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昭和への旅

私は深夜の上野駅のホームに立っていた。

急行能登はあのボンネット型が特徴な489系だ。かつての国鉄の特急列車を今に伝える生き残りで、上野を2333に発車し、東北本線~高崎線~上越線~信越本線を経由して北陸本線に入り金沢まで走る夜行列車。昼間に上野駅や越後湯沢駅辺りで見かけることがあるが、こいつに出逢う度に私は昭和という時代に思いを馳せる。
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急行能登は定刻2333に上野を発車し、大宮〜熊谷〜高崎〜直江津などを経て深夜の鉄路をひた走る。富山駅に降りたのは早朝の534、まだ辺りは真っ暗である。急ぎ足でJR富山駅から富山地方鉄道線の改札に行き、544発立山行き急行列車に飛び乗った。
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2輛編成の列車に乗った客は私1人。途中から乗る人もなく当然降りる人もなく、私1人を乗せた列車が終点の立山駅に着いた頃には、漸く空が白々と明け始めてきた。さすが立山周辺は深い雪に覆われている。
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立山を折り返して寺田で宇奈月温泉行きに乗り換える。しかしこの寺田駅のユニークさは何と表現したらいいのだろう。富山から宇奈月温泉に向かう本線と、富山から立山に向かう立山線がここ寺田で交差する。立山線の3番線4番線ホームと、本線の1番線2番線ホームの間に広い敷地があり、大きな木造の待合室が立っている。
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どう見てもこれが駅舎かと思うのだが、改札など駅機能を有する駅舎はここではない。この駅に、例えば富山の薬売りや行商人、立山詣での巡礼、詰め襟の中学生や女学校の乙女、農家のおじさんおばさん、背広に鳥打ち帽の測量技師…そういう扮装の人々を配置すれば、戦前の風景がそのまま再現されるような駅だ。
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富山方面から来た列車に乗り、寺田を発車して暫く行くと上市に着く。ここは平地なのにスイッチバックという奇妙な駅で、ちょうどJR磐越西線会津若松駅と同じ形式だ。
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スイッチバックした列車は、今度は北陸本線と並行し乍ら立山連峰の麓を走る。新魚津を過ぎた辺りから日本海が見えた。やがて線路は大きくカーブして北陸本線を跨ぎ、黒部峡谷へと分け入って行く。

宇奈月温泉駅前には温泉の噴水が沸き立っていた。富山地方鉄道の先には黒部峡谷鉃道乗り場が見えるが冬期は運行しない。早朝の静かな温泉街である。しかし私は温泉に入ることもなく、そのまま宇奈月温泉から折り返し(笑)
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荻生、東三日市、電鉄石田と魅力的な駅舎を経て新魚津で降り、地下道を通って北陸本線の魚津駅から糸魚川へ向かう。
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富山地方鉄道には、大正末期から戦前に建てられた国宝級の木造駅舎が、そこかしこに残っている。例えて言うなら長野電鉄長野線の柳原、朝暘、桐原クラス、いやそれらを遥かに凌駕する木造駅舎や鉃道遺跡が全線に渡って残っている。
今も昭和を走り続ける鉃道、それが富山地方鉃道なのだ。

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