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2008年8月

新潟ロシア村は今

実家に数日いるとヒマになる。滅多に握らぬハンドルを操って気ままなドライブに出かけるのだが、だいたい行き先は決めずにブラブラ彷徨うことが多い。

国道290号線を走っているうちに、新潟ロシア村の看板が目に入った。そうだ、新潟ロシア村に行こう、といっても閉鎖されてるから途中までしか行けないが(笑)

田んぼの畦に車を停めて外に出た。

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暮れなずむ山の上に何か異形の塔が見える。

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おお、ロシア正教会!

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ここが新潟ロシア村の入り口だがすぐに鉄門に阻まれてここから先へは行けない。

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徒歩なら乗り越えて行けるのだがそんな酔狂なことはしません。謎のロシア兵に拉致されるかもしれないし(笑)

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ちなみに新潟ロシア村は「休館」だそうです。いつか再開されるのかな…まあ絶対ないだろうが…

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米坂線の夏

米沢駅に到着しそそくさと米坂線ホームに向かう。すでに運行を終えた1126D米沢―羽前椿が待機していた。おおこれはキハ47新潟色とキハ52国鉄色の2輛編成。これにも乗りたかったな。10:29発1129D坂町行きの発車まで時間があるのでとりあえず駅弁を買いに行く。今回は栄太郎弁当を購入。ふたたび米坂線ホームでぼんやりするがとにかく暑い。とっくに30度を超えているだろう。

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坂町行きはキハ47新潟色(赤)+キハ58新潟色(青)+キハ47首都圏色の3輛編成という、なんともカラフルな取り合わせ。先頭と最後の車輛は気持ちよく冷房されているが、真ん中のキハ58はエンジンを2台搭載していて冷房装置もついているけど、ただ扇風機だけが回っている。電力不足なのかな? 

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まあこれなら車窓全開で米坂線の旅が楽しめる。だいたい昔は暑いときは窓を開けていたのだ。冷房といえば扇風機と車窓からの風だけだったのだ。これでいいのだ。地元の人々は冷房車輛に集まっているようで、この車輛にはテツの皆様大集合。まあそういうもんだよな(苦笑)

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定刻通りに米沢を発車。窓枠に肘をかけ車窓を眺める。モーター音を聴き乍ら吹き込む風に目を細める。空は果てしなく青く夏の米沢盆地を走る米坂線。ああなんという幸福であろう…南米沢を過ぎてから田園地帯を走る。稲穂はもう実り始めており、初夏の頃に比べて収穫の色に染まりつつある。

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中郡~羽前小松~犬川を過ぎて今泉に到着。ここで坂町からやってきた快速べにばな号と行き違う。

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手ノ子を過ぎる辺りから米坂線は宇津峠越えに差しかかる。しだいに傾斜は厳しくなりガッタンゴーガッタンゴーとキハ47&58は唸りをあげる。羽前沼沢〜伊佐領~羽前松岡を経て山形県最後の駅である小国に到着した。比較的大きな町で観光地でもあり駅も立派だ。米坂線はこの先から新潟県に入る。

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12:05越後金丸到着。私はここで降りて坂町行きを見送った。次の坂町行きは14:04。暫く誰も来ないこの山奥の無人駅で弁当を食べてのんびり。越後金丸は比較的大きな駅舎のくせに無人駅。跨線橋や待合室のあちこちには蜘蛛の巣がたくさんあり、饐えたカビくさい臭いも漂うので、ホームに座り込んで栄太郎弁当を広げた。

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誰もいない駅、誰もいないホーム、一本の列車も来ない時間…駅のすぐそばには荒川の深い流れが並走しており、人家はだいぶ離れたところにあって、幹線道路はひっきりなしに大型トラックが行き交っている。この駅のそばをたくさんの車が通り過ぎるのに、この駅を訪れる人は誰もいない。

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線路に降りて暫く歩いたり、ホームに腰掛けてぼんやりしたり、駅を出て荒川にかかる前瀬橋まで歩いたり、汗が滝のように流れ落ちる。ホームに寝転がって見上げる空には薄い雲が流れていた。

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やがて小国方面から、踏切の警報機の音とともに1131D坂町行きがやってきて、ここで米沢行きの1130D2輛編成としばしの待ち合わせ。私は越後金丸に別れを告げて一路坂町へと向かうのであった。

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こんどは坂町〜米沢の往復をしてみたくなってしまった米坂線の夏。

過去の記憶

お盆休みを利用して山形まで出かけてきた。山形経由で実家に帰るわけだが今回は米坂線の非冷房車輛に乗るのが目的。それは明日の楽しみにとっておいて…今日の最大の目的は奥羽本線の神町駅に降り立つことである。

山形駅から30分足らずで神町駅に到着する。以前山形から新庄経由で陸羽西線に乗ったときにこの神町駅を通過した。車窓から見えるその駅舎の異様さが目に焼き付いた。他の駅舎は新しく建て替えられているか、小さな小屋の無人駅なのだが、神町駅だけは違っていた。まるで倉庫のように巨大で殺風景、その荒んだようななんとも厳しい風体の駅舎なのである。しかも巨大な無人駅。うーん、ここはいつか降りねばならぬ。駅舎を探訪せねばならぬ。そう心に誓ったのでありました。

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神町駅は1901(明治34)年に開業、今の駅舎は戦後に建てられたもので、ものの本によれば戦前は海軍の航空基地が置かれ、戦後は米軍がこの基地に進駐し航空基地内にキャンプを設けたことに始まるという。この駅にはRTO(連合軍鉄道運輸司令部事務所)が置かれた関係で、多くの米軍兵士や物資が輸送され、将校クラスの専用乗降口も設けられた。そのせいかまるで他の駅舎とは様相を異にした、妙にバタ臭い風体の駅舎としても知られている。

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二階の窓の模様もウエスタン風というかなんというか、さらのその窓の上に描かれた「JIMMACHI STATION」という大きな文字も印象的だ。がらんとした待合室はだだっ広いだけではなく、その天井の異様な高さにも驚かされる。その高い天井から蛍光灯が吊り下がっているがそのチェーンも異様に長い。

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真夏の昼下がり、待合室には老婆がひとり椅子に座っていた。かつてはたくさんの陽気な進駐軍兵士がここを行き来し、外套に身を包んだ将校たちが悠然と列車に乗り降りしたのだろう。また多くの物資もここから積み降ろしされたのだろう。そんな光景を、まだ若かったこの老婆は眺めてきたのだろうか。とにかく今は真夏の昼下がり、ここにいるのは私と老婆と携帯電話に夢中の若い娘の三人だけ。プラットホームに立つ私を真夏の太陽がギラギラと照らしていた。

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高原は招くよ

暑い。そうだ、高原に行こう。

というわけでJR高崎線に乗って高崎駅に到着。ここからJR吾妻線に乗り換える。吾妻線は渋川から終点の大前を結ぶローカル線なのですが、列車は高崎駅から発車します。入線してきたのは首都圏では消滅した湘南色の115系。高崎駅で購入した群馬特産焼豚チャーシュー弁当を片手にいざ乗車。高崎駅を出てからしばらく上越線を走り、渋川駅から上越線と分かれて吾妻線に入ると胸が高鳴る。嗚呼、いよいよ私は高原に向かうのだ。頭がぼおっとするような暑さとも暫しの別れだあ(笑)

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金島を過ぎると上越新幹線の高架の下をくぐる。あらためて下から眺めるとなんとも高くそびえ立つ高架線。祖母島~小野上の辺りは青青とした水田が夢のように美しい。小野上温泉で多くの乗客が降りて行く。みんな温泉に入りに行くのだろう。市城を過ぎて中之条に停車。渋川以来の大きな駅だが駅舎は綺麗であまり面白くはない。群馬原町から郷原のあたりも水田が美しいし、並走する吾妻川の流れも涼しげだ。矢倉~岩島を過ぎるとトンネルが多くなる。そうそう、岩島の先に”日本一短い鉄道トンネル”として名高い?樽沢トンネルがあるのだった。心して通らねば…と車窓を眺めているうちに、あっという間にくぐり抜けたのでした樽沢トンネル。あまりにあっけないので笑ってしまう。何しろ7.2mしかないのだ。

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川原湯温泉から長野原草津口までは温泉がたくさんある。草津温泉は長野原草津口からバスで約30分。ここでもたくさんの乗客が降りて行き、ここから先まで乗るのは地元民とテツだけだろう。群馬大津~羽根尾~袋倉を過ぎると万座・鹿沢口に到着。万座高原スキー場で名高いところです。ま、私はスキーなんぞやらないので関係ないですけどね。そうそう、吾妻線のほとんどはここ万座・鹿沢口と長野原草津口で折り返し、終点の大前まで行くのは一日に5本だけ。

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終着駅を満喫したあとは長野原草津口駅で途中下車して高原のソバに舌鼓を打つ。ホームの温度計は35度もあってゲンナリ。高原なのになあ。

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その後は川原湯温泉駅で下車。駅から徒歩5分くらいの川原湯温泉街まで歩き足湯に浸かり共同浴場でのんびり。火照った身体も川原湯温泉駅の待合室を吹き抜ける涼風でクールダウン。心の日曜日を満喫したのでありました。

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きみが五輪で金儲けしようと言ったから

さあいよいよ北京オリンピックの開幕が明日に迫りました。一昨年の中国旅行で見たどこもかしこも工事中の北京の街も、いよいよ明日の開幕を迎えることになる。世界各国から観光客やメディアが北京を訪れ明日の開幕を待っている。

2008年8月8日午後8時8分…八(ba)は発(fa: 広東語では ba)に通じ、発には「裕福になる」「金持ちになる」という意味がある。「他発財了」といえば「かれは金持ちになった」という意味。末広がりの八の字ということもあり瑞祥の文字。

「きみが五輪で金儲けしようと言ったから8月8日は五輪記念日」

まあこれは半分冗談だが、この期間にできるだけ金を儲けようとするたくさんの中国人が蠢いている。もちろんオリンピックの成功を願って働くたくさんのスタッフも市民もいる。西藏自治区や新疆ウイグル自治区の反政府運動組織もここを先途とゲリラ活動のチャンスを窺っているだろう。人民解放軍や国家公安局はどんなことをしてもかれらを押さえ込むだろう。

「祭りは終わった。後には何も残ってはならない」と言ったのは作家の虫明亜呂無だが、果たしてこの透徹な覚悟が中国政府にあるだろうか?「祭りは終わったが、後には中国の発展が待っている」と思っているのだろう。かつての東京オリンピックと高度経済成長の日本をイメージしているのだ。

しかし東洋の島国がちょっと転んだところで、世界にはたいした影響はないのだけれど、東洋の超大国がちょっと転んだだけで、世界は震撼する。

ときどきでいいから美味しくビールを飲みたい、という私のささやかな(おこがましい)願いのためにも、世界は平和であってほしい。

あの夏の日々が…

ハイラム・ブロック死去。
まだまだ若いのに…いま40代以上のジャズファンにとって1980年代の夏を語るときに欠かせない『LIVE UNDER THE SKY』、よみうりランドEASTで暴れ回るハイラムの姿は、今でも脳裏に鮮明に刻まれている。デヴィッド・サンボーンとのバトルは涙モノ…あの巨体に似合った豪快なギターソロ、なんとも粋で繊細なバッキング、客席に乱入してライブを熱狂的に盛り上げるということでは、他の追随を許さない人でした。大阪生まれの黒人ギタリストとしても一部では有名。マイケル・ブレッカーも逝ってしまうし、あの夏の日々が懐かしいなあ……アーメン。

赤塚不二夫死去。
数年前から昏睡状態だったのであまり驚かなかったが、とうとう亡くなっちゃいました。ますます昭和は遠くなりにけり、です。合掌。

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