2008年7月24日 (木)

筒井康隆健在也

桐野夏生『東京島』(新潮社)
無人島に漂着したただ一人の女は、同様に漂着した多くの男たちから女神と崇められる。しかしその女神はまた娼婦でもあった。日本人たちはこの島を「東京島」と呼ぶようになる。やがて中国人たちが漂着し無人島はひとつの“社会”へと変貌する。日本人社会と中国人社会は対立の様相を呈し、あまつさえ日本人社会からはじき出される“同胞”まで現れる。

脱出と絶望、生と死、どこにも行くあてもない東京島を舞台に、熱に浮かされたような狂気が充ちていく…ひさしぶりに桐野夏生を読んだけど、やっぱり面白いなあ。


三崎亜記『鼓笛隊の襲来』(光文社)
遠く南洋海域から日本を襲う鼓笛隊の恐怖。覆面法が施行された世界。公園に現れたほんものの“象”の滑り台。家の中で異次元に入り込んだ男。校庭のまんなかに建つ家に住む家族……日常にスルリと入り込む怪異と恐怖は、いまどき珍しい岡本綺堂のホラーを思い出させてくれる。


筒井康隆『ダンシング・ヴァニティ』(新潮社)
「……さっきバッハの対位法の話が出たけれども、あれなんかベケットのやったことからだいぶ遅れているわけです。文学では誰もあれをやってない。つまりあれは反復するわけです。音楽には反復ということがある。いま聴いたばかりのメロディーを、あれはいいからもう一度聴きたいという聴衆の希望があるでしょう。音楽の場合、それをすぐ叶えてくれる。小説でなぜそれがないのか。つまり、いま読んだ文章がいいから、もう一度読みたいということはあると思うんですよ……」

というわけで、小説で“それ”を実現してしまうところが筒井康隆の筒井康隆たる所以。いやあ、さすが筒井康隆である。日常を遠く離れた“小説”の高みを存分に堪能させてくれます。

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2008年7月 6日 (日)

チャイ語?

書店に行くとついつい語学書コーナーを覗いてしまう。そしていつも中国語のテキストがたくさん出ているなあと思うのである。

私が中国語を学んでいた頃…1980年代半ば…はそれほど多くの種類は出ていなかったように思う。どれもこれも今から見れば堅苦しいテキストが大半を占めていたような気がする。イラストや写真も堅苦しくて、街角の中国人は人民服を着て自転車に跨がっていたような記憶がある。写真も天安門広場、天壇公園、頤和園、九龍壁…そんなもんでした。それがいまでは百花繚乱の如くさまざまな中国語テキストが出版されては消えて行く。

1980年から現在までを検索してみると、中国語のテキスト…厳密には辞書も含まれるがまあそのへんはご容赦…総数は1727件がヒットする。年代別に見てみると以下の如くだ。

1980年代 342件
1990年代 704件
2000年代 681件 ※2007年度まで

データベース:紀伊國屋書店BookWeb 
検索キーワード:中国 
NDC(日本十進分類):82△(言語:東洋諸語)

改革開放政策が始まった80年代に比べて、改革開放政策が全開になった1990年代はほぼ倍増しており、2000年代に入ってからも出版点数は上がるばかりだ。現在ではたとえばイラストひとつをとってもかつての堅苦しい挿絵からポップなものに変わり、天安門広場を行き交う中国人も人民服など着てはいない。紙質もよくなり(笑)付録CDもあたりまえのようについている。かつては別売のカセットテープ(しかも高価)だったのが昔日の感ありだ。

検索語を「中国語」ではなく「中国」としたのは、「中国語」以外に「チャイニーズ」「漢語」といったタイトルも少数だが標題に含まれているからだ。しかしどの本にも「中国語」という標題は含まれているので検索漏れはない(はず)。国内の出版物でまずお目にかかれないのが「華語」。これは臺灣や東南アジアで使われている単語だ。例外的に2冊だけ出版されていた。就中店頭で見つけて吃驚したのが標題に堂々と「チャイ語」と書かれたテキスト。そういえば学生たちが「チャイ語取ってる?」「チャイ語、単位落としそう…」などという会話を耳にして、チャイ語って何だ…としばし考えてから、ああ中国語のことかあ!とようやく気づいたことがあった。注意して聴いているとフランス語をフラ語などと言っていたっけ。

ちなみに同じ条件で「広東語」は58件、「台湾(臺灣)語」は22件がヒットする。広東語は1990年代の香港映画ブームの影響があるのだろうか。現在、中国に返還された香港では標準語(普通話)の学習熱が高まっているらしいが、香港では広東語が必須なので学ばないとダメ。臺灣語に至っては外国人が使う機会がほとんどなく、また臺灣では標準語(國語)が通用するためあまり需要はないからこんなもんだろう。

ついでに主な東南アジア諸語テキストについても調べてみた。ちなみに検索条件は同じ。

韓国・朝鮮語は全部で532件ヒット。そのうち「韓国語」を含むものが453件、「朝鮮語」を含むものが79件あった。ここでややこしいのが「ハングル」というキーワード。「ハングル」+「韓国語」と「ハングル」+「朝鮮語」といった、「ハングル」併記のものもあるのだが、分けて検索できない。検索キーワードを「ハングル」としてみると191件ヒットする。「ハングル」は文字のことであり言語のことではない。ハングル文字を学ぶためのテキストなら頷けるのだが、「ハングル」を冠して語学テキストとしているものも相当数あり、就中「ハングル語」などという噴飯ものの標記も散見される。それじゃ「ひらがな語」とか「アルファベット語」ってのもありか? 532件のうち2000年以降の出版が343件を占めており、これは間違いなく韓流ブームの影響であろう。その他「コリア語」1件、「コリアン」12件、「韓語」1件がヒット。まあこの言語は、日本に於いては主体の政治的立場が強く影響されるからしかたないですね。

タイ語は119件ヒットし、うち2000年以降が71件を占めている。ベトナム語は56件ヒットし、うち2000年代以降が30件を占めている。いずれも1990年代から出版点数が急増しているが、これは1990年代のアジアブーム、バックパッカーブームや、バブル経済崩壊後、東南アジアに生産拠点を移すなどして現地に在留する日本人が増えたこと、また東南アジアから就労や留学などで多くの外国人が流れ込んで来たことも関係していると思う。

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2008年7月 5日 (土)

岩波写真文庫

ここしばらく出張に出かけたりしてヘロヘロになりつつある。それでも出先に書店があればついつい入ってしまうし、手ぶらで出てくることなど殆どない。

『これが中国人だ!』(祥伝社新書)
『中国雑学団』(マガジンハウス)
『トンデモ大国中国の素顔』(彩図社)
『中国語基礎知識』(大修館書店)
『ソ連・中国の旅』(岩波写真文庫)
『汽車の窓から』(岩波写真文庫)
『ホテル・ニューハンプシャー』(新潮文庫)

以下3冊は古本…
『江戸川乱歩傑作選』(新潮文庫)
『旅の終わりは個室寝台車』(新潮文庫)
『全線全駅鉄道の旅4:関東1500キロ』(小学館)

それにしても最近は中国豆知識みたいな本が多いなあ。北京五輪もそうだけど四川大地震だのチベット暴動だの…最近だと貴州省プイ族自治県で起きた暴動もあるな…いったいこの大国がどうなるのだろうという興味と不安があるのだろう。

それはそうと復刻版岩波写真文庫がとても新鮮で面白い。すでに『汽車』『本の話』『ソ連・中国の旅』『汽車の窓から』を買ったが、どれもこれも興味深いものばかりだ。戦後間もない頃に活字主体から写真主体という、しかもコンパクトな新書サイズでシリーズ刊行された。当時はきっと斬新で新鮮なイメージを持って迎えられたのだろうなあ。

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2008年6月23日 (月)

そろそろ…夏

演藝研究会例会でひさしぶりに末広亭に行ったら凄い行列。今日の夜席のトリは柳家小三治だからしかたないか。二階席に通されるがここもほぼ満員で一階席では立ち見もちらほら。

笑組(漫才)、柳家はん治、古今亭志ん橋、太田家元九郎(津軽三味線)、柳家小袁治と来て五街道雲助が『皿屋敷』を演じる。花島世津子(マジック)は相変わらずホノボノしたトークとユルいネタで客席を和ませる。柳家〆治に続いて柳家さん喬の代演、金原亭伯楽が『宮戸川』を一席。『皿屋敷』に『宮戸川』…そろそろ夏だなあ。

仲入りの後は柳家禽大夫、柳亭燕路に続いてぺぺ桜井(ギター漫談)登場。相変わらずペラペラと喋りまくって「今はギターが大ブームなんです!」いったいいつのネタなんだよ(爆笑)。水戸大神楽の柳家小雪の代演なんだろう。ひさしぶりに小雪ちゃんの曲藝を見たかったな。

いよいよ懸案の(笑)入船亭扇橋師匠登場。

「まさか今日も『つる』じゃないだろうなあ…」
「今日も『つる』だったら、いよいよ扇橋師匠危ないぞ(笑)」

『三人旅』のさわりのようなのをのらりくらりと喋り始めたと思ったら「空はどうして青いの〜、海の色がうつるから〜♪」と唄いだしてそのまま高座を降りてしまった。永六輔と誰かがデュエットしていた『どうして』という歌じゃないか(苦笑)

「扇橋師匠くらいになると何をしてもいいんだな」
「さすが落語界」(意味不明)

「いっちょうけんめい演ります」の春風亭一朝が爽やかに『湯屋番』を演じて、林家二楽(紙切り)がゆらゆら揺れて、いよいよ真打登場だ。

今日の小三治は気持ち良さそうに『馬の田楽』を演じた。これも夏だよなあ。マクラで戦後の思い出を語っていたが、幼少だったとはいえ、小三治も戦前を語れるひとりなんだ。

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2008年6月16日 (月)

赤の時代

洋書は滅多に買わないのだが面白いものがあるとつい買ってしまう。先日は『SOVIET POSTERS』(PRESTEL)を買った。

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簡単に言うとソビエト社会主義連邦時代のプロレタリアアート全開ポスターを集めた本。中身はこんなにポップでキッチュなデザインから写実的な絵画調まで多岐にわたっていて、ページを繰っていても飽きることがない。革命の風に帆を張るロシア・アヴァンギャルドの息吹が波打っている。ポストモダンも裸足で逃げ出すくらいの迫力だ。とはいえ今見ると少々うるさいかもしれないけどネ。

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こちらの『CHINESE POSTERS : Art from the Great Proletarian Cultural Revolution』(Lincoln Cushing and Ann Tompkins)は、1966年から1976年にかけて中国全土を揺るがしたプロレタリア文化大革命のポスターを集めた本。

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どうですか、ソ連のプロレタリアアートとは打って変わったこのわかりやすさ。写実的だったり山水画だったり伝統絵画だったりするけど、全体のトーンは一貫している。つまり藝術的なデザインは皆無に近い。

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やはり西欧文化の伝統があるソ連と中国四千年の伝統中華との違いなんだろう。ま、プロレタリアート文化大革命ってくらいだから、農民を代表とする労働者層に理解しやすいデザインじゃなくちゃいけなかった。それに変に“藝術的”になるとたちまち走資派(資本主義傾向の実権派)とみなされて打倒されてしまう恐れがあった。藝術は労働者や社会に貢献しなければいけない、というプロレタリア藝術運動を素直に採択した結果だろう。中華人民共和国が成立する以前の中国では、ロシア・アヴァンギャルドに影響を受けた絵画やポスターが多く発表されている。

毛沢東もスターリンも不必要に大きく描かれているが、これは社会主義プロパガンダの常套表現。労働者は繰り返し繰り返しこの種のポスターを見るうちに、カリスマは巨大な存在であるという意識を刷り込まれる。最近では朝鮮民主主義人民共和国の金日成を描いたポスターや絵画がこういう構図だ。

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社会主義の始祖ソビエト連邦と、ソビエト中央を指導者と仰ぐ中国が手をつないでいた時代のポスターがこれ。このあとにスターリン批判に端を発する中ソ対立が起こってしまうのである。いまじゃロシアも中国も金儲けに奔走してるしねー。レーニンもスターリンも毛沢東も周恩来も草葉の陰でどう思っているのだろう。

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2008年6月15日 (日)

祝・副都心線開業

月曜からずっと働き続けてきて終末…いや週末になるともうくたびれ果ててしまい、今日は一歩も家を出ずに寝倒してやろうかとか、寝床のなかで本を読みまくろうとか、そんなことを考える。でも平日は働きづめで週末は引きこもりというのもつまらない。しかも今日は東京メトロ副都心線の開業日。家に引きこもってはいられないのだ。というわけで副都心線に乗りに行ってきた(馬鹿まるだし)

田園都市線渋谷駅ホームに降りるとすでに副都心線乗り場への案内板が設置されており、ホームの中ほどに副都心線への階段が…エスカレーターを降りて真新しい通路を歩いていくとここは副都心線渋谷駅改札。おお、渋谷から池袋を通って和光市や飯能まで行けるぞ。


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だだっ広い地下ホームには人、人、人…そんなに人気があるのか副都心線。東京メトロ10000系が入線してくるたびにデジカメとケータイを持つ手が伸びる、伸びる、伸びる! ま、それはともかくまずは列車に乗らなくちゃいかん。というわけでやってきた各駅停車に乗って出発進行。おお、新品車輛だ。吊革も座席も新品。適度に満員の車輛は走る。それにしても新型車輛は加速がいいねえ。スーッと走り出したらあっという間にトップギアって感じ。こんどは急行に乗らなくちゃ(笑) 

渋谷から明治神宮前、北参道を経て新宿三丁目に到着。ここでたくさんの人が降りて行く。新宿駅から離れている伊勢丹もこれで勢いを盛り返すのかも。東新宿を経て西早稲田で降りる。昨夜の『タモリ倶楽部』で紹介されていた「壁から生えている椅子」を見物するのである。人目をひく椅子なのでみんな写真を撮っている。「これこれ、昨日『タモリ倶楽部』に出てた」という声もちらほら。マニア番組の王道だな、まったく。私もしっかり座ってきたが思いのほかしっかりしていて、ベンチに座り込むのが辛い腰痛持ちの人にはいいかもしれない。

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ここは急行通過駅なので急行が凄い勢いで走りすぎるのを眺めてから、次にやって来た各駅停車で雑司ヶ谷に降りる。暫くホームをうろついてから今度は池袋へ向かう。ホームの椅子があの西早稲田にあったものと同じだ。そうか、西早稲田ではこれが壁から生えているのかあ…

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さてやって来ました急行列車。これに乗って渋谷まで直行だ。おお速い速い! いやあ加速が良いなあ。新宿三丁目の次はもう渋谷。さて私もここらで10000系の写真でも撮るか、と歩き出したが、撮影スポットには黒山の人だかりでなかなか思うように写真が撮れない。ちょっと前まではこういう場面には鉄ヲタしかいなかったのだが、電車ブームとケータイ撮影の普及でオジサンオバサンや若い女性もたくさんいて、なんかヘンな感じ(笑)それでもなんとか写真を撮った。それでも10000系じゃない西武6000系や東武9000系がやって来て拍子抜けしたりする。乗り入れ路線だからなあ。それにしても同じ乗り場に東京メトロと西武と東武の列車が入れ替わり立ち替わり入線してくるのが面白い。なんかどこかで見たことがあるなあ、と思ったら名鉄名古屋駅のホームみたいだ。


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いまのところ渋谷駅が終着駅なのだが将来は東急東横線乗り入れに備えて2面ホームで4線(1番線〜4番線)を使うことになる。しかし当面は両端の2線(1番線と4番線)のみ使用なので2番線と3番線はこういうふうになっている。遺跡発掘現場か(笑)

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透明なアクリル板が効果的に使われていたり、ホームから改札まで吹き抜けになっている箇所があったりして開放感のある駅になっている。うーん、面白いぞ東京メトロ副都心線。

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2008年6月 9日 (月)

切符を買いに中国へ

星野博美『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)を読む。

なんと心に響いてくる一冊であろう。著者は1966年生まれだから私と同世代だ。中国に興味を持って大学に入学したものの、周囲は欧米一色、青い目の西洋人に群がる日本人学生たちを眺めて「ここは植民地か?」と違和感を抱き、まだ見ぬ中国への憧憬を募らせていた若き日の著者。うーん、わかるわかる。私も似たようなものだった(笑)

1980年代初めに中国語だの中国文学だのを学ぼうとする連中は、おしなべてどこかひねくれていた、というか変わり者というか、とにかくまだまだ中国に対する日本人の認識は低かったと言わざるを得ない。1970年代後半の中国報道は私も憶えている。毛沢東の死去、四人組裁判、人民法廷で怒鳴り散らす江青、中国残留孤児の来日、そしてNHKの『シルクロード』放映開始……ついでに言えば藤原新也の写真&紀行文『全東洋街道』、短波放送から聞こえてくる北京放送と中国古典音楽、人民服を着たYMO『ソリッドステイト・サバイバー』のジャケット(笑)……中国文学科に在籍して真面目に中国語や中国文学を学ぼうとする志の高い学生から見れば、私のような学生はみごとにトンチンカンだ。

著者は1986年に香港へ語学留学に赴くが、香港は紛れもなく「植民地」だった。ここでも著者の違和感は続く。そして1987年の春、著者はクラスメートのアメリカ人マイケルとともに1ヶ月に渡る中国本土への旅に出かけた。1980年代の日本人とアメリカ人の若者が見た中国本土は、それはそれは驚天動地の国だった。ふたりは汽車を乗り継いで広州から西安経由でシルクロードの烏魯木斉(ウルムチ)を目指す。著者は初めて中国個人旅行を経験したものが必ず遭遇する「切符は何処だ?」問題に直面する。とにかく駅の窓口で求める切符を買うことの困難さに絶望し続ける。

「明日の北京行き寝台切符を一枚ください」
「没有!(ない)」

嗚呼「没有!」「没有!」「没有!」何処へ行っても「没有!」「没有!」「没有!」だ。それでも硬座(文字通りの木製の座席)切符を持って汽車に乗り込むと硬臥(やや固めの寝台)はいくつも空いている。人々は知恵を絞って友人知人のネットワークやコネを利用して長距離切符を手に入れる。況や外国人においておや。外国人特権を行使すればわりと簡単にいくこともあるのだが、なぜか若者はそれを行使したがらない。中国人民と同じ汽車に乗り同じ宿に泊まり同じものを食べることこそ、真に中国を知ることなのだ、と頑に信じている。資本主義バリバリの母国にいるときとは違い、なぜあれほどストイックな気持ちになれたのだろう?

「辛い修行をすればするほどステージが上がり、楽をした者はステージが下がる。ほとんど宗教と同じだった」(同書 p59)

いまでもバックパッカーたちはそうなのだろうが、とにかく貧乏でハードな旅をしてきたものは、旅の達人という称号を贈られ、ある種羨望の的となる。「哈爾濱(ハルビン)から上海まで硬臥で行ってきた」「おれなんか上海から西安まで硬座だぜ」「烏魯木斉からカシュガルへ行ってそこからアフガニスタンに抜けて戻ってきたんだ」「成都のドミトリーは値段が安くてよかったよ。でも半端なく汚いからなあ」延々と自慢合戦は続く。「辛い修行」を「辛い旅」と言い換えればあなたにもおわかりだろう。そう、1980年代の中国には修行に励む世界の若者がたくさんいたのである。

行く先々で切符確保に躍起になる日本人の著者と、たまには切符なんか忘れて旅を楽しもうとするマイケルは、ときに仲良くときに喧嘩し乍らシルクロードを目指す。著者はこの不条理な旅のなかで、嫌というほど中国という異文化に叩きのめされ、マイケルというアメリカ人とのコミュニケーションに悩み、そして自分の頭と身体で中国という国を、中国という異文化を、中国人という人々を理解したのだった。なんとすばらしい青春であろう! 同時代に同時期に中国というよくわからない国をうろつき回っていたかつての若者たち必読の一冊だ。

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2008年6月 7日 (土)

本馬鹿

こう毎日忙しいとストレスがたまる。ストレスがたまると本を買ってしまうのが悪い癖だ。癖というかもう病気だな。この10日間で買った本の一部がこれ。

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だってちくま学芸文庫の復刊フェアなんかしてるから『江戸の悪霊祓い師』『南方熊楠随筆集』を買わなくちゃいけないし、小島信夫の小説集が並んで置いてあったりするし、星野博美の中国本が新刊平台に積んであるし、小説コーナーに行くと筒井康隆に三崎亜記に古川日出男の新刊が置いてあるし、斎藤美奈子が二冊も置いてあるし、中公文庫の復刊なんか見つけちゃうし……魯迅や三国志の研究書も分厚いポル・ポトのノンフィクションも置いてあるし……どうしよう……仕事休んで読もうかなあ、有給休暇たくさん残ってるし(笑)

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2008年6月 4日 (水)

1989年6月4日

1989年6月4日、北京の天安門広場で起こったあの惨劇から19年が経った。連日の報道を食い入るように見つめていたあの頃からもう19年が経ったのだ。

いま日本のあちこちの大学で学んだり、さまざまな場所で働いている中国の若者たちの殆どは、天安門事件を“歴史的事件”として認識している。

あの日あの時、天安門広場を揺るがした中国人民のために、今夜は黙祷を捧げよう。

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2008年6月 3日 (火)

『蟹工船』再読

およそ20年ぶりに『蟹工船』を再読。

いま読むとその“面白さ”がよーくわかる。やはり社会経験がないといまいちピンとこないな……というか想像力の問題かもしれない。でもやはり社会経験を経るといろいろと細部まで理解できる。

若者が共感しているのは、労働者たちの素朴な連帯感といたわり合い、不当に搾取される労働者たちの悔しさと悲哀、権力への抵抗、勝利と敗北、そして明日につながる希望……といったところなのだろう。

人材派遣会社の不当就労斡旋行為が問題視されているいま、フリーターは使い捨てという現代社会の流れは、まさに『蟹工船』の世界とほぼ同じだ。これじゃ共感する若者が多い(らしい)のもむべなるかな。

とにかく使い捨てにされないためにも自ら学ぶことはだいじなんだよ。「大人はわかってくれない」とか「学校や先生はなにもしてくれない」と尾崎豊みたいなことを言うのも無駄とは思わないけど、いつまでも青春は続かない。

若者よ『蟹工船』を読め! って私ごときが言うことじゃないか(苦笑)

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2008年5月30日 (金)

古典の復権

小林多喜二の名作『蟹工船』が今年の増刷だけで累計20万部を越えたという。どうやらワーキングプア問題とのからみで20代~30代前半の世代に読まれているらしい。宮本顕治が生きていれば涙を流したことだろう。

私も人並みに大学生の頃に読みました『蟹工船』……なんか露悪的に暗い過酷な労働者の話だなあと思った記憶がある。まあ浮かれた80年代だったしバブルもすぐそこだったし“当時のフツーの大学生”としては特に変な読後感ではなかろう、と思う(苦笑)

たぶん中国語やロシア語にはいちはやく翻訳されていたはずである。私の好きな日本の小説は『蟹工船』です」と真面目に話す中国人もいた。「あなたはシャオリン・トゥオシーアルをどう思いますか?」と訊かれて、絶句したこともあった。「シャオリン・トゥオシーアル……ああ、小林多喜二かあ……どうって言われてもなあ……」

現在、『蟹工船/党生活者』(新潮文庫)と『蟹工船/一九二八・三・一五』(岩波文庫)のふたつの版があるが、装幀は断然新潮文庫版のほうがかっこいい。なんたって1929年に『定本日本プロレタリア作家叢書』の一冊として、戦旗社から発行された初版装幀をそのままカバーにしているのだ。かつてはなんだか薄暗い油絵みたいな装幀だったのでよけいかっこいい。プロレタリアアートってほんとポップでメッセージ色が強くて、私はコミュニストじゃないけど大好きだ……こういう見方は不遜なのであろうか?

しかしいまの若者が『蟹工船』に共感するというのがよくわからない。果たして共感しているのかどうかもわからないが、ほんとうに共感しているのなら日本共産党入党者が増えそうなものだが……増えてるのかな? だいたい『蟹工船』に描かれている不潔な悲惨さにどこまで共感できるのだろうか? 搾取される側の論理で共感しているのかなあ。

ま、なんにせよ古典がふたたび読まれるというのはいいことだと思う。誤解を恐れずに言えば、ね。

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2008年5月20日 (火)

どこでもマイフロア

帰宅途中で横断歩道を渡る。旧街道なので道は狭いのだがそれでも交通量は多く、夜ともなると車やバイクがけっこうなスピードですっ飛んで来る。

今夜は私の前を若い女の子がケータイから目を離すことなく歩いていた。彼女は横断歩道に近づいてもまったく左右を見ないまま道路を渡り始めた。左右から車が走って来た。私は慌てて歩行者用ボタンを押した。幸いすぐに信号は赤に変わり車は停車。その間彼女はケータイからまったく目を離すことなく俯いたまま道路を渡って行った。おいおい危ないよお。もう危険探知能力が欠落してるのかね…この類いの話をしていたら同僚が言った。

「若い子だって危険探知能力は持ってますよ…ただそのレーダーの感度は自分たちの好悪に及ぶレベルが最優先なんですよね…あのオヤジ、キモイからヤダとか、あいつウザイから近づかないとか、そういうことなんですよ…自分の心地よい時間や空間を侵すモノに対してはすごく敏感なんですよねー」

ふーん、そういうものかもしれないなあ…若い頃ってそうかもしれない。でも今夜のあの子は絶対違うなあ。目の前で人が車にはねられるのは見たくないけど、ケータイとデジタルヘッドフォンステレオで完全武装したヤツらがウジャウジャ歩いているのを見ていると、いちいち気にしてなんかいられないなあ。ふう、くたびれたっ、と…

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2008年5月19日 (月)

明日は大荒れ

昨日はいろいろとヤボ用があって出かけていたのでくたびれてしまった。ラーメン食べて帰宅して珈琲をすすり乍ら「特急きらきらうえつ号」運転室展望映像DVDを観る。

「特急きらきらうえつ号」というのは新潟から城下町の村上、鶴岡を経て酒田まで行く特急列車、いつか乗ってみたいと思っている特急列車なのである。今日は新潟駅を出発して白新線を下り新発田を通過してから羽越本線に入り村上駅に到着したところまで観た。こんどは村上から笹川流れを通って酒田へ到着するところまで観よう。

いやあそれにしても面白い面白い。羽越本線は単線と複線が目まぐるしく交錯するので実に面白いのである。といっても興味のない人にはナンダカワカンナイですね、ハイ(笑)

明日は朝から大荒れの天気だそうな。出勤したくないなあ…


いまいち意味不明の東急大井町線急行電車
フォルムはかっこいいんだけどねー(笑)
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2008年5月15日 (木)

天災人禍

四川省で発生した大地震は日に日にその惨状が明らかになっている。それにしてもまたわるいタイミングに悪い場所で起こったものだ。

四川省は西藏自治区と境界を接し急峻な地形である。山岳地帯の大地震は土砂崩れや地滑り、幹線道路の寸断という被害をモロに受けるだけではなく、河川の下流地域にまで水害を誘発する可能性大。中国の建造物は日本人の目からみるとなんとも適当に造られており、倒壊した民家群を見ていると、そりゃ壊れるよなあ、と思ってしまう。官庁の庁舎はなんともないのに学校が全壊するなど手抜き工事も相当行われているとみた。

中国では政変が起きる前後に大規模な自然災害が起きる。有名なところでは、革命の英雄毛沢東と周恩来が逝き、四人組が失脚し文化大革命が終焉を迎えた1976年、河北省唐山で起こった唐山地震では24万人が犠牲となった。今年の春節の時期も異常寒波に見舞われるなどなんとも縁起の悪い年である。西藏暴動の衝撃も冷めやらぬなか、八月に開幕する北京五輪も聖火リレーで世界中に騒動を巻き起こしている。

1990年代以後、中国では都市部と内陸部の格差が広がるばかりで、抑圧された内陸部の不満はいつ爆発してもおかしくない情況にある。西藏自治区はもとより新疆維吾爾自治区でも漢族支配に対する抵抗運動が止まない。貧しくとも都市部に移住することを許されない農民たちは、退去して北京や上海に流れ込んでいる(民工潮)が、働いても働いても搾取されるばかり。まるで老舎の『駱駝祥子』のような世界が現代に蘇っているのである。

日本人にとって中国は良くも悪くも長くつき合っていかねばならぬ隣国。中国ウォッチャーとしてはなんとも憂慮に耐えない、というのが正直な心境だ。なんだかわからないくらい無茶苦茶なのに人なつこく、恐ろしく計算高いくせにどこか間が抜けている、あのエネルギッシュな中国人たちが、また前を向いて歩き出すことを祈りたい。とはいえ中国人とつき合うとくたびれるんですけどね…

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2008年5月11日 (日)

落語会は小湊鉄道に乗って

演藝研究会活動は主に都内で行われている。ときどき横浜あたりにも出没するのだが、まあほとんどは都内の寄席あるいはホール落語会に行っている。しかし今回の『桂三枝・春風亭小朝二人会』の会場は千葉県の、しかも市原市民会館。最寄り駅が小湊鉄道の上総村上駅というからすごい、って何がすごいんだかよくわかりませんが(笑) 

JR錦糸町駅で演藝研究会会長と落ち合いそのまま千葉駅へ。千葉駅で駅弁を購い内房線に乗り換えて車中で食べているうちに、小湊鉄道の乗換駅である五井駅に到着した。五井駅構内から連絡通路を渡ると小湊鉄道乗り場である。この小湊鉄道構内はタモリと原田芳雄が『タモリ倶楽部』の企画で一日入社体験をした場所だ。

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階段の下の切符売り場で精算。私はパスモで精算することになったのだが、精算をしてくれたベテラン駅員さんが熟練の技を披露してくれた。まず小さなカード型の機械でパスモ料金を読み取りつつ、五井から上総牛久駅までの乗り継ぎ切符の駅名と料金表示にパンチで穴を開け、入線してきた下り列車ホームの表示板切り替えスイッチを巧みに操作しつつ、パスモ精算表に記入をし、釣り銭を計算して私に渡してくれたのである。これだけの業務をわずか30秒くらいのあいだにやってのけるのだからすごい。

小湊鉄道初乗車の会長とともに上り列車に乗る。開演までだいぶ時間があるのでまずは上総牛久まで乗り鉄と洒落込んだ。五井〜上総村上〜海士有木〜上総三又〜上総山田〜光風台〜馬立〜上総牛久というルートを小湊鉄道キハ211系はガタゴト走る。窓から吹き込む初夏の陽気を思わせる風が心地よい。上総牛久ではすぐに上り列車に乗り換える予定だったのだが、上総牛久駅は対面式ホームだったのでタッチの差で上り列車は発車してしまった。ここらへんの詰めの甘さが私が適当な乗り鉄たる所以(苦笑)

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まあしかたないので会長とふたりで上総牛久駅周辺を散策するが、旧街道筋には食堂もコンビニも無くなんとも寂れた雰囲気だ。もしやと思い線路を挟んで反対側に出ると、ここらへんはバイパスが走っており当然乍ら食堂もコンビニもあった。やがてやってきた上り列車に乗り込んで上総村上駅で下車し市原市市民会館までテクテク歩く。

会場に入ると三遊亭歌武蔵が喋っていた。歌武蔵が引っ込むと春風亭小朝が出てきて『子別れ』を一席。うーん、私は『子別れ』があまり好きではないのだなあ。小朝のあとは桂三枝登場。あの独特の口調で喋り始めるとなんだか安心する。今日は『誕生日』という噺だった。質・量ともに新作落語のトップを走る三枝師匠だけにさすがに巧い。関西弁の新作落語であり、若手の落語家とは違ったちょっとレトロな雰囲気が、ちょうど往年の夢路いとし・喜味こいしの漫才にも通じる雰囲気が嬉しい。

公演が終わりふたたび上総村上駅までテクテク歩く。地方都市だけあってお客はみな車で来場しているようで駅まで歩くのは我々だけ。まあそんなもんだよな。上総村上駅で1時間ほど上り列車を待つ。ヒマつぶしに上空を頻繁に行き交う飛行機を眺め乍ら、社名や機種の観察をする。さすが成田空港の近くだけあって次々と飛行機が飛んでくる。

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田んぼの中にある駅舎の屋根は袴腰タイプで時代を感じさせる。

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木製ラッチも切符売り場も雰囲気満点。

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五井駅から千葉駅、千葉駅で総武線快速に乗り換え、錦糸町駅で総武本線に乗り換えて新宿へ向かい、思い出横丁でホルモン焼きをつまみに反省会。演藝研究会と鉄道研究会をいっしょにやった一日であった。

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2008年5月 6日 (火)

五月の谷根千

谷中といえば愛玉子(オーギョーチ)
何回か行ってるんだけど屋号はなんていうんだろう…(笑)

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言問通沿いの喫茶店『カヤバ』
ここにはルシアンという謎の飲み物があります。長期休業という貼紙がありましたが、もう閉店なんだろうか…

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上から見た三浦坂。

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あかじ坂上にある『大名時計博物館』
精巧な仕組みに感心してしまいました。面白い!

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谷中2丁目にあった貸本屋『なかよし文庫』
残念ながら閉店だそうです。今後は古本屋になるとのこと。

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つつじ祭りで賑わう根津神社

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活気あふれる谷中銀座商店街。
谷中に住んだら楽しいだろうなあ…メンチカツ食べ放題だし(笑)

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日暮里駅南口陸橋から線路を眺める。
右から山手線、京浜東北線、東北・上越・長野各新幹線、高崎線、東北本線(宇都宮線)、京成本線……絶景です。

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2008年5月 5日 (月)

谷中とモンクと志ん朝と

連休中に友人を案内して谷中から根津、千駄木界隈を散策した。

JR日暮里駅を振り出しに長谷川一夫や高橋お伝の墓を左右に眺めながら谷中霊園を抜けて、看板に惹かれて愛玉子なんぞを食べてから上野桜木に出まして、そこから言問通りを下ってふたたび谷中の坂道露地裏を経巡り、三浦坂を登って大名時計博物館で学問なぞしてから不忍通りを渡りまして、根津神社境内の満開のツツジを愛でまして、ふたたび谷中の露地裏を歩いて三崎坂を下って団子坂下交差点を右に折れまして、くねくね蛇行するへび道を歩いて谷中銀座に出たときはさすがにくたびれた。くたびれついでに谷中銀座の酒屋の脇で、友人たちと揚げたての名物メンチカツを肴にビールをクイッと飲ると、こいつぁもうたまりません。

それから夕焼けだんだんを上って日暮里の駅に戻ったのだが、夕焼けだんだんのあがりっぱなに『シャルマン』という看板を見つけた。おお、ここはかの古今亭志ん朝師匠が贔屓にしていたというジャズ喫茶ではないか。

大のモダンジャズファンであった志ん朝師匠が、これまたジャズ界唯一無比のユニークなスタイルで知られる名ピアニスト、セロニアス・モンクについて語った珍しいインタビューがある。

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モンクを最初に聴いたのは、日暮里の「シャルマン」というジャズ喫茶で、『セロニアス・イン・アクション』というレコードです。この時のことはよくおぼえてます。
中学生くらいからジャズを聴き始めて、高校生の頃JATPの初来日公演を聴きに行ったりして、それから二〇代前半くらいまでが一番よく聴きましたね。有楽町の「ママ」とか上野の「イトウ」とか、ほうぼう聴き歩いてました。コンサートもよく行きましたね。
当時、家が谷中だったんで、「シャルマン」にはもう毎晩のように行って、ご主人とも大変懇意にさせていただきました。
一九五〇年代後半から六〇年代初めあたり、アート・ブレイキーとかソニー・ロリンズとかジョン・コルトレーンとか、何かそれまで聴いていた音楽と比べて全く違う感じのものが、急激にレコードのかたちで入ってきまして、「へぇーっ、こういう人達がいるんだ」ということで、すっかり夢中になりました。当時一番好きだったのはマイルス・デイビスですね。あのミュート・トランペットのカッコよさね。そういうのを聴いて「わーっ、カッコいい、気持ちいい」っていってノッてた時に、フッと不思議なピアノが耳に入った。それがモンクです。
ある日、「シャルマン」に行ったら『セロニアス・イン・アクション』がかかってた。それまで、モンクってついぞ聴いたことがなかったんですよ。とっても不思議な音でね。
なんでここへ行くのに、ここの横町を曲がって、こう曲がって、こう曲がって、こう行かなければいけないんだ、こっちからも行けるじゃないか、というようなのね。一、二、三と歩いていって、当然この次は右足が出るだろうと思っているものを、急に止められて、左足が出ていっちゃうんで、聴いてる方は「おっとっと」となる。普通だったら、当然ここでこういうフレーズがくるんじゃなかろうかと思って、ノッてこうとすると、そこでとてつもない不思議な音がくる。
ただ、私は音楽でも絵でも、前衛的なものは嫌いなんで、最初は「俺、こういうの嫌いなんだよなあ」と思いながら聴いていた。それが、聴いてるとちっとも不快じゃなくて、楽しくなってきた。で、店のご主人に「これ、何ていう人?」「セロニアス・モンク」「セロニアス? モンク? ヘンな名前! 他にもあるの?」「こういうのがあるよ」なんていいながら、いろいろ聴いてた。そうやって聴いてるうちに「ああ、これは志ん生だな」と思ったんですよ(講談社編「セロニアス・モンク ラウンド・アバウト・ミッドナイト」講談社 , 1991所収「『ああ、これは志ん生だな』って思った」より)
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さすが志ん朝師匠、モンクの個性をみごとに捉えたうえに、父であり師匠であり唯一無比の個性派落語家であった古今亭志ん生師匠になぞらえるあたり、まことに慧眼。そういえば谷中銀座のメンチカツとビールも、これまたみごとなハーモニーを醸し出してしておりましたなァ。

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2008年4月20日 (日)

赤めだか

立川談春『赤めだか』(扶桑社)を読む。

雑誌『en-taxi』の連載が本になった。連載中から興奮しつつ読んでいたので、書店で見つけて即購入した。帰りの電車のなかで読み始めたら止まらなくなった。本を持つ手が震える。苦笑爆笑、そしてため息が漏れ涙が滲む。談春といっしょにドキドキする。ホッとする。凄い、凄いぞ、談春。

帯に「サラリーマンより楽だと思った。とんでもない、誤算だった。落語家前座生活を綴った破天荒な名随筆」とあるが、なにより破天荒な談春が凄い。立川談志の高座に衝撃を受ける高校生というのも凄いし、古今亭志ん朝より立川談志のほうが凄いと理解した感性も恐ろしい。落語に賭けた青春などというとなんだか文部科学省推薦みたいだが、もしも文部科学省が『赤めだか』を推薦したとすればその了見やよし。まあそんな酔狂なやつは役人にはいないだろうが。

談春は私と同世代。だから談春の青春時代は私の青春時代だ。私が高校生から大学生、社会人になるまでの時代が強いリアリティとともに心に迫ってくる。この頃私は何をしていたのだろう、と記憶をたぐり寄せ乍ら読む。あの白々しい1980年代が蘇ってくる。いやどんな時代だったなんてことはどうでもいいのかもしれない。私の青春時代(苦笑)が白々しかったなどというのは寂しい。寂しかったとしてもそれは時代のせいではなく自分のせいだ。文章を追うたびにページをめくるたびにそんな思いが強くなっていく。

というわけで今年度随筆ベスト1は『赤めだか』に決定。たったいま私が決めた。四の五の言わずにいますぐ読みなさい。

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2008年4月13日 (日)

What A Diff'rence A Day Makes

昨夏、臺灣へ行ったときのこと。ローカル線も屋台も堪能した私は臺北に近い基隆に宿を取り、暫くこの趣き深い港町を散策することにした。基隆車站(駅)を中心に市内の繁華なあたりは散策したので、こんどは郊外を散策することにして、路線バスに乗って和平島へ行ってみた。ここは海岸一帯が公園になっており、波風に浸食された不思議な形の奇岩群で有名。その日は小雨模様で空も海も鈍色、風の強い海岸は散策する人も少なく荒涼としていた。

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私が荒涼とした海岸を歩いていると岩のあいだで何かしている人影が見えた。岩のあいだに座り込んで何やら熱心に草を採っているらしい。ふだんはそんなことはしないのだが、なぜだか私は声をかけてみた。近づいてみてわかったのだがその人は年配の尼僧だった。

「こんにちは。ここで何をしておられるのですか?」
「こんにちは。私は海苔を採っているんです」
「こんなところに海苔が?」
「ええ、満潮のときはこのあたりも海の底ですから」
「仏門の方とお見受けしますが、なぜ海苔を採っておられるのですか?」
「ふだんは寺にいるのですが時間があるときはここで海苔を採っています。これを市場に売るといくらかになるのですよ(笑) この海苔は多くは採れないうえに品質が良いので、これでもけっこう高く売れるのです…ほら、これが海苔です。よく揉んでゴミを取るのですよ。どうぞ食べてみてください」

尼僧から渡された海苔は見たところ毛糸の固まりのようだが、口に含んでみると潮の香りが強く、舌の上で溶けてゆくとまさに海苔の味がした。しかもたいそう美味しい。とても美味しいですね、と答えると尼僧は嬉しそうににっこりと笑った。

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暫く四方山話をしたのだが、尼僧はこんなことを話し始めた。

「私は四十歳を過ぎてから仏門に入ったのですよ。もう二十年以上むかしのことです…ええ、まあいろいろありましてね(笑)…仏にすがることでようやく生きる意味を見出したのです。いまは寺でお勤めをするほかは心安らかに暮らしています。あなたは日本の方? 日本でも仏に祈るときは『阿弥陀仏』と言いますか? そうですか『南無阿弥陀仏』と言うのですか? 殆ど同じですね」

私がそろそろ失礼します、と言うと、尼僧は腕にはめていた数珠を取って私に差し出した。

「あなたにこの数珠を差し上げます。どうぞご遠慮なく…これはどこでも買える安いものです。あなたはこれから海を越えて故国へ帰るのですからこれを持ってゆきなさい。『一路平安』(道中ご無事で)ですよ(笑)」

恐縮する私に数珠を渡すと尼僧はにっこりと微笑んだ。

「たいせつなのは数珠ではありません。数珠などいくらでも手に入りますから…ここで私たちが出会ったのは何かの縁です。だからこの数珠をあなたに差し上げるのも縁なのですよ」

何度もお礼を言って私は尼僧に別れを告げて歩き出した。暫く歩いてから後ろを振り返ると、尼僧はもう岩のあいだにしゃがみ込んで海苔を採っていた。私は声をかけずにもういちど尼僧に頭を下げてまた歩き出した。

数珠のおかげか、私は無事に日本に帰ってくることができた。尼僧にもらった数珠は今でも私の家にある。

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2008年4月 7日 (月)

餃子餃子した街

宇都宮へ行ってきた。といってもいつものように鉄道に乗ってきたのだが、やはり宇都宮に来たからには餃子を食べねばならぬ。「ならぬ」って気張るこたぁないのだが、名古屋に行ったらきしめんを食べにゃあならぬのと同じだ。それがお約束というものである。

とはいえ独り旅なのでそんなにたくさんハシゴすることもできず、とりあえずJR宇都宮駅前の『宇都宮餃子館』に入ってみる。とりあえず生ビールに焼き餃子を一枚注文しひと齧り……まあこんなもんかなあ……決して不味くはないが、といって吃驚するほど美味しくもない。

店でもらった餃子マップを片手に市内メインストリートを歩く。マップに載っていない餃子屋もあちこちにあるようだ。露地裏にある小さな餃子屋に長い行列ができていたりして、さすが餃子の街だけのことはある。

オリオン通りという商店街を抜けると東武宇都宮駅にぶつかる。このへんでもう一軒の店に入ってみる。名前は『宇味屋(うまいや)』という店だ。カウンターと小上がりしかない小さな店でなんとなく居酒屋風。ここでは生ビールに水餃子を注文。ほどなく出てきた水餃子は一個がけっこうな大きさ。決して不味くはないが、といって吃驚するほど美味しくもない。噛んでもスープが出てこないし水餃子が浮いている湯(スープ)も味が無い。

「餃子マップには乗って(ママ)いない店」と壁に大書してあるが、このあたり宇都宮餃子振興会(そんなのあるのか)との確執とかナントカ、まあそういったムニャムニャというかドロドロというか、そういうものがあるのかもしれないナ……と気楽な旅人は邪推するのであった。

やっぱり中国や臺灣の水餃子のほうがいいなあ。小ぶりで皮がぷりぷりしてて、噛むと熱々のスープがジュワッと出てきて、茹でたスープもダシが効いてて……いや、そうではない。宇都宮で本場の餃子を求めるのがそもそも間違いなのである。ここは北京でも上海でも香港でも臺北でもない。ここは宇都宮、北関東の地方都市なのだ。ここにあるのは「宇都宮餃子」という餃子の一種なのである。

「餃子」というのは水餃子のことであり、焼き餃子は別の料理である。「まんじゅう」はふつう蒸し器で蒸したもの。それをふつうは「蒸しまんじゅう」とは言わず単に「まんじゅう」と言う。そしてそれを焼いたものを「焼きまんじゅう」と呼んで区別するようなものだ。

よく焼き餃子と称するものは「鍋貼児(guotier)」と言う、と言う人がいるが、実は違う。「鍋貼児」というのは餃子の形状をしておらず、餡を皮の真ん中に置いて春巻きみたいに皮を畳んだ……両端をひねったりせずに包んだ……ものである、とかつて中国人の教師から聞いたことがある。

……などとウンチクをたれるほど宇都宮餃子を食べ歩いたわけじゃないナ、と反省。それにしてもなんと餃子餃子した街であることよ。

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