2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 続アジワン in 臺灣 2008 | トップページ | 臺灣水果 »

海線山線

数回の訪臺で臺灣鐵路の大部分を乗車してきたが、今回の目標は未乗車の海線と成追線乗車。まず最初に説明しておくと、西部幹線というのは以下の路線の総称である。

縦貫線(北段)基隆ー臺北ー新竹ー竹南
臺中線(山線)竹南ー臺中ー成功ー彰化
海岸線(海線)竹南ー大甲ー追分ー彰化
成追線    成功ー追分
縦貫線(南段)彰化ー嘉義ー臺南ー高雄
塀東線    高雄ー竹田ー塀東ー枋寮

とりあえず新竹から大甲間の切符を買う。臺中まで買ってあとで補票(精算)してもいいのだが、大甲でも乗り換え時間があるし駅舎も撮影したい。新竹駅のそばで小龍包を買って朝食とする。うん、美味しい。

Dsc04699

自動售票機(自動券売機)で大甲までの切符を買い停車中の區間車(各駅停車)に乗り込んで発車を待つ。食後のデザートとして昨夜買った柚子…といってもラグビーボールみたいにでかい…を食べていたら、切符を持ったオネエチャンが不安そうに話しかけてきた。「この列車は香山に停まりますか?」彼女が持っている切符は「新竹ー香山」間だった。香山は新竹の次だしこれは區間車だから停まりますよ、と教えてあげたらホッとしていた。列車に乗り慣れていないんだろう。あるいは地元の人じゃないのかも?

これが臺灣の柚子…
Dsc04679

定刻どおりに発車。私がもぐもぐと柚子を食べているうちに香山に到着。件のオネエチャンは私に向かってニコッと笑って降りていった。やがて區間車は山線と海線の分岐駅である竹南に到着。車窓から赤い大魔神のような巨大な像が見えてきた。なんだこりゃ? 

あとでわかったことだがこれは五穀先帝とか神農大帝という農業の神様なのだそうだ。この像の下には寺廟があるというのでいつか行ってみようと思う。それにしてものっぺりとした町並みのなかにそびえ立つ五穀先帝はインパクト大。

Dsc04475

竹南を発車した區間車は山線と別れて海線に入るがここから油断はしていられない。竹南から大甲の間には、日本統治時代に造られた臺灣鐵路でも有数の木造駅舎が点在しているのである。區間車が走るにつれて車窓から海岸が見え隠れしている。

そして談文、大山、新埔、日南と点在する木造駅舎の素晴らしいこと…ただし運行本数の関係でこの4駅に下車するには事前計画が必要だ。しかも談文駅の周囲には田んぼしかないし食糧の準備も必要だ。というわけで次回は必ず全駅に下車することを誓った。ふたたび車窓から東シナ海が見えてきた。ロングシートの區間車はガッタンゴーと走り続ける。

Dsc04707

大甲に到着。いったん改札を出て駅前を散策し、大甲から臺中までの切符を買う。臺中ー大甲間を走る列車が多いのでここはそれなりに重要な駅なのだろう。

Dsc04703

こんどは大甲から臺中へ向かう。ここから先は海も見えずけっこう退屈、とはいえそれなりにローカル線ののんびりした雰囲気に浸っているうちに、やがて區間車は追分に到着。追分は小さな駅ではあるがここは重要な駅なのだ。

写真を見ていただければおわかりだが、この追分と山線の成功を結ぶわずかな路線がある。これが成追線という海線と山線を結ぶ連絡線なのである。彰化行きの海線は追分から成追線と分岐している。海線→山線あるいはその逆の場合も、いちいち彰化まで行くのは時間の無駄だしね。

Dsc04241

そもそもこの路線が開業した当初は、大甲方面からやってきた海線はいったん成功駅に入線し、スイッチバックで彰化へ行っていた。これを避けるためにも海線と分岐する追分駅を新設したのだという。追分(おいわけ)というのは、ひとつの道が二股に別れる場所のことだから、いかにも日本統治時代の産物という感じがする。

成追線と名前はついているが成追線じたいの時刻表というものは存在しない。あくまで連絡線としての存在でしかないのだ。かの宮脇俊三(1926-2003)も『台湾鉄路千公里』のなかでこの成追線……宮脇俊三は「循廻追分線」と書いている……に乗るか否かの逡巡について数頁を費やしているが、鐵道好きにとってこの気持ちはよくわかる。

もっともこの旅行記が書かれた当時(1980)はこの「循廻追分線」は「一日二往復の客車列車が走って」いたということで、今よりも乗るには時間がかかったのだろう。というわけで私は追分から成功までの間…あっという間に到着…を乗って無事成追線乗車完了。

やがて列車は烏日、大慶を過ぎて臺中に到着した。台湾第二の大都市である臺中、その荘厳な臺中駅舎は人をして感動せしめずにはおかない。

Dsc04233

ここで私は臺中の正面改札から出ることをせず、噂に聞いていた(笑)後駅(臺中後站)から出札することにした。臺中駅の地下通路をあまり人が行かない方向に歩いていき、階段をあがると目の前に小さな改札と小さな駅舎があった。ここが臺中後站…1905年建造の荘厳な臺中駅舎とはうらはらな、静かで小さな駅舎なのだった。駅の裏側にも街が広がっておりここを利用するひともけっこういるらしい。

Dsc04714

さて後站を出たはいいがここからどうやってメインの駅前に行けばいいのだろう。なんかどっかに通路か歩道橋があるはずだがよくわからない。腹も減ったことだしここらで昼飯にしようと歩き出して目についた小さな食堂に入り、鶏肉飯と貢丸湯というシンプルな昼餉をとる。

Dsc04745

店の老板(オーナー)に「駅前に行きたいのですがどうすればいいですか?」と尋ねると「後站の方向に戻って建設工事中の建物の角を曲がると地下道の入り口だよ」と教えてくれた。お礼を言って歩いて行くと、なるほど地下道の入り口があった。

臺中のメインの駅前に出て暫し散策した後、駅に戻ってこんどは新竹行きの切符を買った。ここから先はもう山線に乗って戻るだけ。昼飯を食べたし後はだらだら乗っていればいいや。

臺中を出た列車は豊原、三義を過ぎて銅鑼に停車。ああ銅鑼だ銅鑼。ここは侯孝賢監督の名作『冬冬の夏休み』(1984)の舞台となった街。夏休みを過ごすために臺北からお爺ちゃんの家にやってきた冬冬が、駅前で遊んでいた地元の子どもと、自分のラジコンカーと亀を交換する場面が可笑しい。いつかゆっくりと訪れたい街である。

そして列車は苗栗を過ぎ、再び現れた竹南の五穀先帝像を後にして、夕闇迫る新竹の街へと向かうのであった。これにて臺灣鐵路西部幹線全線乗車完了。

Dsc04705

« 続アジワン in 臺灣 2008 | トップページ | 臺灣水果 »

中華世界」カテゴリの記事

コメント

台湾でも相変わらず「乗り鉄」やってますな。弟が暮らす豪州にも魅力的な鉄道路線があって、機会があればいつか乗ってみたいです。
この間遊びに来ていた甥っ子をつれて「鉄道博物館」へ行ってきました。夏休み期間だったので、とても込んでいましたが、面白いところでしたよ。

おかげさまでこれにて臺灣鐵路の95%(当社比)を乗車することができました(笑)

臺灣鐵路はどこか『国鉄』の雰囲気が色濃く残っているような気がして、何度乗っても楽しいですよ。

豪州の鐵道ってのも面白そうですね。西部開拓列車みたいなのかなあ…


コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 海線山線:

« 続アジワン in 臺灣 2008 | トップページ | 臺灣水果 »