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2010年5月

大宮のらくだ

志らく・談笑二人会を聞きに大宮へ出かけた。小雨の降る旧中山道…1日中山道じゃない(笑)…を歩いて会場の大宮市民会館まで行く。

前座は立川志らくの弟子のらく兵で『子ほめ』、前座らしいきびきびした所作に好感が持てた、ってそれだけじゃダメなんだけどね。

まずは立川談笑が登場し『がまの油』を演じた。落ち着いたトーンで大らかな印象を与える。刀で腕を切る場面で袖をまくると赤いテープが…血の跡です…小ネタで笑わせる憎いヤツ(笑)がまの油売りの口上をスペイン語で演じて笑いを取るが、見事なモノだ。スペイン語だと大道芸人が尚更インチキ臭くなるのはなぜだろう。

一旦舞台を降りてからすぐに高座に戻り続いて演じたのが『片棒』。この噺は稀代のケチ、赤西屋ケチ兵衛の葬式をどのように執り行うか、という設定で三人の息子が父親の前でプレゼンをする。その三人の息子のキャラクターとプレゼンの内容を如何に面白可笑しく演じるか、というところに妙味があるのだが、談笑はオカマの長男、特撮オタクの次男、ユダヤ商人の血を引く三男という、奇天烈な演出で爆発。

熱心な、というかマニアックな談笑ファンが爆笑するなか、「今日は落語を楽しもう」という素直な気持ちで来たであろう善良なお客さんは呆気に取られていたはずだ。そりゃそうだ、きっと落語といえば古典落語、あるいは『笑点』という方々であろう。後で志らくがマクラで話したように、主催者が何かトチ狂ってこの二人を呼んだのだろう。

後半は志らくが登場して『子別れ』を演じた。志らくは立川談志の弟子のなかでも天才肌として知られる。しかし「談志の狂気を受け継ぐ」と自分で言う割にはあまりそういう印象は受けない。志らくはそのつもりなのかもしれないが…古典を演じる志らくはいつも古今亭志ん朝の雰囲気を感じさせてくれるのだ。

『子別れ』という噺は実はあまり好きではない。もともと「泣かせる」噺があまり好きではないのだが、私が聞いてきた『子別れ』はいつもクサくてひたすら泣かせよう泣かせようとする演出が殆ど。しかし今日聞いた志らくの『子別れ』はあまりクサくなく、それでいてしっとりと親子の情愛、夫婦の絆を感じさせてくれた。この親子の話に同情して泣く八百屋の存在が妙に可笑しい。後半のうなぎ屋でまた登場したときには笑った。秀逸なバイプレイヤー(笑)

やはり高齢のお客様は志らくの人情噺に感動したらしく、終演後、「最後の人はよかったわねえ、二人目の人(談笑)はなんだか声がよくなかったわ」と家路に着く老夫婦がいた。しかし志らくはマクラで、かつて楽太郎時代の現・三遊亭円楽がこのホールで『らくだ』を演じ、次に来たときには『目薬』を演じたというエピソードを披露。

「楽太郎師匠が演じた『らくだ』というのは落語の中の落語というべき噺ですが、次に来た時には『目薬』…これはエロ小咄ですよ。大宮で『らくだ』は無理だと思ったのでしょうか」と、さらりと皮肉を込めて語ったのだが、どれだけ大宮市民、いやさいたま市大宮区民のお客様に通じたのであろうか。いやきっと皮肉ではなかったのかもしれないが(苦笑)

嗚呼堂々たる木崎駅

今日も東武線に乗って館林方面へ向かう。館林から足利方面へぐるりと迂回して太田で降りた。太田は大きな高架駅でホームがやたらと多い。1、2、3…10番線まであるぞ。そんなにあるようには思えないから、きっと切欠きホームなんだろうなあと思って10番線(!)へ向かうと、そこは4番線と同じプラットホームだった。

つまりひとつのプラットホームの半分が4番線、もう半分が10番線という使い方をしていたのだった。これでは10番線まであっても不思議ではない。伊勢崎、小泉町、桐生、館林と4方向から列車が乗り入れる駅ならではの構造かもしれない。ま、それはいいとして私を乗せた東武伊勢崎線800系は木崎駅へ向けてガタクリガタコンと走り出した。

前方に木崎駅の駅舎が見えてきた。期待が高まる。列車が停車しプラットホームに降りる。風雪に耐えた木造駅舎の改札を抜け、駅舎を出てそのまま振り返らずに歩き、道路に面した辺りで振り返る。嗚呼、堂々たる木崎駅! 
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1910(明治43)年開業時の駅舎が今も現役で営業中、ということは今年で築100年ではないか。東武桐生線の治良門橋駅よりも古く、しかも待合室こそリフォーム(といっても馥郁たる昭和の香り漂う)されているが外装は漆喰塗りに木の柱のまま。ということは、殆ど変わっていないようだ。
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いやあ、これは国宝級の素晴らしさだ。さすがに東武鉄道もこの駅舎を改築するのは気が咎めるであろう。むしろこのままきちんと保存していくべきである。この街にはこの駅舎こそ相応しい。

駅の裏側にはサッポロビール工場があり線路を渡って小さな改札を抜けることができる。
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駅前にあるタバコ屋もモダニズムの香りが漂っている。
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連休のよく晴れた昼下がり、殆ど人の姿は見えず、広い田んぼと高く青い空が広がっていて気持ちが良い。太田方面に向かって歩くと集落が終りサッポロビール工場が見えた。
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次の伊勢崎行きが来るまでの1時間を駅舎見学と周辺散策に費やす。嗚呼、なんと贅沢な時間であろう!
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再び木崎駅に戻り太田方面からやって来た伊勢崎行きに乗り再び車上の人となった。
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東武桐生線

太田は東武伊勢崎線、東武桐生線、東武小泉線が乗り入れる巨大な高架駅。しかし太田を発車した赤城行きはすぐに地面に降りて田園地帯を走るローカル線へと様相を変える。太田から東武桐生線に乗って夕暮れの赤城山を眺めて走る。味わい深かった三枚橋の駅舎は素っ気ない簡易駅舎に様変わりしていた。ま、そんなもんか。
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ところが次の治良門橋はいにしえの東武線の駅舎を今にとどめる姿を残してくれていた。嬉しくなって下車してしまう。本体はリフォームされているけれど、屋根も柱も昔のまま。夕暮れに映える治良門橋駅を見よ(笑)
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駅前はひっそり閑として、このお店も辛うじて営業中。
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そうそう、この駅名は治良門橋(じろえんばし)と読むのです。読めないよねー。
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治良門橋から赤城行きに乗り込んでぼんやりしていると阿左美駅を通り過ぎた。あ、この駅舎も捨てがたい!というわけで相生で反対側に停まっていた太田行きにすばやく乗り換えて阿左美駅に戻る(バカだねー)。
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しかし戻ってよかった阿左美駅。どうです、小ぶり乍らもこの美しいフォルム!
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そして私は東武桐生線の終点赤城駅に立ち尽くしていた。いつまでもこの辺にいるわけにもいかない。とにかくここから神奈川県の自宅に戻らねばならぬ。しかし普通列車を乗り継いで帰ると帰宅は深夜になってしまう。どうしようかなあ、と考えて19:30発の特急りょうもう号に乗ることにした。

ところが今日に限って本を持ってきていない! 活字欠乏症の発作に襲われる危険性があるので慌てて近くのコンビニに飛び込み雑誌を買って駅に戻る。車内でパラパラ読んでいたら記事中に知人が登場して吃驚しているうちに、特急りょうもう号は一路東京へ向けて闇の中を走り続けるのだった。
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東武小泉線

漸く年度末の仕事が一段落、そういえば館林あたりの東武各線を乗りに行かなくちゃなあ、と思い出し、連休で晴天なのをいいことにふらふらと駅の改札を抜けた。まずは船橋から東武野田線、窓から差し込む陽気を浴びてゴトゴトと揺られて柏に着いた。

柏から更に乗り換えてぼんやりと車窓を眺め春日部で下車、館林まで行く東武伊勢崎線に乗り込んだ。春日部の駅は東武野田線、伊勢崎線が乗り入れ、特急ホームも入れて3本というなかなか大きな構内だ。大型連休に浅草観光に出かけるのだろうか、特急ホームは賑やかに混雑していた。

ホームに滑り込んできた快速列車に乗って館林へ向かう。大きな時計を頂いたあの荘重なモダニズム駅舎も健在。館林の駅も行楽に向かう楽しげな人々の笑顔に満ち満ちていて、なんとなくこちらも嬉しくなった。
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駅前にはこんなモニュメントがある。プロ野球史に興味が無い人にはなんのことやらだろうが、要するに草創期の東京巨人軍が昭和11(1936)年に館林の分福球場で強化合宿…俗に「茂林寺の千本ノック」と呼ばれる凄絶な特訓…を行い、不滅のジャイアンツ魂がここに完成したという故事があるわけだ。なぜ狸なのかというと、茂林寺は「分福茶釜」の故事の舞台になった寺だから。
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さて私は観光地に出かけるわけでもなく、とりあえず東武小泉線ホームから2輛編成の列車に乗り込む。館林駅は東武伊勢崎線の他、東武佐野線、東武小泉線が分岐している。東武桐生線から特急りょうもう号も停車する賑やかな交通の要衝だ。
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東武小泉線は館林と西小泉を結ぶ短い路線。途中の東小泉から分岐して太田まで行く路線も含めて東武小泉線である。東武小泉線乗り場はホームの端っこにある。いかにも取って付けたような(失礼)ホームだが館林と西小泉及び太田を結ぶ重要な支線。ダイヤによっては小泉線を使った方が早く太田に到着するという利点もある。
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        太田
        |
        竜舞
        |
西小泉ー小泉町ー東小泉ー篠塚ー本中野ー成島ー館林


館林を出た列車は伊勢崎線と分岐してのどかな田園地帯をトコトコと走る。東小泉では太田方面へ向かう列車を待ち合わせ、再び終点の西小泉に向けて走り出す。
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終点の西小泉駅はもともと貨物駅だったということもあり、終着駅には不似合いな広いホームとムダを省いた機能的なフォルムを持つ駅舎が印象的。
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夕暮れの閑散とした構内がいっそう寂しさを募らせる。
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再び列車に乗り込んで東小泉で太田経由東武桐生線赤城行きの列車に乗り換える。右側の列車が館林行き、左側が赤城行き。時刻表を眺める女子高生は帰宅の時間を確かめているのだろうか?
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