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2009年9月

サヨンの鐘

蘇澳から一駅の蘇澳新で降りて北廻線に乗り換える。蘇澳新はかつては南聖湖という駅だったそうだ。北廻線は主に自強號、莒光號、太魯閣號など特急列車が頻繁に往来するが區間車(普通列車)はあまり運行しない。
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複雑な地形のため海沿いや断崖絶壁、トンネルと車窓もバラエティに富んでいる。二年前には絶滅寸前の普快車に乗って花蓮まで行ったが、普快車の旧型オンボロ車輛での旅は今でも忘れがたい思い出である。
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(2007年夏に乗った普快車の車内)


もちろん北迴線での普快車運行は消滅しており今回はお馴染みのEMU500區間車での旅。蘇澳新を発車して永楽ー東澳ー南澳を過ぎて無人駅の武塔で下車。ここに何があるのか全然知らないのだが地図を見て武塔から南澳まで散策するのもいいかな、と思っていたのである。
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さて武塔であるがここは無人駅であるどころか駅舎すら無い。断崖絶壁の下にあるホームから外に出ると夏草そよぐ殺風景な所だった。一緒に下車した都会から来たらしい若者の一団がいたがキャンプにでも来たのだろうか。
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あてもなくうろうろと歩いているうちに北迴線の高架の先にある小さな集落にたどり着いた。歩いているうちに堤防らしき所の上にある小さな石碑が目に留まった。碑文には「愛国乙女○○遭難之碑」とあるが、うーん、何だろうこれ? なんで○○の部分が削り取られているのだろう? 
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夏の暑さにぼおっとし乍らまた歩き出す。武塔の駅に戻り更に南澳方面に進むと『莎韻紀念公園』という小さな公園があった。
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「莎韻之鐘」??? ああ、これは『サヨンの鐘』だ! そうかあ、するとさっきの石碑は「愛国乙女莎韻(サヨン)遭難之碑」だったのか! 
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昭和13(1938)年、南澳の辺りに駐在していた日本人の巡査に召集令状が届いた。彼はふだんから現地の人たち(当時は高砂族と呼ばれた臺灣原住民)の面倒をよく見ていたため村人から慕われていたそうである。彼が村を出るときに見送りに同行した青年たちのなかにサヨンという少女がいた。ところが悪天候の中、サヨンは足を滑らせて激流に転落し命を落としてしまう。この事件が愛国美談として伝わりサヨンを讃える石碑が建てられた。
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さらにこの美談は『サヨンの鐘』という流行歌(詞:西条八十/曲:古賀政男/歌:渡辺はま子)になり李香蘭主演で映画化(1943年)もされた。戦後、国民党支配下にあってこの石碑も「植民地時代の象徴」として碑銘を削られ川底に捨てられてしまったのだが、近年の民主化とともに石碑も川底から引き揚げられ元に戻されたのだという。そうかあ、それで○○の部分が削られていたのだな。

『サヨンの鐘』の故事は知っていたがまさかここに石碑や公園があるとは知らなかった。適当に降り立った駅からこういうドラマにたどり着くとゾクゾクするなあ。こんなところにも臺灣と日本を巡る近代史が脈々と生きているのである。
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臺灣風ミントアイス

蘇澳の朝は暑い。ひええ、朝からこんなに暑いのか。それはそうと今日は蘇澳の街から南方澳へ行くのだ。地図を見てもらえばわかるが宜蘭線の終点である蘇澳の街は海からやや引っ込んだところにある。

蘇澳からタクシーで10分くらい走ると南方澳という港に着く。ここは遠洋漁業の重要な基地であり航海の神様である媽祖を祀った南天宮がある。水揚げされたばかりの新鮮な魚介類を食べさせる食堂が林立していて観光客で賑わっている。もちろん魚介類を安く買って帰ることもできる。
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蘇澳の駅でヒマそうなタクシーのオッチャンに声をかけて南方澳まで行く。「あんた日本人か、そうかそうか、蘇澳は暑いって? そうなんだよ、今年は特別暑いんだ(笑)颱風は来なかったから被害はないよ、それにしてもあっち(高雄縣)の被害はひどいもんだね、怖い怖い」明るくてよく喋るオッチャンだった。
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まずは南天宮にお参りをしてから港をぶらぶらと歩く。外海から深く陸地に切り込んでいる南方澳は素人目でみても優れた港だ。これじゃあ海が荒れても港は安全、だと思う。
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魚河岸を歩くと水揚げされたばかりの魚がたくさん転がっている。どれもこれもカチンコチンに凍っているから遠洋漁業の船なんだろうなあ。獲物はマグロなのかなあ。私はさかなくんじゃないからよくわかりません。
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食堂の前には水槽の中に放り込まれた蟹や海老がのたくっている。これから観光客の胃袋に収まる運命なのだ。
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暫くブラブラしてから花生氷淇淋を買ってみた。溶かした砂糖にピーナッツをまぜてカチンカチンに固めた「大きなピーナッツの板」(?)をカンナで削る。春巻の皮にバニラアイスの塊をひとつ、ふたつ乗せて、例の鉛筆の削りカスみたいなやつをバラリ、と乗せて、更に更に香菜(パクチー)を乗せて(!)くるくると巻いて出来上がり。冷たいバニラアイスの甘みとピーナッツと香菜の香りが口の中でえも言われぬ味わいを…おお、これは美味しい。

まあアイスクリームにミントの葉を添えるくらいだからこういうのもアリか…しかし香菜嫌いにはたまらないアイスだろうなあ(苦笑)
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蘇澳冷泉

宿のすぐそばに蘇澳冷泉公園というのがあり、ここには冷泉を利用したプールと個室浴場がある。プールに入る気はないので迷わず個室浴場の券を買って入場。臺灣にはたくさんの温泉があるのだが日本と違って基本的に水着着用(例外有り)である。見ず知らずの他人と全裸で湯に浸かるなどという習慣はないのだそうだ。ま、日本の銭湯文化は必ず外国から奇異の目で見られるというからねえ。
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ゲートから中に入ると大きなプールがあって家族連れなどがワイワイキャーキャーと楽しそうに遊んでいる。
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プールの脇を歩いていくと長屋みたいな個室浴場棟がある。券を見せると受け付けのオネエチャンが案内してくれた。
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個室浴場はおよそ十畳くらいの広さで大きな冷泉の浴槽がある。裸になってさあ入浴、その前に身体を洗って入浴することという注意書きが……公衆浴場の基本中の基本、痩せても枯れても日本人、冷泉どんとこい!……冷たい…うだるような暑さに火照った身体には20度くらいの水はとても冷たい。ご丁寧に手桶があるのだがこれで水を浴びる気にはならぬ。しかたがないのでタオルを濡らして全身を拭くのだがこれがまた冷たい! 
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なんとか身体を洗ってからそろそろと足を浴槽に浸ける……冷たい……我慢して足先から太ももまで冷泉に浸けて暫し冷たさに慣れるのを待つ。徐々に腰まで浸かり、胸まで浸かり……うひょー、冷たい! 足下からシュワシュワと気泡が湧いている。見る見るうちに身体に気泡がまとわりついてまるでサイダー風呂に入っているみたい(笑) 暫く浸かっていると不思議なことに身体の芯からジワジワと暖かくなってくる。額には汗が浮き出してくる。ふーん、やっぱり温泉なんだなあ……隣室からは団体で入っているらしい歓声が聞こえてくる。ああ、今私は臺灣の冷泉に独り浸かっているのだなあ。
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暫く冷泉を堪能してから外に出た。だいぶ夕日は傾いて夕暮れが蘇澳の街に訪れてきた。不思議な湯上がり気分でサッパリしたら小腹が減ってきた。ぶらぶらと散策して街道沿いの食堂で担仔麺と炒空芯菜を食べ宿に戻って寝てしまう。
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王さんの映画

臺北のDVDショップで『感恩歳月(Honor Thy Father)』(1990)というDVDを見つけた。コレは何かというとあの王貞治の伝記映画だ。正確に言うと王さんの父、王仕福の伝記映画であり、王家の伝記映画でもある。原作は王さんの母、王登美著『ありがとうの歳月を生きて』なので、王さんファンにはたまらない映画。私はタイガースファンでアンチジャイアンツなのだが、王さんは別。


昭和15(1940)年、東京の下町墨田区で「五十番」という中華そば屋を営んでいた王仕福(午馬)と登美(鈴鹿景子)のあいだに双子が誕生、姉は広子、弟は貞治と名付けられた。すくすくと育つ広子に対して貞治は病弱で両親を心配させていた。ある日貞治は高熱を出し医者にも匙を投げられた両親は途方に暮れて帝釈天の住職から祈祷をしてもらい奇跡的に貞治は回復した。ところが貞治が1歳半になった頃、姉の広子が悪性の麻疹で急死、その後広子の魂が乗り移ったかのように貞治はメキメキと元気に育っていく。

やがて戦争が終り兄の鉄城(梁修治)の影響もあって貞治(馬景濤)は野球にのめり込んで行く。地元の野球チームで「王というすごいヤツがいる」と噂になった頃、ある日の試合中に一人の男が姿を現した。男の名は荒川博(石雋)。当時毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテ・マリーンズ)の選手であり実家が浅草だった荒川はスカウトの意味も込めて少年野球チームに注目していたのである。荒川は王が左投げなのに右打席に立つのが気になり、試合中にもかかわらず左打席で打ってみるよう指導…この演出はやり過ぎかなと思ったが事実(鈴木洋史著『百年目の帰郷 王貞治と父・仕福』)である。首を傾げ乍らも素直に従った王は強烈なヒットを打つのであった。後に一本足打法を生み出す師弟コンビの邂逅である。


王仕福は中華民国(当時)浙江省青田縣から日本へやって来た。死にものぐるいで働いて小さい乍らも自分の店を持ち日本人の登美と所帯を持った。長男の鉄城はじめ子どもたちにも恵まれた。戦争中は苦労もしたがしたたかな仕福は空襲で焼けた店も戦後に復興させた。仕福の夢は兄の鉄城を医者に、弟の貞治を電気技師にして故郷に連れて行き、故郷のために恩返しをするというものだった。

兄の鉄城は仕福の期待どおり慶應大学医学部に入学しやがて医者になったが、弟の貞治は野球に夢中になり周囲も認める才能を開花させつつあった。最初は貞治の野球狂いに渋い顔をしていた仕福だったが、やがて貞治が早稲田実業に入学し甲子園大会で大活躍するようになると、近所の人々とともに貞治の活躍に目を細めるようになる。


仕福を悩ませたのは家族の国籍である。言うまでもなく仕福は中国人、妻の登美は日本人だ。前述の『百年目の故郷』によれば、中華民国籍だったのは仕福だけで、登美と子どもたちは日本国籍のままだったという。もちろん戦前の日本に於いて中華民国籍による不利益を被ることを回避するという理由もあった。しかし戦争が終り登美の兄弟が相次いで戦死、戦前に両親もこの世を去っているため、登美は子どもとともに仕福と同じ中華民国籍を取得したという。

戦争中も中国人、支那人と侮蔑の言葉を投げつけられることもあったが仕福はじっと耐えてきた。しかし戦争は終り中国人は戦勝国民になった。もちろんそれで増長する仕福ではない。仕福の夢は子どもたちを故郷のために働く人として育てあげることであった。王家はみな中華民国籍になり仕福の夢は一歩前進したかに見えた。しかし兄の鉄城は中華民国籍という理由で慶應大学医学部の試験を受けられない。仕福は医学部を訪ねて平身低頭し受験させてくれるよう頼み込む。甲子園大会で活躍した貞治も「日本国籍を有するもの」という大会規則に阻まれ秋の国体に出場できなかった。仕福は悩み兄の鉄城を訪ねて勤務先の大学病院に行く。


「ワシはおまえたちに国籍のことで迷惑をかけているのかな、ワシはどうすればいいんだろう・・・」苦悩する父に鉄城は困惑するが、父さんが貞治のことを想っているならプロ野球選手にしてはどうだろう、プロ野球なら国籍なんか関係ないさ…でも貞治を技師として祖国に連れていくという父さんの夢は…と呟いた。わかったよ、それじゃあな、と立ち去ろうとする父に向かって鉄城は叫ぶ。「父さん、ホームランを打てば日本人も中国人も関係ないよ。立ち上がって手を叩く観客には国籍の区別なんかないんだ!」心無しか安堵の表情を浮かべて帰路に着く仕福。

そして貞治は読売ジャイアンツに入団するがプロの壁に阻まれてなかなか芽が出ない。そこにジャイアンツの打撃コーチに就任した荒川が現れた。荒川は王を徹底的に鍛える。何千回もバットを振ったため足下の畳が擦り切れた…精神集中のための日本刀での素振りなど、伝説の猛練習が再現される。ついにあの一本足打法が完成。下町の野球少年は世界のホームラン王へと成長してくのであった。


臺灣映画なので登場人物(日本人)が全員中国語を話しているとか、ロケ地がどう見ても東京の下町ではない(京都みたいだ)とか、「日本」をアピールするためか、何かというと村田英雄の『王将』(考えようによってはいい選曲)がバックに流れるとか、荒川博が目つきの鋭い求道者みたいだ(実際の荒川博は中小企業の課長みたいな人)とか、貞治が甲子園から凱旋してくる小さな小さな「上野駅」(どこのローカル線だよ)とか…いろいろとツッコミどころは満載。

王仕福が日本にやって来た背景とか、戦後の中華民国と中華人民共和国の政治的対立とか、そういう生々しいところは描かれていない。もっと詳しく描いてもよかったかな、とも思う。でもなぜか私は観ているうちに涙が滲んできた。国籍のはざまで揺れ動く王仕福。家族を愛して止まない王仕福。望郷への想い断ちがたい王仕福…お涙頂戴のホームドラマと言ってもいい映画なのだが、とても暖かい気持ちになる映画。興味があれば是非ご覧あれ……と言ってもDVDを入手するほかにまず観られる機会はないけど(苦笑)

臺北から蘇澳へ

午前中にホテルをチェックアウトし區間車に乗って東海岸の蘇澳という港町へ向かった。高雄縣と臺東縣は颱風と土石流で滅茶苦茶になっているが東部地域は何も影響がないらしい。いつもの東部幹線で臺北を発ち愛しの基隆へ向かう支線と別れ八堵を過ぎ宜蘭線に入る。立っている乗客もいた列車も平渓線と別れる瑞芳の駅で多くの乗客が下車。みなここから九份に向かうのだろう。一気に空いた車内でぼんやりとしているうちに區間車は三貉嶺に停車。いつも乍ら断崖絶壁にへばり着いた駅だ。便當で有名な福隆を過ぎるトンネルを出ると海が見えて来る。海岸線ギリギリに走る石城~大里~大溪辺りで若い女の子たちが嬌声を挙げて写真を撮り始めた。
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頭城から線路は緩やかにカーブして宜蘭平野に入って行く。温泉で有名な礁溪を過ぎると東部地区では最大の都市である宜蘭に停車する。今回は宜蘭にも行ってみなくてはならない。ここは一昨年、絶滅寸前の普快車に乗るために来たので駅しか行っていないのだ(苦笑)
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宜蘭から羅東を経て蘇澳新に到着。蘇澳新駅は宜蘭線と北廻線が分岐する。北廻線はこのまま南澳を経て花蓮に向かうのだが私が向かう蘇澳はここ蘇澳新から分かれた宜蘭線の終点になる。
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蘇澳は臺灣東部どころか臺灣でも有数の港湾を有しており昔から日本の船舶が盛んに往来していたということだ。かつては蘇澳駅構内には転車台があり列車はここで向きを変えて再び臺北方面に向けて発車していたという。しかし北廻線の花蓮以南への延伸に伴い分岐駅として蘇澳新駅が設置されたのだろう。蘇澳は宜蘭線の終点ではあるが自強号も花蓮、臺東行きが目立ち、どうしても支線扱いのイメージは否めない。そういえば蘇澳新ー蘇澳間は未乗車だったのだ。林口線に続いて宜蘭線も乗車完了ということになる。
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これで臺灣鐵道乗車計画は臺灣高速鐵道(新幹線)の臺北ー桃園間及び嘉義ー左營間、内灣線の新竹ー竹東間、阿里山森林鐵路奮起湖ー沼平間を残すのみとなった。臺灣高速鐵道はなんとかなるとして、内灣線は新竹ー竹東間の高速化工事が終わるまでは乗れないし、阿里山森林鐵路に至っては今回の集中豪雨で線路がメチャメチャになり修復がいつになるかわからないとのこと。よし、これからはMRT臺灣捷運乗りつぶしをすることにしよう(苦笑)

さて區間車は終点の蘇澳に静かに滑り込んだ。改札を抜けて駅前に立つと臺北よりもずっと陽射しが強烈で暑い。うう。さて朝方に屋台で朝粥を食べただけなので腹が減った。何か食べようと駅前の通りを歩いて福隆便當の店に入る。売り場の姐ちゃんに「ここで食べるか?」と聞かれたので「ああ、ここで食べるよ」と答えて店内のテーブルに座りぬるくなったペットボトルのお茶を飲む。豚肉の煮込みと煮玉子、炒めキャベツ、干豆腐が乗ったボリュームたっぷりの福隆便當は美味しいなあ。
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駅前にある金華冷泉旅館にチェックインする。小さいけれど清潔そうな部屋である。老板は日本語を操る初老のオジサンだったので日本語で話をしているうちに、実は私の國語(中国語)くらいに適当な日本語ということがわかった(笑)國語の方が会話が成り立つことがわかったので以後は國語で通す。ここは駅前だしすぐ近くにセブンイレブンもファミリーマートもあるし蘇澳に滞在するならここがベストなのだろう。重い荷物を置いて身軽になって蘇澳の街を散策。そろそろ夕暮れだというのに相変わらず陽射しは強烈で暑い。
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蘇澳は冷泉で有名な街。冷泉というのは冷たい温泉のことで、温泉成分が含まれていれば水温が20度であろうと温泉であり、これを特に冷泉と呼ぶのだそうだ。しかも蘇澳の冷泉は炭酸泉(サイダーみたいに絶えず気泡が出ている)であり世界でも珍しいのだそうだ。さてこれから名物の冷泉に浸かりに行こう。
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