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中国大陸走馬観花記之六〜結語

今日で帰国。朝餐の後、部屋で荷造りをしていると電話が鳴る。北京在住の友人B嬢からの電話だった。私が北京にいるときに彼女は折悪しく仕事で出張中、残念乍ら北京での再会はかなわなかった。「せっかくの機会なのにお会いできなくて残念です、、、ああ、昨夜お電話をしていただいたんですか? 昨夜は急に通訳の仕事が入ってしまって、、、携帯電話がつながらなかったんですね、すいませんでした、、、ぜひまた北京にいらしてください、今度はホントにホントに熱列歓迎しますから(笑)」中国がずいぶんと近くなったことがわかったから、また近いうちに北京に来なくちゃならないな。天津駅10:30発の特急に乗って北京に向かう。朝方は小雨がパラついていたが正午に北京についたら晴れていた。

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特に用事もないので早めに空港に入っておいたほうがいいと判断し、駅前でタクシーを拾って首都国際機場に向かう。空港に到着してさっさとチェックインを済ませ搭乗券を受け取る。空港内のレストランで麻婆豆腐に炒飯というベタな食事をして出発ロビーで搭乗を待つ。時間があるうえにどうせ遅れるだろうと踏んで空港内を探検、人民元がたくさん残っているのでいろいろとお土産を購う。案の定、出発が30分遅れるが中国だからちっとも驚かない。もう母も慣れてしまいぜんぜん慌てないようになった。首都国際機場は成田空港と違って滑走路が少ないらしく、窓から外を眺めていたら離陸を待つ飛行機が行列を作っていた。中国は飛行機まで並んでいる(笑)! 

現地時間17:00、飛行機はあっけなく離陸し、機内食を食べたり『理由』を読んだり居眠りしたりしているうちに、日本時間21:00成田空港に到着。3時間かあ、近いなあ。税関を通過して日本に戻ると外は湿度が高く蒸し暑い。空港近くのホテルにチェックインしてシャワーを浴びて寝てしまう。翌日、東京駅で母と別れて帰宅。家に着いて財布を開けたら人民元が400元ほど残っていた。うーん、これじゃまた北京に行かなくちゃならないな(苦笑)

今回は18年ぶりの訪中だったので最初は北京の変貌ぶりに吃驚してしまったが、よくよく考えてみるに現在は中国はバブル経済の真っ最中、しかも1980年代後半の民主化運動、1990年代の改革開放政策を経て、近代化が進んでいるのも当然だろう。そういうことはニュースなどで耳にしてはいたが、実際行ってみるとたしかにたいした発展ぶりだった。そりゃ18年も経てば、日本の地方都市だってずいぶんりっぱになっているのだから、なにもそんなに驚くこたあ、ない。

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とはいえ、私の記憶にある中国は、人民服と自転車とクラシックな自動車とオンボロバスの中国。街頭で喉が乾いたら、道端で1杯5分(0.05元)のお茶を買って飲む中国。ミネラルウォーターのペットボトルなんざ影も形もなかった。そういえば、道端のお茶売りなんて一度も目にしなかった。あのお茶売りという職業はもう絶滅してしまったのだろうか? きっと辺境の地方都市に行けばまだ残っているのかもしれない。食事をしようと思ったら糧票(liang piao)が必要だったが、いまやそんなものはとっくに無くなった。中国人民にとって当時の日本は憧れの国だった。文化大革命を発動して中国全土を混乱に巻き込んだ毛沢東が逝き、江青を含む四人組を打倒したのは、毛沢東が後継者に指名していた華国鋒だった。その後、民主化に理解を示したといわれる胡耀邦時代に芽を吹いた自由への憧れは、隣国日本に向けられていたとも言えるだろう。なにしろ、私が当時出会った人びとは、おしなべて高倉健と中野良子と山口百恵の魅力を語り、日本映画『追捕(君よ憤怒の河を渡れ)』や『砂器(砂の器)』、テレビドラマ『阿信(おしん)』『血疑(赤い疑惑)』に熱狂していた。

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しかし民主化への強い希望は天安門事件で無惨にも叩き潰された。天安門広場に座り込む学生たちに肉声で応えた趙紫陽は即刻解任され、上海のテクノクラート出身の江沢民が、民主化を抑え込みつつ改革開放への幕を開けた。1997年には植民地香港を取り戻し、次は臺灣の奪還を国是として砲声を響かせている。中国は経済の自由化は果したといえるだろうが、民主化にはまだまだほど遠いと思う。地球上で、中国ほど国家を挙げてインターネットの規制に取り組んでいる国は、無い。自由化、民主化というのは酒のようなものだ。飲めば良い気分になるが飲み過ぎると毒になる。いくら飲んでも酔わない人もいれば、匂いを嗅いだだけで酔っ払う人もいる。とはいえ人びとはビールもウイスキーも老酒も、好きな酒をいつでも好きなだけ飲むこと(飲まないこと)ができるのが、自由化、民主化というものではないか。老酒はいいが日本酒はダメ、などと国家に言われる筋合いは、無い。

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私はもう20年以上も(たいしたつきあいではないが)中国とつきあい続けている。それでも18年ぶりの訪中、それもわずか数日の滞在で大きなことは言えないが、北京の変貌ぶりには驚かされた。見るもの聞くものすべてが新鮮だった。それでも駅の切符売場では相変わらず人びとが行列し、カウンターの服務員がこのうえなく不機嫌な顔で切符とお釣りを放り投げている。真っ黒に陽焼けした老婆が公園でアイスクリームを売っている姿と売り声はちっとも変わっていない。変わったのは、アイスクリームが綺麗な包装紙に包まれていることと、18年前に比べて値段がぐっとあがったこと。北京オリンピックを前に高層ビルがあちこちで建設されているが、一歩裏通りに入ると昔乍らの胡同があって、そこには市民の暮しが少しも変わらずに存在していた。夜ともなれば涼を求めて人びとが露店で酒を飲み飯を食い大声で楽しそうに喋っていた。きっと私はこれからもずっと中国とつきあっていくのだろう。

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コメント

先ずはご無事のご帰還、お慶び申し上げます。
お母様をエスコートするなんて、孝行息子ですね。
嬉しかっただろうなぁ、お母さん。ウチのも誰かそんな風に育たないかしら…

ず~っとお付き合いが続いている管理人さんと違って、私は学生時代に齧った…いや、チラッと舐めた程度でしかありませんけれど、その時舌先に感じた中華香辛料の刺激を、久し振りにまた味わう事が出来ました。読んでると、中国の事だけじゃなく、自分の学生時代のこととか、普段忘れているような色んなことが思い出されました。今はすっかり離れてしまっているから、私の頭の中には“中国=青春(恥ずかしい言葉だなぁ…)”という回路が繋がっているのかもしれませんね。

北京の発展の勢い、とぼけたタクシーの運ちゃん、裏路地の喧騒…どれも中国らしいと思います。足並みを揃えようともしない強引さ、極端さが日本との違いなのかな~なんて、ぼんやり考えたりしました。

この数日間、管理人さん母子と一緒に、中国の旅と時間の旅を楽しませて頂いちゃいましたよ~。ありがとうございました!

適当に書きなぐった旅行記ですが、楽しんでいただけたようで私も嬉しく思います。親孝行といえばそうでしょうが、なにしろいままでロクに親孝行してきてないからねえ、ま、これだけやっておけばいいでしょう。ほっとくと何言われるかわかりゃしない(苦笑)

しかしまあ北京があれだけ変貌しているのだから、上海に至っては北京の比じゃないらしい。文中にも登場したB嬢によれば、上海の変貌ぶりときたら、それはそれは想像以上だそうですから。

現代と伝統が同列に存在して複雑に絡み合っているあのアナーキーさが中国の魅力ですね。いまだになんであの国が社会主義国なのか、歴史の必然とはいえとっても不思議です。縁あって中国と関わることになったけど、今となってはとてもよかったと思っています。

私も学生時代のいろいろなことを思い出しました。中国語演習、中国文学特講、中国文学史、中国思想史なんてね……何しろ当時の教科書ときたら、呼びかけの言葉が「同志!(tong zhi)」ですよ(笑) 憶えてるでしょ? 時代を感じますねえ。私たちも歳をとったもんです。

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