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貧乏人の経済学

 『貧乏人の経済学』を読んでいろいろと目を開かれる思いがした。その中からひとつ、、、

===以下、引用===

 蚊帳を売るべきか無料で頒布すべきかについて、サックスとイースタリーが正反対の見方をするのは、偶然ではありません。ほとんどの富裕国専門家たちが開発援助や貧困に関する問題で取る立場というのは、その人固有の世界観に左右されることが多いのです。これは蚊帳の値段と言った、厳密な答えがあるはずの具体的な問題の場合ですらそうです。ほんのちょっとだけ戯画化するなら、ジェフリー・サックスは(国連、WHO、開発援助業界の担当部分と同様に)援助額を増やしたいと思っていて、モノ(肥料、蚊帳、学校のコンピューターなど)は無料であげるべきだし、貧乏人はわたしたち(あるいはサックスや国連)が彼らにとってよいと思うことをするよう促されるべきだ、と一般に思っています。例えば、子供たちには学校で給食をあげよう、そうすれば親たちも子供を学校に通わせ続けたいと思うようになる、というわけです。
 その対極にいるのはイースタリーやモヨや、共和党系シンクタンクのアメリカン・エンタープライズ研究所などのような存在で、彼らは援助には反対です。それは政府を腐敗させるかたというだけでなくて、もっと基本的な部分で、彼らは人々の自由を尊重すべきだと信じているからです。向こうがほしがっていないものを、無理強いしても無駄です。子供が学校に通いたがらないのは、教育を受けても意味がないからにちがいない、というわけです。(『貧乏人の経済学』アビジット・V・バナジー、エスター・デュプロ著、山形浩生訳、みすず書房, 2012)

===以上、引用終り===

 学生たちに本を読め読めと常々言っているわけだが、果たして読書の無理強いは意味があるのだろうか?と思ったわけです。彼らにとって読書は「よいことだ」であるはずだから(言い方はどうあれ)「読め」と押し付けているのではないか。彼らの自由を尊重すべきであるなら、読書にたいして意味はないと思っているなら無理強いしても…と思ってしまう。難しいなあ。

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