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2007年1月

新宿は、良い街だなあ

今日も夕方からふらふらと新宿に出かけ、紀伊國屋書店本店に入っている帝都無線で落語のCDを購う。

古今亭志ん朝『三軒長屋/羽織の遊び』『井戸の茶碗/今戸の狐』
柳家喜多八『二番煎じ/将棋の殿様』
三遊亭圓丈『月のじゃがりこ/肥辰一代記』
快楽亭ブラック『野ざらし/朝鮮人の恩返し』

古典から新作、古今亭志ん朝から快楽亭ブラックまで、われ乍ら良いチョイス(笑) 勢いづいて書籍売場に行く。

溝口肇『仕事師たちの平成裏起業』
鈴木洋史『百年目の帰郷』
国分隼人『将軍様の鉄道:北朝鮮鉄道事情』

なかなか面白そうな本ばかりだが、なかでも『将軍様の鉄道』が刺激的。中国東北地区(旧満洲)と朝鮮半島の鉄道はほとんどが日本統治時代に整備された。だから線路から駅舎、施設まで、場合によっては車輌(機関車など)までが現役ということが珍しくない。

20年前の中国東北地区でもかつて都内を走っていた路面電車が現役だった。しかも北朝鮮である。最新型の特急列車や自動改札はあるのか? Suica やオレンジカード、駅ナカに立ち食いソバ、駅弁は売られているのか? うーん、朝鮮半島ウォッチャーとしては見逃せない一冊だ。

最近はいろいろなところで Suica が使える。JR新宿駅構内の BOOK GARDEN で、北尾トロ『危ないお仕事!』を購い、初めて Suica で支払ってみたのだが、ちょっと感動した。

気分はもう人形町

土曜日の夕方、演藝研究会会長と新宿駅で待ち合わせ甲州街道沿いの増田屋で蕎麦を手繰る。新年の挨拶もそこそこに少子高齢化時代における大学問題について語り、その後、新宿末廣亭にて第1回演藝研究會活動をおこなう。早い話が寄席で落語を聴くだけなのだが。

神田陽子の講談が終わり、続いてWモアモアの軽妙な漫才、桂伸乃介(落語)、仲入り前はベテラン橘ノ圓で『近日息子』。圓はまるで長屋の火鉢みたいな雰囲気の噺家。あまりの渋さと地味さがかえっておかしい。仲入り後は春風亭柳太郎、やなぎ南玉(曲独楽)、三遊亭遊三と続き、落語藝術協会(藝協)らしいゆる〜い雰囲気が漂う。會長曰く「これこれ、このゆるさが藝協なんだよ」

いつものように派手な羽織りの古今亭寿輔が十年一日のごとき陰気な漫談で客いじり。膝替わりは色物界のアイドル桧山うめ吉(俗曲)、最近は本を出したりCDを出したりして一部では有名。お人形のような若くてきれいなお嬢さん。あまりにもゆる〜い本日の番組のなかで観ると、その華やかさがいちだんと際立つ(笑)。

「うめ吉、かわいいなあ〜、まるで掃溜めの鶴だネ」
「まあ、あと十年もたてば(三遊亭)小圓歌みたいになっちゃうんだよな(笑)」

トリはベテランの三遊亭圓輔で『野ざらし』を一席。マクラで「この噺はサゲ(落ち)があまりにもわかりにくいので…」と、最初に説明してから噺に入る。まあたしかにきちんと本来のサゲまで演じるのは珍しいかも。

長屋の浪人が向島に釣りに出かけたら骨(しゃれこうべ)を見つけた。手向けにと酒をかけて回向したところ、その夜、きれいな娘がお礼に現れた。それを聞いた隣家の八五郎、さっそくオレも骨をみつけて供養して、ぜひきれいな娘に会いたいと向島に飛んでいく。もとより釣りなど知らぬ八五郎、釣り人を蹴散らして大騒ぎ。ようやく見つけた骨に持参の酒をかけて「今晩よろしくお願いします」と家に帰った。ところが……

圓輔の演じた『野ざらし』はたぶん師匠(四代目三遊亭圓馬)から教わった型どおりなのだろう。SP盤で聞く戦前の落語のような、『ラジオ深夜便』で放送されるかつての名人の落語のような、まるで今は無き人形町末廣で落語を聴いているような気分になる。たぶんこういう高座はいまの若手・中堅には絶対できない。ある意味貴重な高座を聴けたと思う。

長野 ⇒ 東京

早朝の長野駅から軽井沢へ向かう。早朝の長野はさすがにキリリと寒い。千曲川さんは「今年は暖かいです」と言っていたがやはり他県の人間としては寒い。

7:02長野発しなの鉄道小諸行きに乗り、長野駅で買ったサンドイッチを食べる。正月早朝のしなの鉄道だがそれなりに乗客はいる。昨年は車窓から雪景色が見えたのだが、今年は雪などほとんど積もっていない。

安茂里、川中島、今井、篠ノ井、屋代、戸倉、坂城…すっかり耳に馴染んだ駅名だ。列車は8:02に小諸に着き8:10発軽井沢行きに乗り換える。このあたりからは御代田、信濃追分、北軽井沢と冬枯れの高原風景が続く。

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8:34軽井沢着。シーズンオフの軽井沢駅前は早朝であり閑散として寂しいことこのうえない。さすがに軽井沢まで来ると寒さもひとしお。橋上駅舎のデッキから眺めると山々はところどころ白くなっている。それでも雪は少ない。

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かつて軽井沢〜横川間は信越本線が走っていたのだが、長野新幹線開業のともない在来線は廃止されてしまった。今はJRバスが軽井沢〜横川間を運行している。なかなか来ないバスを待っているあいだに身体が凍えきってしまうが、ようやくやって来たバスに乗り込んで座席に座ってほっとひといき。

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バスは9:10に定刻発車。碓氷峠をくねくねと曲がって越える。群馬県側に出ると晴れ間が見えてきてあっという間に晴天になった。途中、女性客が「あー、サルがいる!」と歓声をあげる。見ると待避所に停車した車の周りにニホンザルが群がっていて、運転手が車に乗ったまま餌を与えていた。

「あんなことするからサルが人里にまでやってくるんだよ、サルにとってもよくないことなので、ああいうことはしないでくださいね」バスの運転手はさも迷惑だというように乗客に向けてアナウンスをした。

バスは峠を降り定刻より早くJR横川駅に着いたので、高崎行きが出るまで十数分の余裕ができた。そして横川に来たら峠の釜めしを買わねばならぬ。「釜めし釜めし」と叫び乍ら意気揚々と閑散としたホームの端に行ってみると、みごとに軽井沢方面のレールが撤去されており、かつての信越本線横川駅がただの盲腸線の終着駅になっていた。哀れなものである。それでも峠の釜めし元祖おぎのや本舗はしっかりと釜めしを売ってくれた。早い時間だったせいか詰めたてホカホカであった。

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ひさしぶりに来た横川駅舎は木造の柱や梁が鄙びた感じで雰囲気満点。9:55横川発信越本線高崎行きに乗り発車してから釜めしを食べる。ホカホカなので実に美味しい。西松井田、松井田、磯部、安中と過ぎて乗客が少しづつ増えてくる。高崎に遊びにいくのだろう、典型的な北関東のヤンキー少年たちは元気いっぱい。

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10:26高崎着。ここで10:34高崎発八高線高麗川行きに乗り換える。さすがに疲れが出て倉賀野、北藤岡を過ぎたあたりからうとうとと眠り、目がさめると小川の手前だった。このへんは東武東上線が走っているため東京に近づいてきた気分になる。

11:58高麗川着。さらにこのへんまで来ると東武越生線、JR川越線が走っているので旅情もすっかり薄れてしまう。12:09高麗川発八高線八王子行きが入線してきたときは決定的。八王子……すっかり日常に戻ってしまった。

高麗川〜東飯能間は単線が雑木林のなかを走る。なかなか良い雰囲気。12:15東飯能着。ここから西武線を乗り継ぎ友人宅へ向かう。それにしても西武線は錯綜していてまごついてしまう。乗り馴れていないせいもあるのだろうが、どの列車にどこで乗り換えたらいいのかよくわからない。旅先で聞く駅名よりも都内なのに耳馴染まない駅名。東武線とともに西武線は私にとって未知なる路線だ。


……鉄道は私に、「移動」という冒険をさせてくれます。しかしそれは全く先の見えない冒険ではない。行きつく先は絶対に駅で、走るのは絶対に線路の上。知らない駅から鉄道に乗る度に覚える、「冒険をしているのだ」という不安感と、駅と線路とが必ず与えてくれる安心感。両者を同時に得ることができるが故に、鉄道は魅力的なのです。(中略)鉄道は全てを自由にさせてくれるわけではありません。ダイヤは決まっているので、車のようにいつでも出発できるわけではない。レールの上しか走れないし、駅でしか乗降することができない。鉄道側に決められたことには乗る側が絶対に従わなければならないところも、「何でも自由」な今を生きる者にとってはかえって新鮮……(酒井順子『女子と鉄道』)

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今回も昨年に引き続きローカル線乗り継ぎの独り旅だった。ローカル線に乗るのは楽しい、各駅停車は楽しい、ということを改めて感じた独り旅。酒井氏の書くように私が鉄道に求めるものは“安心感”なんだろう。

かつて少年だった頃、私は“自由”に憧れていた。親からも家からも田舎からも遠く離れて、何でも独りでやって生きていくことに憧れていた。しばらくのあいだ独りで“自由”に生きてきたつもりだったが、最近はいささか“自由”に疲れてきたのかもしれない。これが“老い”というものであろうか。

私が車に乗らない(たまに運転はするが)のは、どこに行くのも自分で運転しなければならないのが面倒くさいからでもある。そのかわり鉄道は乗れば必ず目的地に行ける。そのうえ乗り換えという“自由”もある。“決められたレール”などというとマイナスイメージに偏りがちだが、決められたレール以外の人生を生きることは、強靱な意志が不可欠なので、私のようなイイカゲンな人間にとっては、かえってローカル線に揺られているほうがいいのかもしれない。

土日にもうひとつ休みをつけ足して三日もあればそれなりに独り旅が楽しめる。私は“鉄”でいえば“乗り鉄”のようなものなので、列車に乗っていればそれで満足。時刻表をひねくりまわして乗り換えや接続を調べ、それが正しいことを確認してニンマリしている独り旅。

リュックサックを網棚に乗せ、クロスシートに身を沈め、コップ酒をちびちび飲み乍らぼんやりと車窓を眺める快楽。私にとってはそれで満足、満足。同行者も話相手もいないけど、そういうことを犠牲にしてこその独り旅……単なるひとづきあいの苦手な偏屈オヤジだナ(苦笑)


柏崎 ⇒ 長野

「今年は雪が無いからスキー場もたいへんだろうねえ、どちらまで行きなさるの? 長野! あらー、あたしも連れてってほしいわあ(笑)、毎年戸隠に行くんですよ、友だちがいるからね……昨日は天気悪かったけど今日は晴れ間があるからよかった、昨日乗られたお客さん、老夫婦でいらしたけど、半日貸しきりで柏崎近辺を案内してくれってんですよ、観光案内は慣れてるんだけど、それでも半日も狭い車のなかであそこはどうだここはどうだっても、いやあくたびれてねえ(笑)、正月だからあちこちの施設が休みなんですよ、まあそれでも喜んでくれたようでよかったですけどね……『柏崎トルコ文化村』ですか? ああ、あれは潰れました、だいたいあんなもんやってけるわけないですよ、あんときの市長がバカだったんだね、無駄なもん作ってさあ(笑)

青海川駅前でオバチャンに礼を言ってタクシーを降りた。駅前といってもふるぼけた電話ボックスがあるだけであとはなーんにも無い。当然だが無人駅で、しかも正月の午後という時間帯のせいか誰もいない。 青海川駅の柏崎方面行きホームは海岸の真上にある。海に注ぐ細い川が谷間になって両側は高い崖になっていて、その川に沿って十数軒の民家が、谷間の底に沈み込むように並んでいる。はるか上には赤い橋桁の大きな鉄橋がかかっていて、主要幹線道路となっているようだ。このあたりまで降りてくるのは、ほとんどがこの家々の住民なのであろう。

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乗降客のほとんどは最寄りの住民で、夏には海水浴客と釣り人、それ以外は鉄ちゃんと、そして私のようなローカル線好きだと思われる。待合室を兼ねた駅舎からホームに出て、感動するくらい古ぼけた跨線橋を渡って柏崎方面ホームに降りる。曇天、みぞれ混じりの小雨、シベリアから吹いてくる耳の切れそうな寒風、日本海の荒波の飛沫が塩っぱい。いま青海川駅にいるのは私ひとりきり。ホームの端から端まで思う存分歩き回り青海川駅を堪能する。

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ホームの端から線路沿いに下り、海岸べりを歩き崖の下で冬の日本海を眺めていると、風に乗って子どもの笑い声が聞こえてきたのでギョッとする。慌てて辺りを見回しても誰もいない。ただ荒涼とした風景が広がっているだけ。また聞こえる。だんだん近づいてくる。さては妖怪「児泣き爺」か、と思ってキョロキョロしていると、崖の上から降りてくる細い道があるようで、若い父親と幼い女の子がふたりの姿が見えてきた。きっと谷間の家の住民なのだろう。

しかし田舎の子どもというのは純朴なものである。リュックを背負った怪しい中年オヤジを見つけたふたりは、元気良く「おじちゃん、こんにちわ!」と満面の笑顔で挨拶をしてくれた。後ろで若い父親が照れくさそうに俯いている。私も笑顔で「こんにちわ!」と挨拶を返す。この寒風のなか幼い女の子ふたりは元気良くスキップしながら去って行った。

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さすがに寒さに嫌気がさしてきた頃、ようやく入線してきた15:27青海川発信越本線直江津行きに乗る。土底浜、犀潟あたりから晴れてきて柔らかい西日が射してきた。なかなか奇蹟的な光景である。なにしろ冬の新潟だからね。16:02直江津着。長野行きに乗り換えるまで30分ほど時間があるので、名物の鱈めしを買おうと弁当売場を探す。夕方なので駅弁も残り少なくなっていて、見るからに旅行者である私を見つけた売り子のおばちゃんは「鱈めしはこれが最後ですよー」と迫る。もちろん購入。

16:38直江津発。高田、新井と名だたる豪雪地帯も駅の周りにほとんど雪が無い。今年は暖冬なんだなあ。といっても油断は禁物。旧正月から二月にかけて雪は突然降り始めるのである。車窓はだんだん暗くなっていく。そして今日ふたつめの目的地であるニ本木に17:12到着。暗闇のなか列車はゆっくりと停車し「ゴットン!」と車体を震わせてから逆方向に戻りはじめる。

おお、スイッチバックだ! いまや数少ないスイッチバックの駅がここニ本木なのだ。いやあスイッチバックっていいなあ、ワクワクするなあ。願わくは夜ではなく昼間に通りたかった。次回の宿題としよう。満足して鱈めしの包みを開いて食べる。甘辛く煮付けた鱈の干物、焼き鱈子、きりきりと辛いわさび漬けがアクセントになって実に美味しい駅弁。

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妙高高原を過ぎて列車は長野県に入る。黒姫、古間、牟礼、豊野、三才、北長野を経て列車は18:17長野着。ビジネスホテルに荷物を放り込み、千曲川さんと落ち合って新年会。宴たけなわの真っ最中に「ながでん(長野電鉄)……乗りますか?」というので、勘定もそこそこに夜の長野電鉄に乗りに行く。なにも夜まで電車に乗るこたあない…それでも桐原の駅舎がすばらしく古ぼけていて大満足だった。

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新潟 ⇒ 柏崎

午前中に新潟駅到着。新潟市は政令指定都市に昇格したので、市民が慣れ親しんだこの駅舎も建て替えるという話である。それにしても、なりふりかまわぬ市町村合併で政令指定都市になっても、行政区の半分が田んぼじゃねえか(笑)わが故郷乍らバカじゃないの、と思ってしまう。もちろん地元民も同じだ。忠犬タマ公(県民でも知る人は少ない)の像もまた別な場所に移されているが、まあそんなことはどうでもいい。

11:40発越後線吉田行きに乗車して吉田へ向かう。越後線は新潟市の下町をのろのろと走る。最初は海岸に近い地域を走るので、沿線風景は砂地と松林と下町。私が小学生の頃、北朝鮮の拉致工作員はこのへんに出没していたのだ。新潟で買った鮭の焼漬弁当を食べようと思うが、この列車はロングシートなので食べにくい。しかも白山、関屋、小針、寺尾といった住宅地を通るので、私以外は年始回りの乗客がほとんどのようだ。しかたないから吉田で乗り換えたあとにしようと思う。

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12:31に吉田着。ここは東三条と弥彦を結ぶ弥彦線の乗り換え駅で、競輪開催日と年末年始の弥彦神社参詣でそれなりに重要な路線。この列車は吉田止まりなので柏崎行きに乗り換える。向い側の番線に停車している12:38柏崎行き列車はクロスシートだった。乗客もまばらな列車のなかで鮭の焼漬弁当を食べる。美味。妙法寺、出雲崎、小木ノ城あたりから車窓の風景がどんどん鄙びてくる。このあたりは海沿いであり乍ら里山の風情が漂っている。礼拝(らいはい)という駅があるのだが、この駅名を聞くたびに敬虔な信者が祈っている姿が浮ぶ。

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冬の新潟らしい曇天のもと列車は凄絶な冬枯れの景色のなかを走る。13:45柏崎着。

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柏崎は母の実家があった街で、祖母が亡くなったときに訪れて以来である。といっても私がまだ小学校にもあがっていない頃なのでほとんど記憶はない。とりあえず閑散とした冬枯れの柏崎駅前を散策。そういえば柏崎トルコ文化村はどうなったんだろう。

柏崎トルコ文化村は新潟ロシア村(すでに閉鎖)と並ぶ新潟へっぽこテーマパーク。同郷の友人によれば「まだ潰れたとは聞いてないから、あるんじゃないですか?」ということだ。そんなことを考え乍らうろうろしていたら、中近東の顔だちをした男性が乳飲み子を抱いた日本人の女性といっしょに歩いていた。おお、柏崎にトルコ人がいる! ということは…まだ柏崎トルコ文化村は存続しているのか? 

今日の目的地のひとつは柏崎から信越本線でふたつめの駅・青海川である。ここは“日本一、海に近い駅”として有名。海に近い駅はいくらもあるのだが……鶴見線の海芝浦は駅舎が海の上……この青海川のホームから眺める日本海、というロケーションが抜群なのである。

ところが次の直江津行きは15:20なのでだいぶ時間があるうえに、途中下車すると青海川で次の列車を1時間ほど待たなくてはならない。しかしそれではこれから先の旅程が狂ってしまう。少し考えてからタクシーで青海川に先乗りして15:27青海川発に乗ることに決めた。どれくらいかかるか知らないが30分はかからないだろう。それなら青海川に30分ほど滞在できるうえに、この列車は15:20に柏崎を発車するので予定通り直江津に着ける。

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駅前に停まっていたタクシーの運転手に「青海川の駅までどれくらいかかりますか?」と尋ねる。
「青海川ですか、うーん、3000円は出ちゃうねえ」
「いえ、時間なんですけど…」
「あ、時間…そうねえ、20分くらいかねえ…」
運転手は年輩の女性だった。こんな客は少なくないのだろう。対応も手慣れたものである。

予定が立ったのでタクシーに乗り込み青海川に向かう。私の祖母が柏崎にいたこと、35年ぶりで訪れたこと、海が見える場所に祖母の家があったことなどを話すと、運転手は気を効かせて「それじゃあ海が見える道を走ろうかね、どうせこれが今日最後の仕事だわあ、もうヒマでヒマで(笑)」といって、バイパスを避け昔からの住宅街に向けてハンドルを切った。

漁師町らしい風情の家々が立ち並ぶ、曲がりくねった道を暫く走ると、ぱあっと視界が開けて冬の日本海が見えた。その瞬間、記憶の底から幼い頃に見たであろう夏の日本海の映像が甦る。今となってはよくわからないが、たぶん祖母の家の近くから見た風景なのだろう。ギラギラと輝く夏の太陽と、青黒い夏の日本海、茶色っぽい砂浜と賑やかな浜辺の風景。何かの記憶が混在しているのかもしれないが、私はとても懐かしい気持になったまま、眼前に広がる鉛色の冬の日本海を見つめていた。

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仄暗い水の底から

正月休みに京浜運河のあたりを散策したときのスナップである。

運河の水底に沈むこの物体は何か?
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そうです。麻雀牌のセットです。
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ちゃんと点棒まで揃っている。なぜこんなところにこんなものが?

「ケッ、身ぐるみ剥がされちまったぜ…この麻雀牌を手に入れてからロクなことがない…こんなゲンの悪い牌なんか捨てちまおう…(ドボン!)…ああ、せいせいした。あ、そうだ、明日から弥彦競輪だ…今夜の夜行で都落ちと洒落込むか(苦笑)…」

なんかそんなドラマがありそうななさそうな、ほんにおまえは屁のような……

良いものもある、悪いものもある

正月休みが終わり仕事が始まったとたん、休み前と同じテンションで仕事がやってきた。昔ふうにいえばひとつ歳をとったわけで、どっと疲れが出て毎日クタクタになるのだが、これがなかなか残業回避も難しく、まったく困ったものである。体調不良につき週末はぼんやり過ごす。

先日は早めに仕事を切り上げて、帰りにふらりとHMVに立ち寄り、何を思ったかYMOの『増殖』を買ってしまう。そういえばアナログ盤は25センチLPだったっけ。よくよくクレジットを眺めてみるとこれは1980年の作品だった。なんともう27年も経ってしまったのか。このアルバムでシャープなギターを聴かせる大村憲司もこの世からアデュウしてしまった。嗚呼、無常。

「NICE AGE」「TIGHTEN UP」(名演♪)「CITIZENS OF SCIENCE」、、、スネークマンショーのショートコント、大平総理や林家三平という時事ネタもあるけど、ナンセンスな「若いやまびこ」や「警察だ!」というネタは、相変わらず可笑しくて笑ってしまう。そうだよなあ、、、良いものもあるし、悪いものもあるんだよ。ナンダカワカンナイけどそれは真理だネ。

1980年代…呑気だけど刺激的な良い時代だったなあ…(遠い目をする)

世界遺産登録申請中(仮)

正月、帰京する途中で長野に寄って千曲川さんと新年会をした。
その夜、千曲川さんに案内してもらった長野電鉄桐原駅がとても素敵だった。
しかし夜だったのでうまく撮影ができず、後日写真を送ってくれと頼んだら、さっそく送ってきてくれた。

なんとも言えずいい佇まいの駅舎
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木の柱と琺瑯のプレートがいい感じ
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実に味のある待合室
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まるで『三丁目の夕日』みたいな風景
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窓口で長野電鉄1000系ゆけむり号携帯ストラップを買ったのだが、そのときにいらした年輩の駅員さんに「初めて来たんですが、実に良い駅舎ですねえ、感激しました」と声をかけた。

すると駅員さんは照れくさそうに「いやあ、ただ古いだけで、、、(長野電鉄)開業の頃からほとんど変わってないと聞いてます(苦笑)」と話してくれた。

千曲川さん、ありがとうございました。

今年最初に観た映画

日劇七周り半事件
1941年2月11日、日本劇場(日劇)で「歌ふ李香蘭」という公演が開催された。満洲映画の人気スター李香蘭が来演するとあって、会場である日劇の周囲を七周り半もの観客が取り巻いた。またこのときには消防車が出動して散水し、群衆を移動させるという大騒動となった。この事件は「日劇七周り半事件」と呼ばれ、語り草となっている・・・

『支那の夜』(1940東宝)を観ようと東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)に出かけた。ここは国立の映画館なので500円で映画が観られる。さすがにフィルムセンターだけあって内外の貴重なフィルムが数多く収集保管されており、これらの特集上映は熱心なファンや研究者、映画関係者が群れ集い、作品によってはロードショーもかくやというばかりの大盛況となる。今日は長谷川一夫と李香蘭主演の『支那の夜』が上映されるので、たぶん観客も多いんだろうなあと思い、上映1時間ほど前に京橋に到着した。

NFCに行ってみると、さほど広くもないロビーにぎっしりと人、人、人。整理係のお姉さんが「列の最後尾はこちらでーす」と案内してくれたが、私の前にはすでに200人近い客が呆然と並んでいる。行列の約9割は推定年齢60〜 70歳以上、残りは私のような中年や熱心なファンの青年。ここはシニア料金300円ということもあり、懐かしの邦画特集のときなどは、かつての映画ファン=ご老人が群れ集うことが常態となっている。今日も行列の後の方から「李香蘭が日劇に来たときも、あの日劇の周りに七周り半の行列ができて、いやあ大騒ぎだったねえ」というご老人の声が聞こえてきた。日劇七周り半に比べたらこれくらいはしょうがないか…

以前は知る人ぞ知る映画館だったのだが、口コミなどで広まったのであろう、ご老人の集会所と化してしまった。いや、別に非難しているのではない。わずか300円でご老人が楽しい時を過ごせるのだから、国立の施設としては表彰されてしかるべきだと思う。とうとう今日は満員御礼、約300の座席が埋まり立ち見も出ている。

上海租界で武器弾薬を輸送する船員の長谷(長谷川一夫)は、戦火で家と家族を失った支那人の娘・桂蘭(李香蘭)を暴漢の手から救う。ところが桂蘭は日本人に助けられたのが悔しくて、長谷の暮すホテルに住み込んで世話をして借りを返そうとする。長谷は日本人を嫌悪する桂蘭の心を開かせようと熱心に彼女に優しくする。桂蘭は長谷や同僚たち(藤原鶏太、嵯峨善兵)、ホテルの主人夫婦たちの優しさに触れ、侵略者である日本人にも優しい人たちがいることを知る。長谷を慕う歌手のとし子(服部富子)は、あなたたち日本人が私の家を燃やし家族を殺したと言う桂蘭に「私の兄も支那人の兵隊に殺されたけど、兄は日本と支那が仲良くなるための戦争の犠牲になったのだから、あなたたち支那人を恨んではいない」と諭す。

ところが桂蘭は抗日集団の一味だったため、一味は彼女を拉致監禁して長谷たちが武器弾薬を輸送する情報を知ろうとする。拉致監禁された桂蘭を救うために、長谷たちは獅子奮迅の活躍をして危機を脱した。このあたり長谷川一夫が拳銃を乱射して、バタ臭いギャング映画の雰囲気濃厚。ここでなぜか唐突に長谷と桂蘭は結婚することになるが、結婚式の最中に長谷に出動命令が下り、婚礼の夜に花婿と花嫁は別れ別れになってしまった。輸送の最中に抗日集団の攻撃に遭った長谷は行方不明になり桂蘭は嘆き悲しむ。そして桂蘭はかつて長谷と遊んだ蘇州を訪れ、絶望のあまり運河に身を投げようとしたとき、負傷して帰って来た長谷が馬車を飛ばして現れた。めでたしめでたし。

それにしても…無駄に長い映画。一種のシンデレラストーリー的ラブロマンスであり、大東亜共栄圏の正統性を強調する国策映画である。当時の上海の街並や蘇州の風景がふんだんに記録されているところが興味深い。この映画の名を後世に残しているのは、服部良一作曲による挿入歌『蘇州夜曲』のせいだ。日本流行歌史上の最高傑作とされるこの歌はあまりにも完璧で、渡辺はま子の澄んだ歌声とともに余韻嫋嫋。ケチをつければ、上海娘の李香蘭が話す支那語が上海方言ではなく綺麗な北京官話だということ。まあこのへんは映画の約束ごとなのでケチをつけるのが無粋というものだ。

上毛電気鉄道の旅

東急田園都市線は2003年から東武伊勢崎線・日光線と相互直通運転が開始された。それまでこの路線の終点は水天宮前だったのだが、ある日いきなり行き先表示板に「東武動物公園」だの「北越谷」という文字が現れた。 おいおい何処まで行くんだこの電車は? だいたい「南栗橋」ってのはいったい何処だ? うっかり寝過ごしたら何処に連れて行かれるんだ? 沿線住民はみなこのような思いを抱いたのである。

ま、それはそうと今日は新潟の実家に帰省するのであるが、師走の帰省ラッシュ最高潮のこの日、どうせならぐるりと大回りして帰ってみようと思い立つ。いつものように計画性ゼロ、思いつきでGO! 東急田園都市線久喜行きに乗って、終点まで行ってみることにした。いつものように最寄り駅で電車を待つうちに、やってきました各駅停車久喜行き。久喜というのは埼玉県久喜市のことらしい。さて行ってみよう。

渋谷と表参道でどどっと人が降りて急に乗客が少なくなる。私もたいていは渋谷か神保町で降りるのだが、今日は何も心配せずに最後まで座っていればいいのだ。やがてかつての終点水天宮前を過ぎて電車は押上に到着。ここから先は東武伊勢崎線電車区になるため、乗務員が東急電鉄から東武電鉄に交替する。全身茶色の制服に身を包んだ東武電鉄の乗務員登場。電車が出発してまもなく地下から地上に出る。曳舟〜鐘ヶ淵〜堀切と、電車は下町を抜けてどんどん郊外へ荒川土手を右に見て堀切駅の古びた駅舎はいつ見ても良い。

北千住ではJR常磐線が停まっている。関東北部は私にとって未知のエリア、緊張に身が引き締まる思いがする。 車窓から見える風景も、下町や町工場からだんだんと農地が目立ち始める。都心から1時間ほどでもう旅情満点だ。やがて北越谷〜春日部を過ぎ、電車は東武動物公園に到着。おおここが東武動物公園駅か。うっかり寝過ごすとこんなとこまで来てしまうんだなあ。気をつけよう。ここは東武伊勢崎線と東武日光線の分岐点。それにしてもこのへんには古びた駅舎がたくさんあって嬉しい。和戸では思わず降りてしまいそうになる。危ないところであった。

やがて電車は久喜に到着。所要時間は実に2時間近い。上越新幹線ならとっくに新潟に着いている。それなのにまだ埼玉県と群馬県の境にいる私。小腹も空いたのでの立ち食いそば屋に行く。「久喜ラーメン」? なんだこりゃ? てんぷらそばはないのか? ここは駅そばではなくラーメンの看板がでかでかと掲げられている。それでもちゃんとてんぷらそばはあった。あったが、私以外の客はみな久喜ラーメンを食べている。うーん、わからん。しかし今日は調査している時間はない。

まもなく入線してきた東武伊勢崎線館林行きに乗り込む。いやまたこの沿線にもステキな駅舎が目白押し。駅舎愛好家にとってはたまらない。茂林寺駅前という駅があったが、ひょっとしてこの茂林寺というのは、草創期の東京巨人軍が、ライバル大阪タイガースに打ち勝つために、選手が猛特訓…通称『茂林寺の特訓』をおこなったという、あの茂林寺なのであろうか? しかしこの駅舎もたまらない風情があるなあ。(※後で調べたらここは分福茶釜伝説でお馴染みのお寺。巨人軍の猛特訓はこの近くの分福球場でおこなわれたという)

館林で東武佐野線に乗り換える。ホームには東武浅草行き200系りょうもう号が発車を待っていた。

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館林駅は跨線橋もあるが地下通路もあるのでこれまた嬉しい。私は跨線橋よりも地下通路を愛する「駅舎系地下通路派」なのである。もしも仮に「どっちで乗り換えまショー」という番組があったなら、迷うことなく「地下通路」に手を挙げるつもりだ。さて東武佐野線は2両編成ワンマンカーの葛生行き東武800系が走る典型的なローカル線。

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渡瀬〜田島〜佐野市と過ぎてJR佐野到着。ここが関東の三大師、かの有名な「佐野厄除け大師」がある佐野かあ。それにしても田島と佐野市はいい駅舎だったなあ(こればっかり)。 佐野駅で30分待ってJR両毛線に乗り換える。両毛線はおなじみ緑とオレンジの車輌、東海道線や高崎線を走る旧国鉄115系セミクロスシート。旅情はいやがうえにも盛り上がるのであった。電車は富田〜足利〜山前〜小俣を過ぎて桐生に到着。ここから上毛電気鉄道の西桐生駅まで徒歩。途中で地元のおっちゃんに西桐生駅までの道順を尋ねた。「駅? 国鉄じゃなくて上電(じょうでん)の? 上電の駅はあの信号の先だよ、うん、すぐそこだよお(笑)」そうかあ、地元の人は上毛電気鉄道を上電っていうのか。おっちゃん、ありがとう。

そして見えてきました西桐生駅。歴史のある古くてモダンな駅舎、雰囲気はJR国立駅によく似ている。西桐生の駅舎は昭和3年建築当時のまま、関東名駅100選にも選ばれている。そういえばJR国立駅は大正15年建築というから、当時はこういう駅舎建築が流行りだったのだろうか? それにしてもいい駅舎だ。

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上毛電気鉄道の車輌は東急世田谷線のような2両編成のワンマンカー700型で、もともとは京王電車3000系らしい。そういえば井の頭線車輌のような雰囲気が濃硬だ。

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上毛電気鉄道は車窓から赤城山を見ながら田園地帯を走る走る。どこまで行っても田園地帯、時はちょうど夕暮れ、進行方向に真っ赤な夕陽が沈んでいく。夕陽に向かって走る上電は最高。夏の昼間なんかに乗るのもよさそうだなあ。よく見るとドアに「自転車は後部車輌へ」というシールが貼ってある。

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どういうこと? 自転車乗り入れ可? なんて不思議に思っていたら、途中から自転車とともに乗り込んでくる若者が! 「おおっ!」と吃驚しているうちに、さらに次の駅からさらなる自転車が乗り込んでくる。そうかあ、自転車でそのまま乗車して、下車駅からすぐに自転車で家に帰れるというわけか。うーん、すごいぞ、上電。

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さらにすばらしいのはお年寄りにやさしい電車だということ。まるで路線バスのような電車なので乗客は地元の常連さんがほとんど、そして私のような電車好きやさらにディープな「鉄」のみなさんなのだろう。まあよそ者はおいといて、、、押し車とともに乗り込んできたお婆さんが下車するとき、運転手は運転席から出てきて、お婆さんが料金を払うと、押し車をえいやっと持ち上げてホームに運んであげたのである。

「よっこらしょっと、、、さあてこれでいいかな? それじゃ気をつけてねえ」 お婆さんはホームでじっと佇んで運転手を見詰めている。運転手は後ろを振り返ることなく、すでに業務に戻っている。動き出す電車に向かってお婆さんは深々と頭を下げた。 運転手エライ! 一連の動作がほーんと、ごく自然な感じだったところがエライ。上電、エライ! 

ほのぼのとした気分になったまま電車は終点の中央前橋駅到着。車輌が京王電車のおさがりということもあり、京王井の頭線吉祥寺駅のホームを思わせる雰囲気だ。

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すでにとっぷりと日も暮れてJR前橋駅まで運行しているシャトルバスに乗る。チンチン電車を模した木造りの車内がまたいい感じである。JR両毛線前橋駅から高崎駅へ出て、上越新幹線で新潟へ向かう。30日だというのにデッキまで乗客が立っている混雑ぶりだ。まあここから新潟なら1時間ちょっとなのでなんてことはない。それにしても上毛電気鉄道は良い路線だった。こんどはもっと良い季節に乗りたいものである。

新春帰京双六

年末は東急田園都市線→営団地下鉄半蔵門線→東武伊勢崎線→東武佐野線→両毛線→上毛電気鉄道→両毛線→上越新幹線と乗り継いで新潟へ帰省。

明日は越後線→信越本線と乗り継いで長野に入り、千曲川さんと新年会をする予定(長野で一回休み)。

明後日は長野から軽井沢を経て高崎に出て、あとは高崎線または八高線で…このへんはノリで決める…適当に東京へ入る予定なのだが、はたして無事に東京にたどり着けるであろうか?

ともかく私が途中で行方不明になった場合は、このコースのどこかで行き倒れているか、一回休みまたはひとつ戻る、振り出しに戻る…ということが考えられます(笑)

それではみなさん、今年もよろしくお願い申し上げます。

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