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2013年1月

今日という日は、残りの人生の最初の日だ。

田中章義著『世界で1000年生きている言葉』(PHP文庫)より…

実を食べて、その木を植えた人を思う。(ベトナム)
神様は決して目を閉じない。(ジャマイカ)
良い木に近づけば、良い日陰が得られる。(コスタリカ)
仕事をして人となる。上り坂を越えて駿馬となる。(モンゴル)
今日という日は、残りの人生の最初の日だ。(イタリア)
人は何も持たずにこの世に来て、何も持たずにこの世を去っていく。(イスラエル)
愛することは長く、憎むことは短く(ビルマ)
魚を欲しがる友人に毎日魚をあげるより、魚の獲り方を教えてあげたほうがいい。(ベナン)
山のほうからはやってこない。こちらから山へ行け。(フィリピン)
与えようとする人が与えられる。(ブラジル)
太陽に顔を向けろ。影はあなたの後ろにできるから。(ニュージーランド)
息がある限り希望がある。(ネパール)
年寄りたちが犯した罪の罰をこどもたちが受ける。(デンマーク)
愚かな人々とともに歌うより、賢い人とともに泣くほうがよい。(セルビア)

イタリアの言葉は良い。あらゆる意味で今日を楽しむべし。
ニュージーランドの言葉は先住民マオリ族に伝わる、困難に背を向けると影ばかり見続けることになるという意味。
ネパールの言葉は座右の銘にしたい。越後人はしぶといぞ(笑)。
そしてデンマークとセルビアの言葉に思わず襟を正す。

貧乏人の経済学

 『貧乏人の経済学』を読んでいろいろと目を開かれる思いがした。その中からひとつ、、、

===以下、引用===

 蚊帳を売るべきか無料で頒布すべきかについて、サックスとイースタリーが正反対の見方をするのは、偶然ではありません。ほとんどの富裕国専門家たちが開発援助や貧困に関する問題で取る立場というのは、その人固有の世界観に左右されることが多いのです。これは蚊帳の値段と言った、厳密な答えがあるはずの具体的な問題の場合ですらそうです。ほんのちょっとだけ戯画化するなら、ジェフリー・サックスは(国連、WHO、開発援助業界の担当部分と同様に)援助額を増やしたいと思っていて、モノ(肥料、蚊帳、学校のコンピューターなど)は無料であげるべきだし、貧乏人はわたしたち(あるいはサックスや国連)が彼らにとってよいと思うことをするよう促されるべきだ、と一般に思っています。例えば、子供たちには学校で給食をあげよう、そうすれば親たちも子供を学校に通わせ続けたいと思うようになる、というわけです。
 その対極にいるのはイースタリーやモヨや、共和党系シンクタンクのアメリカン・エンタープライズ研究所などのような存在で、彼らは援助には反対です。それは政府を腐敗させるかたというだけでなくて、もっと基本的な部分で、彼らは人々の自由を尊重すべきだと信じているからです。向こうがほしがっていないものを、無理強いしても無駄です。子供が学校に通いたがらないのは、教育を受けても意味がないからにちがいない、というわけです。(『貧乏人の経済学』アビジット・V・バナジー、エスター・デュプロ著、山形浩生訳、みすず書房, 2012)

===以上、引用終り===

 学生たちに本を読め読めと常々言っているわけだが、果たして読書の無理強いは意味があるのだろうか?と思ったわけです。彼らにとって読書は「よいことだ」であるはずだから(言い方はどうあれ)「読め」と押し付けているのではないか。彼らの自由を尊重すべきであるなら、読書にたいして意味はないと思っているなら無理強いしても…と思ってしまう。難しいなあ。

啖呵

吉原幸子『啖呵』......これが欲しいが/あれをえらぶ/そんな いい加減のものぢゃない/もっときびしい 地獄なんだ/抱くことが 答へではなくなるやうな/みてごらん/地獄なんだよ えらんだものが/メスだからね 二つのメス/メスは メスを 切れないからね/金属の音がするだけ/金属のなみだが 流れるだけさ/甘ったれるんぢゃない/酔ふんぢゃない/ひとの傷口に 薬を塗るんぢゃない/〈みんなの孤独〉なんて なれ合ひさ/あへぐ鼻孔に 唇をあてて/病気を啜りだすことができてさへ/この傷は なほせない/じぶんで メスになって 切りひらいて/ひとりひとりの 地獄があるだけさ......ときどき本棚から吉原幸子の詩集を取り出して『啖呵』を読む。読むたびに心がひりひりする。

深い言葉

「小さい時、大きくなったら(北京の)北海公園の整備をする人になりたいと言った。僕は既に武術チャンピオンだったけど、静かな公園で花に水をやる仕事を任せられたなら、人と争う事もなく静かで美しい人生を送れるだろうと思ったからだ」ジェット・リー(李連杰)

嗚呼、上野駅

 ポレポレ東中野へ『七人の刑事 終着駅の女』(日活/1965)を観に行った。ツイッターで話題になっていた…と言ってもごくわずかな映画ファンだけだろうが…作品である。どのように話題になっていたかというと…出演者やストーリーよりも1965年当時の国鉄上野駅でその殆どのロケを行い、しかもそのロケも大部分が隠し撮りと思われ、当時の上野駅構内や周辺の風俗(人びとや街並、音声等)がそのまま記録されている、テーマ音楽も何もなく一種異様な雰囲気を持った作品、これまで一度もソフト化されたことがなく、また今後もされる予定もないレア中のレア作品…とくればこれは観に行くしかないでしょう。しかも当時の鉄道風景がてんこ盛りである。ちなみに『七人の刑事』は、あの有名な「むーむー、むむむ、むむむ、むむむ、む~♩」というテーマソングでお馴染みの刑事ドラマで、これは幾つか作られたという劇場版。

 一言で言うと、なんとも不思議な雰囲気を持った映画だ。駅のホームで起こった殺人事件の犯人を捜すわけだが、その設定、動機、犯人、トリックには何の目新しさも仕掛けもない。ヒーローもヒロインも出てこない。言うなれば東北地方が未だ首都圏に収奪される土地であった頃の、故郷で食い詰めた東北人が、故郷から常磐線や東北本線に乗り、新天地を求めてたどり着いた終着駅の上野界隈で、首都圏の社会構造のなかで更に搾取され続け、社会の底辺に蹴落とされる。今回の被害者の女性だけでなく、犯人に仕立て上げられて死ぬチンピラ(平田大三郎)も、暴力団組織から売春を強いられていた女(笹森礼子)も、失踪した娘を捜して上京する老婆(北林谷栄)も、みんな首都圏に夢や希望を収奪された東北人なのだ。

 七人の刑事は真犯人を逮捕することはできたが、濡れ衣を着せられたチンピラを救うことはできず、チンピラと故郷に帰るはずだった女を地獄から救い出すこともできなかった。絶望しきった女は無表情でまた新たな地獄を探して雑踏へと消えていき、老婆の娘はいまだに見つからない。上野駅には次から次へと東北から新天地を求めて東北人が上京し、その大半が夢破れ傷ついていくことが暗示される。七人の刑事は、上野駅構内に設けられた捜査本部で、憔悴した表情で冷や酒をあおりスルメを齧る。上野駅に集まる人びとのインタビューとおぼしき切ない声が画面に重なり映画は終わる。爽快感も何もない。陰影の濃いモノクロ映像が、ただただ都会の絶望感を際立たせる。

 芦田伸介、堀雄二、菅原謙二、佐藤英夫らお馴染みの面々に加え、今回は八人目の刑事とも言うべき大滝秀治(!)が加わって良い味出している。その他、草薙幸二郎、梅野泰靖、三崎千恵子ら名傍役が出演。

その方がいいよ

外国人参政権を頑に拒絶する声が根強いのだけれど、その参政権を行使しない国民が4割近くいるのだ。日本はもう鎖国を止めないとほんとうに世界の孤児になる。北朝鮮を笑えない国になってしまうぞ。多くの外国人がともに暮らしていける国を目指した方がいい。その方が絶対に楽しい国になる。若者たちも世界はこの狭い国だけじゃないことがわかるだろう。グローバル人材を育成するということは、日本も閉鎖社会を打破して外国人を自国民同様に受け入れることが必要だ。

備忘録

民主主義の皮肉、不条理というか、民主化することによって極端な原理主義国家が生まれる可能性がある。かつてドイツもワイマール憲法のもとで民主的にヒトラーが率いるナチスドイツが生まれた。(池上彰)

見上げているのか、見下ろしているのか?

てっぺんに上ったらあとは下るだけなんだから、上ったり下ったりすることも人生の道と違いますか?(大阿闍梨 酒井雄哉)

本に関する本を薦めてみる

あのさ、もう読んだかもしれないけどさ、こんな本はいかがでしょうか? 長尾真『電子図書館 [新装版]』(岩波書店)…初版は1994年に刊行されてるんだよね、もうこれは予言の書と呼んでもさしつかえないくらいの本。それから長田弘『読書からはじまる』(NHKライブラリー)…長田弘は詩人なんだけど、読書についてもいろいろ発言したり文章を書いたりしている。この本は読書の本質を的確に捉えた読書論。まるで長編叙事詩を読んでいるかのような気分になります。

誘惑とは常に甘いもの

市場が支配する社会の中で認められることがないのであれば、違うところに、自分を根拠づける何かを求めるのは自然なことでしょう。ナショナリズムが甘い誘惑になりやすいのは努力がいらないからです。日本人であることは「生まれ持ったアイデンティティ」だからです。これは強烈な吸引力があるでしょう。つまり国をほめるということは、そこに生まれた自分をほめることと一緒です。だからみんな引き寄せられます。(南直哉『なぜこんなに生きにくいのか』)

What's going on?

音声ファイルを整理していたら、2011年3月15日のTBSラジオ深夜放送、東日本大震災特番の録音があった。落ち着いた声の女性DJが、震災関連情報を伝え乍ら洋楽をかけていた。

かかっていたのは、マーヴィン・ゲイ『What's going on』、カーペンターズ『It's going to take some time(小さな愛の願い)』、ディオンヌ・ワーウィック『I say a little prayer(小さな願い)』…なるほどなあと思わせる選曲だった。特にマーヴィン・ゲイの名曲は、タイトルといい内容といい絶妙の選曲だ。まさにあの時は毎日 What's going on(何が起こっているんだ?) だったものなあ。

話は変わるが、いま自民党が再び政権の座についた。新保守主義が支持されているのだろう。それはいいのだが、何やらきなくさい匂いが漂って来る。いまこそ What's going on と叫ばなくてはダメだと思う。

私はひとりでも叫ぶよ。What's going on?

年頭の辭

「駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」(茨木のり子「自分の感受性くらい」)

「よく覚えとけ。 現実は正解なんだ。 時代が悪いの、世の中がおかしいといったところで仕方ない。 現実は事実だ」(立川談志)

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