日々の戯れ
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今年も国際ブックフェアに行ってきた。筑摩書房のブースで大量に本を仕入れたりしてブラブラする。「今日は我が社の本が2割引でーす!」という声があちこちから聞こえてくる。再販制なんか止めればいいのに…
仕事を終えた友人一家と落ち合い国際会議場を後にしてお台場へ向かう。なぜ私たちは夕暮れのお台場へ向かうのか?それはそこに等身大ガンダムがいるからだっ…て別に私はガンダムには何の思い入れもないのだが(笑)
いつの間にか小学生になった友人の息子トシ君は、成長した分だけ私に対して素っ気ない(苦笑)まあそんなもんだろうな。
「おまえガンダム知ってるのか?」
「…知ってるよ」
「好きなのか?」
「…別に」
「…(苦笑)」
それに対して妹はいつのまにかお喋りで勝ち気な子どもになっていた。
「ガンダムかっこいいよ! ガンダム大きいネ! ガンダムこわい!」
とてもかわいいんだけど…絶対わかってないな、まあまだ赤ん坊同然だし。
友人たちの晩餐にヘンなオヤジが紛れ込んでワイワイ騒ぐ。トシ君がクワガタムシやカミキリムシの話をしてくれたので、虫取りの裏技をいろいろと教えてあげた。オジサンたちは子どもの頃に大きなヘビを捕まえて遊んでいたんだぞ、という話をしたら「…ヘビ、こわい…」と怯えていた。わはは、やっぱり子どもだなあ。オジサンはホントはバカなんだからね。新橋駅でトシ君と仮面ライダーごっこをしたら息があがる。うーむ…
別れ際、トシ君が手を振って「オジサン、また来てね!」と言ってくれた。
私も手を振って「おお、オジサンはまた来るぞ」と挨拶をかわす。
うん、おまえはいいヤツだ(笑)
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古雑誌をパラパラめくっていたら携帯電話の予測についてのコラムを見つけた。タイトルは『ポケットベルの普及と自動車用電話の出現、携帯電話の時代はいつくるか…』、掲載誌は『ブルータス』1巻9号(1980.12.1)、署名はSF作家の高斎正。今から29年前のコラムだ。
自動車電話が普及し始めたこと(当時としてはまだ高額であるが)から始まり、かつてはオープンリールを使っていた録音機も、煙草の箱くらいのマイクロカセットレコーダーにまで進化・小型化した経緯を述べ、そして電話機もやがて小型化=携帯電話へと進化していくだろうと筆を進める。いくら小型化するといっても実用に堪えない形状では意味が無い。
「人間の耳と口の距離はほぼ決まっているから、携帯電話のイヤホンとマイクを別々にするならともかく、扱いやすい一体式にするなら、大きさは自動的に決まってしまう。使う時には大きく携帯時に小さくとなれば、折畳み式であろう。ロングサイズのたばこの箱くらいの大きさで、ポケットベルと同様に、アンテナなしでも呼び出しを受けることができる。(中略)マイクとスピーカーが口と耳の間隔にセットされ、中央部にカード電卓のようなプッシュホンの押しボタン式ダイヤルが現れる」
まあ、ちょっと人間工学をかじった人ならこれくらいのことは予測できたのであろうが、実に卓見である。さらにここがSF作家たる所以なのだが、価格も一般大衆が使えるほど安価になる、と論じたうえで「そうなれば一億総背番号ならぬ一億総電話番号という時代だ」「これは便利な機械であるが、ポケットベルでさえ、会社や家庭に縛りつけられていると感じている人には、人間の自由を束縛する機械が、一段と進歩したと感じるかもしれない」と断じている。これもジョージ・オーウェルの『1984』や筒井康隆の『48億の妄想』に代表される衆人監視社会の現実化である。
しかし高斎正の予測がほぼ的中した現在「人間の自由を束縛する機械が、一段と進歩したと感じる」人はどれだけ生き残っているのだろうか。さすがに携帯電話が「ただの電話機」ではなく「電話機」と「メール」「写真・動画撮影」「動画受信・配信」「ビジネス」までを包括したモノにまで進化するとは彼も予測できなかっただろう。ここまで携帯電話が進化すると「人間の自由を束縛する機械が、一段と進歩したと感じる」モノよりは「自由を束縛されてまでも使わざるを得ない」モノになりつつある。
人は携帯電話など使わなくても生きていけるんだけど、今の時代、携帯電話を持たないことは「社会とつながることをあるていど拒絶する覚悟」が必要になる。ま、自由のためにはそれなりの「覚悟」が必要なんだよね。自由のためにそんな「覚悟」をするよりは、携帯電話で縛られているくらいのほうが心地良いわけで、現代人の言う「自由」なんてそんなものなんだろう。
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電車の中で知り合いの女子大生が忙しそうに携帯電話をいじっていた。一段落したところで彼女が私に気づいて挨拶、しばし雑談しているうちにカバンの中から別の携帯電話を取り出してメールチェック。
「携帯電話2台も持っているの?」と言うと「サークル用とプライベート用ですから(笑)」だそうです。だめ押しは「○○ちゃんは3台持ってますよ(笑)」なんでそんなに使い分けるんだあああ?
理由を聞けば、ああなるほどねえ〜とは思うが、サラリーマンが業務用携帯電話とプライベート携帯電話を持っているのと同じようなものか…電話といえば黒電話にピンク色の公衆電話(青と黄色もあったナ)という私のようなオジサンにしてみれば、携帯電話なんぞ1台あればじゅうぶんなのだが、携帯電話文化の彼女たちにしてみればそれがかえってウザイのかも? 安く揃えられるということも背景にあるのだろうけど、なんとも理解しがたい。
携帯電話が爆発的に普及してあっという間に日常と化したここ10年、実は携帯電話文化とはそれまでの日本社会を隔てる凄い文化なのではなかろうか。
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忌野清志郎逝く
…私と同じように、授業を抜け出し屋上でトランジスタラジオを聴き乍らタバコを吸って青空を見上げたかつての高校生はどれくらいいるんだろうなあ。
クライスラー経営破綻
…私と同じように、ニュースを耳にして「それでは試験にクライスラ〜♩」という小林旭の歌を連想した人はどれくらいいるんだろうなあ。
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今日は朝から電車が急病人発生ということで大混乱。具合悪かったら休めばいいのにねえ。と言っても休めない用事があったのか。健康あっての人生だ。私も肝に銘じよう。健康のためなら死んでもいい(笑)
午後から都内へ出張。車内で岡本薫著『世間さまが許さない!』(ちくま新書)を読む。これ、すごい面白い!読み終わったらまたレビュー書こう。帰りは都心から郊外へ帰宅。それほど混雑していなかったのが幸いか。
ひさしぶりに明るいうちに駅に着いたので景気づけ?に立ち呑み屋で酎ハイを呑み、古本屋で河野典生の短編集を見つけたので買う。『街の博物誌』『緑の時代』なんか高校生の頃よく読んだなあ…
村上春樹の『1973年のピンボール』を読みたくなったのだが、たぶん家の何処かにあるはず…探して読むか、買って読むか…悩むところである。
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イチローが張本勲の持つ通算安打記録を抜いたニュースを伝える毎日新聞のスポーツ面。囲み記事の中にいかつい顔でバットを構える張本勲の写真に注目。ちゃんと東映フライヤーズ(現在の北海道日本ハムファイターズ)のユニフォームを着ている。袖に輝く東映の三角マーク! ジャイアンツの張本じゃなくてフライヤーズの張本であるところはまったく正しい。毎日新聞の慧眼であろう。
三遊亭圓丈のドキュメント落語『悲しみの大須』を聴いた。マクラで今は無くなった寄席、人形町末広について「良い寄席でしたねえ〜…夏暑く冬寒い…秋には便所でコオロギが鳴く…自然がいっぱいで、まるで大草原の小さな寄席」…しみじみとおかしくて笑ってしまった。ああ、大須演芸場に行かなくちゃ…
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こんな夢を見た。
学生時代の友人と古く大きな旅館に泊まっている。旅館は江戸時代に建てられたもので、私たちが寝泊まりする部屋は天井が高く梁がむき出し、外は曇天で部屋の中は薄暗い。明日は出発しなければならないので、時刻表を広げてどの路線で東京に戻ろうかと思案中。
私たちはどうやら新潟と福島の県境辺りにいるらしく、磐越西線か只見線で会津若松経由で郡山に出ようかと話し合っている。よくよく時刻表を眺めると見知らぬ路線が掲載されていた。「練馬鉃道? しかも練馬鉃道の終点は哈爾濱(ハルビン)って…これは国際列車?」面白そうなので友人と練馬鉃道の駅に行くと峻険な山の向こうからやってきたのは旧型の西武線車輛。ふたりで黙ってロングシートに座って揺られていると、車窓から見える風景は一面の雪景色でしかも吹雪がひどくなる。
「みなさん、これからどちらへ向かわれるんですかあ?」レポーターの若い女性がマイクを向けてきたので驚いて見ると、『グッドモーニング』(1980年代半ばに放送されていた深夜番組)の司会をしていた大島智子だった。「ええ、これから東京に戻ります」と答えると車掌が「この列車は東京には行きませんよ。ところでみなさんパスポートはお持ちですか?」と言うではないか。そんなものは持っていないと答えると、とたんに嶮しい顔になり携帯電話で「3号車に不正乗車、ただちに下車の措置をとります」とどこかに通報される。
いつの間にか列車は駅に停まっていて私たちは降ろされた。走り去っていく列車を見送ってふと周りを見渡すと、そこは一面のススキの原っぱで空は真っ赤な朝焼け(夕焼け?)。レールと枕木がゆらゆらと動いていて線路はまるで巨大なムカデのようだ。友人は何処かに行ってしまったらしく私はひとりになっていた。崩れそうな駅舎から駅員がこちらに向かって歩いてきたので顔をみると、私が幼い頃に亡くなった祖父…というところで目が覚めた。
フロイト好きの人がいたら勝手に分析してください(笑)
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佐渡のトキ保護センターで孵化したトキが自然に放されて暫くたつ。関係者は雄と雌の自然交配を期待していたのだが、雌が新潟県外にまで飛んで行き、雄はずっと県内にとどまっている。このままでは直近の自然繁殖は難しいとやきもきしているらしい。
だいたい自然繁殖可能な個体数が少なすぎるんだろうね。県北には冬になるとシベリアからたくさんの白鳥が飛来して越冬する。実家の近所でも田んぼにたくさんの白鳥が飛んできてエサをついばんでいる。それくらいの個体数がいないと自然繁殖はできないだろうなあ。
「新潟では杉と男は育たない」というのは、新潟県民なら誰でも知っていることわざ。雪が降り続く冬の期間が長く、寒く陰鬱な曇天のせいで極端に日照時間が少ない土地では杉の木は育たない。農業が盛んな新潟では農家の長男がだいじにされ、その一方で次男以下は家を出されて県外に出て行く。だいじにされた長男はたいがいダメ男で働き者の女房が家を維持する、ってのを自嘲気味に揶揄したことわざだろう。
今頃新潟では「新潟ではトキの雄も育たない」と言われているはずだ(苦笑)
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冷たい風がぴゅーっと吹いて、物干竿が、こう、カラカラカラーンッと回ったりなんかいたしまして…とは古今亭志ん生の『富久』のマクラだが、年の暮れともなるといやあ寒い寒い。今日は旧暦(農暦)の大晦日、やっぱり旧暦ってのは確かなものだと実感。やっぱり歳末と新年ってのはいちばん寒い時期なんだ。『富久』に出てくる幇間の久蔵が、芝のあたりで火事だ、こりゃ旦那の一大事ってんで、浅草三軒町から芝久保町まで夜道を走りに走るときの寒さの描写、こりゃ今頃のことなんだなあ。おお寒い寒い。明日は元旦だから朝からお屠蘇なんか頂いて家でゆっくりしたいねえ、できないけど(笑)
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うすらぼんやりとしているうちに2008年も暮れようとしている。
今年の反省
殆ど映画を観なかったなあ・・・来年は月に1本くらいは映画館に足を運ぼう。
あまり本を読まなかったなあ・・・来年は週に1~2冊くらいは読もう。
じっくりと落語を聴く機会を持たなかったなあ・・・来年は月に1回くらいは落語会に行こう。
来年の抱負
JR東日本完乗を目指したいなあ・・・青森~岩手はやっぱり遠いよ。
台湾鉄路林口線と花東線の旧型客車にも乗りたいな。
・・・ってもちろん仕事はちゃんとやります(笑)
みなさまよいお年をお迎えください!
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ウガンダ共和国
首都:カンパラ
人口:2,640万人
公用語:英語、スワヒリ語
ウガンダといえばアミン大統領。いやあ日本でも吹き荒れましたねえ、アミン旋風。何しろ「食人大統領」「黒いヒトラー」の異名を持ち、2m近い巨漢でヘビー級ボクサーという経歴の持ち主。恐怖の独裁政治で反政府勢力を殺しも殺したり推定30万人というから凄い。
アントニオ猪木と異種格闘技戦を行うという話もあったが、残念ながら政変でお流れになってしまった。まさかマジだったわけじゃないだろうが(だったら凄い)ファイトマネーは欲しかっただろう。
ウガンダといえばウガンダ・トラ。今年惜しくも若くして亡くなられてしまったが、日本人にとってウガンダといえばウガンダさんのことだろう。さすがミュージシャン、ドラム叩かせたら一流だった。タイトなリズムとビートが凄くかっこよかった。『オレたちひょうきん族』で見せたマイケル・ジャクソンの『スリラー』が懐かしい。
うーん、日本人はウガンダに対する知識が無さ過ぎる! 何しろアミン大統領とウガンダ・トラだけじゃねー……ってそれは私!
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総武流山線といえば…私が大好きな江口寿史の出世作『すすめ!パイレーツ!』…「流山ルーキーズの巻」だ。パイレーツファンにはおなじみの犬井さんと猿山くんが列車のなかで『銀河鉄道999ごっこ』をしている。ちなみに犬井さんがメーテル役、猿山くんが鉄郎役です。
メーテル「次の停車駅は流山…人口十万一千人の小さな町」
鉄郎「流山…ずいぶんのどかなところだね……ねえ人びとが、みなこの列車を見ておがんでるよ」
メーテル「それはね鉄郎、この千葉県ではまだ列車というのりものがめずらしいの…人びとはみなこの列車を神ののりものだと信じていて一心におがむのね」
そして熱血エースの富士一平くんが、いつものようにあきれてツッコミを入れるわけです。
大人買いしちゃった『すすめ!パイレーツ!完全版全4冊』
もうひたすら可笑しくて(笑)懐かしくて(涙)…
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実家に数日いるとヒマになる。滅多に握らぬハンドルを操って気ままなドライブに出かけるのだが、だいたい行き先は決めずにブラブラ彷徨うことが多い。
国道290号線を走っているうちに、新潟ロシア村の看板が目に入った。そうだ、新潟ロシア村に行こう、といっても閉鎖されてるから途中までしか行けないが(笑)
田んぼの畦に車を停めて外に出た。
暮れなずむ山の上に何か異形の塔が見える。
おお、ロシア正教会!
ここが新潟ロシア村の入り口だがすぐに鉄門に阻まれてここから先へは行けない。
徒歩なら乗り越えて行けるのだがそんな酔狂なことはしません。謎のロシア兵に拉致されるかもしれないし(笑)
ちなみに新潟ロシア村は「休館」だそうです。いつか再開されるのかな…まあ絶対ないだろうが…
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ここは川崎コリアンタウン、決しておとぎの國じゃない。韓國といえば竹島問題が熱い。文部科学省が学習指導要領で「竹島は日本固有の領土と教えること」とぶちあげちゃったから大変だ。韓國の人達が一気にヒートアップ。韓國側では竹島を独島(トクト)と呼んでいる。ここには韓國兵も駐屯していて事実上、日本人なんか誰もいないじゃないか、古来よりここは韓國領土なのだ、と熱く主張してやまない。漁業権なんかもあるだろうから領土ならぬ領海争いもなかなか難しいものだ。さて地図でこのあたりを眺めてみると朝鮮半島と北九州のだいたい真ん中くらいに対馬があって、さらにその北東に竹島がある。國境線を挟んで鬱陵島があるから、見た目はバランスが取れていて、竹島は日本でいいんじゃないかなあ、などと思う。ところがダメなんです。独島なんです。そもそも日本海も“日本海”じゃなくて”東海(トンヘ)”なんです。中國も韓國も北朝鮮もそこを日本海と呼ぶのが許せない。まあそうだろうなあ。
でも韓國でもつい最近までは日本海と呼んでいたんだ。1991年に韓國と北朝鮮が同時に國連に加盟してから「國際的な海に特定の國の名前を使うのはおかしい。だから日本海と呼ぶのはおかしい。変更してくれ」と言い出した。その後も國際会議などで侃々諤々の議論もあったけど、長い間通用してきた名称だからこのままでいい、という意見が圧倒的。これで韓國と北朝鮮が怒った。でも韓國は”東海”を主張しているのに、北朝鮮では”朝鮮東海(チョソントンヘ)”とか”朝鮮海(チョソンへ)”がいい、と足並みが揃っているようで揃っていない。反日抗議では負けていない中國も日本海って言ってるし、ロシアはイポンスカエ・モーリエ(日本海)って言ってるし、韓國は東シナ海に対しては何も言ってない。まあ早い話が”日本海”じゃなきゃいいんだろう。
ところで私が初めて國境を見たのは1980年代の中國でのこと。長春から夜汽車に乗って明け方に到着したのが図們という街。ここは吉林省延辺朝鮮族自治州というだけあって北朝鮮と國境を接している。そして図們の街は図們江の畔にあって川の向こうは北朝鮮なのであった。初秋の青空の下、小高い丘に登ると対岸に南陽(ナムヤン)という埃っぽい街が見えた。丘の上には黄色い朝鮮牛が草を食み私を見つめてモオーッと鳴いた。図們の街の食堂でカルビクッパを食べているとき、店員のお姐さんが「そうよ、あたしの伯母さんが北朝鮮に住んでいるの」と話してくれた。隣のテーブルのオッサンは「おお、親戚がときどき行商に来るんだ。でなあ、そいつがウチに居候してなかなか帰らないんだ(苦笑)…中国は豊かだって言ってな」という話をしてくれた。川の向こうに外國。柳ジョージじゃないけれど”フェンスの向こうのアメリカ”を実感した21歳の秋でした。
その後、ハルビンから汽車に乗って汽車に乗ってバスに乗って、大興安嶺を見上げつつ”満洲”の大平原を走って着いたところが黒河という街。ここは黒龍江(アムール川)の畔にあって川向こうはソ連(当時)のブラゴベシチェンスクという國境の街。ほんと多摩川の下流域くらいの川が流れるその向こう岸に、けっこう大きな街があり人々が歩いたり車が走るのがはっきり見えた。食堂で固いパンと濁った珈琲のようなものと格闘しているとき、ウェイトレスのオネエチャンが「冬になると川が凍っちゃうのよ、歩いて渡れるわ、もちろん渡らないけどね、国境警備隊に撃たれるのはイヤだし(笑)」などと話してくれた。川の水に手を浸したらきりりとした冷たさを感じた、なんとも呆気ない國境体験。暫しぼんやりと感慨に耽る21歳の晩秋でした。
図們の街のはずれに國境を結ぶ橋がある。橋の中央までは歩いていくことができる。それでも北朝鮮側の橋のたもとには朝鮮人民軍兵士が銃を提げて立っている。ギリシャ映画の巨匠テオ・アンゲロプロス監督の佳作『こうのとり、立ちずさんで』の主人公のように、國境の橋の中央で”こうのとりのポーズ”をとってもよかったかな? でもその頃はまだこの映画は制作されていなかった…
竹島が日本じゃなくてもよさそうなものだけど、領海くらいは確保してほしいもの。北方領土だってロシアがどんどん日本の痕跡を消していく。絶海の孤島の沖ノ鳥島だって、中國が「領土であることは認めるが経済水域とは認めない。だって島じゃなくて”岩”じゃねーか」と主張して、石原慎太郎が怒っている。ここはひとつ韓國を見習って駐屯地にすればいいのかも。あ、その前に土木技術の粋を尽くして埋め立てて広げなくちゃいけない(苦笑)…アメリカが何か言ってくるかもしれないけれど、ここはひとつ無視を決め込もう。だってあいつらから見たら日本も韓國も中國も臺灣もみーんな”アジア”なんだから。
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帰宅途中で横断歩道を渡る。旧街道なので道は狭いのだがそれでも交通量は多く、夜ともなると車やバイクがけっこうなスピードですっ飛んで来る。
今夜は私の前を若い女の子がケータイから目を離すことなく歩いていた。彼女は横断歩道に近づいてもまったく左右を見ないまま道路を渡り始めた。左右から車が走って来た。私は慌てて歩行者用ボタンを押した。幸いすぐに信号は赤に変わり車は停車。その間彼女はケータイからまったく目を離すことなく俯いたまま道路を渡って行った。おいおい危ないよお。もう危険探知能力が欠落してるのかね…この類いの話をしていたら同僚が言った。
「若い子だって危険探知能力は持ってますよ…ただそのレーダーの感度は自分たちの好悪に及ぶレベルが最優先なんですよね…あのオヤジ、キモイからヤダとか、あいつウザイから近づかないとか、そういうことなんですよ…自分の心地よい時間や空間を侵すモノに対してはすごく敏感なんですよねー」
ふーん、そういうものかもしれないなあ…若い頃ってそうかもしれない。でも今夜のあの子は絶対違うなあ。目の前で人が車にはねられるのは見たくないけど、ケータイとデジタルヘッドフォンステレオで完全武装したヤツらがウジャウジャ歩いているのを見ていると、いちいち気にしてなんかいられないなあ。ふう、くたびれたっ、と…
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昨日はいろいろとヤボ用があって出かけていたのでくたびれてしまった。ラーメン食べて帰宅して珈琲をすすり乍ら「特急きらきらうえつ号」運転室展望映像DVDを観る。
「特急きらきらうえつ号」というのは新潟から城下町の村上、鶴岡を経て酒田まで行く特急列車、いつか乗ってみたいと思っている特急列車なのである。今日は新潟駅を出発して白新線を下り新発田を通過してから羽越本線に入り村上駅に到着したところまで観た。こんどは村上から笹川流れを通って酒田へ到着するところまで観よう。
いやあそれにしても面白い面白い。羽越本線は単線と複線が目まぐるしく交錯するので実に面白いのである。といっても興味のない人にはナンダカワカンナイですね、ハイ(笑)
明日は朝から大荒れの天気だそうな。出勤したくないなあ…
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午後から用事があって都内へ出かけた。用事を済ませてから、ふらりと地下鉄に乗って日比谷線の霞ヶ関駅で降りてみる。
1995年の今日、日本を騒がせていた新宗教の教徒が撒いた劇薬のせいで多くの人が傷つき亡くなった。あの日、私の職場のアルバイトの学生が「父が日比谷線で通勤しているので心配です…」と家に電話していたことを思い出した。
寒の戻りか、冷たい雨と北風の吹く春分の日。霞ヶ関駅のホームにはサラリーマンやOLの姿は少なく、嬌声をあげる若者とゲームボーイに興じる中学生がちらほら。
奇妙に乾いた熱狂の世紀末から夢の21世紀へと時代は移り変わった。地下鉄に劇薬が撒かれても、大地震が起こっても、餃子に農薬が混入されても、西藏で僧侶が殺されても、それでもいまのところ地球は回っている。
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週末に【オールナイトニッポン40時間スペシャル】が放送されるとのこと。気になるパーソナリティだが、ニュースによればこのようになっている。
23日(土)
13時 ビートたけし
15時 あのねのね
17時 松任谷由実
19時 松山千春
21時 ゆず
23時 福山雅治
25時 ナインティナイン
27時 メール紹介
24日(日)
5時 南こうせつ
7時 イルカ
9時 三宅裕司
11時 笑福亭鶴光
13時 タモリ
15時 吉田拓郎
17時 所ジョージ
19時 メール紹介
20時 小泉今日子
22時 ウッチャンナンチャン
24時 メール紹介
25時 aiko
27時 エンディング・名場面集
まずはアンニュイな昼下がり、私たち世代のヒーロー、ビートたけしから始まるとは、この三国一の幸せもの! コマネチ! アンドリアノフ!
あのねのねでつないで、夕方はユーミン〜千春が台所の奥様たちのハートを釘付けだ。このころになると四十代〜五十代は風呂に入ったり寝たりするので、三十代向けにゆず〜福山雅治〜ナインティナインか。
翌日は朝早くからこうせつのおいちゃんにイルカの母さんと来たか。朝早そうだし…お昼をはさんで三宅裕司〜笑福亭鶴光〜タモリってのもなあ…まあみんなお年だしね。タモさん何をやってくれるんだろう。「ソバヤ」とか「東天紅」とか「つぎはぎニュース」とか…やらないだろうなあ。「ソバヤ」くらいやってくれないかなあ。This is TAMORI show!
ティータイムには全国のオジサンたちが70年代のスター吉田拓郎に酔いしれ、80年代のスター、所ジョージ〜小泉今日子〜ウッチャンナンチャンと続く。四十代はお家でゆっくりラジオを聴き、三十代は街へお出かけなのかもね。
ラストの aiko という人、私はまったく知りませんが、四十代は明日に備えてすでに寝ているのでだいじょうぶ。
練りに練られた番組編成です。さすが。
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先月の中頃に、長年使っていた Macintosh PowerBook G4 が逝ってしまった。そろそろ更新時期かなあと思っていた矢先…しょうがないから生協のパソコン通のお姐さんに相談し、最新のMacBookを購入した。
まずはMacBookをセットアップし、それから旧機から取り出したHDDをUSBでつないでデータ移行。Outlookもバージョンが古くて使えない。どうしようかと考えたのだが、もともと持っていたニフティメールを使うことにした。これでいいじゃん。
いまのところネットもメールも使えるようになっている。変なところで設定漏れがあるかもしれないが、めんどうくさいから無視。何か発生したら対処するという、我ながら出たとこ勝負人生まっしぐらだ(笑)
それにしても最新の MacBook ときたら処理は速い、画面は綺麗、便利な機能満載と、いやはやなんともである。
正月に乗ったJR只見線キハ40系がうまくアップされているかな?
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早暁より雪紛紛。
自宅パソコン臨終のため暫しブログの更新あたわず携帯にて書き込み。今日は新しいMacBookの設定をしなくては……嗚呼めんどくさい(笑)
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休日出勤をしたので今日は代休。しかしまあよく働くなあ、と自分でも感心する…しかない(苦笑) 近所の病院へ薬を貰いに行くがけっこう待たされると思ったので、待合室で持参した堀江敏幸『めぐらし屋』(毎日新聞社)を読む。いやあ堀江敏幸の小説は心にしみるなあ。
夕方から渋谷へ出てブックファーストへ。東急Bunkamuraの近くにあった巨大店鋪から撤退してしまったのだが、地下鉄半蔵門線の出口…かつて旭屋書店があったところに移転していた。当然乍ら規模は小さくなってしまったが、それでもせいいっぱいの品揃えなのだろうなあ。
ブックファーストを初めに書店をハシゴして、笙野頼子『笙野頼子三冠小説集』(河出文庫)、川崎長太郎『抹香町』『もぐら随筆』(講談社文芸文庫)、田山花袋『温泉めぐり』(岩波文庫)、半藤一利『決定版 日本のいちばん長い日』(文春文庫)、唐沢俊一・岡田斗司夫『オタク論』(創出版)、畠山珠美他『図書館の再出発〜ICU図書館の15年』(大学教育出版)、松浦寿輝『半島』(文春文庫)、小島信夫『アメリカン・スクール』(新潮文庫)、高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』(河出文庫)、中島京子『FUTON』(講談社文庫)、日下三蔵『日本SF全集・総解説』(早川書房)、伊集院光『の、はなし』(宝島社)を購う。読んだことがあるものも、たぶん家にあるものも混じっているが、何処にあるのかわからないので探す手間を考えたら買ったほうが早いのである。まったくしょうがない(苦笑)
そのままHMVまで戻り、ジャズとロックとブルースのCDを購う。
『BILLIE HOLIDAY / JAZZ AT THE PHILHARMONIC』
『THELONIOUS MONK / GENIUS OF MODERN MUSIC VOL.1』
『SHEILA / SHEILA JORDAN & ARILD ANDERSEN』
『RY COODER / BOOMER'S STORY』
『RY COODER / BORDERLINE』
『ROBERT JOHNSON / KING OF THE DELTA BLUES SINGERS』
ビリー・ホリディ(vo)のCDは私が高校1年生の冬、隣町のレコード店で買った懐かしい懐かしい思い出のアルバムだ。そのときのLP版を今でも持っている。バック・クレイトン、ハワード・マギー(tp)、レスター・ヤング、コールマン・ホーキンス(ts)といった錚々たるメンバーによる、前半が1945〜47年、後半が1957〜58年のライブ録音。
セロニアス・モンク(p)のブルーノート盤も高校生の頃にLPで買ったのだが、しかしよくもまあ田舎の高校生が、こんなモダンジャズを喜んで聴いていたものだ。なんだか恥ずかしい…。
超がつく個性派歌手シェイラ・ジョーダンのアルバムは、大学生のときに中古盤で見つけて愛聴していたもの。北欧の名手アリルド・アンデルセンの深くて暖かいベースとのデュエット。ヴォイスとベースのデュエットとは思えないくらいの表現力に驚嘆。
ライ・クーダーの2枚も私の大好きなアルバム。いや、ライ・クーダーは私のモストフェイバリットミュージシャンなのですべて好き。それにしてもジム・ケルトナー(ds)は最高だ。
ライ・クーダーつながりでデルタブルースの巨人ロバート・ジョンソンを買う。かつて喫茶店で聴いて心が震えた。そのすばらしいギター奏法と引き換えに、悪魔に魂を売り渡したという伝説のブルースマン。女性問題で27歳にして毒殺されるという最期もブルースマンらしいです。1936〜37年の録音。
しかしまあ今年も進歩のない年であったことよ。来年こそ効率の良い仕事をして自分の時間を増やしたいと思う。といっても本を読む、寄席に行く、列車に乗る、酒を飲む…で終わる気がする……あ、そうだ。来年はいよいよ北京オリンピック開催じゃないか。しかしあの国でオリンピックなんて、いったいどうなることであろう。今からワクワクしますねえ(笑) 中国ウォッチャーとしては息の抜けない夏になりそうです。
今年もくだらぬ孤独な散歩者の戯言におつきあいいただき、管理人より皆様に厚く御礼申し上げます。年末年始は恒例の放浪&帰省のため、暫くここを留守にいたします。
来る年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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このあいだ広報室のA嬢とランチを食べ乍ら話をしていたときのこと。彼女が「図書館の事務室って、本だの雑誌だのたくさんの資料がゴチャゴチャ置いてあるんじゃない?」と言う。まあそんなデスクの人もいるけど(オレだ、オレ)、綺麗に整理整頓されている人もいるよ、と言うと、意外そうに「へえ?」と呟いた。「他の部署の人からも『広報室は散らかってるねえ』って言われるけどさ、資料あっての広報室だからしょうがないわよねー(笑)」とA嬢。それはよくわからないが、そういうメンタリティはよーくわかるぞ。
さて今年も大掃除をしなければならないのだが、ウチにもこの先読むあてもないであろう本が山ほどあるし、映画のチラシ、雑誌の切り抜き、聴くあてもないCDやレコード…はてさてどうしたものかなあ。台所やトイレ、風呂場、ベランダの窓拭きもしなければ…ああめんどうくさい。
最近読んだ本。
多和田葉子『容疑者の夜行列車』(青土社)を読む。舞踏家である主人公がハンブルクからパリ、ベオグラード、北京、ハバロフスク、ウィーンと列車に乗って旅をする。虚構と現実が入り交じった奇妙でシニカルな、それでいてどこか懐かしさを醸し出すロードノベル。主人公は夜行列車のコンパートメントに乗り合わせたさまざまな人々との出逢いと別れを繰り返す。夜明けの待合室で、夜更けのプラットホームで、主人公は人々と語らい、風景を眺め、珈琲を啜る。作者は“主人公”を“あなた”と呼ぶ。つまりこの小説は一人称ではなく二人称で語られる。読者は作者の手で“主人公”に仕立て上げられるのだ。
そして“あなた”は旅を続ける。言葉の通じない異国の街を、体制の異なる異国の街を旅する。なんとも新鮮なそして不思議な旅。ああ、私もこんな旅をしてみたい。しかしもともと人生はこんな旅とほとんど同義なのではあるまいか。旅をすることで“あなた”の座標軸は移動する。座標軸が移動するたびに、“あなた”を取り巻く世界は変わってゆく。そして変わらないのは“あなた”だけだ。それにしても夜行列車とは、なんと甘美な妖しい魅力を放つ乗り物であろう。
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鷲神社の酉の市に行ってきた。
参拝したあとで熊手の店を素見して屋台立ち並ぶ通りを散策。たこ焼き、お好み焼き、綿飴にベビーカステラと、まいどお馴染みの屋台のほかに、朝鮮半島系(トッポギ、チャプチェ)、中華系(焼餅、麻花、餃子、タピオカジュース)、その他タイラーメンにトルコのケバブと、なんだか日本の縁日も国際的になってきたもんだとつくづく思う。
私が始めてケバブの屋台を見たのは、たぶん90年代の始め頃、新宿は花園神社の縁日だった。ダボシャツ腹巻きステテコ姿のトルコ人の兄チャンが、のんびりした口調で「イラッシャイマセー、とるこ名物けばぶデース、イカガデースカ?」と商売をしていた。思えばあの頃、一獲千金を夢見て来日した外国人たちが、バブル崩壊とともに日本のあらゆる職業階層に食い込み始めたんだなあ。そんなことを考えた酉の市。
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深夜、金縛りに遭った。
ベッドの中で夢うつつだったのだが、突然両肩のあたりを凄い力で押さえつけられ、そのまま身動きできなくなった。「あ、あれー???」と思っているうちに、なんだかブツブツと呟くような声(のようなもの)が聞こえてくる。目を開けたら何かいるかもしれない、と思って目をつぶっていても、いっこうに身体は動かない。
ブツブツ言う声(のようなもの)は実は私の寝言かもしれないのだが、とにかくナンダカワカラナイ。正直言って「怖い」という感覚はなかったが、とりあえず南無阿弥陀仏などと唱えているうちに、すうっと身体が楽になり覚醒した。枕元のラジオからは深夜放送のDJの声が流れている。夢だったのか?
実は今夏、台湾で泊まったホテルでも金縛りに遭った。当時、台湾は中元節(この期間に祖先の魂が戻ってくる…お盆ですね)だったので、どこかの誰かが慌てて私のところにやってきたのかな? まあ、ふつうに考えて疲れていたからだろうと思っている。今回も病み上がりだし、ここんとこ体調弱りっぱなしだから、まあそういうことなんだろうと思う。
うーん、ナンダカワカンナイけどいい気分じゃないなあ(苦笑)
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近所の小さな八百屋でよく買い物をする。この八百屋は近隣住民にも重宝されているようで、バラックのように小さい乍らもしぶとく生き残っている。総じて下手な安売りスーパーよりもここの野菜のほうが美味しい。しかもこの店で野菜を買うと、オヤジが必ずアドバイスをしてくれる。
「このホウレン草もいいけど、こっちのほうが美味しいよ。こっちは今朝入ったばかりだし新鮮なんだよ。こっちがいいよ」
「ああっ、茄子かい、それならこっちのほうがお得だよ。甘味が違うよ、甘味が」
つまりこのオヤジはたいそう良心的なのであるが、ときどき変なアドバイスもしてくれる。今日はここで珍しく青唐辛子が売られていたので買ってみたら…
「ああ、それはネ、辛いよお、すっごく辛い。食べてみたんだけどさあ、いやあ辛かったア…外人さんは喜ぶんだけどネ、気をつけたほうがいいよ、日本人はなかなか食べられないから」
「ふうん…これ、ひょっとして韓国産?」
「ううん、青森産」
なんだそりゃ。
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梅雨明けしたとたんのこの暑さ。夏はこうじゃなくちゃ、と思う半面、あまりの暑さに悲鳴もあがります。今日は地元商店街の夏祭り、屋台に神輿に浴衣姿の人々が大勢、昼間から夜まで楽しげにそぞろ歩いておりました。夏だねえ。あまり暑いので私もしばらく旅に出てきます。
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先日、思いがけない人とひさしぶりに連絡が取れた。もう十年以上も音信不通だった大学の後輩である。音信不通といってもそれは単に私の筆無精のせいだ。
記憶のなかの彼女は、引っ込み思案でいつもクヨクヨしていて、おまえそれで将来だいじょうぶなのか?という感じの女子大生。それでも卒業後、ぶじに大手企業に就職して、結婚して子どもが生まれて…というところまでは、折に触れて知らせてくれていた。それが今では小さい乍らも会社をたちあげ、何冊か本も書いている。主婦で母親で社長でライターと、まさに八面六臂の活躍。すごいなあ、立派になったなあ、と素直に感心してしまった。
メールに「先輩とお話できたことが、大学時代の数少ない良き思い出です」と書いてあったが、お世辞だとしても、それはまたなんとも寂しい女子大生だな、オイ(笑)「こんど中華街で餃子でも食べるか?」と書いたら、すかさず「いつでもデートOK!」だと。よく言った!
こんなに立派になって先輩は嬉しいぞ(涙) …って、私のほうこそ将来だいじょうぶなのか(苦笑)
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新潟中越沖地震で被災した市民たちは、体育館やら病院に収容されているが、案の定暑くて暑くてたまらないらしい。アメリカからクーラーが届いたが、電圧やらなにやらが本国仕様なのですぐには使えないらしい。ちょっとは考えろよアメリカ。それでも贈ってくれたことには感謝しよう。
こんなことを言うのはナンだが、いまライブドアや村上ファンドがバリバリやっていたら、被災地にドーンと寄付して名をあげていたかもしれないな。ライブドアのホリエモンはともかく、村上ギョロ目は今でもかなりの資産家なんだから、ここらでひとつ大枚はたいてもらいたい。そうすりゃ心象も良くなると思うが如何? あとはハリー・ポッターを書いたローリングとかいうオバチャン、なんだかものすごく稼いでいるらしいが、日本でもかなり売れてるんだから、鼻紙代だと思ってどーんと寄付してもらいたい。
自然災害が起きると、大手の食品会社がおにぎり数万個だの飲料水数万本だのを無償提供するが、現物よりも現金を寄付してくれたほうが、被災者にとってなんぼか嬉しかろうと思うのは、私だけだろうか? まあ、実際には現金をどのように配分するのか、めんどうなこともあるから無理だろうが。
こういうことが続くようだと、ふるさと納税制度もあながちバカにはならないと思うな。少なくとも私は新潟に納税してもいいと思っている。
新潟平野が茹であがるような夏は、被災者にはかなりこたえるだろう。
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最近マイブームの食材。とはいえ折々このブームは来るのだが…
唐辛子はビタミンCをたっぷりと含んでいる健康食材なんですが、あの辛さがねー、という人も多いだろう。それでも辛くても美味しいからあたしはどんどん食べてしまう。ウチの婆ちゃんは唐辛子のことを「なんばん(南蛮)」と言っていたが、やはり渡来物だからなんだろうね。
ウチの近所で売られている国産の唐辛子は、そのほとんどが千葉産の細いやつ。辛いようであまり辛くなかったりもするが、他にないからしかたがない。地場ものとして、県内の農家が栽培・出荷している青唐辛子も安く売られているが、辛さはそれほどでもない。最近は甘辛ピーマンってのがあるが、これが美味しい。美味しいが、辛い。かなり辛い。甘いんか辛いんだかはっきりせい、という名前だが、かなり辛いので注意してください。ヒリヒリする辛さで、ちょうどハラペーニョ系統にあたるのかな。見た目は万願寺唐辛子みたいなんだけどね。ちなみに国内の唐辛子栽培の本場は栃木県大田原市だそうな。
新大久保の韓国市場では本場韓国産の唐辛子(コチュ)が手に入る。日本の唐辛子よりずっと大きいがしっかりと辛い。辛いだけではなく甘味もあり、あたりまえだが野菜なんだということを実感する。最近は比較的容易に手に入るのがハラペーニョ。最近は沖縄でも作っているようであるが、これもヒリヒリとしつつも爽やかな辛さが魅力。沖縄ったらハバネーロまで作っているが、これはさすがに買うのに躊躇する。何しろ世界有数の辛さという品種だからねー。前にも書いたが島唐辛子は小粒のくせに猛烈に辛い。東南アジアの唐辛子はさすがに入手する場所が限られている。タイの唐辛子ピッキー・ヌーなんぞは、新宿あたりの東南アジア食材店に行かないとないんだろうなあ。
乾燥唐辛子はいろいろと売られているが、実はそのほとんどの原産地は中国。韓国の唐辛子消費量は年間約20万トン!なのだが、国内生産高は約17万トンなので足りないんだそうである。だから中国に契約栽培させて輸入しているらしい。韓国の不足分を補ったあとの余りを日本向けに輸出しているので、韓国唐辛子という名前でも原産地は中国なのである。興味のある方は店頭で確認してみてください。モノの本によれば、朝鮮戦争のときに国内の唐辛子生産が激減して、韓国軍兵士の士気をあげるために、アメリカ政府が日本から大量の唐辛子を輸入したんだそうな。おかげで日本国内の唐辛子生産量は一気にあがったという。こんなところにも朝鮮戦争特需景気は波及していたのだなあ。
しかし中国産の農産物は農薬をたっぷり使っていそうだから、安くても食べたくならないのである。そりゃ現地に行けば食べますけどね(笑) あえて日本では食べたくない。埼玉とか千葉で栽培されている中国野菜(チンゲンサイとか空芯菜とか)のほうが安全である。でも四川料理や湖南料理はやたらめったら辛くて美味しいので困る。四川麻婆豆腐や宮保鶏丁(鶏肉とカシューナッツの唐辛子炒め)なんぞ、涙が出るほど美味しい。朝天品種の唐辛子の目が醒めるような爽やかな辛さがたまらない。私がたまに作る麻婆豆腐もどきは山椒の粉を入れる。こうすると唐辛子の辛さ(辣)と山椒のヒリヒリする辛さ(麻辣)が良い感じ。なんとなく本格中華っぽくなるので、一度お試しあれ(保証はしないけどネ)
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台風が何処かへ行ってしまったと思ったら、信越地方で震度6強の地震発生である。まったくあのへんはどうかなってるんじゃないだろうか? といっても私の故郷だからひとごとではない。幸い実家の近辺は震源地からは離れているので、被害はまったくといっていいほどなかった。とりあえず一安心だ。
柏崎市内は家屋が倒壊してだいぶ被害が出ているようだ。柏崎市内には知人の実家があるので心配。柏崎駅構内で、越後線の2輛編成115形電車がひっくり返っていたので驚いた。飯山線も篠ノ井線も運休しているし、信越地域の鉄道はほぼ機能停止状態。つたえつ姐さんや千曲川さんちはだいじょうぶでしたか?
独り暮らしの私の母に連絡が取れないと、都内に住んでいる叔母(母の妹)から電話があったが、こっちから連絡をしておいたからだいじょうぶだ、実家にはなにごともなかったよ、と伝える。すると叔母は安心したのか「ウチの猫ちゃんが死んじゃったの…もうがっくりしちゃったわよお」と愚痴を言う。ああそりゃたいへんだったねー。
ニュースを見ていたら、信越線青海川駅のホームのはじっこが大量の土砂に埋まっている。こりゃ復旧には時間がかかるかもしれない。日本海にいちばん近い駅として知られる青海川だが、あの味のある駅舎に被害がなくてほんとうによかった。まあ、あのへんは海岸ぎりぎりに線路が走り、線路と駅舎の背後には断崖絶壁という苛酷なエリアだからなあ。新潟県ならではの地形です。
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都内某所での会合の帰りに旧知の友人と新宿の台湾料理屋で会食。やさしいのどごしの台湾ビールを飲みつつ台湾料理を食べ、仕事の話や共通の友人の消息など話す。流行っている店らしく後からどんどん客が入ってきた。ほとんどが常連の台湾人らしく、あちこちで中国語と台湾語が飛び交っている。「ここは何処? 日本? 台湾? あたしは日本語が聞こえない環境なんて嫌だー(笑)」こういうのに馴れていない友人は目を白黒させていた。でも料理は美味しかったらしい。
午後からヤボ用があって横浜へ出る。用事を済ませてJR横浜駅まで来ると、駅前で選挙カーの上から絶叫している人がいる。そういえば選挙があるんだっけ、と思って傍を通り過ぎる際によく見たら、松あきらセンセイだった。この人、神奈川選挙区なんだけどよく知らないんだよねー。たしか宝塚出身じゃなかったかなあ…第二の扇千景センセイを狙っているのかな。
近所の青果店に行ったら台湾バナナがあった。フィリピン産やエクアドル産よりは高めだけど、台湾バナナが好きなのでたまに買う。気のせいか糖度が高くて味が濃いと思っているのだが、これも私の味覚だから怪しいものだ。最近はマンゴーがすっかりポピュラーになってしまい、手軽にマンゴープリンとかゼリーが食べられるので嬉しい。猛烈に暑い台湾の屋台で食べるマンゴーは、甘くてジューシーで美味しいのだ。
須田慎一郎『下流喰い〜消費者金融の実態』を読む。
東武線が営団地下鉄半蔵門線〜東急田園都市線に乗り入れを開始してから、半蔵門線の車内吊り広告に大きな変化が現れた、という指摘は興味深かった。簡単にいうと、消費者金融広告と多重債務者向けの司法書士事務所の広告が増え始めたのである。たしかに東武線直通電車とそうでない電車では車内吊り広告が違う。これらはあきらかに東武線沿線住民向けのものであり、東急沿線住民と東武沿線住民の所得格差を如実にあらわしていると言えよう。東武線はこの相互乗入れに対して大宣伝をぶったらしいが、東急線は直前までほとんど広報はしなかった。東武電車とともに北関東の貧乏人が、多摩川を越えてやってくるとでも思ったらしい。こういうセコいところは東急らしくて笑ってしまう。それはともかく、どんなに金に困っても、消費者金融から借りるのは絶対やめようと思った。なにしろいったん金を借りたら、理論的には完済不可能というから恐ろしい。基本は「生かさず殺さず」搾り取り、いざとなったら命を担保に生命保険でチャラ。 これは凄いルポである。嗚呼、怖い怖い。
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梅雨入り宣言も虚しくしばらく暑い日が続いていたけど、今日はしとしとと雨が降る日曜日。そろそろ梅雨に入ったかな。
今日の晩ゴハンはずいぶんひさしぶりにヤキソバにした。中華鍋でゴマ油を熱してザク切りのホウレン草と青唐辛子、島唐辛子を炒める。火が通ったところで皿にあけ、こんどはイカと海老の切り身を放り込み、オイスターソースとニョクマムで味を整える。ヤキソバを投入してまんべんなく炒め、しあげに皿にあけておいた野菜を入れ、中華鍋を火から降ろして香菜を散らして出来上がり。千曲川さんからいただいた『よなよなエール』を飲みつつ、汗をかきかきヤキソバを食べた。いつものようにテキトーに作る割には、まあまあいけるじゃねえか、と自画自賛。台湾の田舎町の屋台の味くらいにはなったと思う。BGMはマレーシアの歌姫ザレハ・ハミッド。
それにしても島唐辛子ってのは猛烈に辛い。大きさはやや大きめのピーナッツくらいで真っ赤なのだが、これがまた飛び上がるくらいの猛烈な辛さ。ガシガシと齧っていたら滝のように汗が吹き出てきた。これを泡盛に漬け込んだ調味料が、沖縄ではポピュラーな『コーレグース』だ。かつて日本では唐辛子のことをコショウと呼んでいたそうな。だから『コーレグース』とは『高麗胡椒』なのです。タイの唐辛子も小さなくせに激烈に辛い。これはピッキーヌー(ネズミの糞)という名前の唐辛子。小ぶりの唐辛子ほど侮れない辛さを持っているらしい。
あ、ヤキソバの写真撮るの忘れた!
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CDウォークマンが動かなくなってしまった。かなり使い込んだせいもあるのだろうが、それにしても最近の電気製品はダメだなあ。まあふだん聴いているのは音楽じゃなくて、中国語の教材(ラジオニュースとかインタビューとか)なんだけど。ヨドバシカメラでいろいろ物色していると、iPodというやつがあることに気がついた。そうかあ、これがあったかあ。
しかしよく考えてみると、iPod を使うにはウチのMacintoshを買い替える必要がある。いまだにOSは9.1 だし、起動中に突然画面が真っ暗になったり、液晶もガタついてきているらしい。やっぱり買い替えどきかなあ〜、でもそう考えたらなんかめんどうくさくなってきた。やっぱりCDウォークマンでいいや。だいたい私はパソコンが好きじゃないのである。メールやブログをやったり、いろいろ文章書いたりするから使っているのだ。
というわけで新しいCDウォークマンを買った。私が iPod を使う日は来るのか? それはいま使っているPowerBookが使えなくなったときだな。いや、待てよ、使えなくなったらデータの引っ越しとかできなくなるじゃないか。うーん、困ったなあ。
それにしてもインリン・オブ・ジョイトイは中国語が巧い、って台湾人だから当前。
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ある日突然ココログにアクセスできなくなっていた。なんでかなー、と思っていたらこういうことだった。
クレジットカードの有効期限が切れた → カード会社から延長手続き案内をもらっていたが忙しさにかまけて忘れていた → そのあとでニフティからクレジットカードが使えませんよという案内が来ていた → 忙しさにかまけて放ったらかしていたら、ココログに入れなくなった → カード会社に連絡して新しいカードを送ってもらった → ニフティサポートに電話して登録情報変更手続きをした → ようやく再開できた…なんともはやマヌケなことである。
これと平行して保険証が行方不明になってしまった。緊急に必要なわけじゃないが、この年齢になると必要になる事態は緊急にやってくるので、散らかり放題の部屋の隅から探索にかかった。ついでにゴミを選別して盛大に山を作る。なんと紙ゴミの多いことよ。探し始めてから1時間、ようやく保険証が見つかった。なんでこんなところに…という場所にあることは想像していたが、それはともかくこれでいつでも病院に行ける。
それにしても私はどうしてこういうことがテキパキとできないのだろう。やっぱり社会生活に適応できていないのだろうか。将来が不安になってきた(苦笑)
この騒ぎの最中、思わぬところから思わぬモノが出てきた。それは20年以上も愛用していたヨレヨレの帽子。いまの家に引っ越してから行方不明になっていて、無くしてしまったんだと思っていたのだ。この帽子は私とともに日本各地や中国の奥地を彷徨った、いわば戦友のような帽子なのである。縁はところどころ擦り切れ、みごとに大きな穴が空いているがまだ使える状態。さっそく洗濯機に放り込んでガシガシ洗う。それにしてもほとんどぼろきれにしか見えないなあ。
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仕事関係で研究発表をしなくてはならぬハメになる。
ともかく資料集めに奔走、今日は市立図書館まで出かけてきた。雑誌論文や本をいくつも積み上げてコピーを取ったが、ここには所蔵されていない資料もいくつかあった。やっぱり大学図書館にコピー依頼をしなくちゃダメかなあ、と思ってなおも調べていると、県立図書館に所蔵されていることがわかった。さっそく県立図まで出向き文献を手に入れてほっと一息。
これからデータ解析をして、論文の骨子を仕上げなくてはならず、とても面倒くさい。週末だというのに仕事をしているようでとてもイヤだ。あと数本の論文を入手してそろそろパワーポイント作業に着手しなきゃなあ…平行して仕事もしなくちゃだし(当然だ)…通勤読書も資料ばっかりだし…仕事も年々歳々厳しい状況になってくるし…まあそういう時期もあるよ…などと、口を突いて出るのは愚痴ばかり。
昨年度に引き続いて今年度もキビシイ年になることはマチガイないな(苦笑)
姨捨駅の近くで出会った犬。不審者を発見して吼えてます。
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今日も夕方からふらふらと新宿に出かけ、紀伊國屋書店本店に入っている帝都無線で落語のCDを購う。
古今亭志ん朝『三軒長屋/羽織の遊び』『井戸の茶碗/今戸の狐』
柳家喜多八『二番煎じ/将棋の殿様』
三遊亭圓丈『月のじゃがりこ/肥辰一代記』
快楽亭ブラック『野ざらし/朝鮮人の恩返し』
古典から新作、古今亭志ん朝から快楽亭ブラックまで、われ乍ら良いチョイス(笑) 勢いづいて書籍売場に行く。
溝口肇『仕事師たちの平成裏起業』
鈴木洋史『百年目の帰郷』
国分隼人『将軍様の鉄道:北朝鮮鉄道事情』
なかなか面白そうな本ばかりだが、なかでも『将軍様の鉄道』が刺激的。中国東北地区(旧満洲)と朝鮮半島の鉄道はほとんどが日本統治時代に整備された。だから線路から駅舎、施設まで、場合によっては車輌(機関車など)までが現役ということが珍しくない。
20年前の中国東北地区でもかつて都内を走っていた路面電車が現役だった。しかも北朝鮮である。最新型の特急列車や自動改札はあるのか? Suica やオレンジカード、駅ナカに立ち食いソバ、駅弁は売られているのか? うーん、朝鮮半島ウォッチャーとしては見逃せない一冊だ。
最近はいろいろなところで Suica が使える。JR新宿駅構内の BOOK GARDEN で、北尾トロ『危ないお仕事!』を購い、初めて Suica で支払ってみたのだが、ちょっと感動した。
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「この箱のなかにあんたの本が入っているんだけど、どうすんの?」
大晦日、車に老母を乗せて買出しに出かけ、実家の蛍光灯をかたっぱしから取替え、床の間に正月用の掛け軸を掛け、玄関の注連縄を取り替える。
一息ついて茶の間でぼおっとしていたら母に呼ばれたので行ってみると、納戸の奥に汚い段ボール箱がいくつか転がっていた。蓋を開けてみたら私が中学生~高校生の頃に買い集めた本やマンガが詰まっていた。てっきり処分してしまったものだと思い込んでいたので吃驚。
星新一、小松左京、筒井康隆、光瀬龍、横田順彌といった日本SF黄金時代の文庫本、『男おいどん』『漂流教室』『すすめ!パイレーツ!』、、、おお、懐かしいなあ。思わず『すすめ!パイレーツ!』を全巻読みきってしまう。ひとコマひとコマから、1978年から1980年にかけてのあの時代の匂いが一気に甦ってきた。
あれからもう30年近い歳月が流れたのだなあ…思わぬ年末のタイムカプセルであった。
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先日、某所にて大学図書館員合同忘年会が秘密裏に開催された。
会場のA姐邸に到着すると、宴はすでに始まっており、食卓にはサラダ、鯵たたき、ホウレン草の白胡麻和え、鱈ちりなど山海の珍味、各種ワインに日本酒、ビール、焼酎と酒も豊富。女性陣は美女揃いのうえに話題も豊富で、図書館界の学術動向から八百屋の野菜のお値段まで網羅。B氏、C姐と旧闊を叙し、初対面のD嬢やE嬢、F嬢に挨拶。お互い共通の知人がいることがわかり話も弾む。
「ほら、酔っ払って帰宅するとさ、素っ裸で寝ちゃうでしょ?」
「それはあんただけ!」
「なんでパジャマ着ないのよお」
「えー、だって脱ぐのは楽だけどパジャマ着るの面倒じゃん(笑)」
「あたしはトイレでそのまま寝ちゃうとかもあるなあ」
「……ないよ(笑)」
「道路で寝ると翌日身体痛いよねえ」
「……寝るなよ(苦笑)」
図書館で清楚にお仕事しているおねえさんの実態はすごいぞお。
まあわれわれ男どもも他人のことは言えないが(苦笑)
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月曜日
終日予算書作成と予算会議に明け暮れる。業務について上司から懇々と説教されちょっとめげる。Y姐と喫茶店で議論。毎日新聞社会部著『縦並び社会』読む。
火曜日
午前中請求書処理。M嬢と昼餉。図書館大作戦について打ち合わせ。午後請求書処理、予算書作成、オンラインジャーナルの見積もり合わせ。Y姐と喫茶店で議論。『縦並び社会』読む。知り合いから大学図書館員合同忘年会開催のお知らせメール来。爆笑。
水曜日
終日予算書作成。上司の無茶な注文をこなす。なんだかなあ。M嬢と昼餉。図書館のイベントについて雑談。八時半退勤。『縦並び社会』読む。
木曜日
午前中請求書処理。M嬢と昼餉。午後会議報告書作成。黙々と仕事をこなしていたら、上司から無茶な注文がきたので黙々とこなす。やっているうちにバカバカしくなってきたので九時退勤。泉昌之のマンガ『芸能グルメストーカー』読む。
金曜日
今日から師走。午前中会議。長引いて昼休みに食い込む。食堂でさっさとカレーを食べて生協へ行き専務と打ち合わせ。教授の研究室に寄って打ち合わせ。夕方から予算書の仕上げ。上司の無茶な注文を泣き乍らこなす。おかげで宴会に遅れてしまう。取引先書店の接待?なので酒を飲み鍋を食う。接待を仲介した旧知の営業氏とふたりで二次会。ピンサロやファッションマッサージが入っている雑居ビルの地下にジャズバー発見。穴蔵のような小さな店だが小室等似のマスターも話好きでいい感じ。ここで営業氏とは商売の話はいっさい抜き、友人として楽しく雑談。ほぼ一年ぶりの再会。もう十年以上のつきあいだがおたがい老けたものである。嗚呼。終電が無くなったので小田急線で登戸へ行き、寒風吹き荒ぶなかタクシー待ちの長蛇の列に並ぶ。午前1時半帰宅。
土曜日
風邪をひいたか鼻水がひどく出る。頭もぼおっとして熱っぽいので風邪薬を呑んで布団に潜る。小沢昭一の節談説教CDを聴きつつ眠る。
日曜日
快晴。晴れた日曜日はひさしぶり。具合もだいぶよくなっている。だんだん身体も弱っていくのだなあ。親友Aからデートのお誘い。夕方から自由が丘。ハンガリー料理を食べてアイリッシュ音楽のミニライブに出かける。
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月曜日
腰が痛くて午前中休み。それでも今日やらねばならない仕事があるので午後から出勤。いろいろとイヤなこともあるけど黙々と仕事。A君、M嬢と仕事の打ち合わせなどして六時半退勤。帰途書店に寄ってシオドーラ・クローバー著;行方昭夫訳『イシ:北米最後の野生インディアン』(岩波現代文庫)、顧頡剛著;平岡武夫訳『ある歴史家の生い立ち:古史辧序』(岩波文庫)、山内志朗著『ライプニッツ:なぜ私は世界にひとりしかいないのか(シリーズ・哲学のエッセンス)』(NHK出版)購う。ゾラ『居酒屋』読む。
火曜日
M嬢と昼餉。こんどのイベントについて打ち合わせる。午後も仕事ばっかりして夕方から生協の理事会出席。今日は大学運営について批判しながら教職員、学生と侃々諤々の議論。終わった時はかなりくたびれてしまう。図書館に戻りA君たちと雑談。八時半退勤。ゾラ『居酒屋』読む。
水曜日
教授と食堂で図書館運営について謀略を巡らせつつ食事。実現したら面白いことになる。もちろん図書館にとって良いこと。終日予算分析。Y姐が「仕事なんかやめて飲みに行こうよ」という。こちらもだいぶ煮詰まっていたところだったし、正しい図書館員たるべく七時退勤。駅前の居酒屋で図書館運営について策略を巡らせつつ飲みかつ喰らう。ゾラ『居酒屋』読む。登場人物のバカっぷり、ますます佳境に入ってきたぞ。
木曜日
薄ら寒い曇天の勤労感謝の日。午後からパルテノン多摩へ行き、写真展『電車にみる都市風景1981-2006』を見る。こぢんまりとした会場だがなかなか見応えあり。石元泰博という写真家の作品が面白かった。1980年代の山手線沿線の風景が懐かしく面白い。上野公園の西郷隆盛像の前に並ぶ、修学旅行とおぼしき女子高生たち。みごとに全員がロングスカートに松田聖子カット。現在のステンレス製ではない鉄製総緑色ペイントの山手線車輌が懐かしい。一見の価値あり。
http://www.parthenon.or.jp/museum/art2.html#art061118
金曜日
予算申請書作成もいよいよ大詰め。来週に摺り合わせと思っていたら、課長から「明日までに作りなさい」と言われて焦る。見積もりなどはだいたい集まっているのだが、打ち合わせ用にまとめてはいないのである。残業しながらせっせとまとめに入り八時半退勤。Y姐と居酒屋でゾラの『居酒屋』について雑談、異様に盛り上がる。
土曜日
午前中いっぱいかかって課長と予算申請書の摺り合わせ。あとは来週だ。五時まで請求書などを処理して退勤。古本屋で邱永漢『象牙の箸』購う。博多ラーメンを啜り乍ら読む。面白い。どうにも疲れて電車で居眠りし、帰宅して風呂に入って寝てしまう。『居酒屋』読了。とうとう最後まで一片の救いもない凄い小説。
日曜日
午前中はTBSラジオ『美輪明宏・薔薇色の日曜日』で目が覚める。日曜日の朝から聞く声ではないが、まあこちらは夢うつつだからさほどでもない。次第に覚醒してきて『全国こども電話相談室』、安住紳一郎の『日曜天国』あたりは珈琲を啜り乍ら聴いている。『バックグラウンドミュージック』で若山弦蔵の渋い喋りを聴きつつパスタなど茹で、食後の珈琲を啜り乍ら『伊集院光・日曜日の秘密基地』を聴く。夕方、床屋に行き頭をさっぱりと刈って帰宅。ロッド・スチュワートのCDを大音量でかけ乍ら夕餉。ブルースとロックのなかにケルト音楽があちこちに隠し味となっていて、今さら乍らその音楽性に驚嘆する。明日から雨らしい。
パルテノン多摩の巨大キティちゃん
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そろそろ熱燗の季節になったわねえ…(はい、熱燗来ましたよ)…あ、どうもありがと、やっぱりお刺身と熱燗がいいわ。
このあいだ田舎に行ってきたのね。ううん、あたしの田舎じゃなくて別れた夫の田舎。義母が脳硬塞で倒れて寝たきりになっちゃったのよ。夫と別れてからもずっと盆暮れのつきあいはあったのね。ほんとによくしてくれる義母でうちの息子も可愛がってくれるし。
病院に行ったらもう意識はなくて、でも完全看護だからとりあえず義父は何もしなくてもいいんだけど、やっぱりねえ……もう八十過ぎだし、息子…別れた夫だけど、そいつは何処にいるんだか帰ってきてないし(笑)、まああたしはもう縁が切れてるんだけど息子はネ…(内孫ですね)…そうそう、息子は血が繋がった内孫だから、これが最後かもしれないと思っていっしょに連れていったのよ。うちの息子ときたらさあ、もう大学生で独り暮ししてるくせに電車の乗り方も慣れてなくて、なりだけは立派なくせにほんとにでくの坊(苦笑)
義母はもう意識がないから挨拶もなにもないんだけど、義父はむかしは機関車の運転手でいまでもがっしりした体格、朴訥でとっても良い人なのよ。山歩きするのが趣味でいまでも○○山なんか歩き回っていて…(○○山ですか、そりゃたいしたもんだ)…そうでしょ? 日に灼けて見た目はとても元気なんだけど、まあ八十過ぎてるし、実際はいろいろ持病持ちなんだけどね。
息子に向かって「おまえに会えてよかった、おばあちゃんもきっとよろこんでいるよ、来てくれてありがとう」って訥々と言ってくれて……うちの息子もさあ、もう少し気の効いたこと言えばいいのに「……うん」なんて、ほんとにしょうがない(苦笑)…(大学生くらいならそんなもんですよ)…ははは、そうかしらね、
別れ際に「おじいちゃんと握手しよう」って息子と握手したのよ。あたしも握手したんだけど、八十過ぎとは思えないくらい力強い握手なのよ(笑)、吃驚したわあ。武骨で節くれだってるんだけど大きくて暖かくて、息子もあとで「おじいちゃんの握手、凄かった……」って言ってた。
帰りの電車で息子は窓の外をずっと眺めてて、あたしが「○時に東京に着くからご飯食べて帰ろうか?」って言っても「ああ」とか「うん」とか、ろくに返事もしなくてさ(苦笑)…(なにか感じることがあったんでしょ、良い話ですねえ)…そうでしょ? 良い話でしょ? 誰かに話したかったのよ。
今日は娘が友だちと旅行に行くって出てっちゃって…(私は一家団欒の代打か)…まあいいじゃない、どうせ家に帰っても独りなんでしょ、感謝しなさい(爆笑)……(おおきなお世話だ)
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月曜日
最近、業務ノートを新しいものに変えた。無印良品で売られているノートで、ちょうど新聞4コマ漫画みたいにコマが縦に4つ並んでいるだけ。1ページに縦2列あるだけなのだが、これがなかなか使いやすいのである。やらねばならぬこと、飛び込みの仕事、電話記録、伝言、思いついたことなど、なんでもコマごとに記入して終了したら×を書き入れる。関連するものはコマとコマを線でつなぐ。継続案件は忘れないように業務手帳に転記しておく。いいもの見つけたって感じ。残業していたら「忘年会の下見に行くよ」とM嬢に言われてホイホイついて行く。鮟鱇の肝とホタルイカの沖漬けを肴に麦焼酎をちびちび。電車のなかでエミール・ゾラ『居酒屋』読む。
火曜日
今日は目録作業の日と決めて朝から夕方まで本の山と格闘。時おり襲ってくる電話や来客、メールを躱し乍らどかどかとかたづけていく。Y姐とランチを食べ乍ら雑談。忘年会は和食か洋食かと聞かれたので「和食です」と答える。残業タイムに突入してから報告書や予算書類を取りまとめる。八時過ぎに近所の牛丼屋に入ったら国際センターの課長に会う。十時を過ぎてしまったので引き揚げ。電車のなかで『居酒屋』読む。
水曜日
朝から電車で広報室のK嬢を見かけたので声をかけたが、思索にふけっているらしく反応なし。おいこら、と些か乱暴に声をかけたら吃驚していた。報告書と電話対応に追われて日が暮れる。研究業績課のF課長とデータベースについて雑談。今日も今日とて九時退勤。何やってんだか。電車の中で『居酒屋』読む。
木曜日
夕方、学生主催の平和フォーラムに世話人として参加する。広島の原爆を扱った映画の上映に続き、原子力発電と環境問題のプレゼン、日本人学生と留学生たちのディスカッションがおこなわれる。司会から仕切りからすべて学生たちにまかせ私たち教職員は傍観。世話人に徹し口は出さない。さてどうなることかと成りゆきを見守っていたが、なかなかどうして、いまどきの学生にしては積極的に議論を戦わせていてちょっと感心する。核保有について冷静に分析した留学生の発言に、反論したくても自分には反論するだけの知識がない、と悔しがる日本人学生もいた。職場に戻り仕事をこなし今日も九時退勤。電車の中で『居酒屋』読む。
金曜日
朝から会議。さすがに金曜日ともなるとへろへろ、黙々とノートパソコンを叩いて議事録に専念。教授とM嬢と昼餉。あれやこれやと雑談。午後からずっと書類作成、見積もり点検、経理処理などなど。経理でコピーしてもらった請求書の写しを生協の事務所に忘れて焦って取りに走る。こりゃダメだ。とうとう今日も残業となり延々九時まで。電車の中で『居酒屋』読む。
土曜日
午後から市民平和フォーラム参加。知り合いがコーディネーターとして参加しているので挨拶する。映画上映、被爆体験者のお話、環境問題に関する講演となかなか盛りだくさんで面白いフォーラムだった。木曜日の平和フォーラムを組織した学生が挨拶にくる。来週の打ち合わせ予定など確認。さすがにくたびれる。電車の中で『居酒屋』読む。
日曜日
朝から冷たい雨が降る日曜日。薄暗くていい感じ、などと暢気なことを思っていたら腰に激痛。疲労が腰にきたようだ。ギックリ腰再発はイヤなので昼間からゆっくりと風呂に浸かる。湿布を貼って夕方まで寝床で読書。明日は仕事に行けるだろうか? ラジオで小耳にはさんだ情報。風邪の予防にニンジンとホウレン草のソテーが良いらしい。
二子新地駅ホームより多摩川方面を眺める。
写真の奥、電車が停まっているあたりが二子玉川駅……住民はみんな歩いてニコタマにお買い物。
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以前、花形敬殺害事件について考察をおこなった。ひさしぶりに二子新地界隈を散策してきたので、今回は写真を加えた補足レポートである。(『伝説の男』2006年2月26日参照)
私の考察は、本田靖春『疵(きず)〜花形敬とその時代』(文春文庫)の記述/読売新聞記事昭和38年9月28日朝刊の記述/『川崎市北部明細地図昭和37年度版』(経済地図社)、この3つのソースをもとに花形敬が町井一家の刺客に襲撃され、逃走、絶命した場所を、当時の住宅地図をもとに推理した。
道路の先が二子橋の川崎側たもと、東急田園都市線が走っている。昭和38年9月27日深夜、花形敬は車で二子橋を渡ってきた。いまではビルが林立しているが当時は低い家並で、夜はいまよりも闇が深かったであろう。
<花形敬が車を駐めた場所は、二子56番地へまっすぐ続く露地の入り口の森谷酒店(二子264番地)あたりだったと推測できる>(『伝説の男』2006年2月26日より引用、以下同じ)
花形敬は二子橋から大山街道に入り、私が襲撃現場と推察した森谷酒店(二子264番地)は、現在丸八商店になっている。
写真の右側が丸八商店(かつての森谷酒店)、道路の先が二子橋の川崎側たもとである。丸八酒店の脇に高津方面に抜ける細い露地が走っている。丸八酒店の反対側(写真左側)にも国道246方面へ抜ける細い露地が走っている。つまりここは大山街道と露地の四つ角になっているのである。
<ここで刺客に襲われた花形敬は致命傷を負ったままこの露地に逃げ込み、二子56番地あたりで力尽きた>
致命傷を負った花形敬は写真左側、国道246方面へ抜ける露地に逃げ込んだ。
入ってすぐ露地は追い分けになっている。
ここを右側の露地を走り抜けると私が殺害現場とした旧二子56番地(現川崎市高津区二子1丁目)にぶつかる。
<花形敬が刺された現場「二子五六さき路上」は、おそらくこの四つ角の民家から割烹旅館、そして空家へと続く路上であると推測できる。しかも道路を挟んだ反対側はかなり広い空き地であった。現在は大きなパン製造工場が建てられているが、これだけの敷地が昭和三十七年当時は空き地だったとなると、夜は人通りも途絶えて闇の色が濃かったことだろう>
このあたりはいまでも露地が複雑に入り組んで走っている。
花形敬の隠れ家はこんなアパートだったのではあるまいか。
中央に聳えるビルは二子玉川駅至近の超高層マンションである。多摩川を境に、むかしながらの住宅地である二子新地と、セレブが集うオシャレな二子玉川の違いを象徴している。なんとなく宮部みゆきの傑作ミステリー『理由』を思い起こさせる風景。
隠れ家にひっそりと暮していたであろう愛人も、花形敬の無事を祈り二子神社にお参りしていたのだろう。二子新地はかつての三業地でもあり、いまでも境内には三業地であったことを示す古い表示が遺されている。
二子新地は岡本かの子生誕の地。境内にはかの子の息子、岡本太郎の彫刻が建てられている。『誇り』と題されたこの彫刻は昭和37年11月に建立され、除幕式には川端康成も列席したという。花形敬も愛人とこの彫刻を眺めたのだろうか。
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月曜日
週明けなのに予算書類や報告書作成など9時まで仕事。まったくもって社会人として情けないかぎりである。仕事なんかさっさと終わらせて飲みに行くのが正しい社会人、正しい図書館員だ。帰りの電車で『犬神家の一族』読む。
火曜日
まったく請求書というやつは、ちょっと目を離すとすぐにいっぱいになりやがる。コンチクショウとばかりにやっつけるも返り討ちにあってちょっとブルー。『犬神家の一族』読了。うーん、映画のシナリオはよくできているなあ。サスペンス度と謎とき度は映画の方が上だ。来月のリメイク版封切が楽しみ。
水曜日
今日は請求書も申請書類もぜんぶ放り出して目録作業に没頭する。仕事が終わらないのに館長が来てメシを喰いに行こうというのでつきあう。どうせおごりだからビールを飲んでやった。ごちそうさまでした。
木曜日
請求書の束に上司のハンコを貰って経理課に提出。印刷屋から見積もりを受け取る。M嬢と近所の食堂でランチ。書店の営業氏から見積もりを受け取り契約について相談。夕方は教員と図書館主催イベントの打ち合わせ。忙しくて目が回りそうだった。帰りの電車で爆睡。あやうく乗り過ごすところだった。
金曜日
図書館用品の在庫をチェックして不足分を発注。印刷屋と見積もりについて打ち合わせ。イベント関係であちこちにメールを打つ。午後から若手がみんな出張に出かけてしまったので閲覧係から何かにつけて呼び出される。残っているのはみんなオバサンばかりだからしかたない(笑)。残業して予算書類を作っているうちに、このまま仕事を続けたら絶対夜が明けると確信したので放棄。居酒屋でY姐とロシア文学とフランス文学と『嫌われ松子の一生』の話をして酔っ払う。
土曜日
雨がそぼ降る肌寒い一日。M嬢と忘年会の打ち合わせを兼ねて近所の和食割烹でランチ。雑誌の一括請求書をとりまとめ、業務報告と予算書類に取りかかるが終わらない。ええい、来週だ来週。帰宅してパスタを作って食べる。ラジオをつけたら『Quick Japan』編集長の森山氏が喋っていたのでちょっと吃驚。 眠くてたまらず10時過ぎに寝てしまう。
日曜日
つけっぱなしのラジオから美輪明宏の声が聞こえて目が覚めてしまう。朝から耳にする声じゃないよ。早朝からよく晴れて肌寒い。青森旅行中のSさんから携帯メール着信あり。送信時刻をみると私が睡没していた頃だ。ぼんやりしながら珈琲を啜りSさんに返信。時刻表を片手に旅行計画。旅行よりも時刻表のほうが好きなのかも……。夕方、ふらふらと書店に行き『累犯障害者:塀の中の不条理』購う。Sさんからふたたび携帯メール着信。文面に爆笑する。夜、吾妻光良とザ・スウィンギン・バッパーズのCDを聴く。「ババもイノキもみんな食ってるぜー♪」(「やっぱり肉を食おう」)まったくいつ聴いてもカッコイイぜ。
『Squeezin' & Blowin'』(吾妻光良とザ・スウィンギン・バッパーズ)
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大木金太郎死去。享年77。
いま40歳以上の元プロレス少年なら誰でも知っているあの原爆頭突きの大木金太郎。韓国からやってきた金一(キム・イル)だ。在日韓国人レスラーのキム・ドク(タイガー戸口)とのコリアンコンビで全日リングを暴れ回っていた。
朝鮮半島出身の故・力道山を慕って密航同然で来日、拘留中に出した力道山あての手紙が縁で保釈され、プロレス入りしたというから凄絶。もちろんこんなことは知らない私たちプロレス少年は、スキンヘッドから繰り出される頭突きを飽きることなく真似してプロレスごっこに興じていた。いつの頃からかアナウンサーが「韓国の虎、キム・イル」とかなんとかと実況中に口走るのを耳にして、ああこの人は韓国人なんだ…と思ったものだ。ひょっとすると私が最初に認識した韓国人かもしれない。
山本小鉄・星野勘太郎のヤマハ・ブラザース、ラッシャー木村(こんばんは、ラッシャー木村です)、ストロング小林(怒濤の怪力)、サンダー杉山(雷電ドロップ)、グレート草津(元ラガーマン)、マイティ井上(サイケデリック・パンツでおなじみ)、アニマル浜口(いまじゃすっかり京子の父)、大熊元司・グレート小鹿のごぞんじ極道コンビ!、、、かつてのプロレスラーはなんともオジサンばかりだった。考えてみればこういうオジサンたちの試合にドキドキしていた子どもたちというのも、いまから思えば不思議な気がする。合掌。
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林葉直子自己破産。
現在の肩書きがタロット占い師だったとは知らなかった。でもあまり意外とは思えないのは、やはりあの風貌のせいだろうか。六本木でインド料理店を経営していたらしいが、まあサイババに会いに行くくらいだから、自分のアーリア人的な雰囲気をよくわかっていたのだろう。しかしこの人、ジュニア小説を書いたり全裸になったりと、なんともカタギとはほど遠いところでしか生きられない体質なのである。
自己破産したところで公民権(選挙権など)が停止されるわけでもなく、資格(公務員や医師資格)を剥奪されるわけでもない。そもそも林葉直子は、そういうところから遠く離れた場所で生きているのだから、痛くもかゆくもない。苦労して身につけた資格ではなくもって生まれた才能だけで生きているわけで、一般的にいえば時間をかけてコツコツと努力すれば、才能はよりいっそう光り輝くことができるものだ。
早い話がこのひと、将棋の才能があったのに将棋に飽きてしまったのである。美少女棋士などともてはやされ、それでも当時はまだ将棋の世界は墨絵のように地味だったので、おのれの奇矯な性格と周囲の空気に齟齬をきたしてしまったのではあるまいか。
某名人との性愛に溺れたというが、たぶん某名人のほうが林葉直子の身体に溺れ、林葉直子のほうがあっけらかんとセックスを楽しんでいたのだろう。そう、この人は楽しんでいたのである。某名人はマジメ一徹なだけにマジメに真剣にセックスしていたのである。若い娘とのセックスに夢中になり過ぎてマジメのたががはずれ、留守番電話に「いまから突撃しまーす」などと吹き込むくらい壊れてしまったのだ。このときはさすがに「突撃くらいさせてやれよなあ」と思ったものである。
豪邸建築の借金が払えなくなって自己破産したところで、このひとには何の影響もない。かえって足枷がなくなってのびのびしていることであろう。「私がこうなる運命だということはタロットカードが示していました…」などとシャアシャアと言ってのけることは想像に難くない。
そもそも女流棋士という存在が、まるで女子アナのように世間に認知される基礎を築いたのは、ほかでもないこの林葉直子という“天才”のおかげなのである。林葉直子に特に興味はないが、この転がる石のような天才はこの先どこへ向かうのだろうか、ということをこれから数年に一度くらいは思い出すかもしれない。
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友人の千曲川さんと世田谷界隈を散策。彼女はあるイベントに参加するために上京したのだが、イベントの主催者が準備で多忙のため、今日は彼女の接待をするよう主催者から頼まれたのである。というわけで、今日はイベント前日の東京散歩とあいなった。
新宿駅で待ち合わせルミネ2のレストランフロアに行く。目当てのロシア料理店は行列が出来ていたのでパスし、となりのアジア料理の店に入りビールを飲みつつ雑談。それから小田急線に乗り世田谷代田駅周辺を散策。豪徳寺駅で降りてぶらぶら歩く。井伊直弼の菩提寺である豪徳寺境内を散策し、宮の坂駅から世田谷線に乗り三軒茶屋へ。千曲川さんは世田谷線初乗車ということでけっこう喜んでいた。
キャロットタワーの展望台を案内してから三軒茶屋界隈散策。何処まで行ってもどの露地に入っても商店街が途切れない。三軒茶屋商店街迷宮を堪能。千曲川さんは路地裏の室内釣り堀が面白かったようではしゃいでいた。千曲川さんの希望で焼肉を食べに行く。安くて美味しい店で私たちが入ったあとからどんどんテーブルが埋まっていく。焼肉食べてビール飲んでさすがにくたびれた。千曲川さん、お疲れさまでした。
家から駅まで歩いていく途中でアドバルーンを見た。青空にぽっかり浮ぶアドバルーンを見るのはひさしぶり。最近はこんな余裕なんてなかった。もっと余裕を持たなくちゃ、とちょっと反省。
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日曜日に頼まれものを届けに江古田へ。時間が中途半端なので友人とデニーズでお茶しながらだらだらと雑談。暗くなってから友人と別れて江古田駅のそばにある古本屋にて野村進『アジア定住』購う。
腹が減ったので駅前商店街のなかにある『スワガット』(インドレストラン&バー)に入ってみた。狭い階段をあがっていくちょっとあやしげな雰囲気の店だが、中に入ってみたら思いのほか広くてこぎれいな店内。
カダイチキンのカレーセット、ラッシー付き。ひと匙ごとに汗が吹き出てくる辛〜いカレーだが、辛味と酸味がうまくマッチして、生の青ピーマンがアクセントになっている。こりゃ美味しいわ。これで足りるかなと思うくらいの盛りなのだが、食べ終わったらもうお腹いっぱい。インドカレーってほんとうに美味しい。
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宴会中に酒をかけられて火をつけられた男性が死亡した事件。
こりゃきっと『スピリタス』だな。『スピリタス』はポーランドのウォッカで、アルコール度数はなんと96度もある。かつて私も学生時代にたまに行っていた安いバーで飲んだ、いや飲まされたことがあった。カウンターで友人と二人並んで座り、気さくなママさんと話をしていたら、彼女が「これ、あたしの奢りだから飲んでみて(笑)」と言って小さなグラスに酒を注いでくれた。「え? いいんですか?」と言うと、彼女はニッコリ微笑んで「いいわよ、その代わり一気に飲むこと(笑)」
馬鹿な私たちは「イダダキマース」とばかり一気に酒を呷った。途端に口から火が出るかと思うくらい強烈な衝撃に襲われ、私たちは目を白黒させてひっくり返りそうになった。「…なんですか…これ」するとママさんはふたたびニッコリと微笑んで「これはね、『スピリタス』っていうポーランドのお酒なの、ほら見てごらんなさい、96度もあるのよお(笑)」
96度もあればほとんど精製アルコールである。こんな酒に火をつけたらそりゃ燃えるよ。宴会ならきっとペラペラの浴衣だろうし、下着も着てないだろうし、そりゃ重度の熱傷で死ぬよなあ。火をつけた会社役員は冗談でやったのか、それとも悪意があったのか、まあきっと酔っ払って調子に乗ってやったのだろうが、いやはやなんともな事件である。私もママさんに火をつけられなくてほんとうによかった。
この『スピリタス』ってお店じゃ1000円くらいで買えるんだよなあ……
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私だって子どもの頃から本が好きだっただけで、本ばかり読んでいたわけではない。こんな私でも運動部に在籍して日々汗を流していたし、放課後、数少ない友人と暗くなるまでたわいもない話に興じていたりしていた。別に読書家でもなんでもない。読書家というのは洋を問わず万巻の古典に親しんでいるのは当然で、それ以上にさまざまな書物を繙き、日々読書と思索に明け暮れているものだ。いま、そんな人はほとんどいない。だいいちそれじゃメシが喰えない。そういう人は学者とか言われている人のうち、ほんのわずかだけであろう。だいたい健全な高校生たるもの本ばかり読んでいてはイケナイ。そう、高校生まではいいのである。大学生たるものは読書するものなのである、いや、あったというべきだろう。
戦前の旧制高校が育んだ教養主義は、帝国主義の否定と社会主義の隆盛とともに、戦後の政治運動のうねりに発展していった。学生たるもの政治にコミットせずにいられない状態になったのだ。朝鮮動乱〜日米安保闘争〜ベトナム反戦運動〜中国プロレタリア文化大革命〜大学紛争…思いつくままに列挙するだけでため息が出る。これだけのできごとが日常的に起っていた時代の学生が、なにも考えずにいられるはずがない。いまの学生がこの時代にタイムスリップしたとしたら、当然政治を論じナニゴトかを考えるようになるはずだ。翻って国内をみても高度経済成長、東京オリンピックにおける都市の変貌、都会から取残されていく地方、昭和元禄と称されるサイケデリックとドラッグの時代、戦後世代の登場、オイルショック、日本列島改造論、ロッキード事件…これらのできごとの果てに待っていたものは、空漠とした1980年代だった。
当時の知的エリートはまさしく少数派であった。教養主義はいわば知的エリート階級の象徴といえるだろう。知識は書物から得るものと言い換えることができる。だから知的エリートたらんとするものは本を読んだのである。町工場や農村の勤労青年も向上心のあるものは本を読んだ。しかし本に書かれている世界と現実は常に乖離している。この乖離に気がついたものたちは理想と現実のギャップに疑問を抱き、それが大なり小なり思索につながっていった。
1980年代…私の学生時代にはすでに『朝日ジャーナル』を小脇に抱えて、などという時代ではなくなっていた。浅田彰『構造と力』がベストセラーになり話題になった頃、ニューアカデミズム、昭和軽薄体、無気力学生などという言葉が踊っていた頃だ。学生運動はとっくに下火になりやがて訪れるバブル経済に向かって、日本全体が奇妙な明るさに覆われていた。いまにして思えば1960〜1970年代ほどのインパクトはないものの、けっこう面白い時代ではあった。1960〜70年代は振り子があまりにも政治的に振れ過ぎていたのである。その反動が1980年代にドカン、と来た。私たち40代前半の世代はベトナム戦争の記憶も微かしかない。サイゴン陥落のニュースは知っていても、それがなんたるかはほとんど理解していなかった。(続く)
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学生たちに読書に親しんでもらおうという企画をおこなっている。教員とともに実行委員会をたちあげ、試行錯誤しているのだが、なかなかこれがたいへんなのである。本好きな教職員から公募した推薦図書を図書館に展示して貸し出している。最初はあまり動かなかったが徐々に貸し出しも増えてきて、なんとか実行委員会の面目を保っているところだ。この企画を始めてから、学生たるもの本を読まねばならぬという時代はとっくに過去のものになりつつあるのだなあということと、いつの時代でも本を読むやつは読むもんだなあということを強く感じている。
図書館ではないが、大学生協では読書マラソンというイベントをおこなっており、全国の大学生協のうちけっこうな店鋪がこれを実施している。本をよんでコメントカードを書いて提出してもらっているのだが、やはり本を読んでなにかコメントを書こう、というところまではなかなかいかないようだ。生協の理事会に首を突っ込んでいる関係上、いろいろと企画書に目を通す機会があるが、学生たちも硬軟とりまぜてけっこうな本を読んでコメントカードを提出している。少しでも本を読み本を買い本に親しむ学生がいれば、それはそれでけっこうなものであると思う。
いまの学生は本を読まない、とはいつの世にも聞かれるおとなの苦言だが、言わせてもらえば「じゃああんたたちはそんなに本を読んでいたのか?」と問いたくなる。いまのおとなたちだって、その頃インターネットと携帯電話とi-podがあったら…本など読まなかったことは想像に難くない。などとあまり根拠のない戯言を言ってもしょうがないが、いまも書店に行けば若者はたくさんいるし本だって売れている。書棚にはベストセラーも、面白そうだがどれほど売れるのだろうという本も、知的好奇心を刺激する本も、資源の無駄遣いとしか思えない本もたくさん並んでいるし、茶髪金髪の兄チャンが岩波文庫のカントやヘーゲルなんぞを手にとっていたりする。近所の図書館も人がいなくてガラガラなんてことはないし、ほんとうにいまの学生は本を読まないのだろうか?(続く)
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国境を越えて亡命するチベット人を、中国人民解放軍兵士が狙撃する衝撃的な映像。
http://www.youtube.com/watch?v=hXC5RxhZUYw&eurl=
亡命チベット人は生き仏であるダライ・ラマ14世を慕って雪原の高峰を徒歩で進んでいく。仲間が倒れてもその歩みを止めることはない。
もともと中華人民共和国が建国された1949年以降、中国共産党政府(以下、中共)はチベットは中国の一部である、という従来の主張を根拠にしてチベットに侵攻した。チベット人は独立を望んでおり中共の支配下になることに反対であったが、結局は中共の軍事力に屈し現在の西藏自治区が成立した。中共はチベット人がチベット仏教を信仰することを認め、社会主義化は強要しないといったにも関わらず、周辺地域(雲南省、四川省、青海省)では社会主義化を押し進めた。
中共に対する不信感から西藏自治区で反中国運動が盛り上がり、1956年には武装蜂起を開始した。これがいわゆるチベット動乱である。結局中共はチベット人の武装蜂起を制圧し、ダライ・ラマ14世はインドへ亡命し、一説には十万人以上のチベット人がダライ・ラマ14世を追ってチベットを脱出した。結局中共は宗教弾圧を継続し数知れぬ寺院や仏像が破壊されたという。
現在でも中共はチベットの独立を認めず西藏自治区という扱いでお茶を濁しているままだ。いくら中共が唯物主義で宗教の弾圧を押し進めたとしても、チベット人の人生は宗教(チベット仏教)と不可分である。宗教は政治を動かし、政治を恐怖させ、政治を超える。だからこそ中共は、われわれは(かたちのうえでは)完全制圧していませんよ、自治を認めていますよ、と世界に向けてアピールしているのである。
現在中国国内には西藏自治区のほか、内蒙古自治区、新彊ウイグル自治区、寧夏回族自治区、広西チワン族自治区と、ぜんぶで5つの自治区を有している。世界地図を広げて中国を見てほしい。これら5つの自治区が独立してしまったら、中国人(漢族)の国家が驚くほど小さくなってしまうことがわかるだろう。中国が抱えている問題は臺灣独立だけではない。国内における自治区の支配を中共がいかに重要視しているかが想像できるだろう。そのくせダライラマ14世がノーベル平和賞を受賞したときは国内ではこれを完全に黙殺し、国外に対しては異議を申し立てたことはよく知られている。
極寒のヒマラヤを(チベット人にとってはなんてことはないかもしれないが)黙々と歩いて国境を越えるチベット人が抱える苦悩は図り知れない。世界を眺めてみれば平和などという言葉がそらぞらしく感じられる。諸行無常。
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今夏の高校野球選手権大会で早稲田実業と駒大苫小牧が球史に残る熱戦を繰り広げたのは記憶に新しい。ハンカチ王子のアイドル斎藤くんと王子に比べて武骨な田中くん、この二人の熱のこもった投手戦は凄かった。ハンカチ王子は早稲田大学に進学、いっぽう田中くんは楽天イーグルスにドラフト1位指名。進路まで対照的で面白い。
田中くんの母校は「駒大苫小牧(こまだいとまこまい)」。この校名がまるで早口言葉のようにアナウンサーを悩ませている。ラジオを聞いているとこれが面白い。
「とまだいこまこまい…あ、いや、こまだいこまこま…失礼しました…」
「北海道のとまだいとまとま…じゃなくて、こまだいとまこまだい…」
昨夜はTBSラジオで渡辺真理がおもいきり噛んでいて微笑ましかった。(昔からちょっと好きなんだよネ)
ちゃんと発音できると、お、このアナウンサーなかなかやるな(笑)と思ってしまうのは私だけ?
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ちょっと用事があって町田に行こうと思ったら東急田園都市線が人身事故で不通。改札の前に人が群がっているので、何かイベントでもあるのかなと思ったらそういうことだった。しかたがないので南武線で登戸まで出て小田急線に乗り換えることにした。振替切符を貰って電車に乗り登戸で降りたら驚いた。JR登戸駅の駅舎がきれいに建て替えられていたのである。
暫く前から改修工事をしていたのは知っていたが、こうも激変するとまったく驚いてしまう。国鉄時代の名残りを濃厚に残していた、あの野暮ったい駅舎も改札口もきれいさっぱり無くなり、おまけに駅前のバラック街を彷彿とさせる呑み屋も蕎麦屋も消滅していた。小田急線への連絡通路から眼下の景色を見下ろして暫し呆然としていると、一軒の立ち食い蕎麦屋が目に入った。何の変哲もない立ち食い蕎麦屋なのに、沖縄そばの幟が風にはためいている。立ち食いで沖縄そば? ちょうど小腹も空いていたときだったので、誘われるようにふらふらと店に足を踏み入れる。
沖縄を思わせる装飾はみじんも無いふつうの立ち食い蕎麦屋。しかし券売機には天ぷらそば、月見そばというお馴染みのメニューといっしょに沖縄そばのボタンがあり、カウンターの隅っこでは外回りとおぼしきサラリーマンが沖縄そばを啜っている。注文してから待つこと数分、店のオバチャンが「沖縄そば、お待ちどうさまです」とカウンター越しに手渡してくれたのは紛れもなく沖縄そば。スープも美味しく、細ネギ、紅ショウガ、薄切りのさつま揚げ、やや小ぶりだがソーキ肉も入っている。沖縄料理屋で出て来るようなちゃんとした沖縄そば。これで480円は安い。カウンターには七味唐辛子の小瓶といっしょにコーレグース(島唐辛子の泡盛漬け)の瓶も置いてある。思わぬところに思わぬものがあるものだ。
私はそもそもこの店があることは知っていたが、入ったことはおろかちゃんと店を眺めたこともない。なぜかというと以前この店があった通りは、駅前通りではなくごちゃごちゃした露地裏にあったので、乗り換えで駅前を通るようなフリの客にはまったく知られていなかった。たぶん地元の人しか知らない、知る人ぞ知る店だったのであろう。それがこの駅前の再開発で露地裏から駅前一等地に変貌した。なにしろ乗り換えデッキから丸見えという一等地に沖縄そばの幟がはためいていれば、そりゃあ誰だって入ってみたくなるというものだ。しかも立ち食い蕎麦屋だし。というわけで登戸にお越しの際はぜひ一度ご賞味ください、ってふつうの人は登戸に用事なんかないよなあ(笑)
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まいにち本と書類の山に埋もれるように仕事をしている。やってもやっても終わらない仕事に没頭して、ふっと脳裡をよぎるのは、この仕事は永遠に終わらないのではあるまいか?という疑問。明けない夜は無い、というくらいだからそんなことはないのだが、それでもこのまま年老いていくのかと思ったりもする。
てなわけで今日はもう仕事はオシマイ!と宣言してM嬢とY姐の三人で呑みに行く。このメンツで呑むのはひさしぶり。何処に連れていってくれるの?というM嬢に「オシャレな店とシブイ店、どちらがいいか?」と問うと、打てば響くように「そりゃあ、オシャレな店でしょ」「あなたが言う『シブイ店』って、なんかイヤ」あいかわらず係長の威厳ゼロ(苦笑)
いつか入ってみようと思っていた露地裏の小体な鶏料理の店にて乾杯。地鶏のサラダ、鶏レバもやし炒め、名古屋風手羽先、鶏皮餃子、水餃子、、、ビールを呑みつつ週末の開放感を味わう。仕事の話や映画の話などし乍ら呑みかつ喰らう。名古屋風手羽先は『世界の山ちゃん』とは全然違うシロモノ。どのへんが名古屋風なんだ?と言うと名古屋娘のM嬢曰く「タレが赤味噌だよ」
10時解散。帰途、古川日出男『サウンドトラック』読む。
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このブログをご覧の友人から「吉野家手拭いの画像を載せてください」というリクエストがあった。限定100万人なので特に珍しくもなかろうと思っていたのだが、まあそういうことであればとアップしました。牛の代わりに牛丼がドン!と自己主張しています。
サワコさん、ご満足いただけましたか?
私が貰ったのは白ですがもうひとつ橙色のがあるそうです。復活祭当日の昼間、早々とセットでヤフオクに出品されていたのには大笑いでした。
アメリカの駐日大使が「(アメリカ産牛肉を使った)吉野家の牛丼は日本におけるアメリカのシンボルだ」などとほざいていたらしい。そうかもしれないが、なんだか面白くない……
仕事が急速にたてこんできてほぼ毎日帰宅が九時すぎである。まあいつものことであるが、これでいいのかなあ……と思ったりもする今日この頃。
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今にも泣き出しそうな曇天のもとを吉野家に向かう。年末あたりから牛丼販売を再開するという吉野家が、今日は一日限定でひさびさの牛丼販売をするのである。アメリカ産牛肉輸入禁止のあおりを受け、吉野家から牛丼が姿を消してもう二年半が経つ。特に吉野家の大ファンというわけではないので、前回は長い行列を見物するだけで終わったのだが、今回は牛丼を食べると吉野家特製手拭いが貰えるので行く気になったのである。
午前11時の販売開始と同時に行くのもマニアっぽくて気が引けるので、30分ほど遅れて近所の吉野家に赴くと、牛丼を求める難民がすでに長い行列を作っていた。そんなことだろうと思っていたのでとりあえず列に並び持参の本を読みふける。店員が何度も行列の客たちに向かって説明をしている。「店内でお召し上がりのお客様は比較的お早めに御案内できます! お持ち帰りのお客様はお一人4個までにさせていただきます! なお店内でお召し上がりのあいだにお持ち帰りをご用意することは御遠慮いただいております!」要するに食べる客と持ち帰りの客を峻別してます、ということだ。この時点ですでに100人待ちくらいだったが、私の後から後から牛丼の配給を求めて難民が陸続とやって来る。傘を持って来なかったのだがいまのところ雨が降る気配はない。
並び始めてから1時間ほど経ったところで100人待ちから50人待ちくらいのところまできた。 食事する客がちらほらと案内され始め、私も行列をはずれて店内に足を踏み入れた。しかし私の前に並んでいる客のほとんどは動かない。ということは、ほとんどの客が持ち帰り希望なんだな。たぶん知り合いに頼まれたり友だちの分を買いに来たりしているのだろう。こういうときこそ独りでよかったと思う一瞬だ。で、ひさびさの牛丼だが、やはり美味しい。他の牛丼店もそれぞれ個性があるのだがやはり牛丼といえば吉野家の味がいちばんしっくりくる。大盛、味噌汁、玉子でひさしぶりに吉野家の牛丼を堪能。
とはいえ欣喜雀躍、狂喜乱舞するような美味しさではなく、またそれが牛丼という食べ物には相応しい。そもそも500円玉でお釣りがくるような食べ物を過度に神聖視することもない。しょせん牛丼、しょせんカメチャブである。長屋の名人、庶民派と言われた先代林家正蔵(彦六)師匠が好きだったのが牛丼。奥さんが牛筋肉をコトコトと煮込んで作った牛丼がいちばん美味しい、と言っていたのが印象に残っている。食べたければ家で作ればいい。自分で手作りすることさえせず、吉野家の牛丼が食べたくて食べたくて……この日を一日千秋の思いで待ち焦がれておりました……などというのもなんだかなあ……などと手拭い欲しさで1時間も行列するあたしが言うセリフじゃあないネ。
カメチャブのカメというのは犬のこと。明治時代に西洋人が犬を呼ぶときに come here! と言っていたのを聞いた日本人が、そうかメリケン語では犬のことをカメって言うのか、ということでカメ。チャブというのは食事の意。明治時代には牛鍋の残りを飯にかけて犬の餌にしたのでカメチャブなどと言われていた、すなわち安い食べ物=庶民の味である。正岡容著『明治東京風俗語事典』(有光書房/1957)によれば「かめ(洋犬)明治初期、西洋犬をかめ、かめ犬と呼んだ。英米人が来い来い(Come here)といったのを、犬のことをそういうのだとおもい、そう呼びならわしたという説がある」「ちゃぶちゃぶ 食事のこと。食堂をちゃぶやといったのが、のちに売女をおくチャブ屋に変った」(同書)とある。卓袱台(ちゃぶだい)の卓袱(zhuo fu:チュオフー)は食卓に引く布のことで、転じて食堂をちゃぶや、食事をちゃぶと言ったのであろう。
今日は全国で牛丼難民が陸続と店鋪に来襲したことがニュースで伝えられていたのだが、並んだ挙句にわざわざカレー丼とか焼肉丼を注文してウケを狙うやつはいたのかな。
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先日来、身体がだるくて微熱あり。風邪でもひいたか。昼過ぎまで寝床で本を読んだりラジオを聴いたりして過ごす。
午後、渋谷。今日は渋谷の例祭だったようで、小雨降るなか東急文化村へ向かう坂道を神輿が練り歩いていた。センター街にもBGMでお囃子が流れていたが、そこらへんのショップから流れるヒップホップとお囃子がいい具合にミックスされて、渋谷らしいなんともユル〜いトランス状態になっていた。誰かプロデューサーでもいるのだろうか。まさかネ。
ブックファーストにて、探していた都築饗一『夜露死苦現代詩』(新潮社)、先日亡くなった歴史学の泰斗、阿部勤也の名著『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)を購う。HMVで坂田明『ひまわり』を購う。ついでにサディスティック・ミカ・バンドでも、と思ったが、加藤和彦ヨーロッパ三部作の初篇『パパ・ヘミングウェイ』(1979)があったのでそっちを抜く。
HMVのジャズフロアでCDを物色していると、練習帰りらしい楽器を背負った男の二人組に遭遇。ギターを背負った先輩とサックスのケースを背負った後輩という間柄か。男A(推定年齢三十代後半)は日本人ミュージシャンのCDを眺め乍ら、誰某といっしょにセッションしたことがある、こいつはメチャメチャ巧かった、こいつはアメリカ留学までしてるのにまだこんな安い仕事している、とちょっと自慢げに語り、男B(推定年齢二十代後半)は感心したふうで、そうっすかア、へー、そうなんすかアと相槌。全国の大学のジャズ研究会や軽音楽同好会で、時代は変われどいまも交わされているであろうマヌケな会話だが、ひさしぶりにこういうのを耳にしたのでちょっと面白かった。なんだか昔の自分を見ているようでこっ恥ずかしかったけど。
家で『ひまわり』を聴く。メンバーは坂田明(as、ss、cl)、フェビアン・レザ・パネ(p)、吉野弘志(b)、ヤヒロトモヒロ(perc)の4人。太くて明るく、ちょっとザラついた坂田明独特のアルトが良い感じ。武満徹の「死んだ男の遺したものは」で激情を迸らせる坂田のアルト、かつての山下洋輔トリオでヨーロッパを席巻していた頃の雰囲気だ。良いなあ、坂田明。
近所の図書館で『李香蘭〜私の半生』を借りてきた。ようやくこれで読むことができる。
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休みなので家でボケ−ッとしていたら部屋の中が汚い。
独り暮らしの男としては、まあマメに掃除していると自負してはいるし、とりあえず掃除をしてあちこちかたづける。さて、ここでいつも困るのが本の山。本棚に入りきらない本が床に積んであるのだが、こいつらはいつのまにか増殖を始めて、あっというまにどえらいことになってしまう。
最近マイブームなのが李香蘭。彼女の自伝がどこかにあるはずなのだが、これがどうしてもみつからない。処分はしていないので絶対に家にあるのだが、これがみつからないのである。気を取り直してえいやっ、と本のかたづけを始めた。かたづけといっても要するに、乱雑かつ適当に放置されている本の山をきちんと積み直す、というだけで、なんら根本的な解決にはなっていない。
かたっぱしから本をジャンルかつ版型ごとに分類整理していると、ああこの本はここにあったのか、この本って家にあったんだ(こないだ買っちまったヨ)、はてこの本はいつ買ったんだっけ? などという呟きが脳裡にこだまする。どうやら本はきちんと積み直されてとりあえず“かたづけた”という状態になる。でも李香蘭の自伝は出て来ない。うーん、何処にあるんだろうなあ。
もう面倒臭いから買ってしまったほうが早い、、、だから本が増えるのだ。図書館で借りればいいだろ、図書館で。そもそも無駄に使っている部屋があるんだから、ちゃんとゴミを捨てて整理整頓すればこんな状態にはならないはず。わかっているならやればいいのだが、そのへんが独り暮らしの男としてはどうもやる気にならない。
うーん、ナンダカワカンナイ。
きれいにかたづいた?本の山
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9月初日は雨。涼快。渋谷ではけっこう雨が降っていたのだが高円寺に到着したら夕焼け空になっていた。待ち合わせまでガード下の小さな焼鳥屋で酎ハイを呑んで時間を潰す。
沖縄料理「きよ香」にて友人たちと飲む。おみやげの交換会、Hさんからは青森と長野のおみやげを、Kさんからは板橋区のおみやげをもらい、私は名古屋と中国のおみやげを渡す。オリオンビール、ゴーヤチャンプルー、ラフテー、フーイリチー、島らっきょう、豆腐ようなどなど。露地裏の小さな店なのだが陸続と客が入ってきて大盛況。新潟観光を夢見るHさんのために、同じ新潟出身のKさんとふたりであれやこれやと観光スポットを考える。といってもたいていはマヌケな観光スポットなのだが……飲んで食べて喋ってくたびれてしまい、二次会の席で居眠りしてふたりに笑われる。帰りの電車のなかで「さっき寝ていたときに、おでこにマジックで何か書いちゃおうか、って言ってたんですよお(笑)」とKさん。書かれなくて幸いである。電車が遅れて渋谷駅でしばらく待たされ超満員電車で帰宅。
ソウルに行ってきたM嬢との会話。
「韓国の交通事故は日本の3倍、なにしろソウルじゃ車がすごいスピードで走ってるんだよ……もう吃驚しちゃった」
「ああ、韓国人の口癖はパリパリ(早く早く)だって本で読んだね、何でもパリパリだって」
「もうホントに凄いんだよ、あれじゃあ交通事故が多いのも当然」
「中国は横断歩道があろうが信号が赤だろうが、渡りたいときに渡りたいところで渡る、というのがスタンダードだよ」
「じゃあ中国人がソウルに行ったらどうなるんだろう」
「これからの東アジア外交における隠れた問題点だな(笑)」
岡本太郎『明日の神話』を観に汐留まで行ってきた。
展示の最終日だったが昼間だったのでそこそこの混雑ぶり。
いやホンモノは違いますね。圧倒されました。
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秋葉原のイベント会場で男が暴れ、花火がうるさいとオヤジが散弾銃をぶっ放し、酔っ払いが『日本沈没』の上映中に消火器を噴射する日本の夏、緊張の夏。白神山地の禁漁区で違法にイワナの渓流釣りが後を絶たず問題になっているという。
報道によれば「注意した監視員が釣り人に囲まれ、怖い思いをしたこともある。山の中では助けも呼べないため、取り締まりは容易でない」という事態にもなっているようである。山奥の渓流で多勢に無勢、そりゃ怖いだろうなあ。だいたい釣り人って魚を釣ることしか頭にないやつが多いからなあ。釣り人が率先して自然保護を実践しましょう、っていうのは、つまりそれだけ自然保護なんぞ頭にないバカが多い証拠。
こういうときこそ地元のヤクザや元気の良い兄チャンを監視員に起用すればいいと思うのだが如何? バカ釣り人の前に竹内力や的場浩司みたいな強面が岩陰からのそり、と現われて凄むのである。
「おう、ここで釣りなんかしちゃなんねえぞ、山の神様のバチがあたるべよ」
「おめだづ、みな罰金だぞ、罰金。バチがあだるよか罰金で済めばいいでねえか、なあアニキ」
「それよかここらへんの熊ども、最近イワナが取れねようで腹減らしてるっ、て噂だぞ(笑)」
「神様のバチと熊と罰金のどれがいいだべさ、おお、聞こえてんのかよっ!」
地方の若者の雇用促進にもなるし、だいたい役人なんぞには腰の据わった指導なんぞできないから、このほうがいいと思う。彼らをいま流行りの「見なし公務員」扱いにすればいいのだ。禁漁区で違法な釣りをしてたら監視員に殴られた、などと訴えるようなバカは、公務執行妨害でどんどん逮捕すればいいのである。
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先日のことである。ギンギラギンの炎天下、さて映画を観るぞ、と池袋新文藝座までたどり着いて愕然とする。なんともマヌケなことに日にちを勘違いしていて、観たい映画はもう終わっていたのだった。打ち気満々でストレートを待っていたらとんでもない暴投が飛んできた気分。目標が突然消滅してしまい、とたんにヘナヘナと力が抜けてしまう。
しょうがねえなあ、池袋演藝場でも冷やかしに行くかと歩き出した。ところが番組表を見てあまりにもつまらないので断念。第二球も空振りだあ。路上で呆然としていてもしょうがないので知音書店に入る。おや、店鋪が縮小されたようだ。棚を眺めてCD『中国50年代経典歌曲』『中国70年代経典歌曲』『中国80年代経典歌曲』を購う。なぜか60年代だけ見当たらないが、まあいいか。次にジュンク堂に足を伸ばし絲山秋子『絲的メイソウ』、パトリック・マシアス著・町山智浩編訳『オタク・イン・USA』を購う。池袋の地下食料品街でソーセージ、唐辛子、パスタなどを仕入れて帰宅。
しっかりと辛い赤と青の唐辛子をみじん切りにして、ニンニクといっしょにオリーブオイルで炒める。茹であがったパスタをささっと絡めてスパゲティ・アル・デスペラート(絶望のスパゲティ)のできあがり。おお、今日の出来は上々、と自画自賛。それにしても勘違いで始まった一日の締めくくりが、絶望のスパゲティとはこれいかに。まあ美味しかったからいいか。
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買い物の途中で八百屋に寄った。いつもは仕事帰りに駅近くのスーパーマーケットなどで買うことが多いのだが、今日は休みでもあり駅まで歩くのもめんどくさかったのである。
この八百屋ときたら、いったい戦後の闇市時代からあまり変わっていないのではないか、というくらいの小さくて古くさい店。なにしろいまだに店内(というほどのものではないが)の照明が裸電球。夕方に通りかかると薄暗闇のなかにぼんやりと灯が見え、年季の入った木製の棚にキャベツや長ネギ、ピーマンが無雑作に置いてある。この棚の微妙な傾き加減が年輪を感じさせて、まるでつげ義春のマンガのような雰囲気の八百屋なのである。
いつ潰れるかと思っているが、ときどき近所の婆さんがホウレン草などを買っているので、お馴染みさんもけっこういるのであろう。ここには六十がらみの気の良いオヤジがいて、店の奥の居間には八十過ぎとおぼしき白髪の爺さん(父親?)がいつも呆然と座っている。この爺さんが店に出ることはめったになく、いつも気の良いオヤジが対応してくれる。
今日も店先でいろいろ野菜を眺めているとオヤジが出てきた。生の唐辛子が欲しかったのだが店頭には置いてない。ここには置いてないだろうなあと期待もせず、オヤジに「唐辛子ある?」と尋ねてみた。するとオヤジが「ああ、唐辛子? 生の? ああ、たしかここに」と言って、なんと店の奥から唐辛子を引っ張りだしてきた。しかもスーパーマーケットではあまり置いていない生の鷹の爪。乾燥したものはよく見かけるが生の赤唐辛子はなかなか見ないのでちょっと吃驚。特に値付けをしていないらしく「どれくらいいるの?」 と言うので「そうねえ、10本くらいもらおうか」と答える。
ついでに2個で150円のトマトを買おうとしたら箱に1個残ってしまった。するとオヤジが「あれれ、1個残っちまったナ、まあいいか(笑)」とめざとく言う。なんだかその物言いが引っかかって「じゃ3個もらうよ(苦笑)」と言うと、待ってましたとばかりに「そうかい、悪いねー(苦笑)、ほんじゃ3個で175円でいいよ、残しちゃもったいねえから、その代わり唐辛子はオマケしときます。頼んで(トマトを)買ってもらっちゃったからね」滅多に見ない鷹の爪をまるで私を待っていたかのごとく用意し、しかもトマトを飄々と売りつくすしたたかさ。うーむ、おぬしただのネズミではないな?
長茄子、トマト、鷹の爪を買ったので、今日はトマトと茄子のパスタ・アラビアータを作って食べた。
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ようやく暑い夏がやってきた。なんだかんだ言ってもやはり夏は暑いほうが良い。まあ年々歳々度を越した寒暖が身体にこたえるようになってきているが、それでも夏は暑いほうが、冬は寒いほうが良いのだ。
暑いので大瀧詠一の『A LONG VACATION』を聴く。もう四半世紀もむかしの音源だというのにたまりませんね、こりゃ。気分は一気に高校時代に逆戻りです。モノの本によれば大瀧詠一はこのレコードの大ヒットのお蔭で、好きなことをして暮していけるようになった、ということですが、やはりデキル人は違う、ということである。
川崎の工業地帯を散歩していたときに遭遇した街の本屋について考える。なんというか、整理とか整頓といったものを放棄して際限なく増殖する原子生命体の感がある。考えてみれば取り次ぎ店から送られてくるこれだけの本や雑誌を、いちいち並べて仕舞っての繰り返し。期限が来たら返品もしなくちゃならないし、返品の精算もしなくちゃならない。それでいて本や雑誌の売り上げなんざ多寡が知れている。なんとも書店稼業というのはたいへんなのである。いっそのことデッドストックにして何十年も経ってから売れば良い値段もつくだろうに、などといいかげんなことを夢想してしまう。
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仕事柄、筆記具は缺かせない。請求書の処理をするときは手に馴染んだボールペンがいちばんである。とはいえメモを取るときはいまだに鉛筆派。国産鉛筆もいいけど外国製の鉛筆もなかなか味わいがあってよい。
http://itoya-store.jp/store/ProductDetail.do?pid=224-0001
これは伊東屋オリジナル鉛筆。実にスマートなデザインで持ちやすく書きやすい。はじっこについている黒いもの、実はこれは消しゴム。みごとに鉛筆と一体化していてしかもよく消えるところが嬉しい。もったいなくてあまり使わないのは本末転倒なのだが、それくらいスマートなデザインであるといえよう。
あとは指示をするときや書誌を修正するときに赤鉛筆をよく使う。短くなるまで徹底的に使う。短くなると持てなくなる。そのときは鉛筆の補助軸が大活躍だ。武骨なシルバーの補助軸もいいのだが、ここでも伊東屋オリジナル補助軸を使おう。色合いといい手触りといい実にお洒落で気持が良い。
http://itoya-store.jp/store/ProductDetail.do?pid=224-0014
4色あるが私は黒の補助軸にちびた赤鉛筆を差して使っている。赤と黒ならスタンダールざーんす、なんてネ。
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亀田興毅vsファン・ランダエタの一戦
ランダエタの巧さに翻弄されてこりゃ亀田の負けだな、と思っていたらなんと判定で亀田の勝ち。うーん、今回は亀田は負けたほうがよかったと思うのだが、、、それにしてもアナウンサーも解説者もみんな最後は「根性!」の連呼。ワールドカップの日本チーム応援の雰囲気とおんなじだ。根性でなんでもできる!と思いたいのか。それでもこの試合はとてもスリリングで面白かった。
金沢医科大学病院からのお知らせ
毎日毎日たくさんの迷惑メールが送られてくる。いちいち消すのがもう日課になっているが、先日来たのは送信者が「金沢医科大学病院」、タイトルは「全裸検診ってしたことありますか?」。念のため調べてみたら金沢医科大学病院は実在していた。もちろん全裸検診などは実施していない。よく考えるもんだなあ、と思っていたら、今日は「立川医科大学病院」から同じメールが、、、こちらは実在していない。なんだかなあ。
電子メールが仕事の重要な道具になる、と言われたときには、迷惑メールを消すことも仕事の一部になる、なんて誰も思わなかっただろう。もちろん膨大なメールを確認することも仕事の一部になり、まったく何をか言わんや、である。
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夏の出張のことでA君と相談。
「昼に名古屋駅到着ですから、昼飯を食べて現地に向かいましょう」
「それじゃ最初の名古屋ランチは味噌カツか?」
「そうですねえ、夜に味噌カツ食べるよりは昼飯のほうがいいですかね」
「夜はどうしよう?」
「名古屋人のMさんが『ぜひ手羽先を食べてネ』と言ってました」
「おお、それは『世界の山ちゃん』だな」
「翌朝はもちろんモーニングですよ、モーニング(笑)」
「海老フライはどうする?」
「海老フライ付きのモーニングを食べればいいんじゃないですか」
飯を食いに名古屋に行くんじゃないっつーの。
M嬢と近所の喫茶店でランチ。
夏休みにソウルへ行くというM嬢に、朝鮮語をむりやり教えて嫌がられる。
「喉が乾いたら『ビールジュセヨ(ビールをください)』って言えばいいの」
「あたしはそんなオジサンみたいなことしません(怒)」
ひさしぶりにY姐と飲む。
仕事帰りに「お茶でも飲みますか」と誘ったら「少しなら飲めるわよ、お酒(笑)」と嬉しそうに言うので居酒屋にて乾杯。牛煮込み、キュウリ糠漬け、さつま揚げ、ニンニクの芽炒めをつまみにだらだらと仕事の話やら映画の話をする。
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過労とストレスで胃をやられて相変わらず酒が飲めないY姐だが、残業で遅くなるとさすがに腹も減るらしい。そうなると「ねえ、ご飯食べていこうよ」と駅前の居酒屋に連れ込まれる。居酒屋だから酒を飲まないわけにいかないので、私はいつものように生ビールなぞを飲む。姐はウーロン茶なぞ飲みつつ「美味しそうね、、、(笑)」と恨みがましく呟くので、飲みづらいったらありゃしない。だいたいなんで居酒屋なんだ、食堂に誘えばいいじゃねえかと思うが、なぜかいつも焼鳥屋や臺灣料理屋で仕事の話なぞする。
「おととい検査に行ったの、まあほとんど治っているんだけどネ。そしたらさあ、胃にピロリ菌がいるんだって、ピロリ菌。ここ(お腹を叩く)にいるのよピロリが(笑)。ほら二、三年前くらいから、あたし血小板が減少気味だったじゃない? あれもピロリ菌のせいなんだって。(正確にはヘリコバクター・ピロリですね) え、何? ヘリコプター? なんだか知らないけどいるのよ、ピロリが(笑)、それでしばらく投薬治療で根治することになったの。だけど一度でも飲み忘れるとダメなんだって、ホントかしらね。、あーあ、薬じゃなくってビール飲みたいなあ」
四の五の言わずに薬を飲んで早く治しなさい。
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今日はひさしぶりに渋谷をブラブラとほっつき歩いた。最近は週末になると疲れ果てて家にひきこもっていた。しかし今日という今日は、いろいろと用事を済ませる必要があったので、えいやっとばかりに家を出て歩き出す。
渋谷到着。銀行口座にお金を降り込み郵便局で小包を発送しひと息つく。腹が減ったのでセンター街にあるインド料理屋にて辛口マトンカリーとサフランライス、ラッシー。時々雨がぱらつく蒸し暑い午後。伊東屋でいい感じの鉛筆削りを見つける。
うっかりHMVに入ったら欲しいものがいっぱいあったので買い込んでしまう。『アイランド・ヴァージン〜エッセンシャル・エリントン/渋谷毅』、『ラスト・デイト/エリック・ドルフィー』、『Celebration/Sheila Jordan + Cameron Brown』、『Ike Quebec The Complete Blue Note 45 Sessions』(以上CD)、『RAHSAAN ROLAND KIRK IN EUROPE 1962-1967』、『行方知れズ』(以上DVD)、、、リュックが重い。
ブックファーストまで歩いて筒井康隆『虚構船団』、松尾スズキ『ぬるーい地獄の歩き方』など購い外に出たときは、さすがに脚は痛み喉は乾き、このまま居酒屋に沈没したい気持になる。それでもここでセンター街の居酒屋に沈没した日にゃ、もう朝まで居続けになりそうな予感。えいやっとばかりに駅に向かって歩き出し渋谷を後にする。明日こそ家にひきこもることにしよう。
ソファに寝転がって徳田秋声『あらくれ』読む。
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順当にいけば楽勝、とはゆかずともまあ勝利は鉄板と思っていたが、観ているうちにこりゃヤバいかも、と思い始めた。しょぼい先制ゴールで1点リードで迎えた後半、オージーたちがまあ走ること走ること。守りを固めて逃げきりを図る日本に対し、イケイケ突貫攻撃でゴールを狙うオージーたち。ガッツンガッツンとゴールめがけてシュートを放つ。
日本は逃げ切れるかなあ、と思って観ているうちに同点シュートを決められた。ドイツから悲鳴が聴こえてきそうな雰囲気。後は推して知るべし、逆転、追加点をたてつづけに決められてホイッスル。NHKBSの解説者が「オーストラリアは(予選で)落ちてゆくでしょうねえ」などと明言したあとだけになんともはや。残り6分で3失点だからなあ。
ゴールをきめるたびに腕を振り上げて喜ぶヒディンク監督と、ゴールを決められるたびに暗さが増していくジーコ監督。明暗くっきり。これはこれで面白い。韓国のスポーツメディアが大喜びしているだろうなあ。なにしろヒディンク監督は、前回の日韓共済ワールドカップで韓国をベスト4に導いた、いわば韓国の英雄だ。その英雄が、こんどは日本をこれ以上ないくらい叩きのめしたのだから、そりゃあもう大喜びであろう。なにしろ韓国ではこの試合の視聴率が50%超というから凄い。
ま、私はドイツサポーターだからいいんだけどネ(苦笑)
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ようやく仕事が一段落ついたのだが、相変わらず八時過ぎまで職場にいる。本来の仕事量が多いからしかたないのだな。とはいえ、いままでは臨時の仕事と始めての仕事が、それこそ集中豪雨のように降ってきたからへとへとになっていたのである。いまは本来の仕事だからそれほど精神的なプレッシャーは感じない。
M嬢と昼餉をとっていたら中小企業論のB教授がやってきて、オンラインデータベースの利用についていろいろと質問して去っていった。常に前向きで研究と教育を両立している姿勢は見習うべきものがある。「こういう先生ばかりだったら、図書館の仕事ももっと楽なんですよねえ、、、」アイス珈琲を啜り乍らM嬢、ぼやく。
八時過ぎに経理課に書類を出しに教室棟の脇をぶらぶら歩いていたら、外灯の下で学生たちが真剣な、それこそドラマのような問答をしていた。「ん? なんだなんだ、青春か?」などと思っていたら、何のことはない演劇部の連中が芝居の稽古をしていただけだった。紛らわしいことするんじゃない。ま、これも青春か。
電車のなかで『嫌われ松子の一生』の上巻を読み始めたら止まらなくなる。慌てて下車駅の近くの本屋に飛び込んで下巻を購い帰宅。
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昨日はひさしぶりに神田神保町の書店街を散策し、近藤久義『天津を愛して百年』、楊大辛編著『天津的九国租界』『城市記憶・老地図 天津1936』、『天津市地図冊』購う。キッチン南海にてカツカレー。探していた『天津教育史』『日本侵華教育全史』は在庫無し。図書館で探してみよう。
九段下から東西線で阿佐ヶ谷へ出て東京オプチカルにて眼鏡受け取り。オリジナルフレームのセンスの良さ、店員の対応には定評のあるところ。最近流行りの細いフレームを勧められたので戯れにかけてみる。店員は「似合いますよ」というが、ますますアヤシイ風貌になる。
阿佐ヶ谷から荻窪まで歩き駅前をブラブラしていると小さな立ち呑み屋発見。入ってみたらなんとここはつまみがイカづくし。イカ刺身、イカ塩辛、ゲソ焼き、イカ納豆、、、イカ刺身と珍味わたあえを肴にホッピーを呑む。うーん、美味。亡くなってしまったHさんを連れてきたかったなあ。良い心持ちで電車に乗り込みフラフラしながら帰宅。
今日は今日で市立図書館に行ったら臨時休館だったのでがっくり。予定変更して下丸子界隈の古書店を散策し、根本敬『電気菩薩』、『荒木経惟・末井昭の複写「写真時代」』、朽木寒三『馬賊天鬼将軍伝(上・下)』、悠玄亭玉介『幇間の遺言』、猪瀬直樹『日本凡人伝・二度目の仕事』、中村征夫『全・東京湾』、櫻田純『なるほど!鉄道雑学100番勝負』購う。意外と趣味の良い古書店がある街だ。
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ようやく仕事が一段落していつもより早めに退勤、といっても七時過ぎだが。帰途古本屋に寄って大道珠代『しょっぱいドライブ』など購う。
この頃からなんだか脚に違和感を覚えていたが、駅の階段を登るときに膝がガクガクしているのに気づいた。今日も一日あっちこっちと駆け回っていたせいかもしらんが、そんなに酷使したっけかなあ? 家までの道のりがけっこうきつかった。歳のせいかしらん、トホホ。
親友よりメール来。第二子懐妊との知らせに喜ぶ。長男に続いてこんど生まれてくる子も、赤ん坊の頃から手なずけておかねば。将来、行き場がなくなったら親友宅の庭の隅っこに住わせてもらう約束なので、子どもたちに愛される爺さんになっておく必要があるのだ(笑)
「おじいちゃん、ご飯だよ、早くおいでよ」
「いつもすまないのお、、、」
「それは言わない約束でしょ(笑)」
ちょっと楽しみ。
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岡田真澄死去。享年70。
日活映画黄金時代に缺かせない名脇役だった。『幕末太陽伝』でファンファンは青い目の番頭を演じていた。『銀座二十四帖』でファンファンはキザなプロ野球選手を演じていた。『嵐を呼ぶ男』では洒脱なベース奏者を、『狂った果実』では湘南の軟派で複雑な性格の青年を演じていた。バーテンに英語でオーダーを尋ねられ(外国人だと思われたのデス)、とぼけた顔で「焼酎」と答えるのが可笑しかった。若い頃はヒョロリとしたガイジンだったのに、晩年はスターリンそっくりに変貌して可笑しかった。
唐沢俊一によれば「コペンハーゲンにある人魚姫の像のモデルは、岡田真澄の母方の親戚」だそうである。ついでにファンファンとはジェラール・フィリップの役名が由来だそうな。
米原万里死去。享年56。
週刊文春に連載中だった書評コラムのなかであるとき(昨年だったかな)ガンであることを告白したときはちょっと驚いた。抗癌治療の本(なかにはかなりアヤシゲなものも)をいくつもとりあげ、それぞれをみずからの身体と症状をもとに“書評”するという荒技を披露。つい最近も読んだばかりだったのに、、、最期まで骨太な女性だった。
米原万里の存在が一躍クローズアップされたのはソ連邦崩壊のときだった。ゴルバチョフ大統領やエリツィン大統領の同時通訳を務めていた姿はいまも鮮明である。思うに同時通訳者がクローズアップされるのは、その国家が世界的に大きな政変に見舞われたときだ。日本の社会主義が衰退するにつれて、ロシア語の翻訳者、同時通訳者は次第に影を潜めていき、米原万里も知る人ぞ知る存在であった。それが、二十世紀最大の事件のひとつであるソ連邦崩壊というタイミングに、これまた実力と個性の際立った米原万里の存在がみごとにシンクロした。これがもう十年早くても遅くても、米原万里の人生はいまとはまったく違うことになっていただろう。
人、これを運と言う勿れ、運も才能のうち。
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今日の朝餉。駅のパン屋で買ったパン。昼餉。コンビニ弁当。夕餉。駅の立ち食い蕎麦。ウェンディーズで文庫本を読みつつハンバーガー。ひさびさにジャンクフードな一日だった。
不味いアイスコーヒーを啜りつつふと目をあげると、ひとりで無心にポテトフライを貪るOL、だらしない顔つきの若い男女、化粧バリバリで煙草をふかすオネエチャンたち、子ども連れの金髪ヤンママグループ、キャップを阿弥陀に被った無精髭ヒップホッパーもどきのオニイチャンたち、、、私鉄沿線の憂鬱な屈託と澱んだ空気がみごとにここに集まっている。そして私もそのなかのひとり。
瞬間的に(ああ、リアルだな)と感じて、思わず笑ってしまった。テレビドラマでも映画でもインターネットでも絶対に感じとることができない現実感。ごくあたりまえの日常だからあらためてこんなこと思わないのだが、やはりリアルな空気は違う。私たちはこのどうしようもない現実のなかで確実に生きているのだなあ、としみじみと考えてしまった。
だからどうした、と言われても困るんだけどネ(苦笑)
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こないだの集中豪雨は凄かった。午前中はピーカンの晴天で、ランチを食べ乍ら「仕事なんかしてないで何処かへ行きたいねー」なんて言ってたのに夕方からあの有様。
最近はまるで亜熱帯かと思うような天気が目立つ。そろそろ日本も亜熱帯化しているのだろうか。まあそれはそれで私はけっこういいかも、と思ったりするのだが、やっぱり四季あっての日本なんだろう。
仕事がテンパッててもうヘトヘトなせいか、スコールのごとき豪雨に紫色の稲妻が光ると、なんとも爽快な気分になってしまう。いいんだかわるいんだか、、、てなわけで毎年お気に入りの亜熱帯・臺灣を思い出してしまう今日この頃である。
というわけで臺灣の古都・臺南の夕餉(左から青菜炒め、海鮮炒飯、臺灣ビール)
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連休前に過労で倒れて入院していた私の酒呑み友だちY姐が無事職場復帰。
失礼乍らもういい歳なので(と言っても私とそんなに違わない)心配していたのであるが、些か痩せたとはいえもうすっかり元気になっていた。
「休んでいる間はいろいろと迷惑かけたわね、もうだいじょうぶよ。医者に『お酒はいつ頃から呑めますか?』って聞いたらネ、『ひと月は我慢してください』って言われたの。だからひと月たったら呑めるわよ(笑)」
もっと別なことを心配しなさい。
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いつものように週末は寝ていた。
ずいぶん良い天気の日曜日で残念なことではあるが、それでも身体が疲れているのでとにかく休息。
枕頭のラジオから聞こえるDJのトークを聴き乍ら、本を読んだりうたた寝したりする。
もう少ししたらこの忙しさも一段落する、と思う。いや思いたい。
時間がとれるようになったら『嫌われ松子の一生』を観に行こう。
行きたいところは映画館と寄席と野球場(ドーム球場は嫌い)。
もうすぐFIFA Worldcup Germany 2006も始まる。
別にサッカーファンでもないのだが、ドイツサッカーファンとしてはやっぱり観てしまうのだろう。
さて明日からまた仕事、今週は八時前には職場を出たいなあ。
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晴天に恵まれたGWだというのに何処にも出かけないのはダメな奴か? ハイ、ダメな奴です。
まあいいんだけど、もともとGWに何処かへ出かけるという習慣がない。かつてはGWに人口の減った都心を散歩したり、映画館のハシゴをしたり、そんなこともしたものだが、今年はダメだ。年度末からの激務に心身共にくたびれ果てていて、さあ何処かへ行こうなどとはあまり思わない。
誰にも会いたくないのでひたすら家にひきこもり、ラジオを聴いて本を読んで日が暮れた。外界との交わりも、せいぜい近所の立ち呑み屋で焼酎を呷り、焼きとんを齧って文庫本を読むくらいが関の山。しかも立ち呑み屋で1時間くらい居たら腰が痛くなった。情けない。
ああ、寂れた山奥の湯治場でひっそりと過ごしたいなあ。なんだかつげ義春みたいになってきたぞ(苦笑)。
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街角でささやかな会社を経営していた矢野正彦(仮名)は数年前にパソコン用商品の販売でひと儲けした。脱サラで始めた会社だったが当初は競争相手の多いこの業界で生き残るのに必死だった。大手コンピュータ会社の営業で培った人脈を活かして、ユーザの立場から安くて丈夫で使いやすい商品をいくつか企画開発し、地道な営業努力を続けた。その結果、じわじわと売れ行きが上昇カーブを描くようになり、ようやく社員たちに恥ずかしくないボーナスを支給できるようになった。
ところが最近、製造単価をより安くあげるため労働力を中国に求めることを考え、つてを頼って北京のシリコンバレーと呼ばれる中関村(チュンクヮンツン)に進出。これが裏目に出た。合弁を申し出た王才龍(ワン・ツァイロン)に自分たちの企画開発情報をみごとにパクられたうえに、才龍はさらに安い製品を勝手に作って輸出し始めたのである。抜け目ない彼らは矢野に李春艶(リ・チュンイェン)という若い愛人をあてがった。中国四千年のテクニックを駆使する春艶に骨抜きにされた矢野は、業績がみるみる落ちていく事実に憤り乍らも、春艶と戯れることを止められなかった。どうやら麻薬を嗅がされていたらしいと気づいたのは、尾羽うち枯らして帰国した後だった。
ある日、帰国した矢野の会社に才龍がやってきた。凄い企画があるのでぜひ矢野に日本での販売総代理店になってもらいたいという。半信半疑だった矢野だが才龍の後ろで微笑む春艶の姿を見てふたたび地獄に堕ちた。中国人がどんどん会社に入り込み、日本人の社員は次々と辞めていった。春艶のマンションに入り浸る夫に愛想をつかし、妻は小学生の娘を連れて矢野のもとを去っていった。とうとう会社を乗っ取られたうえに多額の負債を押しつけられた矢野は、家も会社もすべて失い自家用車で寝泊まりするようになる。そしてある日サラ金の取り立てが自家用車の窓ガラスを叩く。
「社長さんよお、動く家ってのもいいもんだが、俺たちゃ探すのに苦労するんだよお(笑)、いいかげんにしてくんねえかなあ、金がないなら腎臓ひとつ貰いたいんだよねえ、人助けになるし借金は返せるし、なに、悪い話じゃねえと思うよ(笑)」
そしてある冬の夜、数人のダークスーツ姿の男が現れ、矢野は黒塗りの外車に乗って闇に消えていった。路上に残された自家用車はそれ以後「空家」になったのである。
というようなドラマがあるんじゃないかなあ、あったら面白いんだけどなあ、と妄想する散歩中。
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呑み仲間のY姐といつものように駅前の酒場で麦酒を呑みつつぼそぼそと語る。
そういえばついに持ち家購入なんですってね
「長年住み慣れた都営住宅を追い出されるからしょうがなく、だけどね」
追い出されちゃうんですかあ、都政も厳しいですねえ。
「慎太郎のせいよ(笑)。いまの職場に移ってようやく生活が安定したら、こんどは所得が増えちゃって出ていかざるを得ないの。
はあ、なるほど。暮し向きが楽になったらじぶんでなんとかしなさい、ってことですね。
「ウチの子どもたちもまだ学生だし、この齢でローンなんか抱えちゃってこれから先どうなるのかしら、って言ったら娘に笑われたわよ、まったく(笑)」
ゆく川のながれはたえずしてしかももとの水にあらず、よどみにうかぶうたかたも、かつ消えかつむすびて、ひさしくとどまりたるためしなし、と『方丈記』にあるように、どうなるもなにも考えたところでなるようにしかならないですよ。
「まあ、あなたみたいに独りでふらふらしてるならともかくねー、あたしは子ども抱えてるのよ(笑)」
ふーむ、、、あ、そういえば来週のレファレンスカウンター当番表ってもう担当に伝えましたか?
「え、、、ああ、まだだったわー! もう、なんで職場で言わないのよお、こんなとこで言ってもダメでしょ!」
まあ将来の不安にくらべたら来週の当番表くらい、、、
「目先の当番表のほうがだいじでしょ! ローンくらいなんとかなるわよ、まったくもう」
こうしていつものように実りのない酒席は、いつ果てるともなくだらだらと続くのである。
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二子新地のダンスホールについて調べていたらもうひとつ思わぬ収穫があった。
それはこの殺人事件に関することだ。
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昭和三十八年九月二十八日付け読売新聞朝刊 〔川崎発〕 二十七日午後十一時十五分ごろ神奈川県川崎市二子五六さき路上で、二人組のヤクザふうの男と口論していた男が、二人組の男の一人から鋭い刃物で心臓を突き刺されて間もなく絶命した。通りかかった同番地デパート店員田口義順さん(二五)と、通行中の高校生二人(いずれも十六歳)が、百五十メートル追いかけ、多摩川土手に追いつめたところ、二人組の一人がピストルで田口さんめがけて発射、田口さんは右肺を撃たれて出血多量で重体。犯人たちは待たせてあった黒塗りの乗用車に飛び乗り、別のもう一人の男の運転で東京方面に逃走した。
近所の人から一一〇番の通報を受けた川崎・高津署は全署員を非常召集するとともに、隣接する中原・稲田両署の応援を得て捜査している。殺された男は持っていた自動車運転免許証から東京都世田谷区船橋町一〇九四花形敬さん(三三)とわかった。
花形さんは東京・渋谷をナワ張りにしている暴力団「安藤組」の大幹部。三十三年六月、銀座のビルで東洋郵船社長横井英樹氏をピストルで撃った「横井事件」では、安藤昇組長の参謀として襲撃計画をたて、東京高裁で殺人未遂ほう助罪などで懲役二年六月の判決を受けた。
その裁判で保釈中には、三十四年六月二十日、七月三十一日と続けて二回も渋谷署員に乱暴を働いてつかまるなど、前科だけでも七犯、二十四回もの逮捕歴がある暴力団員。安藤組長が服役中、安藤組の事実上の親分格となっていた。
渋谷署では、安藤組は横井事件で安藤組長ら幹部が逮捕されて以来、すっかり落ち目だが、I一家が横浜〜川崎〜東京とナワ張りをひろげ、渋谷で安藤組とことあるごとに対立、いざこざが絶えず、最近その対立が深刻になってきたため警戒していた矢先だった。(本田靖春『疵(きず)〜花形敬とその時代』文春文庫から引用)
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伝説の男・花形敬の生涯を追った『疵(きず)〜花形敬とその時代』は興味のある方なら必読の一冊。戦後の新興暴力団として名を馳せた安藤組の大幹部。戦後の混乱期を腕と度胸で生き抜いた男。明晰な頭脳と圧倒的な強さを併せ持った伝説の男。当時、飛ぶ鳥を落す勢いだった力道山すら、花形の前ではその凄みの前に圧倒された、というほどの男。対立する暴力団から狙撃されて重傷を負っても、その夜のうちに病院から抜け出して自分を撃ったチンピラを探し歩いた男。そのことを知ったチンピラは恐怖のどん底に叩き込まれた。それが花形敬。当時、日本のヤクザに関するノンフィクションを貪るように読んでいた私は、この男の凄絶な生き方に圧倒された。
この本を読んだのはだいぶ以前のこと。その後、私が二子新地に棲んだのはまったくの偶然で、自分でも知らないうちに花形敬の最期の地に引き寄せられていたのかもしれない。ある雨の夜、二子の裏通りにあるアパートでずいぶんひさしぶりにこの本を再読していて、此処は花形敬の終焉の地だと気がついた。ところが住居表示は昔とはすっかり変わっていて、新聞記事にある「二子56番地」が現在のどの辺にあたるのかがわからない。いつか調べてみようと思い乍らそのままになっていたが、今回昭和37年の二子新地界隈の住宅地図を閲覧して漸く見当がついてきた。まずは花形敬が二子新地に逼塞することになった事情をふたたび本田靖春の本から引用する。
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稲川一家が勢力を拡張する一方、町井一家も渋谷への浸透ぶりを目立たせていた。そうした中で、安藤組の一人が、町井一家の若い衆といさかいを起し、相手を練兵場跡の空き地へ連れ出して、刃物で顔と腸をめった斬りにした。やられた側の町井一家は当然、報復しなければおさまらない。その場合、つけ狙われるのは、安藤組を現に代表する花形である。
花形は難を避けるため、渋谷を引き払って、二子多摩川の橋を渡り切った先のアパートの一室にこっそり居を移した。だが、町井一家側は安藤組の事務所前に張り込みを続け、尾行でそのアパートを突き止めたのである。
昭和三十八年九月二十七日午後十一時すぎ、アパートの手前約三百メートルの道路わきに運転して来た車を駐め、ドアを開いて降り立った花形は、それに並ぶ形で駐車していたトラックの陰から現れた二人に、両側からはさまれた。
「花形さんですか」
「そうだ」
その次の瞬間、二人は同時に右と左から、柳葉包丁を花形の脇腹に突き立ててえぐった。花形はアパートの方へ二百メートルほど走って逃げたが、力尽きて昏倒し、その場で絶命した。生涯で初めて敵に背中を向けたとき、彼の三十三年の人生は終わったのである。(同書 p265〜266)
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『川崎市北部明細地図昭和37年度版』(経済地図社)によれば、当時の二子56番地には民家、割烹旅館、空家がそれぞれ1軒ずつ並んでいたことが確認できる。四つ角に面したところに民家が1軒。その隣に割烹旅館、その先に空家が1軒、それぞれ道路に面して並んでいる。花形敬が刺された現場「二子五六さき路上」は、おそらくこの四つ角の民家から割烹旅館、そして空家へと続く路上であると推測できる。しかも道路を挟んだ反対側はかなり広い空き地であった。現在は大きなパン製造工場が建てられているが、これだけの敷地が昭和三十七年当時は空き地だったとなると、夜は人通りも途絶えて闇の色が濃かったことだろう。事件は昭和三十八年九月に起っている。手元にある住宅地図は昭和三十七年度版で、出版は昭和三十八年である。住宅地図作成のための調査はおそらく昭和三十七年におこなわれている。したがって花形敬がいつ二子に居を移したのか、その時期が問題だ。しかしそれはわからない。だからあくまで新聞記事と本田靖春の聞き取り、そしてこの住宅地図から推測することにした。
花形敬が棲んでいたというアパートは何処か?
新聞記事で気になるのは、花形敬が所持していた運転免許証の住所が「東京都世田谷区船橋町一〇九四」とあることだ。運転免許証の更新を怠っていたのか? まあそれはないだろう。いくらヤクザでも免許更新くらいはしたはずだ。となると考えられることはふたつだ。転居とともに住民票も移したが、運転免許証の更新まで間があったのでそのままになっていたか、あるいは妻の名義でアパートを借りてそこを隠れ家としていたので、花形敬の住民票の住所は変わらなかったか。おそらく後者の可能性が高いと思われる。なぜなら花形敬がみずからの住所を変更したとすると、役所等で簡単に居所を突き止められるからである。町井一家が尾行までしてそれを探ったという事実からみて、妻の名義でアパートを借りて花形敬はそこを隠れ家としていた、と考えるのが適当だろう。この住宅地図にはアパートの住人までわかる範囲でかなり詳しく記載されているが、花形敬の名前をみつけることはできない。もし妻名義の記載があったとしても内縁関係だったら花形敬を特定することはできない。なお二子56番地にもっとも近いところに斉藤アパート(二子65番地)、田辺アパート(同62番地)と、いずれも住人の記載がないアパートが掲載されている。どちらも表通りから奥に入った隠れ家的アパートなので、ひょっとすると花形敬の隠れ家はこのどちらかではなかったか。
花形敬が死んだ場所は何処か?
新聞記事によれば「二子五六さき路上で、二人組のヤクザふうの男と口論していた男が、二人組の男の一人から鋭い刃物で心臓を突き刺されて間もなく絶命した」とある。本田靖春の聞き取りによると「アパートの手前約三百メートルの道路わきに運転して来た車を駐め、ドアを開いて降り立った花形は、それに並ぶ形で駐車していたトラックの陰から現れた二人に、両側からはさまれた。(中略)その次の瞬間、二人は同時に右と左から、柳葉包丁を花形の脇腹に突き立ててえぐった。花形はアパートの方へ二百メートルほど走って逃げたが、力尽きて昏倒し、その場で絶命した」とある。このふたつを整理すると花形敬は「アパートの手前約三百メートルの道路わき」で致命傷を負い、そこから「二百メートルほど走って逃げたが、力尽きて昏倒し、その場で絶命」したのが「二子五六先路上」だった、と読み取れる。
現在は二子橋の上流に新二子橋が架かり国道246号が通っているが、昭和三十七年時点ではまだ架橋されていない。となると東京側から来た花形敬は二子橋を渡ってきたに違いない。二子橋を渡るとまず旧大山街道に入る。二子新地の街は旧大山街道に二分され、両側に住宅が密集している。住宅地は今でも車で通るには道が狭く入り組んでいるため、花形敬は旧大山街道に車を駐車して、アパートまで歩くつもりだったのではないか。そうだとすると、花形敬が車を駐めた場所は、二子56番地へまっすぐ続く露地の入り口の森谷酒店(二子264番地)あたりだったと推測できる。報復の標的になっていた花形敬にとって、アパートは隠れ家だったはずだから、すぐ近くに車を駐車しないだけの慎重さは持っていたはずだ。そして何度も尾行を繰り返したであろう刺客は花形敬がいつも車を駐車する場所を確認し、事件当夜、たまたまそこに駐車されていたトラックの陰に隠れて花形敬がやって来るのを待ち伏せていた、と推察される。ここで刺客に襲われた花形敬は致命傷を負ったままこの露地に逃げ込み、二子56番地あたりで力尽きた。刺された場所から倒れた場所まで200メートル、というのはこの推測ではちょっと矛盾するが、とにかくこのルートがいちばんわかりやすい。そのほかの仮定では、腹を刺された花形敬は鮮血を滴らせ乍ら、曲がりくねった露地を走り抜けることになる。通常ならいざ知らず、致命傷を負わされたという切迫した状況では、この一本道を走り抜けると考えるのが妥当だろう。
奇しくもその二子56番地は、私がかつて棲んでいたアパートから50メートルも離れていない場所であった。
私は伝説の男・花形敬が血にまみれて死んだすぐそばに暮していたのだ。
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仕事帰りにときどき飯を喰いに行く食堂がある。二十年来通っているがぜんぜん外観も内装も変わらない昭和三十年代を彷彿とさせる食堂。吃驚するほど美味しくもないがかといって不味くもない。強いて言えば味が変わらない。不味くはなっていないのである。それだけでもたいしたものだ。もっともこちらの舌もたいしたものではない。
今年初めてこの店に入った。残業でくたびれて飯を喰って帰ろうという気になり、冷たい木枯らしに吹かれてドアを開ける。いつものいうに野菜炒め定食を注文して『週刊少年ジャンプ』をまとめ読み。といっても私は『こち亀』しか読まない。薄汚れたマンガ本が何冊か置いてあり、大衆食堂の定番『ゴルゴ13』も置いてある。そして私の目に信じられないものが飛び込んできた。
「なんでこれがここに、、、」
なんとそこにあったのは、みなもと太郎の『どろぼうちゃん』第2巻だった。といっても知らない人にはなんだかわかんないだろうが、みなもと太郎である。『007シリーズ』のパロディマンガ『ホモホモ7』のみなもと太郎。70年代のほのぼのとしたギャグマンガなのだが、なんでこの店にさり気なく置いてあるのだ? よくよく見ると他にも『俺の空』第4巻、『こち亀』の第5巻(なんと山止たつひこ名義!)、『まことちゃん』まである。この店は時間まで止まっているのか?
マチズモとアナクロニズムの権化『俺の空』では、安田一平とベッドで一戦交えた婦人警官が翌朝ベッドのなかでうっとりしていたり、イージーライダーみたいなレイバンのサングラスをかけた兄チャンが登場。『こち亀』の両津はまだ兇悪な顔をしているし、悪相コンビの戸塚巡査も頻繁に登場している。中川はランボルギーニ・カウンタックに乗っているし、交番の電話も黒電話だ。両津は浮浪者に向かって「おい、フータロー」と呼びかけている。しかし『まことちゃん』だけは時空を超えて爆発しているところが凄い。沢田家の面々のアナーキーさは永遠。
野菜炒め定食はこの二十年来まったく変わらない。それはそれでいいのだが、誰がこれらの古いマンガ本を持ってきたのだろう? それにしてもすべてが似合い過ぎているところが恐ろしい。
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家から駅へ向かう途中に市立図書館がある。毎朝、市立図書館の敷地を抜けて駅へ向かうのだが、今朝も白い息を吐き乍ら足早に駅へ向かって歩いていたら、大きな木の根元に妙なものが落ちていた。通りすがりにチラリと目線をやると、それはカバーがかかった文庫本だった。けっこう厚い文庫本だったが白いカバーが掛けられていて書名を確認すること能わず。天(本の上の部分)の感じからして新潮文庫のようだったが、何しろ今日はギリギリに家を出たので、立ち止まって確認することもできなかった。いつもなら(そんなことは滅多にないが)絶対拾い上げて確認するのだが、後ろ髪引かれる思いで駅に向かうのであった。
電車に乗ってからも、仕事をし乍らも、あの本はいったい誰が落したんだろう? 書名は何だったのだろう? なぜあんなところに落ちていたのだろう? と考えていた。いつもの忙しさに、その疑問はいつしか頭の中に埋没していたが、最寄りの駅からとぼとぼと帰宅する道すがら、すっかり暗くなってしまった夜道を図書館に向かう途中で、朝見かけた文庫本のことを思い出した。図書館の敷地に文庫本が落ちていたら、絶対誰か拾ったんだろうなあ、もう無いんだろうなあ。大きな木のそばに来たときに周囲に目をやったのだが、案の定何一つ落ちてはいなかった。うーん、あの文庫本は何だったんだ? 司馬遼太郎? 宮部みゆき? それともドストエフスキー? 謎は迷宮に消えてしまった。
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連日八時九時まで残業しているといい加減腹が減ってくる。この時間になると集中力もやる気も失せてくるし、これ以上遅くなると路線バスが無くなってしまい、最寄りの駅迄トボトボと歩くことになる。まあ歩いても30分くらいなのだからどうってことはないが、やはりバスに乗って駅迄行きたいというのが人情だ。
今日も疲れた身体を引き摺ってバスに乗り終点の駅で降りた。今日はこのへんで何か食べて帰ろう。そうだ、ひさびさにG亭に行って焼肉定食を食べよう。昭和三十年代を彷彿とさせる街の食堂で、美味しくもなくかといって不味くもない。コンクリート打ちっぱなしの床と安っぽいテーブルにパイプ椅子。マンガ雑誌が無造作に置いてあるという、由緒正しい学生街の食堂なのだ。私のように十数年来の客であっても、ベタベタ話しかけてくることもないオヤジが良い味出している。寒風吹き荒ぶ駅前の道を歩いてG亭を目指す。あそこは水曜日が定休日だから今日は開いているはずだ。ところが、なんと灯が消えている。とうとう潰れたかあ? まさかそんなことはないだろう。臨時休業かあ、しょうがねえなあ。同じく学生御用達のT食堂も、外観が怪しい老舗の中華食堂N楼も閉まっているし、定食屋Wはとっくに潰れちまったし、あとは牛丼屋くらいしかないけど行きたくないなあ。
落胆していると、露地の入り口に「沖縄そば」という幟が風にはためいているのが目に入った。「はて、こんなところに沖縄料理屋なんぞあったっけ?」ふらふらと露地に入っていくと、なんといつ出来たのか目の前に沖縄居酒屋が出現した。もう別の店を探すのもめんどうなのでここに入ってみた。わりと広いが客はチョボチョボしか入っていない店内には島唄が流れている。オリオンビール(しかも中ジョッキ)、ゴーヤチャンプルー、沖縄珍味三種(スクガラス、豆腐よう、ゴーヤのピクルス)、ソーキそば。値段は安くはないが、それだけまともということなのだろう。カリー春雨(泡盛の銘柄です)を追加して豆腐ようをつまみにちびちび呑む。私は豆腐ようが大好きなので嬉しい。泡盛に合うし酒のツマミとしては最高の部類に入る。仕上げのソーキそばにコーレグース(高麗胡椒:沖縄唐辛子の泡盛漬け)をドバドバかけて、あまりの辛さにヒーハーと喘ぎつつ食べる。店のオネエチャンに聞いたら、この夏に開店したばかりだという。ちっとも知らなかった。料理の味付けなど沖縄育ちのA妹に評価してもらいたい店である。
新宿に行くとたまあに寄るのが沖縄そば『やんばる』だ。新宿駅からスタジオアルタの隣、みずほ銀行ビルの角を折れて露地に入り、熊本ラーメン桂花の対面、繁華街の四つ角に『やんばる』はある。オレンジ色の目立つ看板と言えば、ああ、あそこか、と思い出す人も多いだろう。ゴーヤチャンプルー定食、ソーキそば、ラフティー丼、オリオンビールにシークワーサージュース。代表的な沖縄料理が食べられるファストフード店だ。これが正しい沖縄の味なのか、味はまあまあなのか、沖縄育ちのA妹にいっぺん聞いてみようと思っているのだが、いまだにちゃんと聞いたことがない。ここでもソーキそばにコーレグースをドバドバかけて、あまりの辛さにヒーハーと喘ぎつつ食べるのがやめられない。
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韓国ストリートと化している新宿の職安通りを散歩して、韓国市場でマッコリを一壜買って帰ってきた。焼肉屋に行くとたまにマッコリを呑むのだが、油っこい焼肉の後にトロッとして甘い口当たりのマッコリが美味しい。家でもマッコリを呑みたいなと思って探していたら、さすが韓国市場、何種類ものマッコリが売られていて、しかもお手ごろ価格。近ごろくたびれ気味で高麗人参エキスにも目がいってしまうが、いやはやさすがに高麗人参エキスは高い。もう中年なのだなあ、などと自嘲まじりに手頃なマッコリを手に取る。さすが韓国市場、野菜売場にはニンニク、唐辛子、ゴマの葉、精肉売場にはカルビ、ロースといったメジャーなものからさまざまなホルモン各種、鮮魚売場にはイシモチに蟹と韓国料理の食材が目白押し。それより面白いのが韓国のスナック菓子にレトルト食品。店内では朝鮮語がとびかい雰囲気満点だ。最近の韓流ブームでさまざまな関連グッズも売られている。
今年の正月、友人夫妻を案内してこのへんをほっつき歩き、新大久保でささやかな新年会をした。そのときは酒もツマミも異常に安い居酒屋で、魚肉ソーセージを齧ったりして静かな新年会。それからしばらくして蒸し暑い土砂降りの夜、ひさびさに夫妻と会って韓国料理屋でマッコリを呑んだ。夫妻とは長いつきあいだが、その数カ月後に友人は不慮の事故でこの世からアデュウしてしまった。遺された奥さんはしばらく意気消沈していたが、もともとしっかりした女性なので、最近はすっかり元気になっているようすで私も一安心。あの土砂降りの雨の夜、傘を片手に飄然と立っていた友人の姿が目に焼きついている。
風呂上がりによく冷えたマッコリを呑む。酒杯のなかで白く濁ったマッコリは、甘くてふくよかな香りを漂わせている。安いマッコリだけどけっこう美味しい。もともと私は酒の美味しい不味いなどもわからない無粋な男だからどうでもいいのだ。もう友人とマッコリを呑むこともできないが、私は独りでマッコリを呑む。別に友人のために呑む、などと粋がることもない。私は呑みたいから呑む。ただそれだけのこと。
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職場のエアコンは古くて調子が悪い。おまけに事務室の構造のせいで冷暖房がうまく効かず、暖かいところは暖かく、寒いところは寒い。寒がりの課長はひっきりなしに温度を上げたり風量を調節したりしている。そして課長が席をはずすとすかさず若い子たちが温度を下げに走る。暫くすると寒がりの子がそっと温度を上げて去ってゆく。よくある光景。
今日は土曜日。朝から気持良い秋晴れ、晩秋の朝は青空で染まり、赤く染まった枯葉が風にハラハラと散っている。
隔週交替出勤の今日は課長や寒がりの子はお休みで、図書受入〜整理事務室には係長と私しかいない。閲覧係はカウンターや書架で作業についている。出勤人数が少ないうえに配架する本が山のようにあり、カウンター当番のオバチャンを残して、全員が一時間ほどかけて配架を済ませ、一息ついてお茶など啜り机に座って仕事にとりかかる。係長も私も無言。暫く請求書を処理しているうちに、後ろの席の係長がボソッと呟いた。
「やっぱり、エアコンつけないと、静かねえ」
なんか静かだなあ、と思っていたけど、そうかエアコンがついていなかったのか。人もいないし電話もかかってこないし、朝の光がそっと射し込む事務室は静かで、いつもはせわしないエアコンもひっそりと息をひそめている。
「ウチのエアコン、ほんとポンコツですよねえ、取替えてくれないかなあ」
図書館で冷暖房に極端に無頓着なのが係長と私。ふたりとも寒い国の生まれで田舎育ちというせいもあるのだろうが、とにかく暑いだの寒いだのというのをあまり気にしない。そしてこのふたりしか事務室にいない出勤日は、当然のようにエアコンは稼動することもなく常に静かなのである。冬はこの調子だし、夏は扇風機を回すだけで仕事をしている。閲覧係の連中が閲覧事務室からここに入ってくるとみな「寒くないですか?」「ここ暑いですよね?」と言うが、係長と私は「?」という顔をするだけ。
クールビズだのウォームビズだのと貧乏たらしい風潮である。エコロジーだの地球温暖化防止だの、理想だけはごりっぱだが、その実全国のオフィスではエアコンの温度を上げたり下げたりしている。
「私たちは“歩くウォームビズ”ですかね(笑)」
「フフフ、あたしはただ寒くないだけなのよネ」
うるさい課長も怖いオバサンもいない土曜日の事務室は、これぞ図書館事務室という雰囲気。忙しくて眉間に皺を寄せている係長も、仕事に追いまくられる私も、この土曜日だけはのびのびと仕事に没頭できる貴重な時間なのである。
土曜日だというのに夕方まで残っている私の机に蜜柑を置き、係長は「食べてネ(笑)」とひとこと言って帰っていった。今日もとうとう八時過ぎに退勤。入り口に施錠して図書館を出ると、外はすっかり暗くなって赤く染まった枯葉も闇に溶け込んで見えなくなっていた。
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昨日の午前中はキリキリと仕事。昼餉。M嬢と食堂で雑談。彼女はいまだ上海蟹への野望捨てておらず。なんだか私も食べたくなってきた。午後データ遡及、予算編成プロジェクト会議と続いて、会議室を出たら外はもうすっかり暗くなっている。落陽の速いことよ。図書館に戻りキリキリと仕事をして六時半退勤。今日は生協懇親会なので駅前の焼鳥屋に向かう。専務や理事の教員たちと生協広報活動の拡充について議論。いろいろと裏情報が飛び交いなかなかスリリング。なんだかなあ。九時過ぎ解散。これから生協連合会に出席するという専務と別れ電車に乗る。『愛と幻想のファシズム』読む。鼻風邪かやたらと鼻水出るので小青龍湯を服用してさっさと寝る。
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今日はまた一段と冷え込む朝。今季初のソフト帽とコート着用。昼まで徹底的に請求書処理。昼餉の後は情報課のI君らとバカ話。午後も机の周りの仕事を徹底的に片づけるも終わらない。仕事のしかたが悪いのかなあ。夕方から予算編成作業でエクセルと睨めっこ。目が疲れてきたので七時退勤。村上龍『愛と幻想のファシズム』読む。
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何をどうすればよいのかよくわからない。
まあ適当にボチボチやるとしましょう。
村上龍の『愛と幻想のファシズム』読書中。
やっぱ凄いわ、村上龍。
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