2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007年5月

屈託阿房列車

「阿房と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはゐない。用事がなければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ(内田百間「特別阿房列車」)

疲れて屈託しているときは電車に乗るに限る。映画を観ても本を読んでも内容が頭に入らない。時刻表を読んで乗り換えを調べてあとはひたすら電車に乗り続けるのが良い。家でぼんやりしていても屈託が続くだけだ。最近読み返している内田百間の名随筆『阿房列車』のなかに御殿場線のことが出てくる。百間先生に倣い私も「なんにも用事がないけれど」御殿場線に乗りに出かけることにしよう。

朝から川崎に出て、薄曇りの空の下、東海道本線に乗って国府津で御殿場線に乗り換える。国府津〜御殿場〜沼津を結ぶ御殿場線はかつて東海道本線であった。しかし昭和9年の丹那トンネル開通により、東海道本線は現在の熱海経由ルートになった。そのとたん、かつての国府津〜御殿場〜沼津を結ぶ路線は、本線からはずれて御殿場線という迂回路線になってしまった。早い話が表舞台から転落したのである。

国府津駅の長いホームで御殿場線を待つ。ここは「区間阿房列車」のなかで、百間先生とヒマラヤ山系(内田百間の汽車旅行のお供をつとめた平山三郎氏)が、御殿場線に乗り遅れて雨の降るなか延々と待ち続けたところ。百間好きとしては感慨もひとしおである。

Dsc01768

やがて沼津方面からやってきた列車に乗り込む。御殿場線はJR東海なので車掌の雰囲気も違う。ハイキングに出かけるバアサンがやけに多く、ついでに地元のバアサンもたくさん乗っている。ついでにハイキングに出かけるらしいガキがうじゃうじゃ。なんだか騒がしいかぎりだ。谷峨でガキはたちいっせいに降りた。谷峨は谷川沿いにある山のなかの駅。ガキたちはこのへんでハイキングをするらしい。駿河小山ではバアサンたちがどどっと降りていき、車内はいっきょに寂しくなる。何かあるのかしらん。

御殿場で降りて沼津行きを見送り、ホームで国府津で買った弁当を食べる。人気のない御殿場駅で独り駅弁を食べていると、このまま誰も知らない土地へ行ってしまいたくなった。相当疲れているらしい(苦笑)。やがて沼津からやってきた御殿場止まり列車が入線してきた。これがそのまま折り返しの沼津行きになるのである。車窓から見える富士山がおみごと。やがて列車は静かに沼津駅に滑り込んだ。

わずかな乗り換え時間のあいだ、沼津駅のホームを散策。キオスクと喫茶店と立ち飲みを兼ねたスタンドがあり、日曜の昼間からオッサンがふたりで良い気分になっていた。なんとなく昭和の雰囲気が濃厚に漂っているのを感じる。

Dsc01769

間もなくやってきた三島行きに乗り換える。三島の駅舎は風格のあるいい駅舎だ。

Dsc01770

JR東海は発車ベルが鳴らない。「三島行きはまもなく発車いたします」というアナウンスの後、列車は静かに静かにホームを離れて走り出すのだ。首都圏の駅に慣れてしまっているとなんとなく新鮮。しばらく三島駅舎を観察したあと、衝動的に伊豆箱根鉄道駿豆線に乗った。伊豆箱根鉄道駿豆線は、住宅街と田園地帯を走る江ノ島電鉄みたいな電車だ。

Dsc01772

終点はかの有名な修善寺。岡本綺堂の『修善寺物語』でも知られる観光地だ。修善寺に15分滞在し、駅舎や看板を観察してからすぐに三島に戻る。せっかく修善寺に来たのに何も見ないで帰るのだが、これがいつもの私の旅なのである。

Dsc01773

あとはただただ惰性で列車に乗り続ける。三島の隣の函南に降りてみたが殺風景な駅だった。駅舎とホームを観察し、15分後にやってきた熱海行きに乗る。熱海で東京行きに乗り換えて小田原で降りる。小田原から小田急ロマンスカーに乗って相模大野まで出る。ロマンスカーに乗るのは実にひさしぶりだ。相模大野から中央林間に出て東急田園都市線に乗り換えて帰宅。

沼津−−−御殿場−−−駿河小山−−谷峨
|                |
|           相模大野−−−−中央林間
|           |    |
|           |    |
三島−−函南−−熱海−−小田原  国府津−−川崎
|  

修善寺

品川心中

GW最終日は雨。※このブログはオンタイムじゃないの(笑)

雨のなかを桜木町に出てにぎわい座で演藝研究会会長と落ち合う。野毛小路のなかのレトロな洋食屋でランチを食べ、にぎわい座で幕があがるのを待つ。今日は三遊亭圓歌師匠が『品川心中』『中沢家の人々』の、古典と新作の二席を演じるという大盤振る舞い。これは楽しみである。

前座に続いてまずは三遊亭歌彦の『片棒』。けた外れのケチで身代を築いた赤西屋ケチ兵衛、自分の身代を誰に継がせるかと思案、三人の息子に「自分が死んだらどんな葬式を出すか」という相談をする。すると…落語でお馴染みのケチ噺である。會長曰く「この噺になると(春風亭)小朝の『片棒』を思い出すんだよね」小朝の『片棒』では、葬式にユーミンを呼ぶだのディズニーランドを借り切るだの、いかにも小朝らしい演出が印象的。

歌彦に続いて、圓歌師曰く「高座にかけるのは三十年ぶり」という『品川心中』を一席。衣替えの費用に事欠き、馴染みの客に心中を持ちかける品川女郎の板頭(売れっ子)お染。心中を持ちかけられてその気になる間抜けな貸本屋の金蔵。お馴染みのやりとりが可笑しい。

新作のイメージが強い圓歌師だが、そこはさすが年季が違う。よどみない口調で淡々と、おみごとでありました。しかも、普通は最後までやらないサゲまで演じる豪華版。まあこのサゲは現代ではウケない、以前にわからないからなあ。

ちなみにフランキー堺の『幕末太陽伝』では『品川心中』が重要なストーリーの一部になっている。お染は左幸子が、金蔵は小沢昭一が演じている。しかもサゲの部分が川島雄三監督の演出により、効果的に取り入れられていて面白い。

仲入り後は三遊亭小圓歌の三味線漫談。いつものように達者なもんだ。そしてふたたび圓歌師登場。お馴染み『中沢家の人々』を繰り出す。しかも今日はほぼ完全版に近いバージョン。手慣れた噺だけにのっけから満員の客を爆笑の渦に叩き込む。まるで笑いの地雷原だな。

なんだか安心

われらが阪神タイガース、開幕ダッシュはどこへやら、とうとう8連敗。ついに3年ぶりの最下位転落だあ。ああ、なんだか安心するぞ。I Shall return.  キター!って感じ。
もちろん強いタイガースは大好きだが、弱いタイガースだって大好きだ。横浜スタジアムや神宮球場で、ビール片手に「バカヤロー、おまえらそれでもプロかあ、金返せー!」と叫んでいた低迷期、嘘でもなんでもなく、ほんとに楽しかったなあ……イヤ、ホント(笑)
やっぱり井川の抜けた穴は大きい。なんだかんだ言われても確実に15勝は稼いでたからなあ。ボーグルソンとかいう外人投手なんか、あだながボギーだってよボギー。タイガース名物のヘタレ外人は、あいかわらずいい感じだぜ。
今年はひさびさに風に吹かれ乍ら野球場で観戦しようっと。

JR鶴見線大川支線制覇の巻

毎年GWにはロクなことをしていない。たいがい仕事してたり、疲れて家で寝てたり、なんとまあしょうがないことである。というわけで今年もあいかわらず連休の半分以上は仕事(在宅含む)、あとの数日は疲れて寝てたり洗濯してたり家でゴロゴロしてたりである。まあ1日くらいは何かしようと思い立ち、時刻表を眺めてはたと膝を打った。そうだ、鶴見線大川支線を制覇しよう! これが本日のハイライト、GWのハイライトだ。これで鶴見線完全乗車達成だあ。鶴見に行こう!と叫んで家を出た。途中、昨年も同じ理由で東海道線に乗って熱海に出かけたことを思い出した。なんと進歩のない人生であることかと、車中独りで嘆息。

鶴見に行くまでにあちこち回り道。尻手から南武線支線に乗り換えて、八丁畷で京急線に乗り換えて京急川崎下車。JR川崎まで歩いてそこから横浜に出て崎陽軒の駅弁を買い、なぜか東神奈川のホームで食べていると、根岸線でボヤ騒ぎが発生し京浜東北線が停まってしまう。うーん、これじゃ鶴見に行けないなあ。というわけで、東神奈川の真ん前にある京浜急行の仲木戸から生麦駅へ出て、いったん電車を降り横浜市営バスに乗って国道駅前で下車。

さて賢明な読者のみなさまにおかれては、そのまま京急鶴見へ行ってJR鶴見まで歩けばいいじゃないか、あるいは横浜市営バスで鶴見駅前まで行けばいいじゃないか、とお思いだろうが、そういうことは質問しないでいただきたい。さて、ここでJR鶴見線について簡単に説明しておこう。

【JR鶴見線路線図】 ※( )内は南武線・南武支線

 鶴見                (武蔵溝ノ口)
 |                  |
 国道                (武蔵小杉)
 |                  |
 鶴見小野              (尻手)−−(川崎)
 |                  |
 弁天橋−−浅野−−安善−−武蔵白石−−浜川崎
      |   |         |
      新芝浦 大川        昭和
      |             |
      海芝浦           扇町

鶴見線は1926年に私鉄の鶴見臨港鉄道として発足し、紆余曲折を経て1943年に国有化されて国鉄鶴見線、1987年にJR東日本鶴見線となった。鶴見〜扇町間が本線として運行されており、海芝浦支線(浅野〜海芝浦)と大川支線(武蔵白石〜大川)がある。

海芝浦支線は、鶴見駅から海芝浦まで1時間に1本の割合で往復運行されているが、大川支線(鶴見〜大川往復)は平日なら6〜7時台に5本、18〜20時台に6本、つまり早朝と夕方しか運行されていない。早い話が日清製粉や昭和電工など工場に通勤する人のため支線だ。当然休日ともなると運行本数は更に少なくなり、朝は7時と8時台にそれぞれ1本、夕方は1745鶴見発の1本だけになる。

また浜川崎はJR南武支線(尻手〜浜川崎)との乗り換え駅で、路線図で見るとあたかも相互乗り入れしているように見える。ところが実は駅舎が別なうえに、いったん外に出て道路を渡らなければならないという不思議な駅だ。

国道から鶴見線に乗る。国道はJR鶴見線の駅である。高架駅舎であり、高架下は一杯呑み屋などがちんまりと詰まっていて、戦前にタイムスリップしたような独特の雰囲気で有名。コンクリート部分に戦時中の機銃掃射の弾痕が残っている。ちなみに駅名の由来は国道(第1京浜)の真ん前にあるから(ホント)。

Dsc01751

ここから1637発扇町行きに乗り浅野で下車。大川行きの運行時刻まで時間があるので、ひとまず浅野から海芝浦に行こうというのである。海芝浦はもう何度も行っているので説明はしない。説明はしないが、なぜ同じ駅に何度も、しかも独りで行っているのか、ということは質問しないでいただきたい。浅野駅は本線と海芝浦支線が分岐しており、特異な三角ホーム(海芝浦支線ホーム)があることでも有名だ。

Dsc01754

やがて鶴見方面から海芝浦行きがやってきたので、乗る。最近は海(運河?)の上にある駅としてすっかり有名になったようで、乗りに来るたびに鉄道好きの老紳士や若いアベックを見かける。海芝浦でしばらく停車ののち発車。浅野には1717着なのだが、本線の扇町行きも1717着。海芝浦支線の三角ホームと本線のホームは離れているので乗り換えは不可能。しかし私は慌てず騒がず次の弁天橋で降り、すぐに鶴見方面からやってきた1720武蔵白石行きに乗り換える。しかしこの改札、味があるなあ。

Dsc01757

大川支線は路線図では安善から分岐しているのだが、実際は武蔵白石の直前で分岐している。だから武蔵白石のホームで、ああ大川行きが来たあ!と喜んでも、ホントに直前で (^0^)/~ と去っていく様子が、容易に想像できるのである。実は大川支線は正式には武蔵白石〜大川間なのだが、なぜか武蔵白石では乗り換え不可能という不思議なことになっている。かつては武蔵白石駅に大川支線用のホームがあったのだが、カーブしているために専用車輌でないと通過できなかった。この車輌が老朽化して引退するにあたり、ついでにこのホームも撤去されてしまったため、支線の起点でありながら乗り換え不可能という珍妙なことになってしまったという。これを確認するために武蔵白石まで来たので、すぐに扇町方面から来た鶴見行きに乗ってお隣の安善まで行く。あとは大川行きを待つだけだ。

Dsc01764

独りせわしなく安善駅のホームを行ったり来たりする。怪しい行動に見えるかもしれないが、鶴見線では珍しくないので誰ひとり気にする様子はない。それにしてもこの夕方に安善では5〜6人の男女が大川行きを待っている。なぜだ? みな鉄なのか? いやしかし鉄とおぼしき輩はカメラバッグを提げた兄ちゃんだけだ。あとはみな鶴見線沿線のオジサン(全員罐ビール持参)。しかし1人だけ垢抜けたオネエチャンがいる。鉄子か? しかしこのオネエチャン(推定30歳)も罐ビールをグビグビ呷っている。謎は深まるばかりだ。

Dsc01763

閑話休題。そうこうしているうちに鶴見方面から大川行きがやってきた! 大川行きに乗り込むと、意外にもけっこう人が乗っている。こんな休日の夕方にどういうつもりだ。まあそれはおいといて、さっそく車輌の先頭に立ち武蔵白石の直前でググっとカーブしていくのを堪能。オジイチャンオバアチャンに連れられたチビが「大川に突入!」とはしゃいでいる。なんともお手軽なGW行楽であることよ。安善の次はすぐに大川なので3分くらいの乗車時間。大川駅は想像どおりのショボイ駅舎で大満足。気がつくと5〜6人の兄チャンが、ダンゴ虫のようにわらわらとまろび出て、デジカメ片手に写真を撮り始めた。なんだ、みんな鉄か。

Dsc01766

3分停車ののち、折り返し鶴見行きとなる列車に乗り込んで終点へ。1時間半も鶴見線内でウロウロしていたので、鶴見駅の賑わいに呆然としてしまった。さて賢明な読者のみなさまにおかれては、最初から1745鶴見発大川行きに乗ればよかったじゃないか、とお思いであろう。しかし、行きがかり上こういうことになったのであるから、そこのところは誰も問いつめないでいただきたい。

それはそうと、これで長らく懸案であった鶴見線完全乗車がぶじ達成された。鶴見線は総延長9.7キロ(山手線なら新宿〜品川間が約10キロ)なのに、乗りつぶすには2時間近くかかる(新宿〜品川間は所要時間約20分)という、都会にあり乍ら意外と手強い路線なのである。お手軽な鉄道旅としてぜひお薦めする次第。

掃溜めに鶴

長野から上京した千曲川さん曰く。浅草名画座で『日本大侠客』(1966東映)を観たい。しかしこの映画館には行ったことがない。それに場所が浅草でしかもヤクザ映画である。女ひとりで行くのがちょっと怖いからつきあってはくれないか云々。

友人であり、彼女の東京の保護者でもあるサワコさんも同道くださるということだが、なんといってもここは浅草名画座。ふたりといえど、妙齢の女性だけで行くのは危険(笑)。相も変わらぬ彼女の趣向はさておき、私も案内人として浅草に出向くことにした。

浅草の匂いをプンプン漂わせるオヤジたちは、千曲川さんの存在に気づいて、みな意外そうな顔をする。なかにはニヤリ、と相好を崩すオヤジもいる。緊張気味の千曲川さんは何も気づいていない。私とサワコさんで顔を見合わせて苦笑い。掃溜めに鶴というかなんというか。恵比須ガーデンシネマに浅草のオヤジがひとり紛れ込んだと言えば、例えが適切かどうかよくわからないのだが、おわかりいただけるだろうか。まあそういうことです。

ここは相変わらず奇声独言飲酒喫煙なんでもありの映画館。それでも愛して止まぬ岡田英次が登場するやいなや、千曲川さんは身悶えしつつ、拍手はするわ椅子から身を乗り出して画面を凝視するわ…千曲川さん、入れ込み過ぎです。まあ、なんでもありだからいいのか。それにしても刺客の岡田英次、明治時代なのに着流しで労咳病みときたもんだ。おまえは平手造酒か。

ところで『日本大侠客』だが、鶴田浩二、藤純子、大木実、近衛十四郎、木暮実千代、岡田英次、内田朝雄、河野秋武…東映仁侠映画の常連から、フリーの名脇役まで見応えのある映画だった。情念の脚本家・笠原和夫の筆も冴えている。スクリーンを観ながら、これはヤクザ映画っぽくないなあ、と思う。なにしろ鶴田浩二演じる吉田磯吉は、ヤクザでもなんでもなく、沖仲仕たちからアニキと慕われる、キップの良さと人の良さが売り物の、北九州若松の料亭のボンボン。まあ最後は大木実、岡田英次たちと、悪役内田朝雄の屋敷に殴り込みに行くんだけどネ。

左巻き評論家風に書けば、非搾取階級である港湾労働者たちが、かれらから不当に搾取する資本家(ヤクザの内田朝雄たち)および資本家と癒着する官吏(柳川某という代議士だが、内田朝雄と義兄弟という設定)の横暴に耐えかねて、資産階級でありながら、無産階級に正しく転向した革命の英雄=鶴田浩二のもとに一斉蜂起、悪の資本家と腐敗した官吏は打倒される、という映画。惜しむらくは、鶴田浩二以外の脇役に、革命理論と主体性が缺如している(笑)。

プロレタリア映画として問題があるとすれば(なんだそりゃ)、資本家である内田朝雄たちは実は一幇流氓(ごろつき)であり、かれらは別の資本家(企業)の弱腰につけこんで、利権を一手に握ろうと画策し、自分達と癒着している官吏に裁定を仰ぐ。当然、官吏は一幇流氓に有利な裁定を降し、別の資本家(企業)は権力には逆らえない。という設定。最終的に、資本家のなかに一幇流氓と企業、つまり悪役とそうでないのがおり、悪の資本家である一幇流氓は打倒されるが、資本家そのものである企業の反動性は糾弾されない。このへんの描写がプロレタリア映画(違うって)としては詰めが甘い、と批判されても然るべきである(何が「然るべき」だ)。資本家はなんであれすべて反動である。このあたりを徹底的に改良すれば、無産階級の正しい指導につながる作品となったであろう。そして(以下、省略)

かつてのソ連や中国ならけっこうウケたんだろうなあ。それにしても藤純子の艶やかさったら、ない。

笠原和夫も、この作品はあまりやくざ映画っぽくない、という指摘に答えて、次のように述べている。

笠原「だから、どちらかというと西部劇ですよね。西部の流れ者がある町にやってきて、家族をつくって牧場を開いたら、そこにインディアンが襲ってきて必死に守るという、そういうスタイルですよね」(『昭和の劇;映画脚本家 笠原和夫』太田出版, 2002)

上映後、伝法院沿いの煮込み通りで酎ハイ片手にバカ話。東京の保護者たる私とサワコさんで、長野に岩波ホールならぬ千曲川ホール(時代劇専門館)を開きなさいとけしかける。まずはこういう手順でこことあそこに渡りをつけて、それからどこそこに話を持ちかけて…他人のことだから言いたい放題である。

つくばエキスプレスで秋葉原に出て駅前のメイド服のオネエサンを見物し、山手線で目黒に出てサワコさん御推薦の沖縄料理屋で飲む。オリオンビール、泡盛を飲み、ゴーヤチャンプル、ヒラヤーチ、ラフティー、豆腐よう、島らっきょうをつまみにふたたびバカ話で夜が更けた。

明るく陽気に行きましょう

月イチ開催の演藝研究會例会で、浅草演藝場に出かける。ここのところずっと新宿末廣亭かホールでの落語会だったので、浅草に来るのは実にひさしぶり。田原町で演藝研究會會長と落ち合い、演藝場近くの蕎麦屋で無駄話。最近は、仕事がだんだん厳しくなってきたなあという愚痴ばかりである(苦笑)。

演藝場に入るとたくさんの客が入っていて、舞台では国分健二が物真似漫談を繰り広げていた。高倉健の映画を観た後は、みんな健さんになりきってしまう、という使い古されたネタだが、いつ聴いてもおかしい。桂南なん〜三遊亭圓雀の落語に続いて、若手漫才コンビのナイツ登場。内海桂子師匠の弟子ということだが、正統派の型を守り乍らも実に面白い。テレビに氾濫する漫才もどきのエセ藝人よりはよっぽど良いな。ベテランの三遊亭茶楽が『宮戸川』を上品に演じて仲入り。

三遊亭遊吉〜春風亭美由紀(三味線漫談)に続いて、これまたベテランの神田松鯉(講談)が河内山宗春ネタを語る。いつも乍ら渋い声だなあ。この人の魅力は釈台にちょっともたれて、客席に近いところで語るところ。物理的な距離ということではなく、場末の釈場のような身近な距離感覚を醸し出すところだ。四角張っていないところが良い。小さな会場でじっくりと聴きたい藝人である。太鼓持ちの匂いを全身から発する桂歌春が、軽妙に『垂乳根』を演じて笑いを取ったあとで、いよいよ本日のお目当て、謎の藝人ぴろき(ギタレレ漫談)登場。

故東八郎門下ということだが、牧伸二のウクレレ漫談とはひと味もふた味も違う。牧伸二もあのくだけた雰囲気で、かつてはお茶の間の人気者だったが、あれはあれでよく見るとかなり強烈な藝人である。それでもラメ入りの派手なスーツとはいえ藝人としては正統派。それに比べて、派手なチェックのズボンに白いブラウス、丸い顔に丸眼鏡、髪の毛はピンヘッドのぴろきは、どう見ても奇妙奇天烈としか形容できない。

ギタレレ(ウクレレよりやや大きめのギター)を爪弾き乍ら、自虐的なネタをのんびりと語る。キメのフレーズは「明るく陽気に行きましょう〜♪」會長も「ぴろきは、浅草でウケルのかなあ…」と心配していたが、それでも最近はコアなファンがついているようで、客席でもぴろき目当てと思われる若い客がちらほら。出番が八時という、番組のなかでも良い時間帯に出させてもらえるということは、それなりにぴろきの藝がウケルと席亭が踏んでいるのだろう。

演藝場にぴろきの醸し出したゆるい空気が充満したあと、ベテランの三遊亭遊三がいつものように豪快に漫談を喋り、ボンボンブラザースが絶妙の至藝を披露し、本日のトリは桂幸丸。『野口英世物語』という新作を語って幕。だらだらと演藝場を後にして、浅草から地下鉄で上野に出て、アメ横近くのもつ鍋屋で反省会。

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »