2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 2012年3月 | トップページ | 2012年6月 »

2012年5月

日本人が忘れていること

新聞を読んでいたら『ワンチュク国王から教わったこと』(PHP)の広告が目に入った。惹句には「思いやり、謙虚さ、誇り、リーダーシップ、そして本当の幸せ…日本人が忘れていたことを思い出させてくれる希望の贈り物」とある。ワンチュク国王とはブータン王国の王様で、2011年11月に新妻の王妃を伴って来日、国会における、東日本大震災で傷ついた国民を励ます演説によって、一躍国民にその名を知られるようになったことは記憶に新しい。同時に、ブータンが「幸福度が世界一高い国である」という報道も相まって、いちやくワンチュク国王夫妻とブータンの好感度がアップした。

それはそうと、私が気になったのがこの本の惹句の中の一節、「日本人が忘れていたことを思い出させてくれる」という部分だ。いつか聞いたことがあるなあと記憶を甦らせていくと1980年代に遡る。当時私は中国文学を学ぶ学生であった。中国語もかじっており中国の地を踏んだこともある。その時に実際に見たり聞いたりしたことなのだが、日本人の特に高齢者の方々の中に、やたらと中国を礼賛する一群が存在していた。かれらの言い分はだいたいこんな感じだった。

曰く「赤い頬をした農村の少年少女たちのあどけない瞳が懐かしい」「化粧っ気のない中国の若い娘さんときたらなんと素朴で清潔なことか」「それに比べて日本の若い娘たちは…」「外で遊ばなくなった日本の子どもたちは何か大切なものを失った」「素朴な生活、つつましい暮らしの中で家族が一同に食卓を囲む。かつては日本もそうだった」等々…

かれらは一様に「中国の人民は夢と希望に燃えている。まるで戦後の日本のようだ」「中国には、日本が失ってしまったものがたくさん残っている」「とても懐かしくとても嬉しい」「だから中国は良い国である」…つまりかれらは、かつて自分たちの周りに当たり前のように存在し、高度経済成長とともにいつのまにか見失ってしまった古き良き日本の面影を、当時の中国と中国人たちに見出していたのである。私たちは20代の生意気な若僧(若僧とは、いつだって生意気なものである)だったので、こういう高齢者の方々を「中国大好き爺さん婆さん」と揶揄していた。

その気持ちは今も変わりはない。当時の中国大好き爺さん婆さんたちが涙を流さんばかりに感激した、「日本が失ったものを体現する中国人たち」は、ただ単に情報から遮断され海外の事情はおろか、北京や上海という大都会のことさえ知らなかった。知らないし物資もないから化粧もしないのである。なぜかれら中国の国民がそのような境遇に置かれているのか、なぜ農村の人びとは都市へ行かないのか、なぜこのように「理不尽に」不自由(不便ではない)なのか、私たち中国学に首を突っ込んでいた若者なら多少の知識はあった。尤も私たちの中にもマジメに日中友好を夢見る連中がいた。いてもおかしくはない。いたっていい。しかし冷静に文献を読み、教師や同級生たちと議論してみればわかることであった。そんな簡単なものではないと。そして私もまた歳を経たいま、かの中国大好き爺さん婆さんたちの気持ちが少しはわかるようになってきた。

あれからもう30年近く時が流れた。それでもいまだに「日本人が忘れていたこと」を「思い出させてくれる」「外国の人びと」がいて、いちいち私たちはそのノスタルジーを輸入に頼っている。もういいんじゃないか、そんなこと。もともと私たちにはそんな高邁で素晴らしい社会などなかったのではないか。思い出は常に美化される。私たちはきっと適当に仲良しで適当に助け合い、適当にいがみ合い適当に傷つけ合ってきたのだ。そうに違いない。それでいいではないか。

ほんとうに日本人が誇りを取り戻すとしたら、外国からの輸入などに頼るのではなく、自前でやったほうがいい。しかも外国人を排斥するようなやり方ではなく、西洋文明のような一神教ではない寛容を旨とする多神教の国として、世界の中の日本として毅然と襟を正していけばいい。などということをぼんやりと思ったGW最終日の夕暮れ。

« 2012年3月 | トップページ | 2012年6月 »