2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 本馬鹿 | トップページ | 祝・副都心線開業 »

切符を買いに中国へ

星野博美『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)を読む。

なんと心に響いてくる一冊であろう。著者は1966年生まれだから私と同世代だ。中国に興味を持って大学に入学したものの、周囲は欧米一色、青い目の西洋人に群がる日本人学生たちを眺めて「ここは植民地か?」と違和感を抱き、まだ見ぬ中国への憧憬を募らせていた若き日の著者。うーん、わかるわかる。私も似たようなものだった(笑)

1980年代初めに中国語だの中国文学だのを学ぼうとする連中は、おしなべてどこかひねくれていた、というか変わり者というか、とにかくまだまだ中国に対する日本人の認識は低かったと言わざるを得ない。1970年代後半の中国報道は私も憶えている。毛沢東の死去、四人組裁判、人民法廷で怒鳴り散らす江青、中国残留孤児の来日、そしてNHKの『シルクロード』放映開始……ついでに言えば藤原新也の写真&紀行文『全東洋街道』、短波放送から聞こえてくる北京放送と中国古典音楽、人民服を着たYMO『ソリッドステイト・サバイバー』のジャケット(笑)……中国文学科に在籍して真面目に中国語や中国文学を学ぼうとする志の高い学生から見れば、私のような学生はみごとにトンチンカンだ。

著者は1986年に香港へ語学留学に赴くが、香港は紛れもなく「植民地」だった。ここでも著者の違和感は続く。そして1987年の春、著者はクラスメートのアメリカ人マイケルとともに1ヶ月に渡る中国本土への旅に出かけた。1980年代の日本人とアメリカ人の若者が見た中国本土は、それはそれは驚天動地の国だった。ふたりは汽車を乗り継いで広州から西安経由でシルクロードの烏魯木斉(ウルムチ)を目指す。著者は初めて中国個人旅行を経験したものが必ず遭遇する「切符は何処だ?」問題に直面する。とにかく駅の窓口で求める切符を買うことの困難さに絶望し続ける。

「明日の北京行き寝台切符を一枚ください」
「没有!(ない)」

嗚呼「没有!」「没有!」「没有!」何処へ行っても「没有!」「没有!」「没有!」だ。それでも硬座(文字通りの木製の座席)切符を持って汽車に乗り込むと硬臥(やや固めの寝台)はいくつも空いている。人々は知恵を絞って友人知人のネットワークやコネを利用して長距離切符を手に入れる。況や外国人においておや。外国人特権を行使すればわりと簡単にいくこともあるのだが、なぜか若者はそれを行使したがらない。中国人民と同じ汽車に乗り同じ宿に泊まり同じものを食べることこそ、真に中国を知ることなのだ、と頑に信じている。資本主義バリバリの母国にいるときとは違い、なぜあれほどストイックな気持ちになれたのだろう?

「辛い修行をすればするほどステージが上がり、楽をした者はステージが下がる。ほとんど宗教と同じだった」(同書 p59)

いまでもバックパッカーたちはそうなのだろうが、とにかく貧乏でハードな旅をしてきたものは、旅の達人という称号を贈られ、ある種羨望の的となる。「哈爾濱(ハルビン)から上海まで硬臥で行ってきた」「おれなんか上海から西安まで硬座だぜ」「烏魯木斉からカシュガルへ行ってそこからアフガニスタンに抜けて戻ってきたんだ」「成都のドミトリーは値段が安くてよかったよ。でも半端なく汚いからなあ」延々と自慢合戦は続く。「辛い修行」を「辛い旅」と言い換えればあなたにもおわかりだろう。そう、1980年代の中国には修行に励む世界の若者がたくさんいたのである。

行く先々で切符確保に躍起になる日本人の著者と、たまには切符なんか忘れて旅を楽しもうとするマイケルは、ときに仲良くときに喧嘩し乍らシルクロードを目指す。著者はこの不条理な旅のなかで、嫌というほど中国という異文化に叩きのめされ、マイケルというアメリカ人とのコミュニケーションに悩み、そして自分の頭と身体で中国という国を、中国という異文化を、中国人という人々を理解したのだった。なんとすばらしい青春であろう! 同時代に同時期に中国というよくわからない国をうろつき回っていたかつての若者たち必読の一冊だ。

« 本馬鹿 | トップページ | 祝・副都心線開業 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 切符を買いに中国へ:

« 本馬鹿 | トップページ | 祝・副都心線開業 »