2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 美は形式に非ず | トップページ | 時をかける国 »

真実を記録すること

ふとしたことから高杉一郎『極光のかげに』(岩波文庫)を読み返した。戦前の有力な文藝雑誌『改造』の編集者であり、同時に優れたジャーナリストだった高杉一郎(本名:小川五郎 1908-2008)が、戦後シベリアに抑留された4年間の収容所生活を描いた記録文学。同書には、軍事俘虜たちがシベリア鉃道建設のための労働力として劣悪な環境の下で酷使され、極寒の地に次々と倒れていった事実が淡々と綴られている。高杉一郎が体験した捕虜収容所(ラーゲリ)と、「偉大なる同志スターリン」が頂点に立つ社会主義ソヴィエトの実像が記録され、輝ける社会主義国家の光と影を伝える優れた記録となっている。私が大好きな長谷川四郎『シベリア物語』(旺文社文庫→講談社文芸文庫)と同様、想像を絶する苛酷なシベリア抑留生活を静謐な筆致で描いた名著だ。

敗戦後の日本では、戦前に弾圧されていた社会主義が、日本を戦争へと導いた軍国主義への反動から大きく躍進を遂げていた。同時にソヴィエト中央の最高指導者であり社会主義の輝ける星としての「偉大なるスターリン同志」は、日本の社会主義者にとっては神聖にして侵すべからざる存在だったのだ。しかし当時のソ連ではスターリンはすでに独裁者であり、ロシア革命の同志たちを次々と弾圧・処刑し恐怖政治をほしいままにしていた。ところが当時の日本共産党中央はそのことを認識せず、スターリンを貶めることは社会主義を貶めることとして激しい拒否反応を示したのである。そのため『極光のかげに』が刊行されるとその評価は二分され、激しく批判したのは日本の社会主義者たちだった。特に日本共産党中央、プロレタリア作家から市井の社会主義青年たちまでが激しくこの書を批判したという。つまり「われら社会主義者の優れた領袖である偉大なスターリン同志の指導の下、この書に描かれるような軍事俘虜を虐待するような事実は社会主義ソヴィエトにはあり得ない!」という批判である。

『極光のかげに』に続いて、太田哲男『若き高杉一郎:改造社の時代』(未来社)を読んだ。ここではこれまで紹介されなかった高杉一郎の前半生から『改造』の編集者を経て応召されるまでを詳しく描いていて秀逸。高杉一郎がエスペランティストだったことは『極光のかげに』でも記されているが、エスペランティストの国境を越えた連帯がなんと強固なものだったのかと初めて知らされた。『私のスターリン体験』(岩波現代文庫)でエスペラント語を学んだ青春時代が回想されているが、この経験が『極光のかげに』でスターリンのエスペランティスト弾圧を敏感に感じ取ることになる。

また当時はマイナーだった同時代の中国文学者たちとの交遊にも驚かされた。増田渉、竹内好、松枝茂夫といった日本の中国文学者はもとより、郭沫若、郁達夫、田漢、蕭軍など中国の作家たちとの交遊が、戦後の中国視察団としての訪中で巴金、老舎らとの交遊にも繋がっていく。この他アグネス・スメドレー『中国の歌ごえ』の翻訳や、盲目の詩人エロシェンコの紹介、朝鮮人作家たちから、中野重治、宮本百合子との交遊と、高杉一郎のやってきたことはもうただの編集者の業績ではなく超一級のジャーナリストの業績と言うべきものだ。

『征きて還りし兵の記憶』(岩波現代文庫)では『極光のかげに』以後の高杉一郎を知ることができる。あまりの面白さに夜が更けるのも忘れてページを繰る手が止まらない一冊だが、ここでは高杉一郎と中国文学者との深い交遊が印象的だった。エスペランティストの胡愈之、葉君健、葉籟士、劇作家の田漢、その他郭沫若、老舎、巴金など錚々たる名前が陸続と出てくる。

また『若き高杉一郎』でも少しだけふれているが『極光のかげに』を読んだ宮本百合子と宮本顕治それぞれの反応が興味深い。高杉一郎は宮本百合子の家を訪れた際、宮本百合子から『極光のかげに』について質問をされた。その質問に誠実に答えた高杉一郎に向かい、宮本百合子は「やっぱり、こういうことがあるのねえ」とつぶやいた。その直後、二階から降りてきたのが宮本顕治である。

 すると、その戸口に立ったままのひとは、いきなり「あの本は偉大な政治家スターリンをけがすものだ」と言い、間をおいて「こんどだけは見のがしてやるが」とつけ加えた。私は啞然とした。返すことばをしらなかった。(『征きて還りし兵の記憶』より)

この宮本顕治といい、「スターリンは偉大な政治家だ」と呟いた中野重治といい、ことの善し悪しはともかく二十世紀という時代においてスターリンとはかくも巨大なる存在であったのかと嘆息せざるを得ない。確かにスターリンはことの善し悪しを無視して「偉大な政治家」であった。二十世紀における社会主義とはなんだったのか? 二十一世紀における資本主義は終焉に向かうのか? 政治と国家、国家と個人について私たちはもっと真剣に考える必要がある。

高杉一郎はシベリア復員後、静岡大学、和光大学教授を歴任し、翻訳や評論でも大きな業績を残した。2008年1月死去。享年99。

« 美は形式に非ず | トップページ | 時をかける国 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 真実を記録すること:

« 美は形式に非ず | トップページ | 時をかける国 »