2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2012年1月

その街のこども

1995年1月17日早朝、私は布団の中で半ば覚醒していた。窓の外はまだ暗く、起きるには早いなあとうすらぼんやりと考えていたら、部屋がユラリ、と揺れた。私は(あ、地震だ…)と思った。当時私は築50年以上の、それこそ表通りをダンプカーが通るだけでも窓枠がカタカタ鳴るようなボロ家に棲んでいた。枕元の時計を見たら、蛍光色の針が午前5時45前後を示していたことを覚えている。それからまた眠りに落ちて7時ちょっと前に起きた。トーストを焼いて珈琲を啜り乍らテレビのスイッチを入れたら、街のあちこちから煙が上がり高速道路が倒壊している映像が映し出された。ちょっとの間、何のことなのかよくわからなかったが、早朝に京阪神地区を襲った大地震で壊滅的な被害を受けた神戸市の映像だということを、アナウンサーが落ち着いた声で伝えていた。「…本日午前5時46分頃、神戸を中心とする地震が発生…マグニチュードは7と推定され…」(あ、今朝の地震…)後で知ったことだが東京の震度は1を記録していた。

『その街のこども』(2010)を観た。阪神淡路大震災から15年が経った冬、神戸の街で出逢ったふたりの男女(森山未來、佐藤江梨子)が、お互いの震災体験を語り乍ら地震が起きた日から15年目の早朝を迎える。美夏(佐藤)は神戸で行われる震災追悼集会に参列するため、13年ぶりに神戸の地を踏んだ。建設会社に勤める勇治(森山)は広島へ出張する途中で神戸に途中下車した。勇治と美夏はともに神戸で震災を経験し、ふたりともその後神戸を離れて東京に移り住んだ。そしてあの日から15年、ふたりはふとしたことから神戸の街で初めて出逢った。勇治も美夏も震災の記憶に背を向けてきた。ふたりとも震災で家族や友人、生活を失い傷つき故郷を離れた。終電を逃したふたりは美夏の祖母が住む御影まで夜の街を歩く。歩き乍らふたりは震災の記憶を語り合う。歩き乍ら語り乍らふたりは再び震災に神戸に向き合い始める。

殆ど森山未來と佐藤江梨子…どちらも当時神戸に住んでいて震災を経験している…ふたりの語りでドラマは進行していく。ふたりは過去に背を向けてきたが、次第にふたりの気持ちは辛かった過去に向き合い始める。喪失と再生の夜は過ぎ夜明けはもうすぐそこまで来ている。鼻の奥がツーンとして、ふと涙が出そうになる。東日本大震災からそろそろ1年が経つ。再び「その街のこども」がおおぜい生み出されてしまったことを憂うとともに、いつの日かあの日のあの記憶に向き合い乗り越えていってほしいと思う。そのために、残された私たちには何ができるだろうか。

オフィシャルサイト http://sonomachi.com/

首が飛んでも動いて見せまさァ

久しぶりに映画館に出かけた。たぶん2年ぶりくらいだと思う。かつては毎週映画を観に行っていた時期もあったのだが。まあそれはおいといて、今日は『幕末太陽傳』(1957日活)の特別上映を観に行った。これは日活創立100周年記念特別上映作品として、最新技術でリマスターされたデジタル修復版の上映である。全国のテアトルシネマ系映画館で上映され、首都圏では新宿、有楽町と大森で上映される。私は10年ぶりにキネカ大森に出かけてきた。

第1回(10:10)上映なのでさすがに観客は少なく100席の館内に20人くらいだったろうか。予想通りご老人率が高く8割が70歳以上だった。懐かしい映画を観に来たのであろう。私が座って上映を待っているとすぐ前の列にご高齢のご婦人が7〜8名並んでお座りになられた。これはイカンと映画上映直前にそそくさと一番後の隅っこに移動。絶対、上映中に「フランキー堺」「あれまあ」「若いわねー」「南田洋子」「えーと誰だっけこの役者」「懐かしいわ」「岡田真澄!」などと、誰に言うでもなく自動的に呟き出すに決まっている。

もうご存知の方も多い有名な映画である。時は幕末、文久2年というから1862年、明治の御代まであと数年という時代設定。場所は東海道品川宿の岡場所、相模屋に登楼した佐平次(フランキー堺)一行は呑めや歌えのどんちゃん騒ぎを繰り広げる。翌日勘定を貰いに来た若い衆を煙に巻き、いよいよ懐には一文の銭もないと開き直って遊廓に居残りを決め込んでしまう。そしてこの佐平次ときたら、お膳の上げ下げから客の揉め事ヒマつぶしのお相手、女郎衆の恋文の代筆から起請文の印刷、おまけに勤王の志士たちから借金のカタを取りあげてくるわの大活躍…

実はこの佐平次、居残りを稼業にしている男なのである…とくれば落語好きにはお馴染み『居残り佐平次』を下敷きにした映画。ストーリーはこの佐平次を中心に進んでいくが、はめ込まれるピースはみな落語ネタ。『品川心中』『三枚起請』『文七元結』『お見立て』…ところどころに『だくだく』や『付馬』まで出てくる。どんちゃん騒ぎの場面で、芸者のバチを取りあげて、ドラムスティックよろしくくるくる回してゴキゲンな佐平次。さすが元・与田輝夫とシックス・レモンズのドラマー。勘定の心配ばかりしている西村晃、呑気に騒ぐ熊倉一雄も良い感じ。

閑話休題。相模屋に居残りを決め込むのは佐平次だけにあらず、総髪に二本差しの勤王の志士たちもここを根城にしている。居残り役は高杉晋作(石原裕次郎)でその他小林旭、二谷英明も勤王の志士たちを演じている。板頭(ナンバーワンね)の座を争う遊女のおそめ(左幸子)とこはる(南田洋子)、劇中で演じる肉弾相打つキャットファイトは迫力満点! 博打好きの父親の借金のカタに奉公しているおひさ(芦川いづみ)と、稼業を嫌う相模屋の若旦那徳三郎(梅野泰靖)の恋物語、常に苦虫を噛み潰している相模屋伝兵衛(金子信雄)とお辰(山岡久乃)は徳三郎に手を焼いている。爆笑を誘うのは何と言っても川島雄三映画常連の小沢昭一。今回は貸本屋の金蔵…おそめに心中を持ちかけられて、最後はすげなく品川の海に突き落とされる情けない男を見事に演じている。場内のご婦人方は小沢昭一の怪演に爆笑していた。さすが。

高杉たちは横浜にある異人館の焼き討ちを計画しているのだが、何としてもその異人館の絵図面が欲しい。最後は佐平次が思わぬところから絵図面を手に入れてくるのだが、ここに至るまでの傍若無人の暴れっぷりは極めて壮快。小林旭も、つい先日鬼籍に入った二谷英明も若さいっぱいの演技だ。佐平次から勘定を取りはぐれたばかりか、その後の佐平次に悉く祝儀を取られ続ける廓の若衆(岡田真澄、高原駿雄)、番頭の善八(織田政雄)も適材適所。やり手婆の菅井きん、そうとは知らず息子の馴染みの女郎に入れ込む殿山泰司、願人坊主の井上昭文と榎木兵衛(いよっ!日活名脇役!)最後に登場する杢兵衛旦那の市村俊幸はジャズピアニストあがり、ラストシーンでのやりとりは、ドラマーあがりのフランキー堺と火花を散らすセッションといったところか。

何遍も観ているのだが、今回久しぶりに映画館で観て、改めてこの映画の素晴らしさを実感した。いつも陽気で気の回る佐平次は、実は労咳(結核)を病んでいるという設定。廓の中で元気いっぱい走り回っていても、いったん自分の行灯部屋に入るとその表情が一変、一瞬、鬼気迫る暗い表情を見せるところは背筋がゾクゾクっとする。死と隣り合わせの明るさということなのだろう。品川沖の舟の上で石原裕次郎と駆け引きするシーンでは「てめぇ一人の才覚で世渡りするからにゃ、へへっ、首が飛んでも動いて見せまさァ」という、あの有名な啖呵を切るところなんざ、何遍観ても「いよッ!フランキー!」と大向こうから声がかかろうってもんだね。

今まであまり気にとめなかったのだが、女郎に売られるのを佐平次に助けてもらいたいおひさが、タダとは言わない十両払いますと言うシーン。十両はいっぺんには払えないから一年に一両ずつ、十年かかって払いますと言うと、佐平次が「十年たったら世の中も変わるぜ」と返す。これに続くおひさのセリフ「時代が変われば私も変わります」…なんだかしみじみと心に沁みた。「時代が変われば私も変わる」…私は少しは変われたのだろうか。最後は、墓場から東海道をひた走って画面から遠ざかっていく有名なラストシーンでエンドマーク。

監督は鬼才川島雄三。ちなみに映画の冒頭は現代(昭和32年当時)の品川宿が映し出される。実はこのシーン、売春防止法成立前夜の品川遊廓を撮影しているのである。現代の品川遊廓から江戸時代の品川遊廓へとカメラは遡る。そしてラストシーンも、実は川島監督は、佐平次が墓場のセットを通り抜け撮影スタジオの扉を開けて、現代の品川遊廓の通りを、着物を着たまま走り去って行き、それを映画の登場人物たちが現代の服装をして見送っているというシーンにしたかった。しかしあまりに斬新過ぎるということでスタッフや役者たちの猛反対に遭い、やむなくそのラストシーンは幻と消えたという有名なエピソードがある。後にフランキー堺は、あのとき監督の言う通りにやらせたほうがよかったと思う、と述懐していたそうである。

幕末太陽傳公式サイト http://www.nikkatsu.com/bakumatsu/

2012年が始まる

立川談志がいない時代が始まった。
とはいえ時代はどんどん先に進むし私もまだまだ死にそうな気配はない。
今年もよろしくお願い申し上げます。

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »