ、ガラス戸の向こうでおじさんが
食べていた焼きそばが、ととと、とっても美味しそうに見えたんだナ。
きつね色の焼きそばにかかった刻み紅ショウガ、
き、き、きれいだったんだナ。
焼きそばは、兵隊の位でいうと、どれくらいなんだろう?

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2008年2月24日 (日)

気仙沼のカモメ

JR気仙沼駅前でカモメに遭遇。
なにごとかと思ったら名物『かもめの玉子』のキャラクター人形。
『かもめの玉子』は岩手銘菓とのこと。
それにしてもなかなかプリティーなカモメです。

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P.S.
昨日は春一番が吹きました。
終日家でラジオを聴いたり本を読んだりしてました。

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2008年2月18日 (月)

今日のおすすめ品

魚肉ソーセージは美味しい。
白身魚のすり身をなにやらで固めて棒状にしただけなのに、まったくあれを考えだした人はつくづく偉いと思う。

しかも安い。
3本組特売で180円だったりする。
子どものお弁当から居酒屋のメニューまで大活躍である。
貧乏学生の頃、よくこれをつまみに友人たちと酒を飲んだものだ。

JR宇都宮駅東北本線ホームの駅めん屋にこんなメニューがありました。
朝食を食べたばかりだったので試してはみませんでしたが、宇都宮ではあたりまえなんでしょうか? 

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2007年10月26日 (金)

浦賀の渡しに乗る時は

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スリル満点です。


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あっさり渡りきってしまうのが惜しいくらいの良い天気。
湾内クルーズでもやってくれないかな。

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2007年10月22日 (月)

カモメが翔んだ日

湘南新宿ライナーで逗子まで行き、横須賀線久里浜行きに乗り換えて久里浜へ。途中、北鎌倉でたくさんの乗客が降りてゆく。やはり観光名所なんだなあ。横須賀の手前、田浦の駅舎は古くて実に良い感じだ。今度じっくり見物に来ようと思う。久里浜で降りて京急久里浜線で堀ノ内へ戻り浦賀行きに乗り換える。

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朝から何も食べていないので通りすがりの定食屋でイワシフライ定食を食べる。浦賀のイワシなのか? 

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浦賀湾の西側を歩くと旧道筋に古くて良い感じの建物が並んでいた。三崎の風景とよく似ている。地形も似ているしね。

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地図を見てもらえばよくわかるが、浦賀湾は浦賀駅を支点にして東西に長く切れ込んでいる。昼下がりの浦賀湾は波も静かで、漁船やモーターボートが行き交っている。秋晴れの青い空にカモメがピューっと飛んで潮の香りが漂う。都心から1時間ほどでこんなに観光気分が味わえるのだ。

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浦賀の渡しで対岸に渡る。片道150円。矢切りの渡しは船頭さんが櫓を漕いでゆっくり渡るのだが、こちらはポンポン蒸気なのであっという間に到着。まあこれはこれで面白い。これだと対岸に渡るのが便利なので地元の人もけっこう利用している。

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東側は民家が密集していてあまり面白く無い。それでもテクテク歩いていくとやがて大きな団地にぶつかった。その先には漁港がありカモメがたくさん飛んでいる。気がつくと『カモメが翔んだ日』を口ずさんでいた。

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また渡し場まで戻るのも億劫なので、ちょうどやってきた路線バスに乗って浦賀駅へ。

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浦賀から京急に乗って横須賀中央で降りる。今日は地元のお祭りらしく、法被姿の若い衆やオジサンたちが顔を赤くして千鳥足で歩いていた。私も居酒屋でホルモン焼きをつつき乍らビールと梅サワーを飲んでべろんべろん。何で独りでここまで飲むのか、ここは横須賀。私も千鳥足でドブ板横丁を抜けて汐入の駅から京急に乗って帰宅。電車の中で口ずさむのはもちろん『横須賀ストーリー』

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2007年3月 9日 (金)

イイ顔してます

那珂湊の街を散策しているときに発見。

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福耳もいいけど、あごヒゲがいい味だしてます。
でも、これを食べていた牛や豚や鶏にしてみれば、そんなことはどうでもいいか。

こういうタバコ屋も少なくなりました。
ちゃんと「わかば」や「エコー」が置いてありましたよ。

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2007年2月17日 (土)

新潟ロシア村の思い出

都築響一『バブルの肖像』(アスペクト)を読んだ。

この本はいわゆるバブル経済と呼ばれた時代(1986-1989)のさまざまな遺物を取りあげているが、このなかに新潟県柏崎市にあった『柏崎トルコ文化村』が取りあげられている。これは新潟中央銀行の4代目頭取だった大森龍太郎(故人)がバブルに乗じて建てまくった「外国村」のひとつで、ほかには『新潟ロシア村(笹神村)』、『富士ガリバー王国(上九一色村)』(※地名はいずれも当時)があり、いずれもすでに閉鎖されている。

県民の預金がへっぽこテーマパークに注ぎ込まれ、その挙句に新潟中央銀行は1999年に経営破綻してしまい、おかげで私の知人も職を失いたいへんな目に遭った。いまでは運良くみつかった転職先で順調に働いており、このときの話になると「いやあエライ目に遭ったよ」と笑えるまでになった。

さて、私は『柏崎トルコ文化村』にはとうとう行けずじまいだったが、実家の近くにあった『新潟ロシア村』には行くことができた。私が『新潟ロシア村』に行ったのは閉鎖される数年前のこと。実家に帰省したとき、地元の後輩とふたりでバカ話をしているうちに、ふたりとも『新潟ロシア村』に行ったことがないというので、さっそくこれから行ってみようという話になった。「いまのうちに行っておかないと無くなりますよ、絶対(笑)」

『新潟ロシア村』は当時の新潟県北蒲原郡笹神村(現在は阿賀野市)の山あいに在った。実家から車でしばらく国道290号を走り看板を頼りに山のなかへ入っていく。年末という時期でもあり車もけっこう走っているのだが、『新潟ロシア村』を目指す車は皆無。もともとこのあたりはまったく人家がないところ。車は鬱蒼とした杉林のなかを走る。空はどんよりと鈍色に曇った新潟の冬。まったく寂しいことこのうえない。

「どこにあるんだろうねえ、それにしても寂しいとこだなあ(笑)」
「あ、いま教会のようなものが見えましたよ!」

見ると確かに教会の塔が見え隠れしている。この鬱蒼とした山のなかにあるロシア教会…私たちはどこへ向かっているのだろうか。はたして無事に帰れるのだろうか。重苦しい雰囲気が車内に充満していく。

雪が積もっている駐車場には一台の車もない。『新潟ロシア村』入り口の手前に丸いプールがあったので覗いてみると、そこには1メートル以上ある大きなチョウザメが数匹、プールの底にへばりついている。そのチョウザメたちの上を色とりどりのニシキゴイがすいすいと泳ぎ回っている。私たちの脳天に軽いジャブをくらわせる、なんともシュールな光景であった。

入場料を払いなかに入るとまずはロシア土産売場があり、大小のマトリョーシカがこれでもかといわんばかりに置いてあった。階段を降りて地下へ向かうと狭い水槽があってバイカルアザラシが泳いでいた。本来ならバイカル湖でのんびりと過ごしていただろうに、何の因果かこんな極東の山あいで狭い水槽に押し込められるとは…バイカルアザラシはつぶらな瞳でのんびりと泳いでいた。

ふたたび地上にあがる。マトリョーシカ作りを体験できる工房やロシアレストランがあったがひとっ子ひとりいない。どうやら客は私たちふたりだけのようだ。さらに歩いていくとテント小屋があり『ロマノフ劇場』という看板がある。私たちが入っていくとルパシカやサラファンを着た男女のロシア人がのろのろとステージに現れた。「客が来たからいっちょうやるか」ってな雰囲気濃厚。ロシア民謡にコサックダンスという定番の民族舞踊を披露する。それはそれで面白かったのだが、なにしろ舞台には七〜八人、客席には二人。場末の演藝場だね、こりゃ。

ほかにはロシア正教の教会やマールイ美術館(「マールイ」はロシア語で「小さい」という意味)もあったが、何しろ誰もいないし寒いし日も暮れてくるし、これで失礼することした。車を走らせて山を降りる。バックミラーに映っていたロシア教会はすぐに見えなくなり、車はふたたび鬱蒼とした杉林をくねくねと走って山を降りた。

「いやあ…凄いとこでしたねえ(苦笑)」
「あれじゃあもうつぶれるのは時間の問題だな」
「そうですね、来てよかったなあ」
「あのチョウザメ、どうなるんだろうね」
「バイカルアザラシもですよ、まったく(苦笑)」

それからわずか半年後、新潟ロシア村は財政難が問題になり、数年後に閉鎖されてしまうのであった。

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2007年1月17日 (水)

仄暗い水の底から

正月休みに京浜運河のあたりを散策したときのスナップである。

運河の水底に沈むこの物体は何か?
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そうです。麻雀牌のセットです。
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ちゃんと点棒まで揃っている。なぜこんなところにこんなものが?

「ケッ、身ぐるみ剥がされちまったぜ…この麻雀牌を手に入れてからロクなことがない…こんなゲンの悪い牌なんか捨てちまおう…(ドボン!)…ああ、せいせいした。あ、そうだ、明日から弥彦競輪だ…今夜の夜行で都落ちと洒落込むか(苦笑)…」

なんかそんなドラマがありそうななさそうな、ほんにおまえは屁のような……

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2007年1月 2日 (火)

新春帰京双六

年末は東急田園都市線→営団地下鉄半蔵門線→東武伊勢崎線→東武佐野線→両毛線→上毛電気鉄道→両毛線→上越新幹線と乗り継いで新潟へ帰省。

明日は越後線→信越本線と乗り継いで長野に入り、千曲川さんと新年会をする予定(長野で一回休み)。

明後日は長野から軽井沢を経て高崎に出て、あとは高崎線または八高線で…このへんはノリで決める…適当に東京へ入る予定なのだが、はたして無事に東京にたどり着けるであろうか?

ともかく私が途中で行方不明になった場合は、このコースのどこかで行き倒れているか、一回休みまたはひとつ戻る、振り出しに戻る…ということが考えられます(笑)

それではみなさん、今年もよろしくお願い申し上げます。

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2006年12月26日 (火)

京急大師線を歩く

昨日は仕事が休みだったので昼から川崎界隈を彷徨った。JR川崎駅に直結したラゾーナという巨大ショッピングモールを見物。東芝だかどこだかの工場跡地を再開発してできたところで、平日の昼間というのに親子連れとアベックが大量に群れている。食堂街はどこも順番待ちの盛況ぶりで孤独な散歩者の入り込む余地は無い。

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しょうがないから楽器屋に入ってフェンダーのジャズベースなどを品定め、といって当面必要なこともないので見物のみ。ウクレレはたくさんあったけどマンドリンは置いてなかった。そういえばマンドリンなんて何処で売っているのだろう? 

そそくさとラゾーナから退散し、駅前のスタンドでカレーを食べ、京急川崎駅から大師線に乗る。途中で車窓から巨大な門らしきものが見えた。あれが水門か? 後で寄ってみようと思う。終点の小島新田で下車。いちど来てみたかった街である。京急川崎駅からわずか6駅という支線のどん詰まり。工場地帯のなかにある想像どおりの寂れた街で、駅前にわずかばかりの飲食街があるだけだ。ちょっと驚いたのはこんな駅前のわずかなスペースに、タクシーが3台も客待ちをしていたこと。ここから先は路線バスもなさそうなので、それなりに需要があるのかもしれない。

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跨線橋を渡って工業地帯へ向かう。跨線橋からは東海道貨物線の線路が冬の午後の弱い陽射しに鈍く輝いているのが見える。道端の古ぼけた家の庭に蜜柑の実が枝から二つぶらさがっていた。もう少し歩いてみたかったのだが、今日は時間がないのでふたたび小島新田駅に戻り京急大師線に乗る。

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途中の鈴木駅で下車し、車窓から見えた水門めざして歩き出す。ところが多摩川側には工場が立ち並び通り抜けできそうにない。結局港町駅まで戻って多摩川河畔に沿って鈴木町方面へ戻ると、ようやく巨大な水門が見えてきた。

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これは『川崎河港水門』という昭和三年に建造されたパルテノン神殿を思わせるような建造物。水門の下から見上げるとかなりの大きさだ。多摩川からの冷たい風が吹きつけ、思わずコートの衿を立てて身体を硬くしてしまう。午後の夕日はすでに傾きつつある。水門の下に立っていると、ときおり近所の住民が自転車や徒歩で行き過ぎていく。

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さて、また港町駅まで歩いて戻るのか。足も疲れてきたしなあ…などと年寄りじみた気分でいたら、ひとりのおじさんが工場の向う側から犬を連れて歩いてくるのが見えた。ひょっとして通り抜けできるのか? もうひとりのおじさんが河川敷から工場敷地を抜けて歩いていくので、私もその後をついて歩き出す。トラックやフォークリフトが佇む工場敷地を歩き、わずか数分でさきほど歩いてきた道路に抜けた。なんだ、ここから通り抜けできたんだ。徒歩3分で鈴木町駅に到着。京急川崎駅に戻り銀柳街をぶらついて電車に乗る。

新宿駅でN嬢と待ち合わせステーキを食べに行く。白系ロシア人の血をひくという噂?のN嬢とクリスマスディナー。残念乍らロマンチックな雰囲気など微塵もないままバカ話をしてステーキを食べて解散。


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2006年8月 8日 (火)

名古屋へ行ってきた

出張で名古屋へ行ってきた。

新横浜駅にて同僚のA君と待ち合わせ東海道新幹線で名古屋へ向かう。名古屋といっても十年ほど前に一度、知り合いの結婚式で来ただけ。しかも日帰りで帰るという慌ただしさで名古屋らしさなぞは全然味わっていない。だから私にとってはこれが初めての名古屋行である。まずは昼飯、ということで駅ビルの食堂で鰻のひつまぶしを食べる。重箱にたっぷりのひつまぶし、肝吸い、味噌汁(もちろん赤味噌)。なぜか大きめの徳利が一本ついている。「これは何でしょう?」「たぶん、最後に茶漬けにして食べるための出汁じゃねえか?」全然グルメじゃない無粋ものだからしかたがない。

名古屋といっても出張先は知多半島なので、名鉄特急でごとごと揺られて現地へ。うっすらと曇りがちの名古屋市内に比べて知多半島はピーカンの晴天。当然暑いことこのうえない。用事を済ませて名古屋市内に戻る。ホテルまでの道すがらあまりの蒸し暑さにA君とふたりでへとへとになる。「いやあ、やっぱり暑いっすねえ、名古屋」「この異常な蒸し暑さは臺北の街に似ているなあ」名古屋初心者は勝手なことを言い乍らホテルに荷物を放り込み街へと繰り出した。

まずは世界の山ちゃんを目指して歩き出す。世界の山ちゃんというのは手羽先で有名な居酒屋。名古屋では何を食べてくればいいのか、という質問に名古屋人のM嬢曰く「そうねえ、味噌カツ、味噌おでん、味噌煮込みうどんにひつまぶしなんかでいいんじゃない、あ、そうだ、手羽先も食べてくるといいよ」と言うくらい手羽先は有名らしい。最初に向かったのは世界の山ちゃん女子大前店。山ちゃんキャラクターとキャッチコピーがうるさいくらい夜の街で自己主張している。


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ところが店に入ると客が並んで待っている。「平日の夜だってのにもう満員ですか?」「名古屋人はそれほど手羽先が好きなのかねえ」しかたがないので別の支点に行ってようやく酒にありつくことができた。酷暑の一日を過ごした後に飲む生ビールは涙が出るほど美味しい。名古屋は生ビールを飲むには最適の街かもしれない。というわけでこれが幻の手羽先、土手煮込み、味噌串カツ。


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小ぶりの手羽を揚げてスパイスを効かせた幻の手羽先は実に美味しい! うーん、ビールが進む。味噌串カツも土手煮込みも美味しいのだが、それでもこれだけの赤味噌でもうお腹いっぱいという気になる。名古屋人はこんなに赤味噌が好きなのか。いい心持ちになったところでふらふらと夜の街を彷徨う。仕上げに飛び込んだのが小さなカウンターのみのうどん屋。カウンターに座ってカレーうどんを注文。なぜかほとんどの客がカレーうどんを啜っている。やがて出てきたカレーうどんを見てちょっと驚いた。

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まるでシチューのような白っぽいカレーがうどんを覆い隠している。白味噌でも使っているのか? それとも小麦粉か? 甘い味だったらちょっと嫌だなあ。ところがこれがなんとも絶品のカレーうどんだった。見た目と違ってしっかりと辛くてスパイシー。カレーにまみれた油揚がちょうどいいアクセントでまた美味しい。うどんもモチモチと腰があって美味しい。もちろん出汁も美味しい。おそるべし名古屋のカレーうどん!

時間はまだ九時をちょっと回っただけだというのに、A君は私より十歳以上も若いくせにもう疲れて眠たいと言ってホテルに戻ってしまった。それでも私は汗にまみれて地下鉄に乗り大須観音へ向かう。名古屋に来たら大須演藝場に行かねばならぬ。夜とはいえど大須演藝場を詣でなければ演藝研究會の名がすたる。

さすがにくたびれてはいるのだが汗をかきかき大須の街を経巡り、裏通りにひっそりと佇む大須演藝場にたどり着いた。今日の興行はとっくに終了しているが、いい具合に古びた昔ながらの演藝場だ。番組表を見ていて気になったのがそっくりショー〜なごやのバタやんなる御仁。ギター抱えて「オーッス!」と登場することは想像に難くないが、うーん一度はこの目で見てみたい藝人だ。柳家小三亀松、天魔(マジック)、上野千春(演歌)、雷門獅篭、雷門福三(落語)、ジギジギ(夫婦漫才)、、、うーん東京や大阪だけが藝能界ではない。名古屋には名古屋の藝能界があるのだ。いつかはこの目で観なければいけないな、と固く決意する大須の夜であった。

年季を感じさせる大須演藝場の上に、丸い月がぽっかりと浮んでいた。

※後で調べたら雷門獅篭は立川流を破門されて消息不明になっていた立川志加吾だった。志加吾は破門後、名古屋在住の落語家である雷門小福の弟子になって、この大須演藝場を拠点に活動中とのこと。

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2006年5月13日 (土)

熱海の海岸、散歩して(4)〜バカは死んでも治らない

市内の目ぬき通りを散策して気がついた。書店が無い。熱海市民は本を読まないのか。これはもうどうしようもない私の癖だが、知らない街に行くと必ず本屋を探してしまう。たとえそれがどんなに小さな書店であろうと、たとえ文房具店のはじっこに本棚があるような書店でも、チェーン店や大型書店ではない、地元の商店街にあるような書店を探さずにはいられない。

いまでも憶えているのは気仙沼にあった●●書店。うっかり覗いたら驚いた。驚異的なエロ本の品揃えで、これだけの店は東京都内でもそうそうないよ、と同行のエロ本業界で働いていた友人も感嘆していた。翌日地元の友人にその話をしたら「あの店に行ったんですか、あそこは気仙沼の漁師御用達の店ですよ(笑)、なにしろ半年以上の遠洋航海ですからね、もうごっそり買い込んで出航です。屈強な漁師が昼はマグロと闘って、夜はエロ本(笑)」

まあ、そういう地元密着?の書店を覗くのが好きなのである。ようやく駅前の古くさい商業ビルに書店があるのを発見。想像通り店の半分は文房具で埋まっている。平台が無いので店の前に新刊雑誌が床置きされているという珍なる書店。こういう店にはすでに絶版になってしまったデッドストックがあることが多い。ちょっと期待してはじから棚を眺めて回るがデッドストックといえるほどの本は無かった。せっかくだからと筒井康隆『敵』、竹中直人『直人の素敵な小箱』を購う。

すっかり薄暗くなった熱海を後に電車に乗り、小田原で途中下車して小田急線に乗り換える。小田原駅の駅舎が見違えるほど変わってしまって驚いた。あの平屋の駅舎は影も形も無くなってしまい、駅前もすっかり様変わり、殺風景になってつまらない。シートのはじっこに座りキオスクで買った罐酎ハイ片手に『直人の素敵な小箱』を読む。昼間から呑み続けているのでもうグズグズである。すっかりダラシナイ酔っ払いに成り下がり、周囲の客の冷たい視線を浴びつつ家路に着いた。これで今年のGWはオシマイ。

※熱海の裏通りで見つけた消火栓。いいのかね、こんなにしちゃって。

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2006年5月11日 (木)

熱海の海岸、散歩して(3)〜熱海食事情

昼間から一杯ひっかけて温泉に浸かりマッサージ機で身体をほぐし、すっかり良いこんころもちで熱海の街をぶらぶらと散歩。スナックや風俗店がひっそりと軒を並べる裏露地に、木久ちゃんラーメンのポスターを掲げたラーメン屋発見。おお、有名な割にはなかなかお目にかかれない木久ちゃんラーメン、と思ったところが準備中の貼紙。残念。いわゆる「木久蔵ラーメン」とは別物らしいがよくわからない。それにしてもポスターの木久蔵師、かなり若いぞ。いったいいつ頃のポスターなんだろう。

土産物屋で温泉饅頭を一個購う。店のおかみさんが「そこで食べるならお茶差し上げますよ」と言うので、指差す方をみると店の前にベンチがあった。ありがたくお茶を貰ってベンチで湯気の立つ美味しいお饅頭を食べる。これで少しは売上げに影響するのかしらん。そろそろ夕方になってきたのでどこかで腹ごしらえをしようと食堂を覗いてまわるが、どこの食堂も値段が高くて定食はほとんどが1000円以上する。観光客相手だからしかたないのだろう。それでも「安くて美味しい」を売り物にすればもっと評判がよくなると思うのだが、、、前述のように地元の公定価格という縛りがあるんだろうなあ。誰か若い商店主が風穴を開けてくれ、と言いたくなる。

さっきの鯵のたたきもそうだがなにしろ地元の魚はほんとうに美味しい。干物定食なんか安く美味しく提供できそうな気がする。ああ、そうか、そんなことしたら干物が売れなくなるか。いや、美味しく焼いて食べさせたら土産に買って帰る人が増えると思うがなあ。熱海まで来て戸隠蕎麦だのトンカツ定食なんぞ食べてもしょうがない。ようやく見つけた安い鮨屋で、生ビールを呑みつつ地元の魚をつまむ。鯵と真鯛と金目鯛が美味しい。隣の客はサーモンだのイクラだのをつまんでいる。自分の金で何を食べようとその人の勝手だが、熱海でサーモンやイクラを食べてどうするのだ。まあいいけどね。ところでこの鮨屋では生ビール小ジョッキが250円、お代わりするととたんに200円になる。嬉しくなってお代わり。バカだねー。

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2006年5月10日 (水)

熱海の海岸、散歩して(2)〜秘宝館の魔手

駅前から路線バスに揺られて熱海港で降りると初島や大島への汽船発着所があった。船で大島へ行くというのもいいなあ。いつか行ってみよう。江利チエミ主演のミュージカル映画『ジャズ娘誕生』(1957)、大島の椿油売りの江利チエミは旅回りの一座と知り合い、ひょんなことからジャズ歌手としてデビューすることになる。あの映画に出てくるのどかな雰囲気はいまでも残っているのだろうか。

小腹が空いたので釣舟宿が経営する葭簾張りの食堂に入り、生ビールと鯵のたたきで一杯呑む。だいたいこういうところは値段が高いのだがまあそれはよしとしよう。生ビール1杯650円、サザエつぼ焼き1000円、定食は1200円〜1700円。安くしようと思えばもっと安くできるのだろうが、たぶん地元の公定価格があるのだろう。抜け駆けはダメなのね。

岬の突端が山になっていてその上に聳え立つのは熱海城。店を出るとすぐ近くにロープウェイ乗り場がある。そしてロープウェイに乗って何処に着くかというとごぞんじ熱海秘宝館(笑)。あちこちの食堂には秘宝館の割引券が無造作に置かれている。うーん、安っぽい。ビールと鯵のたたきで良いこんころもちになって、そうかあ秘宝館かあ、いっちょう行ってみっかあ、などと思うが、ふとわれにかえって考えた。

だいたい秘宝館というところはグループ旅行で「おお秘宝館! いいねえ行ってみるかあ」「やだあ、スケベなんだからあ」「そういえばむかし行ったことあるなあ」「あたし行ってみたい!」「行ってみよう行ってみよう」というマヌケなノリで行くところである。またはアベックで「秘宝館に行ってみようよ」「何それ、やだあそんなとこお」「まあまあいいじゃないか、フフフ」などとバカ面さらして行くところである。間違っても男独りで行くところではない。しかも片道350円のロープウェイに乗って行くのである。

そうか、このあたりの店で新鮮な魚で一杯やっていると、秘宝館の割引券が手に入り、すぐそばにロープウェイがあって、ふらふら乗り込むとそこは秘宝館、という仕掛けか。うーん、おそるべし熱海、おそるべし秘宝館。危うく人間としてダメになるところだった。よかったよかった。

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※山頂に聳える熱海城と熱海秘宝館(左上の緑色の建物)、ロープウェイただいま運行中。

ダメ人間にならずに済んだところでマリンスパ熱海という施設に入る。ここはプールと温泉に入れるようになっていてもちろん私は温泉に向かう。熱海湾を一望に見渡せる湯舟に浸かりだらだらし、湯上がりにロビーに行くとマッサージチェアがあった。100円払って思いきりマッサージしてあまりの気持良さに涙が出てきた。

ついでに中国式足裏マッサージ機という珍なるシロモノにチャレンジ。中国式というキャッチコピーがなんともインチキくさいが、それでもよく考えたものだと思う。足裏のツボをいちいち押したり器具を踏んだりするのが面倒だから、いっそのこと電動式にすればいいのでは、と思いついたのだろう。機械に両足を突っ込んで100円入れると足裏のツボをグイグイ押してくれて、最初は痛かったが慣れるとこれが気持良くてまた涙が出てきた。それにしても良いオトナが情けない。やはりダメ人間なのかもしれない。

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2006年5月 8日 (月)

熱海の海岸、散歩して

ほとんど寝たきり?のGWだったが、一日くらい何処かへ出かけようと思いなぜか熱海に向かう。特に思うところがあるわけではないのだが、なんとなく熱海へ行こうと思った、ただそれだけである。東海道線に揺られて小田原、真鶴、湯河原を通り過ぎて熱海に着いた。空前の海外旅行ラッシュとはいえ熱海にもそれなりに観光客が群れている。家族連れかアベックばかりのなか、私はいつものように独り旅。

熱海といえば小津安二郎監督の名作『東京物語』(1953)、笠智衆と東山千栄子の老夫婦が早朝の熱海の海岸でしみじみする場面が有名。はるばる尾道から上京し、子どもたち(山村聡、杉村春子)のもとを訪れた老夫婦は、手塩にかけて育てた子どもたちも立派になったが、それも思いのほか出世しているわけでもない現実を知る。それはそれでいいとしても、長男も長女もどことなく老親に対して冷たいことに落胆する。戦死した次男の嫁・原節子だけが心から優しく接してくれる。老夫婦はあちらこちらとたらい回しにされ、挙句の果てに長女の杉村春子の亭主・中村伸郎の発案で熱海の旅館に送り出された。夜が更けても喧噪止まぬ旅館でひどい目に遭い、寝ぼけ眼をこすり乍ら熱海海岸の堤防の上で「そろそろ尾道へ帰ろうか」「そうですねえ、帰りましょうか」と短い会話を交わす。ここで東山千栄子は目眩を起して倒れそうになる。これが伏線で、尾道に帰った後、東山千栄子は倒れて息を引き取る。

戦争が終わって日本は変わってしまった。古き良き日本は次第に失われてゆく。家族のあり方もどんどん変わってゆき、老夫婦はもう時代から取り残されてしまった。この残酷な迄の現実を小津安二郎は冷ややかに、そして限りない優しさを込めてフィルムに映し出していく。笠智衆と東山千栄子が朝日を浴びて座っていた堤防はどこだろう。すでに50年もむかしのこと、映画で観る熱海海岸は今とはすっかり様変わりしている。たぶん位置関係からしてこのあたりに堤防があったと思われる。画面左手にはのどかな岬が映っているが、今では突端までホテルやリゾートマンションが立ち並んでいる。彼らが眺めた海だけがむかしのままだ。

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2006年2月19日 (日)

Shall we dance ?(2)

事務室から出てきたのは四十代後半くらいの落ち着いた感じの女性、こちらの用件に答えて曰く「番地や施設名が掲載されている地図、ですか。ゼンリンの住宅地図みたいなものですね、、、うーん、そもそもゼンリンの住宅地図じたいが昭和35年頃からしか発行されていないんですよ」そして彼女は書庫から昭和40年前後の住宅地図数冊を出してきてくれた。「ここの図書館ではこれしか資料がないんですが、区役所分室の資料室には郷土史料が揃っています。よろしかったら電話して探してもらいますよ」と言うのでついでにお願いすることにした。礼を述べて閲覧席で住宅地図をなめるように見るが、進駐軍が引き揚げてから十年以上も経った頃の地図、もちろんダンスホールなど掲載されてはいない。まあせっかくだからコピーでもとっておくかとコピー機のところに行くと、さきほどの司書が近寄ってきて「資料室から連絡がありまして、お出でになれれば資料を用意しておきますということです。ええ、駅の近くの○○ビルの裏です。それじゃこれから直接行かれると連絡しておきますね。それから、最近は著作権が厳しくなっていますので、資料をコピーするときは申し込み用紙に記入してください。特にゼンリンはうるさいので(苦笑)、、、」そうそう、ゼンリンはうるさいんだよな、と同業者の私も心の中で苦笑い。ふたたび礼を言ったときに名札をみたら、彼女はなんと図書館長だった。図書館長みずから最前線で働くのか。良いことではあるが、それだけ専任職員が減らされているのだろう。

コピーを取り終えて区役所分室までとぼとぼと歩く。繁華街の裏手にぽつんと建っている区役所分室のなかに資料室はある。誰も閲覧者のいない寂しいところだったが、のこのこと入っていくとジャンパーを着たオジサンがにこやかに迎えてくれた。「ああ、お待ちしてました。昭和二十三年頃の地図はあるんですけど、ただ住宅地図じゃあないんですよ。これじゃあダメですかね(笑)」机の上に広げられた地図は残念乍ら地形図なので、ダンスホールがどこにあるかなどは皆目見当もつかない。それでもオジサンはこちらの希望に応えるべく、あれやこれやと資料を引っ張り出してきてくれる。大正時代の多摩川両岸の商業広告(一枚ものの図)があった。これはなかなかのもので、簡単な地図も掲載されており、料亭や待合いの場所と名前がばっちり掲載されている。うーん、二子玉川界隈にも料亭が立ち並んでいたのだなあ。田山花袋の『東京近郊;一日の行楽』の記述どおり、ここは東京市民の行楽地だったことがよくわかる。しかし私が見たいのは昭和二十三年頃の地図なのだ。しょうがないので地図はあきらめて、文献資料をいろいろと調べることにする。ところが戦前の三業地だった頃の記録は豊富にあるのだが、戦後はどのように変化していったかという記録がない。次第に窓の外が暗くなってきて閉室時間が近づいてきた。しょうがない、今日はこれくらいにしてまたそのうち中央図書館にでも調べに行ってくるか、と思い始めた頃、一冊の本をパラパラとめくっていた私は小さくアッ、と叫んだ。

「戦後この亀屋はアメリカ進駐軍に接収され、リバーサイドというダンスホールになり、GIと日本の女が肩を組んで歩く姿がめだったという」(杉山康彦『川崎の文学を歩く』多摩川新聞社 , 1992)

かつて溝口に亀屋という旅館があった。国木田独歩が書いた『忘れえぬ人々』という短篇小説は、溝口の亀屋という旅館が舞台になっている。二子の渡し舟で多摩川を渡った主人公は、大山街道沿いにあった亀屋で一泊した。そのときに宿で出会った青年との邂逅を綴ったちょっと暗い印象の小説。ところがこの亀屋のほかにもうひとつ、溝口の手前の二子にも田山花袋お気に入りの亀屋があった。こちらは料亭兼宿屋だったようだが、田山花袋が『東京近郊;一日の行楽』で書いているのは二子の亀屋のほうだ。二子の亀屋はかつての二子の渡しの真ん前に位置していた。いまはもちろん渡しは無くなってしまい、渡し場だった痕跡を示す記念碑が建っている。現在はこの先に二子橋がかかっていて道路に並行して東急田園都市線が走っている。まさに東京と川崎をつなぐ要所だったのだ。そして問題はこの「二子の亀屋」だったのである。

そうか、リバーサイドは二子の亀屋のことだったのか! そうだよなあ、いくら進駐軍がやってきたといっても、おいそれとダンスホールなどおっ建てやしなかっただろう。もともとあったホテルやクラブを接収して、戦時中は仕事にあぶれていた日本人の洋楽ミュージシャンたちが、息を吹き返したように演奏を繰り広げていたのだ。ジョージ川口とビッグフォーなどのジャズバンドが空前のジャズブームに乗って、ボストンバッグに入りきらないほどの札束を一晩で稼いでいた、という伝説があるくらいだ。同じように二子の料亭だった亀屋も、進駐軍御用達のダンスホールに仕立て上げられ、タンゴの女王藤沢嵐子も二子の亀屋、いやダンスホール「リバーサイド」でタンゴを歌っていたのだ。二子の亀屋だった辺りは、その後区画整理されてかつての面影は消滅し、蕎麦屋や小料理屋が密集している。かつて亀屋の敷地だったところも、つい最近まではガソリンスタンドだったが、いまではそこもマンションへと変貌を遂げた。そうかあ、あのマンションが亀屋で、国木田独歩が冬の夕暮れにとぼとぼとこの前を通り過ぎ、田山花袋が愛人を連れて酒を呑み、宇野浩二や岡本一平、久保田万太郎といった文人が行楽に出かけ、戦後はリバーサイドと名前を変え、夜な夜なGIと日本人ミュージシャンが入り乱れていたのか。そうかそうか、そうだったのか。でもまさか料亭がダンスホールとはねえ、、、占領されるとはそういうことなのだ、と納得。薄暗くなってきた資料室で私は独り深く頷いたのである。

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2006年2月18日 (土)

Shall we dance ?

近所に二子新地という街がある。川向こうは二子玉川といういたってお洒落な街だが、こちらは急行電車も止まらない多摩川河畔の小さな街。東急田園都市線の各駅で、つい最近までエレベーターはおろかエスカレータすら設置されていなかったという疎外された街でもある。それでもこの街の歴史は古く、江戸時代に流行した大山参りの街道沿いにあるため、多摩川の渡し場として栄えていた。どうりで道が縦横無尽、というよりはてんでんばらばら東西南北に走っている。もともと農村だった土地の名残りだ。青葉台、鷺沼、たまぷらーざといった高度成長期に造成された、いわゆるニュータウンとは一線を画する街並。うっかりするといまでも道に迷ったりしてしまう。戦前の東京地図をみると、多摩川を挟んで両岸には料亭が立ち並んでいたことがわかる。田山花袋の『東京近郊;一日の行楽』によれば、明治から大正の頃は、清流だった多摩川での鮎釣りや川遊び、川魚料理を出す料亭などで賑わっていたという。

宿場町で料亭とくれば芸者、芸者とくればとうぜん置屋、そして待合。そう、「新地」という地名でもわかるように此所は花柳街でもあったのだ。といっても今は花柳街のよすがを残す物件はほとんど残っていない。それでも古い地図をたよりに花柳街だったあたりを散歩し乍ら丹念にあたりを見渡すと、かすかに往時の名残りが見受けられる。

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川沿いのアパートは黒板塀に囲まれた敷地内にある。黒板塀というのは料亭につきものだから、このアパートはもともと料亭があったところに建てられているのだ。しかも近代的なアパートに似つかわしくない黒板塀の玄関に富士山がある。なんのことかというと、欄間に富士山をかたどった建築意匠をごぞんじであろう。こんなのは普通の民家にはない。たいていが商売をやっている家にあるのだ。

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さらに裏露地に入るとやはり黒板塀の家がある。しかも造りがみごとに料亭なのである。広い敷地に複数の棟があって、それが渡り廊下と一体化した座敷で繋がっている。今は民家らしいがここも三業地(料亭・置屋・待合の三業種がある街)の名残りをとどめている。もう一軒黒板塀の家があって、此所は今でも料亭として営業しているらしい。

さて突然だが、ここで日本のタンゴ歌手の草分け藤沢嵐子の回想。

「昭和二十三年でしたね。多摩川の上流に二子新地前(管理人註:以前は「二子新地前」という駅名だった)というところがありますでしょ。あそこに『リバーサイド』ってダンスホールがあって、私、すこしうたってたことがあるんです。ところが多摩川の向こう岸にもダンスホールがあって、そちらはアメリカ兵のGI専門で日本人は入れないんですネ。こちらの『リバーサイド』はもちろん日本人専門です。そこでMP(憲兵)が橋を渡って見まわりに来るんです。『リバーサイド』にはGIがいてはいけない。あちらのダンスホールに日本人がいてはいけない。でも実際は、うちのバンマスなんかあちらの演奏を聞きにいくし、GIは『リバーサイド』におにぎり食べに来るし、けっこういり乱れてあっちこっちしてました。MPが来るとGIを物陰に隠したりしてね、情がうつるんですよ」(青木誠『ぼくらのラテンミュージック〜ものがたり日本中南米音楽史』リットーミュージック)

かつて二子新地にダンスホールがあった!
ダンスホールというと、バンドが演奏してて綺麗なオネエチャンがいっぱいいて、天井からミラーボールが下がっていて、というイメージがある。それはキャバレー? まあいいや。さていったいどのあたりにダンスホールがあったのだろうか? 現在のゴチャゴチャした街並からは想像もつかない。ゴチャゴチャしているのはいまに始まったことではなく、前述したように農村だった頃の名残り。世田谷区が良い例で、あのあたりは戦前は広大な農村地帯だったのである。もちろん山あり谷ありという起伏に富んだ地形でもあり、成城学園のような、最初から住宅地として区画整理されたところは別だが、ちょっと路地裏に入るととたんにわけがわからなくなる。

とりあえず近所の図書館へ出かけて郷土史料をあたることにした。図書館のオネエチャンに「昭和二十三年頃の二子新地界隈の地図はありますか? できたら施設や番地が載っているとありがたいんですが」と尋ねた。最近は公共図書館の司書職を育成せず、人件費を抑えるために業務の外部委託が猖獗を極めており、ご多聞に漏れずこの図書館も殆どが書店のネーム入りエプロンをつけたオネエチャンばかりだ。こういうレファレンスは委託業者の範疇ではなく、わずかに残っている専任の司書が担当することになっているようで、事務室から出てきた司書にもういちど用件を伝えたのだが、、、(続く)


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