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伝説の男(2)二子新地散策

以前、花形敬殺害事件について考察をおこなった。ひさしぶりに二子新地界隈を散策してきたので、今回は写真を加えた補足レポートである。(『伝説の男』2006年2月26日参照)

私の考察は、本田靖春『疵(きず)〜花形敬とその時代』(文春文庫)の記述/読売新聞記事昭和38年9月28日朝刊の記述/『川崎市北部明細地図昭和37年度版』(経済地図社)、この3つのソースをもとに花形敬が町井一家の刺客に襲撃され、逃走、絶命した場所を、当時の住宅地図をもとに推理した。

道路の先が二子橋の川崎側たもと、東急田園都市線が走っている。昭和38年9月27日深夜、花形敬は車で二子橋を渡ってきた。いまではビルが林立しているが当時は低い家並で、夜はいまよりも闇が深かったであろう。

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<花形敬が車を駐めた場所は、二子56番地へまっすぐ続く露地の入り口の森谷酒店(二子264番地)あたりだったと推測できる>(『伝説の男』2006年2月26日より引用、以下同じ)

花形敬は二子橋から大山街道に入り、私が襲撃現場と推察した森谷酒店(二子264番地)は、現在丸八商店になっている。

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写真の右側が丸八商店(かつての森谷酒店)、道路の先が二子橋の川崎側たもとである。丸八酒店の脇に高津方面に抜ける細い露地が走っている。丸八酒店の反対側(写真左側)にも国道246方面へ抜ける細い露地が走っている。つまりここは大山街道と露地の四つ角になっているのである。

<ここで刺客に襲われた花形敬は致命傷を負ったままこの露地に逃げ込み、二子56番地あたりで力尽きた>

致命傷を負った花形敬は写真左側、国道246方面へ抜ける露地に逃げ込んだ。

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入ってすぐ露地は追い分けになっている。

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ここを右側の露地を走り抜けると私が殺害現場とした旧二子56番地(現川崎市高津区二子1丁目)にぶつかる。

<花形敬が刺された現場「二子五六さき路上」は、おそらくこの四つ角の民家から割烹旅館、そして空家へと続く路上であると推測できる。しかも道路を挟んだ反対側はかなり広い空き地であった。現在は大きなパン製造工場が建てられているが、これだけの敷地が昭和三十七年当時は空き地だったとなると、夜は人通りも途絶えて闇の色が濃かったことだろう> 

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このあたりはいまでも露地が複雑に入り組んで走っている。

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花形敬の隠れ家はこんなアパートだったのではあるまいか。

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中央に聳えるビルは二子玉川駅至近の超高層マンションである。多摩川を境に、むかしながらの住宅地である二子新地と、セレブが集うオシャレな二子玉川の違いを象徴している。なんとなく宮部みゆきの傑作ミステリー『理由』を思い起こさせる風景。

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隠れ家にひっそりと暮していたであろう愛人も、花形敬の無事を祈り二子神社にお参りしていたのだろう。二子新地はかつての三業地でもあり、いまでも境内には三業地であったことを示す古い表示が遺されている。

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二子新地は岡本かの子生誕の地。境内にはかの子の息子、岡本太郎の彫刻が建てられている。『誇り』と題されたこの彫刻は昭和37年11月に建立され、除幕式には川端康成も列席したという。花形敬も愛人とこの彫刻を眺めたのだろうか。

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