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中国大陸走馬観花記之五

五日目の朝餐。今日もパンと珈琲(笑)。ホテルの前でタクシーを拾い天津北駅裏にある北寧公園へ向かう。タクシーの運ちゃんによれば、この北寧公園は天津市内で最も古く、しかもほとんど変わっていないという。公園に入ってみたら確かに古ぼけた公園だった。母がスケートショーを観たとおぼしき池もちゃんと残っていた。細部までちゃんと記憶しているわけではないというが、それでもあちこちにかすかに見覚えがあるという。母が観たというスケートショーだが、『天津日本租界居留民團資料』によれば、昭和18年1月27日から31日にかけて「稲田悦子招聘模範型氷滑大會」がおこなわれた、と記されている。母が観たスケートショーとはたぶんこれだと思われる。稲田悦子は日本フィギュアスケートの草分けで、当時は天才少女として有名だった人。1936年、わずか12歳でドイツのガルミッシュ・パルテンキルヘンで開催された冬季オリンピックに出場して人気を博したという。

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こんな古ぼけた公園のなかに動物園(上の写真)があった。木の上には「奇観人蛇同居驚険刺激」(訳さなくてもおわかりであろう)という横断幕。入り口には扇情的な看板が、、、うーん、入りたい! しかし母を連れてこんなところには入れないし、そもそもそんな時間はない。まあどうせキワモノであることは重々承知の助。どう見ても動物園には見えない、動物園というよりは妖しい見せ物小屋のような、妖しい忍者屋敷のような動物園。天津を訪れたときには是非とも見学されることをお薦めする。

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公園を出て次に天津北駅に向かう。当然だが駅前もすっかり変貌しておりかつての面影はない。しかし母は駅前にある病院を見て「たしか駅前には病院があって、誰かのお見舞いに来たことを憶えている」という。これも昨日の中学校と同じで、当時の施設をそのまま戦後も病院として使用し、建て直したものであろう。駅前広場に立った母はしばらくあたりの風景を眺めていたが、たしかにあのへんから通りを右に曲がり、この駅を背にしてまっすぐな通りを歩いて通学していた、と言う。くだんの中学校までは1キロほどあるのでタクシーを拾おうかと思ったが、母が歩いていきたいというので同道する。

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通学路とおぼしき裏通りを延々と歩くとここには昔からの建物がたくさん残っていた。通りの両側にはさまざまな屋台や物売りが店を広げており、棗売りを発見した母が「当時もこうやって路上で棗を売っていた」と言って懐かしそうに眺めていた。てくてくあるいて国民小学校跡地に到着。現在の中学校ではちょうど夏の講習がおこなわれているようで、校門の前にはたくさんの親たちが子どもを待っていた。そこから昨日の日本人住宅街を抜け、市場を通り抜けてホテルに戻る。旧日本人住宅街を歩き乍ら、たしかにこういう家々に日本人が住んでいた、と母が感慨深げに呟いていた。国民小学校も自分の家も確認できなかったが、もう二度と天津に来ることはないと思っていた母は、それでも満足であったという。

午餐の後、独りでタクシーを拾って昨夜出かけた濱江道購物広場に行く。昼間もたいした賑わいであちこちのデパートに入ってみたが、どこもかしこも日本のデパートと変わらない。昨日は気がつかなかったが天津伊勢丹の裏に西洋風の教会があった。このあたりは戦前は列強の租界だったので西洋のゴチック建築がたくさん残っている。それなら教会もあるよなあ、と中に入ってみた。フランスのカトリック教会ということで、外の喧噪が嘘のように静かで荘厳な雰囲気だった。観光客に混じり信徒とおぼしき人が何人か静かに座っている。聖水を額につけてカトリック風の礼拝をするオジサンもいる。気がつくとどこからかグレゴリオ聖歌が流れてくる。どうやら隣接する事務所で聖歌隊が練習をしているらしい。なんとも荘厳な雰囲気で一瞬ここが中国・天津であることを忘れそうになってしまう。私は信徒でもなんでもないのだが、世界が平和でありますように、とマリア像に向かって祈りを捧げて外へ出た。

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伊勢丹のすぐ前の歩道橋で片手のない物乞いに遭遇したので1元をあげる。一足600元(約1万円)もするサンダルを嬉しそうに買っていく若い女性がいるかと思えば、相変わらずの物乞いもそこかしこの路上に寝ていたり、うろついていたりする。

またも喧噪の巷を彷徨い繁華街をはずれて路地裏に入り込むと中国大劇院という古ぼけた劇場があった。単なる街の劇場かと思って案内番を読むと、実は70年前に建てられた由緒正しい歴史のある劇場だということがわかった。

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さらに歩くと天津外文書店に遭遇。1階は思いきり工事中で閉鎖されているのかと思ったら、2階以上は営業中という貼紙があった。ここではカバンを預けて入店しろというのでカウンターに預ける。万引防止ということだろう。店内は薄暗くて服務員は揃いも揃ってやる気ゼロ。ああ、懐かしい。これがかつての中国の書店だ。うろうろして『延安:紅色名城旅遊指南系列叢書』『中国公路網地図册』の2冊を購う。北京の書店でもそうだったが、ここでも『江沢民選集』が平積みにされている。熱心な党員なのかなんなのか知らないが、手にとって読んでいる人が目立つ。北京の図書大厦ではマジで500冊くらい平積みになっていたので驚いた。日本で小泉純一郎の著作がこんなに売られているなんて考えられない。また繁華街に戻って、母にお土産用の十八街麻花と、おやつの天津名物揚げ団子を購い、タクシーに乗ってホテルに戻る。

夕方、散歩したいという母を連れて海河沿いを歩く。橋のたもとにこじんまりとしたゴチック建築の望海楼教堂という教会があった。

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見学しようかと中にはいると管理人らしきオジサンに呼び止められる。「あんたたち、ミサに来たのかい?」ちょうど夜のミサがおこなわれていたので見学することはできなかった。それでも漢語を操る変な日本人と年寄りが珍しいのか、いろいろと話かけられる。「ここは昼間なら見学できるし、外国人でも信徒ならミサに出ることもできるよ。オレたちはここを管理したり掃除したりしているのさ。見学したいなら明日の朝にでも来ればいいよ。それにしても年寄りを連れて日本から来たのかい? そうかいそうかい、お母さんは天津に住んでいたのか、ふーんオレたちの生まれる前の話だね、天津もいろいろと変わったよ、もう帰るのかい? じゃあまた機会があれば来なさい、歓迎するよ」
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