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2008年10月

千葉ちゃん

いすみ鉄道に乗ってまったりしてきた。
途中の大多喜駅で降りて昼飯食べて…待合室でぼんやりと上り列車を待っていたらこんなイベントのポスターが貼ってあった。

第28回久留里城まつり
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やっぱりJAC(ジャパンアクションクラブ)を従えて来るんだろうか…

名人の技倆

立川志の輔『らくごのごらく4〜抜け雀』
名人が屏風に描いた雀が朝になると抜け出して空を飛ぶという「竹の水仙」「ねずみ」と同類の噺。あまたの名人が高座にかけるお馴染みの噺だが、これを志の輔が演じると「おみごと!」の一語に尽きる。

ラスベガスのカジノに始まりゴルフからタイガー・ウッズと続くマクラも秀逸だし、なにより登場人物の絵師、旅籠の主人と女房、絵師の父、宿場の人々の造形のなんと活き活きとしていることか。


『らくごのごらく5〜新・八五郎出世』
長屋の大工・八五郎の妹が殿様のお世継ぎを産んでお屋敷に挨拶に出向くことになる。長屋住まいの町人が殿様や侍など住む世界が違う人々のなかで、畏まることも気取ることもできずにいつもの伝法な口調でお祝いを述べる。ただただ母親と妹に寄せる愛情だけがほとばしり、殿様はだんだんこのがらっぱちな大工が好きになる。

冒頭、長屋の大家との珍妙な問答、お屋敷での侍との問答、そして延々と続く殿様相手のモノローグが聴く者に笑いと感動の渦に巻き込む。なまなかな技倆でできる噺ではない。聴く者にどれだけの余韻を残せるかで噺家の技倆が問われる演目。志の輔、まさに畏るべし。


立川談志『松曳き/九州吹き戻し』
古典落語を端正な江戸前の藝として演じることに関しては、やはり古今亭志ん朝のほうが談志より上であったろう。もっとも談志は志ん朝のように演じることを指向しないのだから、そういう意味では比較することじたい無意味と言える。志ん朝プロパーはたくさんいるが談志プロパーは実は少ない。愛弟子の志の輔でさえ談志の意志は継いでいるが、基本は志ん朝のような本寸法の高座を務めている。

『九州吹き戻し』は談志の愛弟子・立川談春の高座で初めて聴いた。その後CDにも収められていて実は私の好きな噺でもある。長尺で起伏の少ない噺なのでこれを演じるのは難しいだろうなあ、と素人にもわかる。そしてこういう噺を最後まで聴かせるのは落語家にとっても腕の見せ所だ。

談春の高座には圧倒された。凄いと思った。そして談志の演じる「九州吹き戻し」を初めて聴いた。談春のそれとはまったく違う高みに驚愕し、CDを聴き終わって思わず拍手をしてしまった。

落語は「屏風に描いた雀を活き活きと空に飛ばす」という話藝。
立川談志こそ稀代の名人である。

藝術の秋

『アヴァンギャルド・チャイナ〈中国当代美術〉二十年』を観に国立新美術館へ行ってきた。

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朋友のブログで紹介されていたので興味が湧いたのだが、これがまたとっても面白くて内容の濃い展覧会だった。黃永砯(Huang Yongping)、張暁剛(Zhang Xiaogang)、方立鈞(Fang Lijun)、馬六明(Ma Liuming)、張洹(Zhang huan)、曹斐(Cao Fei)という現代藝術の先鋭たちの作品がまとめて展示されるのだから興味津々。

特に気に入ったのが張暁剛の大家庭シリーズ。古い家族写真をモチーフにした作品は、精気のない人物の表情から漂う不思議な追憶と不安感が観る者の心を捉える。ノスタルジアと時間軸の断絶が不思議な効果を生んでいる。

笑っているような歪んだ表情の男が何人も登場する方立鈞の作品も面白いし、トイレに座り込み無数の蠅にたかられたり(『12㎡』)、天井から吊るされて血液を抜き沸騰させたり(『65kg』)する過激なパフォーマー張洹の映像も興味深い。

余談だが『12㎡』はかの有名な中国の「ニーハオ・トイレ」内部が映像に記録されたという点でも面白い。撮影中に用足しに来た青年が戸惑っている様子には笑った。

養魚池に多くの人々が入って行く『為魚塘増高水位』では、魚がビョンビョン跳ねて「魚だ、魚が飛んできたぞ!」と叫ぶ声が、張り詰めた映像を一瞬ほのぼのさせる。

何度観ても飽きない曹斐のビデオアート『Hip Hop Guangzhou(広州)』は傑作だと思う。

1989年2月に行われた中国現代藝術展の写真が展示されていたが、これが私にとってはなんとも懐かしくてならない写真だった。といっても私がこの現場にいたわけではないのだが、これらの写真に記録された当時の中国人青年の風俗が、まさに“あの頃の中国”なのである。

細いジーパンにざっくり編みのセーター、野暮ったい長髪にセルロイドの黒ぶち眼鏡…寒い時期なので公安はあの重くて暖かい軍大衣(jundayi)を着ている…改革開放の波のなかで力強く泳ぎ始めた中国人たちがここにいる。そしてこのわずか4ヶ月後、天安門広場は血に染まった。

秋なのでアートしてみた午後でした。

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この素晴らしき世界

寥亦武著;劉燕子訳『中国低層訪談録 インタビューどん底の世界』(集広舎発行 中国書店発売)を読む。


開催前から何かと騒動続きの北京五輪もめでたく閉幕。開幕式のイベントは練りに練られた演出で世界を沸かせた。後になっていろいろとヤラセがあったことも発覚したが、まあ中国ならそんなこともやるだろうな、と思うのであまり不快な気にもならない。メインスタジアムの「鳥巣」に集まった世界の来賓・報道関係者・そして切符を入手できた幸運な中国人数万人が、この一大イベントをその目で観るという幸福を味わった。


でもテレビの前で観ていた世界中の観客のほうが、より五輪を楽しめたのではなかったか。その場にいるよりも外界から観たほうが、意外と的確に中国を観察できるのかもしれない。自由化が始まった1980年代からもう30年近く経ったのに、中国ってあんまり変わっていないのだ。


さて、ここ数年来の報道で知られるとおり、中国国内ではあちらこちらでさまざまな社会事件が頻発している。チベット暴動、新疆ウイグル自治区暴動、貴州での警察署焼き討ち事件など多くの市民暴動、四川大地震や長江氾濫などの自然災害、吉林省松花江有毒物質汚染などの規模の大きな環境破壊、毒入りギョウザ事件やメラミン混入粉ミルクなどの食品汚染問題、これはもう中国の伝統ともいえる官僚の汚職などなど、数え上げたら切りが無い。インターネット社会では中国語のウェブサイトを検索するだけで、それこそ毎日のようにさまざまな事件が起きていることがわかる。


ひとむかしのことを思えば中国に関する情報は比較にならないほど増えている。私が学生だった頃、中国情報を知るためには、人民日報と北京放送、友好的な一部の機関紙ぐらいしかなかったが、インターネット社会の急速な発展により個人レベルでの情報が容易に届くようになってきた。中国は世界有数のインターネット規制国家だが、それでも毎日さまざまな情報が発信され続けている。まさに「上有政策、下有対策(上に政策あれば下に対策あり)」


いまでは少なくなったのであろうが、ちょっと前までは中国人を理想化する日本人が多かった。曰く中国は四千年の歴史を有し、深山幽谷に分け入れば水墨画の世界が広がり、シルクロードには悠久の歴史がいまもなお息づいている。中国人民はみな質素だが誠実な人々で早朝の公園ではゆったりと太極拳を舞っている。中国の若者はみな純朴で優しく年長者を敬い、日本の若者が失ってしまったものがここにある。老人たちは決してあせらず悠然と一日を送り、まさに大人(たいじん)の気風あり・・・・いやマジメにこんなことを言う日本人がたくさんいたのだ。


日本の知識人も中国政府のお膳立てのなかで人民中国を礼賛し、欧米の知識人もまた然りだった。Anna Louise Strong の『 The Rise of the Chinese People's Communes 』(邦訳『人民公社は拡がり深まる』)』や、Arthur W. Galston の『 Daily Life In People's China 』(邦訳『大地に息づく「中国」~人民公社に生活して』)を現在の視点から冷笑するのはたやすいが、それでも当時の中国は「鉄のカーテン」ならぬ「赤い未知なる国」だったのだ。


私も最初はこんなイメージを持っていたのだが、実際中国に行ってみるといやはやどうして、心優しい純朴な中国人もそれはそれはたくさんいるけれど、日本人が裸足で逃げ出すほどに大雑把でがめつく、乱暴で狡猾で非情で腹黒い中国人もそれはそれはたくさんいる、ということがわかり、なんだかとても安心してしまった。そりゃそうでしょう。国民がみな誠実で優しくて・・・・などという社会のほうが胡散臭い。


本書は反動詩人・作家として知られる寥亦武が、一般的に知られることの少ない「中国社会からはみ出した人たち」に対して行なったインタビューの数々を記録した稀有な一冊。


浮浪児/出稼ぎ労働者/乞食/麻薬中毒者/同性愛者/三陪/人買い/トイレ番/死化粧師/老地主/老右派/老紅衛兵/法輪功修行者/地下カトリック教徒/破産した企業家/冤罪の農民・・・・ざっと目次から拾ってみるだけでも興味は尽きない。一読三驚天下之奇書也

国慶節に想う

李振盛『紅色新聞兵』(ファイドン)を読む
数年前、NHKで李振盛に関するドキュメント番組が放映されていたのを見た。李振盛は1940年に遼寧省の大連で生まれ、吉林省長春の長春電影学院で学んだ。その後1963年、黒龍江省の『哈爾濱日報』でカメラマンとして活躍、1966年に始まったプロレタリア文化大革命(以下、文革)を記録し続け、自らも権力闘争でその地位を追われる。やがて職場に復帰し1976年に文革が集結した。1980年代以降、北京でジャーナリズムを講じ、現在は研究と執筆に従事しているという。


彼がフォトジャーナリストとして活躍し始めてまもなく、中国全土を破壊と混乱に陥れた文革が勃発、黒龍江省でも市民レベルまでも権力闘争に明け暮れることとなる。中国共産党や毛沢東の指示に従わないものは反革命分子とされ徹底的に打倒された。毛沢東主義を盲信する若き紅衛兵たちは教師や学校を大混乱に陥れ、農民たちは地主や金貸しを打倒し、共産主義に反する宗教寺院…仏教やキリスト教はいざ知らず、西藏や内蒙古のラマ教寺院、哈爾濱のロシア正教会…は破壊された。この時期に失われた貴重な歴史的文化財はどれほどあるのかいまでもわかっていない。


反革命分子とされた人々は…いかに立派な、あるいは高い地位にいるものであろうと…三角帽子を被せられ、首からは罪状を書かれた札を下げさせられて、大群衆の前に引きずり出された。この罪人はいかに反革命的であるか、どれほどの罪を犯したのか…たいていはでっちあげなのだが…辱めを受けた。そして自己批判を強いられた挙げ句、翌日からその地位を失い…地位どころか命を失うものさえ数知れず、一説には1000万人とも2000万人とも言われる人民が虐殺された。高名な作家の老舎、革命の功労者だった劉少奇や賀龍すら、文革の犠牲になったのである。数多くの知識人が弾圧・虐殺された損失は計り知れず、文革のために中国の発展は大きな遅れを取った。


李振盛も文革の魔の手から逃れることはできなかった。社内の権力闘争により批判のやり玉に挙げられ、とうとう妻ともども幹部学校に下放されることになったのである。幹部学校というのは「思想的に誤った者たち」を「正しい共産党員」に叩き直すための思想改造を目的とした施設。たいていは都市から遠く離れた辺境の地にあり、多くの知識青年たちがここに送られ辛酸をなめた。「下放」とは都市の知識青年(エリート)が農村に送られることをいう。知識青年が農村で肉体労働をしながら思想改造をし、社会主義国家建設の礎とならねばならない、という毛沢東の指導によるもの。本来なら大学や研究機関で高等教育を受けるはずだった知識青年たちは下放のために教育の機会を失い、文革終結後、改めて大学に入り直すという紆余曲折をたどることになる。


李振盛は文革のさまざまな現場を撮影していた。農村で地主を打倒する婦人、うなだれる老地主、反革命分子として頭から墨を浴びせかけられ、頭を丸坊主にされる市長、破壊される寺院、仏教を否定させられる僧侶、処刑される罪人、熱狂する市民や紅衛兵……これら「狂気の時代」が冷徹に記録された数千本のフィルムは、李振盛が自宅に隠し持っていたものだ。発見されれば間違いなく処刑されたであろうが、李振盛はフォトジャーナリストとしてこれらのフィルムを自宅に隠して守り通したおかげで、私たちは今この希有な写真集に圧倒されるという幸運を得たのである。


少しでも中国に興味のある方は是非この本…巨大な『毛沢東語録』を連想させる…を手に取ってほしい。そして、最後まで目を背けることなく写真を見つめてほしい。わずか40年前の出来事であり、そしてこの「狂乱の時代」はいまでも中国の深い傷痕となっているのだ。


10月1日は中華人民共和国の建国を祝う国慶節。1949年の今日、天安門に立った毛沢東は湖南省訛りで高らかに中華人民共和国の建国を宣言した。それから20年も経たぬうちに、この建国の指導者が亡国の指導者に変貌しようとは、この日天安門広場を埋め尽くした大群衆のいったい誰が予測し得たであろうか…


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