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金は天下の回りもの

おそらく終戦後の十年間ほど、ジャズと自由が表裏一体となった時代はなかったであろう。戦時中に抑圧された娯楽のはけ口として、敗戦の焦土の上でみごとに結実したのが、ジャズとベースボール(どっちもアメリカ文花)だったというのは、いくら進駐軍の政策だったとしても皮肉だ。石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』(1957日活)にもその片鱗が窺えるが、とにかく戦後のジャズ・ブームというのは相当なものだったという。よく知られているエピソードのひとつに、とにかくギャラが凄くて金が儲かってしかたがなかった、というのがある。

当時の売れっ子バンドだった『ジョージ川口とビッグ・フォー』…ジョージ川口(ドラム)、松本英彦(テナーサックス)、中村八大(ピアノ)、小野満(ベース)…などは、一晩のステージが終るとギャラがボストンバッグに入り切らず、札束を足で押し込んだものだという。私はこのエピソードについて、敗戦国日本の何処にそんな金があったのだろう、という疑問を持っていた。米軍キャンプの公演が多かったとはいえ、進駐軍もそれほど金を持っていたわけではあるまい。この小さな疑問に答えてくれたのは、青木誠『ぼくらのラテン・ミュージック;日本中南米音楽史』(リットー・ミュージック)の一節だった。

戦時中にジャズが敵性音楽であるとされ、活動中止を余儀無くされたジャズメンたちは、戦後になるといっせいに陽の当る場所に踊り出てきた。なかでも進駐軍からその音楽性に対してSA(スペシャルA)とランク付けされたジャズメン…これが松本英彦たちなんだろう…のギャラはそれはもう凄いものだったという。この本の記述によれば、ジャズメンたちにはそれぞれのランクを記したIDカードが交付され、時間あたりのギャラをPD(物資調達要求書)で受取ったという。PDは一種の小切手で後で現金化して日本円に換えたというのだ。そしてこの日本円は誰が負担したかというと、なんと!日本政府だったというのだ。

「“PD”による支払いは戦後処理費に計上されたが、昭和22年度の歳出総額がおよそ2000億円と見積もると“PD”による戦後処理費はおよそ585億円、なんと30パーセントを占めていたのだから巨額である。おもしろいモンである。バンドマンの雇主は占領軍だから、ヤンチャで音楽好きなアメリカ軍将兵をすっかり“のせて”やたらと“PD”を乱発させ、おかげでバンドマンのふところに多額の札束がすべりこんだとして、そのつけは全国の日本人が支払っていたのだ。バンドマンは日本政府発行の小切手を片手にジャズをやっていたことになる」(同書134ページ)

 松本英彦もジョージ川口も、敗戦国の同胞からいただいたギャラで毎夜毎夜ドンチャン騒ぎをしていたのだ。うーむ、敗戦国の悲哀を感じさせる話である。

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