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2006年7月

ケンチャナヨ!(なんとかなるさ!)

梁石日『シネマ・シネマ・シネマ』を読む。

中年の在日小説家ソン・ヨンスのもとに原作を映画化したいという怪しげな男がやってきた。みるからに胡散臭い男はソン・ヨンスの日常を引っ掻き回しあちこちから数千万円もの出資金を掻き集めて行方をくらました。これがこれから起るドタバタ喜劇の序章。

韓国人の映画監督が在日の若い女性作家の小説を映画化したいとやってくる。おまけにソン・ヨンスに主演をしてくれというのだ。わけもわからぬうちに映画主演が決まり、日韓の俳優が集められ、韓国映画スタッフが大挙して日本にやって来る。計画性のない韓国映画スタッフの滅茶苦茶な仕事ぶりに業を煮やした在日スタッフがロケ現場を仕切りまくる。韓流とは「じぶんたちのやり方が世界中どこでも通用すると思っている」という、いわば「オレ流」のことらしい。

素人俳優のソン・ヨンスは忙しい。なにしろ本業は連載を四つ抱えている小説家なのである。慣れない撮影現場で心身共に疲れ果て乍ら、宿舎に戻ると原稿用紙を前に苦吟呻吟、〆切が近づくと出版者から情け容赦のない催促の電話が入る。映画製作に関わるスタッフ、出資者、協力者、出演者の私利私欲がもうカオスのように混ざりあって、行間から物凄い勢いで読者を叩きのめす。それにしても何百万、何千万という金が借りたり借りられたり、泡のように消えていったりする様には呆れてしまう。私がのほほんと映画を観てあーだこーだと言っているが、銀幕の向う側では恐ろしいほど金がかかっているのだなあ。

こうまでして人は映画製作に人生を賭けるものなのか。映画とはいったいどれほどの文化あるいは産業なのであろうか。そもそも映画がこの世に存在する理由とはいったいなんなのか。いやあ、映画ってホントーにいいもんですねー。

現実の小説を映画化する過程をフィクションとして描いたメタフィクション。ソン・ヨンスが出演する映画『ファミリー』は実際に梁石日が主演した柳美里の 『家族シネマ』(1998韓国)。柳美里も家族の一員として出演している。小説の後半は梁石日の傑作小説を映画化した『夜を賭けて』(2002)の製作事情が描かれる。この映画も日韓共同製作として話題になった映画。それにしても梁石日の小説は相変わらずパワーがある。『血と骨』『夜を賭けて』で数百万の読者を捩じ伏せた圧倒的な迫力はまだまだ健在。

忙中有閑

夏の出張のことでA君と相談。
「昼に名古屋駅到着ですから、昼飯を食べて現地に向かいましょう」
「それじゃ最初の名古屋ランチは味噌カツか?」
「そうですねえ、夜に味噌カツ食べるよりは昼飯のほうがいいですかね」
「夜はどうしよう?」
「名古屋人のMさんが『ぜひ手羽先を食べてネ』と言ってました」
「おお、それは『世界の山ちゃん』だな」
「翌朝はもちろんモーニングですよ、モーニング(笑)」
「海老フライはどうする?」
「海老フライ付きのモーニングを食べればいいんじゃないですか」
飯を食いに名古屋に行くんじゃないっつーの。

M嬢と近所の喫茶店でランチ。
夏休みにソウルへ行くというM嬢に、朝鮮語をむりやり教えて嫌がられる。
「喉が乾いたら『ビールジュセヨ(ビールをください)』って言えばいいの」
「あたしはそんなオジサンみたいなことしません(怒)」

ひさしぶりにY姐と飲む。
仕事帰りに「お茶でも飲みますか」と誘ったら「少しなら飲めるわよ、お酒(笑)」と嬉しそうに言うので居酒屋にて乾杯。牛煮込み、キュウリ糠漬け、さつま揚げ、ニンニクの芽炒めをつまみにだらだらと仕事の話やら映画の話をする。

末廣亭、二階席から高座を見れば

演藝研究会会長と新宿駅で落ち合い甲州街道沿いの増田屋へ。バカの一つ覚えのようないつもの展開である。蕎麦をたいらげ雑談もひと区切りついたところでよっこらしょと末廣亭へ向かう。意外なことにそれほどたいした香盤でもないのに場内はやたらと混み合っている。なんだか知らないがビデオカメラが3台も設置されていて首を傾げた。末廣亭のテレビ中継なぞ考えられないしBS放映でもないだろうし、ひょっとして寄席チャンネル(あるのか知らないが)、もしくは東京MXTVか? お茶子さんに案内されて二階席にあがる。ところがここにも陸続と客が上がって来る。うーん、なぜだろう? ヒマつぶしに神宮球場へスワローズ対カープ戦を観に行ったら超満員だったので驚いた、といえばおわかりになるだろうか? これじゃ野球ファンしかわからないなあ。

本日の演者は三遊亭小金馬、三遊亭歌之助、昭和のいる・こいる(漫才)、東京ガールズ(邦楽漫談)、柳家勢朝、柳家さん喬、柳家正朝、入船亭扇遊、柳家とし松(曲独楽)、古今亭志ん五、入船亭扇橋、大空遊平・かほり(漫才)、トリが三遊亭金馬だった。

圓歌一門の逸材、歌之助は爆笑漫談で客席を笑いの渦に巻き込む。インチキ外国語ネタもよく聴けば実にくだらないのだが、勢いでたたみかけられると思わず笑ってしまう。「私は韓国語もできるんです。ヨーチョンギレルハサミダ!」のいる・こいる師匠は笑いのツボを絶対にはずさない円熟味をいかんなく発揮し、初めて観る東京ガールズは品のある三味線、小唄に軽いギャグが小気味よい。この女性邦楽ユニットは柳家紫文(俗曲)の一門だそうな。

色物さんの熱演に比べて本日の噺家はおしなべてつまらなかった。さん喬も志ん五も期待はずれだったし、その他については何も言うまい。大ベテランの扇橋師匠は何を思ったか前座噺の『つる』を一席。演藝研究會會長曰く「うーん、これじゃあそろそろ扇橋師匠も危ないぞ(苦笑)」トリの金馬師匠はなんと『船徳』を熱演。この噺はけっこう身体に負担がかかると思うのだが、喜寿を過ぎた金馬師匠、顔を真っ赤にして熱演である。「この陽気にこの『船徳』なんて、元気そうに見えるが金馬師匠も危ないぞ(苦笑)」まったくもって嫌な客である。それにしても金馬師匠、細かい所作のひとつひとつがきちんとしていて、さすが大ベテランである。

さん喬曰く「本日は『大銀座落語会』に目もくれず、ここ末廣亭にお越しいただきありがとうございます。まあ、みなさん切符を買えなかったんでしょう(笑)」と笑わせていたが、今日の寄席の演者は「大銀座落語会からお呼びがかからなかった人たち」でもあるのか。ま、寄席なんてそんなもんだからいいんですけどね。

やわらかい生活

『やわらかい生活』を観た。上映館が少ないうえに封切から時間がたってしまったので、渋谷では朝10時から1日1回になってしまった。しょうがないのでレイトショーを観に行くことにした。実にひさしぶりにキネカ大森を訪れたら、受付に「アジア映画サポーターズ倶楽部が廃止になりました」という掲示が出ていた。アジア映画のブームも終わった、というよりはもう日本でも普通に上映されるようになって、専門館という稀少価値がなくなったからだろう。ここはアジア映画専門館として売り出したところで、当時は中国、香港その他アジア映画をいろいろと上映して重宝させてもらった。北朝鮮のゴジラ映画として知られる『プルガサリ』もここで観たなあ。

私が学生の頃にアジア映画を観ようと思ったら、フィルムセンターや各国大使館などの施設や一部の映画館での特集上映(中国映画祭とかネ)に出かけるしかなかった。そこにはいつもマニアや研究者が群れ集い、一種異様な雰囲気を醸し出していたものだった。それほど観るのは大変だったのである。もう20年も昔のことだ。それから比べると1990年前後の中国、香港映画ブームに始まり、韓国、ベトナム、イラン、インド映画が少しずつ注目され始め、今ではアジア映画は至極当然に封切館で観られるようになった。上映館も増えてゆき、『ぴあ』を丹念に調べなくともけっこうあちこちで観られるようになった。時代は変わったのである。

欧米(特にアメリカ)偏重の反語としてあったエスニック・ブームは、1980年代はまだまだ一部の好事家しか知らない風潮だった。何しろ80年代ってのはポップでクールでスカスカな時代だった。これは私の持論だが、この頃から家庭や職場、公共施設に空調が普及し、日本人はアジア的な温度感を見失っていた。システムによる集中管理で温度差を喪失した時代だったのである。ところが、日本人が快適な空調の効いた島国に閉じこもっていた頃、中国や韓国では熱い熱い政治の風が吹き荒れていた。冷戦構造の終焉と社会主義体制の崩壊、封じ込められていた自由のエネルギーが少しずつ外へ向かって発信されてゆき、とうとう殻を破って爆発した。

いまではすっかりロリコン映画の巨匠(笑)となった張藝謀監督の『赤いコーリャン』(1987)を初めて観たときは、画面から吹き出すエネルギーにそれこそ腰を抜かすほど驚いた。画面から濃厚に吹き出す生と死、性、暴力、喜怒哀楽の匂い、むせかえるような温度と湿度、強烈な色彩と広大な空間に圧倒された。例えは適切ではないかもしらんが、かつての日本のヤクザ映画が持っていたあの強烈なエネルギーがそこにあった。ああ、いまの日本はスカスカだなあ、絶対中国にはかなわないなあ、と実感したことをいまでも憶えている。

で『やわらかい生活』だが、バリバリのキャリアOLだったが精神を病んでいまは無職、家族も友人もなく東京の場末の街・蒲田のアパートにひっそりと住んでいる橘優子(寺島しのぶ)の生活を、どこか懐かしい風景のなかで優しく淡々と描いた映画。原作は絲山秋子の短篇小説『イッツ・オンリー・トーク』。

ある日、駅前の街頭演説をしている区議の本間(伊藤俊介)に声をかけられた。本間は優子の学生時代の友人で、ふたりは再会を祝して飲み歩き優子の部屋に泊る。しかしEDの本間は優子を抱くことができない。ネットの掲示板で知り合った痴漢のKさん(田口トモロヲ)と映画館で身体を弄られ恍惚となる。優子は痴漢のKさんと高級レストランやドライブに出かけては身体を弄られる。Kさんは礼儀正しい痴漢なのだ。優子がネットで紹介した公園を訪れたいとうつ病のヤクザ(妻夫木聡)が蒲田を訪れる。ヤクザと優子は居酒屋で「どんな薬飲んでるの?」と意気投合する。福岡からやってきた従兄(豊川悦史)は妻子と別居中で現在無職の四十歳。優子の部屋に居候して何くれとなく彼女の面倒をみてくれる。炊事洗濯から優子の看病までするその献身ぶりは、女性からみたらなんと素敵な存在であろう。

その従兄も田舎に戻ってから事故で死んでしまう。ある日優子は娘とふたりで買い物をしているKさんを見かけた。うつ病のヤクザは塀の向こうに行ってしまった。本間は恋人ができたようだ。居心地の良い街で居心地の良い男たちと過ごし、うつ病から少しずつ立ち直りかけている優子は、また独りになってしまった。優子は夕日を浴び乍ら銭湯で独り涙を流す。

いまの日本映画の普遍的なテーマである「痛み」を廣木隆一監督が丹念に描き出している。前作『ヴァイブレーター』でコンビを組んだ寺島しのぶも期待に違わぬ好演。豊川悦史とのコンビが絶妙だ。

猥褻物陳列罪窃盗罪不敬罪その他

快楽亭ブラックという噺家をご存じか? 

アメリカ人の父と日本人の母のあいだに生まれたハーフ。見た目はガイジンだが英語はまったく喋れない。立川談志門下で改名に次ぐ改名を重ね名をあげる。これも古今亭志ん生の改名16回という記録を破るための師匠の命令。その藝名も立川レーガン、立川レフチェンコ、立川丹波守、快楽亭セックス、立川マーガレット、、、バカバカしいにもほどがある。

立川平成を経て二代目快楽亭ブラックを襲名して真打昇進。現在に至る。明治時代に実在した初代は正真正銘の英国人で、流暢な日本語を駆使して噺家として活躍した藝人。極東の小国で藝人になったばっかりに、家族から見放されたというから凄い。それでも噺家として一生を終えたというから、かなりおかしな人だったのであろう。

その生き方も破滅型の典型。前座時代に師匠の金をつかいこんで破門される。そのあと、上方へ流れて桂三枝の弟子になり桂サンQを名乗る。またしてもふらふらと東京に舞い戻ったところで談志一門の落語協会脱退騒動。昨年は多額の借金が原因で妻に離婚を言い渡され、ついでに落語立川流を除名され天涯孤独となる。

不幸は更に続き、秋には心筋梗塞に大動脈瘤解離を併発してラジオ出演後に倒れ生死の境を彷徨った。そして奇跡的に復活したいま、生まれ変わった気持で落語道に精進、、、するわけがない。藝風はまったく変わらず、それどころか堕ちるところまで堕ちたことで肝が据わったのか、ますます公共の電波に背を向け続けて大活躍だ。快楽亭ブラック、このへんが並の噺家ではない所以である。

噺家としてはまったくといっていいほど売れなかったので、風俗レポーター、映画評論家で小銭を稼いでいたこともある。ことに狂的な日本映画フリークで年間400本近い日本映画を観ていたことは有名。一時期は名画座に行けばブラックがいる、と言われたほど。また芝居通としても著名。この十年くらいのあいだにめきめきと売り出して、その過激なネタで一部では熱狂的なファンがついている。

とにかくエロ、SM、スカトロ、皇室など、ありとあらゆるタブーをネタにしているため、出入り禁止になった寄席や劇場は数知れず。公共の電波でその藝を披露することは不可能。寄席に行くかCDを聴くしかない。蒸し暑い夜に、限定版CD『快楽亭ブラック猛毒十八番・借金男シリーズ』を聴いていると、笑いが止まらなくなり酸欠寸前。いまどきこれほど破滅的な藝人がいるかと思うと、まだまだ未来に希望が持てるというものである。

松子ふたたび

「スイスイスーダラダッタと、あんな生き方ができたらそりゃ楽ですヨ」
真面目一徹な性格だという植木等も自作を振り返って述べている。人生はそう簡単にスイスイスーダラダッタとはいかない。むしろ「ひとつ山越しゃホンダララッタホイホイ、もひとつ山越しゃホンダララッタホイホイ」なのである。ナンダカワカンナイって? いいからわかりなさい。

時間が取れたので漸く『嫌われ松子の一生』を観に行ってきた。そして淀川長治センセイに敬意を表してイイことばかり書く。
原作をどうやって映像化しているのか興味津々だったが、なんともはや見応えのある映画になっていて満足。原作に忠実にすると深刻さだけが目立つので、あちこちにギャグをちりばめていて、これがかなり救いになっている。ミュージカル仕立てという点も、丁寧かつクールでポップで演歌調で実に良い。CGを駆使してしかも違和感がないところが良い。転落していく松子の一生を実に幅の広い演技で表現しきった中谷美紀が凄かった。熱演。

いかにも若者向けのような映画だが、これは人生の先輩であるオトウサンやオカアサン、オジイサン、オバアサンにも観てもらいたい。松子が不幸だったのは不器用だったからだ。すべてのことに対して全身全霊を集中する性分、つまり適当に手を抜けない性分だったからだ。良い子でなければならない、と自分で自分の生き方を決めてしまった。そのために全力投球したのに人生はいつも不公平。子どもは大きくなっていく過程で人生の不公平さ、不条理さを体感していく。そして自分のなかで葛藤し乍らいつしかおとなになる。松子はただ、それが要所要所で自己消化できなかっただけだ。いつも後になってちょっとだけズレていたことに気づく。この映画を観て面白がっていた若い娘さんたちは、この映画から何を感じとったのだろう。松子はあなたであり、あなたは松子である、という惹句は実に奥が深いのだ。

ラストシーンのなんと哀しいことよ。思わず涙が滲んでしまう。

畏るべし、ヘリコプター

過労とストレスで胃をやられて相変わらず酒が飲めないY姐だが、残業で遅くなるとさすがに腹も減るらしい。そうなると「ねえ、ご飯食べていこうよ」と駅前の居酒屋に連れ込まれる。居酒屋だから酒を飲まないわけにいかないので、私はいつものように生ビールなぞを飲む。姐はウーロン茶なぞ飲みつつ「美味しそうね、、、(笑)」と恨みがましく呟くので、飲みづらいったらありゃしない。だいたいなんで居酒屋なんだ、食堂に誘えばいいじゃねえかと思うが、なぜかいつも焼鳥屋や臺灣料理屋で仕事の話なぞする。

「おととい検査に行ったの、まあほとんど治っているんだけどネ。そしたらさあ、胃にピロリ菌がいるんだって、ピロリ菌。ここ(お腹を叩く)にいるのよピロリが(笑)。ほら二、三年前くらいから、あたし血小板が減少気味だったじゃない? あれもピロリ菌のせいなんだって。(正確にはヘリコバクター・ピロリですね) え、何? ヘリコプター? なんだか知らないけどいるのよ、ピロリが(笑)、それでしばらく投薬治療で根治することになったの。だけど一度でも飲み忘れるとダメなんだって、ホントかしらね。、あーあ、薬じゃなくってビール飲みたいなあ」

四の五の言わずに薬を飲んで早く治しなさい。

ひさしぶりに外出の記

今日はひさしぶりに渋谷をブラブラとほっつき歩いた。最近は週末になると疲れ果てて家にひきこもっていた。しかし今日という今日は、いろいろと用事を済ませる必要があったので、えいやっとばかりに家を出て歩き出す。

渋谷到着。銀行口座にお金を降り込み郵便局で小包を発送しひと息つく。腹が減ったのでセンター街にあるインド料理屋にて辛口マトンカリーとサフランライス、ラッシー。時々雨がぱらつく蒸し暑い午後。伊東屋でいい感じの鉛筆削りを見つける。

うっかりHMVに入ったら欲しいものがいっぱいあったので買い込んでしまう。『アイランド・ヴァージン〜エッセンシャル・エリントン/渋谷毅』、『ラスト・デイト/エリック・ドルフィー』、『Celebration/Sheila Jordan + Cameron Brown』、『Ike Quebec The Complete Blue Note 45 Sessions』(以上CD)、『RAHSAAN ROLAND KIRK IN EUROPE 1962-1967』、『行方知れズ』(以上DVD)、、、リュックが重い。

ブックファーストまで歩いて筒井康隆『虚構船団』、松尾スズキ『ぬるーい地獄の歩き方』など購い外に出たときは、さすがに脚は痛み喉は乾き、このまま居酒屋に沈没したい気持になる。それでもここでセンター街の居酒屋に沈没した日にゃ、もう朝まで居続けになりそうな予感。えいやっとばかりに駅に向かって歩き出し渋谷を後にする。明日こそ家にひきこもることにしよう。

ソファに寝転がって徳田秋声『あらくれ』読む。

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