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2010年1月

志の輔らくご

友人に誘われて『志の輔らくごinパルコ2010』に行った。

劇場ロビーには開演を待つ老若男女で大賑わい、立川志の輔の幅広い人気の賜物である。落語の公演がこれほどの賑わいを見せるまでにした志の輔の努力と才能は凄い。パルコ劇場はほどよい大きさの箱で、後方の席だったのだが志の輔の表情も所作もよく見える。

最初は、ふるさと富山で見かけた造りかけの高速道路をマクラに振って、村長と建設会社社長、県会議員が公共事業と予算に一喜一憂する『身代わりポン太』。予算が凍結され、このままでは造りかけで放置される巨大な信楽焼の狸の運命や如何に! ここで登場するお婆ちゃんのトンデモナイ迷案に一縷の望みを託し、村長と建設会社社長は一発大逆転の奇策に打って出た。日本のいたるところできっとこういうことってあるんだろうなあ…と思わせる噺。

お次は名作『踊るファックス』、間違い電話ならぬ間違いファックスが巻き起こす珍騒動が爆笑を呼ぶ。間違いファックスに敢然と立ち向かう薬局の主人、おろおろし乍ら大ボケをかますお母さん、冷静な一人息子、そして謎の女マミコ…映像化するなら薬局の主人はイッセー尾形がいいと思う。サゲの直後に高座の後から巨大なファックス用紙がカタカタカタと出てくる趣向あり。

現在ならファックスじゃなくて携帯メールなんだよね。携帯メールだったら家族が大騒ぎじゃなくて個人が慌てることになる。90年代の新作落語なのにどこか古典落語風なのは、舞台が商店街の薬局一家という設定だからだろう。後半に登場する印刷屋や八百屋も長屋の住人そのものだ。仲入りのときに、友人が「ポン太せんべい」を買ってきてくれた。「数量限定ですよ!」さすが、素早い。

トリネタは芝居噺『中村仲蔵』、歌舞伎のマクラを振った瞬間、「あ…」と思ったら、やっぱり『中村仲蔵』だった。血筋が重要視される歌舞伎界にあって、才覚で大看板にまで出世した初代中村仲蔵が主人公。歌舞伎『忠臣蔵』五段目の斧定九郎を演じ、凄絶なまでに美しい悪の化身という演出を創造し、稀代の名優として後世に残る。

今日の高座は、舞台照明で花道を演出したり、音曲や柝を入れて芝居の型を演じたり、視覚にも訴える演出だった。それでもやはり凄いのは志の輔の演技である。先代の林家正蔵(彦六の正蔵ね)だとカチカチに演じてしまうが、随所にギャグを散りばめて客を笑わせつつ、基本はハードボイルドな志の輔の高座、次第に客は江戸の芝居小屋へ引きずり込まれて行く。途中から高座に『忠臣蔵』五段目の絵が見えてきた。凄い。正味90分近い熱演だった。

舞台が跳ねた後、友人と臺灣料理店『龍の髭』で食事。
お誘いいただき、謝々!

寒い冬

年末の森繁久彌ショックに続いて…小林繁(プロ野球/57歳)、浅川マキ(歌手/67歳)、ミッキー安川(タレント/76歳)、奥村公延(俳優/79歳)と惜しい方々が逝きました。しかも年末には双葉十三郎(映画評論家/99歳)も亡くなっていた…私は小林繁のおかげでタイガースファンになったんだよなあ…凄いピッチングだったなあ…、奥村公延は『さらば、愛しき大地』での渋い演技が印象的…、ミッキー安川といえば消費者金融の杉山会長(サラ金の走り、憶えてるかな?)へのインタビュー、借金返せないなら腎臓売れ!と叫ぶ杉山会長が札束バラまくパフォーマンスやってましたなあ…今年は異様に寒い冬です。
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暖かい雪景色の中を

磐越西線で新津から会津若松へ抜けた。新津は鉃道の町として栄えたところで、今でも信越本線、羽越本線、磐越西線が乗り入れる。羽越本線は貨物の大動脈でもあり、私が幼い頃は深夜に布団の中で貨物列車が走るレールの音を聴いていたものだ。新津駅の堂々たるプラットホームを見よ。
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磐越西線ではまだまだキハ40系は健在で、1137発は新潟色&首都圏色の2輛編成。
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今日は新津から津川辺りまではあまり雪が深くはなかった。これから雪が降り積もるのであろうか。それでも鹿瀬から日出谷を過ぎて、新潟と福島の県境である豊実~徳沢辺りはそこそこ雪が積もっていた。
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徳沢ではお婆さんがひとり乗って来た。雪に埋もれたプラットホームに立つ見送りのお婆さんと挨拶を交わす。山都を過ぎて喜多方辺りからは雪も少なくなりキハ40は会津若松駅に滑り込む。今日はここから会津鉃道~野岩鉄道を経て東武鬼怒川線に乗り入れるルートを取るのだ。18きっぷを使うのならここから郡山へ出て東北本線に乗り換えるのがいいのだが、さすがにくたびれたので今日は会津鉃道&特急きぬで東京に入ろうと思う。
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会津から都内までの長距離切符はみどりの窓口で販売しているので並ぶ。切符を購い駅構内で立ち食い蕎麦を啜り一息ついてプラットホームへ。すでに会津鉃道の快速列車AIZU尾瀬エクスプレスが入線していた。隣にはJR只見線キハ40系が停まっている。そのうち夏の只見線に乗ってみたいものだ。
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リバーシブルシートの豪華車輛、これなら長距離だって快適に過ごせるだろう。定刻に発車した快速尾瀬エクスプレスは西若松で只見線と別れ会津高原へと進んで行く。芦ノ牧温泉辺りからの雪景色は絶品。雪が深く、おまけに延々と猛吹雪。凄いぞ、会津鉃道。磐越西線の雪景色がちょっと期待はずれだっただけに、会津鉃道~野岩鉄道沿線の雪景色は見応えがあった。もちろんここに暮らしてみれば大変だということは、私は雪国出身だからよくわかる。よくわかるが、これだけ雪に埋もれていると静かなんだろうなあ。
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地元の高校生が頭に雪を乗せて乗ってくる。会津弁丸出しのおとっつぁん&おっかさんが乗ってくる。大きな荷物を抱えたおばあさんが降りていく。夕闇が降りてきた車窓から見える沿線は積雪と吹雪で真っ白、駅の周辺には家々が立ち並び窓から暖かい灯りが漏れている。雪に埋もれたそれぞれの家ではそれぞれの暖かい夕餉を囲んでいるのだろう。灯りがともる雪景色というのはなんと暖かいものか。野岩鉄道に入ると殆ど山の中を走る。これは春夏秋冬楽しめる鉃道だ。あまり期待してはいなかったのだが、会津鉃道は素晴らしい! 
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夕闇に包まれた新藤原から東武鬼怒川線に入り、鬼怒川温泉駅で特急きぬに乗り換える。古くさい特急列車という車内も良い雰囲気だ。疲れが出てうとうとしているうちに栃木を過ぎ、春日部辺りから車窓も都市の夜景に変わり首都圏に近づいてきた雰囲気が高まる。さて今年も忙しい一年になるのでだろうか。ま、あまりヒマでは困るのだが…(苦笑)

これにて東北鉄の旅、幕でございます。
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山へ向かう鉄道

小さな列車はブルルンとエンジンの響きも快く、暫く羽越本線と併走してから鳥海山麓へ向けて走り出した。ここは旧国鉄矢島線だったのだが、昭和60年に第3セクターとして運行を開始したという。鳥海山麓の谷間を山奥に向かってガタクリガタコンと走る列車のなんとのんびりとしたことか。
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女性のアテンダントが乗客の1人1人に手作りの紙風船を手渡してくれた。庄内美人とでもいうのだろうか、まだうら若いお嬢さんの笑顔がなんとも眩しい。「鳥海山ですか、今日は天気が悪いから見えないんですよ、お天気の良い日にまたぜひ乗りに来てくださいね」と柔らかい口調でにこやかに説明してくれた。
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沿線に住んでいるらしいお年寄りにも「お元気そうですねえ」と話し掛けたり、見ていて微笑ましい。まあ、独りでぽつねんと座席に座っているのが好きな私は、車内で話し掛けられたりすると、ちょっと戸惑ってしまうところが我ながら情けない(苦笑)
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今では都心のJRや私鉄でも女性乗務員(車掌・アナウンス等)は珍しくなくなったが、地方鉄道でも女性乗務員の姿が目につく。地方鉄道では観光ガイド的な要素も兼ねており概ね印象が良い。列車が曲沢という駅に差しかかると、彼女がススッと私の席までやってきて車窓を指差し乍ら「お天気が良いと、ちょうどあの辺りに鳥海山が見えるんですよ」と教えてくれた。ああ、なんと気働きの良い人であろう。ありがたやありがたや。
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終点の矢島駅はログハウス風の新しい駅舎だったがその隣に旧駅舎がひっそりと残っていた。ちょっと覗いてみると荷物置き場と車庫として使われていたので苦笑い。
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沿線で最も気に入ったのが吉沢駅。一面雪が積もった田んぼの中にマッチ箱のような駅舎がぽつんと立っている。まるで北欧の童話みたいな風景だ。いいぞ、吉沢駅。
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再び羽後本荘に戻って羽越本線に乗り換え酒田へ。折からの強風により列車は遅れている。冬の羽越本線は低気圧による吹雪と強風の影響をもろに受ける。だから遅れたり運行を見合わせたりすることがよくある。しかしそれはしかたないことだ。少しくらい遅れても安全運行が第一なのである。雪国の人々は「しょうがねえさ、雪降ってんだもの、風吹いてんだもの」とすべてを受け入れるかのように、車内で居眠りをしたり本を読んだり携帯電話に見入ったりしている。

酒田に到着しここから急行いなほに乗り換える間、構内にキハ40系新潟色が留置されているのを発見。おお、まだ居てくれたのか! 羽越本線のキハ40系は新型のキハ110系、キハE120系の導入によりいずれ撤退することになる。すでに米坂線はキハ110系とキハE120系に置き換えられてしまった。磐越西線ではまだキハ40系はがんばっているが、ここも時間の問題であろう。
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酒田から新潟に向かう485系急行いなほも強風の影響ですでに30分遅れている。2005年に発生した北余目~砂越間の急行いなほ脱線事故も記憶に新しい。この事故も横殴りの異常な強風が脱線の原因であった。急行いなほは時折速度を上げつつも基本的に徐行運転を保持しながら羽越本線を走る。鼠ケ関から新潟県に入り車窓から薄暗い冬の日本海が見えている。夕暮れ迫る暗い冬空に白波が強風に煽られて飛沫を上げていた。冬の日本海である。

海へ向かう鉄道

まだ夜も明けぬ午前6時に秋田の宿を出て秋田駅へ向かう。今日の旅は706発の男鹿線男鹿行きに乗ることから始まる。青なまはげ、赤なまはげが車体にペイントされた男鹿線キハ40系男鹿色に乗って早朝の男鹿半島へ向かうのである。
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秋田を発車したキハ40系は土崎、上飯島を過ぎ、追分から奥羽本線と分かれて男鹿半島へ入る。出戸浜、上二田、二田の辺りは松林が目立つ。これも海沿いの防風林なのであろうか。天王を過ぎると八郎潟の鉄橋を渡り、船越、脇本の辺から山に分け入っていくような風景に変わっていく。
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半島の先に向かって走っているのに車窓が山の中というのも奇妙。携行している地図を取り出して眺めると、男鹿半島の先端には真山、本山、寒風山という三つの山が並んでおり、半島の端っこが山地になっているのである。津軽半島の三厩辺りもそうだったが日本の地理って面白いなあ。下北半島もその先端は恐山に代表される山地であり、村々はまるで津軽海峡に浮かんだ大きな山の周辺にへばりつくように点在しているのだ。
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男鹿で折り返して再び秋田に戻り、こんどは羽越本線酒田行きに乗り換える。花輪線、大湊線、津軽線、五能線、男鹿線といったダイナミックな線路に乗ってきた今、この羽越本線のなんと平々凡々たるのどかさよ。単調な車窓風景に暫しまどろんでいるうちに羽後本荘に到着した。さて私はここから由利高原鉄道鳥海山ろく線に乗り換えるのである。
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羽後本荘駅で列車から降りると、反対側の4番線ホームに1輌編成の小さな列車が停まっていた。これが由利高原鉄道鳥海山ろく線の車輛である。
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そのまま乗り込んで車内精算してもいいのだろうが、一応JRの改札を出てみると、JR改札の隣に由利高原鉄道の小さな切符売り場と改札があった。ここで往復切符を買って由利高原鉄道の改札を通る。
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『釣りキチ三平』の記念乗車券に、駅員さんがパチン、と鋏を入れてくれた。ああ、良いなあ。
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跨線橋を渡って小さな列車に乗り込む。なんと古めかしいそして懐かしい車輌であろうか。窓の脇に掛かった竹筒に花が活けてある。きっと運営も困難であろう地方鉄道の乗客に向けた心遣いが伝わってくる。
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冬の五能線と太宰の宿

鳴沢を過ぎて国道の下を通過すると目の前に突然日本海が出現する。なかなか感動的。列車行き違いのため鯵ヶ沢で暫し停車。鯵ヶ沢と言えば、ブサカワイイ秋田犬わさおで有名になったところである。また名物イカの丸焼きが美味しいらしいが、今日の私にはどちらも縁が無い。
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鯵ヶ沢から先、五能線は千畳敷、大戸瀬、風合瀬、驫木、追良瀬を経て荒れる日本海を眼下に見てひた走る。
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いずれの駅舎も寂しい佇まいで、日本海から吹き付ける北風を受け止めている。羽越本線の五十川から鼠ヶ関、越後寒川、間島の辺りも日本海沿いを走るのだが、ここ五能線は断崖絶壁の縁を走るため高さが違う。是亦一興。
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1157に終点の深浦に到着。石油ストーブが焚かれた待合室で、弘前で購った駅弁を食べ一息入れる。
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さて東能代行きが発車するまで1時間半以上あるので深浦の街を散策。深浦は海岸線に沿って細長く広がる街だ。秋田方面へ10分程歩くと道路沿いに風格のある建物があり、近づいてみると『ふかうら文学館』と書いてある。
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太宰治の『津軽』にも登場する深浦の宿というのはここなのだそうだ。拝観料300円を支出して中に入る。二階に太宰宿泊の間というのがあって当時の室内が再現されている。太宰はここで酒飲んでたんだなあ、と感概深く眺めていると、畳の上をのそりのそりと何かが動いている。よく見るとこれがカメムシ(笑) 太宰の間を悠然と歩く冬のカメムシが妙におかしかった。

寒風吹き付ける深浦の街を歩いて駅に戻り1339発東能代行きに乗車。横磯、艫作を経て岩館から秋田県に入り東能代に到着。ここから奥羽本線に乗り換えて終点の秋田に向かう。
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鉄道の記憶

今日は青森を発って秋田へ向かう。青森738発奥羽本線弘前行きに乗ると、巨大な新青森の駅舎が見えてきた。やがて東北新幹線がここに停車するようになるのである。そうなると青森駅は寂れてしまうのであろうか? 続いて津軽新城では青森行き列車の通過待ちで暫し停車。おお、この津軽新城の木造駅舎たるや実に味わい深い。長い津軽の風雪に耐えて来たのであろう。なんとがっしりと暖かな駅舎であろうか。ものの本によれば津軽新城駅は明治27(1894)年開業、駅舎も築100年を越えるというからお見事。次回は是非ここで下車してじっくりと歴史を味わってみたい。
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浪岡でも青森行き列車の通過待ちで停車。浪岡といえば、私にとっては第59代横綱隆の里の出身地として記憶されている。「横綱隆の里、青森県南津軽郡浪岡町出身、二子山部屋」という場内アナウンスも耳に懐かしい。やがて列車は川部に到着。ここは五能線の終点でもある。ふと気がつくと五能線は奥羽本線の弘前方面から分岐している。あ、そういうことなのか・・・やがて難読駅名として知られる撫牛子を経て列車は弘前に到着。ここで1時間程待ち合わせて924発五能線深浦行きに乗るのである。
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列車待ちの間に弘前駅に併設されている弘南鉄道弘前駅を見学に行く。見慣れた元東急車輛7000系がホームに停車していた。今回は時間が無いのだが、次回は弘南鉄道弘南線と大鰐線に乗らなければならない。
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クリーム色の車体に青の帯をまとった五能線キハ40系が弘前駅を発車した。いったん撫牛子を経て川部まで戻りここから五能線に入り五所川原~鯵ヶ沢方面に向けて進行していく。ということはこの列車はここ川部の駅でスイッチバックするのである。先ほど川部の駅でこのことに気がついたので楽しみにしていたのだ。
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川部から五所川原までは津軽平野を粛々と進んでいく。天気が良いと岩木山が一望できるということだが、今日は生憎雲がかかっていて岩木山を眺めることはできなかった。五所川原で津軽鉄道ホームと津軽鉄道車輌をちらと見送って列車は大きく海側へカーブして木造を通過する。
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木造と言えば、私にとっては1982年高校野球夏の甲子園大会で、佐賀商業高校のエース新谷博(後に西武ライオンズ)が、9回2死まで走者を1人も許さず、あと1人で完全試合達成というところで27人目の打者に死球を与え、惜しくも夏の甲子園大会初の完全試合を逃したものの、ノーヒットノーランを達成した対戦相手の木造高校がある町、として記憶されている。

蟹田から三厩へ

蟹田に着いた頃から降りだした雨はやがて小雨に変わり、津軽の赤鬼もまた三厩へ向けて走り出した。しかし津軽半島の先端へ向けて走っているというのに、この車窓の風景はどうしたことであろう。まるで山に分け入っていくような風景が続く。

こんもりとした山の斜面に青森産ヒバの林が続いており、雪に覆われた白の中に黒々とした山肌と木々が映えている。携行している青森県地図を取り出して眺めてみると、津軽半島の西側は、五所川原をほぼ中心にして平野が広がっており、平野の北端の十三湖の北側は山の麓に位置している。津軽半島の東側は、蟹田の辺までが緩やかな平地になっている以外は、竜飛崎まで山が続いているのである。海に近づいているのに周りはどう見ても山の中、という風景は、大船渡線で気仙沼に出る直前までがそうだった。日本の地理って面白い。
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中小国を過ぎ津軽二股に着いた。ここでは車窓からすぐ隣の津軽今別の駅を眺めることができる。
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これは何故かというと、津軽線と海峡線が此処で交差するからだ。海峡線はJR北海道に所属するため、津軽今別駅は本州にあるJR北海道の駅ということになる。ちなみに海峡線は青森県の中小国駅から北海道の木古内駅までを言い、そのためさきほど通過してきた中小国はJR東日本とJR北海道の境界駅に当たる。
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津軽二股を過ぎる頃から雨があがり太陽が顔を出してきた。すると進行方向右手に大きな虹が姿を現してきたのだ。おお、こんな北の果てで虹が見られるとは・・・しかもかなり大きな虹である。
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束の間の晴れ間に架かった大きな虹をぼんやりと眺めているうちに、列車は静かに三厩のプラットホームに滑り込んだ。もうここから先へ向かう線路は無い。終着駅である。下北半島の大湊駅も終着駅なのだが、三厩駅周辺は大湊駅周辺のような賑わいも無い静かな終着駅だ。
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折り返しの上り列車を待つ間、車掌さんと立ち話。

「天気良がったらこごがら北海道見えますよ、んだども今日は曇ってるハんで見えませんね、イルカが泳いでるこどもあります。運が良がったらマグロがぴょんぴょん跳ねで…そりゃ嘘だけンどね」

イルカも北海道も見える三厩の駅は、雪に埋もれた静かな駅だった。今度は夏に訪れたいな。
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再び蟹田まで行き、青森行き列車に乗り換える。夕方は青森市内の書店を見て歩く。青森市の書店といえば成田本店だ。大きすぎることもなく小さすぎることもなく、それでいて過不足ない品揃えの書店。そりゃジュンク堂とか紀伊國屋書店とか、大型店舗をいつまでもウロウロしているのも楽しいが、こういうサイズの書店ってなかなか見あたらなくなったような気がする。

地方都市の老舗書店へ行く楽しみは、その土地ならではの地方出版物が手に入ることと、売れ残っても返品されずに置いてある文庫本である。何も旅先で荷物になる本など買わなくてもいいのだが、これはもう病気なのでしかたがないことである。成田本店の地方出版物コーナーはなかなかの充実ぶりで楽しい。津軽は太宰治、寺山修司、葛西善蔵など個性的な作家を多く生んでいる。成田本店、良い書店だった。

陸奥湾周遊

といっても大湊線と津軽線に乗ったわけだが…

青森710発東北本線八戸行きに乗る。早朝の青森駅構内は薄く雪に覆われていたが、浅虫温泉から狩場沢の辺りまで来ると積雪が多い。青森駅では立っている乗客もいたが、矢田前でどっと高校生が降りてしまい、車内はすっかり空いてしまった。
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野辺地で下りて大湊線キハ110系に乗り換え、終点の大湊を目指して下北半島を北上。有戸から吹越まではかなりの距離があり、車窓からは鉛色の陸奥湾を眺めることができる。それにしても荒涼とした風景である。
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吹越から数人の客が乗り込み、陸奥横浜では数人が降りた。有畑、近川、金谷沢でも数人ずつ降りてゆき、むつ市の中心地に近い下北では殆どの乗客が降り、車内は一気にガラガラになってしまう。やがて陸奥湾に沿って進行方向内側にカーブしながら終点大湊に到着。粉雪が舞うプラットホームから陸奥湾と港が見える。いったん駅舎の外に出て大湊駅舎を見学。質実剛健といった風情だ。
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待合室には石油ストーブが設置されていて乗車を待つ人々が暖を取っている。私が高校生の頃、地元の駅舎でも同じ光景があった。老いも若きも1時間に1本あるかないかの到着列車を待っていた。私も友人ととりとめのない話をした。やがて駅長が列車の到着を告げ、人々はのそのそと改札を抜けて雪に埋もれたプラットホームに出ていった。今ではその駅も寒々とした無人駅になり、かつての懐かしい光景は永遠に失われた。

さて大湊線の上り列車は大入り満員に近いほど混んでいた。それもそのはず、これは快速列車なので下北、陸奥横浜、野辺地にしか停車しない。青森や八戸に用がある人にはうってつけの列車なのだ。野辺地から奥羽本線に乗り換えて再び青森に戻る。
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青森に向かう奥羽本線は線路の状況が悪いらしく、定刻より数分遅れて青森に到着した。私はここから津軽線蟹田行きに乗り換えるのだが、青森到着が遅れたため構内を小走りで移動することになった。津軽線701系は、私とともに駆け込んだ数名の乗客を待って青森駅を静かに発車した。

こんどは陸奥湾を右手に見て蟹田へ向けて走り出す。郷沢を過ぎて瀬辺地辺りから海岸すれすれに走る。津軽平野の端っこというわけなのか、人家も集落もあり広々としているが、それほど寒々しいという印象は受けない。先ほどまでいた下北半島の、荒涼とした寒々しい光景とはあきらかに異なっている。陸奥湾を挟む下北半島と津軽半島は、同じ半島でもこんなにも様相を異にするのかと嘆息する思いがした。
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蟹田は私にとっては蟹と太宰治の街である。ま、これも『津軽』の影響なのであるが、おそらくこの作品によって蟹田という地名は多くの読者に記憶されているのであろう。津軽線は青森から三厩直通の1往復を除いて青森から蟹田までの区間運転なので、ここから終点の三厩までは蟹田で乗り換える必要がある。乗り換えまでの間、何か売店でもないかと駅を出てみたが何もない。朝からのタイトなスケジュールのためおにぎりを二つしか食べていない。青森での乗り換え時間があまりなかったので食料の調達もできていないのである。私はいい歳をしていったい何をしているのであろうか(苦笑)

やがて蟹田行きのキハ40系が入線してきた。おお、これこそ東北の赤鬼、これに乗りたかったのである。しかしこれ、八戸の辺りを走っている赤鬼と違って頭の部分が赤くない。これも赤鬼なのであろうか。津軽の赤鬼とも言うべきキハ40系なのかもしれない。
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花輪線

年末の仕事をむりやり納めて(苦笑)新幹線に乗った。

北上から東北本線に乗り換え、盛岡からJR花輪線で大館へ向かう。といっても旧東北本線の盛岡~八戸間は平成14年の東北新幹線開業に伴い、盛岡~目時間が第3セクターのIGRいわて銀河鉄道(以下、IGR)に、目時~八戸間が青い森鉄道にそれぞれ経営が移っている。
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そういうわけでJR花輪線は旧東北本線の好摩〜大館間がそれにあたるのだが、利用の便を考慮して盛岡から直通運行もなされている。いったん盛岡駅の中央改札を出て暫く歩くとIGRの改札があり、そこからホームに入ると見慣れたキハ110系大館行きが停車していた。

盛岡を出たキハ110系は渋民に差し掛かる。ここ渋民はいわずと知れた石川啄木…歌人としては一流だが人間としてはろくでなし…の故郷。この辺りは台地を走り眼下に渋民を見下ろす車窓は実に見事である。花輪線は好摩からIGRに分かれて奥羽山脈の中へ分け入って行く。今日は車窓から岩手山がくっきりと見えていて気持ちが良い。松尾八幡平から安比高原までは急峻な勾配を登る。雪景色をおかずに駅弁をワシワシと食べる。秋田県境の兄畑、湯瀬温泉付近の車窓は絶景であった。花輪線の妙ここに極まれりの感がある。
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やがて十和田南でスイッチバック。平地なのにスイッチバックなのである。妙に面白い。夕暮れの大館で奥羽本線青森行きに乗り換える。冬の夕暮れは早く、弘前に着いた頃には辺りはほとんど闇に覆われて、ピンクの帯をまとった東北色701系は終点の青森に滑り込んだ。おお、青森駅前は小雪が舞い、道は雪に覆われている。それにしても寒いな。街行く人々の津軽弁が聞こえてくる。津軽弁は他の東北弁とは一線を画す違いがあるなあ。なんとなく縄文の響きを感じる、って私は司馬遼太郎か(笑)

宿に荷物を放り込み郷土料理屋に入り、ホタテバター焼き、白子のテンプラ、イカ焼き、じゃっぱ汁でビールを飲んで良い気持ち。さて明日も朝から最果て鉃道の旅に出かけるのココロだあ。
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