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国慶節に想う

李振盛『紅色新聞兵』(ファイドン)を読む
数年前、NHKで李振盛に関するドキュメント番組が放映されていたのを見た。李振盛は1940年に遼寧省の大連で生まれ、吉林省長春の長春電影学院で学んだ。その後1963年、黒龍江省の『哈爾濱日報』でカメラマンとして活躍、1966年に始まったプロレタリア文化大革命(以下、文革)を記録し続け、自らも権力闘争でその地位を追われる。やがて職場に復帰し1976年に文革が集結した。1980年代以降、北京でジャーナリズムを講じ、現在は研究と執筆に従事しているという。


彼がフォトジャーナリストとして活躍し始めてまもなく、中国全土を破壊と混乱に陥れた文革が勃発、黒龍江省でも市民レベルまでも権力闘争に明け暮れることとなる。中国共産党や毛沢東の指示に従わないものは反革命分子とされ徹底的に打倒された。毛沢東主義を盲信する若き紅衛兵たちは教師や学校を大混乱に陥れ、農民たちは地主や金貸しを打倒し、共産主義に反する宗教寺院…仏教やキリスト教はいざ知らず、西藏や内蒙古のラマ教寺院、哈爾濱のロシア正教会…は破壊された。この時期に失われた貴重な歴史的文化財はどれほどあるのかいまでもわかっていない。


反革命分子とされた人々は…いかに立派な、あるいは高い地位にいるものであろうと…三角帽子を被せられ、首からは罪状を書かれた札を下げさせられて、大群衆の前に引きずり出された。この罪人はいかに反革命的であるか、どれほどの罪を犯したのか…たいていはでっちあげなのだが…辱めを受けた。そして自己批判を強いられた挙げ句、翌日からその地位を失い…地位どころか命を失うものさえ数知れず、一説には1000万人とも2000万人とも言われる人民が虐殺された。高名な作家の老舎、革命の功労者だった劉少奇や賀龍すら、文革の犠牲になったのである。数多くの知識人が弾圧・虐殺された損失は計り知れず、文革のために中国の発展は大きな遅れを取った。


李振盛も文革の魔の手から逃れることはできなかった。社内の権力闘争により批判のやり玉に挙げられ、とうとう妻ともども幹部学校に下放されることになったのである。幹部学校というのは「思想的に誤った者たち」を「正しい共産党員」に叩き直すための思想改造を目的とした施設。たいていは都市から遠く離れた辺境の地にあり、多くの知識青年たちがここに送られ辛酸をなめた。「下放」とは都市の知識青年(エリート)が農村に送られることをいう。知識青年が農村で肉体労働をしながら思想改造をし、社会主義国家建設の礎とならねばならない、という毛沢東の指導によるもの。本来なら大学や研究機関で高等教育を受けるはずだった知識青年たちは下放のために教育の機会を失い、文革終結後、改めて大学に入り直すという紆余曲折をたどることになる。


李振盛は文革のさまざまな現場を撮影していた。農村で地主を打倒する婦人、うなだれる老地主、反革命分子として頭から墨を浴びせかけられ、頭を丸坊主にされる市長、破壊される寺院、仏教を否定させられる僧侶、処刑される罪人、熱狂する市民や紅衛兵……これら「狂気の時代」が冷徹に記録された数千本のフィルムは、李振盛が自宅に隠し持っていたものだ。発見されれば間違いなく処刑されたであろうが、李振盛はフォトジャーナリストとしてこれらのフィルムを自宅に隠して守り通したおかげで、私たちは今この希有な写真集に圧倒されるという幸運を得たのである。


少しでも中国に興味のある方は是非この本…巨大な『毛沢東語録』を連想させる…を手に取ってほしい。そして、最後まで目を背けることなく写真を見つめてほしい。わずか40年前の出来事であり、そしてこの「狂乱の時代」はいまでも中国の深い傷痕となっているのだ。


10月1日は中華人民共和国の建国を祝う国慶節。1949年の今日、天安門に立った毛沢東は湖南省訛りで高らかに中華人民共和国の建国を宣言した。それから20年も経たぬうちに、この建国の指導者が亡国の指導者に変貌しようとは、この日天安門広場を埋め尽くした大群衆のいったい誰が予測し得たであろうか…


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