郭英男

郭英男『Voice of Life-Difang』を聴く。

郭英男は臺灣先住民族アミ族の長老、その卓越した歌声で一躍世界的に有名になった爺さん。民族名はDifang、郭英男というのは漢族風の姓名である。アミ族は臺灣の東部(花蓮から臺東、塀東辺り)に広く居住している。日本統治時代には高砂族という名称で他の民族(タイヤル族、プユマ族など)と一括りにされていた。ちなみにかつて中日ドラゴンズで活躍した郭源治もアミ族出身である。

臺灣に出向くようになってから郭英男という名を知ったが、その時にはもうCDは店頭では見かけなくなり、郭英男も2002年には81歳でこの世を去ってしまった。というわけでいまその歌声を聴いているわけだ。郭英男がソロを取った後、コーラスが入ってまた郭英男のソロに戻る、というのを繰り返すのが基本。この微妙な節回しとハーモニーが絶妙なのである。ちょっと聴くと気仙沼あたりの漁師が歌っているようだが、日本の民謡はハモリがなくあったとしてもユニゾンなのですぐわかる。

しかしまあこの爺さんの歌声ときたら、いやはやなんとも心に沁みる。まさに神の声、いやいやそんなことを言うと言い過ぎだ、大自然の声だ。それにしてもいいなあ、この歌声。

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中華の歌ごえ

『ザ・ベスト・オブ・アーメイ』
臺灣のスーパースター、アーメイ(張惠妹)のベスト盤。臺灣に行くとテレビや新聞記事でアーメイがどうしたこうしたというニュースをやたらと目にした。陳水偏総統の就任式で中華民国国歌を歌ったら(当然なのだが)、中華人民共和国政府が怒って大陸進出を妨害したとか、臺灣独立阻止の学生デモに遭って大陸でのコンサートが中止になったとか、中共を指示していると中傷されたとか、臺灣の歌手は大変だなあと思った。というよりは一挙手一投足がそこまで注目されるのだから、こりゃたいしたスターなんだなと思ったものだ。で、今回初めてまともにアルバムを聴いてみたら…これが凄い。巧い、かっこいい、素敵! バラード、ラブソングにラテンロック、これだけの歌唱力と表現力は凄い。しかも見目麗しきDIVAときた。こりゃスーパースターだわな。

『為你含情』
香港のインディーズバンド my little airport の最新作。と言っても全然聴いたことなかったのですが、男女二人組のユニットでフォークソング、フレンチポップスみたいな曲や、ユル~いパンキッシュな曲など、全体的に爽やかなんだけど何処かネジレてるアルバム。これは面白い。林一峰なる歌手とのコラボということですがこの人も知りません。香港ポップスはフェイ・ウォン(王霏)とサンディ・ラム(林憶蓮)くらいしか知らないもんなオレ。広東語の抑揚がまた良い味出しています。アコースティックギターとリズムボックスのユルさも良い。

『甜蜜的負荷ー吳晟詩、歌』
臺灣で買ったCD。試聴したらいっぺんに気に入って買った。冒頭から羅大佑の嗄れた歌声が流れてくる。臺灣の高名な詩人・吳晟の詩に、彼をリスペクトする羅大佑、陳珊妮らが曲をつけ、自ら歌ったこのアルバムは、臺灣の暑い夏、木陰から吹いてくる涼しげな風、雨の調べが心に染みてくる素敵なアルバム。中華ポップスだけじゃなくてこういう音楽があることも知ってほしいなあ。

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美は形式に非ず

片山広明…といってもジャズファンじゃなければ知らないだろうが、1980年代のロック小僧ならRCサクセションのステージ、忌野清志郎のバックでサックスを吹きまくっていた二人の男に見覚えがあるだろう。スキンヘッドに眼鏡をかけていたのが梅津和時(アルトサックス)、モジャモジャ頭の大男が片山広明(テナーサックス)だ。

1970年代、梅津和時らとともに大編成フリージャズコンボ『生活向上委員会大管弦楽団』に参加。その圧倒的なテナーサックス演奏により(一部ジャズファンの間で)有名になる。1980年代は盟友である梅津和時と『どくとる梅津バンド(D.U.B)』で活躍、1990年代からは『渋さ知らズ』(メンバー総数不定。舞台にはミュージシャンからダンサーまで登場する形容しがたい巨大楽団)、林栄一と組んだ『デ・ガ・ショー』でますますその存在感を高めている。

というわけで片山広明『キャトル』を聴いた。

くたびれ果てて家路に着く。立春は過ぎたとはいえ2月の夜はまだ寒く風は冷たい。iPodの中から最近買った片山広明の『キャトル』をチョイス。フラフラし乍ら夜道を歩き出す。板橋文夫の美しいピアノが聴こえてきた。ああ、良いなあ…なんて美しい音なんだ…やがて太く厚く暖かく鋭いテナーサックスが美しいメロディを奏で始めた。思わずため息が漏れる。静かに盛り上がる演奏にだんだん疲れた身体と心がほぐれてきた。片山広明の演奏は次第に熱を帯びて絶叫し始める。井野信義のベースは殆どラインを刻まない。アルコ弾きで縦横無尽にフリーキーなそして美しい音を響かせている。咆哮するテナーの周りを星雲のように取り囲むベースの向こうで、ピアノがキラキラと銀河のように鳴っている。ふと顔を上げると街灯に照らされた公園の空の上に丸い白い満月が輝いていた。

奇跡のように美しい1曲目「For You」から始まるこのアルバムを名盤と呼ばずして何と呼ぼう。続く「パリの空の下」はシャンソンの名曲、オシャレな雰囲気はカケラもない場末のキャバレーのようなテナーサックスが絶叫する。美しいということは形式ではないんだ、ということがよーくわかるこのアルバム、実は2002年に発売されていたんだ、片山広明、畏るべし…

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くだらぬ歌なんて誰が決めた

日本流行歌史に興味のある方なら『アラビアの唄』をご存知であろう。1928年に流行ったジャズソング、もともとはアメリカのダンス音楽として作られたもので、原題を『Sing me a song of Araby』(by Fred Fisher)という。歌ったのは榎本健一とともに浅草オペラのスターだった二村定一。


沙漠に日が落ちて 夜となるころ 
恋人よなつかしい 唄をうたおうよ

あの淋しい調べに 今日も涙流そう
恋人よアラビアの 唄をうたおうよ(訳詞 堀内敬三)


『アラビアの唄』を初めて聴いたのは子どもの頃、たぶんNHKのラジオだと思うが、二村定一の調子の良い歌声とちょっともの悲しいメロディーが印象的だった。加藤登紀子が1983年に発表した戦前流行歌カバーアルバム『夢の人魚』にも収録されていた。これはなぜか坂田明とのデュエットという不思議なバージョン(笑) 最近では遊佐未森が日本の流行歌をカバーした『檸檬』で秀逸なバージョンを聴くことができる。

話は転じて渥美清である。
かつて渥美清が古賀政男を演じたテレビドラマがあった。調べてみると1979年にNHKが制作した『幾山河は越えたれど〜昭和のこころ 古賀政男』だった。私の記憶によれば、昭和初期のカフェで若き古賀政男(渥美清)が店に流れる『アラビアの唄』に聴き惚れる女給たちを眺めて「…日本人がアメリカの歌を聴いて喜んでいる…日本の…日本人の心を打つ歌を作らなければ…」と苦悩する場面があった。そして青年古賀政男は『影を慕いて』を発表するのである……蓄音機から流れるのが『アラビアの唄』だったどうかはいまいち確信が持てないが、たぶんそうだったような気がする。

日本流行歌史を語るとき、必ずと言っていいほど使われる紋切り型がある。古賀政男=演歌=日本人の心の歌/服部良一=ポップス=明るい都会的な歌というもの。まあこの世は何でも二つに分けたほうがわかりやすいのだが、今となってはこの紋切り型はずいぶんと乱暴な物言いである。

古賀政男は明治大学マンドリンクラブの創始者の一人であり、若い頃はボッタキアーリなどのマンドリン曲を演奏していたというからけっこうなハイカラ青年だったわけで、演歌の巨匠と言われるのは後年のことだ。服部良一もジャズ出身で戦前の和製ジャズ〜ポピュラーソングを数多く手がけた人だが、言われるほどポピュラーばっかり作曲していわけではない。

遊佐未森の『檸檬』は『青空』(原曲は『My blue heaven』作曲は前述の Fred Fisher )、『南の花嫁さん』(戦時中に流行した南方ソング。作曲は中国人の任光)、『月がとっても青いから』(ごぞんじ菅原都々子!)、『小さな喫茶店』(原曲はコンチネンタルタンゴ)、『夜来香』(中華ポップスの名曲)、『蘇州夜曲』(作詞:西条八十、作曲:服部良一。永遠のエバーグリーン)など、主に戦前の流行歌を採り上げて殆ど完璧な仕上がりになっている。そしてこれらが実にみごとに日本人の心を打つ。だいたい明治以降の日本の歌は西洋音楽抜きには語れないし、演歌だって西洋音楽抜きには成立し得ないジャンルだ。

私の守備範囲で言えば、かつてはこれはジャズだとかこれはジャズではないとか、いろいろと面倒くさいことを言い合っていたらしいが、今ではそんな論争じたいが無意味になっている。ジャンルにこだわることはだいじだが、ジャンルにこだわってもあまり意味がない。

戦争末期、特攻隊として死地に赴く兵士たちが出撃前夜、酒を浴びるように飲み乍ら歌ったのは軍歌ではなく、軍部から軟弱と罵られた灰田勝彦の『森の小径』だったという。


ほろほろこぼれる 白い花を
うけて泣いていた 愛らしい あなたよ

おぼえているかい 森の小径
僕もかなしくて 青い空 仰いだ

なんにも言わずに いつか寄せた
小さな肩だった 白い花 夢かよ(作詞:佐伯孝夫 作曲:灰田有紀彦)


歌の良さなんてジャーナリズムやお役所、ましてや国家などに決められてたまるものか、と思う。

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UMEZU KAZUTOKI PLAYS THE ENKA

のっけから激情のアルトサックスが迸る。のたうち回るようなフリーキーなメロディのなかから、やがて立ち上がってくるのは「唐獅子牡丹」。「花と蝶」「夢は夜ひらく」といった演歌の名曲から「ざんげの値打ちもない」「北帰行」「リンゴの唄」といった流行歌、韓国民謡とバラエティに富んだ選曲だ。

『Show the Frog』に続く木管無伴奏ソロアルバム『梅津和時、演歌を吹く』。今回の梅津和時はアルトサックス、クラリネット、バスクラリネットを次々と持ち替えて、ときに激しくときに淡々と木管楽器を響かせる。

仕事帰り、冷たい雨が降る駅のガード下でタバコを吸い乍ら、iPodでこのアルバムを聴いた。ぼんやりと街灯に照らされた線路を電車が走り過ぎていくときに「女の操」が聴こえてきた。情念がうねる、まさにブルース、背中がゾクッとしたのは寒さのせいだけではないだろう。

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バスクラリネット

私がバスクラリネットの音色を初めて耳にしたのは天才エリック・ドルフィーの『ラスト・デイト』、A面1曲目の“エピストロフィー”、あの立体的な音の塊がスピーカーから飛び出してきた瞬間だ。もちろんセロニアス・モンクの曲ということもあるのだが、エリック・ドルフィーという希有な音楽家の奏でるバスクラリネットの印象は強烈だった。木管楽器特有のあの暖かみのある深い深い音色と、腹の底までズズン、と響き渡る音圧に圧倒された。

日本が世界に誇るサックス奏者・梅津和時はアルトサックスのほかにバスクラリネットも吹く。この『Show the Flog』は全編これバスクラリネット1本で吹き込まれたソロアルバム。ジャズのスタンダードナンバーからオリジナル、果てはアイヌ音楽までバラエティに富んだ内容。バスクラリネットという楽器の魅力が存分に堪能できる。耳馴れた“I want to talk about you”のバラード演奏は名演と言い切ってしまおう。梅津さん、凄いよお。

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夜がおとなのものだった頃

静かな夜に聴くジャズはボーカルに限る。などと言い始めるのは私も歳をとったせいか(苦笑)・・・最近ずっと聴いているのが『ナンシー梅木アーリー・デイズ1950-1954』(VICJ-60714)

ナンシー梅木は本名梅木美代志といい1924年に北海道小樽市で生まれた。若い頃から音楽のレッスンを受けた彼女は、終戦後にアメリカのポピュラーソングに興味を持ち、札幌の放送局などで舞台に立つようになる。

やがて1948年に上京、角田孝(g)のバンドで歌っていたが1950年にレイモンド・コンデ(cl)がリーダーの名門コンボ『ゲイ・セプテット』に参加し一躍花形歌手となり、その後も『渡辺弘とスターダスターズ』『小原重徳とブルーコーツ』といった当時の名門バンドや、ラジオ放送などその活動の場を広げていった。

1955年に駐留軍兵士の勧めで渡米、ロスアンジェルスのクラブなどで活躍した後、1957年には『サヨナラ』という映画で東洋人の女性を演じてアカデミー助演女優賞を受賞することになる。そしてリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン2世によって『フラワー・ドラムソング』のヒロイン役に抜擢され、彼女は一流スターへの階段を上っていく。2007年8月逝去。

もう20年以上前のことだが、私は徒然なるままに日本のジャズ史を調べていた時期があり、その過程でナンシー梅木の存在を知ったが、その頃は戦後の日本ジャズの音源を気軽に聴くことはできず、どんな歌手なんだろうなあ・・・と思っていただけである。

この復刻版を静かな夜に聴いているとなんとも巧い歌手だということがわかる。柔らかなビブラート、ビロードのような声、夜がおとなのものだった時代の雰囲気がしみじみと伝わってくる。

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幻の名盤

CDショップで見つけた『DANISH JAZZMAN 1967』(DEBUT 1149) を聴いてひさびさにジャズにハマった。

1曲目、仄暗い音色のフルートとトランペットがユニゾンでテーマを奏でる「B's Waltz」でもう心が躍る。ベント・イェーディックのフルートが絶妙な響きでカッコいい。

アラン・ボッチンスキーといえば、ジャズベースの巨人オスカー・ペティフォードがデンマークのジャズマンと共演した『BLUE BROTHERS』にも参加している。これも良いアルバムだったなあ。

ちょっと酔っぱらったバド・パウエルみたいなベント・アクセンのピアノも面白いが、なんといっても凄いのがニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセンのベースだ。

低音から高音まで、太い音から鋭い音まで、弦がギリギリとフレットを刻むかのように唸り、4ビートでラインを刻むだけではなく、まさに自由自在縦横無尽にソロを繰り広げて(これはもうベースソロ!)バンド全体をリードしている。まさに欧州が生んだ天才ジャズベーシスト。それだけにピアノソロの後に来るベースソロは余計、だってもうソロを取る必要ないから(笑)

ラテンリズムのテーマがハードバップらしい「Doo's Bluse」、イェーディックのテナーサックスがブリブリ唸ります。そしてキレの良い演奏がかっこいい「Atlicity」と続いて静かなバラード「I Remember O.P.」でアルバムは終わる。名手ダスコ・ゴイコヴィッチはこの曲のみ参加。

いやあ、このアルバムは凄いわ。1960年代、北欧の地デンマークでこんなにも熱い演奏が繰り広げられていたとは驚きである。ひさしぶりにジャズの凄さをじっくりと堪能させられた。

『DANISH JAZZMAN 1967』(DEBUT 1149)
BENT JADIG (ts,fl)
ALLAN BOTSCHINSKY(tp)
DUSKO GOYKOVICH(tp)
BENT AXEN(p)
NIELS HENNIG ORSTED PERERSEN(b)
ALEX RIEL(ds)
Feb. 8, 9, 20, 1967

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世界の紅白

昨夜の『紅白歌合戦』でいちばん笑ったのは、石川さゆりの『津軽海峡冬景色』で登場したマーティ・フリードマンだった。
『タモリ倶楽部』のファンなら思わず失笑したはずだが、そうじゃない人は「この外人、何者?」と思ったことであろう。しかも途中からいなくなるし(笑)
どうせならサンタナみたいに泣きのギターソロを聴かせてほしかったなあ。
そんなこんなで今年もよろしくお願いします。

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あの夏の日々が…

ハイラム・ブロック死去。
まだまだ若いのに…いま40代以上のジャズファンにとって1980年代の夏を語るときに欠かせない『LIVE UNDER THE SKY』、よみうりランドEASTで暴れ回るハイラムの姿は、今でも脳裏に鮮明に刻まれている。デヴィッド・サンボーンとのバトルは涙モノ…あの巨体に似合った豪快なギターソロ、なんとも粋で繊細なバッキング、客席に乱入してライブを熱狂的に盛り上げるということでは、他の追随を許さない人でした。大阪生まれの黒人ギタリストとしても一部では有名。マイケル・ブレッカーも逝ってしまうし、あの夏の日々が懐かしいなあ……アーメン。

赤塚不二夫死去。
数年前から昏睡状態だったのであまり驚かなかったが、とうとう亡くなっちゃいました。ますます昭和は遠くなりにけり、です。合掌。

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谷中とモンクと志ん朝と

連休中に友人を案内して谷中から根津、千駄木界隈を散策した。

JR日暮里駅を振り出しに長谷川一夫や高橋お伝の墓を左右に眺めながら谷中霊園を抜けて、看板に惹かれて愛玉子なんぞを食べてから上野桜木に出まして、そこから言問通りを下ってふたたび谷中の坂道露地裏を経巡り、三浦坂を登って大名時計博物館で学問なぞしてから不忍通りを渡りまして、根津神社境内の満開のツツジを愛でまして、ふたたび谷中の露地裏を歩いて三崎坂を下って団子坂下交差点を右に折れまして、くねくね蛇行するへび道を歩いて谷中銀座に出たときはさすがにくたびれた。くたびれついでに谷中銀座の酒屋の脇で、友人たちと揚げたての名物メンチカツを肴にビールをクイッと飲ると、こいつぁもうたまりません。

それから夕焼けだんだんを上って日暮里の駅に戻ったのだが、夕焼けだんだんのあがりっぱなに『シャルマン』という看板を見つけた。おお、ここはかの古今亭志ん朝師匠が贔屓にしていたというジャズ喫茶ではないか。

大のモダンジャズファンであった志ん朝師匠が、これまたジャズ界唯一無比のユニークなスタイルで知られる名ピアニスト、セロニアス・モンクについて語った珍しいインタビューがある。

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モンクを最初に聴いたのは、日暮里の「シャルマン」というジャズ喫茶で、『セロニアス・イン・アクション』というレコードです。この時のことはよくおぼえてます。
中学生くらいからジャズを聴き始めて、高校生の頃JATPの初来日公演を聴きに行ったりして、それから二〇代前半くらいまでが一番よく聴きましたね。有楽町の「ママ」とか上野の「イトウ」とか、ほうぼう聴き歩いてました。コンサートもよく行きましたね。
当時、家が谷中だったんで、「シャルマン」にはもう毎晩のように行って、ご主人とも大変懇意にさせていただきました。
一九五〇年代後半から六〇年代初めあたり、アート・ブレイキーとかソニー・ロリンズとかジョン・コルトレーンとか、何かそれまで聴いていた音楽と比べて全く違う感じのものが、急激にレコードのかたちで入ってきまして、「へぇーっ、こういう人達がいるんだ」ということで、すっかり夢中になりました。当時一番好きだったのはマイルス・デイビスですね。あのミュート・トランペットのカッコよさね。そういうのを聴いて「わーっ、カッコいい、気持ちいい」っていってノッてた時に、フッと不思議なピアノが耳に入った。それがモンクです。
ある日、「シャルマン」に行ったら『セロニアス・イン・アクション』がかかってた。それまで、モンクってついぞ聴いたことがなかったんですよ。とっても不思議な音でね。
なんでここへ行くのに、ここの横町を曲がって、こう曲がって、こう曲がって、こう行かなければいけないんだ、こっちからも行けるじゃないか、というようなのね。一、二、三と歩いていって、当然この次は右足が出るだろうと思っているものを、急に止められて、左足が出ていっちゃうんで、聴いてる方は「おっとっと」となる。普通だったら、当然ここでこういうフレーズがくるんじゃなかろうかと思って、ノッてこうとすると、そこでとてつもない不思議な音がくる。
ただ、私は音楽でも絵でも、前衛的なものは嫌いなんで、最初は「俺、こういうの嫌いなんだよなあ」と思いながら聴いていた。それが、聴いてるとちっとも不快じゃなくて、楽しくなってきた。で、店のご主人に「これ、何ていう人?」「セロニアス・モンク」「セロニアス? モンク? ヘンな名前! 他にもあるの?」「こういうのがあるよ」なんていいながら、いろいろ聴いてた。そうやって聴いてるうちに「ああ、これは志ん生だな」と思ったんですよ(講談社編「セロニアス・モンク ラウンド・アバウト・ミッドナイト」講談社 , 1991所収「『ああ、これは志ん生だな』って思った」より)
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さすが志ん朝師匠、モンクの個性をみごとに捉えたうえに、父であり師匠であり唯一無比の個性派落語家であった古今亭志ん生師匠になぞらえるあたり、まことに慧眼。そういえば谷中銀座のメンチカツとビールも、これまたみごとなハーモニーを醸し出してしておりましたなァ。

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あやや&ヒノテル

『服部良一〜生誕100周年記念トリビュートアルバム』(UNIVERSAL SIGMA / UPCI 1071)を店頭で見つけて買ってしまう。服部良一作品のカバーは概して秀逸なものが多く、これも楽曲といい参加ミュージシャンといいファンとしては見逃せない。

福山雅治の『東京ブギウギ』…うう、かっこいいロックンロール・ブギウギ。ゴスペラーズの『銀座カンカン娘』…渋い。ヘイリーという女性歌手が唄う『白バラの歌〜White Rose』、若手ジャズシンガー小林桂が唄う『午前二時のブルース』もいい。バカボン鈴木のギリッとしたウッドベースの音色がいい感じ。私の大好きな『東京の屋根の下』はゴージャスなビッグバンドをバックに一青窈が唄っている。一青窈の歌声もいい感じなのだが、やはりこの歌は灰田勝彦の歌声がハマり過ぎるほどハマっているなあ。

松浦亜弥のボーカルに日野皓正のラッパが絡む『ラッパと娘』は凄い! イナタいリズムにあややの歌声が映え、日野皓正のブリブリしたラッパがグルーブしてます。オリジナルは笠置シヅ子(昭和14年発売)なのだがこれがまた凄い。スリリングの一言に尽きる名演だ。笠置に絡むラッパは戦前の名トランぺッター森山久(森山良子の父)、機会があればぜひ聴いてほしい。興奮しますよ。

圧巻は、このアルバムの白眉を飾る井上陽水の『胸の振り子』…井上陽水がほんとうに心からこの歌を愛していることがよくわかる。井上陽水らしい、のびやかで力が抜けた歌声が、暖かくてせつないこの歌を彩っている。まるで雲の上の音楽のようだ。

その他のミュージシャン:関ジャニ∞、東京スカパラダイスオーケストラ、さだまさし、山崎まさよし、佐藤しのぶ、徳永英明、布施明・森山良子、小田和正

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My dear friends in KARUIZAWA

長野新幹線に乗って軽井沢へ。今日は親友のつたえつさんが所属するマンドリン合奏団の演奏会が、ここ軽井沢の大賀ホールで行なわれるのである。数日前から長野は雪が降ったりして11月としてはたいそう寒いらしい。入念な防寒対策とともに軽井沢駅に降り立つと…寒い。
長野市在住の千曲川さんと待ち合わせてとりあえずは昼飯である。メインストリートにある『三喜』という食堂で昼ビールを飲みつつ私は鯉定食(松)、千曲川さんは馬刺定食を注文。とても美味しい。長野に到着して早くも鯉の洗い、甘露煮、鯉こく、馬刺を味わう。

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大賀ホールへ向かう途中で千曲川さんがめざとくこういう看板を発見。どうしてこういうものに素早く目が行くかなあ…ここはオッシャレーな軽井沢だぞ(苦笑)

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大賀ホールに到着。
いよいよ『マンドリン合奏団 玄』第1回演奏会 "PIACERE!" の開演だ。

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第1部 クラシックステージ
 喜歌劇『こうもり序曲』(J・シュトラウス)
 亡き王女のためのパヴァーヌ(M・ラヴェル)
 弦楽セレナーデ第1楽章(P・チャイコフスキー)

第2部 マンドリンオリジナルステージ
 ハンガリアの黄昏(D・ベルッティ)
 交響的前奏曲(U・ボッタキアリ)
 英雄葬送曲(C・O・ラッタ)

アンコール〜『マイ・フェア・レディ』メドレー

11/23(金)軽井沢大賀ホール
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大賀ホールはこじんまりした割には音響が良いな、と感じた。つたえつさんはマンドロン・セロ(中低音域のマンドリン)を華麗に弾いておられました。つたえつさんったら、ビシッとグレタ・ガルボ風にキメておられて、とても素敵でしたわ(ホントだよ) 私は『弦楽セレナーデ第1楽章』『ハンガリアの黄昏』がとても良かった。クラシックのマンドリン演奏ってのも良いものだなあ。

終演後、ホールでお見送りのつたえつさんに花束を渡し、初対面の千曲川さんもご挨拶。ひさびさに再会したKさん(出演してるの知らなかったよ)にも花束を渡す。お客さんでごった返していたので、つたえつさんに挨拶するのもそこそこに再会を期して会場を後にした。

上田に出て宿にチェックインした後、千曲川さんと駅前の適当な店で飲む。長野らしいつまみを、ということで「おたぐり」というモノを食べてみた。馬のモツ煮込み。「長いから『おたぐり(手繰り)』っていうんですよ」ふーん、そうなのか。ちょっとクセのあるつまみ。「くるみ餃子」も美味しかったが、ナンコツ焼きが絶品だった。

常連さんの集う居酒屋らしくお客さんもマスターもいっしょに地元の話題で盛り上がっているなか、長野市民の千曲川さんと関東くんだりからやってきた旅人はぼそぼそとクダラナイ話。ところがさすがはローカルジャーナリズムの末端に位置する千曲川さん、地元の話題に鋭く食らい付いたと思いきや、オヤジ転がしの妙技を連発し、あっという間にオヤジたちのなかに溶け込んでしまう。噂には聞いていたが実際に目の当たりにするとみごとですねー。オヤジキラーの面目躍如。

長野市に帰る千曲川さんを上田駅で見送ってから宿に戻り、明日のスケジュール確認…といっても列車の接続確認だが(笑)
明日はいよいよ大糸線キハ50系に乗るのだ。

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天使の歌声

ようやく腰の痛みも消えてきた今日この頃…
本の移動だけはかんべんしてほしいなあ。腰痛持ちなんだからさあ。まあこれは図書館労働者としては避けられないさだめのようなものだ。
ひさびさに音楽CDを引っ張りだして通勤途中に聴く。
昨日はフェイ・ウォンのベスト盤。90年代のフェイ・ウォンはほんとうに良い。若くて弾けててバラードはしっとりだし、最近どうしてるんだろうなあ。
今日はテレサ・テンのベスト盤。落差が凄いと思うがやっぱりテレサはいいぞ。演歌のイメージが強いけど、ポップスも中国歌謡も民歌風の歌も実に巧い。
1989年、香港で開かれた天安門事件の抗議集会で歌った『我的家在山那一辺(わたしの家は山の向こう)』のライブ音源が収録されているが、これが凄い。ピアノだけの伴奏をバックに歌うその声たるや、歌手たるもの、歌声だけでこれだけの気持を伝えられたら本望でしょう。鳥肌が立ちました。

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『無錫旅情』の謎

尾形大作という歌手がいました。彼は80年代に活躍した若手演歌歌手でした。彼の大ヒット曲は言うまでもなく『無錫旅情』です。この『無錫旅情』は1986年から1987年にかけてロングヒットとなりました(知らない人はお父さんお母さんに聞いてください)。さて、みなさんは無錫(むしゃく)とはなんのことだかご存じですか? 無錫というのは中華人民共和国江蘇省南部にある工業都市です。太湖という風光明美な湖がある景勝地としても知られています。

この長江デルタ地帯の都市といえば、魔都と呼ばれた上海、文化人の憧れ杭州、東洋のベニス蘇州、魯迅の故郷、紹興酒でもお馴染みの紹興、古都南京などが、日本人にはよく知られています。しかしこれらの都市に比べて無錫は地味。錫(すず)の産地だったのでかつては「有錫」と呼ばれていたが、ついに錫を掘り尽くしてしまって、以来「無錫」になったという、よくわからない説あり。

尾形大作、いやこの歌詞に出てくる男は、なぜ無錫というマイナーな都市を目指したのか? 当時、中国文学専攻の学生だった私たちにとって、これは格好の話題であり、何度となく論争(妄想)を繰り広げました。

傷心の旅がなぜ津軽半島や能登半島じゃなくて中国なのか? なぜ上海や香港という異国情緒溢れる都市ではなく、杭州、蘇州というメジャーな都市でもなく、無錫なのか? 当時の無錫は開放都市だったのか? 未開放都市だったら上海で許可証を取得したのだろうか? 公安(警察)にマークされなかったのか? 外国人が宿泊できる施設はあったのか? 彼は中国語を話せたのだろうか? そもそも彼は無錫へ何をしに行ったのか? なぜ無錫だったのか?

「上海蘇州と汽車に乗り〜♪」というからには、あの薄暗くてだだっ広くて、大いなる喧噪とゴミに溢れかえった上海駅の、切符を求める人民たちで充満した切符売場で延々と並んで切符を買ったのか? それとも旅行社に手配したのか?  いずれにせよ外国人料金(当時はそういう料金区別があったのです)で買ったはず。それは硬座(木製の座席)なのか? 軟座(ソファ)なのか? 列車はおそらく上海発無錫経由南京行き普通列車だろう。となると、1980年代に外国人が乗るのだから当然軟座だ。いや、バックパッカーなら硬座に乗ったのかもしれない。

そして私たちの妄想の結果、彼のキャラクターは次のようなものに落ち着きました。

20代前半で、大学時代はおそらく中国文学または歴史学を専攻していたか、またはアジアに興味があったか、あるいはひとり旅を愛するバックパッカー。すでに就職しているか、大学卒業を控えており、それまで交際していた女性と別れることになった。傷心の旅に出ようと思ったが、すでに津軽半島や能登半島はクリアしており、ちょうど改革開放政策で渡航が容易になりつつあった中国に行くことにした。

貧乏なので神戸港から鑑真丸に乗り、人民服と自転車で溢れかえる上海に上陸した。ところが上海はあまりにも雑沓し過ぎてうるさくて汚ない。どこか落ち着いて泣ける街へ行きたいと、バックパッカー御用達のドミトリーで『地球の歩き方』を広げて計画を練った。蘇州や杭州はロマンチックだが古くさそうだし、南京も大都市らしいし日本人にとってはなんかアレだし、紹興は酒くさそうだし、どうしよーかなー? と考えているうちに、無錫という不思議な名前の街に気がついた。大きな湖に面しているとのことだし、ちょっと行ってみたくなっちゃったなー。ちょうど上海−蘇州−無錫−南京という路線だし。

さっそく上海駅に出かけて、無錫行きの切符を買うために窓口で2時間並んだ。しかし服装から外国人であることがバレて、外国人窓口へ行けと追い払われ、しかたないけど外国人料金で切符を買った。公安からは「オマエハ無錫ヘナニヲシニイクノカ?」と聞かれたが、中国語があまり巧くないので筆談で説明。「我是日本人。我愛中国。没有反共思想。我失恋了。為癒心想去無錫。没有別的意思」公安はナニガナンダカワカラナイけど、まあ思想的にも人畜無害らしいので注意するだけで開放してくれた。そして彼は意気揚々?と無錫の街を目指したのであった…

いまでも私にとって『無錫旅情』は謎の作品なのです。

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良いものもある、悪いものもある

正月休みが終わり仕事が始まったとたん、休み前と同じテンションで仕事がやってきた。昔ふうにいえばひとつ歳をとったわけで、どっと疲れが出て毎日クタクタになるのだが、これがなかなか残業回避も難しく、まったく困ったものである。体調不良につき週末はぼんやり過ごす。

先日は早めに仕事を切り上げて、帰りにふらりとHMVに立ち寄り、何を思ったかYMOの『増殖』を買ってしまう。そういえばアナログ盤は25センチLPだったっけ。よくよくクレジットを眺めてみるとこれは1980年の作品だった。なんともう27年も経ってしまったのか。このアルバムでシャープなギターを聴かせる大村憲司もこの世からアデュウしてしまった。嗚呼、無常。

「NICE AGE」「TIGHTEN UP」(名演♪)「CITIZENS OF SCIENCE」、、、スネークマンショーのショートコント、大平総理や林家三平という時事ネタもあるけど、ナンセンスな「若いやまびこ」や「警察だ!」というネタは、相変わらず可笑しくて笑ってしまう。そうだよなあ、、、良いものもあるし、悪いものもあるんだよ。ナンダカワカンナイけどそれは真理だネ。

1980年代…呑気だけど刺激的な良い時代だったなあ…(遠い目をする)

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ハンガリービールは赤かった

親友Aからデートのお誘い。コンサートにご亭主と出かける予定だったが、彼の都合が悪くなり代打で呼び出されたのである。

夕方に自由が丘駅で待ち合わせる。先日、待望の女児を出産したAだが体調もよろしくけっこうなことである。自由が丘デパートのなかにある洋食屋『カントリー』で夕餉。ここはハンガリー料理が売り物の珍しい店。無難にコース料理を注文。前菜はなんの変哲もないサラダと具のないコンソメスープ。私はグノーシュという牛肉とジャガイモのシチュー、Aはハンガリー風ロールキャベツ。バター濃いめのソースはハンガリー名物パプリカで赤い色をしていてライ麦パンによく合う。ハンガリービールを頼んでみた。パプリカは入っていないようだが赤っぽい色のヴァイツェンといった感じで美味しい。

自由が丘駅から十分ほど歩いて奥沢にある宮本三郎記念美術館に到着。ここは世田谷美術館の分館で、昭和画壇の巨匠・宮本三郎の個人アトリエ跡に建てられたというが、私は寡聞にして宮本三郎なる画家を知らない。今夜はここで『クリスマス音楽の夕べ〜アイルランド音楽の世界』というミニライブが開催される。出演はアイリッシュ音楽家の守安功・雅子夫妻。今を去ること十年前、A夫妻の結婚式二次会で演奏を披露してくれたのが守安夫妻なのである。Aはアイリッシュ音楽ファンなのだ。

守安功氏は軽妙なトークとともにウッドフルート、ティンホイッスルを、雅子さんはアイリッシュハープ、手風琴、パーカッションを駆使して、ゆったりとした曲からアップテンポの曲まで、リクエストを交え乍ら90分のステージをこなす。みたところアイリッシュ音楽マニアは三割くらいで、残りのお客はクリスマス音楽の夕べ、ということで来た人も多いらしい。それでもアイリッシュ音楽は日本人にも親しみやすい旋律なので、お客さんたちは楽しげにリラックスして聴いている。うーん、ギネスとフィッシュ・アンド・チップスが欲しい。Aが守安夫妻と旧闊を叙しているあいだにぼんやりとロビーで待つ。駅でAと別れて帰宅。

電車のなかで、Aの共通の友人である私とSさんが、インチキくささ満点の格好で件の二次会に出席して笑われたことを思い出した。まっとうな社会人であるA夫妻の友人知人たちはきちんと正装で出席していたのに、私はヒゲ面に坊主頭でアロハシャツ、サングラスをかけ、Sさんは長髪にバンダナ、ラブ・アンド・ピース的70年代ファッション。A夫妻は「まったくしょうがないんだから(笑)」と許してくれたが、私たちを知っているK嬢を除いて、他の出席者は誰ひとり私たちに近寄ってこなかったなあ…

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金は天下の回りもの

おそらく終戦後の十年間ほど、ジャズと自由が表裏一体となった時代はなかったであろう。戦時中に抑圧された娯楽のはけ口として、敗戦の焦土の上でみごとに結実したのが、ジャズとベースボール(どっちもアメリカ文花)だったというのは、いくら進駐軍の政策だったとしても皮肉だ。石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』(1957日活)にもその片鱗が窺えるが、とにかく戦後のジャズ・ブームというのは相当なものだったという。よく知られているエピソードのひとつに、とにかくギャラが凄くて金が儲かってしかたがなかった、というのがある。

当時の売れっ子バンドだった『ジョージ川口とビッグ・フォー』…ジョージ川口(ドラム)、松本英彦(テナーサックス)、中村八大(ピアノ)、小野満(ベース)…などは、一晩のステージが終るとギャラがボストンバッグに入り切らず、札束を足で押し込んだものだという。私はこのエピソードについて、敗戦国日本の何処にそんな金があったのだろう、という疑問を持っていた。米軍キャンプの公演が多かったとはいえ、進駐軍もそれほど金を持っていたわけではあるまい。この小さな疑問に答えてくれたのは、青木誠『ぼくらのラテン・ミュージック;日本中南米音楽史』(リットー・ミュージック)の一節だった。

戦時中にジャズが敵性音楽であるとされ、活動中止を余儀無くされたジャズメンたちは、戦後になるといっせいに陽の当る場所に踊り出てきた。なかでも進駐軍からその音楽性に対してSA(スペシャルA)とランク付けされたジャズメン…これが松本英彦たちなんだろう…のギャラはそれはもう凄いものだったという。この本の記述によれば、ジャズメンたちにはそれぞれのランクを記したIDカードが交付され、時間あたりのギャラをPD(物資調達要求書)で受取ったという。PDは一種の小切手で後で現金化して日本円に換えたというのだ。そしてこの日本円は誰が負担したかというと、なんと!日本政府だったというのだ。

「“PD”による支払いは戦後処理費に計上されたが、昭和22年度の歳出総額がおよそ2000億円と見積もると“PD”による戦後処理費はおよそ585億円、なんと30パーセントを占めていたのだから巨額である。おもしろいモンである。バンドマンの雇主は占領軍だから、ヤンチャで音楽好きなアメリカ軍将兵をすっかり“のせて”やたらと“PD”を乱発させ、おかげでバンドマンのふところに多額の札束がすべりこんだとして、そのつけは全国の日本人が支払っていたのだ。バンドマンは日本政府発行の小切手を片手にジャズをやっていたことになる」(同書134ページ)

 松本英彦もジョージ川口も、敗戦国の同胞からいただいたギャラで毎夜毎夜ドンチャン騒ぎをしていたのだ。うーむ、敗戦国の悲哀を感じさせる話である。

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What' s Going On ?

わけあってタイトルは秘すが、手許に1枚の幻のアルバムがある。入手困難な激レアもので、たまたま手に入ったのでそれを聴いているわけだが、このアルバム、脱力加減がなんともたまらない魅力に溢れている。古今東西の脱力系歌謡曲を集めたオムニバス。プロデューサーの選曲眼が光っている。

80年代なのにまるっきりモータウンサウンドの「東京ディスコナイト」(スクーターズ)、宇宙的に脱力度満点「アンドロメダの異星人」(あおきあい)、80年代なのにアストロノウツ、ついでに小林旭テイストも味わえる「東京キケン野郎」(沖山優司)、ちっともロケンロールじゃない「Rock'n Roll ふるさと」(舟木一夫)、柄本明が歌う「What's Going On」に至っては、マーヴィン・ゲイと肩を並べるとは本家に大変失礼なのだが、それでもけっこうイイ味出している。

それにしてもなぜ柄本明が「What's Going On」なんだ? まさに What's Going On (何が起こってるんだ?)……まあ、勝新太郎が歌う『マイ・ウェイ』は換骨奪胎の傑作だし、近藤真彦だってビートルズを辱めるとしか思えない『抱きしめたい』を歌っているし、柄本明は渋いからイイです。アレンジもかっこいいし。本家のマーヴィン・ゲイも、ダニ−・ハザウェイのカバー(大傑作『Live!』収録)も、柄本明もいいです。やっぱりこれって名曲なんだな。

70年代のシカゴで活躍したという日系ソウルシンガーのアイコ・コシジが(嘘)、ウィリス・ジャクソン、メルヴィン・スパークス、パウリーニョ・ダ・コスタという豪華なミュージシャンをバックに(嘘ですからね)、イケイケドンドン、ブーガルーサウンドでシャウトする『おさけ』(越路愛子)も凄い。サックスのブロウなんかマジでかっこいいからなかなか聴き応えがある。

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生田の丘にピアノは燃えた

タイトルにピンと来たらけっこうなジャズファン

世界で最も難しいピアノ曲の演奏というニュースを観た。素早いパッセージ、不協和音だけではなく腕や肘で鍵盤をゴンゴン叩くクラスター奏法(肘や掌でピアノの鍵盤を一度に大量に押さえる技法。現代音楽では古くからバルトークなどの作品で使われている)を駆使した演奏。これがちゃんと譜面になっているというあたりがおもしろい。

ところで映像で観ると確かに凄い演奏なのだが、昔からフリージャズに親しんでいる私にとっては特にどうということはない。全盛期の山下洋輔のほうが圧倒的に凄かった。そういえば山下洋輔はピアノを燃やし乍ら弾くというパフォーマンスもやっていた。ビデオで観たけど腹抱えて笑ったなあ。

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おんがくのよろこび

 帰宅したら郵便受けにCDが入っていた。

 学生時代からの友人である彼女はアマチュアオーケストラのヴィオラ奏者として活躍していたのだが、結婚〜出産〜子育てとまっとうな(少なくとも私よりはよほどまともだ)人生を送っている。マイクを握れば玄人はだしでしかも酒呑み、カマドウマ(通称ベンジョコオロギ)には滅法弱いという明るく楽しい女性。こどもが成長するにつれてふたたびヴィオラ抱えてあちこちに出没していたが、最近ヴィオラをマンドリンに持ち替えてネオンの巷を流して回り、じゃなかった、マンドリンアンサンブルを結成して、スタジオやコンサート活動に精を出しているという。手元に届いたのは彼女たちが自主製作したCDなのだった。早速封を切ってCDプレーヤーにセットする。

 マンドリンといえば私はすぐに古賀政男、古賀メロディー、古賀政男が創立した明治大学マンドリン倶楽部、あるいはブルースマンドリンの名手、ヤンク・レイチェルといったイメージが浮ぶ。というかそれ以上浮ばない。マンドリンにもいろいろ種類があることも初めて知った。一般的に思い浮かぶマンドリン以外に、音域の低いマンドラ・テノール、さらに音域の低いマンドロン・セロ、このCDでは使われていないが最低音域を受け持つマンドローネというのもあるそうな。大きさはヴァイオリン→ヴィオラ→チェロ→コントラバスというふうにだんだん大型化する(音楽大事典で調べました)。

 だからマンドリンアンサンブルといわれても、なかなかピンとこない私ではあったが、聴き覚えのあるクラシックの名作から渋い曲まで、実に味のある演奏に仕上がっていて正直驚いた。しかも編曲まで自分たちでやっているというからまたまた吃驚。マンドリンの音がまるでチェンバロのように聴こえるのが意外だった。『ホルベルク組曲』(グリーグ)、『弦楽セレナーデハ長調作品48』 (チャイコフスキー)そして同じくチャイコフスキーの誰でも知っているあのバレエ音楽『くるみ割り人形』と、クラシックファンならずとも唸ってしまう選曲。マンドリンのトレモロの響きや軽い音色が、日本人のメンタリティに合っているのだろうか。ちょうど春の柔らかい風に吹かれて、暖かい陽の射し込む縁側で昼寝しているような気持になった。

 今日は日曜出勤だったのだが、耳の奥で『花のワルツ』がずっと流れていて優雅な気分で過ごせた。
 ありがとう、友よ。

 アンサンブル絃
『sweets 〜 the sweets of music:おんがくのよろこび』
 ※興味のある方は私にお尋ねください。

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