2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »

2010年2月

iTunesでお買い物

『MIDDLE CLASS WHITE BOY』 (Discovery)
歌うピアニスト、モーズ・アリソンである。実に久しぶりに聴いたが、この人やっぱりカントリーブルースっぽいところが良い。元々はジャズピアニストで、特徴のある軽く鼻歌っぽい歌い方が印象的。ウチには『Back country suite』(1957)、『Local color』(1957)という2枚のアルバム(OJC)があるのだが、アナログ盤なのでもうだいぶ久しく聴いていない。やっぱりアナログセット組まなくちゃダメだな、こりゃ(苦笑)

名手フィル・アップチャーチ…ダニー・ハザウェイのアルバムでもお馴染み…の渋いギターと、ジョー・ファレルのかっこいいテナーが聴ける。端正なウッドベースはパター・スミス、この人は俳優も兼業していてロジャー・ムーアの『007シリーズ』にも出ている。ドラムのジョン・デンツはビル・エヴァンスやアーニー・ワッツとも共演している。ロン・パウエルは今ではケニーGバンドのレギュラーメンバー。かつて参加ミュージシャンの名前や経歴などは、レコードの解説や輸入盤裏面の英文を読んで知識を得たものだが、今じゃインターネットで調べられる。まあ、良い時代…なのかな?

MOSE ALLISON(vo, p)
PHIL UPCHURCH(g)
JOE FARRELL(ts, fi)
PUTTER SMITH(b)
JOHN DENTZ(ds)
RON POWELL(perc)
1982


『SLAM BAM』(Black&Blue)
歌うベーシスト、スラム・スチュワートである。だいぶ前にアナログで復刻されたのだが買い逃してしまい、更にCDも買い逃してしまい、漸くiTunesで手に入れたというわけだ。ブロックコードの名手・ミルト・バックナーと、言わずもがなの名手パパ・ジョーことジョー・ジョーンズと組んだ小粋なトリオ作品。ひたすら明るく衒いの無いバックナーのブロックコード、背筋がピンと伸びたキレのいいパパ・ジョーのドラムと相まって聴きやすいアルバム。

スラム・スチュワートの芸歴は古く、1930年代からスリム・ゲイラードと『スリム&スラム』というコンビを組んでジャイブミュージックを演奏、その後ライオネル・ハンプトン、ディジー・ガレスピーらと共演している。ウッドベースを弓弾き(Bowing)しながらメロディーと1オクターブユニゾンで歌うという藝を持ち、フォロワーとしてメジャー・ホリーJr.、ジェイ・レオンハートがいる。私が一番好きなスラムのアルバムは、バッキー・ビザレリ(g)とのデュオ『ダイアローグ』(1978)、これぞ名人藝という粋なアルバムだ。これもアナログは持っているのだが、CDを買い逃してしまって聴けない(トホホ)

SLAM STEWART(b, vo)
MILT BUCKNER(p)
JO JONES(ds)
1971

世界のニュースから

◎『森伊蔵』など中国で商標登録
『森伊蔵』も『伊佐美』も有名な焼酎の銘柄。なんたって中国ですからねえ、何でもアリの国ですからねえ、って感心している場合じゃない(笑)

『蝋筆小新(クレヨンしんちゃん)』も中国の企業が国内で商標登録したため、おかげで版元の双葉社がキャラクターグッズ販売できなくなった。日本の感覚だと、『クレヨンしんちゃん』は原作者の創作物であり、第三者が勝手に商標登録することは道義にもとる、となるのですが…中国だと『クレヨンしんちゃん』が人気→キャラクターグッズ売ると儲かる→いてもたってもいられない→オレが商標登録しちゃえ、となる。

もちろん一部の中国人が暴走するわけで中国人みんながそうだというわけではない。知的財産権に無知なだけなんだけどね、それでもマクロな視点に欠ける人たちが多い国だから、今やそういうことが国内だけで完結しない、ということがわからない。

1980年代の、少なくとも私が出会った中国人はみなそれなりに謙虚だったなあ。


◎トーゴ、反捕鯨団体の船籍剥奪
過ぎたるは及ばざるが如し。この反捕鯨団体の名前が凄い。私は海の警備犬である、っていうんでしょ。世界の海(というか鯨)を汚す輩は海の警備犬が許さない!、許しません!…この感覚、わからないなあ。

他の環境保護団体もそうだけど、環境保護は大義名分もあるし、さらに儲かるのですよ。政治と結託して巨大な利権が動くからね。そして「私たちが地球の環境を守るのだ!」という正義感が「巨悪を許さない!」「私たちが環境汚染に無知な人たちを啓蒙する」となるわけで…殆どが善意と善人の集まりだからタチが悪い(苦笑)

鯨なんぞ日本とアイスランドが細々と捕っているくらいなんだから、「ま、それくらいなら許してさしあげましょう」くらいな態度でいればいいものを…ねえ。


◎JRダイヤ乱れ「撮り鉄」捜査へ
大阪府柏原市のJR関西線での事件。まあ鉃道ファンも認知されて舞い上がっている輩もいるんだろうなあ。運行中の線路内に入るとは、まったくアホですね。

あれは仙山線だったか、山奥の崖の上に望遠レンズ構えたオッサンがいた。いったいどうやってそこまで来たのかと呆れ乍らも感心した。東北新幹線に乗っていたとき、線路沿いの小山の上に一眼レフを構えた撮り鉄のみなさんが、まるで砂糖に群がる蟻のように集まっていたのを見かけた。廃止間近の鹿島鉃道でも沿線の要所要所に(以下、省略)

殆どの撮り鉄はマナーを守っているのだが、オレはオレの撮りたい写真を撮る!という思いに取り憑かれたごく一部の撮り鉄が暴走する。だから私はサヨナラ運転というイベントには行かないことにしている。去り行く車輛にはひっそりとお別れを告げに行くほうがいい。
Dsc_0135

富山の想い出

ぶり大根鍋が美味しそうです。
Dsc_0153
(富山地方鉄道)


さすが薬売りの本場。
Dsc_0183
(富山地方鉄道寺田駅)


素っ気ない駅名票です。
Dsc_0197
(富山地方鉄道上市駅)


上市駅のスイッチバック配線。
左が富山方面、右側が宇奈月温泉方面。
Dsc_0203
(富山地方鉄道上市駅)


富山の想い出と言うよりは、
富山地方鉄道の想い出だね、こりゃ(苦笑)

気の毒なギリヤーク人

チェホフの『サハリン島』(中央公論社)を読んだ。

その前に暫く積ん読だった、チェホフの『シベリアの旅』(岩波文庫)を読んでから、それじゃ次は『サハリン島』を読もうかなと近所の図書館で借りてきた。『サハリン島』は、チェホフがはるかモスクワからシベリアを横断し、当時のサハリン島を歩いたルポルタージュである。19世紀末のサハリン島は流刑地であり、かれらを収容した刑務所は劣悪な環境であった。チェホフはその劣悪な環境と、流刑囚たちの悲惨な状況を克明に記録し、後にチェホフのルポが発表されるや驚きと賞賛の目で迎えられたという。

『サハリン島』の前段でもある『シベリアの旅』にも描かれているように、果てしない密林(タイガ)に埋め尽くされたシベリアも、極寒のサハリン島も、当時のモスクワ市民にとっては想像を絶する場所だったのだろう。華やかな都市の生活がまるで夢物語のような辺境の地、そこに暮らす人々はどうすることもできない自らの人生に諦観している。ま、それも作家の視点で描かれていることであり、そこに暮らす人々は意外とあっけらかんとしていたのかもしれない。

ぼちぼち読み進めていくうちに、ある日書店で岩波文庫の『サハリン島』がポップとともに並んでいるのを見かけた。おや、チェホフ・ブームなの?と思ったら、どうやら『1Q84』のなかに「気の毒なギリヤーク人」という段があって、その元ネタがチェホフの『サハリン島』なのだという。ま、新潮文庫でもチェホフのショートショート集が刊行されたりして嬉しかったりはしたが、チェホフ・ブームというより古典ブームなんじゃないのか?

例の光文社文庫古典新訳文庫効果がじわじわと浸透してきたのではないか、と思う。更に言えば、筑摩書房が立て続けに出していた、ちくま文庫版個人全集からかもしれない。新潮文庫は「掘り出し物」とか「おとなの時間」というマニアックなことをやっていた。角川文庫も角川クラシックスシリーズを刊行しているし、文春文庫でも芥川龍之介や太宰治を新編集で出したり、まあ団塊世代狙いと言えなくもないが、もともと岩波文庫のように、東西の古典を手軽に読めるのが文庫本本来の姿なのだから、今さら驚くことでもないか。やはり古典が連綿と受け継がれ読み継がれていくためには、それなりに出版する側の意欲と息の長い戦略が必要なんだな。

ちょっと気になるのは、『1Q84』の読者がギリヤーク(Gilyak)…現在はニブフ(Nivkh)と呼ばれるシベリアの少数民族に興味を持ち、そして今後はシベリヤがブームになるのだろうか? そして漂泊の舞踏家ギリヤーク尼ヶ崎がいちやくブームになるのだろうか…なるわけはないか…そういえば、ギリヤークといえば伊福部昭だ。たしか伊福部昭はギリヤーク人の音楽を採集したか、かれらをテーマにした曲を作っていた筈だ。宮沢賢治の詩にもギリヤークということばが出てくるものがあったと思う。『サガレンの八月』っていう作品(サガレン=サハリン)もあったなあ。いろいろ繋がるなあ、ギリヤーク…現在はニブフですが…

続・昭和への旅

魚津から北陸本線に乗って糸魚川へ向かう。先ほど通り過ぎた富山地方鉄道の駅「荻生」から連想して、iPodに入れてあった神田伯龍の講談『徂徠豆腐』を聴く。粋で軽くて名調子、良い気持ちで親不知の駅から日本海を眺める。糸魚川駅に近づくと建設中の北陸新幹線高架が見えてきた。


糸魚川駅のホームに降りると、名物赤煉瓦車庫と、濃紺と黄色のキハ52-125が迎えてくれた。
Dsc_0232


JR西日本の糸魚川車両区では、国鉄色のキハ52-115、濃紺と黄色の52-125、首都圏色の52-156の3輛が運用されているが、3月のダイヤ改正でついに大糸線から引退することが決まり、今日は惜別の意味も込めてここへやって来た。
Dsc_0228


みごとな鉃道遺跡である糸魚川駅構内の赤煉瓦車庫(これも撤去されるらしい)の中には、キハ52系に代わって運用が開始されるキハ120系が「試運転」の札を貼って鎮座ましましていた。羽越本線、米坂線のキハ58系が姿を消し、大糸線からもキハ52系が引退、磐越西線のキハ58系新潟色が取り残され、しかも置き換えも間近。昭和がだんだん遠くなる。
Dsc_0236


糸魚川駅周辺を散策していたら相馬御風の生家があった。
Dsc_0239


地元の食堂で昼飯。
Dsc_0247


南小谷から来たキハ52-115が大糸線ホームに入線。降りてきた乗客の殆どが鉃道ファンなのだろう、カメラと三脚率高し…まあ斯く言う私もその1人だが(苦笑)
Dsc_0258


構内に待機していたキハ52-125が入線、あっという間に車内は満員になる。乗り込んだ乗客の殆どが(以下省略)
Dsc_0321


それにしても経年劣化は車体のそこかしこに見受けられる。よく働いたねえ、君たち…
Dsc_0282

Dsc_0338


モーター音も心地よくキハ52-125は糸魚川駅を発車した。魅力的な木造駅舎が残る頸城大野を過ぎると、すでに車窓の風景は殆ど雪に覆われていた。頸城大野を過ぎて根知の辺りに来ると景色はすでに山の中である。
Dsc_0352


姫川の流れに沿って峻険な断崖を右に左に見ながらキハ52-125は進む。大糸線は夏によし冬によし、大好きな路線のひとつだが、やはりここにはキハ52系がよく似合うのだ。時代の流れとはいえ寂しい限り。小滝を過ぎてだんだん雪が深くなる。だんだん山も深くなる。姫川の流れもだんだん深い青になる。
Dsc_0356


平岩~北小谷~中土を経て終点の南小谷に到着。約1時間の旅は終り、キハ52-125は糸魚川方面へ走り去った。私はあずさ26号に乗り換えて新宿へ向かう。
Dsc_0392


さらば、昭和…さらば、大糸線キハ52系!
Dsc_0372

昭和への旅

私は深夜の上野駅のホームに立っていた。

急行能登はあのボンネット型が特徴な489系だ。かつての国鉄の特急列車を今に伝える生き残りで、上野を2333に発車し、東北本線~高崎線~上越線~信越本線を経由して北陸本線に入り金沢まで走る夜行列車。昼間に上野駅や越後湯沢駅辺りで見かけることがあるが、こいつに出逢う度に私は昭和という時代に思いを馳せる。
Dsc_0132


急行能登は定刻2333に上野を発車し、大宮〜熊谷〜高崎〜直江津などを経て深夜の鉄路をひた走る。富山駅に降りたのは早朝の534、まだ辺りは真っ暗である。急ぎ足でJR富山駅から富山地方鉄道線の改札に行き、544発立山行き急行列車に飛び乗った。
Dsc_0147


2輛編成の列車に乗った客は私1人。途中から乗る人もなく当然降りる人もなく、私1人を乗せた列車が終点の立山駅に着いた頃には、漸く空が白々と明け始めてきた。さすが立山周辺は深い雪に覆われている。
Dsc_0164_2

Dsc_0168


立山を折り返して寺田で宇奈月温泉行きに乗り換える。しかしこの寺田駅のユニークさは何と表現したらいいのだろう。富山から宇奈月温泉に向かう本線と、富山から立山に向かう立山線がここ寺田で交差する。立山線の3番線4番線ホームと、本線の1番線2番線ホームの間に広い敷地があり、大きな木造の待合室が立っている。
Dsc_0178


どう見てもこれが駅舎かと思うのだが、改札など駅機能を有する駅舎はここではない。この駅に、例えば富山の薬売りや行商人、立山詣での巡礼、詰め襟の中学生や女学校の乙女、農家のおじさんおばさん、背広に鳥打ち帽の測量技師…そういう扮装の人々を配置すれば、戦前の風景がそのまま再現されるような駅だ。
Dsc_0185

Dsc_0191


富山方面から来た列車に乗り、寺田を発車して暫く行くと上市に着く。ここは平地なのにスイッチバックという奇妙な駅で、ちょうどJR磐越西線会津若松駅と同じ形式だ。
Dsc_0196


スイッチバックした列車は、今度は北陸本線と並行し乍ら立山連峰の麓を走る。新魚津を過ぎた辺りから日本海が見えた。やがて線路は大きくカーブして北陸本線を跨ぎ、黒部峡谷へと分け入って行く。

宇奈月温泉駅前には温泉の噴水が沸き立っていた。富山地方鉄道の先には黒部峡谷鉃道乗り場が見えるが冬期は運行しない。早朝の静かな温泉街である。しかし私は温泉に入ることもなく、そのまま宇奈月温泉から折り返し(笑)
Dsc_0218


荻生、東三日市、電鉄石田と魅力的な駅舎を経て新魚津で降り、地下道を通って北陸本線の魚津駅から糸魚川へ向かう。
Dsc_0227


富山地方鉄道には、大正末期から戦前に建てられた国宝級の木造駅舎が、そこかしこに残っている。例えて言うなら長野電鉄長野線の柳原、朝暘、桐原クラス、いやそれらを遥かに凌駕する木造駅舎や鉃道遺跡が全線に渡って残っている。
今も昭和を走り続ける鉃道、それが富山地方鉃道なのだ。

« 2010年1月 | トップページ | 2010年3月 »