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2008年5月

古典の復権

小林多喜二の名作『蟹工船』が今年の増刷だけで累計20万部を越えたという。どうやらワーキングプア問題とのからみで20代~30代前半の世代に読まれているらしい。宮本顕治が生きていれば涙を流したことだろう。

私も人並みに大学生の頃に読みました『蟹工船』……なんか露悪的に暗い過酷な労働者の話だなあと思った記憶がある。まあ浮かれた80年代だったしバブルもすぐそこだったし“当時のフツーの大学生”としては特に変な読後感ではなかろう、と思う(苦笑)

たぶん中国語やロシア語にはいちはやく翻訳されていたはずである。私の好きな日本の小説は『蟹工船』です」と真面目に話す中国人もいた。「あなたはシャオリン・トゥオシーアルをどう思いますか?」と訊かれて、絶句したこともあった。「シャオリン・トゥオシーアル……ああ、小林多喜二かあ……どうって言われてもなあ……」

現在、『蟹工船/党生活者』(新潮文庫)と『蟹工船/一九二八・三・一五』(岩波文庫)のふたつの版があるが、装幀は断然新潮文庫版のほうがかっこいい。なんたって1929年に『定本日本プロレタリア作家叢書』の一冊として、戦旗社から発行された初版装幀をそのままカバーにしているのだ。かつてはなんだか薄暗い油絵みたいな装幀だったのでよけいかっこいい。プロレタリアアートってほんとポップでメッセージ色が強くて、私はコミュニストじゃないけど大好きだ……こういう見方は不遜なのであろうか?

しかしいまの若者が『蟹工船』に共感するというのがよくわからない。果たして共感しているのかどうかもわからないが、ほんとうに共感しているのなら日本共産党入党者が増えそうなものだが……増えてるのかな? だいたい『蟹工船』に描かれている不潔な悲惨さにどこまで共感できるのだろうか? 搾取される側の論理で共感しているのかなあ。

ま、なんにせよ古典がふたたび読まれるというのはいいことだと思う。誤解を恐れずに言えば、ね。

どこでもマイフロア

帰宅途中で横断歩道を渡る。旧街道なので道は狭いのだがそれでも交通量は多く、夜ともなると車やバイクがけっこうなスピードですっ飛んで来る。

今夜は私の前を若い女の子がケータイから目を離すことなく歩いていた。彼女は横断歩道に近づいてもまったく左右を見ないまま道路を渡り始めた。左右から車が走って来た。私は慌てて歩行者用ボタンを押した。幸いすぐに信号は赤に変わり車は停車。その間彼女はケータイからまったく目を離すことなく俯いたまま道路を渡って行った。おいおい危ないよお。もう危険探知能力が欠落してるのかね…この類いの話をしていたら同僚が言った。

「若い子だって危険探知能力は持ってますよ…ただそのレーダーの感度は自分たちの好悪に及ぶレベルが最優先なんですよね…あのオヤジ、キモイからヤダとか、あいつウザイから近づかないとか、そういうことなんですよ…自分の心地よい時間や空間を侵すモノに対してはすごく敏感なんですよねー」

ふーん、そういうものかもしれないなあ…若い頃ってそうかもしれない。でも今夜のあの子は絶対違うなあ。目の前で人が車にはねられるのは見たくないけど、ケータイとデジタルヘッドフォンステレオで完全武装したヤツらがウジャウジャ歩いているのを見ていると、いちいち気にしてなんかいられないなあ。ふう、くたびれたっ、と…

明日は大荒れ

昨日はいろいろとヤボ用があって出かけていたのでくたびれてしまった。ラーメン食べて帰宅して珈琲をすすり乍ら「特急きらきらうえつ号」運転室展望映像DVDを観る。

「特急きらきらうえつ号」というのは新潟から城下町の村上、鶴岡を経て酒田まで行く特急列車、いつか乗ってみたいと思っている特急列車なのである。今日は新潟駅を出発して白新線を下り新発田を通過してから羽越本線に入り村上駅に到着したところまで観た。こんどは村上から笹川流れを通って酒田へ到着するところまで観よう。

いやあそれにしても面白い面白い。羽越本線は単線と複線が目まぐるしく交錯するので実に面白いのである。といっても興味のない人にはナンダカワカンナイですね、ハイ(笑)

明日は朝から大荒れの天気だそうな。出勤したくないなあ…


いまいち意味不明の東急大井町線急行電車
フォルムはかっこいいんだけどねー(笑)
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天災人禍

四川省で発生した大地震は日に日にその惨状が明らかになっている。それにしてもまたわるいタイミングに悪い場所で起こったものだ。

四川省は西藏自治区と境界を接し急峻な地形である。山岳地帯の大地震は土砂崩れや地滑り、幹線道路の寸断という被害をモロに受けるだけではなく、河川の下流地域にまで水害を誘発する可能性大。中国の建造物は日本人の目からみるとなんとも適当に造られており、倒壊した民家群を見ていると、そりゃ壊れるよなあ、と思ってしまう。官庁の庁舎はなんともないのに学校が全壊するなど手抜き工事も相当行われているとみた。

中国では政変が起きる前後に大規模な自然災害が起きる。有名なところでは、革命の英雄毛沢東と周恩来が逝き、四人組が失脚し文化大革命が終焉を迎えた1976年、河北省唐山で起こった唐山地震では24万人が犠牲となった。今年の春節の時期も異常寒波に見舞われるなどなんとも縁起の悪い年である。西藏暴動の衝撃も冷めやらぬなか、八月に開幕する北京五輪も聖火リレーで世界中に騒動を巻き起こしている。

1990年代以後、中国では都市部と内陸部の格差が広がるばかりで、抑圧された内陸部の不満はいつ爆発してもおかしくない情況にある。西藏自治区はもとより新疆維吾爾自治区でも漢族支配に対する抵抗運動が止まない。貧しくとも都市部に移住することを許されない農民たちは、退去して北京や上海に流れ込んでいる(民工潮)が、働いても働いても搾取されるばかり。まるで老舎の『駱駝祥子』のような世界が現代に蘇っているのである。

日本人にとって中国は良くも悪くも長くつき合っていかねばならぬ隣国。中国ウォッチャーとしてはなんとも憂慮に耐えない、というのが正直な心境だ。なんだかわからないくらい無茶苦茶なのに人なつこく、恐ろしく計算高いくせにどこか間が抜けている、あのエネルギッシュな中国人たちが、また前を向いて歩き出すことを祈りたい。とはいえ中国人とつき合うとくたびれるんですけどね…

落語会は小湊鉄道に乗って

演藝研究会活動は主に都内で行われている。ときどき横浜あたりにも出没するのだが、まあほとんどは都内の寄席あるいはホール落語会に行っている。しかし今回の『桂三枝・春風亭小朝二人会』の会場は千葉県の、しかも市原市民会館。最寄り駅が小湊鉄道の上総村上駅というからすごい、って何がすごいんだかよくわかりませんが(笑) 

JR錦糸町駅で演藝研究会会長と落ち合いそのまま千葉駅へ。千葉駅で駅弁を購い内房線に乗り換えて車中で食べているうちに、小湊鉄道の乗換駅である五井駅に到着した。五井駅構内から連絡通路を渡ると小湊鉄道乗り場である。この小湊鉄道構内はタモリと原田芳雄が『タモリ倶楽部』の企画で一日入社体験をした場所だ。

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階段の下の切符売り場で精算。私はパスモで精算することになったのだが、精算をしてくれたベテラン駅員さんが熟練の技を披露してくれた。まず小さなカード型の機械でパスモ料金を読み取りつつ、五井から上総牛久駅までの乗り継ぎ切符の駅名と料金表示にパンチで穴を開け、入線してきた下り列車ホームの表示板切り替えスイッチを巧みに操作しつつ、パスモ精算表に記入をし、釣り銭を計算して私に渡してくれたのである。これだけの業務をわずか30秒くらいのあいだにやってのけるのだからすごい。

小湊鉄道初乗車の会長とともに上り列車に乗る。開演までだいぶ時間があるのでまずは上総牛久まで乗り鉄と洒落込んだ。五井〜上総村上〜海士有木〜上総三又〜上総山田〜光風台〜馬立〜上総牛久というルートを小湊鉄道キハ211系はガタゴト走る。窓から吹き込む初夏の陽気を思わせる風が心地よい。上総牛久ではすぐに上り列車に乗り換える予定だったのだが、上総牛久駅は対面式ホームだったのでタッチの差で上り列車は発車してしまった。ここらへんの詰めの甘さが私が適当な乗り鉄たる所以(苦笑)

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まあしかたないので会長とふたりで上総牛久駅周辺を散策するが、旧街道筋には食堂もコンビニも無くなんとも寂れた雰囲気だ。もしやと思い線路を挟んで反対側に出ると、ここらへんはバイパスが走っており当然乍ら食堂もコンビニもあった。やがてやってきた上り列車に乗り込んで上総村上駅で下車し市原市市民会館までテクテク歩く。

会場に入ると三遊亭歌武蔵が喋っていた。歌武蔵が引っ込むと春風亭小朝が出てきて『子別れ』を一席。うーん、私は『子別れ』があまり好きではないのだなあ。小朝のあとは桂三枝登場。あの独特の口調で喋り始めるとなんだか安心する。今日は『誕生日』という噺だった。質・量ともに新作落語のトップを走る三枝師匠だけにさすがに巧い。関西弁の新作落語であり、若手の落語家とは違ったちょっとレトロな雰囲気が、ちょうど往年の夢路いとし・喜味こいしの漫才にも通じる雰囲気が嬉しい。

公演が終わりふたたび上総村上駅までテクテク歩く。地方都市だけあってお客はみな車で来場しているようで駅まで歩くのは我々だけ。まあそんなもんだよな。上総村上駅で1時間ほど上り列車を待つ。ヒマつぶしに上空を頻繁に行き交う飛行機を眺め乍ら、社名や機種の観察をする。さすが成田空港の近くだけあって次々と飛行機が飛んでくる。

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田んぼの中にある駅舎の屋根は袴腰タイプで時代を感じさせる。

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木製ラッチも切符売り場も雰囲気満点。

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五井駅から千葉駅、千葉駅で総武線快速に乗り換え、錦糸町駅で総武本線に乗り換えて新宿へ向かい、思い出横丁でホルモン焼きをつまみに反省会。演藝研究会と鉄道研究会をいっしょにやった一日であった。

五月の谷根千

谷中といえば愛玉子(オーギョーチ)
何回か行ってるんだけど屋号はなんていうんだろう…(笑)

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言問通沿いの喫茶店『カヤバ』
ここにはルシアンという謎の飲み物があります。長期休業という貼紙がありましたが、もう閉店なんだろうか…

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上から見た三浦坂。

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あかじ坂上にある『大名時計博物館』
精巧な仕組みに感心してしまいました。面白い!

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谷中2丁目にあった貸本屋『なかよし文庫』
残念ながら閉店だそうです。今後は古本屋になるとのこと。

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つつじ祭りで賑わう根津神社

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活気あふれる谷中銀座商店街。
谷中に住んだら楽しいだろうなあ…メンチカツ食べ放題だし(笑)

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日暮里駅南口陸橋から線路を眺める。
右から山手線、京浜東北線、東北・上越・長野各新幹線、高崎線、東北本線(宇都宮線)、京成本線……絶景です。

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谷中とモンクと志ん朝と

連休中に友人を案内して谷中から根津、千駄木界隈を散策した。

JR日暮里駅を振り出しに長谷川一夫や高橋お伝の墓を左右に眺めながら谷中霊園を抜けて、看板に惹かれて愛玉子なんぞを食べてから上野桜木に出まして、そこから言問通りを下ってふたたび谷中の坂道露地裏を経巡り、三浦坂を登って大名時計博物館で学問なぞしてから不忍通りを渡りまして、根津神社境内の満開のツツジを愛でまして、ふたたび谷中の露地裏を歩いて三崎坂を下って団子坂下交差点を右に折れまして、くねくね蛇行するへび道を歩いて谷中銀座に出たときはさすがにくたびれた。くたびれついでに谷中銀座の酒屋の脇で、友人たちと揚げたての名物メンチカツを肴にビールをクイッと飲ると、こいつぁもうたまりません。

それから夕焼けだんだんを上って日暮里の駅に戻ったのだが、夕焼けだんだんのあがりっぱなに『シャルマン』という看板を見つけた。おお、ここはかの古今亭志ん朝師匠が贔屓にしていたというジャズ喫茶ではないか。

大のモダンジャズファンであった志ん朝師匠が、これまたジャズ界唯一無比のユニークなスタイルで知られる名ピアニスト、セロニアス・モンクについて語った珍しいインタビューがある。

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モンクを最初に聴いたのは、日暮里の「シャルマン」というジャズ喫茶で、『セロニアス・イン・アクション』というレコードです。この時のことはよくおぼえてます。
中学生くらいからジャズを聴き始めて、高校生の頃JATPの初来日公演を聴きに行ったりして、それから二〇代前半くらいまでが一番よく聴きましたね。有楽町の「ママ」とか上野の「イトウ」とか、ほうぼう聴き歩いてました。コンサートもよく行きましたね。
当時、家が谷中だったんで、「シャルマン」にはもう毎晩のように行って、ご主人とも大変懇意にさせていただきました。
一九五〇年代後半から六〇年代初めあたり、アート・ブレイキーとかソニー・ロリンズとかジョン・コルトレーンとか、何かそれまで聴いていた音楽と比べて全く違う感じのものが、急激にレコードのかたちで入ってきまして、「へぇーっ、こういう人達がいるんだ」ということで、すっかり夢中になりました。当時一番好きだったのはマイルス・デイビスですね。あのミュート・トランペットのカッコよさね。そういうのを聴いて「わーっ、カッコいい、気持ちいい」っていってノッてた時に、フッと不思議なピアノが耳に入った。それがモンクです。
ある日、「シャルマン」に行ったら『セロニアス・イン・アクション』がかかってた。それまで、モンクってついぞ聴いたことがなかったんですよ。とっても不思議な音でね。
なんでここへ行くのに、ここの横町を曲がって、こう曲がって、こう曲がって、こう行かなければいけないんだ、こっちからも行けるじゃないか、というようなのね。一、二、三と歩いていって、当然この次は右足が出るだろうと思っているものを、急に止められて、左足が出ていっちゃうんで、聴いてる方は「おっとっと」となる。普通だったら、当然ここでこういうフレーズがくるんじゃなかろうかと思って、ノッてこうとすると、そこでとてつもない不思議な音がくる。
ただ、私は音楽でも絵でも、前衛的なものは嫌いなんで、最初は「俺、こういうの嫌いなんだよなあ」と思いながら聴いていた。それが、聴いてるとちっとも不快じゃなくて、楽しくなってきた。で、店のご主人に「これ、何ていう人?」「セロニアス・モンク」「セロニアス? モンク? ヘンな名前! 他にもあるの?」「こういうのがあるよ」なんていいながら、いろいろ聴いてた。そうやって聴いてるうちに「ああ、これは志ん生だな」と思ったんですよ(講談社編「セロニアス・モンク ラウンド・アバウト・ミッドナイト」講談社 , 1991所収「『ああ、これは志ん生だな』って思った」より)
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さすが志ん朝師匠、モンクの個性をみごとに捉えたうえに、父であり師匠であり唯一無比の個性派落語家であった古今亭志ん生師匠になぞらえるあたり、まことに慧眼。そういえば谷中銀座のメンチカツとビールも、これまたみごとなハーモニーを醸し出してしておりましたなァ。

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