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2006年9月

丹波哲郎逝く

私の世代で丹波哲郎といえばなんといっても『キイハンター』、千葉真一、野際陽子、谷隼人、松岡きっこ、大川栄子、川口浩と、実に濃い顔の役者ばかり揃えたものだと今にして思う。部下を束ねるボス丹波哲郎が渋くて渋くて、子ども心にもかっこいいなあと思っていた。

『Gメン75』のオープニング、丹波哲郎を中心にした役者連が滑走路を横並びに歩いて来るシーン、酔っ払って仲間たちと真似をしたのも懐かしい。あのソフト帽とコートがあれだけ似合う役者もそうそういなかっただろう。片岡千恵蔵の多羅尾伴内ってのもあるが、あれはどちらかというと奇妙な似合い方である。

『軍旗はためく下に』(1972)で上官殺害の嫌疑をかけられて処刑された軍人を、まだまだ勢いのあった東宝が爆薬をふんだんに使って製作した『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971)では自決する軍人を演じ、場面は少ないのだが『八甲田山』の弘前歩兵第31連隊長などが印象に強く残っている。幕末の策士清河八郎を演じた『暗殺』(1964)で、最後に刺客の刃に倒れるシーンの凄絶さは鳥肌モノ。

そうそう、清楚で美しい夏目雅子主演『鬼龍院花子の生涯』(1982)でもヤクザの顔役で出ていたし、『日本沈没』(1973)で総理大臣を演じたと思えば『宇宙からのメッセージ』(1978)では銀河連邦大統領(!)を演じていた。軍人や政治家、親分など大物が似合う残り少ない役者のひとりであった。殘るは三國連太郎と鈴木瑞穂くらいなものだろうか。

古川日出男はいま最高にクール&ホットでロックンロールなブンガクである

古川日出男『サウンドトラック』を読む。

野生化した山羊の群れが棲む無人島に流れ着いたふたりの子ども。男の子の名はトウタ、女の子の名はヒツジコ。野生の暮らしをしていたふたりはやがてオトナたちに“発見”され小笠原島で成長した。

トウタは小学校の教師から無数の音楽を与えられる。ヒツジコは本能に突き動かされて無意識に踊る。やがてヒツジコは小学校教師夫妻の養子となってトウキョウへ移住した。トウタは高校卒業を待ってトウキョウへ渡った。

近未来のトウキョウは、ヒートアイランド化の果てに熱帯へと変貌を遂げ、無数の外国人が棲む多国籍の街である。西荻窪は外国人排斥運動が頂点に達した日本人の居住区。この街でヒツジコは女子校に通い“ダンス”で学校を支配する。ヒツジコは踊り続け信奉者は陸続と増え続けた。

トウタは廃虚と化した結婚式場に棲む。ここには社会からはじき出されたものたちが棲んでいる。トウタはひょんなことからヤクザを殺して追われる身となった。トウタが潜伏する神楽坂界隈はヤクザも入り込めないアジアスラム。

カラスと交信するレバノン人の少女レニは、カラスを虐殺する傾斜人たちに復讐することを誓った。レニは映画を武器にカラスを覚醒させ傾斜人を翻弄する。レニが撮る映画に音は無い。レニの復讐に力を貸すのはトウタだ。やがて神楽坂を中心に起るカタストロフィ、西荻窪から発せられた独立宣言。そして三人は邂逅することになる。映画とサウンドとダンスが世界を、トウキョウを変えていく。

古川日出男はいま最高にクール&ホットでロックンロールなブンガクである。何言ってんだかよくワカンナイけど、私は強くそう思う。

立ち食い沖縄そば

ちょっと用事があって町田に行こうと思ったら東急田園都市線が人身事故で不通。改札の前に人が群がっているので、何かイベントでもあるのかなと思ったらそういうことだった。しかたがないので南武線で登戸まで出て小田急線に乗り換えることにした。振替切符を貰って電車に乗り登戸で降りたら驚いた。JR登戸駅の駅舎がきれいに建て替えられていたのである。

暫く前から改修工事をしていたのは知っていたが、こうも激変するとまったく驚いてしまう。国鉄時代の名残りを濃厚に残していた、あの野暮ったい駅舎も改札口もきれいさっぱり無くなり、おまけに駅前のバラック街を彷彿とさせる呑み屋も蕎麦屋も消滅していた。小田急線への連絡通路から眼下の景色を見下ろして暫し呆然としていると、一軒の立ち食い蕎麦屋が目に入った。何の変哲もない立ち食い蕎麦屋なのに、沖縄そばの幟が風にはためいている。立ち食いで沖縄そば? ちょうど小腹も空いていたときだったので、誘われるようにふらふらと店に足を踏み入れる。

沖縄を思わせる装飾はみじんも無いふつうの立ち食い蕎麦屋。しかし券売機には天ぷらそば、月見そばというお馴染みのメニューといっしょに沖縄そばのボタンがあり、カウンターの隅っこでは外回りとおぼしきサラリーマンが沖縄そばを啜っている。注文してから待つこと数分、店のオバチャンが「沖縄そば、お待ちどうさまです」とカウンター越しに手渡してくれたのは紛れもなく沖縄そば。スープも美味しく、細ネギ、紅ショウガ、薄切りのさつま揚げ、やや小ぶりだがソーキ肉も入っている。沖縄料理屋で出て来るようなちゃんとした沖縄そば。これで480円は安い。カウンターには七味唐辛子の小瓶といっしょにコーレグース(島唐辛子の泡盛漬け)の瓶も置いてある。思わぬところに思わぬものがあるものだ。

私はそもそもこの店があることは知っていたが、入ったことはおろかちゃんと店を眺めたこともない。なぜかというと以前この店があった通りは、駅前通りではなくごちゃごちゃした露地裏にあったので、乗り換えで駅前を通るようなフリの客にはまったく知られていなかった。たぶん地元の人しか知らない、知る人ぞ知る店だったのであろう。それがこの駅前の再開発で露地裏から駅前一等地に変貌した。なにしろ乗り換えデッキから丸見えという一等地に沖縄そばの幟がはためいていれば、そりゃあ誰だって入ってみたくなるというものだ。しかも立ち食い蕎麦屋だし。というわけで登戸にお越しの際はぜひ一度ご賞味ください、ってふつうの人は登戸に用事なんかないよなあ(笑)

金曜日の夜に同僚たちと呑みに行くのは正しい勤め人らしいと思う

まいにち本と書類の山に埋もれるように仕事をしている。やってもやっても終わらない仕事に没頭して、ふっと脳裡をよぎるのは、この仕事は永遠に終わらないのではあるまいか?という疑問。明けない夜は無い、というくらいだからそんなことはないのだが、それでもこのまま年老いていくのかと思ったりもする。

てなわけで今日はもう仕事はオシマイ!と宣言してM嬢とY姐の三人で呑みに行く。このメンツで呑むのはひさしぶり。何処に連れていってくれるの?というM嬢に「オシャレな店とシブイ店、どちらがいいか?」と問うと、打てば響くように「そりゃあ、オシャレな店でしょ」「あなたが言う『シブイ店』って、なんかイヤ」あいかわらず係長の威厳ゼロ(苦笑)

いつか入ってみようと思っていた露地裏の小体な鶏料理の店にて乾杯。地鶏のサラダ、鶏レバもやし炒め、名古屋風手羽先、鶏皮餃子、水餃子、、、ビールを呑みつつ週末の開放感を味わう。仕事の話や映画の話などし乍ら呑みかつ喰らう。名古屋風手羽先は『世界の山ちゃん』とは全然違うシロモノ。どのへんが名古屋風なんだ?と言うと名古屋娘のM嬢曰く「タレが赤味噌だよ」

10時解散。帰途、古川日出男『サウンドトラック』読む。

牛丼復活祭手拭い

このブログをご覧の友人から「吉野家手拭いの画像を載せてください」というリクエストがあった。限定100万人なので特に珍しくもなかろうと思っていたのだが、まあそういうことであればとアップしました。牛の代わりに牛丼がドン!と自己主張しています。
サワコさん、ご満足いただけましたか?

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私が貰ったのは白ですがもうひとつ橙色のがあるそうです。復活祭当日の昼間、早々とセットでヤフオクに出品されていたのには大笑いでした。
 
アメリカの駐日大使が「(アメリカ産牛肉を使った)吉野家の牛丼は日本におけるアメリカのシンボルだ」などとほざいていたらしい。そうかもしれないが、なんだか面白くない……

仕事が急速にたてこんできてほぼ毎日帰宅が九時すぎである。まあいつものことであるが、これでいいのかなあ……と思ったりもする今日この頃。

本日ハ牛丼ノ配給日デス

今にも泣き出しそうな曇天のもとを吉野家に向かう。年末あたりから牛丼販売を再開するという吉野家が、今日は一日限定でひさびさの牛丼販売をするのである。アメリカ産牛肉輸入禁止のあおりを受け、吉野家から牛丼が姿を消してもう二年半が経つ。特に吉野家の大ファンというわけではないので、前回は長い行列を見物するだけで終わったのだが、今回は牛丼を食べると吉野家特製手拭いが貰えるので行く気になったのである。

午前11時の販売開始と同時に行くのもマニアっぽくて気が引けるので、30分ほど遅れて近所の吉野家に赴くと、牛丼を求める難民がすでに長い行列を作っていた。そんなことだろうと思っていたのでとりあえず列に並び持参の本を読みふける。店員が何度も行列の客たちに向かって説明をしている。「店内でお召し上がりのお客様は比較的お早めに御案内できます! お持ち帰りのお客様はお一人4個までにさせていただきます! なお店内でお召し上がりのあいだにお持ち帰りをご用意することは御遠慮いただいております!」要するに食べる客と持ち帰りの客を峻別してます、ということだ。この時点ですでに100人待ちくらいだったが、私の後から後から牛丼の配給を求めて難民が陸続とやって来る。傘を持って来なかったのだがいまのところ雨が降る気配はない。

並び始めてから1時間ほど経ったところで100人待ちから50人待ちくらいのところまできた。 食事する客がちらほらと案内され始め、私も行列をはずれて店内に足を踏み入れた。しかし私の前に並んでいる客のほとんどは動かない。ということは、ほとんどの客が持ち帰り希望なんだな。たぶん知り合いに頼まれたり友だちの分を買いに来たりしているのだろう。こういうときこそ独りでよかったと思う一瞬だ。で、ひさびさの牛丼だが、やはり美味しい。他の牛丼店もそれぞれ個性があるのだがやはり牛丼といえば吉野家の味がいちばんしっくりくる。大盛、味噌汁、玉子でひさしぶりに吉野家の牛丼を堪能。

とはいえ欣喜雀躍、狂喜乱舞するような美味しさではなく、またそれが牛丼という食べ物には相応しい。そもそも500円玉でお釣りがくるような食べ物を過度に神聖視することもない。しょせん牛丼、しょせんカメチャブである。長屋の名人、庶民派と言われた先代林家正蔵(彦六)師匠が好きだったのが牛丼。奥さんが牛筋肉をコトコトと煮込んで作った牛丼がいちばん美味しい、と言っていたのが印象に残っている。食べたければ家で作ればいい。自分で手作りすることさえせず、吉野家の牛丼が食べたくて食べたくて……この日を一日千秋の思いで待ち焦がれておりました……などというのもなんだかなあ……などと手拭い欲しさで1時間も行列するあたしが言うセリフじゃあないネ。

カメチャブのカメというのは犬のこと。明治時代に西洋人が犬を呼ぶときに come here! と言っていたのを聞いた日本人が、そうかメリケン語では犬のことをカメって言うのか、ということでカメ。チャブというのは食事の意。明治時代には牛鍋の残りを飯にかけて犬の餌にしたのでカメチャブなどと言われていた、すなわち安い食べ物=庶民の味である。正岡容著『明治東京風俗語事典』(有光書房/1957)によれば「かめ(洋犬)明治初期、西洋犬をかめ、かめ犬と呼んだ。英米人が来い来い(Come here)といったのを、犬のことをそういうのだとおもい、そう呼びならわしたという説がある」「ちゃぶちゃぶ 食事のこと。食堂をちゃぶやといったのが、のちに売女をおくチャブ屋に変った」(同書)とある。卓袱台(ちゃぶだい)の卓袱(zhuo fu:チュオフー)は食卓に引く布のことで、転じて食堂をちゃぶや、食事をちゃぶと言ったのであろう。

今日は全国で牛丼難民が陸続と店鋪に来襲したことがニュースで伝えられていたのだが、並んだ挙句にわざわざカレー丼とか焼肉丼を注文してウケを狙うやつはいたのかな。

配給ノ列ニ並ブ牛丼難民
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だるい日曜日

先日来、身体がだるくて微熱あり。風邪でもひいたか。昼過ぎまで寝床で本を読んだりラジオを聴いたりして過ごす。

午後、渋谷。今日は渋谷の例祭だったようで、小雨降るなか東急文化村へ向かう坂道を神輿が練り歩いていた。センター街にもBGMでお囃子が流れていたが、そこらへんのショップから流れるヒップホップとお囃子がいい具合にミックスされて、渋谷らしいなんともユル〜いトランス状態になっていた。誰かプロデューサーでもいるのだろうか。まさかネ。

ブックファーストにて、探していた都築饗一『夜露死苦現代詩』(新潮社)、先日亡くなった歴史学の泰斗、阿部勤也の名著『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)を購う。HMVで坂田明『ひまわり』を購う。ついでにサディスティック・ミカ・バンドでも、と思ったが、加藤和彦ヨーロッパ三部作の初篇『パパ・ヘミングウェイ』(1979)があったのでそっちを抜く。

HMVのジャズフロアでCDを物色していると、練習帰りらしい楽器を背負った男の二人組に遭遇。ギターを背負った先輩とサックスのケースを背負った後輩という間柄か。男A(推定年齢三十代後半)は日本人ミュージシャンのCDを眺め乍ら、誰某といっしょにセッションしたことがある、こいつはメチャメチャ巧かった、こいつはアメリカ留学までしてるのにまだこんな安い仕事している、とちょっと自慢げに語り、男B(推定年齢二十代後半)は感心したふうで、そうっすかア、へー、そうなんすかアと相槌。全国の大学のジャズ研究会や軽音楽同好会で、時代は変われどいまも交わされているであろうマヌケな会話だが、ひさしぶりにこういうのを耳にしたのでちょっと面白かった。なんだか昔の自分を見ているようでこっ恥ずかしかったけど。

家で『ひまわり』を聴く。メンバーは坂田明(as、ss、cl)、フェビアン・レザ・パネ(p)、吉野弘志(b)、ヤヒロトモヒロ(perc)の4人。太くて明るく、ちょっとザラついた坂田明独特のアルトが良い感じ。武満徹の「死んだ男の遺したものは」で激情を迸らせる坂田のアルト、かつての山下洋輔トリオでヨーロッパを席巻していた頃の雰囲気だ。良いなあ、坂田明。

近所の図書館で『李香蘭〜私の半生』を借りてきた。ようやくこれで読むことができる。

問題の根本的解決への遠い道

休みなので家でボケ−ッとしていたら部屋の中が汚い。

独り暮らしの男としては、まあマメに掃除していると自負してはいるし、とりあえず掃除をしてあちこちかたづける。さて、ここでいつも困るのが本の山。本棚に入りきらない本が床に積んであるのだが、こいつらはいつのまにか増殖を始めて、あっというまにどえらいことになってしまう。

最近マイブームなのが李香蘭。彼女の自伝がどこかにあるはずなのだが、これがどうしてもみつからない。処分はしていないので絶対に家にあるのだが、これがみつからないのである。気を取り直してえいやっ、と本のかたづけを始めた。かたづけといっても要するに、乱雑かつ適当に放置されている本の山をきちんと積み直す、というだけで、なんら根本的な解決にはなっていない。

かたっぱしから本をジャンルかつ版型ごとに分類整理していると、ああこの本はここにあったのか、この本って家にあったんだ(こないだ買っちまったヨ)、はてこの本はいつ買ったんだっけ? などという呟きが脳裡にこだまする。どうやら本はきちんと積み直されてとりあえず“かたづけた”という状態になる。でも李香蘭の自伝は出て来ない。うーん、何処にあるんだろうなあ。

もう面倒臭いから買ってしまったほうが早い、、、だから本が増えるのだ。図書館で借りればいいだろ、図書館で。そもそも無駄に使っている部屋があるんだから、ちゃんとゴミを捨てて整理整頓すればこんな状態にはならないはず。わかっているならやればいいのだが、そのへんが独り暮らしの男としてはどうもやる気にならない。
うーん、ナンダカワカンナイ。

きれいにかたづいた?本の山

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日本の女優

四方田犬彦『日本の女優』(岩波書店)を読む。

原節子と李香蘭(山口淑子)、日本映画史に残るこの二人の女優の、戦前から戦後にかけての活動を丹念に追いかけ詳細に分析した、知的興奮を誘う一冊。

原節子は“永遠の処女”と賞讃され、戦前は山中貞雄、伊丹万作、島津保次郎、戦後は木下恵介、黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男と、日本映画の巨匠たちにこぞってキャスティングされ、押しも押されぬ大女優となった後、突然映画界から引退し、世間との交渉をいっさい絶ってすでに半世紀が経とうとしている。そのストイックな風貌と相俟って彼女の生涯は厚いベールに覆われ、いまだに評価に値する原節子の伝記というものは存在しない。その容貌から原節子混血説がいまだに根強く流布されているが、それを証明する事実というものもまた判明していない。1937年、ドイツ人の映画監督アーノルド・ファンクが製作した『新しき土』の主役に抜擢され、ドイツで大絶賛されたことから、原節子はスターダムにのしあがる。彼女のある種日本人離れした容貌と体格がドイツで好評を博したのだろうか。このへんに原節子=混血説の根があるのかもしれない。

李香蘭は日本人・山口淑子として満州に生まれ育った。父親の方針で幼い頃から中国語を学び、少女時代に“歌う映画スター、中国人・李香蘭”として映画スターへの道を歩み出した。戦前は幻の満州映画協会(満映)で中国人スタッフとともに映画に出演、戦時中は好日映画に多く起用されたが、敗戦の後、漢奸(戦争中、日本に協力した中国人)としてあわや処刑されそうになるが、日本人であることが証明され無罪となり帰国。戦後は女優・歌手として活躍したが昭和30年代初めに引退。アメリカに渡り彫刻家イサム・ノグチと結婚したがすぐに離婚、その後外交官の大鷹弘と再婚。天性の語学と政治の才に恵まれ、政治ジャーナリストから政治家に転身したことは記憶に新しい。

日本にあって日本人離れした女優として評された原節子と、日本人でありながら中国人として生きてきた李香蘭。このふたりの女優を比較分析した本のタイトルが『日本の女優』というところが、さすが四方田犬彦と唸らざるを得ない。

余談二題

その1 高峰秀子が中国映画界に留学し損ねたという話。

「北京生まれの「山口淑子」を、中国人、李香蘭という女優に仕立てて「支那の夜」を歌わせ、長谷川一夫とコンビを組ませて「白蘭の歌」「熱砂の誓ひ」と、矢つぎ早にラブ・ロマンス映画を製作上映した東宝は、北京の「中華電影公司」から「王洋」という若い女優を三年の期限つきで東宝映画へ招き、そのかわりに東宝からは私が三年間、「中華電影公司」へ勉強に行くという計画を立てた。今で言う交換留学生であった」(『わたしの渡世日記』文春文庫)

結局この話は流れてしまったのだが、もし実現していたらどうなっていだろう。映画ファンとしては興味をかき立てられるところだが、そこは高峰秀子は冷静に話を結ぶ。

「もしも、あの時、私も兵隊さんのように中国へ輸出されていたら、今頃、中国語くらいはペラペラで、日中平和条約締結のお役に立っていただろうに、と考えるのは女の浅はかさで、敗戦後、無事に帰ることも出来ず、親切な中国人に拾われて太太(奥さん)となり、恥ずかしながらと「日本への里帰り」を申請する身となっていたかもしれない。人間の運命なんて、アミダのくじを引くようなものだ」

その2 原節子の久我美子評

「原節子さんがお辞めになるって宣言なさったとき、沢村貞子さんの家で、原さんとか中北千枝子さんとか、乙羽(信子)さんもたまにいらっしゃって、麻雀をよくやったんですよ。そのときに『原さんみたいな女優がお辞めになるなんて、もったいないからもうちょっとやって下さい』ってお願いしたのね。そしたら『だって、わたしには何もないんだもん』っておっしゃるから、『なにが何もないんですか。演技賞だっておとりになったりしていらっしゃるし』『それに、美しくないもん。あんなにしわだらけの顔が醜悪!』、それで『そんなこといわないで下さいよ。わたしたちだって何もないじゃないですか』っていったら、原さんが『いいえ、久我ちゃんはね、特殊児童という素晴らしい役柄があるわよ』っておっしゃるのね」(川本三郎著『君美わしく〜戦後日本映画女優讃』文春文庫)

“永遠の処女”もずいぶんと辛辣なことをおっしゃる。
それにしても日本映画を代表する錚々たる女優たちが雀卓を囲んで、ポンだのロンだの、リーチドラドラ、ちょいと点棒数えてよ、ちぇっ、五千円の負けかあ、などと連呼している場面を想像すると、なんだか可笑しい。

夏の読書

中国行きの準備も兼ねて読売新聞中国取材団『膨張中国』(中公新書)を読んで予習した。読売新聞というとどうしてもプロ野球と“あの社長”のイメージが強すぎるが、メディアとしてはなかなか良い取材をしているという印象がある。天下の朝日はエリート臭をぬぐい切れないし、毎日は全体的にインパクトが弱い。産経は確信犯的右派なのでこれはこれでいいと思う。日経はビジネスマンじゃないのでよく知りません。ここに書かれている情報は、インターネットでだいたい知っていることだったが、あらためて本というかたちで読むとまた違った取込み方ができる。思わぬところで電子媒体と紙媒体の違いを感じさせられた。

帰国してから劉文兵『中国10億人の日本映画熱愛史』(集英社新書)を読んだ。いままでに私が経験してきた中国における日本文化の受容のタイプと背景がよく理解できた。日中関係が良好だったこのときによりよい国交を結んでおけば、いまのような捻れた状態をかなり回避できたのではないか。まあそのとき日本はバブル経済に向かってまっしぐらだったから、そんな謙虚なことはできなかったのだろう。ああ、これは事前に読んでおけばよかったなあ、と思ったのが相原茂『話すための中国語』(PHP新書)旅先のあちこちでいろいろと起ったトラブル……だいたいが私の無知によることだったが、やはり浦島太郎だったことを痛感。

中薗英助『何日君再来物語』(河出書房新社)は、近代中華文化圏における藝能史研究の嚆矢ともいえる古典的名著。「ホーリーチュンツァイライ」とか「いつの日か君また帰る」という呼び方で知られる「何日君再来」が作られた歴史を遡る。李香蘭(山口淑子)、渡辺はま子、黎莉莉、テレサ・テン……錚々たる名花たちに歌い継がれたこの曲を、最初に歌ったのは周旋(ただしくは王へんに旋)、1930年代の中国歌謡の名花とうたわれる伝説の大歌手。この本が書かれた当時(1980年初頭)にはまだ存命だった作詞者と作曲者に手紙で問い合わせをしたり、中国返還などはるか先のことだった香港の友人を通じて情報収集をしているところが時代を感じさせる。著者が中華街の小さなレコード屋で香港や臺灣製のカセットテープを買うくだり、ここは当時のアジアンポップス愛好家にはお馴染み「発三電機商会」だ。カセットテープとアナログレコードに埋もれていた小さな店も、今じゃあたりまえだがCD、DVDばっかり。

林芙美子『北岸部隊 伏字復元版』 を読む。日中戦争開始当時、戦時下の民論昂揚のため、内閣情報局の命により多くの作家たちが戦場に赴き、内地の雑誌や新聞に戦地のルポを送り続けた。林芙美子もそのひとりとして上海に入り、ある部隊とともに漢口(現在の湖北省武漢)を目指す。一読して無邪気な女性作家の中国観が横溢しており、現代の視点からみると差別的な文章が頻出している。批判されてもしかるべき従軍記だが、まあ当時の日本人の中国観はおしなべてこのようなものだったのだろう。むしろ変に自分を繕わずに堂々と「私は兵隊が好きだ」「中国兵は気持が悪い」などと書く林芙美子は正直な人だと思う。女は強し。

上原善広『コリアン部落 幻の韓国被差別民・白丁を探して』(ミリオン出版)を読む。在日韓国・朝鮮人差別、同和問題という根深い差別はいつ果てるともなく続いている。被差別部落出身の著者は、さらに韓国における被差別民・白丁(ペクチョン)の存在を確かめるために韓国を歩く。「無かったことにしてしまえば差別など無くなる」という韓国人の意識には正直とまどってしまう。どうやら韓国では人権意識が低いようだ。まあイケイケドンドンの高度経済成長時期の国だから、過去の暗部を捨て去っていかざるを得ないのだろうが、それにしても過去の侵略者に対する反日意識・反日運動は途切れない。このへんがいまいちよくわからないところだ。著者の正直な筆致が強い印象を残す佳作。

長山靖生『「人間嫌い」の言い分』(光文社新書)近代大衆文学やSF小説研究で知られる長山靖生は、最近は家族問題、若者問題に対して発言が増えている。他人とのつきあいが苦手な私としてはなかなか興味深い一冊。子どもの頃から“仲間とつるまない”という生き方を自分で発見・実践してきた私は、長山氏に言わせればじょうずに生きてきたと言えるのだろうか。いまの子どもたち、みんなと仲良くしなければいけません、という脅迫などに負けてはいけないぞ。ところが人間嫌いを実践していると異性とのつきあいが苦手になってくる。酒井順子『負け犬の遠吠え』以来、30代未婚女性問題がブームになった。結婚しない女性たちの問題は以前から問題にはなっていたが、30代未婚男性問題についてはあまり言及されてこなかった印象がある。もっとも近年、大久保幸夫・畑谷圭子・大宮冬洋『30代未婚男』(NHK出版)のような本の出版が最近目立ちはじめ、ようやくこれで30代男女の未婚・非婚問題がセットで語られるようになった、などと私がシャアシャアと書いている場合ではないのだが(苦笑)。30代未婚女性なんて珍しくもなんともないこの時代、いま最も力のある女性作歌のひとりが絲山秋子。芥川賞受賞作『沖で待つ』、最新エッセイ『絲的メイソウ』はひさびさのヒット。パトリック・マシアス『オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』(太田出版)のように、アメリカにおけるオタクたちも受難の歴史を生きてきた。フジヤマとゲイシャガールとスキヤキとアニメで知られる極東の小国に果てしない憧れを抱く在米オタクの熱い思いが横溢する一冊。

同世代による同世代向け・若者向けの本ばかり読んでいてはいけないので、おとなの本も読みましょう。というわけで東海林さだお『偉いぞ!立ち食いそば』(文藝春秋)を読む。東海林さだおの立ち食いそばに向けられる情熱はファンにはよく知られている。立ち食いそばの名店「富士そば」チェーン社長との対談が面白い。わたしは富士そばにはあまり行かないのだが、こないだ富士そばに入ってみると、店内にこの本の小さなポスターが貼られていた。畏るべしショージ君。エッセイストとしても知られる俳優・池部良『風の食いもの』(文春文庫)は、戦前から戦後にかけての日本人の食生活が丁寧に描写されて面白い。とうとう落語協会会長に就任してしまった鈴々舎馬風『会長への道』(小学館文庫)。初版はまだ会長に就任していない1996年に刊行されているが、2006年の会長就任に合わせて今回加筆訂正されて文庫化された。中学生の頃、傑作爆笑落語「会長への道」に転げ回って笑っていた私としては、とうとう馬風師匠が落語協会会長に就任した事実に隔世の感もひとしお。同書329pの新旧会長2ショットは爆笑モノ。

秋の注目映画情報(偏向)

東京名物カルト映画特集上映 in シネマ・ヴェーラ渋谷

◆妄執、異形の人々 期間:9/2〜29
上映作品は『黒蜥蜴』『九十九本目の生娘』『くノ一忍法』『獣人雪男』『マタンゴ』『盲獣』『好色源平絵巻』『怪猫トルコ風呂』『犬神の悪霊』『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』『おんな獄門帖 引き裂かれた尼僧』『ゆきゆきて、神軍』……タイトルを眺めているだけでぐったりしてしまいます。確認してみると、私は今回の上映作品のうち半分くらいは観ていました。私もこまめによく観てるもんだなあ(苦笑)……全部観てたらマニア、全作について語りまくるのがヲタク、私なんかただの邦画ファンでございます。

臺灣映画界の名匠・ホウ・シャオシエン(侯孝賢/Hou, Xiaoxian)監督特集上映 in シネマ・ヴェーラ渋谷

◆ホウ・シャオシエン映画祭 期間:9/30〜10/20
上映作品は『童年往時』『風櫃の少年』『恋恋風塵』『冬冬の夏休み』『悲情城市』『戯夢人生』『憂鬱な楽園』『好男好女』『ミレニアム・マンボ』……このラインアップ、今からゾクゾクしてしまいます。全17本のうち『恋恋風塵』『風櫃の少年』『冬冬の夏休み』『悲情城市』『戯夢人生』の5本は個人的に必見。 

こちらは池袋の雄・新文芸座の時代劇特集続編

◆第2回時代劇(チャンバラ)グラフティ 期間:9/9〜22
上映作品は『侍』『斬る』『座頭市物語』『丹下左膳餘話 百万両の壺』『十三人の刺客』……時代劇ファンにはこたえられないラインアップです。でも私はホウ・シャオシエン映画祭に備えてこっちはパスかな……1本くらい観るかもしれないけど。


中国滞在中にテレビを観ていると映画『東京審判』(東京裁判)のCMがこれでもかとばかりに流れていた。一瞬、邦画かと思ったがそんなわけはなく、いま中国で話題の最新映画である。裁判の最中、大川周明が前に座っている東条英機のハゲ頭をピシャリ、と叩くシーンまで再現されているのが凄い。もちろんそんなくだらぬことに喜んでいる場合ではないのだが、うーん、これ日本で公開されないのかなあ……

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志らく百席

昨夜は横浜にぎわい座にて『志らく百席』を聞く。仕事を終えて桜木町に着いたのはもう開演まぎわ。いそいそとテケツを潜り、今夜の演目は『明烏』なので甘納豆を買いに行くと、売店で堀井憲一郎に遭った。遭った、って知り合いじゃないけど。寄席や落語会で堀井憲一郎に遭遇するのはこれで何度目だろう。 さすが日本一の客席王だけのことはある。しかもいつも真っ赤なシャツを着ている。赤シャツにサンダル履き。それがどうした。堀井憲一郎はお煎餅を買っていましたとさ。

客席は九分の入り。コアな志らくファンらしい客、あまり志らくなんか知らなそうな年輩の客など客層いろいろ。前座は立川志ら乃で『寄合酒』、マクラも噺も上出来で面白い。巧いなあ。続いて志らく登場。高校野球は野暮だ、というマクラがやたらと可笑しい。師匠の談志が大師匠の五代目柳家小さんと戯れるエピソードも味わい深い。談春とはまた違った天才ぶりを如何なく発揮して『たらちね』を演じる。乱暴者の八五郎に嫁いできたのは、まるで平安時代のお姫さまのような馬鹿丁寧な言葉遣いのお嬢様。前半は新妻を迎える準備でおおわらわ、嬉しさに胸をときめかせるところの描写が可愛いくて可笑しい。後半、新妻の「あ〜ら吾が君」攻撃に身も心も悶え苦しむ。客席はもう爆笑の渦である。

続いて大ネタ『明烏』、マクラで「名人桂文楽師匠のような藝を私に期待しないでください」と振ってから噺に入る。私は古今亭志ん朝の「明烏」が大好きなのだが、志らくの「明烏」は文楽〜志ん朝の藝を継承しつつも、ちゃんと志らくの「明烏」になっているところが凄い。志ん朝は、世間知らずの若旦那を朴訥で愛らしく演じていたが、志らくは……これじゃ松竹新喜劇、藤山寛美のアホぼん(笑)、可笑しいのなんの。

膝替わりは三味線漫談の三遊亭小圓歌。寄席よりもたっぷりと藝を披露して客の喝采を浴びている。野郎ばっかり出て来る落語会には絶妙の配役。三席目の『宿屋の仇討』になるとさすがに志らくも疲れている、かと思いきや、河岸の若い衆の大騒ぎをたっぷりと演じて楽しませてくれる。うーん、志の輔といい談春といい志らくといい、立川流はほんとに良い藝人を排出しているなあ。

吸血鬼ゴケミドロ

シネマ・ヴェーラにて『吸血鬼ゴケミドロ』(1968松竹)を観る。

映画館は道玄坂をテクテクと登り、セブンイレブンの角を曲がってホテル街を歩き、東急文化村に抜ける途中にあった。あまりにもシンプルな外観のためよく見ないと気がつかない。ちなみにこのシネマ・ヴェーラはQ-AXシネマという映画館ビルの3Fにある。B1および2FがQ-AXシネマ、4Fがユーロスペースである。ユーロスペースは桜ヶ丘からここに移転したのだがまだ行ってない。このビルには映画館が3館入っているのだが、これら3館が経営母体が別なのかそんなことは知りません。

渋谷の名画座といえば渋谷マークシティの裏側にある渋谷シネマ・ソサエティ。ここは開館当初、邦画の名画座として営業していたのだけれど、いつのまにか邦画の特集上映をやらなくなってしまった。邦画ファンとしては期待していただけに残念だったのだが、シネマ・ヴェーラは邦画の名画座たらんとして開館したので、今後もその意志を貫いてほしいものである。

さて『吸血鬼ゴケミドロ』の話だが……この映画、昔から観る機会はあったのだけれど、そのたびに外せない用事があったりスケジュール的に行けなかったり、ずっと観たいと思っていた一本だった。カルトSFホラーとして有名な映画で、けっこうあちこちで上映されており、まあそのうち行けばいいや、とのんびり構えていたが、まあ今回はどうやら観ることができたという次第。けっこう期待して上映を待つ。

後期新東宝バッタもの映画の名優・吉田輝雄が副操縦士をつとめる飛行機が、金色に輝くUFOに襲撃されて墜落。生き残ったのは吉田輝雄とスチュワーデスの佐藤友美のほか、威張り散らす代議士、成り上がりの武器商人とその妻(代議士の愛人)、精神分裂気味の心理学者、パラノイアの宇宙生物学者、爆弾狂の青年、性格の悪い外人女、殺し屋……ほとんどロクなやつがいない。さっさと救助隊を呼びたまえ、と怒鳴り散らす代議士と武器商人、極限状態の人間心理に興味津々の心理学者、慌てて爆弾を隠す青年、事態はどんどん悪化していく。乗客たちは互いに罵りあい人間性をむき出しにして醜い諍いを繰り広げる。このへんは先行する和製SFホラーの傑作『マタンゴ』(1963東宝)と同じく、ドラマにはお馴染みのシチュエーションだ。

そのうちUFOに連れ込まれた殺し屋が、アメーバ状の生命体(こいつがゴケミドロ)に寄生されて吸血鬼と化し、生き残った乗客たちに襲いかかる。まず心理学者と武器商人の妻が犠牲になり、乗客たちのパニックは頂点に達する。爆弾狂の青年は恐怖のあまり自爆、武器商人もゴケミドロに殺される。吉田輝雄が機転をきかせ、ゴケミドロにガソリンをかけて火だるまにして倒すのだが、間一髪で逃げ出した生命体は宇宙生物学者に寄生する。逃げる乗客、追うゴケミドロ。とうとう代議士と外人女もゴケミドロに殺されるが、吉田輝雄と佐藤友美はまたも機転をきかせ、ゴケミドロを倒して危機を脱した。ところが……

この時代のSFXだからしかたがないのだが、パックリと割れた殺し屋の額からアメーバ状の生命体がずるずるずる、と脳内に侵入していく場面が可笑しい。いちおう怖い場面なんだろうけど、当時ならいざ知らずいまの私たちからみればチープで可笑しい。この場面の殺し屋はおもいっきり人形です。またこの人形の造型が往年のドリフのコントを彷彿とさせて二重に笑わせてくれる。特撮の東宝だったらもう少しなんとかなったのかもしれないが、人情ドラマの松竹だからしかたないのかもしれない。代議士に媚び諂い妻を愛人に差し出した武器商人を金子信雄が演じているが、さすがネコさん、この屈折した小悪党の性格をみごとに表現している。またそれに妻を演じた楠侑子がイイ女なんだよなあ。冷酷そうで虚無的で実にイイ女である。殺し屋はシャンソン歌手の高英男。奇妙に無国籍で大仰で実にハマり役。

ようやく観ることができた一本だったが、一度観ればもういいや。

家元ゴキゲンなり

昨日は横浜にぎわい座へ行った。

演藝研究會會長と待ち合わせて会場に入る。今日は柳亭市馬の落語会なのだが、タイトルを「落語と昭和歌謡」という。市馬は衒いのないスケールの大きな落語を聞かせる柳家小さん門下の逸材。しかも懐メロの巧さでは落語界の名手?川柳川柳師匠の牙城に迫る勢い。昭和歌謡を愛してやまない立川談志に気に入られて、東京MXテレビでもちょいちょい歌わされている。というわけで作家の吉川潮(落語立川流顧問)のプロデュースにより、今日の会が実現したということである。なにしろ談志がゲストで来るというのだからすごい。何しに来るんだって感じ(笑)。

まずは市馬で「高砂や」、謡いが随所に入って気合いじゅうぶん。続いて談志の「短命」、お馴染みの艶笑落語だが今日はいつもよりバージョンアップ。エロ度高し、客席大爆笑。ゲストで来ても手を抜かないということは、今日はよほどご機嫌がいいのだろう。

落語の後はお待ちかね昭和歌謡ショー。電子アコーディオンをバックに朗々と歌う市馬の嬉しそうなこと。心なしか緊張しているらしく、それもそのはず、柳家小さん一門の兄弟子であり、落語立川流家元であり、市馬の落語……はともかく歌のセンスを認めてくれた談志が来ているのである。東海林太郎、藤山一郎、ディック・ミネ、伊藤久雄、三波春夫、三橋美智也、、、昭和歌謡を歌いまくり、随所で談志がコメントと解説を入れまくり、客席のジジババ大喜び。ディック・ミネの全盛期と晩年を歌い分けるあたりなど藝が細かい。伊藤久雄の歌も「イヨマンテの夜」ではなく「建設の歌」(名曲!)という選曲の妙、このへんが談志のツボにはまった所以であろう。最後は談志の演出で、伝統的な歌謡ショーのエンディングを再現。家元、よほどご機嫌だったようだ。

最後は「寝床」で、ここでも悠々と高座をつとめて笑わせる。ひさびさに柳家流の滑稽噺をたっぷりと楽しませてもらった。

今日は昼からバスに乗って川崎市市民ミュージアムへ。「名取洋之助と日本工房[1931-45]:報道写真とグラフィック・デザインの青春時代」展の最終日。名取洋之助という写真家について私が知っていることは殆ど無い。詩人の草野心平が名取洋之助とジャンケンをして、負けた方が料理を作るという遊びをしていた、という随筆でその名を記憶しているだけ。いま手許にその本が見当たらないが『わが生活の歌』(現代教養文庫)に収録されていたはず。昭和モダニズムの香り高い写真とグラフィックデザインの展示がみごとだった。名取洋之助は木村伊兵衛と双璧を為し、あの土門拳は名取の弟子だったという。

別室の展示を眺めていたら第1回名取洋之助写真賞を受賞した、清水哲朗という若い写真家の展示がとても素晴らしくて感銘を受けた。モンゴルの首都ウランバートルでは、近年貧富の差が広がり失業者が増加している。家出をした子どもたちがストリートチルドレンと化して、路上やマンホールに住みついて社会問題になっている。マンホールの下に狭い空間があって、そこに縁もゆかりもない子どもたちが何人も暮しているのだ。大草原と放牧の国というモンゴルしか知らない私たちに衝撃を与えてくれる写真。思わぬ収穫だった。

http://www.jps.gr.jp/news/2005/20050914/20050914.htm


セプテンバー・レイン

9月初日は雨。涼快。渋谷ではけっこう雨が降っていたのだが高円寺に到着したら夕焼け空になっていた。待ち合わせまでガード下の小さな焼鳥屋で酎ハイを呑んで時間を潰す。

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沖縄料理「きよ香」にて友人たちと飲む。おみやげの交換会、Hさんからは青森と長野のおみやげを、Kさんからは板橋区のおみやげをもらい、私は名古屋と中国のおみやげを渡す。オリオンビール、ゴーヤチャンプルー、ラフテー、フーイリチー、島らっきょう、豆腐ようなどなど。露地裏の小さな店なのだが陸続と客が入ってきて大盛況。新潟観光を夢見るHさんのために、同じ新潟出身のKさんとふたりであれやこれやと観光スポットを考える。といってもたいていはマヌケな観光スポットなのだが……飲んで食べて喋ってくたびれてしまい、二次会の席で居眠りしてふたりに笑われる。帰りの電車のなかで「さっき寝ていたときに、おでこにマジックで何か書いちゃおうか、って言ってたんですよお(笑)」とKさん。書かれなくて幸いである。電車が遅れて渋谷駅でしばらく待たされ超満員電車で帰宅。


ソウルに行ってきたM嬢との会話。
「韓国の交通事故は日本の3倍、なにしろソウルじゃ車がすごいスピードで走ってるんだよ……もう吃驚しちゃった」
「ああ、韓国人の口癖はパリパリ(早く早く)だって本で読んだね、何でもパリパリだって」
「もうホントに凄いんだよ、あれじゃあ交通事故が多いのも当然」
「中国は横断歩道があろうが信号が赤だろうが、渡りたいときに渡りたいところで渡る、というのがスタンダードだよ」
「じゃあ中国人がソウルに行ったらどうなるんだろう」
「これからの東アジア外交における隠れた問題点だな(笑)」


岡本太郎『明日の神話』を観に汐留まで行ってきた。
展示の最終日だったが昼間だったのでそこそこの混雑ぶり。
いやホンモノは違いますね。圧倒されました。

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