日本流行歌史に興味のある方なら『アラビアの唄』をご存知であろう。1928年に流行ったジャズソング、もともとはアメリカのダンス音楽として作られたもので、原題を『Sing me a song of Araby』(by Fred Fisher)という。歌ったのは榎本健一とともに浅草オペラのスターだった二村定一。
沙漠に日が落ちて 夜となるころ
恋人よなつかしい 唄をうたおうよ
あの淋しい調べに 今日も涙流そう
恋人よアラビアの 唄をうたおうよ(訳詞 堀内敬三)
『アラビアの唄』を初めて聴いたのは子どもの頃、たぶんNHKのラジオだと思うが、二村定一の調子の良い歌声とちょっともの悲しいメロディーが印象的だった。加藤登紀子が1983年に発表した戦前流行歌カバーアルバム『夢の人魚』にも収録されていた。これはなぜか坂田明とのデュエットという不思議なバージョン(笑) 最近では遊佐未森が日本の流行歌をカバーした『檸檬』で秀逸なバージョンを聴くことができる。
話は転じて渥美清である。
かつて渥美清が古賀政男を演じたテレビドラマがあった。調べてみると1979年にNHKが制作した『幾山河は越えたれど〜昭和のこころ 古賀政男』だった。私の記憶によれば、昭和初期のカフェで若き古賀政男(渥美清)が店に流れる『アラビアの唄』に聴き惚れる女給たちを眺めて「…日本人がアメリカの歌を聴いて喜んでいる…日本の…日本人の心を打つ歌を作らなければ…」と苦悩する場面があった。そして青年古賀政男は『影を慕いて』を発表するのである……蓄音機から流れるのが『アラビアの唄』だったどうかはいまいち確信が持てないが、たぶんそうだったような気がする。
日本流行歌史を語るとき、必ずと言っていいほど使われる紋切り型がある。古賀政男=演歌=日本人の心の歌/服部良一=ポップス=明るい都会的な歌というもの。まあこの世は何でも二つに分けたほうがわかりやすいのだが、今となってはこの紋切り型はずいぶんと乱暴な物言いである。
古賀政男は明治大学マンドリンクラブの創始者の一人であり、若い頃はボッタキアーリなどのマンドリン曲を演奏していたというからけっこうなハイカラ青年だったわけで、演歌の巨匠と言われるのは後年のことだ。服部良一もジャズ出身で戦前の和製ジャズ〜ポピュラーソングを数多く手がけた人だが、言われるほどポピュラーばっかり作曲していわけではない。
遊佐未森の『檸檬』は『青空』(原曲は『My blue heaven』作曲は前述の Fred Fisher )、『南の花嫁さん』(戦時中に流行した南方ソング。作曲は中国人の任光)、『月がとっても青いから』(ごぞんじ菅原都々子!)、『小さな喫茶店』(原曲はコンチネンタルタンゴ)、『夜来香』(中華ポップスの名曲)、『蘇州夜曲』(作詞:西条八十、作曲:服部良一。永遠のエバーグリーン)など、主に戦前の流行歌を採り上げて殆ど完璧な仕上がりになっている。そしてこれらが実にみごとに日本人の心を打つ。だいたい明治以降の日本の歌は西洋音楽抜きには語れないし、演歌だって西洋音楽抜きには成立し得ないジャンルだ。
私の守備範囲で言えば、かつてはこれはジャズだとかこれはジャズではないとか、いろいろと面倒くさいことを言い合っていたらしいが、今ではそんな論争じたいが無意味になっている。ジャンルにこだわることはだいじだが、ジャンルにこだわってもあまり意味がない。
戦争末期、特攻隊として死地に赴く兵士たちが出撃前夜、酒を浴びるように飲み乍ら歌ったのは軍歌ではなく、軍部から軟弱と罵られた灰田勝彦の『森の小径』だったという。
ほろほろこぼれる 白い花を
うけて泣いていた 愛らしい あなたよ
おぼえているかい 森の小径
僕もかなしくて 青い空 仰いだ
なんにも言わずに いつか寄せた
小さな肩だった 白い花 夢かよ(作詞:佐伯孝夫 作曲:灰田有紀彦)
歌の良さなんてジャーナリズムやお役所、ましてや国家などに決められてたまるものか、と思う。
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