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2007年6月

長野からビールがやってきた

千曲川さんから贈られてきた長野地ビールの数々、ごらんあれ。
これは有名な『よなよなエール』です。

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お次は『信州ナチュラルビール』3種類。

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ポップなデザインの『軽井沢高原ビール』3種類。

Dsc01780

たくさんあるのでチビチビ飲み乍ら梅雨を乗り切ります。
千曲川さん、ありがとうございました。

今日の晩ゴハン

梅雨入り宣言も虚しくしばらく暑い日が続いていたけど、今日はしとしとと雨が降る日曜日。そろそろ梅雨に入ったかな。
今日の晩ゴハンはずいぶんひさしぶりにヤキソバにした。中華鍋でゴマ油を熱してザク切りのホウレン草と青唐辛子、島唐辛子を炒める。火が通ったところで皿にあけ、こんどはイカと海老の切り身を放り込み、オイスターソースとニョクマムで味を整える。ヤキソバを投入してまんべんなく炒め、しあげに皿にあけておいた野菜を入れ、中華鍋を火から降ろして香菜を散らして出来上がり。千曲川さんからいただいた『よなよなエール』を飲みつつ、汗をかきかきヤキソバを食べた。いつものようにテキトーに作る割には、まあまあいけるじゃねえか、と自画自賛。台湾の田舎町の屋台の味くらいにはなったと思う。BGMはマレーシアの歌姫ザレハ・ハミッド。
それにしても島唐辛子ってのは猛烈に辛い。大きさはやや大きめのピーナッツくらいで真っ赤なのだが、これがまた飛び上がるくらいの猛烈な辛さ。ガシガシと齧っていたら滝のように汗が吹き出てきた。これを泡盛に漬け込んだ調味料が、沖縄ではポピュラーな『コーレグース』だ。かつて日本では唐辛子のことをコショウと呼んでいたそうな。だから『コーレグース』とは『高麗胡椒』なのです。タイの唐辛子も小さなくせに激烈に辛い。これはピッキーヌー(ネズミの糞)という名前の唐辛子。小ぶりの唐辛子ほど侮れない辛さを持っているらしい。
あ、ヤキソバの写真撮るの忘れた!

天使の歌声

ようやく腰の痛みも消えてきた今日この頃…
本の移動だけはかんべんしてほしいなあ。腰痛持ちなんだからさあ。まあこれは図書館労働者としては避けられないさだめのようなものだ。
ひさびさに音楽CDを引っ張りだして通勤途中に聴く。
昨日はフェイ・ウォンのベスト盤。90年代のフェイ・ウォンはほんとうに良い。若くて弾けててバラードはしっとりだし、最近どうしてるんだろうなあ。
今日はテレサ・テンのベスト盤。落差が凄いと思うがやっぱりテレサはいいぞ。演歌のイメージが強いけど、ポップスも中国歌謡も民歌風の歌も実に巧い。
1989年、香港で開かれた天安門事件の抗議集会で歌った『我的家在山那一辺(わたしの家は山の向こう)』のライブ音源が収録されているが、これが凄い。ピアノだけの伴奏をバックに歌うその声たるや、歌手たるもの、歌声だけでこれだけの気持を伝えられたら本望でしょう。鳥肌が立ちました。

M字ビターンは中国語でなんて言うんだろう

CDウォークマンが動かなくなってしまった。かなり使い込んだせいもあるのだろうが、それにしても最近の電気製品はダメだなあ。まあふだん聴いているのは音楽じゃなくて、中国語の教材(ラジオニュースとかインタビューとか)なんだけど。ヨドバシカメラでいろいろ物色していると、iPodというやつがあることに気がついた。そうかあ、これがあったかあ。
しかしよく考えてみると、iPod を使うにはウチのMacintoshを買い替える必要がある。いまだにOSは9.1 だし、起動中に突然画面が真っ暗になったり、液晶もガタついてきているらしい。やっぱり買い替えどきかなあ〜、でもそう考えたらなんかめんどうくさくなってきた。やっぱりCDウォークマンでいいや。だいたい私はパソコンが好きじゃないのである。メールやブログをやったり、いろいろ文章書いたりするから使っているのだ。
というわけで新しいCDウォークマンを買った。私が iPod を使う日は来るのか? それはいま使っているPowerBookが使えなくなったときだな。いや、待てよ、使えなくなったらデータの引っ越しとかできなくなるじゃないか。うーん、困ったなあ。
それにしてもインリン・オブ・ジョイトイは中国語が巧い、って台湾人だから当前。

『無錫旅情』の謎

尾形大作という歌手がいました。彼は80年代に活躍した若手演歌歌手でした。彼の大ヒット曲は言うまでもなく『無錫旅情』です。この『無錫旅情』は1986年から1987年にかけてロングヒットとなりました(知らない人はお父さんお母さんに聞いてください)。さて、みなさんは無錫(むしゃく)とはなんのことだかご存じですか? 無錫というのは中華人民共和国江蘇省南部にある工業都市です。太湖という風光明美な湖がある景勝地としても知られています。

この長江デルタ地帯の都市といえば、魔都と呼ばれた上海、文化人の憧れ杭州、東洋のベニス蘇州、魯迅の故郷、紹興酒でもお馴染みの紹興、古都南京などが、日本人にはよく知られています。しかしこれらの都市に比べて無錫は地味。錫(すず)の産地だったのでかつては「有錫」と呼ばれていたが、ついに錫を掘り尽くしてしまって、以来「無錫」になったという、よくわからない説あり。

尾形大作、いやこの歌詞に出てくる男は、なぜ無錫というマイナーな都市を目指したのか? 当時、中国文学専攻の学生だった私たちにとって、これは格好の話題であり、何度となく論争(妄想)を繰り広げました。

傷心の旅がなぜ津軽半島や能登半島じゃなくて中国なのか? なぜ上海や香港という異国情緒溢れる都市ではなく、杭州、蘇州というメジャーな都市でもなく、無錫なのか? 当時の無錫は開放都市だったのか? 未開放都市だったら上海で許可証を取得したのだろうか? 公安(警察)にマークされなかったのか? 外国人が宿泊できる施設はあったのか? 彼は中国語を話せたのだろうか? そもそも彼は無錫へ何をしに行ったのか? なぜ無錫だったのか?

「上海蘇州と汽車に乗り〜♪」というからには、あの薄暗くてだだっ広くて、大いなる喧噪とゴミに溢れかえった上海駅の、切符を求める人民たちで充満した切符売場で延々と並んで切符を買ったのか? それとも旅行社に手配したのか?  いずれにせよ外国人料金(当時はそういう料金区別があったのです)で買ったはず。それは硬座(木製の座席)なのか? 軟座(ソファ)なのか? 列車はおそらく上海発無錫経由南京行き普通列車だろう。となると、1980年代に外国人が乗るのだから当然軟座だ。いや、バックパッカーなら硬座に乗ったのかもしれない。

そして私たちの妄想の結果、彼のキャラクターは次のようなものに落ち着きました。

20代前半で、大学時代はおそらく中国文学または歴史学を専攻していたか、またはアジアに興味があったか、あるいはひとり旅を愛するバックパッカー。すでに就職しているか、大学卒業を控えており、それまで交際していた女性と別れることになった。傷心の旅に出ようと思ったが、すでに津軽半島や能登半島はクリアしており、ちょうど改革開放政策で渡航が容易になりつつあった中国に行くことにした。

貧乏なので神戸港から鑑真丸に乗り、人民服と自転車で溢れかえる上海に上陸した。ところが上海はあまりにも雑沓し過ぎてうるさくて汚ない。どこか落ち着いて泣ける街へ行きたいと、バックパッカー御用達のドミトリーで『地球の歩き方』を広げて計画を練った。蘇州や杭州はロマンチックだが古くさそうだし、南京も大都市らしいし日本人にとってはなんかアレだし、紹興は酒くさそうだし、どうしよーかなー? と考えているうちに、無錫という不思議な名前の街に気がついた。大きな湖に面しているとのことだし、ちょっと行ってみたくなっちゃったなー。ちょうど上海−蘇州−無錫−南京という路線だし。

さっそく上海駅に出かけて、無錫行きの切符を買うために窓口で2時間並んだ。しかし服装から外国人であることがバレて、外国人窓口へ行けと追い払われ、しかたないけど外国人料金で切符を買った。公安からは「オマエハ無錫ヘナニヲシニイクノカ?」と聞かれたが、中国語があまり巧くないので筆談で説明。「我是日本人。我愛中国。没有反共思想。我失恋了。為癒心想去無錫。没有別的意思」公安はナニガナンダカワカラナイけど、まあ思想的にも人畜無害らしいので注意するだけで開放してくれた。そして彼は意気揚々?と無錫の街を目指したのであった…

いまでも私にとって『無錫旅情』は謎の作品なのです。

ようやく再開

ある日突然ココログにアクセスできなくなっていた。なんでかなー、と思っていたらこういうことだった。

クレジットカードの有効期限が切れた → カード会社から延長手続き案内をもらっていたが忙しさにかまけて忘れていた → そのあとでニフティからクレジットカードが使えませんよという案内が来ていた → 忙しさにかまけて放ったらかしていたら、ココログに入れなくなった → カード会社に連絡して新しいカードを送ってもらった → ニフティサポートに電話して登録情報変更手続きをした → ようやく再開できた…なんともはやマヌケなことである。

これと平行して保険証が行方不明になってしまった。緊急に必要なわけじゃないが、この年齢になると必要になる事態は緊急にやってくるので、散らかり放題の部屋の隅から探索にかかった。ついでにゴミを選別して盛大に山を作る。なんと紙ゴミの多いことよ。探し始めてから1時間、ようやく保険証が見つかった。なんでこんなところに…という場所にあることは想像していたが、それはともかくこれでいつでも病院に行ける。

それにしても私はどうしてこういうことがテキパキとできないのだろう。やっぱり社会生活に適応できていないのだろうか。将来が不安になってきた(苦笑)

この騒ぎの最中、思わぬところから思わぬモノが出てきた。それは20年以上も愛用していたヨレヨレの帽子。いまの家に引っ越してから行方不明になっていて、無くしてしまったんだと思っていたのだ。この帽子は私とともに日本各地や中国の奥地を彷徨った、いわば戦友のような帽子なのである。縁はところどころ擦り切れ、みごとに大きな穴が空いているがまだ使える状態。さっそく洗濯機に放り込んでガシガシ洗う。それにしてもほとんどぼろきれにしか見えないなあ。

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