名人の弟子

演芸研究会梅雨の例会は横浜にぎわい座で『川柳・圓丈二人会~六代目三遊亭圓生譲りの古典&十八番新作共演』

三遊亭玉々丈 / 名古屋版・金明竹
オープニングトーク
川柳つくし / 少子化対策
三遊亭圓丈 / 居残り左平次
川柳川柳 / 首屋
三遊亭圓丈 / 夢一夜
川柳川柳 / 昭和の笑話

おそらく最後の破天荒な落語家・川柳川柳、現在の新作落語の開拓者・三遊亭圓丈の共演である。そしてこの二人はともに昭和の大名人・六代目三遊亭圓生の弟子、ということは二人は兄弟弟子なのである。特にここ数年ずっと三遊亭圓丈のCDを聴き込んでいるが、高座を見るのは久しぶりだ。

前座の玉々丈、師匠圓丈譲りの『名古屋版・金明竹』を軽やかにこなしてなかなか聴かせる。省略の仕方も巧い。次のめくりは…オープニングトーク…何かと思えば着物姿の圓丈とスポーツシャツ姿の川柳が登場。後から弟子の川柳つくしがついてきた。川柳師匠、どうやら遅刻したらしい(笑)

「アニさん(兄さん;兄弟子)の移動手段は都バスですから、多摩川越えられないんです…(三遊亭)圓生の弟子で元気なのは私とアニさんくらいなもので、圓楽さんはいなくなっちゃうし…残ったのは新作派のわれわれ…それにしてもこの二人会、これで最後でしょうねえ(笑)」
「オレは圓生を越えるよ、歳だけは(笑)」

六代目圓生は79歳で死んだ。川柳師匠は78歳、そして圓丈師匠は64歳。まだまだ元気。

つくしは小渕優子や麻生太郎が登場する『少子化対策』で笑いを取る。つくしちゃん、巧くなったなあ…エロネタもきれいにまとめるところは師匠の反面教師だね。マクラで「さっきのオープニングトーク、私は要らないですよねー、あの二人(川柳・圓丈)はとても仲よしなんですけど、二人だけだと照れくさいみたいで、直前に『つくし、お前も来い!』って(笑)」なんかイイ話です。

圓丈最初の高座は『居残り左平次』…マクラで自分が落語家になった頃はまだ吉原の話がリアリティを持っていたから観客の共感を得たのに、現在は吉原(遊廓)のことをそのまま話してもリアリティが持てない…つまり「古典落語を『そのまんま演じる』ヤツはダメ、古典落語を現代の観客にもわかるようにアレンジしなくちゃ」という自説を、吉原(遊廓)を例に取ってサラリと開陳する。解りにくいサゲを解りやすく、しかも違和感のないサゲに変えていたが、このへんも圓丈の心意気なんだろうな。

続いて川柳、今日は古典の滑稽噺『首屋』…これ圓生師匠も演じてましたな。川柳はやっぱり「声が良い」。侍のセリフや所作が綺麗で格好が良くてお見事でした。長い長いマクラで放送禁止用語の読み替えをバカにしたり、扇子に書いたカンペを読んだり…「いいですよねえアニさんは…高座でカンニングペーパー読んで…あれじゃ落語じゃなくて朗読だ(笑)」という圓丈の言に「70歳過ぎたら何やってもいいんだよ!」…なぜか納得(苦笑)

仲入りの後は圓丈の新作『夢一夜』…末期がん患者が病院を抜け出しタクシーに乗って羽田空港に行く。患者の夢は日本庭園が見える和室の畳の上で死ぬこと。というわけで羽田空港のロビーにプレハブのお座敷と庭を拵えて死ぬというストーリー。金に釣られて予約カウンターのおねえさんが藝者になったり機長が幇間になったりするギャグが笑える。患者がくだらないことを言って運転手がクサると「末期がんジョークだよっ!」というところが何とも可笑しい。さすが圓丈師匠、お見事の一席。

大トリは川柳で『昭和の笑話』…昭和庶民の娯楽の王様だった映画が、やがてテレビにその座を奪われていく過程を面白可笑しく語っていく。確か『TVグラフティ』という題でも演じていた噺だ。嵐寛寿郎や市川歌右衛門演じる鞍馬天狗や旗本退屈男の荒唐無稽さを茶化して笑わせる。時代劇映画いじりは林家木久翁よりオモシロい。

戦争に負けてアメリカに占領されていた日本人のルサンチマンを晴らしたのは力道山、というくだりで「彼は朝鮮人、今の北朝鮮です。その力道山が憎きアメリカ人を空手チョップで叩きのめす、それを見てわれわれ日本人はやんやの喝采を送ったのです。だから北朝鮮を悪く言っちゃあいけません…援助しようよ」

悲しいかな木久翁はこういうネタの展開ができない。さすが川柳師匠。

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幻想としての江戸

先日、渋谷のリブロで三遊亭圓丈の『ろんだいえん:21世紀落語論』(彩流社)を見つけた。渋谷のリブロで売られているあたりがかっこいい(笑)

圓丈は言うまでもなく新作落語のスター、というか実験落語の王様というか、とにかく日本の古い古い伝統社会であるところの落語界に身を置いて、しかも常に前衛であり続けている落語家である。昭和の大名人・六代目三遊亭圓生の弟子で、三遊亭圓楽や川柳川柳が兄弟子にあたる。その独特の個性とまさに圓丈ワールドと呼ぶしかない数々の新作(創作)落語で一部の落語ファンを惹き付けて止まない。斯く言う私もそうだが…何が良いといって圓丈の落語は古典に寄りかからないところが潔いと思うのである。

古典落語というのは言わば「大樹」であり、古典落語を演じていれば「寄らば大樹の陰」というか、少々下手な高座でも何となく済ませることが可能。客も「コレは八っあん、熊さんが出てくるから古典落語だナ、長屋のお内儀さんとか大家さんとか出てくるんだナ、で最後になんかオチがついて終わるんだナ」という、一種の安心感というか何も考えなくてもいいというか、まあそういう境地に安住することができる。ま、私はそういうの割と好きですけどネ。寄席だと二十人からそこらの藝人が出てきて入れ替わり立ち替わり落語を演じる。ひどいときは一時間くらい何も考えなくてもいいことがあるくらいだ。さらに寄席以外での落語会でもそういうことがある。

しかしそれはいくらなんでもアレじゃないかな。たまには垂れかけた目蓋をパチッと開かせてくれる高座があってもいいだろう。「寄席とは退屈を楽しむところである」というには色川武大の名言だが、私がこの境地に足を踏み入れたかナ?と感じられるようになったのは割と最近のことで、色川氏の名言を知らなかったら今頃まだボヤイていたことであろう。さて寄席の香盤に圓丈の名があるとこれは楽しい。前後に出てくる落語家とは雲泥の差がある、というか落差が凄い。八っつあん、熊さんどころの騒ぎではない。何を喋るのやら皆目見当がつかないところがスリリング。

いったい何が面白くて落語家をやっているのだろうと思わせる落語家は実に多い。圓丈もそう思っているようで哀切極まりない名作『横松和平』のマクラでも「東京には落語家が五百人もいるんですが…そんなに要りません。新聞配達じゃないんですから」と笑わせているがコレは圓丈の本音であろう。以前にも書いたような気がするが、江戸前の落語なんてものは今やもう無い。私は江戸の風情だとか江戸の人情だとか、そういうことには殆ど興味が無い。そういう落語を演じられたのは古今亭志ん朝が最後で、今やもうそういう落語家はいません。そんなものを求める客がまだいるという現状がすでにヘンだと思う。

まあこれは最近の落語ブームでマスメディアがこぞって落語や寄席を取り上げ「寄席に行くと着物を着た落語家が出てきます。八っつあん熊さん与太郎さん、江戸の風情です、江戸の人情ですねー、こういう趣味が今かっこいいんですよー」と言うのに乗せられている。つまり現代の観客は「幻想としての江戸」更に言えば「幻想としての江戸、のようなもの」を楽しんでいるわけだ。

もちろんそれが悪いと言っているのではない。しかし「江戸」は「もう無い」のである。そして「江戸」という冠を取っ払った「風情」とか「人情」を、現代の感覚で演じているのが立川談志であり、立川志の輔、柳家喬太郎、春風亭昇太、そして三遊亭圓丈だ。だからこそ彼らは他の落語家を凌駕し、かつ多くの落語ファンを魅了するのである…てなことを考えながら、こないだ川柳・圓丈二人会を聴きに行ってきた。

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柳家喬太郎

もう10数年前、新宿末広亭でぼんやり落語を聴いていたら柳家喬太郎が高座にあがった。たぶん仲入り前だったか仲入り後だったと思う。演じたのは入れ替わり立ち替わり奇妙な婦人警官が登場する『派出所ビーナス』…寄席であんなに笑ったのも珍しいくらいのおかしさだった。ちょうど真打昇進を控えていた頃だったはずだが、まさに若手のホープといった実力を遺憾なく見せつける高座だった。

それからあちこちで喬太郎の落語を聴いたがハズレだったという記憶はあまり無い。『すみれ荘201号』『ほんとのこというと』『鍼医堀田とケンちゃんの石』『冬のそなた』『巣鴨の中心で、愛をさけぶ』…新作派のイメージが強い喬太郎だが古典落語もきちんと演じられる実力派。最近聴いた『竹の水仙』も抜群の面白さでiPodに入れて帰宅途中の電車のなかで疲れた身体を癒している(笑) 

極端にデフォルメされた異常な登場人物が頻出する演出も、ある意味で立川談志言うところの「イリュージョン」の範疇に入るだろう。女子大生から新妻、中年サラリーマン、魚屋のオッサン、長屋の住人から大家、町人、武士、殿様…登場人物の造形がまた巧い。いわゆる「キャラが立っている」のである。そして私にとってはこの非日常性がたまらなくおかしいのである。

喬太郎の落語が凄いのは、これらの非日常性が日常性のなかに自然に共存しているところだ。もともとフィクションである落語の中に、さらに異常なメタフィクションが突然立ち現れる。しかもそれらがいちいち「ああ、なんかこんな人いるよなあ…こんなことあるよなあ」と思わせる。そしてその繰り返しが聴くものの心を高揚させ一挙に笑いの坩堝に叩き込まれてしまう。

40代も半ばに達した喬太郎、やや末枯れた味わいも漂わせる雰囲気になってきたが、それでも新作に古典にその話藝はますます磨きがかかってきたと思う。落語を初めて聴く、あるいは聴こうとしている方には自信を持ってお薦めします。

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くさやの茶漬け

『人生、成り行き〜談志一代記』(新潮社)を読んだ。落語会の巨人、立川談志の半生を最良の聞き手吉川潮がまとめたインタビュー。なぜ談志の落語が凄いのかをずっと考えてきたが、恥ずかし乍らこの本を読んでようやくその一端が理解できたような気がする。

そもそも私が落語が好きなのは、物語が好きでそれを面白可笑しく聞かせる藝だから、ということ。落語を聞き始めた小学生の頃はもう何がなんだかわからないけど、いい大人が着物を着て座布団に座り、扇子と手拭をあれこれ使って面白いことを言っているということに喜んでいた。

爾来30余年、だらだらと落語を聞き続けてくるとだんだんこちらも耳が肥えてくる。いや肥えてくるったってこちらもそれ相応に歳をとっているわけだ、子どもの頃にはわからなかった噺の意味とか登場人物の気持ちとか物語の背景とか、そういったものを自分のものとして嫌でも理解するようになる。そうじゃなければただのバカだ。まあこちらも相変わらずバカだけどさ(苦笑)

『芝浜』の魚屋みたいに仕事なんかしたくねえなあ、金のたんまり入った財布を拾ってみたいなあとか、『野ざらし』の八っつあんみたいに骸骨でもいいから良い女を抱いてみたいなあとか、それなりに大人として生きていると日常のなかのそういう願望だの妄想だのが生まれてくる。たまには『文七元結』の左官の長兵衛みたいに保身を無視した行動をしたりとか、オレここでこんな立場に立つと損なんじゃないか?などとわかっていても、もう自分の気持ちだけが先走って所謂「理屈」というものが後回しになってしまったりする。

周りからは「あんたバカじゃないの?」と言われても「言っちゃったものは仕方ねえじゃねえか」と嘯いて、それでも心の中では「あ〜あ、やっちゃったよお…まあいいか」なんてこともある。こういうことはしないのが所謂「大人」なのだろうが、そう言う意味では私はまだ「ガキ」であろう。それでも人間には必ず「ガキ」の顔があるに違いない。

周りの「大人」を見ているとたいてい「ガキ」の顔を隠している。ただ「大人」と「ガキ」の顔を上手に使い分けているところが私と違うところだ。さすがに私も、ここで「ガキ」の顔をしちゃいけないな、という勘所はだんだんわかってきたが、それでもまだまだ「大人」ですと言えるような人品骨柄ではない。


bookここで、<芸>はうまい/まずい、面白い/面白くない、などではなくてその演者の人間性、パーソナリティ、存在をいかに出すかなんだと気がついた。少なくも、それが現代における芸、だと思ったんです。いや、現代と言わずとも、パーソナリティに作品は負けるんです。それが証拠の(明治の四天王の一人で、ステテコの三遊亭)円遊であり、(大正から昭和初期にかけての柳家)三語楼であり、(三語楼の弟子で、兵隊落語と新作の柳家)金語楼でありという<爆笑王>の系譜ではなかったか。その一方、彼らのパーソナリティに負けちゃうんで、<落語研究会>といった作品を守る牙城ができたんじゃないのか。もう少し考えを進めると、演者の人間性を、非常識な、不明確な、ワケのわからない部分まで含めて、丸ごとさらけ出すことことが現代の芸かも知れませんナ。


bookそれに<イリュージョン>と繋がる話になりますが、人間にはどこにも帰属できない、ワケのわからない部分があって、そこを描くのが本当の芸術じゃないですか。でないと、ゴヤの自分の子を喰らう怪物の絵が良いとされている意味がわからないでしょう。あんな絵、貰ったって困るヨ。モジリアニの不気味に首の長い女の絵や、フェリーニの畸形がいっぱい出てくる映画だってあるいはゴッホだってピカソだって、見ていて不快になる人もいるでしょうが、それは常識の範疇をこえたもの、非常識とすら呼べないもの、人間の帰属しえない、イリュージョンの部分を捉えようとしているんじゃないですか。


古稀を過ぎて尚こんなことを考え乍ら高座に上がっている。こんな落語家はいない。私が漸く理解したのは、私たちは立川談志が演じる「落語」を聞いているのではなく、落語を演じる「立川談志」を聞いているのだ、ということだ。そうなんじゃないかなあ、と自分で薄々気がついてはいたが、恥ずかし乍らこの本を読んでそのことに確信を持った次第である。

落語は好きだしとりわけ古今亭志ん朝が好きだが、立川談志は嫌いだという場合、それは談志のパーソナリティが性に合わないということだろう。志ん朝は茶漬けを茶漬けとして食べさせてくれる。しかもその茶漬けは、米の炊き具合も茶の入れ具合もお新香の漬け具合もまことにけっこう。そんじょそこらの落語家の茶漬けとは訳が違う。

そして談志の茶漬けも最高級なのだが、その茶漬けは日によってタイ米だったりウーロン茶だったりくさやの干物が乗っかってたりする。こりゃ不味い、と思っても実はえも言われぬ味わいだったりするのだが、江戸前の茶漬けが最高と思っている人には、なんだこりゃ、という代物にしかならない。

結局「自分」なんだな、「自分」を殺して…「自己犠牲」なんて言葉があるけど、あれも「自分」を殺したつもりで結局「自分」をアピールしている、「無私の行為」ったって、そういう見方もあるんだヨ、てことを落語は教えてくれる、ということを私たちは談志から教わってきたわけだ。

こういう了見を「ひねくれている」というんだろう。しかし「ひねくれている」からこそ面白い。奥が深い。うーん、ナンダカまとまらない……

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名人の技倆

立川志の輔『らくごのごらく4〜抜け雀』
名人が屏風に描いた雀が朝になると抜け出して空を飛ぶという「竹の水仙」「ねずみ」と同類の噺。あまたの名人が高座にかけるお馴染みの噺だが、これを志の輔が演じると「おみごと!」の一語に尽きる。

ラスベガスのカジノに始まりゴルフからタイガー・ウッズと続くマクラも秀逸だし、なにより登場人物の絵師、旅籠の主人と女房、絵師の父、宿場の人々の造形のなんと活き活きとしていることか。


『らくごのごらく5〜新・八五郎出世』
長屋の大工・八五郎の妹が殿様のお世継ぎを産んでお屋敷に挨拶に出向くことになる。長屋住まいの町人が殿様や侍など住む世界が違う人々のなかで、畏まることも気取ることもできずにいつもの伝法な口調でお祝いを述べる。ただただ母親と妹に寄せる愛情だけがほとばしり、殿様はだんだんこのがらっぱちな大工が好きになる。

冒頭、長屋の大家との珍妙な問答、お屋敷での侍との問答、そして延々と続く殿様相手のモノローグが聴く者に笑いと感動の渦に巻き込む。なまなかな技倆でできる噺ではない。聴く者にどれだけの余韻を残せるかで噺家の技倆が問われる演目。志の輔、まさに畏るべし。


立川談志『松曳き/九州吹き戻し』
古典落語を端正な江戸前の藝として演じることに関しては、やはり古今亭志ん朝のほうが談志より上であったろう。もっとも談志は志ん朝のように演じることを指向しないのだから、そういう意味では比較することじたい無意味と言える。志ん朝プロパーはたくさんいるが談志プロパーは実は少ない。愛弟子の志の輔でさえ談志の意志は継いでいるが、基本は志ん朝のような本寸法の高座を務めている。

『九州吹き戻し』は談志の愛弟子・立川談春の高座で初めて聴いた。その後CDにも収められていて実は私の好きな噺でもある。長尺で起伏の少ない噺なのでこれを演じるのは難しいだろうなあ、と素人にもわかる。そしてこういう噺を最後まで聴かせるのは落語家にとっても腕の見せ所だ。

談春の高座には圧倒された。凄いと思った。そして談志の演じる「九州吹き戻し」を初めて聴いた。談春のそれとはまったく違う高みに驚愕し、CDを聴き終わって思わず拍手をしてしまった。

落語は「屏風に描いた雀を活き活きと空に飛ばす」という話藝。
立川談志こそ稀代の名人である。

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そろそろ…夏

演藝研究会例会でひさしぶりに末広亭に行ったら凄い行列。今日の夜席のトリは柳家小三治だからしかたないか。二階席に通されるがここもほぼ満員で一階席では立ち見もちらほら。

笑組(漫才)、柳家はん治、古今亭志ん橋、太田家元九郎(津軽三味線)、柳家小袁治と来て五街道雲助が『皿屋敷』を演じる。花島世津子(マジック)は相変わらずホノボノしたトークとユルいネタで客席を和ませる。柳家〆治に続いて柳家さん喬の代演、金原亭伯楽が『宮戸川』を一席。『皿屋敷』に『宮戸川』…そろそろ夏だなあ。

仲入りの後は柳家禽大夫、柳亭燕路に続いてぺぺ桜井(ギター漫談)登場。相変わらずペラペラと喋りまくって「今はギターが大ブームなんです!」いったいいつのネタなんだよ(爆笑)。水戸大神楽の柳家小雪の代演なんだろう。ひさしぶりに小雪ちゃんの曲藝を見たかったな。

いよいよ懸案の(笑)入船亭扇橋師匠登場。

「まさか今日も『つる』じゃないだろうなあ…」
「今日も『つる』だったら、いよいよ扇橋師匠危ないぞ(笑)」

『三人旅』のさわりのようなのをのらりくらりと喋り始めたと思ったら「空はどうして青いの〜、海の色がうつるから〜♪」と唄いだしてそのまま高座を降りてしまった。永六輔と誰かがデュエットしていた『どうして』という歌じゃないか(苦笑)

「扇橋師匠くらいになると何をしてもいいんだな」
「さすが落語界」(意味不明)

「いっちょうけんめい演ります」の春風亭一朝が爽やかに『湯屋番』を演じて、林家二楽(紙切り)がゆらゆら揺れて、いよいよ真打登場だ。

今日の小三治は気持ち良さそうに『馬の田楽』を演じた。これも夏だよなあ。マクラで戦後の思い出を語っていたが、幼少だったとはいえ、小三治も戦前を語れるひとりなんだ。

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落語会は小湊鉄道に乗って

演藝研究会活動は主に都内で行われている。ときどき横浜あたりにも出没するのだが、まあほとんどは都内の寄席あるいはホール落語会に行っている。しかし今回の『桂三枝・春風亭小朝二人会』の会場は千葉県の、しかも市原市民会館。最寄り駅が小湊鉄道の上総村上駅というからすごい、って何がすごいんだかよくわかりませんが(笑) 

JR錦糸町駅で演藝研究会会長と落ち合いそのまま千葉駅へ。千葉駅で駅弁を購い内房線に乗り換えて車中で食べているうちに、小湊鉄道の乗換駅である五井駅に到着した。五井駅構内から連絡通路を渡ると小湊鉄道乗り場である。この小湊鉄道構内はタモリと原田芳雄が『タモリ倶楽部』の企画で一日入社体験をした場所だ。

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階段の下の切符売り場で精算。私はパスモで精算することになったのだが、精算をしてくれたベテラン駅員さんが熟練の技を披露してくれた。まず小さなカード型の機械でパスモ料金を読み取りつつ、五井から上総牛久駅までの乗り継ぎ切符の駅名と料金表示にパンチで穴を開け、入線してきた下り列車ホームの表示板切り替えスイッチを巧みに操作しつつ、パスモ精算表に記入をし、釣り銭を計算して私に渡してくれたのである。これだけの業務をわずか30秒くらいのあいだにやってのけるのだからすごい。

小湊鉄道初乗車の会長とともに上り列車に乗る。開演までだいぶ時間があるのでまずは上総牛久まで乗り鉄と洒落込んだ。五井〜上総村上〜海士有木〜上総三又〜上総山田〜光風台〜馬立〜上総牛久というルートを小湊鉄道キハ211系はガタゴト走る。窓から吹き込む初夏の陽気を思わせる風が心地よい。上総牛久ではすぐに上り列車に乗り換える予定だったのだが、上総牛久駅は対面式ホームだったのでタッチの差で上り列車は発車してしまった。ここらへんの詰めの甘さが私が適当な乗り鉄たる所以(苦笑)

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まあしかたないので会長とふたりで上総牛久駅周辺を散策するが、旧街道筋には食堂もコンビニも無くなんとも寂れた雰囲気だ。もしやと思い線路を挟んで反対側に出ると、ここらへんはバイパスが走っており当然乍ら食堂もコンビニもあった。やがてやってきた上り列車に乗り込んで上総村上駅で下車し市原市市民会館までテクテク歩く。

会場に入ると三遊亭歌武蔵が喋っていた。歌武蔵が引っ込むと春風亭小朝が出てきて『子別れ』を一席。うーん、私は『子別れ』があまり好きではないのだなあ。小朝のあとは桂三枝登場。あの独特の口調で喋り始めるとなんだか安心する。今日は『誕生日』という噺だった。質・量ともに新作落語のトップを走る三枝師匠だけにさすがに巧い。関西弁の新作落語であり、若手の落語家とは違ったちょっとレトロな雰囲気が、ちょうど往年の夢路いとし・喜味こいしの漫才にも通じる雰囲気が嬉しい。

公演が終わりふたたび上総村上駅までテクテク歩く。地方都市だけあってお客はみな車で来場しているようで駅まで歩くのは我々だけ。まあそんなもんだよな。上総村上駅で1時間ほど上り列車を待つ。ヒマつぶしに上空を頻繁に行き交う飛行機を眺め乍ら、社名や機種の観察をする。さすが成田空港の近くだけあって次々と飛行機が飛んでくる。

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田んぼの中にある駅舎の屋根は袴腰タイプで時代を感じさせる。

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木製ラッチも切符売り場も雰囲気満点。

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五井駅から千葉駅、千葉駅で総武線快速に乗り換え、錦糸町駅で総武本線に乗り換えて新宿へ向かい、思い出横丁でホルモン焼きをつまみに反省会。演藝研究会と鉄道研究会をいっしょにやった一日であった。

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演藝研究会歳末風景

いつものように新宿駅で演藝研究会会長と待ち合わせ、いつものように甲州街道沿いの増田屋で蕎麦を食べ、いつものように末廣亭へ向かう。今日は歳末の連休初日、しかも昼席夜席入れ替え無しというせいもあるのか、1時半頃に入ったときはすでに1階席は満員で2階席に通された。2階席もすでに半分以上埋まっている。やっぱり落語ブームなのか、それとも他に行くところがない輩が集まっているのか。

柳家小里ん、ホームラン(漫才)、桂南喬に続き川柳川柳登場。開口一番「こんにちは、福田康夫です」暫くこのフリでウケを狙うつもりらしい。客のノリが悪いと言ってはいじりまくり、長々と自著の宣伝をした後で、いつものように『ガーコン』に突入。しかし78歳ともなると何も怖いものなど無いのだなあと妙に感心する。トボケた味わいの伊藤夢葉(奇術)を挟んで柳家小さんが『長短』を一席。

仲入り後は三遊亭歌之介がハイテンションの漫談で会場を爆笑の渦に叩き込む。割り箸ウンチクの大瀬ゆめじ・うたじ(漫才)に続いて、大ベテランの入船亭扇橋登場。「また(前座噺の)『つる』じゃねえだろうな(笑)」と言っていたら、ほんとうに『つる』を演じた。扇橋師匠、だいぶ具合が悪いのかもしれない。春風亭一朝、○一(まるいち)仙三郎社中の太神楽と続く。仙三郎師匠の土瓶の藝に驚嘆。トリの柳亭市馬『掛け取り風景』で笑わせてもらった。相撲甚句に三橋美智也メドレーと、得意の喉を披露して客席を酔わせるあたりは巧い。それまで私の隣で気持良さそうに居眠りをしていたオジサンが、市馬が喋り始めると目を覚まして高座を見つめ、大きな声で楽しそうに笑い始めた。

「柳家小さん一門の滑稽と自分の持ち味を、うまいこと活かしてるねえ」
「いつ観ても安心していられるし、そのうえいつも予想外の面白さがあるところが凄い」

新宿から上野へ移動。演藝研究会会長はアメ横の中田商店を覗いて米軍ブーツの品定め。焼きとんを肴に酒を飲み、それからガード下の『大統領』に移動して焼酎を飲む。まずは今年の演藝研究会の反省。

「今年は立川談志の落語を聴かずに終わっちゃったな…来年こそ談志だね」
「立川談春もすっかり人気者になっちゃって独演会はあっという間に完売だよ」
「オレはさあ、談春より立川志らくのほうが好きなんだよなあ」
「そうそう、談春は談志プロパーだけど志らくは違うからね…志らくはどちらかというと古今亭志ん朝スタイルだもん」
「志らくも立川志の輔も、談志に憧れてはいても、ちゃんとおのれの藝風を確立して売れたんだよな」
「まだ観ていない大物っていたっけ? 桂三枝、笑福亭仁鶴、笑福亭鶴瓶…」
「やっぱり上方落語だねー、来年は大阪に行こうか?」

その後は延々と仕事の話やらくだらぬ話をする。そして来年も演藝研究会活動は続くのであった。

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ガーコン総理

池袋演藝場にて演藝研究会例会。
今日は古今亭志ん朝と柳家小さん一門の中堅〜ベテラン勢揃いという豪華な香盤、お得感ありでした。
演者と演題は以下の通り。

古今亭志ん八『狸賽』
古今亭志ん馬『三方一両損』
笑組(漫才)

柳家小さん『親子酒』
柳家亀太郎(粋曲)
柳家権太楼『金明竹』

〜〜仲入り〜〜

古今亭八朝『持参金』
柳家さん八『按摩の蚊帳』
林家正楽(紙きり)

古今亭志ん五『柳田角之進』

小さん師匠は大名跡を襲名してからますます渋くて良い味わいになってきたなあ。先代譲りのまるっこい高座姿も黒い紋付も良い感じ。前半は延々と枕を語り(これが絶品)後半で『親子酒』をさらりと語る。このへんは兄弟子の柳家小三治譲りか。

仲入り前に権太楼師匠登場。もう出てくるだけで可笑しい。これも才能だ。何を演じるかと思ったら『金明竹』、もう爆笑に次ぐ爆笑。ちなみに三遊亭圓丈は『名古屋弁金明竹』という隠し技を持っている。

さん八師匠は『按摩の蚊帳』という珍しい噺を披露。先代柳家小さんも時おり演じたということだが、盲人が主人公ということで、放送ではできないネタである。

志ん五師匠は『柳田角之進』を一席。志ん五師匠もすでにベテラン、もう与太郎という柄ではないのだろう。それでも寄席で早い出番のときにはアブナイ与太郎全開ですけどね。もともと志ん五師匠は顔が怖いので侍を演じると凄みがある。

西口路地裏にて演藝研究会会長とふたりで反省会。自民党総裁ほぼ確定の福田康夫元官房長官と、最後の酒仙藝人であり『ガーコン』でもお馴染みの川柳川柳師匠がよく似ているという話になる。

「その話を聞いてから、福田康夫が川柳師匠に見えてしょうがない」
「いよっ! ガーコン総理(爆笑)」
「落語ファンにしかわからないぞ(笑)」

福田康夫オフィシャルサイト
http://www.y-fukuda.or.jp/

落語協会>川柳川柳
http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Profiles.aspx?code=19

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品川心中

GW最終日は雨。※このブログはオンタイムじゃないの(笑)

雨のなかを桜木町に出てにぎわい座で演藝研究会会長と落ち合う。野毛小路のなかのレトロな洋食屋でランチを食べ、にぎわい座で幕があがるのを待つ。今日は三遊亭圓歌師匠が『品川心中』『中沢家の人々』の、古典と新作の二席を演じるという大盤振る舞い。これは楽しみである。

前座に続いてまずは三遊亭歌彦の『片棒』。けた外れのケチで身代を築いた赤西屋ケチ兵衛、自分の身代を誰に継がせるかと思案、三人の息子に「自分が死んだらどんな葬式を出すか」という相談をする。すると…落語でお馴染みのケチ噺である。會長曰く「この噺になると(春風亭)小朝の『片棒』を思い出すんだよね」小朝の『片棒』では、葬式にユーミンを呼ぶだのディズニーランドを借り切るだの、いかにも小朝らしい演出が印象的。

歌彦に続いて、圓歌師曰く「高座にかけるのは三十年ぶり」という『品川心中』を一席。衣替えの費用に事欠き、馴染みの客に心中を持ちかける品川女郎の板頭(売れっ子)お染。心中を持ちかけられてその気になる間抜けな貸本屋の金蔵。お馴染みのやりとりが可笑しい。

新作のイメージが強い圓歌師だが、そこはさすが年季が違う。よどみない口調で淡々と、おみごとでありました。しかも、普通は最後までやらないサゲまで演じる豪華版。まあこのサゲは現代ではウケない、以前にわからないからなあ。

ちなみにフランキー堺の『幕末太陽伝』では『品川心中』が重要なストーリーの一部になっている。お染は左幸子が、金蔵は小沢昭一が演じている。しかもサゲの部分が川島雄三監督の演出により、効果的に取り入れられていて面白い。

仲入り後は三遊亭小圓歌の三味線漫談。いつものように達者なもんだ。そしてふたたび圓歌師登場。お馴染み『中沢家の人々』を繰り出す。しかも今日はほぼ完全版に近いバージョン。手慣れた噺だけにのっけから満員の客を爆笑の渦に叩き込む。まるで笑いの地雷原だな。

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明るく陽気に行きましょう

月イチ開催の演藝研究會例会で、浅草演藝場に出かける。ここのところずっと新宿末廣亭かホールでの落語会だったので、浅草に来るのは実にひさしぶり。田原町で演藝研究會會長と落ち合い、演藝場近くの蕎麦屋で無駄話。最近は、仕事がだんだん厳しくなってきたなあという愚痴ばかりである(苦笑)。

演藝場に入るとたくさんの客が入っていて、舞台では国分健二が物真似漫談を繰り広げていた。高倉健の映画を観た後は、みんな健さんになりきってしまう、という使い古されたネタだが、いつ聴いてもおかしい。桂南なん〜三遊亭圓雀の落語に続いて、若手漫才コンビのナイツ登場。内海桂子師匠の弟子ということだが、正統派の型を守り乍らも実に面白い。テレビに氾濫する漫才もどきのエセ藝人よりはよっぽど良いな。ベテランの三遊亭茶楽が『宮戸川』を上品に演じて仲入り。

三遊亭遊吉〜春風亭美由紀(三味線漫談)に続いて、これまたベテランの神田松鯉(講談)が河内山宗春ネタを語る。いつも乍ら渋い声だなあ。この人の魅力は釈台にちょっともたれて、客席に近いところで語るところ。物理的な距離ということではなく、場末の釈場のような身近な距離感覚を醸し出すところだ。四角張っていないところが良い。小さな会場でじっくりと聴きたい藝人である。太鼓持ちの匂いを全身から発する桂歌春が、軽妙に『垂乳根』を演じて笑いを取ったあとで、いよいよ本日のお目当て、謎の藝人ぴろき(ギタレレ漫談)登場。

故東八郎門下ということだが、牧伸二のウクレレ漫談とはひと味もふた味も違う。牧伸二もあのくだけた雰囲気で、かつてはお茶の間の人気者だったが、あれはあれでよく見るとかなり強烈な藝人である。それでもラメ入りの派手なスーツとはいえ藝人としては正統派。それに比べて、派手なチェックのズボンに白いブラウス、丸い顔に丸眼鏡、髪の毛はピンヘッドのぴろきは、どう見ても奇妙奇天烈としか形容できない。

ギタレレ(ウクレレよりやや大きめのギター)を爪弾き乍ら、自虐的なネタをのんびりと語る。キメのフレーズは「明るく陽気に行きましょう〜♪」會長も「ぴろきは、浅草でウケルのかなあ…」と心配していたが、それでも最近はコアなファンがついているようで、客席でもぴろき目当てと思われる若い客がちらほら。出番が八時という、番組のなかでも良い時間帯に出させてもらえるということは、それなりにぴろきの藝がウケルと席亭が踏んでいるのだろう。

演藝場にぴろきの醸し出したゆるい空気が充満したあと、ベテランの三遊亭遊三がいつものように豪快に漫談を喋り、ボンボンブラザースが絶妙の至藝を披露し、本日のトリは桂幸丸。『野口英世物語』という新作を語って幕。だらだらと演藝場を後にして、浅草から地下鉄で上野に出て、アメ横近くのもつ鍋屋で反省会。

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立川流一門会

上野広小路亭にて立川流落語会。会場前で会長と待ち合わせて木戸を潜る。日本橋亭よりは古ぼけていて寄席らしい雰囲気。今夜はわれわれを含めて20人くらいの寂しい客席だったが、小屋が小さいだけに舞台との距離がいい感じだった。

開口一番は立川志らくの弟子の立川らく兵。入門して半年だから何も言うことなし。関西出身の立川志雲に続いていぶし銀のベテラン前座・立川キウイ登場。さすが17年も前座をやっているだけあって高座ぶりも板についている。「圓楽党ならとっくに真打だな(笑)」とは会長の弁。

トンデモ落語でもお馴染みの立川談之助は、立川流を除名された快楽亭ブラックが渋谷区長選挙に立候補したネタをもとに、選挙にまつわるアレコレを喋り倒す。師匠(立川談志)が参議院選挙に立候補したときにカバン持ちをさせられた苦労がいま生きる(笑)

仲入り前はベテランの立川談四楼で『大工調べ』の前段を一席。因業な大家の造型がみごとであった。ずいぶんと恰幅がよくなったなあ。先に談之助が「ここ(上野広小路亭)とあそこ(鈴本演藝場)は歩けば5分の距離なのに、われわれはあそこに出ることができない。われわれは(談志に)拉致されたんです(笑)」と笑いのめしたが、 この談四楼が真打昇進試験で落されて、これに怒った談志が落語協会と袂を分かち落語立川流が誕生したのだ。

仲入りのあいだに狭いロビーで煙草を吸っていたら、楽屋から出てきたキウイが事務員に「紙皿はありませんか? なけりゃいよいよコーヒーの受け皿でもいいんですけど」酒のつまみでも用意してるのか。

仲入り後は立川談修が『雲駕篭』を演じる。立川談春の独演会などでも聴いているが、線の細いわりには藝がしっかりしていて良い噺家だと思う。トリは立川流の総領弟子、桂文字助が『阿武ノ松』を一席。いぶし銀のしっかりした落語で聞かせる。それにしても立川流の噺家は粒が揃っている。

目当てのモツ鍋屋が満員だったので、アメ横裏通りの焼肉屋にて反省会。

「立川流の落語会は緊張感があるなあ、春風亭柳昇一門会とはエライ違いだ(笑)」
「圓楽一門会に藝協(落語藝術協会)の寄席もユルいね」
「それにしてもブラックが渋谷区長選挙立候補だって?」
「どうせ話題作りだろ? 宮崎県知事の二番煎じだネ」

オンブズマン渋谷行革110番なる団体が快楽亭ブラックをかつぎ出したそうだが、この団体もナンダカワカンナイ。快楽亭曰く「談志のDNAを継いだのは私」これには談志も笑うに笑えない。

まあこれで快楽亭も名が売れるしついでにCDも売れて借金返済も進むことだろう。選挙運動資金を借金返済に充てれば、落選しても御の字だ。どうせ渋谷区長なんぞになる気はさらさらないだろうし。

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気分はもう人形町

土曜日の夕方、演藝研究会会長と新宿駅で待ち合わせ甲州街道沿いの増田屋で蕎麦を手繰る。新年の挨拶もそこそこに少子高齢化時代における大学問題について語り、その後、新宿末廣亭にて第1回演藝研究會活動をおこなう。早い話が寄席で落語を聴くだけなのだが。

神田陽子の講談が終わり、続いてWモアモアの軽妙な漫才、桂伸乃介(落語)、仲入り前はベテラン橘ノ圓で『近日息子』。圓はまるで長屋の火鉢みたいな雰囲気の噺家。あまりの渋さと地味さがかえっておかしい。仲入り後は春風亭柳太郎、やなぎ南玉(曲独楽)、三遊亭遊三と続き、落語藝術協会(藝協)らしいゆる〜い雰囲気が漂う。會長曰く「これこれ、このゆるさが藝協なんだよ」

いつものように派手な羽織りの古今亭寿輔が十年一日のごとき陰気な漫談で客いじり。膝替わりは色物界のアイドル桧山うめ吉(俗曲)、最近は本を出したりCDを出したりして一部では有名。お人形のような若くてきれいなお嬢さん。あまりにもゆる〜い本日の番組のなかで観ると、その華やかさがいちだんと際立つ(笑)。

「うめ吉、かわいいなあ〜、まるで掃溜めの鶴だネ」
「まあ、あと十年もたてば(三遊亭)小圓歌みたいになっちゃうんだよな(笑)」

トリはベテランの三遊亭圓輔で『野ざらし』を一席。マクラで「この噺はサゲ(落ち)があまりにもわかりにくいので…」と、最初に説明してから噺に入る。まあたしかにきちんと本来のサゲまで演じるのは珍しいかも。

長屋の浪人が向島に釣りに出かけたら骨(しゃれこうべ)を見つけた。手向けにと酒をかけて回向したところ、その夜、きれいな娘がお礼に現れた。それを聞いた隣家の八五郎、さっそくオレも骨をみつけて供養して、ぜひきれいな娘に会いたいと向島に飛んでいく。もとより釣りなど知らぬ八五郎、釣り人を蹴散らして大騒ぎ。ようやく見つけた骨に持参の酒をかけて「今晩よろしくお願いします」と家に帰った。ところが……

圓輔の演じた『野ざらし』はたぶん師匠(四代目三遊亭圓馬)から教わった型どおりなのだろう。SP盤で聞く戦前の落語のような、『ラジオ深夜便』で放送されるかつての名人の落語のような、まるで今は無き人形町末廣で落語を聴いているような気分になる。たぶんこういう高座はいまの若手・中堅には絶対できない。ある意味貴重な高座を聴けたと思う。

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ところでこん平は?

林家木久蔵の息子林家きくおが来年の9月に木久蔵を襲名、真打昇進とのニュース。

木久蔵は改名するとのことだがどうなるんだろう。木久蔵は最初桂三木助(三代目)に入門、三木助没後にトンガリの林家正蔵(八代目)門に移り木久蔵を名乗った。師匠筋からいけば正蔵なんだが、まあこれはいろいろといきさつがある名跡で、いまは林家こぶ平が正蔵(九代目)を襲名しているからナシ。トンガリの正蔵の隠居名・彦六ってのもちょいと無理がある。となるといま三木助が空いているから、それか。

でも三木助って風情でもないしなあ、木久蔵。いっそ「きくお」を名乗ればいいのではないか、ってそれじゃ林家こぶ平が正蔵の名跡を襲って「大きな名前を小さく」し、代わりに義兄の春風亭小朝が林家こぶ平を名乗り「小さな名前を大きくする」という冗談といっしょだ。あ、だめだ。きくおは木久蔵の前座名だった。

木久蔵ラーメンはどうなるんだろう。いっせいに○○ラーメンにするのかネ? それともすべて木久蔵を襲名するきくおが引き継ぐのか? ンな、馬鹿な。

などと書いたところで木久蔵の新しい名前は公募するとのこと。スポーツ報知では木久翁(きくおう)が有力、という出所のよくわからない記事が踊っていたが、公募ねえ、、、

「19日で69歳を迎え、来年には70歳になるので、木久蔵から脱皮して落語だけでなく映画や時代小説など新たな分野に挑戦してみたい」(木久蔵談)

だったら千恵蔵だな、林家千恵蔵。大森うたえもんと組んで営業ができるぞ。

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志らく百席

昨夜は横浜にぎわい座にて『志らく百席』を聞く。仕事を終えて桜木町に着いたのはもう開演まぎわ。いそいそとテケツを潜り、今夜の演目は『明烏』なので甘納豆を買いに行くと、売店で堀井憲一郎に遭った。遭った、って知り合いじゃないけど。寄席や落語会で堀井憲一郎に遭遇するのはこれで何度目だろう。 さすが日本一の客席王だけのことはある。しかもいつも真っ赤なシャツを着ている。赤シャツにサンダル履き。それがどうした。堀井憲一郎はお煎餅を買っていましたとさ。

客席は九分の入り。コアな志らくファンらしい客、あまり志らくなんか知らなそうな年輩の客など客層いろいろ。前座は立川志ら乃で『寄合酒』、マクラも噺も上出来で面白い。巧いなあ。続いて志らく登場。高校野球は野暮だ、というマクラがやたらと可笑しい。師匠の談志が大師匠の五代目柳家小さんと戯れるエピソードも味わい深い。談春とはまた違った天才ぶりを如何なく発揮して『たらちね』を演じる。乱暴者の八五郎に嫁いできたのは、まるで平安時代のお姫さまのような馬鹿丁寧な言葉遣いのお嬢様。前半は新妻を迎える準備でおおわらわ、嬉しさに胸をときめかせるところの描写が可愛いくて可笑しい。後半、新妻の「あ〜ら吾が君」攻撃に身も心も悶え苦しむ。客席はもう爆笑の渦である。

続いて大ネタ『明烏』、マクラで「名人桂文楽師匠のような藝を私に期待しないでください」と振ってから噺に入る。私は古今亭志ん朝の「明烏」が大好きなのだが、志らくの「明烏」は文楽〜志ん朝の藝を継承しつつも、ちゃんと志らくの「明烏」になっているところが凄い。志ん朝は、世間知らずの若旦那を朴訥で愛らしく演じていたが、志らくは……これじゃ松竹新喜劇、藤山寛美のアホぼん(笑)、可笑しいのなんの。

膝替わりは三味線漫談の三遊亭小圓歌。寄席よりもたっぷりと藝を披露して客の喝采を浴びている。野郎ばっかり出て来る落語会には絶妙の配役。三席目の『宿屋の仇討』になるとさすがに志らくも疲れている、かと思いきや、河岸の若い衆の大騒ぎをたっぷりと演じて楽しませてくれる。うーん、志の輔といい談春といい志らくといい、立川流はほんとに良い藝人を排出しているなあ。

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家元ゴキゲンなり

昨日は横浜にぎわい座へ行った。

演藝研究會會長と待ち合わせて会場に入る。今日は柳亭市馬の落語会なのだが、タイトルを「落語と昭和歌謡」という。市馬は衒いのないスケールの大きな落語を聞かせる柳家小さん門下の逸材。しかも懐メロの巧さでは落語界の名手?川柳川柳師匠の牙城に迫る勢い。昭和歌謡を愛してやまない立川談志に気に入られて、東京MXテレビでもちょいちょい歌わされている。というわけで作家の吉川潮(落語立川流顧問)のプロデュースにより、今日の会が実現したということである。なにしろ談志がゲストで来るというのだからすごい。何しに来るんだって感じ(笑)。

まずは市馬で「高砂や」、謡いが随所に入って気合いじゅうぶん。続いて談志の「短命」、お馴染みの艶笑落語だが今日はいつもよりバージョンアップ。エロ度高し、客席大爆笑。ゲストで来ても手を抜かないということは、今日はよほどご機嫌がいいのだろう。

落語の後はお待ちかね昭和歌謡ショー。電子アコーディオンをバックに朗々と歌う市馬の嬉しそうなこと。心なしか緊張しているらしく、それもそのはず、柳家小さん一門の兄弟子であり、落語立川流家元であり、市馬の落語……はともかく歌のセンスを認めてくれた談志が来ているのである。東海林太郎、藤山一郎、ディック・ミネ、伊藤久雄、三波春夫、三橋美智也、、、昭和歌謡を歌いまくり、随所で談志がコメントと解説を入れまくり、客席のジジババ大喜び。ディック・ミネの全盛期と晩年を歌い分けるあたりなど藝が細かい。伊藤久雄の歌も「イヨマンテの夜」ではなく「建設の歌」(名曲!)という選曲の妙、このへんが談志のツボにはまった所以であろう。最後は談志の演出で、伝統的な歌謡ショーのエンディングを再現。家元、よほどご機嫌だったようだ。

最後は「寝床」で、ここでも悠々と高座をつとめて笑わせる。ひさびさに柳家流の滑稽噺をたっぷりと楽しませてもらった。

今日は昼からバスに乗って川崎市市民ミュージアムへ。「名取洋之助と日本工房[1931-45]:報道写真とグラフィック・デザインの青春時代」展の最終日。名取洋之助という写真家について私が知っていることは殆ど無い。詩人の草野心平が名取洋之助とジャンケンをして、負けた方が料理を作るという遊びをしていた、という随筆でその名を記憶しているだけ。いま手許にその本が見当たらないが『わが生活の歌』(現代教養文庫)に収録されていたはず。昭和モダニズムの香り高い写真とグラフィックデザインの展示がみごとだった。名取洋之助は木村伊兵衛と双璧を為し、あの土門拳は名取の弟子だったという。

別室の展示を眺めていたら第1回名取洋之助写真賞を受賞した、清水哲朗という若い写真家の展示がとても素晴らしくて感銘を受けた。モンゴルの首都ウランバートルでは、近年貧富の差が広がり失業者が増加している。家出をした子どもたちがストリートチルドレンと化して、路上やマンホールに住みついて社会問題になっている。マンホールの下に狭い空間があって、そこに縁もゆかりもない子どもたちが何人も暮しているのだ。大草原と放牧の国というモンゴルしか知らない私たちに衝撃を与えてくれる写真。思わぬ収穫だった。

http://www.jps.gr.jp/news/2005/20050914/20050914.htm


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立川談春独演会

仕事を終えてさっさと桜木町へ向かう。みなとみらいとは反対側、野毛方面にとぼとぼと歩いて、馴染みの横浜にぎわい座へ。今夜は立川談春独演会。にぎわい座の番組は談志と志の輔以外はいつも当日券で入れるので嬉しい。とはいえ桂歌丸師匠の『牡丹灯籠』通し公演はみごとに完売。ま、歌丸師匠はハマっ子だからネ。いやいや、人気と実力のなせるワザでしょう。客席は九分の入り。さすがに一階席は完売、売店で甘納豆を買って二階席に座って開演を待つ。

今夜の演目
立川談修 『転失気(てんしき)』(前座)
立川談春 『天災』『妲妃のお百(だっきのおひゃく)』

立川流の藝人はおしなべて基本に忠実、という印象がある。談修もいかにも前座らしいきちんとした高座をつとめて好感が持てた。志の輔、談春、志らくは言わずもがな、快楽亭ブラック(今では元弟子だが)も破天荒な藝人と言われているが、きちんと古典を演じられる技倆はちゃんと持っている。立川談志は真面目な藝人なのだ。

談春はマクラで自分の母親が談志に挨拶に来たときのエピソードを淡々と語り客席の爆笑をとる。「ウチはキチガイの家系ですからね(笑)」とネタ振りをし乍ら『天災』に入る。

この噺は談志の得意ネタ。ふむふむ、愛弟子談春が師匠にどうやって料理するのか楽しみ。女房と母親に三くだり半をつきつけようという乱暴者の八五郎と、心学のセンセイ紅羅坊名丸が繰り広げる珍妙な問答。ふつうは乱暴者の八五郎が、紅羅坊先生の理屈にぐうの音も出なくなるという演出なのだが、談志の『天災』は八五郎が屁理屈をこねまくり、常識派の紅羅坊先生が押されっぱなしになる。このときの談志の屁理屈ぶりが凄い。調子のいいときは狂気の世界から狂気を広めに来たような凄みが出る。談春の八五郎は談志とは違って(あたりまえだ)本能だけで生きているような男。これはまたこれで面白い。

二席目はマクラ無しで『妲妃のお百』、歌舞伎、講談でお馴染み、これも師匠の十八番だ。おお、本寸法の高座が聴けそうで楽しみ。

妲妃のお百と徒名された希代の悪女こさん。豪商の夫を手にかけ、大名の後添えにおさまってお家を傾け逐電。深川でひっそりと暮しているある冬の日、家の前に門付の親子がやってくる。盲いた母親の峰吉は元深川の売れっ子藝者だったが、今ではすっかり零落して乞食同然。情をかけたこさんは峰吉親子を家に引き取り、峰吉を小石川の療養所に入所させ目の治療をしてあげる親切心をみせる。ところがこれがとんだ悪企み。峰吉と娘を引き離したあとで悪党仲間と芝居を演じて、娘を吉原の女郎屋に売り飛ばしてしまう。そうとは知らぬ峰吉は、一目娘に逢いたいと矢の催促。こさんは峰吉を家の二階に閉じ込めてろくに食事も与えない。骨と皮ばかりになった峰吉は、娘逢いたさの一心だけで生きる屍と化した。めんどうになったこさんは、悪党仲間の怪盗秋田小僧に、金づくで峰吉を殺すよう依頼。ある雨の夜、秋田小僧は、娘のいるところに行くと騙して峰吉を連れ出し、綾瀬の土手で惨殺してしまう。ところが、、、

談春の演じる悪女はおしなべて凄い。明日のことなんざ知ったことじゃないよ、という肚の据わったところがいっそう凄みを感じさせる。悪女ではないが、おのれの娘を借金のカタに女郎屋に取られた左官の長兵衛に向かって、博徒の了見を淡々と諭す『文七元結』の佐野槌の女将も同型。盲いた峰吉の首を力まかせに捩じ上げる殺しの場面、熱演であった。

高座を聴くたびに談春の引出しの多様さと深さに驚嘆の連続。良い気持で外に出て、野毛界隈の一杯呑み屋でサワーと煮込みをつまみに独りで酔っ払う。

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末廣亭、二階席から高座を見れば

演藝研究会会長と新宿駅で落ち合い甲州街道沿いの増田屋へ。バカの一つ覚えのようないつもの展開である。蕎麦をたいらげ雑談もひと区切りついたところでよっこらしょと末廣亭へ向かう。意外なことにそれほどたいした香盤でもないのに場内はやたらと混み合っている。なんだか知らないがビデオカメラが3台も設置されていて首を傾げた。末廣亭のテレビ中継なぞ考えられないしBS放映でもないだろうし、ひょっとして寄席チャンネル(あるのか知らないが)、もしくは東京MXTVか? お茶子さんに案内されて二階席にあがる。ところがここにも陸続と客が上がって来る。うーん、なぜだろう? ヒマつぶしに神宮球場へスワローズ対カープ戦を観に行ったら超満員だったので驚いた、といえばおわかりになるだろうか? これじゃ野球ファンしかわからないなあ。

本日の演者は三遊亭小金馬、三遊亭歌之助、昭和のいる・こいる(漫才)、東京ガールズ(邦楽漫談)、柳家勢朝、柳家さん喬、柳家正朝、入船亭扇遊、柳家とし松(曲独楽)、古今亭志ん五、入船亭扇橋、大空遊平・かほり(漫才)、トリが三遊亭金馬だった。

圓歌一門の逸材、歌之助は爆笑漫談で客席を笑いの渦に巻き込む。インチキ外国語ネタもよく聴けば実にくだらないのだが、勢いでたたみかけられると思わず笑ってしまう。「私は韓国語もできるんです。ヨーチョンギレルハサミダ!」のいる・こいる師匠は笑いのツボを絶対にはずさない円熟味をいかんなく発揮し、初めて観る東京ガールズは品のある三味線、小唄に軽いギャグが小気味よい。この女性邦楽ユニットは柳家紫文(俗曲)の一門だそうな。

色物さんの熱演に比べて本日の噺家はおしなべてつまらなかった。さん喬も志ん五も期待はずれだったし、その他については何も言うまい。大ベテランの扇橋師匠は何を思ったか前座噺の『つる』を一席。演藝研究會會長曰く「うーん、これじゃあそろそろ扇橋師匠も危ないぞ(苦笑)」トリの金馬師匠はなんと『船徳』を熱演。この噺はけっこう身体に負担がかかると思うのだが、喜寿を過ぎた金馬師匠、顔を真っ赤にして熱演である。「この陽気にこの『船徳』なんて、元気そうに見えるが金馬師匠も危ないぞ(苦笑)」まったくもって嫌な客である。それにしても金馬師匠、細かい所作のひとつひとつがきちんとしていて、さすが大ベテランである。

さん喬曰く「本日は『大銀座落語会』に目もくれず、ここ末廣亭にお越しいただきありがとうございます。まあ、みなさん切符を買えなかったんでしょう(笑)」と笑わせていたが、今日の寄席の演者は「大銀座落語会からお呼びがかからなかった人たち」でもあるのか。ま、寄席なんてそんなもんだからいいんですけどね。

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猥褻物陳列罪窃盗罪不敬罪その他

快楽亭ブラックという噺家をご存じか? 

アメリカ人の父と日本人の母のあいだに生まれたハーフ。見た目はガイジンだが英語はまったく喋れない。立川談志門下で改名に次ぐ改名を重ね名をあげる。これも古今亭志ん生の改名16回という記録を破るための師匠の命令。その藝名も立川レーガン、立川レフチェンコ、立川丹波守、快楽亭セックス、立川マーガレット、、、バカバカしいにもほどがある。

立川平成を経て二代目快楽亭ブラックを襲名して真打昇進。現在に至る。明治時代に実在した初代は正真正銘の英国人で、流暢な日本語を駆使して噺家として活躍した藝人。極東の小国で藝人になったばっかりに、家族から見放されたというから凄い。それでも噺家として一生を終えたというから、かなりおかしな人だったのであろう。

その生き方も破滅型の典型。前座時代に師匠の金をつかいこんで破門される。そのあと、上方へ流れて桂三枝の弟子になり桂サンQを名乗る。またしてもふらふらと東京に舞い戻ったところで談志一門の落語協会脱退騒動。昨年は多額の借金が原因で妻に離婚を言い渡され、ついでに落語立川流を除名され天涯孤独となる。

不幸は更に続き、秋には心筋梗塞に大動脈瘤解離を併発してラジオ出演後に倒れ生死の境を彷徨った。そして奇跡的に復活したいま、生まれ変わった気持で落語道に精進、、、するわけがない。藝風はまったく変わらず、それどころか堕ちるところまで堕ちたことで肝が据わったのか、ますます公共の電波に背を向け続けて大活躍だ。快楽亭ブラック、このへんが並の噺家ではない所以である。

噺家としてはまったくといっていいほど売れなかったので、風俗レポーター、映画評論家で小銭を稼いでいたこともある。ことに狂的な日本映画フリークで年間400本近い日本映画を観ていたことは有名。一時期は名画座に行けばブラックがいる、と言われたほど。また芝居通としても著名。この十年くらいのあいだにめきめきと売り出して、その過激なネタで一部では熱狂的なファンがついている。

とにかくエロ、SM、スカトロ、皇室など、ありとあらゆるタブーをネタにしているため、出入り禁止になった寄席や劇場は数知れず。公共の電波でその藝を披露することは不可能。寄席に行くかCDを聴くしかない。蒸し暑い夜に、限定版CD『快楽亭ブラック猛毒十八番・借金男シリーズ』を聴いていると、笑いが止まらなくなり酸欠寸前。いまどきこれほど破滅的な藝人がいるかと思うと、まだまだ未来に希望が持てるというものである。

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長生きの秘訣

三遊亭圓彌死去。端正な高座で古典を語る噺家だった。末廣亭で何度も高座を聴いたが、いつも嫌味のないきれいな口跡が印象的だった。鯔背な職人とか角張った武家が似合う人で、見た目も植木職人みたいだったなあ。

圓生一門も総領弟子の圓楽が倒れ、圓楽より若い圓彌が逝き、地味な圓窓が頑張っているほか、残った弟子で目立つのは川柳と圓丈か。異端のほうが元気なのかしらん。合掌。

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古典と私

 先日新宿末廣亭の高座で三笑亭夢丸がこんなことを言っていた。
「こないだ買ったたこ焼きが八個で四百円、てことは一個五十円。初席も朝から藝人が六十人から出てきて木戸銭が三千円、てことは、、、一人五十円(笑)、、、なかには火が通ってなかったりたこが入ってないのもある(笑)」

 昨年もあちこちへ落語を聴きに出かけた。せいぜい月に1〜2回程度ではあるが、まあいっぱしの落語ファンと言えるかな。寄席に通い続けてようやくわかったことがある。それは、寄席とは退屈を楽しむ場所である、ということ。寄席の椅子に座ってハナからトリまでえんえんと高座を眺めていても、楽しい時間、面白い時間などそうそうあるものではない。寄席で面白くない噺家が独演会ではやたらと面白かったりする。寄席で面白かった噺家も独演会ではたいして面白くなく、前座をつとめた噺家がやたらと面白かったりする。若い頃にはよくわからなかった噺も、あるていど歳をとるとじんわりと心にしみてきて吃驚したりする。

 落語は円熟の藝、ということばがある。それじゃ若手の落語はダメなのかというと実はそんなことはなくて、いい歳した噺家のくせにどうしてこうも退屈なのかとがっかりさせられたりもする。三遊亭圓丈が“古典の時代は終わった”などとぶちあげても、古典落語の面白さを存分に磨きあげた噺家もいれば、ただたんに古典にしがみついているだけとしか思えない噺家もいる。幸か不幸か立川談志の『芝浜』をナマで聴いてしまったらもう他の『芝浜』は聴けないし、何度も聴いたはずの『紺屋高尾』も、立川談春の高座を聴いたあとにはすべてそれが基準になってしまう。じじつその後で聴いたいくつかの『紺屋高尾』のつまらないこと! 古今亭志ん五、柳家権太楼の活き活きとした与太郎を聴いてしまうと、それ以外の与太郎がただのバカに成り下がってしまう。柳家小さんの枯淡老熟の極みに達した『笠碁』は若手には演じられない。演じるとしたらあの薄い茶漬けのような噺をどう再構築するのかという興味しか持てない。春風亭昇太が『笠碁』を淡々と演じても(演じるはずもないが)それはそれでつまらない。同世代の林家正蔵が薄い茶漬けみたいな噺ばかりしているのは納得できる。決して面白くも可笑しくもない藝風だが、あの姿勢をずっと続けていけば数十年後にはそれなりに美味しい茶漬けに化ける可能性もある。

 長いあいだ古典落語を聴き続けてきてわかってきたことがある。それは「面白くない古典落語はただ古典をなぞっているだけ」ということ。江戸の風情がどうの人情がどうのと言われても、それを現代に再現することは不可能だ。古今亭志ん朝亡きあと、言葉だけで江戸の大晦日を表現出来得る稀有な噺家はもういない。川柳川柳や昔昔亭桃太郎のようにベテランであり乍ら古典はさっぱりという人もいる。川柳の古典落語は実につまらないが、桃太郎の古典は題材が古典というだけでいつもの桃太郎落語だから面白い。

 いまの噺家に再現でき得る、いや表現でき得るのは時代を越えた街の風情や人情しかない。私は江戸の風情とか情緒は嫌いではないが、江戸東京博物館のような落語に興味はない。

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前衛とは、常に前衛であり続けること

 三遊亭圓丈はいまだに新作落語のトップランナーである。

 圓丈チルドレンの春風亭昇太、柳家喬太郎、三遊亭白鳥(圓丈一門だ)、林家彦いち、若手〜中堅の新作落語家の面白さは衆目の一致するところであろうが、やはり圓丈の高座やCDを聴いているとこの異様な面白さは群を抜いている。しかも面白いだけではない。哀切きわまりない「わたし犬」やこのCDに収録されている「横松和平」の、笑いと涙を同時に包括した圓丈ワールドを凌駕する後進はまだいない。

 三遊亭圓丈落語コレクション2nd. (WAZAOGI EJ-0002)に収録されている「横松和平」は、廃業した漫才師夫婦がレポーターとして再起を目指す噺、とひとことで言うと呆気無い。かつて久米宏のニュースステーションで、朴訥とした語り口で強い印象を残した立松和平を真似て、さまざまな街頭風景をレポートの練習をする夫婦。「ねえねえ、末廣亭の楽屋からレポートしてみない?」という妻に応えて楽屋風景をレポートする夫、、、バックに流れるオカリナの音色が絶妙だ。

「いたちの留吉」は、35年ぶりに出所した男が、すっかり変わってしまった世の中にとまどうどころか、時代錯誤を顧みずに堂々と突き進む噺。バンバカチョップ〜? なんだそりゃあ?

 どちらも笑いを誘わずにおかないばかりか、不思議な感動すら覚えてしまう。

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