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嗚呼、上野駅

 ポレポレ東中野へ『七人の刑事 終着駅の女』(日活/1965)を観に行った。ツイッターで話題になっていた…と言ってもごくわずかな映画ファンだけだろうが…作品である。どのように話題になっていたかというと…出演者やストーリーよりも1965年当時の国鉄上野駅でその殆どのロケを行い、しかもそのロケも大部分が隠し撮りと思われ、当時の上野駅構内や周辺の風俗(人びとや街並、音声等)がそのまま記録されている、テーマ音楽も何もなく一種異様な雰囲気を持った作品、これまで一度もソフト化されたことがなく、また今後もされる予定もないレア中のレア作品…とくればこれは観に行くしかないでしょう。しかも当時の鉄道風景がてんこ盛りである。ちなみに『七人の刑事』は、あの有名な「むーむー、むむむ、むむむ、むむむ、む~♩」というテーマソングでお馴染みの刑事ドラマで、これは幾つか作られたという劇場版。

 一言で言うと、なんとも不思議な雰囲気を持った映画だ。駅のホームで起こった殺人事件の犯人を捜すわけだが、その設定、動機、犯人、トリックには何の目新しさも仕掛けもない。ヒーローもヒロインも出てこない。言うなれば東北地方が未だ首都圏に収奪される土地であった頃の、故郷で食い詰めた東北人が、故郷から常磐線や東北本線に乗り、新天地を求めてたどり着いた終着駅の上野界隈で、首都圏の社会構造のなかで更に搾取され続け、社会の底辺に蹴落とされる。今回の被害者の女性だけでなく、犯人に仕立て上げられて死ぬチンピラ(平田大三郎)も、暴力団組織から売春を強いられていた女(笹森礼子)も、失踪した娘を捜して上京する老婆(北林谷栄)も、みんな首都圏に夢や希望を収奪された東北人なのだ。

 七人の刑事は真犯人を逮捕することはできたが、濡れ衣を着せられたチンピラを救うことはできず、チンピラと故郷に帰るはずだった女を地獄から救い出すこともできなかった。絶望しきった女は無表情でまた新たな地獄を探して雑踏へと消えていき、老婆の娘はいまだに見つからない。上野駅には次から次へと東北から新天地を求めて東北人が上京し、その大半が夢破れ傷ついていくことが暗示される。七人の刑事は、上野駅構内に設けられた捜査本部で、憔悴した表情で冷や酒をあおりスルメを齧る。上野駅に集まる人びとのインタビューとおぼしき切ない声が画面に重なり映画は終わる。爽快感も何もない。陰影の濃いモノクロ映像が、ただただ都会の絶望感を際立たせる。

 芦田伸介、堀雄二、菅原謙二、佐藤英夫らお馴染みの面々に加え、今回は八人目の刑事とも言うべき大滝秀治(!)が加わって良い味出している。その他、草薙幸二郎、梅野泰靖、三崎千恵子ら名傍役が出演。

その街のこども

1995年1月17日早朝、私は布団の中で半ば覚醒していた。窓の外はまだ暗く、起きるには早いなあとうすらぼんやりと考えていたら、部屋がユラリ、と揺れた。私は(あ、地震だ…)と思った。当時私は築50年以上の、それこそ表通りをダンプカーが通るだけでも窓枠がカタカタ鳴るようなボロ家に棲んでいた。枕元の時計を見たら、蛍光色の針が午前5時45前後を示していたことを覚えている。それからまた眠りに落ちて7時ちょっと前に起きた。トーストを焼いて珈琲を啜り乍らテレビのスイッチを入れたら、街のあちこちから煙が上がり高速道路が倒壊している映像が映し出された。ちょっとの間、何のことなのかよくわからなかったが、早朝に京阪神地区を襲った大地震で壊滅的な被害を受けた神戸市の映像だということを、アナウンサーが落ち着いた声で伝えていた。「…本日午前5時46分頃、神戸を中心とする地震が発生…マグニチュードは7と推定され…」(あ、今朝の地震…)後で知ったことだが東京の震度は1を記録していた。

『その街のこども』(2010)を観た。阪神淡路大震災から15年が経った冬、神戸の街で出逢ったふたりの男女(森山未來、佐藤江梨子)が、お互いの震災体験を語り乍ら地震が起きた日から15年目の早朝を迎える。美夏(佐藤)は神戸で行われる震災追悼集会に参列するため、13年ぶりに神戸の地を踏んだ。建設会社に勤める勇治(森山)は広島へ出張する途中で神戸に途中下車した。勇治と美夏はともに神戸で震災を経験し、ふたりともその後神戸を離れて東京に移り住んだ。そしてあの日から15年、ふたりはふとしたことから神戸の街で初めて出逢った。勇治も美夏も震災の記憶に背を向けてきた。ふたりとも震災で家族や友人、生活を失い傷つき故郷を離れた。終電を逃したふたりは美夏の祖母が住む御影まで夜の街を歩く。歩き乍らふたりは震災の記憶を語り合う。歩き乍ら語り乍らふたりは再び震災に神戸に向き合い始める。

殆ど森山未來と佐藤江梨子…どちらも当時神戸に住んでいて震災を経験している…ふたりの語りでドラマは進行していく。ふたりは過去に背を向けてきたが、次第にふたりの気持ちは辛かった過去に向き合い始める。喪失と再生の夜は過ぎ夜明けはもうすぐそこまで来ている。鼻の奥がツーンとして、ふと涙が出そうになる。東日本大震災からそろそろ1年が経つ。再び「その街のこども」がおおぜい生み出されてしまったことを憂うとともに、いつの日かあの日のあの記憶に向き合い乗り越えていってほしいと思う。そのために、残された私たちには何ができるだろうか。

オフィシャルサイト http://sonomachi.com/

首が飛んでも動いて見せまさァ

久しぶりに映画館に出かけた。たぶん2年ぶりくらいだと思う。かつては毎週映画を観に行っていた時期もあったのだが。まあそれはおいといて、今日は『幕末太陽傳』(1957日活)の特別上映を観に行った。これは日活創立100周年記念特別上映作品として、最新技術でリマスターされたデジタル修復版の上映である。全国のテアトルシネマ系映画館で上映され、首都圏では新宿、有楽町と大森で上映される。私は10年ぶりにキネカ大森に出かけてきた。

第1回(10:10)上映なのでさすがに観客は少なく100席の館内に20人くらいだったろうか。予想通りご老人率が高く8割が70歳以上だった。懐かしい映画を観に来たのであろう。私が座って上映を待っているとすぐ前の列にご高齢のご婦人が7〜8名並んでお座りになられた。これはイカンと映画上映直前にそそくさと一番後の隅っこに移動。絶対、上映中に「フランキー堺」「あれまあ」「若いわねー」「南田洋子」「えーと誰だっけこの役者」「懐かしいわ」「岡田真澄!」などと、誰に言うでもなく自動的に呟き出すに決まっている。

もうご存知の方も多い有名な映画である。時は幕末、文久2年というから1862年、明治の御代まであと数年という時代設定。場所は東海道品川宿の岡場所、相模屋に登楼した佐平次(フランキー堺)一行は呑めや歌えのどんちゃん騒ぎを繰り広げる。翌日勘定を貰いに来た若い衆を煙に巻き、いよいよ懐には一文の銭もないと開き直って遊廓に居残りを決め込んでしまう。そしてこの佐平次ときたら、お膳の上げ下げから客の揉め事ヒマつぶしのお相手、女郎衆の恋文の代筆から起請文の印刷、おまけに勤王の志士たちから借金のカタを取りあげてくるわの大活躍…

実はこの佐平次、居残りを稼業にしている男なのである…とくれば落語好きにはお馴染み『居残り佐平次』を下敷きにした映画。ストーリーはこの佐平次を中心に進んでいくが、はめ込まれるピースはみな落語ネタ。『品川心中』『三枚起請』『文七元結』『お見立て』…ところどころに『だくだく』や『付馬』まで出てくる。どんちゃん騒ぎの場面で、芸者のバチを取りあげて、ドラムスティックよろしくくるくる回してゴキゲンな佐平次。さすが元・与田輝夫とシックス・レモンズのドラマー。勘定の心配ばかりしている西村晃、呑気に騒ぐ熊倉一雄も良い感じ。

閑話休題。相模屋に居残りを決め込むのは佐平次だけにあらず、総髪に二本差しの勤王の志士たちもここを根城にしている。居残り役は高杉晋作(石原裕次郎)でその他小林旭、二谷英明も勤王の志士たちを演じている。板頭(ナンバーワンね)の座を争う遊女のおそめ(左幸子)とこはる(南田洋子)、劇中で演じる肉弾相打つキャットファイトは迫力満点! 博打好きの父親の借金のカタに奉公しているおひさ(芦川いづみ)と、稼業を嫌う相模屋の若旦那徳三郎(梅野泰靖)の恋物語、常に苦虫を噛み潰している相模屋伝兵衛(金子信雄)とお辰(山岡久乃)は徳三郎に手を焼いている。爆笑を誘うのは何と言っても川島雄三映画常連の小沢昭一。今回は貸本屋の金蔵…おそめに心中を持ちかけられて、最後はすげなく品川の海に突き落とされる情けない男を見事に演じている。場内のご婦人方は小沢昭一の怪演に爆笑していた。さすが。

高杉たちは横浜にある異人館の焼き討ちを計画しているのだが、何としてもその異人館の絵図面が欲しい。最後は佐平次が思わぬところから絵図面を手に入れてくるのだが、ここに至るまでの傍若無人の暴れっぷりは極めて壮快。小林旭も、つい先日鬼籍に入った二谷英明も若さいっぱいの演技だ。佐平次から勘定を取りはぐれたばかりか、その後の佐平次に悉く祝儀を取られ続ける廓の若衆(岡田真澄、高原駿雄)、番頭の善八(織田政雄)も適材適所。やり手婆の菅井きん、そうとは知らず息子の馴染みの女郎に入れ込む殿山泰司、願人坊主の井上昭文と榎木兵衛(いよっ!日活名脇役!)最後に登場する杢兵衛旦那の市村俊幸はジャズピアニストあがり、ラストシーンでのやりとりは、ドラマーあがりのフランキー堺と火花を散らすセッションといったところか。

何遍も観ているのだが、今回久しぶりに映画館で観て、改めてこの映画の素晴らしさを実感した。いつも陽気で気の回る佐平次は、実は労咳(結核)を病んでいるという設定。廓の中で元気いっぱい走り回っていても、いったん自分の行灯部屋に入るとその表情が一変、一瞬、鬼気迫る暗い表情を見せるところは背筋がゾクゾクっとする。死と隣り合わせの明るさということなのだろう。品川沖の舟の上で石原裕次郎と駆け引きするシーンでは「てめぇ一人の才覚で世渡りするからにゃ、へへっ、首が飛んでも動いて見せまさァ」という、あの有名な啖呵を切るところなんざ、何遍観ても「いよッ!フランキー!」と大向こうから声がかかろうってもんだね。

今まであまり気にとめなかったのだが、女郎に売られるのを佐平次に助けてもらいたいおひさが、タダとは言わない十両払いますと言うシーン。十両はいっぺんには払えないから一年に一両ずつ、十年かかって払いますと言うと、佐平次が「十年たったら世の中も変わるぜ」と返す。これに続くおひさのセリフ「時代が変われば私も変わります」…なんだかしみじみと心に沁みた。「時代が変われば私も変わる」…私は少しは変われたのだろうか。最後は、墓場から東海道をひた走って画面から遠ざかっていく有名なラストシーンでエンドマーク。

監督は鬼才川島雄三。ちなみに映画の冒頭は現代(昭和32年当時)の品川宿が映し出される。実はこのシーン、売春防止法成立前夜の品川遊廓を撮影しているのである。現代の品川遊廓から江戸時代の品川遊廓へとカメラは遡る。そしてラストシーンも、実は川島監督は、佐平次が墓場のセットを通り抜け撮影スタジオの扉を開けて、現代の品川遊廓の通りを、着物を着たまま走り去って行き、それを映画の登場人物たちが現代の服装をして見送っているというシーンにしたかった。しかしあまりに斬新過ぎるということでスタッフや役者たちの猛反対に遭い、やむなくそのラストシーンは幻と消えたという有名なエピソードがある。後にフランキー堺は、あのとき監督の言う通りにやらせたほうがよかったと思う、と述懐していたそうである。

幕末太陽傳公式サイト http://www.nikkatsu.com/bakumatsu/

水戸黄門

テレビ時代劇『水戸黄門』の放映がついに終了する。報道によれば1969年に放映が始まったというから、実に42年間制作・放映された長寿番組ということになる。

私は時代劇マニアでもなんでもないが、この報道を聞いて「『水戸黄門』は東野英治郎を見るためのドラマだったんだなあ」という思いがする。助さん、格さん、うっかり八兵衛、風車の弥七、かげろうお銀がどうであろうが、『水戸黄門』は東野英治郎による東野英治郎のためのドラマだった。

川島雄三の『青べか物語』(1962年/東京映画)で、映画の最初から最後まで、「強烈」としか言いようのない浦安の老いた漁師を演じた姿が忘れられない。ヒエラルキーの底辺で、しぶとくしたたかに生きる漁師を演じた7年後、今度はヒエラルキーの頂点に立つ権力者を演じて、その役柄の間には何の矛盾もない。

東野英治郎はもともと脇の役者であり、主演を張るタイプではない。脇の役者だったから、それこそ悪役敵役も数多く演じている。明治大学卒業のインテリ新劇役者であり乍ら、とてもそうは見えない「原日本人」ぶりの役者である。私見だが、その引出しの多さ、懐の深さが、表舞台を退き乍ら、未だ隠然たる影響力を持つ天下の副将軍、という陰の権力者を演じて活きたのだ。明治生まれの東野英治郎は、まさに時代劇を演じても違和感のない、換言すれば、近世という「衣装」を身に纏って負けない「身体」があった。

今回の『水戸黄門』放映終了という報道、むしろ、民放の時代劇ドラマ制作が絶えてしまうという事実のほうが重要だろう。今はCSやBSで「観たい人だけが観る」という時代なのだ。とは言うものの時代劇マニアは寂しい思いをしているのだろうな(苦笑)

床屋のチントンシャン

森繁久彌が96歳で大往生したわけだが、きっとこれからミニシアターやBS、CSでは森繁映画特集が企画されるだろう。

『社長シリーズ』『駅前シリーズ』『次郎長シリーズ』といった定番から東宝、新東宝、東京映画、日活などのカルト作品、『夫婦善哉』『猫と庄造とふたりのをんな』『小早川家の秋』といった文藝作品、映画産業が斜陽になった70年代以降の『小説吉田学校』とか…作品を選定するだけで骨が折れるだろうなあ。

楽しさとバカバカしさでは『駅前シリーズ』に軍配があがるが、笑いのなかにシニカルな視点がある『社長シリーズ』も良い。『喜劇駅前旅館』は井伏鱒二の原作をもとに豊田四郎監督が当時の風俗を大胆に取り入れた意欲作。もちろん原作者の井伏鱒二は大激怒したそうである。映画と原作は別物だから怒るこたぁないのだが、当時の小説家は権威があったからしょうがないだろう。その後の『駅前シリーズ』は森繁・伴淳三郎・フランキー堺のトリオに三木のり平が絡んでどんどん脱線していく。

『喜劇駅前飯店』では中華街の華僑に扮し怪しげなポコペン言葉を駆使して大騒動。ゲスト出演した当時売り出し中の王貞治に向かって、床屋に扮した三木のり平が「ワタシ、床屋ノチントンシャン、王サンノ頭刈リタイヨ!」と迫るところはいつ観ても吹き出してしまう。

しかし森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺、三木のり平、加東大介、山茶花究、みんな逝ってしまったのだなあ…健在なのは淡島千景、淡路恵子、小林桂樹……嗚呼、昭和は遠くなりにけり…

ところで『スラバヤ殿下』『グラマ島の誘惑』『伴淳・森繁の糞尿譚』などは、映画館ならともかくテレビ放映はできるのだろうか?

脇役のような主役のような

南田洋子死去。享年76。

私の南田洋子映画ベスト3は、1位が『幕末太陽伝』、2位が『競輪上人行状記』、3位が『盗まれた欲情』、次点が『続拝啓天皇陛下様』ですね。

1位(川島雄三監督の傑作)ではフランキー堺や左幸子と絶妙のからみ、2位(小沢昭一主演の隠れた傑作)で見せた恐ろしい女の二面性、3位(長門裕之との共演というか今村昌平監督デビュー作というか)での活き活きとした演技が好きです。次点は小沢昭一と中国人夫婦をポコペン言葉で熱演。

王さんの映画

臺北のDVDショップで『感恩歳月(Honor Thy Father)』(1990)というDVDを見つけた。コレは何かというとあの王貞治の伝記映画だ。正確に言うと王さんの父、王仕福の伝記映画であり、王家の伝記映画でもある。原作は王さんの母、王登美著『ありがとうの歳月を生きて』なので、王さんファンにはたまらない映画。私はタイガースファンでアンチジャイアンツなのだが、王さんは別。


昭和15(1940)年、東京の下町墨田区で「五十番」という中華そば屋を営んでいた王仕福(午馬)と登美(鈴鹿景子)のあいだに双子が誕生、姉は広子、弟は貞治と名付けられた。すくすくと育つ広子に対して貞治は病弱で両親を心配させていた。ある日貞治は高熱を出し医者にも匙を投げられた両親は途方に暮れて帝釈天の住職から祈祷をしてもらい奇跡的に貞治は回復した。ところが貞治が1歳半になった頃、姉の広子が悪性の麻疹で急死、その後広子の魂が乗り移ったかのように貞治はメキメキと元気に育っていく。

やがて戦争が終り兄の鉄城(梁修治)の影響もあって貞治(馬景濤)は野球にのめり込んで行く。地元の野球チームで「王というすごいヤツがいる」と噂になった頃、ある日の試合中に一人の男が姿を現した。男の名は荒川博(石雋)。当時毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテ・マリーンズ)の選手であり実家が浅草だった荒川はスカウトの意味も込めて少年野球チームに注目していたのである。荒川は王が左投げなのに右打席に立つのが気になり、試合中にもかかわらず左打席で打ってみるよう指導…この演出はやり過ぎかなと思ったが事実(鈴木洋史著『百年目の帰郷 王貞治と父・仕福』)である。首を傾げ乍らも素直に従った王は強烈なヒットを打つのであった。後に一本足打法を生み出す師弟コンビの邂逅である。


王仕福は中華民国(当時)浙江省青田縣から日本へやって来た。死にものぐるいで働いて小さい乍らも自分の店を持ち日本人の登美と所帯を持った。長男の鉄城はじめ子どもたちにも恵まれた。戦争中は苦労もしたがしたたかな仕福は空襲で焼けた店も戦後に復興させた。仕福の夢は兄の鉄城を医者に、弟の貞治を電気技師にして故郷に連れて行き、故郷のために恩返しをするというものだった。

兄の鉄城は仕福の期待どおり慶應大学医学部に入学しやがて医者になったが、弟の貞治は野球に夢中になり周囲も認める才能を開花させつつあった。最初は貞治の野球狂いに渋い顔をしていた仕福だったが、やがて貞治が早稲田実業に入学し甲子園大会で大活躍するようになると、近所の人々とともに貞治の活躍に目を細めるようになる。


仕福を悩ませたのは家族の国籍である。言うまでもなく仕福は中国人、妻の登美は日本人だ。前述の『百年目の故郷』によれば、中華民国籍だったのは仕福だけで、登美と子どもたちは日本国籍のままだったという。もちろん戦前の日本に於いて中華民国籍による不利益を被ることを回避するという理由もあった。しかし戦争が終り登美の兄弟が相次いで戦死、戦前に両親もこの世を去っているため、登美は子どもとともに仕福と同じ中華民国籍を取得したという。

戦争中も中国人、支那人と侮蔑の言葉を投げつけられることもあったが仕福はじっと耐えてきた。しかし戦争は終り中国人は戦勝国民になった。もちろんそれで増長する仕福ではない。仕福の夢は子どもたちを故郷のために働く人として育てあげることであった。王家はみな中華民国籍になり仕福の夢は一歩前進したかに見えた。しかし兄の鉄城は中華民国籍という理由で慶應大学医学部の試験を受けられない。仕福は医学部を訪ねて平身低頭し受験させてくれるよう頼み込む。甲子園大会で活躍した貞治も「日本国籍を有するもの」という大会規則に阻まれ秋の国体に出場できなかった。仕福は悩み兄の鉄城を訪ねて勤務先の大学病院に行く。


「ワシはおまえたちに国籍のことで迷惑をかけているのかな、ワシはどうすればいいんだろう・・・」苦悩する父に鉄城は困惑するが、父さんが貞治のことを想っているならプロ野球選手にしてはどうだろう、プロ野球なら国籍なんか関係ないさ…でも貞治を技師として祖国に連れていくという父さんの夢は…と呟いた。わかったよ、それじゃあな、と立ち去ろうとする父に向かって鉄城は叫ぶ。「父さん、ホームランを打てば日本人も中国人も関係ないよ。立ち上がって手を叩く観客には国籍の区別なんかないんだ!」心無しか安堵の表情を浮かべて帰路に着く仕福。

そして貞治は読売ジャイアンツに入団するがプロの壁に阻まれてなかなか芽が出ない。そこにジャイアンツの打撃コーチに就任した荒川が現れた。荒川は王を徹底的に鍛える。何千回もバットを振ったため足下の畳が擦り切れた…精神集中のための日本刀での素振りなど、伝説の猛練習が再現される。ついにあの一本足打法が完成。下町の野球少年は世界のホームラン王へと成長してくのであった。


臺灣映画なので登場人物(日本人)が全員中国語を話しているとか、ロケ地がどう見ても東京の下町ではない(京都みたいだ)とか、「日本」をアピールするためか、何かというと村田英雄の『王将』(考えようによってはいい選曲)がバックに流れるとか、荒川博が目つきの鋭い求道者みたいだ(実際の荒川博は中小企業の課長みたいな人)とか、貞治が甲子園から凱旋してくる小さな小さな「上野駅」(どこのローカル線だよ)とか…いろいろとツッコミどころは満載。

王仕福が日本にやって来た背景とか、戦後の中華民国と中華人民共和国の政治的対立とか、そういう生々しいところは描かれていない。もっと詳しく描いてもよかったかな、とも思う。でもなぜか私は観ているうちに涙が滲んできた。国籍のはざまで揺れ動く王仕福。家族を愛して止まない王仕福。望郷への想い断ちがたい王仕福…お涙頂戴のホームドラマと言ってもいい映画なのだが、とても暖かい気持ちになる映画。興味があれば是非ご覧あれ……と言ってもDVDを入手するほかにまず観られる機会はないけど(苦笑)

今年の一本目…

下高井戸シネマにて『長江哀歌』(2006中国)を観る。

三峡ダム建設工事が進む三峡の街にひとりの男がやってきた。山西省からやってきたハン・サンミンは、16年前に別れたきりの妻子を探している。船から降りると同時にマジックショーの呼び込みに引きずり込まれたりする。バイクタクシーの男に連れて行かれた住所は、もうダムの底に沈んでしまっていた。男はサンミンを住民管理局に連れて行ってくれたが、役所は立ち退き騒ぎで苦情を言い立てる住民でごった返していた。

サンミンは安宿に腰を落ち着けるが、そこでマジックショーの呼び込みをしていたチンピラ、マークに出会う。マークは香港の映画スター、チョウ・ユンファに憧れて真似ばかりしている脳天気な若者。サンミンとはなぜか気が合う。翌日からサンミンは解体工事の職を得て、三峡ダム工事で立ち退きとなった建物を壊してまわる。義兄に会って妻子の行方を尋ねるが、南方で働いているというだけで会うことはできない。

またひとりの女が三峡にやってきた。女の名はシェン・ホンといい、彼女もまた山西省から2年間音信不通の夫グォ・ビンを探しにやってきた。シェン・ホンは夫の友人のワン・トンミンに会い、グォ・ビンの行方を尋ねるが、夫の携帯電話は電源が切られていて会うことができない。親切なトンミンはいろいろとシェン・ホンの世話を焼いてくれるが、何だか奥歯にモノが挟まったような感じ。しがない工員だったはずのグォ・ビンは何故かダンスホールを経営しており、どうもその経営者の女と関係があるらしいことがわかる。

サンミンはようやく妻のヤオ・メイと会うことができたが、ヤオ・メイはもう山西省に戻る気はないようだ。もともとふたりは売買婚で結ばれたので、ヤオ・メイのほうは愛情も何も薄れ切っていて、サンミンの気持は通じない。シェン・ホンもグォ・ビンと会うことができたが、彼女はグォ・ビンと別れて新しい恋人と上海に行くことを告げに来たのだった。

山西省から来たふたりの男女は、三峡の街でそれぞれの愛情を清算しふたたび新しい人生を歩み始める。マークはケンカであっけなく殺され、安宿の主人は立ち退きで橋の下に居を移した。古いものが壊され新しいものが造られ、人々は散り散りになっていく。そして二千年の歴史を刻む三峡の街もまた、もうすぐダムの底に沈んでいく。

滔々と流れる三峡の風景と、瓦礫と化した住宅の残骸。黙々と解体工事に励む労働者たち。役所から有無を言わさず立ち退きを迫られる人々。商魂逞しくのしあがる人々。現代中国社会を淡々と描写しながらこの映像美は素晴らしい。ロングショットも退屈さを感じさせずむしろ画面に惹き込まれてしまう。静かにしみじみと心に残る映画だった。それにしても四川訛りの中国語の凄いこと。発音も四声も標準語からほど遠い。

質の良い映画を上映してくれる下高井戸シネマだが、この日はお年寄りが大挙押しかけて満員御礼になってしまった。お年寄りが興味ありそうな中国映画がシニア料金で…ということもあったのだろう。補助席まで出していたが、お年寄りが補助席に座っていると、席を譲ったほうがいいのかどうかが気になってしょうがない。結局譲らなかったけどネ…これから老人にも気を遣って映画を観にゃならんのかなあ…嗚呼、老人大国(苦笑)

さて今年はどれだけ映画を観ることができるかな…昨年も正月に映画を観て以来、ほとんど観ることなく終わってしまったし…

掃溜めに鶴

長野から上京した千曲川さん曰く。浅草名画座で『日本大侠客』(1966東映)を観たい。しかしこの映画館には行ったことがない。それに場所が浅草でしかもヤクザ映画である。女ひとりで行くのがちょっと怖いからつきあってはくれないか云々。

友人であり、彼女の東京の保護者でもあるサワコさんも同道くださるということだが、なんといってもここは浅草名画座。ふたりといえど、妙齢の女性だけで行くのは危険(笑)。相も変わらぬ彼女の趣向はさておき、私も案内人として浅草に出向くことにした。

浅草の匂いをプンプン漂わせるオヤジたちは、千曲川さんの存在に気づいて、みな意外そうな顔をする。なかにはニヤリ、と相好を崩すオヤジもいる。緊張気味の千曲川さんは何も気づいていない。私とサワコさんで顔を見合わせて苦笑い。掃溜めに鶴というかなんというか。恵比須ガーデンシネマに浅草のオヤジがひとり紛れ込んだと言えば、例えが適切かどうかよくわからないのだが、おわかりいただけるだろうか。まあそういうことです。

ここは相変わらず奇声独言飲酒喫煙なんでもありの映画館。それでも愛して止まぬ岡田英次が登場するやいなや、千曲川さんは身悶えしつつ、拍手はするわ椅子から身を乗り出して画面を凝視するわ…千曲川さん、入れ込み過ぎです。まあ、なんでもありだからいいのか。それにしても刺客の岡田英次、明治時代なのに着流しで労咳病みときたもんだ。おまえは平手造酒か。

ところで『日本大侠客』だが、鶴田浩二、藤純子、大木実、近衛十四郎、木暮実千代、岡田英次、内田朝雄、河野秋武…東映仁侠映画の常連から、フリーの名脇役まで見応えのある映画だった。情念の脚本家・笠原和夫の筆も冴えている。スクリーンを観ながら、これはヤクザ映画っぽくないなあ、と思う。なにしろ鶴田浩二演じる吉田磯吉は、ヤクザでもなんでもなく、沖仲仕たちからアニキと慕われる、キップの良さと人の良さが売り物の、北九州若松の料亭のボンボン。まあ最後は大木実、岡田英次たちと、悪役内田朝雄の屋敷に殴り込みに行くんだけどネ。

左巻き評論家風に書けば、非搾取階級である港湾労働者たちが、かれらから不当に搾取する資本家(ヤクザの内田朝雄たち)および資本家と癒着する官吏(柳川某という代議士だが、内田朝雄と義兄弟という設定)の横暴に耐えかねて、資産階級でありながら、無産階級に正しく転向した革命の英雄=鶴田浩二のもとに一斉蜂起、悪の資本家と腐敗した官吏は打倒される、という映画。惜しむらくは、鶴田浩二以外の脇役に、革命理論と主体性が缺如している(笑)。

プロレタリア映画として問題があるとすれば(なんだそりゃ)、資本家である内田朝雄たちは実は一幇流氓(ごろつき)であり、かれらは別の資本家(企業)の弱腰につけこんで、利権を一手に握ろうと画策し、自分達と癒着している官吏に裁定を仰ぐ。当然、官吏は一幇流氓に有利な裁定を降し、別の資本家(企業)は権力には逆らえない。という設定。最終的に、資本家のなかに一幇流氓と企業、つまり悪役とそうでないのがおり、悪の資本家である一幇流氓は打倒されるが、資本家そのものである企業の反動性は糾弾されない。このへんの描写がプロレタリア映画(違うって)としては詰めが甘い、と批判されても然るべきである(何が「然るべき」だ)。資本家はなんであれすべて反動である。このあたりを徹底的に改良すれば、無産階級の正しい指導につながる作品となったであろう。そして(以下、省略)

かつてのソ連や中国ならけっこうウケたんだろうなあ。それにしても藤純子の艶やかさったら、ない。

笠原和夫も、この作品はあまりやくざ映画っぽくない、という指摘に答えて、次のように述べている。

笠原「だから、どちらかというと西部劇ですよね。西部の流れ者がある町にやってきて、家族をつくって牧場を開いたら、そこにインディアンが襲ってきて必死に守るという、そういうスタイルですよね」(『昭和の劇;映画脚本家 笠原和夫』太田出版, 2002)

上映後、伝法院沿いの煮込み通りで酎ハイ片手にバカ話。東京の保護者たる私とサワコさんで、長野に岩波ホールならぬ千曲川ホール(時代劇専門館)を開きなさいとけしかける。まずはこういう手順でこことあそこに渡りをつけて、それからどこそこに話を持ちかけて…他人のことだから言いたい放題である。

つくばエキスプレスで秋葉原に出て駅前のメイド服のオネエサンを見物し、山手線で目黒に出てサワコさん御推薦の沖縄料理屋で飲む。オリオンビール、泡盛を飲み、ゴーヤチャンプル、ヒラヤーチ、ラフティー、豆腐よう、島らっきょうをつまみにふたたびバカ話で夜が更けた。

植木等のいない世界

植木等死去。合掌。
植木さんやクレージーキャッツのナンバーでは『だまって俺について来い』(そのうちなんとかなるだろう〜♪)が大好きでした。あの突き抜けるような明るさこそ、昭和という時代の輝きだったのではないだろうか。谷啓、犬塚弘、桜井センリのみなさんには、まだまだお元気でいてほしいものです。
ああ、明日から私たちは、植木等のいない世界を生きるのですね。