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2010年10月

杞憂で済めばよいが…

百度(Bai-du)で「反日遊行(反日デモ)」と検索すると検索結果はいろいろ出てくるが、いざ記事や博客(ブログ)にアクセスしようとするとことごとく中国語で「この記事は削除されました」「存在しません」という画面が出てくる。ああもう面倒くさいなあ…たまにアクセスできると香港の新聞記事だったり在日中国人の博客だったりする。

それはそうと、中国の反日デモも収拾がつかなくなってきた感がある。反日を標榜しつつ「住宅価格を安くしろ」と叫んだり、いよいよ政府批判が見え隠れし始めたらしい。政府も必死でネット規制を行っており、当局にとってヤバいカキコミやサイトはどんどん削除されている。うーん、なんだかんだ言っても今後の中国が心配。また政府による弾圧なんか起こらなきゃいいが……ネトウヨみたいに「チョン氏ね」とか、そんなこと言ってる場合じゃない。

幼い頃から愛国教育を施されたり、報道規制して世界情勢に疎くさせたり、トンデモナイ経済格差を放置したり、自国民をそんな環境に置いといた報いかもしれない……どうなるんでしょ、中国。

義理が廃れば…

中国の反日デモ報道が少なくなってきた。官製デモと揶揄されながらも、各地で投石などが相次いで国内のネトウヨを苛立たせているが、まあ所詮中国共産党内の権力闘争、党内反日派が穏健派に揺さぶりをかけているわけで、そんなにイライラする必要はあまりないと思う。

同じ頃に民主活動家の劉暁波氏にノーベル平和賞授与というオプションが追加され、ノルウェー政府がとばっちりを喰わされた。中国人と思しきネトサヨが「中国の大都市並みの規模しかないノルウェーは生意気だ」などとネットに書き込むなど、中国は意気軒昂だ。

連日マスコミが中国=「乱暴な国」「理不尽な国」「理解不能な国」vs日本政府(民主党)=「弱腰外交」「不透明な対応」「売国奴」という図式で報道を繰り返している。殆ど大本営発表(苦笑)…ここぞとばかりに中国(中国人)には(世界の)常識が通用しないというスタンスでの喧伝が多いように思うが、そんなことは昔からわかっていたことである。

世界の中心は中華皇帝の住まう王宮であり、皇帝の威光は都を中心にして同心円状に及び、都から遥か遠く皇帝の威光が及ばない未開の地には、東夷、西戎、南蛮、北狄というまつろわぬ蛮族が住んでいるのである。東夷(日本)だの北狄(ノルウェー)だのが何をほざいておるのか、笑止千万、と言う伝統が脈々と息づいているわけで、中国とは「そういう国」であると理解しなければ、とてもつきあえるものではない。

中国思想史の溝口雄三が興味深いことを書いている。

たとえば、清朝中葉の戴震(1723-77)は、理の名の下に圧迫されている貧者賤者に同情して「人、法に死なば、猶これを憐れむ者あり、理に死なば、其れ誰かこれを憐れまん」(『孟子字義疏証』巻上)といっている。これは、法は人が作り人が裁くものだから間違いもあるし永久的なものでもない、だから法にふれて殺されてもまだ憐れんでくれる者がいる、しかし理に背いて死にいたったとなると、これは非人道的な行為を犯したとみなされるため、誰も憐れんでくれない、というのである。ここではあきらかに理は法に比べて上位にある。(溝口雄三『中国思想再発見』左右社)

このように「法」と「理」の問題ひとつをとっても日本人は「法」を遵守する傾向が強い。「それこそ日本は法治主義だからだ」という日本と、「法」より「理」が上位にあり巷間「人治主義」と言われる中国が、相互のコミュニケーションに齟齬を来すことは当然なのである。

つまり、尖閣諸島は中国固有の領土であり、それを主張・奪還する行為は理である。即ち日本の法律などというものは日本の都合であり、たとえ法に背いたとしても、尖閣諸島を日本に奪われることは理に背くことである……

ところがこれは、実は日本人にも理解できる感覚なのだ。そうです、一連の任侠映画です。ヒロイズムです。「悪法もまた法なり」と理性的にふるまっても、高倉健が「義理が廃ればこの世は闇だ」と独りで殴り込みに行く姿に、われわれは喝采を贈ったのではなかったか。

例えばこういうことをまるごと納得できれば、中国人とは何とオモシロい人々かと思えるようになるのだけどねえ……

砂の民

中国四川省成都市や陝西省西安市で大規模な反日デモが起こり、東京都内でも一部の団体による反中集会とデモ行進が行われた。中国の反日デモは、とりあえず市民にガス抜きをさせて適当なところで政府が抑え込むという、まあいつものやり方だろうと思うが、反中デモについては日中関係に些かでも影響を及ぼすことになるだろう。ただ反日デモは中央委員会第5回総会開催中に発生した。いつもなら政府の公式行事期間中はデモを抑え込む傾向にあるのに、今回はなぜ?という疑問は残る。

中国のデモは一部の反日グループと愛国教育世代の大学生が中心になっているだろうと思われる。こちらの反日デモじたいはいつものことなので日本も過剰に反応せず、中国流に「嵐が去るのを待つ」という対応をとっていればいい。しかし今回は中国政府のやりすぎた報復措置と、民主党政権のヘナチョコ外交への怒りが相互作用を起こしてしまった。特に民主党政権が毅然とした対応をとれなかったことが最大のネックだ。

わかったふうに言えば「きっと政府レベルではいろいろと難しい局面があったのだろう」ということだが、その「難しい局面の対応」を国民から任されているのが政府であり「民主党政権」なわけで…それにしても民主党政権もスタートから辺野古で躓き、小沢一郎の金銭スキャンダル、危機感ゼロの鳩山前総理辞任、菅総理の消費税発言と、まあなんとも危なっかしい政権運営が続いている。そこへきてこの尖閣諸島問題で更なるダメージを受けた。うーん、やはり小沢一郎があちらこちらで足を引っ張っている印象がある。国民から支持されていない以上、さっさと地下に潜行すればよかったのだが、ねえ。

中国も尖閣諸島問題で、世界に向けて「乱暴者」のイメージ…中国としては「大国としての表明」くらいの認識なんだろうが…を自ら演出し、劉暁波のノーベル平和賞に過剰に反発して更に独裁国家の顔を印象づけてしまった。たぶん北朝鮮の崩壊はカウントダウンの段階に来ていると思うので、このままいくと近い将来、世界最大の独裁国家に躍り出るのは間違いない。いくら北朝鮮やビルマが独裁国家だと言っても中国に比べたら所詮脇役。


中國人最崇拜的是家族主義和宗族主義,所以中國只有家族主義和宗族主義,沒有國族主義。外國旁觀的人說中國人是一片散沙,這個原因是在什麼地方呢? 就是因為一般人民祇有家族主義和宗族主義,沒有國族主義。(『三民主義』「民族主義」 第一講)


孫文の有名な『三民主義』(1924)の一節だが、中国人にとって大切なものは「家族主義」と「宗族主義」であって「国家」「民族」という意識が無い。そう考えると毛沢東が中国をまとめあげたのは驚異的なことである。また「中国人はバラバラの砂」という言葉どおり、現代の中国の政治家も国内統治と外交の両方を行うにあたって「いろいろと難しい局面がある」のだろう(苦笑)

08憲章

『08憲章』作成の中心人物として知られ、現在も獄中にある民主活動家の劉暁波がノーベル平和賞を受賞したことが、中国国内で大問題を引き起こしている。

フランス在住の作家、高行健が2000年に『霊山』でノーベル文学賞を受賞したときも、中国政府は亡命作家であることを理由に著作を発禁にしたりしたが、劉暁波のノーベル平和賞受賞はこのときとは意味が違う。ダライラマのノーベル平和賞受賞以上に衝撃的なことなのだ。

人民日報(オンライン版)を覗いても、このことについてまったく触れていない。香港の環球網では劉暁波の映像、彼の妻劉霞さんの映像も出てくる。ナレーションは広東語なので聞き取れないが、劉霞さんは「これは中国を、少しだけでも変えられるささやかな機会です…」と静かに語っている。

『08憲章(零八憲章)』に目を通してみるだけで、この大国に何が缺けているのかがよくわかる。また『08憲章』は、多くの知識人たちが公然と中国共産党を非難する声明でもあり、そのときの党の迅速な対応(狼狽?)も興味深いものがあった。

中国共産党はこのグローバルな時代に堂々と報道統制を敷くことが、世界からどのような目で見られるかをわかっているのだろうか。しかし中国の政治家にとって、極左から右派扱いされることは、政権からの転落につながりかねない。だからやむを得ず世界の潮流に背を向けざるを得ない。

中国共産党は「和諧社会(調和のとれた社会)」を目指すというスローガンをぶちあげたが、そういうスローガンをぶちあげるということは…そういうことなのだ。まさに「わかっちゃいるけどやめられない」のである。

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