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2006年5月

巨星、墜つ

今村昌平死去。享年79。

岡田真澄が亡くなったばかりというのに、こんどは今村昌平監督が逝ってしまった。
「盗まれた欲情」 「果てしなき欲望」 「豚と軍艦」 「にっぽん昆虫記」「エロ事師たちより・人類学入門」「赤い殺意」「復讐するは我にあり」「楢山節考」「ええじゃないか」「黒い雨」「うなぎ」、、、今村昌平の映画は常に衝撃だった。

異才・川島雄三の弟子だったことはよく知られているが、その前は小津安二郎監督の弟子でもあったのだ。神話的で土俗的で、それでいて妙に宗教的で、人間の暗い欲望をゾロリと剥き出しにした、そしてスケベでユーモラスな作品群は、絨毯爆撃のように私を叩きのめしてくれた。可惜。

サヨナラダケガジンセイダ

岡田真澄死去。享年70。

日活映画黄金時代に缺かせない名脇役だった。『幕末太陽伝』でファンファンは青い目の番頭を演じていた。『銀座二十四帖』でファンファンはキザなプロ野球選手を演じていた。『嵐を呼ぶ男』では洒脱なベース奏者を、『狂った果実』では湘南の軟派で複雑な性格の青年を演じていた。バーテンに英語でオーダーを尋ねられ(外国人だと思われたのデス)、とぼけた顔で「焼酎」と答えるのが可笑しかった。若い頃はヒョロリとしたガイジンだったのに、晩年はスターリンそっくりに変貌して可笑しかった。

唐沢俊一によれば「コペンハーゲンにある人魚姫の像のモデルは、岡田真澄の母方の親戚」だそうである。ついでにファンファンとはジェラール・フィリップの役名が由来だそうな。

米原万里死去。享年56。

週刊文春に連載中だった書評コラムのなかであるとき(昨年だったかな)ガンであることを告白したときはちょっと驚いた。抗癌治療の本(なかにはかなりアヤシゲなものも)をいくつもとりあげ、それぞれをみずからの身体と症状をもとに“書評”するという荒技を披露。つい最近も読んだばかりだったのに、、、最期まで骨太な女性だった。

米原万里の存在が一躍クローズアップされたのはソ連邦崩壊のときだった。ゴルバチョフ大統領やエリツィン大統領の同時通訳を務めていた姿はいまも鮮明である。思うに同時通訳者がクローズアップされるのは、その国家が世界的に大きな政変に見舞われたときだ。日本の社会主義が衰退するにつれて、ロシア語の翻訳者、同時通訳者は次第に影を潜めていき、米原万里も知る人ぞ知る存在であった。それが、二十世紀最大の事件のひとつであるソ連邦崩壊というタイミングに、これまた実力と個性の際立った米原万里の存在がみごとにシンクロした。これがもう十年早くても遅くても、米原万里の人生はいまとはまったく違うことになっていただろう。

人、これを運と言う勿れ、運も才能のうち。

JUNK PHILOSOPHY

今日の朝餉。駅のパン屋で買ったパン。昼餉。コンビニ弁当。夕餉。駅の立ち食い蕎麦。ウェンディーズで文庫本を読みつつハンバーガー。ひさびさにジャンクフードな一日だった。

不味いアイスコーヒーを啜りつつふと目をあげると、ひとりで無心にポテトフライを貪るOL、だらしない顔つきの若い男女、化粧バリバリで煙草をふかすオネエチャンたち、子ども連れの金髪ヤンママグループ、キャップを阿弥陀に被った無精髭ヒップホッパーもどきのオニイチャンたち、、、私鉄沿線の憂鬱な屈託と澱んだ空気がみごとにここに集まっている。そして私もそのなかのひとり。

瞬間的に(ああ、リアルだな)と感じて、思わず笑ってしまった。テレビドラマでも映画でもインターネットでも絶対に感じとることができない現実感。ごくあたりまえの日常だからあらためてこんなこと思わないのだが、やはりリアルな空気は違う。私たちはこのどうしようもない現実のなかで確実に生きているのだなあ、としみじみと考えてしまった。

だからどうした、と言われても困るんだけどネ(苦笑)

亜熱帯?

こないだの集中豪雨は凄かった。午前中はピーカンの晴天で、ランチを食べ乍ら「仕事なんかしてないで何処かへ行きたいねー」なんて言ってたのに夕方からあの有様。

最近はまるで亜熱帯かと思うような天気が目立つ。そろそろ日本も亜熱帯化しているのだろうか。まあそれはそれで私はけっこういいかも、と思ったりするのだが、やっぱり四季あっての日本なんだろう。

仕事がテンパッててもうヘトヘトなせいか、スコールのごとき豪雨に紫色の稲妻が光ると、なんとも爽快な気分になってしまう。いいんだかわるいんだか、、、てなわけで毎年お気に入りの亜熱帯・臺灣を思い出してしまう今日この頃である。

というわけで臺灣の古都・臺南の夕餉(左から青菜炒め、海鮮炒飯、臺灣ビール)

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帰ってきたヨッパライ

連休前に過労で倒れて入院していた私の酒呑み友だちY姐が無事職場復帰。

失礼乍らもういい歳なので(と言っても私とそんなに違わない)心配していたのであるが、些か痩せたとはいえもうすっかり元気になっていた。

「休んでいる間はいろいろと迷惑かけたわね、もうだいじょうぶよ。医者に『お酒はいつ頃から呑めますか?』って聞いたらネ、『ひと月は我慢してください』って言われたの。だからひと月たったら呑めるわよ(笑)」

もっと別なことを心配しなさい。

おだやかな日曜日

いつものように週末は寝ていた。
ずいぶん良い天気の日曜日で残念なことではあるが、それでも身体が疲れているのでとにかく休息。
枕頭のラジオから聞こえるDJのトークを聴き乍ら、本を読んだりうたた寝したりする。

もう少ししたらこの忙しさも一段落する、と思う。いや思いたい。
時間がとれるようになったら『嫌われ松子の一生』を観に行こう。
行きたいところは映画館と寄席と野球場(ドーム球場は嫌い)。

もうすぐFIFA Worldcup Germany 2006も始まる。
別にサッカーファンでもないのだが、ドイツサッカーファンとしてはやっぱり観てしまうのだろう。
さて明日からまた仕事、今週は八時前には職場を出たいなあ。

田村高廣=『泥の河』=マルセ太郎

田村高廣死去。父・阪東妻三郎とはひと味違った渋い俳優だった。

小栗康平監督の名作『泥の河』のお父ちゃん役など、今となっては田村高廣以外には考えられない。人生の機微をすべて包み込んでしまうような、優しくてちょっともの悲しい表情がとても良かった。

今は亡きコメディアン、マルセ太郎の舞台「スクリーンの無い映画館」を、これも今は無き渋谷ジァンジァンで観たときも、この『泥の河』が題材だった。

この舞台がまた、涙が出るほど可笑しくて感動的だったおかげで、私の記憶のなかでは『泥の河』とマルセ太郎はセットになっている。

フランキー堺もチョイ役で出演

家でぼんやりと『嵐を呼ぶ男』のDVDを観る。

あらためて感じたことだがこれは日本映画の伝統である母子モノ。母親=小夜福子はヤクザなドラマーの兄=裕次郎を嫌い、真面目な音楽家志望の弟=青山恭二を偏愛している。母が銀行員=固い職業になってほしいと思っていた弟は、兄を英雄視して音楽家=ヤクザな仕事に足を踏み入れようとしている。しかし最後に母は、弟の栄達を願ってみずからの才能を封印した兄の気持を覚って懺悔する。

ローワークラスの裕次郎とアッパークラスの北原三枝、岡田真澄兄妹との対比。かたや五反田のオンボロアパート、かたや自宅にスタジオまである高級住宅だ。(朝食はフレッシュジュースにトースト!)今流行りの下流社会なんてのが当たり前だった時代だね。

この映画が純粋に面白いのは前半。裕次郎がドラムを叩いてクラブやキャバレーを渡り歩き、ネオンぎらぎらの世界でドロドロと蠢く有象無象の連中、、、北原三枝(女性マネージャー)や金子信雄(胡散臭いジャズ評論家)などが登場し、ドラム合戦で頂上に登り詰めるまでだ。後は母子モノ、浪花節、愛憎劇に雪崩れ込んでいく。まあそのあたりが映画として大ヒットした大きな理由でもあるのだが。

よくよく考えると「ドラム合戦」てのも凄い。要するに drum battle を和訳したらドラム合戦なんだが。「おいらはドラマー、ヤクザなドラマー♪」おいおいそれじゃドラム合戦じゃねーっての(笑)。ちなみにドラム合戦の吹き替えは天才ドラマーと言われた白木秀雄(笈田敏夫の吹き替えはフランキー堺という説がある)。ついでに笈田敏夫側のサックス奏者は若きスリーピー松本英彦だ。

映画の最後、青山恭二がシンフォニックジャズを指揮する場面で、精悍な表情でドラムを叩いているのが白木秀雄。日本一のジャズドラマーとしてスターダムを登り詰め、最後は落ちぶれ果てて安アパートで孤独死。発見されたとき死体はすでに腐乱していたという、まさに天国から地獄に堕ちた男だ。こっちのほうがよっぽど凄い。

熱海の海岸、散歩して(4)〜バカは死んでも治らない

市内の目ぬき通りを散策して気がついた。書店が無い。熱海市民は本を読まないのか。これはもうどうしようもない私の癖だが、知らない街に行くと必ず本屋を探してしまう。たとえそれがどんなに小さな書店であろうと、たとえ文房具店のはじっこに本棚があるような書店でも、チェーン店や大型書店ではない、地元の商店街にあるような書店を探さずにはいられない。

いまでも憶えているのは気仙沼にあった●●書店。うっかり覗いたら驚いた。驚異的なエロ本の品揃えで、これだけの店は東京都内でもそうそうないよ、と同行のエロ本業界で働いていた友人も感嘆していた。翌日地元の友人にその話をしたら「あの店に行ったんですか、あそこは気仙沼の漁師御用達の店ですよ(笑)、なにしろ半年以上の遠洋航海ですからね、もうごっそり買い込んで出航です。屈強な漁師が昼はマグロと闘って、夜はエロ本(笑)」

まあ、そういう地元密着?の書店を覗くのが好きなのである。ようやく駅前の古くさい商業ビルに書店があるのを発見。想像通り店の半分は文房具で埋まっている。平台が無いので店の前に新刊雑誌が床置きされているという珍なる書店。こういう店にはすでに絶版になってしまったデッドストックがあることが多い。ちょっと期待してはじから棚を眺めて回るがデッドストックといえるほどの本は無かった。せっかくだからと筒井康隆『敵』、竹中直人『直人の素敵な小箱』を購う。

すっかり薄暗くなった熱海を後に電車に乗り、小田原で途中下車して小田急線に乗り換える。小田原駅の駅舎が見違えるほど変わってしまって驚いた。あの平屋の駅舎は影も形も無くなってしまい、駅前もすっかり様変わり、殺風景になってつまらない。シートのはじっこに座りキオスクで買った罐酎ハイ片手に『直人の素敵な小箱』を読む。昼間から呑み続けているのでもうグズグズである。すっかりダラシナイ酔っ払いに成り下がり、周囲の客の冷たい視線を浴びつつ家路に着いた。これで今年のGWはオシマイ。

※熱海の裏通りで見つけた消火栓。いいのかね、こんなにしちゃって。

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熱海の海岸、散歩して(3)〜熱海食事情

昼間から一杯ひっかけて温泉に浸かりマッサージ機で身体をほぐし、すっかり良いこんころもちで熱海の街をぶらぶらと散歩。スナックや風俗店がひっそりと軒を並べる裏露地に、木久ちゃんラーメンのポスターを掲げたラーメン屋発見。おお、有名な割にはなかなかお目にかかれない木久ちゃんラーメン、と思ったところが準備中の貼紙。残念。いわゆる「木久蔵ラーメン」とは別物らしいがよくわからない。それにしてもポスターの木久蔵師、かなり若いぞ。いったいいつ頃のポスターなんだろう。

土産物屋で温泉饅頭を一個購う。店のおかみさんが「そこで食べるならお茶差し上げますよ」と言うので、指差す方をみると店の前にベンチがあった。ありがたくお茶を貰ってベンチで湯気の立つ美味しいお饅頭を食べる。これで少しは売上げに影響するのかしらん。そろそろ夕方になってきたのでどこかで腹ごしらえをしようと食堂を覗いてまわるが、どこの食堂も値段が高くて定食はほとんどが1000円以上する。観光客相手だからしかたないのだろう。それでも「安くて美味しい」を売り物にすればもっと評判がよくなると思うのだが、、、前述のように地元の公定価格という縛りがあるんだろうなあ。誰か若い商店主が風穴を開けてくれ、と言いたくなる。

さっきの鯵のたたきもそうだがなにしろ地元の魚はほんとうに美味しい。干物定食なんか安く美味しく提供できそうな気がする。ああ、そうか、そんなことしたら干物が売れなくなるか。いや、美味しく焼いて食べさせたら土産に買って帰る人が増えると思うがなあ。熱海まで来て戸隠蕎麦だのトンカツ定食なんぞ食べてもしょうがない。ようやく見つけた安い鮨屋で、生ビールを呑みつつ地元の魚をつまむ。鯵と真鯛と金目鯛が美味しい。隣の客はサーモンだのイクラだのをつまんでいる。自分の金で何を食べようとその人の勝手だが、熱海でサーモンやイクラを食べてどうするのだ。まあいいけどね。ところでこの鮨屋では生ビール小ジョッキが250円、お代わりするととたんに200円になる。嬉しくなってお代わり。バカだねー。

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熱海の海岸、散歩して(2)〜秘宝館の魔手

駅前から路線バスに揺られて熱海港で降りると初島や大島への汽船発着所があった。船で大島へ行くというのもいいなあ。いつか行ってみよう。江利チエミ主演のミュージカル映画『ジャズ娘誕生』(1957)、大島の椿油売りの江利チエミは旅回りの一座と知り合い、ひょんなことからジャズ歌手としてデビューすることになる。あの映画に出てくるのどかな雰囲気はいまでも残っているのだろうか。

小腹が空いたので釣舟宿が経営する葭簾張りの食堂に入り、生ビールと鯵のたたきで一杯呑む。だいたいこういうところは値段が高いのだがまあそれはよしとしよう。生ビール1杯650円、サザエつぼ焼き1000円、定食は1200円〜1700円。安くしようと思えばもっと安くできるのだろうが、たぶん地元の公定価格があるのだろう。抜け駆けはダメなのね。

岬の突端が山になっていてその上に聳え立つのは熱海城。店を出るとすぐ近くにロープウェイ乗り場がある。そしてロープウェイに乗って何処に着くかというとごぞんじ熱海秘宝館(笑)。あちこちの食堂には秘宝館の割引券が無造作に置かれている。うーん、安っぽい。ビールと鯵のたたきで良いこんころもちになって、そうかあ秘宝館かあ、いっちょう行ってみっかあ、などと思うが、ふとわれにかえって考えた。

だいたい秘宝館というところはグループ旅行で「おお秘宝館! いいねえ行ってみるかあ」「やだあ、スケベなんだからあ」「そういえばむかし行ったことあるなあ」「あたし行ってみたい!」「行ってみよう行ってみよう」というマヌケなノリで行くところである。またはアベックで「秘宝館に行ってみようよ」「何それ、やだあそんなとこお」「まあまあいいじゃないか、フフフ」などとバカ面さらして行くところである。間違っても男独りで行くところではない。しかも片道350円のロープウェイに乗って行くのである。

そうか、このあたりの店で新鮮な魚で一杯やっていると、秘宝館の割引券が手に入り、すぐそばにロープウェイがあって、ふらふら乗り込むとそこは秘宝館、という仕掛けか。うーん、おそるべし熱海、おそるべし秘宝館。危うく人間としてダメになるところだった。よかったよかった。

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※山頂に聳える熱海城と熱海秘宝館(左上の緑色の建物)、ロープウェイただいま運行中。

ダメ人間にならずに済んだところでマリンスパ熱海という施設に入る。ここはプールと温泉に入れるようになっていてもちろん私は温泉に向かう。熱海湾を一望に見渡せる湯舟に浸かりだらだらし、湯上がりにロビーに行くとマッサージチェアがあった。100円払って思いきりマッサージしてあまりの気持良さに涙が出てきた。

ついでに中国式足裏マッサージ機という珍なるシロモノにチャレンジ。中国式というキャッチコピーがなんともインチキくさいが、それでもよく考えたものだと思う。足裏のツボをいちいち押したり器具を踏んだりするのが面倒だから、いっそのこと電動式にすればいいのでは、と思いついたのだろう。機械に両足を突っ込んで100円入れると足裏のツボをグイグイ押してくれて、最初は痛かったが慣れるとこれが気持良くてまた涙が出てきた。それにしても良いオトナが情けない。やはりダメ人間なのかもしれない。

熱海の海岸、散歩して

ほとんど寝たきり?のGWだったが、一日くらい何処かへ出かけようと思いなぜか熱海に向かう。特に思うところがあるわけではないのだが、なんとなく熱海へ行こうと思った、ただそれだけである。東海道線に揺られて小田原、真鶴、湯河原を通り過ぎて熱海に着いた。空前の海外旅行ラッシュとはいえ熱海にもそれなりに観光客が群れている。家族連れかアベックばかりのなか、私はいつものように独り旅。

熱海といえば小津安二郎監督の名作『東京物語』(1953)、笠智衆と東山千栄子の老夫婦が早朝の熱海の海岸でしみじみする場面が有名。はるばる尾道から上京し、子どもたち(山村聡、杉村春子)のもとを訪れた老夫婦は、手塩にかけて育てた子どもたちも立派になったが、それも思いのほか出世しているわけでもない現実を知る。それはそれでいいとしても、長男も長女もどことなく老親に対して冷たいことに落胆する。戦死した次男の嫁・原節子だけが心から優しく接してくれる。老夫婦はあちらこちらとたらい回しにされ、挙句の果てに長女の杉村春子の亭主・中村伸郎の発案で熱海の旅館に送り出された。夜が更けても喧噪止まぬ旅館でひどい目に遭い、寝ぼけ眼をこすり乍ら熱海海岸の堤防の上で「そろそろ尾道へ帰ろうか」「そうですねえ、帰りましょうか」と短い会話を交わす。ここで東山千栄子は目眩を起して倒れそうになる。これが伏線で、尾道に帰った後、東山千栄子は倒れて息を引き取る。

戦争が終わって日本は変わってしまった。古き良き日本は次第に失われてゆく。家族のあり方もどんどん変わってゆき、老夫婦はもう時代から取り残されてしまった。この残酷な迄の現実を小津安二郎は冷ややかに、そして限りない優しさを込めてフィルムに映し出していく。笠智衆と東山千栄子が朝日を浴びて座っていた堤防はどこだろう。すでに50年もむかしのこと、映画で観る熱海海岸は今とはすっかり様変わりしている。たぶん位置関係からしてこのあたりに堤防があったと思われる。画面左手にはのどかな岬が映っているが、今では突端までホテルやリゾートマンションが立ち並んでいる。彼らが眺めた海だけがむかしのままだ。

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仄暗い穴の中で

晴天に恵まれたGWだというのに何処にも出かけないのはダメな奴か? ハイ、ダメな奴です。

まあいいんだけど、もともとGWに何処かへ出かけるという習慣がない。かつてはGWに人口の減った都心を散歩したり、映画館のハシゴをしたり、そんなこともしたものだが、今年はダメだ。年度末からの激務に心身共にくたびれ果てていて、さあ何処かへ行こうなどとはあまり思わない。

誰にも会いたくないのでひたすら家にひきこもり、ラジオを聴いて本を読んで日が暮れた。外界との交わりも、せいぜい近所の立ち呑み屋で焼酎を呷り、焼きとんを齧って文庫本を読むくらいが関の山。しかも立ち呑み屋で1時間くらい居たら腰が痛くなった。情けない。

ああ、寂れた山奥の湯治場でひっそりと過ごしたいなあ。なんだかつげ義春みたいになってきたぞ(苦笑)。

Asian noir

街角でささやかな会社を経営していた矢野正彦(仮名)は数年前にパソコン用商品の販売でひと儲けした。脱サラで始めた会社だったが当初は競争相手の多いこの業界で生き残るのに必死だった。大手コンピュータ会社の営業で培った人脈を活かして、ユーザの立場から安くて丈夫で使いやすい商品をいくつか企画開発し、地道な営業努力を続けた。その結果、じわじわと売れ行きが上昇カーブを描くようになり、ようやく社員たちに恥ずかしくないボーナスを支給できるようになった。

ところが最近、製造単価をより安くあげるため労働力を中国に求めることを考え、つてを頼って北京のシリコンバレーと呼ばれる中関村(チュンクヮンツン)に進出。これが裏目に出た。合弁を申し出た王才龍(ワン・ツァイロン)に自分たちの企画開発情報をみごとにパクられたうえに、才龍はさらに安い製品を勝手に作って輸出し始めたのである。抜け目ない彼らは矢野に李春艶(リ・チュンイェン)という若い愛人をあてがった。中国四千年のテクニックを駆使する春艶に骨抜きにされた矢野は、業績がみるみる落ちていく事実に憤り乍らも、春艶と戯れることを止められなかった。どうやら麻薬を嗅がされていたらしいと気づいたのは、尾羽うち枯らして帰国した後だった。

ある日、帰国した矢野の会社に才龍がやってきた。凄い企画があるのでぜひ矢野に日本での販売総代理店になってもらいたいという。半信半疑だった矢野だが才龍の後ろで微笑む春艶の姿を見てふたたび地獄に堕ちた。中国人がどんどん会社に入り込み、日本人の社員は次々と辞めていった。春艶のマンションに入り浸る夫に愛想をつかし、妻は小学生の娘を連れて矢野のもとを去っていった。とうとう会社を乗っ取られたうえに多額の負債を押しつけられた矢野は、家も会社もすべて失い自家用車で寝泊まりするようになる。そしてある日サラ金の取り立てが自家用車の窓ガラスを叩く。

「社長さんよお、動く家ってのもいいもんだが、俺たちゃ探すのに苦労するんだよお(笑)、いいかげんにしてくんねえかなあ、金がないなら腎臓ひとつ貰いたいんだよねえ、人助けになるし借金は返せるし、なに、悪い話じゃねえと思うよ(笑)」

そしてある冬の夜、数人のダークスーツ姿の男が現れ、矢野は黒塗りの外車に乗って闇に消えていった。路上に残された自家用車はそれ以後「空家」になったのである。

というようなドラマがあるんじゃないかなあ、あったら面白いんだけどなあ、と妄想する散歩中。

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寝ずの番を観た

横浜シネマリンで『寝ずの番』(2006)を観る。
関内駅から伊勢佐木モールをとぼとぼと横浜シネマリンまで歩く。裏通りにある小さな映画館。中は鰻の寝床のような細長い造りで、これも廃業した横浜西口名画座のような感じだ。関内には長いこと映画を観に通っているが、この映画館に来るのは初めてだ。ほとんど黄金町のシネマジャック&ベティか横浜日劇、あるいは有隣堂の裏手にあった関内アカデミー2にしか行かなかった。しかしジャック&ベティも日劇も関内アカデミー2も廃業してしまい、いまではとんと関内詣でもしなくなってしまった。ジャック&ベティはその後復活したが、以前の名画座ではなくなったようなので行っていない。

上方落語界の重鎮、笑満亭橋鶴(長門裕之)が亡くなった。臨終を迎えた橋鶴は一番弟子の橋次(笹野高史)に向かって「そそが見たい、、、」と呟いた。弟子の橋太(中井貴一)は妻の茂子(木村佳乃)に、師匠の末期の頼みを叶えてくれと懇願。茂子は橋鶴のベッドに上りスカートをめくりあげた。「師匠、どうでした?」耳もとで囁く橋次に、瀕死の橋鶴は最後の力をふりしぼって叫ぶ。「そ、そと(外)見たい、言うたんや、、、アホッ!」面喰らった橋太は茂子に後頭部を思いきりどつかれる。そして橋鶴は、息を、引きとった。

通夜という故人の思い出を語る場が大半を占める。通夜の席では故人のいいことも悪いこともみな思い出話になる。そして藝人の通夜らしい艶歌猥歌のオンパレードに突入。オ●コ、チ●ポとこれほど猥語が飛び交う映画も珍しい。綺麗な木村佳乃が三味線弾き弾き「おそそかっぴろげて〜♪」だなんてよくやるよ。岸部一徳は春歌版軍艦マーチを熱唱し、堺正章と中井貴一は三味線弾き弾き春歌合戦。美しくも艶やかな富司純子が春歌を歌い乍ら舞う場面、はんなりとした美しさに魅せられる。「死人の『かんかんのう踊り』や!」(古典落語『らくだ』のワンシーン)と叫んだ岸部一徳が、橋鶴の亡骸を抱えて「かんかんのう」を歌い踊る。死体と遊ぶ珍場面、イギリスやフランスでは絶対ウケるなあ、こりゃ。末弟子の橋七の女房を演じた真由子、どこかで見たような顔だなあ、と思っていたら、津川雅彦の愛娘だった。どうりで朝丘雪路に似ているはずだ。

落語の演技指導をしたのは、昨年惜しまれて逝った桂吉朝。噺家の通夜という映画ということを考えると感慨深い。すでに病に侵され余命幾許もないことを知っていたであろう吉朝が、いったいどんな気持で演技をつけたのか。原作者の中島らもは映画製作中に事故死。マキノ雅彦(津川雅彦)監督、なんというデビューであろう。

先生堂書店にて長谷川伸『狼』『ある市井の徒/新コ半代記』(旺文社文庫)を購い帰宅。

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長生きの秘訣

三遊亭圓彌死去。端正な高座で古典を語る噺家だった。末廣亭で何度も高座を聴いたが、いつも嫌味のないきれいな口跡が印象的だった。鯔背な職人とか角張った武家が似合う人で、見た目も植木職人みたいだったなあ。

圓生一門も総領弟子の圓楽が倒れ、圓楽より若い圓彌が逝き、地味な圓窓が頑張っているほか、残った弟子で目立つのは川柳と圓丈か。異端のほうが元気なのかしらん。合掌。

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