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2006年8月

中国大陸走馬観花記之六〜結語

今日で帰国。朝餐の後、部屋で荷造りをしていると電話が鳴る。北京在住の友人B嬢からの電話だった。私が北京にいるときに彼女は折悪しく仕事で出張中、残念乍ら北京での再会はかなわなかった。「せっかくの機会なのにお会いできなくて残念です、、、ああ、昨夜お電話をしていただいたんですか? 昨夜は急に通訳の仕事が入ってしまって、、、携帯電話がつながらなかったんですね、すいませんでした、、、ぜひまた北京にいらしてください、今度はホントにホントに熱列歓迎しますから(笑)」中国がずいぶんと近くなったことがわかったから、また近いうちに北京に来なくちゃならないな。天津駅10:30発の特急に乗って北京に向かう。朝方は小雨がパラついていたが正午に北京についたら晴れていた。

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特に用事もないので早めに空港に入っておいたほうがいいと判断し、駅前でタクシーを拾って首都国際機場に向かう。空港に到着してさっさとチェックインを済ませ搭乗券を受け取る。空港内のレストランで麻婆豆腐に炒飯というベタな食事をして出発ロビーで搭乗を待つ。時間があるうえにどうせ遅れるだろうと踏んで空港内を探検、人民元がたくさん残っているのでいろいろとお土産を購う。案の定、出発が30分遅れるが中国だからちっとも驚かない。もう母も慣れてしまいぜんぜん慌てないようになった。首都国際機場は成田空港と違って滑走路が少ないらしく、窓から外を眺めていたら離陸を待つ飛行機が行列を作っていた。中国は飛行機まで並んでいる(笑)! 

現地時間17:00、飛行機はあっけなく離陸し、機内食を食べたり『理由』を読んだり居眠りしたりしているうちに、日本時間21:00成田空港に到着。3時間かあ、近いなあ。税関を通過して日本に戻ると外は湿度が高く蒸し暑い。空港近くのホテルにチェックインしてシャワーを浴びて寝てしまう。翌日、東京駅で母と別れて帰宅。家に着いて財布を開けたら人民元が400元ほど残っていた。うーん、これじゃまた北京に行かなくちゃならないな(苦笑)

今回は18年ぶりの訪中だったので最初は北京の変貌ぶりに吃驚してしまったが、よくよく考えてみるに現在は中国はバブル経済の真っ最中、しかも1980年代後半の民主化運動、1990年代の改革開放政策を経て、近代化が進んでいるのも当然だろう。そういうことはニュースなどで耳にしてはいたが、実際行ってみるとたしかにたいした発展ぶりだった。そりゃ18年も経てば、日本の地方都市だってずいぶんりっぱになっているのだから、なにもそんなに驚くこたあ、ない。

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とはいえ、私の記憶にある中国は、人民服と自転車とクラシックな自動車とオンボロバスの中国。街頭で喉が乾いたら、道端で1杯5分(0.05元)のお茶を買って飲む中国。ミネラルウォーターのペットボトルなんざ影も形もなかった。そういえば、道端のお茶売りなんて一度も目にしなかった。あのお茶売りという職業はもう絶滅してしまったのだろうか? きっと辺境の地方都市に行けばまだ残っているのかもしれない。食事をしようと思ったら糧票(liang piao)が必要だったが、いまやそんなものはとっくに無くなった。中国人民にとって当時の日本は憧れの国だった。文化大革命を発動して中国全土を混乱に巻き込んだ毛沢東が逝き、江青を含む四人組を打倒したのは、毛沢東が後継者に指名していた華国鋒だった。その後、民主化に理解を示したといわれる胡耀邦時代に芽を吹いた自由への憧れは、隣国日本に向けられていたとも言えるだろう。なにしろ、私が当時出会った人びとは、おしなべて高倉健と中野良子と山口百恵の魅力を語り、日本映画『追捕(君よ憤怒の河を渡れ)』や『砂器(砂の器)』、テレビドラマ『阿信(おしん)』『血疑(赤い疑惑)』に熱狂していた。

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しかし民主化への強い希望は天安門事件で無惨にも叩き潰された。天安門広場に座り込む学生たちに肉声で応えた趙紫陽は即刻解任され、上海のテクノクラート出身の江沢民が、民主化を抑え込みつつ改革開放への幕を開けた。1997年には植民地香港を取り戻し、次は臺灣の奪還を国是として砲声を響かせている。中国は経済の自由化は果したといえるだろうが、民主化にはまだまだほど遠いと思う。地球上で、中国ほど国家を挙げてインターネットの規制に取り組んでいる国は、無い。自由化、民主化というのは酒のようなものだ。飲めば良い気分になるが飲み過ぎると毒になる。いくら飲んでも酔わない人もいれば、匂いを嗅いだだけで酔っ払う人もいる。とはいえ人びとはビールもウイスキーも老酒も、好きな酒をいつでも好きなだけ飲むこと(飲まないこと)ができるのが、自由化、民主化というものではないか。老酒はいいが日本酒はダメ、などと国家に言われる筋合いは、無い。

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私はもう20年以上も(たいしたつきあいではないが)中国とつきあい続けている。それでも18年ぶりの訪中、それもわずか数日の滞在で大きなことは言えないが、北京の変貌ぶりには驚かされた。見るもの聞くものすべてが新鮮だった。それでも駅の切符売場では相変わらず人びとが行列し、カウンターの服務員がこのうえなく不機嫌な顔で切符とお釣りを放り投げている。真っ黒に陽焼けした老婆が公園でアイスクリームを売っている姿と売り声はちっとも変わっていない。変わったのは、アイスクリームが綺麗な包装紙に包まれていることと、18年前に比べて値段がぐっとあがったこと。北京オリンピックを前に高層ビルがあちこちで建設されているが、一歩裏通りに入ると昔乍らの胡同があって、そこには市民の暮しが少しも変わらずに存在していた。夜ともなれば涼を求めて人びとが露店で酒を飲み飯を食い大声で楽しそうに喋っていた。きっと私はこれからもずっと中国とつきあっていくのだろう。

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中国大陸走馬観花記之五

五日目の朝餐。今日もパンと珈琲(笑)。ホテルの前でタクシーを拾い天津北駅裏にある北寧公園へ向かう。タクシーの運ちゃんによれば、この北寧公園は天津市内で最も古く、しかもほとんど変わっていないという。公園に入ってみたら確かに古ぼけた公園だった。母がスケートショーを観たとおぼしき池もちゃんと残っていた。細部までちゃんと記憶しているわけではないというが、それでもあちこちにかすかに見覚えがあるという。母が観たというスケートショーだが、『天津日本租界居留民團資料』によれば、昭和18年1月27日から31日にかけて「稲田悦子招聘模範型氷滑大會」がおこなわれた、と記されている。母が観たスケートショーとはたぶんこれだと思われる。稲田悦子は日本フィギュアスケートの草分けで、当時は天才少女として有名だった人。1936年、わずか12歳でドイツのガルミッシュ・パルテンキルヘンで開催された冬季オリンピックに出場して人気を博したという。

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こんな古ぼけた公園のなかに動物園(上の写真)があった。木の上には「奇観人蛇同居驚険刺激」(訳さなくてもおわかりであろう)という横断幕。入り口には扇情的な看板が、、、うーん、入りたい! しかし母を連れてこんなところには入れないし、そもそもそんな時間はない。まあどうせキワモノであることは重々承知の助。どう見ても動物園には見えない、動物園というよりは妖しい見せ物小屋のような、妖しい忍者屋敷のような動物園。天津を訪れたときには是非とも見学されることをお薦めする。

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公園を出て次に天津北駅に向かう。当然だが駅前もすっかり変貌しておりかつての面影はない。しかし母は駅前にある病院を見て「たしか駅前には病院があって、誰かのお見舞いに来たことを憶えている」という。これも昨日の中学校と同じで、当時の施設をそのまま戦後も病院として使用し、建て直したものであろう。駅前広場に立った母はしばらくあたりの風景を眺めていたが、たしかにあのへんから通りを右に曲がり、この駅を背にしてまっすぐな通りを歩いて通学していた、と言う。くだんの中学校までは1キロほどあるのでタクシーを拾おうかと思ったが、母が歩いていきたいというので同道する。

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通学路とおぼしき裏通りを延々と歩くとここには昔からの建物がたくさん残っていた。通りの両側にはさまざまな屋台や物売りが店を広げており、棗売りを発見した母が「当時もこうやって路上で棗を売っていた」と言って懐かしそうに眺めていた。てくてくあるいて国民小学校跡地に到着。現在の中学校ではちょうど夏の講習がおこなわれているようで、校門の前にはたくさんの親たちが子どもを待っていた。そこから昨日の日本人住宅街を抜け、市場を通り抜けてホテルに戻る。旧日本人住宅街を歩き乍ら、たしかにこういう家々に日本人が住んでいた、と母が感慨深げに呟いていた。国民小学校も自分の家も確認できなかったが、もう二度と天津に来ることはないと思っていた母は、それでも満足であったという。

午餐の後、独りでタクシーを拾って昨夜出かけた濱江道購物広場に行く。昼間もたいした賑わいであちこちのデパートに入ってみたが、どこもかしこも日本のデパートと変わらない。昨日は気がつかなかったが天津伊勢丹の裏に西洋風の教会があった。このあたりは戦前は列強の租界だったので西洋のゴチック建築がたくさん残っている。それなら教会もあるよなあ、と中に入ってみた。フランスのカトリック教会ということで、外の喧噪が嘘のように静かで荘厳な雰囲気だった。観光客に混じり信徒とおぼしき人が何人か静かに座っている。聖水を額につけてカトリック風の礼拝をするオジサンもいる。気がつくとどこからかグレゴリオ聖歌が流れてくる。どうやら隣接する事務所で聖歌隊が練習をしているらしい。なんとも荘厳な雰囲気で一瞬ここが中国・天津であることを忘れそうになってしまう。私は信徒でもなんでもないのだが、世界が平和でありますように、とマリア像に向かって祈りを捧げて外へ出た。

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伊勢丹のすぐ前の歩道橋で片手のない物乞いに遭遇したので1元をあげる。一足600元(約1万円)もするサンダルを嬉しそうに買っていく若い女性がいるかと思えば、相変わらずの物乞いもそこかしこの路上に寝ていたり、うろついていたりする。

またも喧噪の巷を彷徨い繁華街をはずれて路地裏に入り込むと中国大劇院という古ぼけた劇場があった。単なる街の劇場かと思って案内番を読むと、実は70年前に建てられた由緒正しい歴史のある劇場だということがわかった。

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さらに歩くと天津外文書店に遭遇。1階は思いきり工事中で閉鎖されているのかと思ったら、2階以上は営業中という貼紙があった。ここではカバンを預けて入店しろというのでカウンターに預ける。万引防止ということだろう。店内は薄暗くて服務員は揃いも揃ってやる気ゼロ。ああ、懐かしい。これがかつての中国の書店だ。うろうろして『延安:紅色名城旅遊指南系列叢書』『中国公路網地図册』の2冊を購う。北京の書店でもそうだったが、ここでも『江沢民選集』が平積みにされている。熱心な党員なのかなんなのか知らないが、手にとって読んでいる人が目立つ。北京の図書大厦ではマジで500冊くらい平積みになっていたので驚いた。日本で小泉純一郎の著作がこんなに売られているなんて考えられない。また繁華街に戻って、母にお土産用の十八街麻花と、おやつの天津名物揚げ団子を購い、タクシーに乗ってホテルに戻る。

夕方、散歩したいという母を連れて海河沿いを歩く。橋のたもとにこじんまりとしたゴチック建築の望海楼教堂という教会があった。

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見学しようかと中にはいると管理人らしきオジサンに呼び止められる。「あんたたち、ミサに来たのかい?」ちょうど夜のミサがおこなわれていたので見学することはできなかった。それでも漢語を操る変な日本人と年寄りが珍しいのか、いろいろと話かけられる。「ここは昼間なら見学できるし、外国人でも信徒ならミサに出ることもできるよ。オレたちはここを管理したり掃除したりしているのさ。見学したいなら明日の朝にでも来ればいいよ。それにしても年寄りを連れて日本から来たのかい? そうかいそうかい、お母さんは天津に住んでいたのか、ふーんオレたちの生まれる前の話だね、天津もいろいろと変わったよ、もう帰るのかい? じゃあまた機会があれば来なさい、歓迎するよ」
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中国大陸走馬観花記之四

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四日目の朝餐、バイキング形式のレストランでパンと珈琲。早くも中華料理に飽きてきた(笑)。ホテルのすぐそばの公園で京劇の演奏が聞こえてくるので行ってみると、四阿(あずまや)に老人たちが集まり名調子を披露している。二胡、琵琶、鳴りものの演奏に乗せて日に焼けた爺さんが朗々と京劇のセリフをうなっている。海河に架かる金鋼橋を渡って古文化街というテーマパークに至る。ここは清朝時代の街並を復元したショッピングモール。ぶらぶらし乍ら母の買い物につきあいタクシーで少し離れた鼓楼のそばにある広東会館へ行く。ここは100年ほどまえ広東地方の富豪によって建てられた建物。典型的な四合院様式で当時の雰囲気をよく保存していて見応えがある。この中心にひときわ目立つのが天津戯劇博物館。ここは京劇を上演するための戯楼で、広い内部には戯台(ステージ)が配置されている。天井はとても高く二階席の窓から射し込む光がいい雰囲気だ。精巧かつ繊細な彫刻が施されて圧巻、100年前の雰囲気が実によく保存されている。京劇の名優梅蘭芳(Mei, Lan Fang)もこの舞台に立ったことがあるそうだ。

鼓楼附近にはこれもまた古文化街と同じ清朝時代のショッピングモールがある。ついでだからとぶらぶら散策していたら、ある露店の隅に面白いものがあった。毛沢東バッジである。中国ではお土産として毛沢東バッジのレプリカがあちこちで売られているのだが、これらはどうもホンモノらしい。露店のオヤジ曰く「これはみんなホンモノさ。手放す人がいるんだよ。まあ、いまさらこんなもの後生大事に持っていたってしょうがないからな。あんた、コレクターかい? それならこれなんかどうだ。大きくてかっこいいぜ、一個10元でお買得だよ。これかい? ああこれは革命バッジだよ。これは小さいから5元。観光地で売られているのはみんなレプリカだけど、これはホンモノなんだ」ここだって観光地じゃねえか、とツッコミを入れたくなる(笑)。まあ中国のことだから精巧なレプリカかもしれないが、それにしても10個が1パックで売られているお土産品とは異なるいい雰囲気のブツなので購入。


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ちょうどお昼どきに差しかかったのでタクシーを拾って天津伊勢丹百貨店に向かう。あちこちで建設中の高層ビルを見かけるので尋ねてみると、魁三太郎似の運ちゃんは「そうだよ、なにしろオリンピックが来るからね、いま天津じゃあちこちでその準備中だよ。ホテルも作らなくちゃいけないし、最近は地下鉄が開通したんだ。そうなんだよ、ここ数年は景気がいいからね、古い建物は壊して再開発の真っ最中だよ。伊勢丹は高過ぎてオレらは滅多にいかないね。それでも景気のいい連中や外国人で混雑しているよ」南京路に面した天津伊勢丹は高級ブランド品を買う富裕層たちでごったがえしている。日本とは違って地下食品売場というものはなく、中二階が食品売場とレストランになっていて面白い。日式焼鰻魚飯(鰻丼)を食べてみるがけっこういける。とはいえタレがちょっと勘違いしている気がするが、まあこれもご愛嬌、何しろ私たちがふだんスーパーで買っている蒲焼だって中国産なのだ。


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母は午前中にあちこち歩き回って午後はホテルで休息するというパターンなので、今日もいったんホテルに戻ってから私は独りで街を散策することにした。日本で探し出した戦前の天津市内地図のコピーを片手に、母が通っていた国民小学校や居住地域を下見に行く。昨夜、庶民で賑わっていた露地のどん詰まりに中山公園がある。ここを抜けて反対側に出ると市場に出くわす。地図に寄ればどうもこの界隈に日本人が数多く住んでいた旧住宅が残っているらしい。外国人など滅多に来ないであろう市場はごみごみして汚くて臭い。しかしちっとも嫌な気がしない。ああ中国だなあ、と思う。色とりどりの野菜、卵、魚介類、量り売りの肉屋では豚の半身がいくつもぶら下がっている。あたりをつけて一本の露地に入り込むと、いかにも古い建物群が現われた。煉瓦造りの長屋形式の家々が連なっている。かなりの風雪に耐えてきたような古びた建物をよく見ると、たしかに戦前ふうの一種モダンな意匠があちこちに施されている。たぶんこれらが旧日本人住宅街なんだろう。いまでは庶民が暮していて生活の匂いが充満している。家の前の共同露地に日に焼けた婆さんがぼんやりと座っている。家の中から孫らしき幼児が駆け出してきて、婆さんは「危ないから気をつけなさい」と一声かけて目を細めている。中国人を日本人に置き換えればそのまま戦前の光景になるのだろう。


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かつて国民小学校があったとおぼしきあたりには立派な中学校が建てられていた。たぶん戦前に日本が造った国民小学校を戦後はそのまま中国が学校として使用し、そのうち老朽化が進んだので建て直したのだろう。さきほどの旧日本人住宅街からすぐ近くに位置しているのだが、母の記憶によれば「駅を背にして長い通りをまっすぐ歩いて通学していた」というので、どうも母が住んでいたのはさきほどの住宅街ではないらしい。まあきっとあちこちに日本人の住宅があったのだろう。そしてこの場合の駅というのは、私たちが到着した天津駅ではなくそのひとつ先にある天津北駅に間違いない。なぜならこの中学校の脇にある通りを1キロほどまっすぐ歩くと天津北駅に至るからである。さらに母は「駅の近くに大きな公園があって、ある年の冬、日本からアイススケートの選手が来て、氷結した池でスケートのショーがあったのを見物した」というが、天津北駅から歩いて数分のところにいまでも池のある公園がある。母はたぶん駅の裏あたりの何処かに住んでいたと思われる。


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だいたい見当がついたのでこんどは当てもなく歩き出す。ギラギラと陽が照りつけてうだるような暑さ。汗がじわじさと吹き出してきた。適当に歩いていると目の前に大きなスーパーマーケットが現われた。ひと休みしようと中に入ってみたら、ここは日本でもお馴染みの郊外型の大型量販店。そうかあ、ついに中国でもこういう店ができたのか。二階にあがると広大なフロアに食料品が陳列されていて、買い物のカートを押す家族連れで賑わっている。街の小売部(商店)でミネラルウォーターを一本買うとだいたい2元だが、ここでは特売で1.3元で売られている。まとめ買いするとお得なので思わず買ってしまいそうになるが、よく考えると私はただの旅行者なのであった。3階にあがるとここは衣料品や生活用品の売場。ダイエーやイトーヨーカドーの衣料品売場とおんなじだあ。


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夜、母を連れて天津市内の繁華街、濱江道購物広場へ出かける。広場といっても南京路と和平路を結んで延々と続く大繁華街のこと。ホテル附近の静かな光景とはぜんぜん違うネオンギラギラ、近代的デパートや洋服店、食堂、ファストフードが立ち並び、雑貨屋が密集しているあたりは吉祥寺を思わせる雰囲気。天津に来たら狗不理包子(Gou bu li bao zi)を食べねばならぬ。狗不理は中国でも有名な包子の名店、天津といえば包子、包子といえば狗不理なのである。18年前に訪れたときはむかし乍らの古い店内で、蒸籠から湯気を立てていた包子を貪り食ったことを思い出す。しかしいまではかなり儲けて手広く店鋪展開をしているらしく、フリの客は殺風景なファストフード的なフロアに通されるようだ。二階には雰囲気のある綺麗なフロアがあるらしいが、そこに通されるのは団体客、観光客なのであろう。まあ贅沢はいわずに名物の包子セットを買って食べる。殺風景ではあったが18年ぶりの狗不理包子はやっぱり美味しかった。


中国大陸走馬観花記之三

三日目の午前中は天壇(tian tan)に行く。幼い頃に天津から天壇へ来たことがあるという母は、印象的な建築をうっすらと記憶しているらしい。ホテルの前で乗ったタクシーの運ちゃんが「いま、天壇の祈年殿は改修中だから頤和園(yi he yuan)はどうだい?」と言ってくる。まあそれもいいとは思うが、何しろ午後には天津行きの列車に乗らなければならないので、そんなに遠くまで行ってはいられない。ぼんやりと車窓から外を眺めていたら、車が天壇とは反対方向に向かっていることに気づいて運ちゃんに尋ねる。「頤和園には行かないんだったね、いや悪い悪い、ちかごろ歳のせいかうっかりしててさ、女房にも怒られるんだよ(苦笑)」おかげで北京城をほぼ一周するということになったが、それはそれで北京市内の発展変貌ぶりをつぶさに眺めることができて面白かった。天壇で降りてあたりを散策する。それにしても肝心の祈年殿が改修中、昨日の故宮博物院の太和殿といい、北京オリンピックに対する北京の入れ込みようがしのばれるというものだ。

ホテルに戻ってチェックアウトしA嬢にお礼を言って北京駅に向かう。恒基中心のなかの飲茶楼で午餐。宮保鶏丁(鶏肉とピーナツの辣椒炒め)が猛烈に辛くて美味しかった。午後の列車で天津に向かう。18年ぶりに北京駅に入場。どういうわけだか全員が荷物をX線でチェックされる。空港並みだネ。

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駅前広場や駅構内には、中国全土から出稼ぎに来た労働者や出張のビジネスマン、若いカップルから老人子ども親子連れでごったがえしている。この光景は変わらないなあ。改札前でまたしても長い行列。なんでホームに行けないのだ、という母の問いに、出発の直前にならないと改札はしない、それが中国というものだ、と説明。

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北京と天津間をわずか1時間ほどで走る特急列車「神州号」は二階建て、思いのほか綺麗で快適。私はくたびれてほとんど寝ていたが、母は車窓から見える高梁畑が懐かしくてずっと観ていたそうだ。

北京を出発して1時間ほどで天津駅到着。北京駅とは違って古くさく薄暗く、それでいてなかなか広くて風格のある駅舎。流しのタクシーを拾って天津暇日飯店(TIANJIN HOLIDAY INN)に向かう。ほどよく老けた運ちゃんは、私が日本人だとわかるとしきりに十八街麻花(shi ba jie ma hua)を買わないのかと聞いてくる。麻花というのは小麦粉を練って油で揚げたお菓子で、特に天津の十八街麻花は老舗中の老舗でたいへん有名なのである。「十八街麻花はよオ、あっちこっちにニセものがあッからね、河西区にあるのが総店(本店)だヨ、そこなら間違いない、正真正銘ホンモノの十八街麻花だア」

天津話は基本的に標準語に近いのだがちょっとクセがある。たとえば「公園」という単語の発音は標準語では gong1 yuan2 (数字は声調:音の高低を表わす)なのだが、天津訛りだと gong3 yuan2 に転調するようで、ついには私まで訛ってしまい、おかげでコミュニケーションがスムーズにいった、ような気がした。まあ北京には北京話(これがまた強烈な巻舌でさっぱりわからない)があるし、上海話や広東話は同じ中国人どうしでも理解不能だし、訛りなんて何処にでもある。北京から遠くない天津の訛りなんて東京弁と茨城弁くらいの違いしかない(と思う)。学生時代、中国語の教師に「みなさんがいま勉強している標準語を喋っている中国人には、中国ではまずお目にはかかれません(笑)」と言われたことを思い出した。

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タクシーは天津駅前広場から、市内を流れて渤海に至る海河(hai he)に沿って走り、金鋼橋という大きな橋を渡ってホテルに到着。母は海河のことも憶えているようでここでも懐かしげに眺めていた。チェックインを済ませ荷物を放り出して晩餐。めんどうくさいのでホテルのレストランで済ませ、夜の市街を散策に出かける。

ここらへんは中心地からはずれたところなので、庶民の暮しの風景がそこかしこにある。店も外国人が行くようなところではなく鋪道もでこぼこ。人が集まってがやがやしているので行ってみると、屋外映画上映会の準備をしているのだった。煙草をくわえたオジサンがビルの壁を即席のスクリーンにして映写機の点検をしている。周りでは老若男女が集まって楽しそうに談笑し、ガキどもはあちこちを走り回っている。夏の夜の屋外映画上映会かあ、椎名誠の世界だな。

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ひときわ明るい路地があったので足を踏み入れてみる。50メートルほどの路地の両側に食堂がずらりと並んでおり、路地にテーブルと椅子を出してたくさんの庶民がわいわいがやがや、テーブルにはビール瓶が林立し、餃子、包子、麺条、各種名菜、注文を受けた店員が忙しく立ち回りまことに賑やか。夏の夜に夕涼みがてらここに集まってくるのだろう。回族食堂の前では、串焼きの羊肉を炙る煙りがもうもうと立ち込め、なんとも美味しそうなのである。今回は食べなかったが、実際これは美味しい。いわゆる中近東名物シシカバブだ。中国国内には回族(hui zu)と呼ばれるイスラム教徒が860万人ほど住んでいる。回族はイスラム教(清真教:qing zhen jiao)を信奉するひとびとの総称なので、いわゆる民族的分類にはあてはまらない。長い歴史のなかで民族融合をおこなわれてきたため、見るからにペルシャ系の顔をした回族もいれば、どう見てもふつうのアジア人の顔をした回族もいる。

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かれらは宗教的理由で豚肉を食べない。したがって中国全土に居住している回族のためにあちこちの街には回族食堂が点在している。一目で見分けられるように、回族食堂は青い装飾が施されており、たいがい「清真食堂」とか「回民食堂」という看板がある。気温が氷点下に下がる北方の冬、道端で焼いている串焼き肉をハフハフ食べるのはまことにこたえられない。いつかまた冬に来てハフハフしたいものだ。

路地の終点から引き返しホテルに戻る途中、屋外映画上映会の場所を通りかかると、ビルの壁にサスペンスドラマが上映されていた。かっこいい警官役の俳優が神妙な顔つきで事件解決にあたり、楽しそうにそれを観ている庶民たち。なんだかいい光景だった。

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二日目の朝はホテルのラウンジで朝餐。寝起きでぼんやりとし乍らバイキング形式の朝食を摂る。パンと珈琲を啜っているうちに母がお粥があったわよ、と言う。北京の朝餐がパンと珈琲なんてマヌケなもんだ。明日はお粥にしよう。地下鉄に乗って母が行きたいと言っていた故宮博物館へ向かう。

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初めて中国の地下鉄に乗る母が興味津々で構内を眺めているうちに地下鉄登場。相変わらず古くさい車輌だ。北京の地下鉄は相変わらず切符売場で直接買う形式。母は自動券売機はないのか、と言うがなかなかそういうものは普及しないようだ。まあここは中国だからいちいち驚いてはいられない。

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まずは王府井大街(wang fu jing da jie)で下車。北京の銀座通り、王府井もすっかり近代的に変貌していて驚いた。私の記憶にある王府井は人民服と自転車の洪水、古い街並と商店が立ち並んでいる通り。“現在の日本の銀座”みたいな雰囲気に変貌した風景を見て暫し感慨に耽る。

長安街を歩いて天安門広場に出る。ニュース映像などでお馴染みのあの天安門広場である。1949年10月、毛沢東がコテコテの湖南省訛りで中華人民共和国建国を宣言したあの天安門がどーん、と聳え立っている。1989年6月4日、中国全土を揺るがせた民主化運動、若者たちで埋め尽くされた広場、市民と人民解放軍が衝突して多くの血が流された場所だ。ひさしぶりに天安門を眺める。巨大な毛沢東の肖像画が広場を見つめている。あのときは日本のアパートでテレビを観乍ら呆然としていたことを思い出した。天安門をくぐって端門をくぐっていよいよここから故宮博物院。ここからは切符を買って入るのである。動かないでここで待っているように、と母に言い渡して切符売場の行列に並ぶ。ああ、ひさびさの排隊(pai dui)だ。なんだかちょっと嬉しい。

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中国で切符を買うためにはとにかく並ぶ(排隊)のである。かつて私は哈爾濱(ハルビン)駅で切符を買うために3時間並んだことがある。人民元を握りしめた人びとは切符売場の服務員と怒鳴り合い、後ろからはヤジが飛び、行列は遅々として進まず、私は持参した饅頭(man tou)を頬張り乍ら人の波に揉まれていた。あと数人で私の番というところで服務員はカウンターに札を立てて高らかに宣言する。「今日の汽車の切符は売り切れ!」

目の前で切符を買い損ねた男は激高してカウンターに飛び上がり、間仕切りを叩いて「ふざけるな! 朝から並んでいるんだ、売り切れとはどういうことだ!」と怒鳴る。たちまち周囲から、オレだって朝から並んでいるんだ、売り切れだあ? 嘘つけ、まだあるんだろう? ●●●●! どこに切符をまわすつもりだ! この●●●め! そんなもん役人にまわすに決まってるだろ、●●●! 金持ちにゃ勝てない、しょうがないよ、看板には「為人民服務(人民のために働く)」って書いてあるじゃないか、あの女を引きずり出せ!、てめえの●●を●●するぞ! 罵詈雑言と嘆息と怒号飛び交う駅構内の喧噪はいつ果てるともなく続く。まったくもって懐かしい想い出である。あの頃は気力も体力も時間もたっぷりとあったんだなあ。

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ここではわずか20分ほど並んだだけで切符が買えた。さすがにここで3時間並ぶ気力も体力も今はない。午門から太和門をくぐると目の前に聳え立つのが太和殿。映画『ラストエンペラー』でもお馴染みの、あの巨大な宮殿だ。残念乍ら現在修復中であの壮大な姿は拝めないが、その巨大さはじゅうぶんに窺うことができる。保和殿、乾清門、乾清宮、坤寧宮、、、さすが中国、無駄に広い。なにしろ72万平米もあるのだ。隅から隅まで堪能しようと思ったら数日かかると言われるくらいである。母がもうこれでじゅうぶんだと言うので、また最初に戻るために歩き出す。裏の神武門から出てもいいのだが、そうなるとこんどは故宮をぐるりと半周することになるので、めんどうだが天安門まで後戻り。天安門広場を横切って前門に向かう。また天安門広場ってのがこれまた無駄に広い。

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北京駅前の恒基中心という近代的なショッピングモールのファストフード店で午餐。うーん、紅焼牛肉麺がしみじみと不味い。決して美味しくない。しかしこれが一般市民の味だ。慣れればけっこういい感じなのだが、まあツアーでは味わえない午餐ということでよしとしよう。独り旅なら路地裏の汚い食堂で紅焼牛肉麺を啜るのだが、さすがに年寄りにそんなところでものを食わせるわけにはいかぬ。ほぼ同じ味だとしてもこちらのほうがずっと衛生的。

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暑さと疲れで午後は休息するという母をホテルまで送り私は独りで北京の街を散歩。地下鉄に乗って西単(xi dan)へ出る。お目当ての北京図書大厦(BEIJING BOOKS BUILDING)で本を買うつもりなのである。まったく何処に行っても本屋に寄るという病気は治らない。さてさて北京の書店はどのように変わっているのだろう。なにしろ18年ぶりなので見るもの聞くものすべてが新鮮だ。(写真は店の前にあるオブジェ)

店内に足を踏み入れて驚いた。予想はしていたのだが、なんとすべての本を自由に手に取って眺めることができる! 当時の書店では客が自由に本を眺めることができなかった。そういうフロアもあったが、たいていの本はカウンターの後ろに並んでいて、仏頂面の服務員に「あの本を見せてください」と頼むと、服務員のお姐さんが無言で書架から本を抜き出し、客に向かって放ってくれるというありがたいシステムだった。

ここで『重走長征路』『北京交通地図册』『理由』(宮部みゆきのアレです)の3冊を購い、音像売場では池袋の知音書店で見当たらなかったCD『中国60年代経典歌曲』を発見、ついでにDVD『東方紅』を購う。『理由』の臺灣版を持っているのだが、中国版のほうがページ数が少ないような気がしてならぬ。気になってしかたないので比較のために購う。収銀台(レジ)に本を持っていくと仏頂面のお姐さん(18年前よりずっと美人)が釣り銭を放ってよこした。おお、まだまだ中国名物「必殺釣り銭投げ」は健在。なんだかちょっと嬉しい。西単の胡同をぶらぶらとうろついて王府井書店を覗いてホテルに戻る。

追記:帰国して『理由』の臺灣版と中国版を比較してみたら、臺灣版は逐語訳、中国版はかなり省略が多く翻訳もちょっと雑だった。とはいえなかなか中国らしくてこれはこれでよい。

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中国大陸走馬観花記之一

夏休みを利用して北京〜天津に行ってきた。
今回は独り旅ではなく老いたる母を連れての旅行。母は戦時中、当時の中華民国河北省天津市に住んでおり、終戦後に天津から引き揚げ船で帰国したので、いつか天津を再訪したいと言っていたのである。北京ならともかく天津というところは観光地ではないのでツアーもない。だから個人旅行で行くしか方法はない。だんだん歳をとってきて無理も効かなくなるし、そもそも漢語が喋れない。そこで多少なりとも漢語を操ることができる愚息をガイド役に、これ幸いとばかり天津再訪とあいなったという次第である。

初日は成田エキスプレスで空港へ。さすがに帰国ラッシュは峠を越しているようだが、それでもかなりの混雑である。まあいつもはこんなもんなんだろうな。早めにチェックインを済ませ、しばらく和食にはありつけないからと、空港内の食堂で鉄火丼を食べる。午後3時のフライトが30分ほど遅れる。まあ中国だからしかたがない。かつては中国と韓国の国交がなかったため、北京行きの飛行機はいったん南下して上海あたりを経由していたので、かなり時間がかかったと記憶している。やはり朝鮮半島の上空を飛ぶのは抜群のショートカット。朝鮮半島の上を飛べば早く着くのになあ、などと友人とぼやいていた頃が懐かしい。

ぼんやりとしているうちにやや曇りがちの北京首都国際機場に到着。実に18年ぶりの訪中である。おぼろげな記憶のなかの北京空港は薄暗くて古くさい建物だったが、さすがに18年の歳月を経て明るく近代的な空港に変貌していた。日本の空港係官より数段厳しい表情の係官に入国を許される。空港からタクシーに乗ってホテルへ向かう。曇りがちと思っていたがやはりけっこうな塵埃が舞っているようだ。2008年の北京オリンピックを控え、あちらこちらで急ピッチで工事がおこなわれているという情報を北京在住の知人から聞いていたとおりだ。何しろ中国は世界に冠たる環境汚染大国。もともと乾燥しているうえに黄砂が降りそそぐ量が年々歳々増えている。ホテルに着いたらまずはうがいだ。

東四十条の北京港澳中心瑞士酒店(SWISSOTEL BEIJING)に到着。ヨーロッパ資本の高級ホテルらしく立派な建物だ。なにしろ私はリュック担いでの独り旅専門なので、行き当たりばったりの中級ホテルに飛び込むのが常。やはりスポンサーがいると旅のランクも違う。明後日の天津行の列車の切符を買わねばならないところでA嬢登場。彼女は私の北京在住の友人B嬢の老朋友。私たちが泊るホテルがたまたまA嬢の勤務先だったので、B嬢から「日本から来る妖しい男とその御母堂をよろしく世話するように」と言い付かっていたという。いやはやなんとも申し訳ない。さっそくA嬢は事務室に交渉してくれて、天津行きの切符は別フロアのカウンターで無事受け取ることができた。謝謝! 部屋の窓から見える北京の夜景は18年ぶりという時間差もあってか、明るく賑やかに見えた。


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一網打尽

秋葉原のイベント会場で男が暴れ、花火がうるさいとオヤジが散弾銃をぶっ放し、酔っ払いが『日本沈没』の上映中に消火器を噴射する日本の夏、緊張の夏。白神山地の禁漁区で違法にイワナの渓流釣りが後を絶たず問題になっているという。

報道によれば「注意した監視員が釣り人に囲まれ、怖い思いをしたこともある。山の中では助けも呼べないため、取り締まりは容易でない」という事態にもなっているようである。山奥の渓流で多勢に無勢、そりゃ怖いだろうなあ。だいたい釣り人って魚を釣ることしか頭にないやつが多いからなあ。釣り人が率先して自然保護を実践しましょう、っていうのは、つまりそれだけ自然保護なんぞ頭にないバカが多い証拠。

こういうときこそ地元のヤクザや元気の良い兄チャンを監視員に起用すればいいと思うのだが如何? バカ釣り人の前に竹内力や的場浩司みたいな強面が岩陰からのそり、と現われて凄むのである。

「おう、ここで釣りなんかしちゃなんねえぞ、山の神様のバチがあたるべよ」
「おめだづ、みな罰金だぞ、罰金。バチがあだるよか罰金で済めばいいでねえか、なあアニキ」
「それよかここらへんの熊ども、最近イワナが取れねようで腹減らしてるっ、て噂だぞ(笑)」
「神様のバチと熊と罰金のどれがいいだべさ、おお、聞こえてんのかよっ!」

地方の若者の雇用促進にもなるし、だいたい役人なんぞには腰の据わった指導なんぞできないから、このほうがいいと思う。彼らをいま流行りの「見なし公務員」扱いにすればいいのだ。禁漁区で違法な釣りをしてたら監視員に殴られた、などと訴えるようなバカは、公務執行妨害でどんどん逮捕すればいいのである。

絶望のスパゲティ

先日のことである。ギンギラギンの炎天下、さて映画を観るぞ、と池袋新文藝座までたどり着いて愕然とする。なんともマヌケなことに日にちを勘違いしていて、観たい映画はもう終わっていたのだった。打ち気満々でストレートを待っていたらとんでもない暴投が飛んできた気分。目標が突然消滅してしまい、とたんにヘナヘナと力が抜けてしまう。

しょうがねえなあ、池袋演藝場でも冷やかしに行くかと歩き出した。ところが番組表を見てあまりにもつまらないので断念。第二球も空振りだあ。路上で呆然としていてもしょうがないので知音書店に入る。おや、店鋪が縮小されたようだ。棚を眺めてCD『中国50年代経典歌曲』『中国70年代経典歌曲』『中国80年代経典歌曲』を購う。なぜか60年代だけ見当たらないが、まあいいか。次にジュンク堂に足を伸ばし絲山秋子『絲的メイソウ』、パトリック・マシアス著・町山智浩編訳『オタク・イン・USA』を購う。池袋の地下食料品街でソーセージ、唐辛子、パスタなどを仕入れて帰宅。

しっかりと辛い赤と青の唐辛子をみじん切りにして、ニンニクといっしょにオリーブオイルで炒める。茹であがったパスタをささっと絡めてスパゲティ・アル・デスペラート(絶望のスパゲティ)のできあがり。おお、今日の出来は上々、と自画自賛。それにしても勘違いで始まった一日の締めくくりが、絶望のスパゲティとはこれいかに。まあ美味しかったからいいか。

デキる八百屋

買い物の途中で八百屋に寄った。いつもは仕事帰りに駅近くのスーパーマーケットなどで買うことが多いのだが、今日は休みでもあり駅まで歩くのもめんどくさかったのである。

この八百屋ときたら、いったい戦後の闇市時代からあまり変わっていないのではないか、というくらいの小さくて古くさい店。なにしろいまだに店内(というほどのものではないが)の照明が裸電球。夕方に通りかかると薄暗闇のなかにぼんやりと灯が見え、年季の入った木製の棚にキャベツや長ネギ、ピーマンが無雑作に置いてある。この棚の微妙な傾き加減が年輪を感じさせて、まるでつげ義春のマンガのような雰囲気の八百屋なのである。

いつ潰れるかと思っているが、ときどき近所の婆さんがホウレン草などを買っているので、お馴染みさんもけっこういるのであろう。ここには六十がらみの気の良いオヤジがいて、店の奥の居間には八十過ぎとおぼしき白髪の爺さん(父親?)がいつも呆然と座っている。この爺さんが店に出ることはめったになく、いつも気の良いオヤジが対応してくれる。

今日も店先でいろいろ野菜を眺めているとオヤジが出てきた。生の唐辛子が欲しかったのだが店頭には置いてない。ここには置いてないだろうなあと期待もせず、オヤジに「唐辛子ある?」と尋ねてみた。するとオヤジが「ああ、唐辛子? 生の? ああ、たしかここに」と言って、なんと店の奥から唐辛子を引っ張りだしてきた。しかもスーパーマーケットではあまり置いていない生の鷹の爪。乾燥したものはよく見かけるが生の赤唐辛子はなかなか見ないのでちょっと吃驚。特に値付けをしていないらしく「どれくらいいるの?」 と言うので「そうねえ、10本くらいもらおうか」と答える。

ついでに2個で150円のトマトを買おうとしたら箱に1個残ってしまった。するとオヤジが「あれれ、1個残っちまったナ、まあいいか(笑)」とめざとく言う。なんだかその物言いが引っかかって「じゃ3個もらうよ(苦笑)」と言うと、待ってましたとばかりに「そうかい、悪いねー(苦笑)、ほんじゃ3個で175円でいいよ、残しちゃもったいねえから、その代わり唐辛子はオマケしときます。頼んで(トマトを)買ってもらっちゃったからね」滅多に見ない鷹の爪をまるで私を待っていたかのごとく用意し、しかもトマトを飄々と売りつくすしたたかさ。うーむ、おぬしただのネズミではないな?

長茄子、トマト、鷹の爪を買ったので、今日はトマトと茄子のパスタ・アラビアータを作って食べた。

名古屋へ行ってきた

出張で名古屋へ行ってきた。

新横浜駅にて同僚のA君と待ち合わせ東海道新幹線で名古屋へ向かう。名古屋といっても十年ほど前に一度、知り合いの結婚式で来ただけ。しかも日帰りで帰るという慌ただしさで名古屋らしさなぞは全然味わっていない。だから私にとってはこれが初めての名古屋行である。まずは昼飯、ということで駅ビルの食堂で鰻のひつまぶしを食べる。重箱にたっぷりのひつまぶし、肝吸い、味噌汁(もちろん赤味噌)。なぜか大きめの徳利が一本ついている。「これは何でしょう?」「たぶん、最後に茶漬けにして食べるための出汁じゃねえか?」全然グルメじゃない無粋ものだからしかたがない。

名古屋といっても出張先は知多半島なので、名鉄特急でごとごと揺られて現地へ。うっすらと曇りがちの名古屋市内に比べて知多半島はピーカンの晴天。当然暑いことこのうえない。用事を済ませて名古屋市内に戻る。ホテルまでの道すがらあまりの蒸し暑さにA君とふたりでへとへとになる。「いやあ、やっぱり暑いっすねえ、名古屋」「この異常な蒸し暑さは臺北の街に似ているなあ」名古屋初心者は勝手なことを言い乍らホテルに荷物を放り込み街へと繰り出した。

まずは世界の山ちゃんを目指して歩き出す。世界の山ちゃんというのは手羽先で有名な居酒屋。名古屋では何を食べてくればいいのか、という質問に名古屋人のM嬢曰く「そうねえ、味噌カツ、味噌おでん、味噌煮込みうどんにひつまぶしなんかでいいんじゃない、あ、そうだ、手羽先も食べてくるといいよ」と言うくらい手羽先は有名らしい。最初に向かったのは世界の山ちゃん女子大前店。山ちゃんキャラクターとキャッチコピーがうるさいくらい夜の街で自己主張している。


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ところが店に入ると客が並んで待っている。「平日の夜だってのにもう満員ですか?」「名古屋人はそれほど手羽先が好きなのかねえ」しかたがないので別の支点に行ってようやく酒にありつくことができた。酷暑の一日を過ごした後に飲む生ビールは涙が出るほど美味しい。名古屋は生ビールを飲むには最適の街かもしれない。というわけでこれが幻の手羽先、土手煮込み、味噌串カツ。


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小ぶりの手羽を揚げてスパイスを効かせた幻の手羽先は実に美味しい! うーん、ビールが進む。味噌串カツも土手煮込みも美味しいのだが、それでもこれだけの赤味噌でもうお腹いっぱいという気になる。名古屋人はこんなに赤味噌が好きなのか。いい心持ちになったところでふらふらと夜の街を彷徨う。仕上げに飛び込んだのが小さなカウンターのみのうどん屋。カウンターに座ってカレーうどんを注文。なぜかほとんどの客がカレーうどんを啜っている。やがて出てきたカレーうどんを見てちょっと驚いた。

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まるでシチューのような白っぽいカレーがうどんを覆い隠している。白味噌でも使っているのか? それとも小麦粉か? 甘い味だったらちょっと嫌だなあ。ところがこれがなんとも絶品のカレーうどんだった。見た目と違ってしっかりと辛くてスパイシー。カレーにまみれた油揚がちょうどいいアクセントでまた美味しい。うどんもモチモチと腰があって美味しい。もちろん出汁も美味しい。おそるべし名古屋のカレーうどん!

時間はまだ九時をちょっと回っただけだというのに、A君は私より十歳以上も若いくせにもう疲れて眠たいと言ってホテルに戻ってしまった。それでも私は汗にまみれて地下鉄に乗り大須観音へ向かう。名古屋に来たら大須演藝場に行かねばならぬ。夜とはいえど大須演藝場を詣でなければ演藝研究會の名がすたる。

さすがにくたびれてはいるのだが汗をかきかき大須の街を経巡り、裏通りにひっそりと佇む大須演藝場にたどり着いた。今日の興行はとっくに終了しているが、いい具合に古びた昔ながらの演藝場だ。番組表を見ていて気になったのがそっくりショー〜なごやのバタやんなる御仁。ギター抱えて「オーッス!」と登場することは想像に難くないが、うーん一度はこの目で見てみたい藝人だ。柳家小三亀松、天魔(マジック)、上野千春(演歌)、雷門獅篭、雷門福三(落語)、ジギジギ(夫婦漫才)、、、うーん東京や大阪だけが藝能界ではない。名古屋には名古屋の藝能界があるのだ。いつかはこの目で観なければいけないな、と固く決意する大須の夜であった。

年季を感じさせる大須演藝場の上に、丸い月がぽっかりと浮んでいた。

※後で調べたら雷門獅篭は立川流を破門されて消息不明になっていた立川志加吾だった。志加吾は破門後、名古屋在住の落語家である雷門小福の弟子になって、この大須演藝場を拠点に活動中とのこと。

夏の日の与太話

ようやく暑い夏がやってきた。なんだかんだ言ってもやはり夏は暑いほうが良い。まあ年々歳々度を越した寒暖が身体にこたえるようになってきているが、それでも夏は暑いほうが、冬は寒いほうが良いのだ。

暑いので大瀧詠一の『A LONG VACATION』を聴く。もう四半世紀もむかしの音源だというのにたまりませんね、こりゃ。気分は一気に高校時代に逆戻りです。モノの本によれば大瀧詠一はこのレコードの大ヒットのお蔭で、好きなことをして暮していけるようになった、ということですが、やはりデキル人は違う、ということである。

川崎の工業地帯を散歩していたときに遭遇した街の本屋について考える。なんというか、整理とか整頓といったものを放棄して際限なく増殖する原子生命体の感がある。考えてみれば取り次ぎ店から送られてくるこれだけの本や雑誌を、いちいち並べて仕舞っての繰り返し。期限が来たら返品もしなくちゃならないし、返品の精算もしなくちゃならない。それでいて本や雑誌の売り上げなんざ多寡が知れている。なんとも書店稼業というのはたいへんなのである。いっそのことデッドストックにして何十年も経ってから売れば良い値段もつくだろうに、などといいかげんなことを夢想してしまう。

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立川談春独演会

仕事を終えてさっさと桜木町へ向かう。みなとみらいとは反対側、野毛方面にとぼとぼと歩いて、馴染みの横浜にぎわい座へ。今夜は立川談春独演会。にぎわい座の番組は談志と志の輔以外はいつも当日券で入れるので嬉しい。とはいえ桂歌丸師匠の『牡丹灯籠』通し公演はみごとに完売。ま、歌丸師匠はハマっ子だからネ。いやいや、人気と実力のなせるワザでしょう。客席は九分の入り。さすがに一階席は完売、売店で甘納豆を買って二階席に座って開演を待つ。

今夜の演目
立川談修 『転失気(てんしき)』(前座)
立川談春 『天災』『妲妃のお百(だっきのおひゃく)』

立川流の藝人はおしなべて基本に忠実、という印象がある。談修もいかにも前座らしいきちんとした高座をつとめて好感が持てた。志の輔、談春、志らくは言わずもがな、快楽亭ブラック(今では元弟子だが)も破天荒な藝人と言われているが、きちんと古典を演じられる技倆はちゃんと持っている。立川談志は真面目な藝人なのだ。

談春はマクラで自分の母親が談志に挨拶に来たときのエピソードを淡々と語り客席の爆笑をとる。「ウチはキチガイの家系ですからね(笑)」とネタ振りをし乍ら『天災』に入る。

この噺は談志の得意ネタ。ふむふむ、愛弟子談春が師匠にどうやって料理するのか楽しみ。女房と母親に三くだり半をつきつけようという乱暴者の八五郎と、心学のセンセイ紅羅坊名丸が繰り広げる珍妙な問答。ふつうは乱暴者の八五郎が、紅羅坊先生の理屈にぐうの音も出なくなるという演出なのだが、談志の『天災』は八五郎が屁理屈をこねまくり、常識派の紅羅坊先生が押されっぱなしになる。このときの談志の屁理屈ぶりが凄い。調子のいいときは狂気の世界から狂気を広めに来たような凄みが出る。談春の八五郎は談志とは違って(あたりまえだ)本能だけで生きているような男。これはまたこれで面白い。

二席目はマクラ無しで『妲妃のお百』、歌舞伎、講談でお馴染み、これも師匠の十八番だ。おお、本寸法の高座が聴けそうで楽しみ。

妲妃のお百と徒名された希代の悪女こさん。豪商の夫を手にかけ、大名の後添えにおさまってお家を傾け逐電。深川でひっそりと暮しているある冬の日、家の前に門付の親子がやってくる。盲いた母親の峰吉は元深川の売れっ子藝者だったが、今ではすっかり零落して乞食同然。情をかけたこさんは峰吉親子を家に引き取り、峰吉を小石川の療養所に入所させ目の治療をしてあげる親切心をみせる。ところがこれがとんだ悪企み。峰吉と娘を引き離したあとで悪党仲間と芝居を演じて、娘を吉原の女郎屋に売り飛ばしてしまう。そうとは知らぬ峰吉は、一目娘に逢いたいと矢の催促。こさんは峰吉を家の二階に閉じ込めてろくに食事も与えない。骨と皮ばかりになった峰吉は、娘逢いたさの一心だけで生きる屍と化した。めんどうになったこさんは、悪党仲間の怪盗秋田小僧に、金づくで峰吉を殺すよう依頼。ある雨の夜、秋田小僧は、娘のいるところに行くと騙して峰吉を連れ出し、綾瀬の土手で惨殺してしまう。ところが、、、

談春の演じる悪女はおしなべて凄い。明日のことなんざ知ったことじゃないよ、という肚の据わったところがいっそう凄みを感じさせる。悪女ではないが、おのれの娘を借金のカタに女郎屋に取られた左官の長兵衛に向かって、博徒の了見を淡々と諭す『文七元結』の佐野槌の女将も同型。盲いた峰吉の首を力まかせに捩じ上げる殺しの場面、熱演であった。

高座を聴くたびに談春の引出しの多様さと深さに驚嘆の連続。良い気持で外に出て、野毛界隈の一杯呑み屋でサワーと煮込みをつまみに独りで酔っ払う。

鉛筆は良い

仕事柄、筆記具は缺かせない。請求書の処理をするときは手に馴染んだボールペンがいちばんである。とはいえメモを取るときはいまだに鉛筆派。国産鉛筆もいいけど外国製の鉛筆もなかなか味わいがあってよい。

http://itoya-store.jp/store/ProductDetail.do?pid=224-0001

これは伊東屋オリジナル鉛筆。実にスマートなデザインで持ちやすく書きやすい。はじっこについている黒いもの、実はこれは消しゴム。みごとに鉛筆と一体化していてしかもよく消えるところが嬉しい。もったいなくてあまり使わないのは本末転倒なのだが、それくらいスマートなデザインであるといえよう。

あとは指示をするときや書誌を修正するときに赤鉛筆をよく使う。短くなるまで徹底的に使う。短くなると持てなくなる。そのときは鉛筆の補助軸が大活躍だ。武骨なシルバーの補助軸もいいのだが、ここでも伊東屋オリジナル補助軸を使おう。色合いといい手触りといい実にお洒落で気持が良い。

http://itoya-store.jp/store/ProductDetail.do?pid=224-0014

4色あるが私は黒の補助軸にちびた赤鉛筆を差して使っている。赤と黒ならスタンダールざーんす、なんてネ。

今日のひとりごと

亀田興毅vsファン・ランダエタの一戦

ランダエタの巧さに翻弄されてこりゃ亀田の負けだな、と思っていたらなんと判定で亀田の勝ち。うーん、今回は亀田は負けたほうがよかったと思うのだが、、、それにしてもアナウンサーも解説者もみんな最後は「根性!」の連呼。ワールドカップの日本チーム応援の雰囲気とおんなじだ。根性でなんでもできる!と思いたいのか。それでもこの試合はとてもスリリングで面白かった。

金沢医科大学病院からのお知らせ

毎日毎日たくさんの迷惑メールが送られてくる。いちいち消すのがもう日課になっているが、先日来たのは送信者が「金沢医科大学病院」、タイトルは「全裸検診ってしたことありますか?」。念のため調べてみたら金沢医科大学病院は実在していた。もちろん全裸検診などは実施していない。よく考えるもんだなあ、と思っていたら、今日は「立川医科大学病院」から同じメールが、、、こちらは実在していない。なんだかなあ。

電子メールが仕事の重要な道具になる、と言われたときには、迷惑メールを消すことも仕事の一部になる、なんて誰も思わなかっただろう。もちろん膨大なメールを確認することも仕事の一部になり、まったく何をか言わんや、である。

本日の戦死者

三崎亜記『となり町戦争』を読む。

ある日、町の広報誌にとなり町との戦争が開始されたというお知らせが掲載される。そして主人公の北原は町から偵察要員に任命されることになった。その後「総務課となり町戦争係」(!)の香西さんと“夫婦”としてとなり町に潜伏することになる。北原と香西さんは“夫婦”なので、いっしょに食事をし、買い物に出かけ、たまにはセックスもする。

この戦争は決して市民の目に触れない。誰も知らないところで戦闘がおこなわれ、広報誌には今日の戦死者が報告されるだけだ。町役場と町民とのあいだで戦争補償に関する説明会がおこなわれ、平和運動グループと論戦がおこなわれる。ほんとうに戦争なんて起っているのだろうか。

ある日香西さんから、いますぐアパートから逃げるようにと指示がある。見えない戦争が突然身近に迫ってきた。ふつうの主婦にしかみえない“協力者”の手引きで、危機を乗り越えて検問を突破することができた。しかし戦争はいぜんとして目に見えるかたちで迫ってはこない。戦車も兵士も空襲も爆撃もない。そしてある日突然戦争は終結し、北原にも平穏(?)な日常が戻ってきた。

不思議で新鮮な、まったく新しい戦争小説。戦争小説であり乍ら戦争のリアリティが感じられないところが実に新鮮。思えばイラク戦争や中東紛争、ちょっと前ならボスニア・ヘルツェゴビナ民族紛争の映像に、リアリティを感じろというのが無理な話。湾岸戦争を伝えるニュース映像のなかで、闇夜に光るミサイルの光跡と爆発の炎を観たとき、まるで作り物のショーを観ているような気分になったのを憶えている。

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