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携帯電話と自由は手をつなぐか?

古雑誌をパラパラめくっていたら携帯電話の予測についてのコラムを見つけた。タイトルは『ポケットベルの普及と自動車用電話の出現、携帯電話の時代はいつくるか…』、掲載誌は『ブルータス』1巻9号(1980.12.1)、署名はSF作家の高斎正。今から29年前のコラムだ。

自動車電話が普及し始めたこと(当時としてはまだ高額であるが)から始まり、かつてはオープンリールを使っていた録音機も、煙草の箱くらいのマイクロカセットレコーダーにまで進化・小型化した経緯を述べ、そして電話機もやがて小型化=携帯電話へと進化していくだろうと筆を進める。いくら小型化するといっても実用に堪えない形状では意味が無い。

「人間の耳と口の距離はほぼ決まっているから、携帯電話のイヤホンとマイクを別々にするならともかく、扱いやすい一体式にするなら、大きさは自動的に決まってしまう。使う時には大きく携帯時に小さくとなれば、折畳み式であろう。ロングサイズのたばこの箱くらいの大きさで、ポケットベルと同様に、アンテナなしでも呼び出しを受けることができる。(中略)マイクとスピーカーが口と耳の間隔にセットされ、中央部にカード電卓のようなプッシュホンの押しボタン式ダイヤルが現れる」

まあ、ちょっと人間工学をかじった人ならこれくらいのことは予測できたのであろうが、実に卓見である。さらにここがSF作家たる所以なのだが、価格も一般大衆が使えるほど安価になる、と論じたうえで「そうなれば一億総背番号ならぬ一億総電話番号という時代だ」「これは便利な機械であるが、ポケットベルでさえ、会社や家庭に縛りつけられていると感じている人には、人間の自由を束縛する機械が、一段と進歩したと感じるかもしれない」と断じている。これもジョージ・オーウェルの『1984』や筒井康隆の『48億の妄想』に代表される衆人監視社会の現実化である。

しかし高斎正の予測がほぼ的中した現在「人間の自由を束縛する機械が、一段と進歩したと感じる」人はどれだけ生き残っているのだろうか。さすがに携帯電話が「ただの電話機」ではなく「電話機」と「メール」「写真・動画撮影」「動画受信・配信」「ビジネス」までを包括したモノにまで進化するとは彼も予測できなかっただろう。ここまで携帯電話が進化すると「人間の自由を束縛する機械が、一段と進歩したと感じる」モノよりは「自由を束縛されてまでも使わざるを得ない」モノになりつつある。

人は携帯電話など使わなくても生きていけるんだけど、今の時代、携帯電話を持たないことは「社会とつながることをあるていど拒絶する覚悟」が必要になる。ま、自由のためにはそれなりの「覚悟」が必要なんだよね。自由のためにそんな「覚悟」をするよりは、携帯電話で縛られているくらいのほうが心地良いわけで、現代人の言う「自由」なんてそんなものなんだろう。

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