2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »

2007年3月

遠回りについて考える

あいもかわらず電車のお噂であります(なぜか小沢昭一調)。

いつものようにのんべんだらりと電車を適当に乗り継いで、いつのまにか横須賀線の逗子に来ていたのでありますよ。まったくもう、なんで逗子まで来るかなあ、と内心あきれつつ、、、あきれるったって自分のことなんですが、、、あきれつつも小腹が空いてまいりました。

なにかないかなあ、と駅の売店を物色しておりましたら、ありましたよ「鯵の押し寿司弁当」。なんだかこれが食べたいという気持になりましたなァ。さっそくこれを買いまして、さてこれからあたくしは京急新逗子まで歩きました。すでに陽はとっぷりと暮れ、せっかく逗子まで来たのに海すら見えません。まあ、あたくしは海を見に来たわけじゃありません。電車に乗ってれば楽しいのですから、まったくもう中年鉄オヤジとは困ったものであります。

京急線といえばいまどき珍しい四人掛けクロスシート。あたくしはこのクロスシートというのが好きなんであります。二人掛けの席が向かい合わせになってて、こういう座席は旅情がありますなあ。あたくしもご多聞に漏れず、クロスシートで鯵の押し寿司弁当を広げて、ええ、もちろん隣にはだァれもおりません。かわいいお嬢さんもあだな年増もおりません。むさくるしいオヤジ独りなんでございます。まあそれでもつかのまの行楽気分を満喫、って夜の京急逗子線で行楽も何もないんでありますが。

あたくしはここから金沢八景まで行きまして、ここから横浜新都市交通シーサイドラインに乗ったんでございます。金沢八景からとぼとぼと歩いて、到着したのは実にもう殺風景な駅でありました。シーサイドラインと申しますのは、要するに、あの「ゆりかもめ」、浜松町から海の上を走ってお台場に行く、あの運転手がいない自動運転のアレですなァ。それにしても運転手がいない電車ってのは、ちょっと気持悪いですねェ。まあ鉄オヤジですからなんでもいいんでございます。 

このシーサイドラインというのは、ひたすら海の上や海岸べりを走ります。昼間なら車窓からの眺めもいいのでありましょうが、なにしろ夜です。景色もなにも、あったものじゃあございません。遠くのほうに、赤い灯青い灯がチラチラしておりまして、あそこらへんには楽しい歓楽の巷があるんだろうなあ、なんて俗なことを思いながら、がらーんとした車輌でぼんやりしておりました。

すると、どこかからハモニカの音色が聞こえてきたんでありますよ。車内放送でも、携帯電話の着メロでもありません。ハモニカです。んー? なんだなんだ? あたくしはキョロキョロいたしましたよ。音色の出所は隣の車輌でした。隣の車輌に乗ってるオジサンが、ハモニカをお吹きになっていたんであります。ほかに客はおりません。オジサンひとりです。

齢の頃なら七十前後でしょうか。恰幅の良い、まあ失礼ながら身綺麗なオジサンじゃァ、ありません。といって、浅草や北千住、隅田川の川べりなんかにお暮らしの、街角の紳士でもございません。見たところ、横浜港あたりで長年お働きになって赤銅色に日焼けしたような、ええ、そんな感じのオジサンでございます。

そのオジサンがハモニカを鳴らしていたんでありますよ。それも菅原都々子さんの大ヒット曲、あの『月がとっても青いから』なんであります。驚いたことに前奏から吹いているんであります。「チャンチャカ、チャンチャカ、チャラララランラン、チャンチャカチャンチャンチャン♪」実にこの、お上手なんですなあ、これが。

しばらく思わぬ独演会を楽しんでいたんですが、なにせ電車ですから、駅に停まるたびにオジサンは、いや巨匠は演奏をお止めになるんでございます。やっぱり、誰か同じ車輌に乗り込んできたら、こっ恥ずかしいんでしょうか。それでも時間帯が時間帯ですので巨匠のいる車輌には誰も乗ってきません。電車が発車すると、また演奏会は再開されるんでありますよ。巨匠は律儀にまた前奏から吹き始めるのでありますなあ、これが。

やがて巨匠は途中の駅で、ずだ袋背負ってハモニカをポッケに入れて、巨匠は電車を降りてゆかれました。巨匠の背中は、広くて大きくて、がっしりとしておりました。巨匠の背中に向かって、私は小さく拍手をいたしました。いよっ、巨匠! 

このあと私は『月がとっても青いから』を鼻唄で歌って終点まで乗りました、ハハハ。「月がとっても、青いからァ、遠回りして……私の人生、とっくに遠回りだァ!」というようなお話は、また明日のココロだァ。

Dsc01638

植木等のいない世界

植木等死去。合掌。
植木さんやクレージーキャッツのナンバーでは『だまって俺について来い』(そのうちなんとかなるだろう〜♪)が大好きでした。あの突き抜けるような明るさこそ、昭和という時代の輝きだったのではないだろうか。谷啓、犬塚弘、桜井センリのみなさんには、まだまだお元気でいてほしいものです。
ああ、明日から私たちは、植木等のいない世界を生きるのですね。

鉄道と私

車輌マニア、寝台車マニア、特急マニア、地下鉄マニア、蒸気機関車マニア、撮影マニア、録音(走行音・アナウンス)マニア、駅舎マニア、線路(廃線含む)マニア、乗車マニア、時刻表マニア、乗車券マニア、鉄道グッズ蒐集マニア、鉄道模型マニア、駅名標示板マニア、駅弁マニア、制服マニア、海外鉄道マニア…世にはさまざまな鉄道マニア(以下、鉄)が存在する。乗車マニアには、JR私鉄全線をすべてに乗ることを目指したり、なかにはすべての駅に降りることを目指すというつわものまでいる。先日はスイッチバックマニアのサイトを発見。ディープな世界だ。

思えば昔から鉄道や踏切が好きな子どもだった。とっくに廃止されてしまった新潟交通電鉄の路面電車にも郷愁を感じる世代だ。あの湘南カラーみたいな緑と黄色の車輌! ちなみに緑とオレンジの湘南カラー車輌も、3/18のダイヤ改正にともない東海道線から姿を消した。

子どもの頃、私は新潟平野の一角に住んでいた。遠くに羽越本線がまっすぐに走っており、夜中に目を覚ますと貨物列車の走る音が遠くから響いてきた。線路は遥か遠くにあるのに、あたりにはただ水田が広がっているだけで音を遮る建物がまったくない。ガタンゴトンというレールの音が、深夜の澄んだ空気を通して真っ暗な部屋のなかまで響いてきた。

北へ向かう貨物列車、南へ向かう貨物列車。あの貨物列車には何が積まれているのだろう。機関士はどこへ向かうのだろう。あの列車に乗れば明日の朝には何処へ着くのだろう。そこにはきっと私のような子どもがいて、朝焼けの信号所を通り過ぎる貨物列車を眺めているのだ。布団のなかの私は暗闇のなかにそんな光景を想像し、ガタンゴトンというレールの響きを聞き乍ら、いつしか眠ってしまうのであった。

私は時刻表を丹念に読んで鉄道に乗るのが好きな、いわゆる「乗り鉄」である。私の鉄行動を分析すると「時刻表を読み、乗車計画を立て、2つ以上の路線に乗ることを厳守し、魅力的な駅舎があれば見物し、余裕があれば駅弁を食べる」という点に集約される。これ以外の事象にはほとんど執着しない。また全国鉄道制覇などということも考えていない。せいぜい関東甲信越の鉄道路線を乗りつぶせばいいや、くらいなものだ。水木しげる風に言えば「なんと中途半端な野望であろう!」

私はローカル路線廃止最終運行だの、○○形車輌最終運行だの、そういうイベントにはほとんど行かないが、それでもときおり目にする一部のバカ鉄の行動にはいつも驚かされる。ローカル線の終焉を思い乍ら、あくまで「鉄的にはふつうに」乗車している人がほとんどだろう。しかしなかには度を越したバカ鉄が必ず存在する。

今回の鹿島鉄道騒ぎでも、撮影するために乗降を繰り返して発車を遅らせたり、どうみてもそこは個人の敷地内だろう、という場所で三脚を構えたりしていた。なかには駅員や乗客に注意されて逆ギレしたりするバカもいる。車輌のなかで三脚を立てるな、そこのバカ鉄! いやはや凄いものである。こういうバカ鉄は心ある鉄から思いきりバカにされている。

鉾田でタイ焼きを焼いていたオバサンは、陸続とやってくる鉄をさばくのに必死の形相だったが、そのオバサンに向かって「いつもより忙しいんですかあ?」「初めて来たんですけど、美味しいですねえ」などと、のんきに話しかけていく鉄には呆れた。オバサン忙しいんだってば。そういうときは黙って買って帰りなさいね。オバサンと会話したかったら廃線が決まる前に来なさいね。ただでさえ鉄は迷惑がられているんだから、静かに整然と乗車しようね。

鹿島鉄道の駅員さんたちも、度を越した鉄を迷惑に感じているのだろう。乗ってくれるのはありがたいけど、もう廃止は決まったことだし、それより沿線住民に迷惑がかかったり、思わぬ事故につながったりしないよう、きっと普段にもまして気を遣っていた。まあそれでも少しでも売り上げは上がるし、最後まで正常運行に努めようとしているのである。廃止の1ヶ月前でこの騒ぎだから、きっと最終運行日(3/31)はたいへんなことになりそうだ。

Dsc01624

オレンジカラーの中央線201系も引退の日が近い…(JR中野駅にて)


鹿島鉄道風景点描

石岡駅鹿島鉄道ホームの屋根がすばらしい。梁といい屋根板といい木組みの美しさに魅せられる。

Dsc01498_1

危険物持ち込み禁止の琺瑯看板。火薬、マッチはともかく「揮発油」というところが時代を感じさせる。

Dsc01490_1

くず入れもこのとおり。ペットボトルなんてものは存在しない。

Dsc01491_1

待合室のなかにある地元の酒造会社の看板だが、なぜ英文? 外人観光客にアピールしたかったのか。

Dsc01493_1

高圧2万ボルトはたしかに危険。こんなふうに具体的に書いてあると危険さが肌身に感じられる。科学の時代だったんだなあ。

Dsc01499_1

鉾田駅はいまでは半分しか機能していないようだ。現在の改札と窓口、事務所部分以外は倉庫になっているようで、正面向かって右側の小屋は、現在は鉄道模型展示ギャラリーになっている。

Dsc01523_1

駅舎正面右側の自動販売機設置スペースの裏には、かつての切符売場の窓口が隠れていた。二箇所の窓口が往時の賑わいを忍ばせている。

Dsc01528_1

Dsc01527

駅舎じたいは切妻屋根の伝統的な日本建築だが、駅の天井や窓枠、看板に白ペンキが塗られていて、アメリカっぽい感じがする。

Dsc01529

Dsc01539

STATION HOKOTA という英文が隠し味。そういえば茨城らしい荒涼とした平原風景も、なんとなくアメリカを思い起こさせる。

Dsc01530

香取乗換銚子行き

香取は成田線と鹿島線が分岐する駅なので、大きな駅を想像していたのだが、なんてことはない無人駅だった。さすがにホームは長大で広々としているが、駅舎は小さな貨車を改造して作られており、それはそれで味のある駅舎だ。

Dsc01559

乗り換え電車を待つ高校生が、ホームのあちこちで本を読んでいる。首都圏やターミナル駅では味わえないローカル線らしい風景に、こちらものんびりしてしまう。

Dsc01561

駅の周辺を30分ほどぶらぶらしているうちに13:43発銚子行きが入線してきた。

Dsc01562

この電車に乗り換えて14:33銚子着。車内に射し込むうららかな午後の陽光が心地よく、いつのまにか眠ってしまい、銚子に着いたら駅員に起されてしまった。

JR銚子駅ホームのはじっこにあるオランダ風車小屋みたいなのが、旅行雑誌などでもお馴染みの銚子電気鉄道乗り場。今日は週末ということもあり、たくさんの乗客が電車の到着を待っていた。

Dsc01563

到着したのは新しいデハ1002形だった。前回乗ったのは古いデハ800形だったのでちょっと残念。だってデハ1002形は床が木じゃないし。

Dsc01566

今日の目的は未乗車の犬吠〜外川間に乗ること。犬吠で多くの乗客が降りたあと、まもなく終点の外川に到着、さっそく駅舎を撮影する。うーん、すばらしいとしか言いようがないなあ。これで目的は達成されたので、すぐに折り返しの銚子行きに乗り込んで外川を後にする。

Dsc01567

ここで気が変わって銚子のひとつ手前の仲ノ町駅で下車し、銚子電鉄直営のぬれ煎餅を買う。時間が停まったような古い古い駅舎のなかに売場があり、そこでぬれ煎餅を買うのだが、駅の売店というよりは老舗の煎餅屋という雰囲気。そもそもここは駅舎というよりはまるで戦前の商家みたい。

Dsc01570

仲ノ町から銚子までの距離はわずか500メートル。歩いて行ける距離だ。JR銚子駅はいつのまにか改装されてきれいになっていたのでつまらない。季節はずれの日暮れどき、銚子駅前は閑散としていて土産物店のオバサンもヒマそうであった。

私はさっさとみどりの窓口で16:38発特急しおさい14号の切符を買い、売店でイシガミのぬれ煎餅とラベルが銚子電鉄のコップ酒を買う。車窓から夕暮れの田園風景を眺め乍ら、ぬれ煎餅をつまにコップ酒を飲み、良い気分でぼんやりする。そして特急しおさい14号は、夕暮れの田園地帯を快調に東京へ向かうのであった。

Dsc01574

JR成田線 香取〜銚子
  ↓
銚子電気鉄道 銚子〜外川
  ↓
JR総武本線 銚子〜東京

鉾田〜新鉾田経由

10:46に終点の鉾田到着。鉄たちはいっせいにホームに飛び出すと、車輌撮影のために走る、走る、走る! 駅では地元商店街のみなさんが出迎えてくれ、ついでに鉾田の農産物をお土産に手渡してくれる。旅の途中でミズナと漬物用メロンを貰ってしまった(ちなみにミズナは家に帰ってからパスタに散らしてみました。春パスタ)。鉾田駅舎は風格漂う木造で実にすばらしい。

Dsc01541

駅舎のなかにある立喰そば屋では名物タイ焼きを焼いている。せっかくなので私も天ぷらそばを食べ、名物タイ焼きを買って食べる。尻尾までアンコが詰まっている。焼き立てホカホカ、美味。

Dsc01535

タイ焼き担当のオバサンは、後から後からタイ焼きを買いにやってくる鉄の群れをさばくのに必死。気のせいか眉間にしわが寄っているぞ。料理の写真を載せてくれと言われたので撮影してみました。といってもタイ焼きと立ち喰いの天ぷらそばですが…

Dsc01534

石岡から乗って来た鉄の多くは、そのまま折り返しの10:53石岡行きに乗って鉾田を後にした。そして私はこれからどうしたかというと、鉾田市外にある鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の新鉾田まで向かったのである。鹿島鉄道の鉾田駅と鹿島臨海鉄道の新鉾田駅は、徒歩20分以上かかるほど離れているという。地理不案内だし、あまり時間もないので、駅前に停まっていたタクシーに乗った。

Dsc01522

運ちゃんは発車するなり「最近の週末はいっつもこんなんですよ(笑)、ふだんからこんだけ乗ってりゃあ、廃線になることもなかったのにネ(苦笑)」と朴訥な茨城訛りで話し出す。「廃線になると困るでしょう?」「うーん、そんなこともないですよ、今後はバスが走るってことだし、本数も多いそうだからねえ、そんなに困らないよネ、地元は」まあそんなものかも知れないな。

新鉾田までは初乗り料金で着いた。車だとすぐだが確かに歩くとけっこうな距離だ。新鉾田駅は味も素っ気もない高架駅舎。

Dsc01553

水戸からとことことやってきた12:04発1輛編成に乗って終点の鹿島神宮に到着。途中、鹿島サッカースタジアム駅を通過する。ここは鹿島アントラーズのゲームが開催されるときだけの臨時停車駅。

Dsc01558

鹿島神宮でJR成田線12:58発電車に乗り換えて香取へ向かう。

Dsc01555

潮来はいかにも水郷らしく電車は利根川をはじめ幾筋もの河川を渡る。森繁久彌主演の『雨情』(1957東京映画)でも、潮来の水郷風景がふんだんに映し出されていた。

鹿島臨海鉄道 新鉾田
  ↓
JR鹿島線鹿島神宮

鹿島鉄道から

上野8:30発フレッシュひたち9号に乗って茨城へ向かった。常磐線を北へひた走る車内で駅弁を食べ乍ら車窓を眺める……あれ? こないだも同じこと書いたような気が…? 

前回に引き続き、今回もフレッシュひたち9号に乗って茨城へ行ってきた。今回は鹿島鉄道に乗車するためである。ニュースでもご存じのように(鉄道好きしか知らないか)、石岡と鉾田を結ぶ関東私鉄ローカル線の鹿島鉄道が、4月1日をもって廃線になることが決まった。前回乗って来た関東私鉄ローカル線が実に面白かったので、せっかくだから鹿島鉄道にも乗ってみようと思ったのである。

E653系特急フレッシュひたちは全部で5色ある。前回乗った青緑色(グリーンレイク)は霞ヶ浦のイメージで、今回乗った黄色(イエロージョンキルというそうな。ジョンイルじゃないよ)は、海浜公園のスイセンをイメージしているとのこと。あと3色にうまいこと乗れるといいな。

Dsc01481

石岡で降りるとすでに鹿島鉄道発着ホームは予想通り賑わっている様子。はるかに長いJR線のホームのほうが閑散としている。跨線橋を渡って鹿島鉄道発着ホームに降りると、いるわいるわ鉄、鉄、鉄…鉄だらけ。まあ、私もそうだけどネ(苦笑)。いつものように乗りにきたお年寄りたちも、あまりの人の多さに吃驚している。

Dsc01489

オレンジラインのキハ431形とグリーンラインのキハ432形の2輛編成が入線してくると、鉄たちはいっせいに一眼レフやデジカメ、ハンディカムを構えて、撮る、撮る、撮る!

Dsc01496

車内はまるでラッシュアワーのような混雑ぶり、それでも気動車が走り出すとあちこちで撮影が始まる。先頭部分には筋金入りの鉄氏が、まるで獲物を追い詰める猟師のような気魄を放射し乍ら、始発から終点までビデオ撮影に没頭していた。もうひとりの鉄氏は先頭部分にどっかと座り込み、終点まで腕組みをし乍ら微動だにせず前方を見つめていた。きっと万感胸に迫るものがあるのだろう。

それにしてもなんと郷愁に満ち満ちた車輌だろう。1957年東急車輌製造というから当然か。なんといっても網棚が正真正銘の網。

Dsc01503

懐かしい木の床で、子どもの頃にタイムスリップしたような気がする。

Dsc01511

天井を見上げれば、かわいい扇風機が乗客を見下ろしている。

Dsc01510

全体的にこじんまりとした、なんともかわいらしい車輌ではないか。

Dsc01521

2輛編成気動車は常陸小川を過ぎると霞ヶ浦の岸辺を走る。初めて霞ヶ浦を見たけど大河のような大きさ。

鉄のみなさんはいろいろと都合があるらしく、途中駅で乗ったり降りたり忙しそうだ。よく見るとみんな「鹿島鉄道一日乗車券」を手にしている。この点、私はインチキ鉄なので、石岡から鉾田までの片道切符でただただ終点まで乗るだけである。

線路沿いのあちこちには大量の鉄が撮影のために待機しており、線路沿いの田んぼの畦や踏切附近に、カメラと三脚の花が咲き誇っていた。

Dsc01515

JR常磐線 上野〜石岡
  ↓
鹿島鉄道 石岡〜鉾田

鉄の伝承

電車に父親と小学校低学年の男の子が乗っていた。父親は年季の入った鉄で「ナントカ形のデザインが変更されちゃったのはつまらないね」と息子に語りかけている。鉄道好きの息子(まあ男の子はたいてい乗り物好きだが)は、専門用語がよくわからないようで「ナントカって? 何それ?」と父親に問い返す。父親は「車輌の前にある○○の部分が変更されちゃったんだよ」息子はますます???という表情。会話はこれでおしまい。

私はこの光景を見て思った。いまここで親から子へ鉄の伝承が行なわれている。子どもには専門用語など理解できない。それでも父親が発した「ナントカ形」「○○の部分」という言葉は記憶に残る。そしていつの日か、父親から聞いたあの言葉の意味がわかる日がくるのだ。

高校生の頃、私は数学が苦手だった。数学は嫌いではない。ただ時間内にこの問題を解く、というテクニックがなく、いつも赤点ばかり取っていた。ある日、数学の教師が「これは余談ですが…」と前置きして、ある証明問題を黒板に書き始めた。なんだかよくわからない高等数学の証明問題なので、みなポカンとして黒板を眺めている。そして教師は証明を終えると呟いた。「とても、美しい証明ですね…」

数学の証明が美しい、と感じられる教師の感性に、私は少なからず衝撃を受けた。わたしにはなんだかわからないものが世の中にはたくさんあり、そういうものを美しいと感じられる人がこの世にいると、知った瞬間であった。まあ、これで私が数学の成績があがったかというと、そんなことはなかったのだが…

ここには教育の原点があると思う。子どもに対して、すべてをわかりやすく教えることはしなくてもいい。わからないものはわからないし、わかる年齢、わかる時期というのがある。だから子どもに対して専門用語を駆使してでも言葉を浴びせかければいい。「難しいことをわかりやすく説明することはできない。難しいものはやはり難しいのである」という養老孟司の言葉どおり、人はなんでもわかろうとすると破綻するのである。換言すれば「人はなんでもわからせようとするから破綻する」とも言える。

いつの日か、この子は将来りっぱな鉄に成長するだろう。そして鉄の遺伝子は脈々と受け継がれてゆくのである。

Dsc00585


イイ顔してます

那珂湊の街を散策しているときに発見。

Dsc01460

福耳もいいけど、あごヒゲがいい味だしてます。
でも、これを食べていた牛や豚や鶏にしてみれば、そんなことはどうでもいいか。

こういうタバコ屋も少なくなりました。
ちゃんと「わかば」や「エコー」が置いてありましたよ。

Dsc01461

関東地方ローカル線の旅(3)

那珂湊から勝田に戻り、常磐線に乗り換えて友部から水戸線で下館まで行き、さらに関東鉄道常総線に乗り換えて終点の取手へ向かう。このまま勝田から常磐線に乗っていれば取手に着くのだが、敢えて関東鉄道常総線を完乗、つまり友部から西南方面にぐるっと迂回して常磐線に合流するというコースである。

さすがに疲れが出たようで、うとうとしているうちに電車は友部から水戸線に入り、ふと気がつくとあたりの景色は山里に変わっていた。このまま乗っていれば小山から佐野を経て、両毛線に接続して桐生、前橋、高崎に着く。いっそのこと小山で両毛線に乗り換えて佐野まで行き、佐野から東武佐野線終点の葛生まで行き、折り返して館林から久喜に出て、そのまま東武伊勢崎線で都心に戻ろうかとも考えた。または下館から真岡鐵道に乗るのもいいかなあ、とも考えたが、今日は初志貫徹ということにして、真岡鐵道は次回に譲ることとした。

下館で降りて、これまた駅のはじっこにある関東鉄道常総線乗り場に向かうと、新型車輌のキハ2200形がちんまりと短いホームに停まっていた。ここから一両編成の気動車に乗り終点の取手まで1時間半の旅だ。とはいえ下館〜水海道までは単線だが、水海道〜取手間が複線化されている。直通運転もあるが多くは水海道で車輌交換が行なわれ乗客も乗り換える。

Dsc01470

下館を出て太田郷、黒子、騰波ノ江を経て水海道で取手行きに乗り換えるが、ここで特筆すべきは騰波ノ江の駅舎だ。あまりの古さに風格すら漂っていて壮観。駅に停車したときにあまりの素晴らしさに呆然としてしまい、走り出した車窓から慌てて撮影したので変なアングルになっているが、その素晴らしさがお分かりになるだろうか? 調べてみたら1926年開業時の駅舎がほとんどそのまま残されているとのこと。さすが関東の駅百選に選ばれているだけのことはある。いやあこれだけでもわざわざ迂回しただけの価値はあった。

Dsc01473

このあたりからキハ2200形は平坦な関東平野をひた走る。下妻、水海道を過ぎて守谷のあたりから駅舎も立派になってゆく。下妻で上りと下りがすれ違う。駅舎も格段に立派?で乗降客も比較的多い。

Dsc01474

水海道で2両編成に乗り換えふたたび取手に向かって走り出す。守谷は首都圏新都市鉄道(つくばエクスプレス)との乗り換え駅なので立派だった。戸頭あたりから周囲の風景も住宅街に変わってゆく。下館〜水海道間は駅も沿線風景もローカル色濃厚だが、水海道〜取手間は新興住宅地が目立つ。やがてキハ2200形は終点の取手に到着し常磐線に乗り換える。おお、ホームの端には東京メトロ千代田線代々木上原行きが停まっているではないか。ここはもう東京への通勤圏なのでローカル気分はきれいさっぱり無くなった。常磐線で金町まで行きここで京成金町線に乗り換える。

Dsc01478

京成金町線は京成金町、柴又、京成高砂のわずか3駅しかない短い路線。京成高砂で京成押上線に乗り換え、地下鉄を乗り継いで帰宅。最寄りの駅に降りたときにはちょうど午後の7時過ぎ。所要12時間の関東地方ローカル線の旅でありました。(完)

★今回乗りつぶした路線
JR常磐線 上野〜勝田  茨城交通湊線 勝田〜阿字ケ浦
JR水戸線 友部〜下館  関東鉄道常総線 下館〜取手
京成金町線 京成金町〜京成高砂

関東地方ローカル線の旅(2)

那珂湊を発車した気動車は殿山、平磯、磯崎を経て終点の阿字ヶ浦に到着。終点の阿字ヶ浦は静かな駅。いい具合に古ぼけてなんともいえぬ味わいがある。

Dsc01450

とはいえ阿字ヶ浦で降りてもすることはない。ちょっと歩けば砂浜があって、夏は海水浴客で賑わうそうだが、めんどくさいから行かない。ホームのはじっこに古ぼけた車輌が放置されていた。海水浴シーズンには更衣室になるらしい…ここで着替えるのか?

Dsc01453

ここで鉄オヤジたちは全員下車し、海岸に上陸した某国特殊工作員のように、それぞれ迅速に行動を開始した。気動車の写真を撮りまくる、ホーム周辺の写真を撮りまくる、駅舎の隅から隅まで写真を撮りまくる、何やらを熱心にメモする、足早に海の方向へ去って行く……車内でも異様な熱意を発散していた小太りの鉄氏がいたが、彼は見た目にも顔を紅潮させ、せわしなく木造駅舎の写真を撮りまくり、放置車輌を撮りまくり、何を思ったか突然走り出して林の奥に消えていった。きっと特別任務をおびているのだろう。そして暫くのあいだゆっくりとした時間が流れ、発車時刻が近づいてくると、特殊工作員はひとり残らず阿字ヶ浦駅に戻ってくるのであった。

10:44に阿字ヶ浦を発車した気動車は那珂湊に到着。ここで降りてまずは駅舎探訪。古い木造の建物で屋根が高くて広々とした良い駅舎である。

Dsc01459

ここは湊線のターミナル駅(といってもささやかだが)なので、他の駅に比べて駅前は格段に賑わっている。かつては貨物線の停まる駅だったのか、ホームも天井が高く開放感が感じられる。なんとなく台湾鉄道の駅を彷彿とさせるが、戦前の駅というのはこんな感じだったのだろうか。

Dsc01466

裏通りを歩いて暫く行くと海が見えてきた。魚市場があって観光客で賑わっており、観光バスも停まっていた。市場らしい大量の海産物を眺めているうちに腹が減ってきた。そろそろここらで昼飯にしようと、適当な食堂に入って刺身定食を食べる。マグロ、スズキ、アジ、イカなどの刺身がテンコ盛り、大振りのお椀にアサリたっぷりの潮汁がついて、これで1500円は絶対に安い。しかも美味しい。お腹いっぱいである。

満足して那珂湊駅に戻り、窓口で記念乗車券と復刻版時刻表、茨城交通チョロQ、そして駅名キーホルダーを購入。駅名キーホルダーは『殿山』にした。もちろん私が敬愛する役者、殿山泰司にあやかってのことである。ふつうは那珂湊あたりにするのだろうけどね。ウチの近所で茨城交通駅名キーホルダー、しかも『殿山』を持っているやつは、それほど多くはいないだろう。

Dsc01456

それにしても茨城交通湊線は相当なローカル線である。最新型のキハ3710形には車内の電子掲示板で次の駅名を表示させる機能がついている。ところが阿字ヶ浦から折り返してきた勝田行き上り電車に乗ったら、駅名表示の切り替えを忘れていたようで、下り電車の駅名表示順のままになっていた。運転手も忘れているが乗客も誰ひとり気にしてない。ということはあってもなくてもいいのである。

阿字ヶ浦の乗車券売場でこんな貼紙を発見した。新千円札が使えないのはご愛嬌だが、新500円玉が使えないのはさすがに珍しいかも。しかも乗務員に申し出れば旧札に交換してくれるそうだ。さすがに今じゃそんなことはないだろうが吃驚である。

Dsc01449

殿山を過ぎて那珂湊に近づくと線路は大きくカーブするので気動車は徐行運転になる。突然視界に白いものが横切った。よく見ると、白い猫が徐行運転の気動車を追い抜いて、線路を横切って隣の家の露地に消えていった。徐行運転にもほどがある。ついでにいえば車内にゴミ箱が設置されていた。まったくローカル線にもほどがある(笑)

Dsc01467

茨城交通湊線は主力車輌のキハ3710形が走っているが、たまにキハ22形を走らせて鉄道ファンにアピールしている。かつてはあちこちの路線から、払い下げになったキハ20形気動車をかき集めていたそうだが、さすがにいまではそれもままならず、新製車輌のキハ3710形が主力になっている。それでも駅舎といい沿線風景といい、典型的なローカル線の雰囲気が濃密な茨城交通湊線であった。(まだ続く)

関東地方ローカル線の旅(1)

上野8:30発フレッシュひたち9号に乗って茨城へ向かった。

Dsc01440

常磐線を北へひた走る車内で駅弁を食べ乍ら車窓を眺める。柏、土浦、石岡、友部、水戸を経て終点の勝田に到着するのだが、2月24日から3月17日の土曜と休日は、梅林で有名な偕楽園に臨時停車することになっていて、時刻表にも(臨)と書いてある。この列車もちゃんと偕楽園に臨時停車してほとんどの乗客が降りていった。次の水戸でも人が降りてゆき、どうやら勝田までの乗客はほんのわずからしい。

で、私は勝田まで何をしに来たのかというと、勝田と阿字ヶ浦を結ぶ、超ローカル線の茨城交通湊線に乗りに来たのである。なにしろあまりの赤字路線なので、近いうちに廃線となる可能性濃厚と噂されているくらいだ。

フレッシュひたち9号の勝田駅到着予定時刻は9:57なのだが、今日は偕楽園に臨時停車するため、結局10:00になってしまった。茨城交通湊線は10:00発車なので当然間に合わない。しょうがないからまずは乗り場を確認しようと、駅のはじっこにある湊線乗り場を目指す。跨線橋を渡って1番ホームに降りると目の前に小さな小さな小屋があった。これが湊線の改札。そして更に視線を伸ばすと、なんとキハ3710形が停車しており、しかも駅員が私に向かって手を振っているではないか。
「乗るんでしょ? もう出ますから早く乗ってください!」
慌てて駆け足で改札を抜けて、ホームに停まっている1両きりのキハ3710形に飛び乗った。まさか見透かされているとは…ああ吃驚した。

Dsc01469

冷静に考えてみると、いつもなら乗り換えができる時間があるのに、いまは臨時ダイヤなのでギリギリになる。しかしこのローカル線を目指してくる酔狂な客は必ずいるので、駅員もそれなりに注意して観察しているということか。少しくらい運行が遅れてもどうってことないし、1人でも多く旅客運賃を稼ぐにこしたことはないのだろう。それにしてものっけから妙なことになってしまった(苦笑)。

Dsc01468

落ちついて車内を見渡すと私以外に10人ほどの客が乗っている。しかもよくよく見ると地元感が希薄で、すぐに(ああ、こいつらみんな鉄だな…)と納得。全員が男性でしかも若者はひとりもいなくて、みんな40代以上のオジサンばっかりだ。揃ってジャンパーにリュックサック、ウォーキングシューズを履いてデジカメや一眼レフを隠し持っている。せっかくの休みだというのに他に行くところはないのかね? しかも走行中の車輌をウロウロし、写真を撮りまくり、時刻表を眺め何やらメモをしている。まったくもって笑止千万。

70歳オーバーと思われるジイサンがいたので、このジイサンは沿線住民かな?と思っていたら、おもむろにリュックから鉄道マニアの必需品『JTB時刻表』(しかも大判)を取り出した。鉄ジジイだっ!  ひとりだけ沿線住民らしい若い女の子がいたが、もう慣れっこになっているようで、車内の鉄オヤジの群れを完全に無視していた。

Dsc01445
全員が進行方向を向いていることに注目(笑)

勝田を出発した気動車(ディーゼルカー)はすぐに日工前に停車する。駅舎というにはあんまりな仮小屋があるだけの駅。日工前はもともと日立工機の工場で働く従業員のための駅。JR鶴見線の海芝浦駅みたいなもんだな。当然今日ここで乗降する客は皆無。だいたい歩いても行ける距離だし。 気動車は日工前を過ぎて金上、中根を経て那珂湊に着き、すれ違いのために気動車はここで数分間停車する。那珂湊は上りと下りがすれ違う複線区間で、駅もちゃんとしていて興味深い。後で降りてみよう。停車中にホームから車輌区を眺めると、ふるぼけた車輌数台が停まっていた。もう現役を退いてスクラップ目前の車輌もある。壮観。(続く)

Dsc01457

« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »