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柳家喬太郎

もう10数年前、新宿末広亭でぼんやり落語を聴いていたら柳家喬太郎が高座にあがった。たぶん仲入り前だったか仲入り後だったと思う。演じたのは入れ替わり立ち替わり奇妙な婦人警官が登場する『派出所ビーナス』…寄席であんなに笑ったのも珍しいくらいのおかしさだった。ちょうど真打昇進を控えていた頃だったはずだが、まさに若手のホープといった実力を遺憾なく見せつける高座だった。

それからあちこちで喬太郎の落語を聴いたがハズレだったという記憶はあまり無い。『すみれ荘201号』『ほんとのこというと』『鍼医堀田とケンちゃんの石』『冬のそなた』『巣鴨の中心で、愛をさけぶ』…新作派のイメージが強い喬太郎だが古典落語もきちんと演じられる実力派。最近聴いた『竹の水仙』も抜群の面白さでiPodに入れて帰宅途中の電車のなかで疲れた身体を癒している(笑) 

極端にデフォルメされた異常な登場人物が頻出する演出も、ある意味で立川談志言うところの「イリュージョン」の範疇に入るだろう。女子大生から新妻、中年サラリーマン、魚屋のオッサン、長屋の住人から大家、町人、武士、殿様…登場人物の造形がまた巧い。いわゆる「キャラが立っている」のである。そして私にとってはこの非日常性がたまらなくおかしいのである。

喬太郎の落語が凄いのは、これらの非日常性が日常性のなかに自然に共存しているところだ。もともとフィクションである落語の中に、さらに異常なメタフィクションが突然立ち現れる。しかもそれらがいちいち「ああ、なんかこんな人いるよなあ…こんなことあるよなあ」と思わせる。そしてその繰り返しが聴くものの心を高揚させ一挙に笑いの坩堝に叩き込まれてしまう。

40代も半ばに達した喬太郎、やや末枯れた味わいも漂わせる雰囲気になってきたが、それでも新作に古典にその話藝はますます磨きがかかってきたと思う。落語を初めて聴く、あるいは聴こうとしている方には自信を持ってお薦めします。

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