桃太郎

天気が良いので洗濯をし、部屋を大掃除しながら…いや小掃除だな、まあいいや(苦笑)、一息ついて珈琲を飲みながら落語のCDを聴いた。昔昔亭桃太郎の『寝床』である。もうなんだかなあ、可笑しくて可笑しくてクスクス笑ってしまう。

義太夫を語るのが何より好きな大店の主人が、酒肴を用意して長屋の住人や番頭、手代など店の奉公人を集めて義太夫の会を開く。ところが主人の義太夫たるや、下手の横好きを通り越しており、この義太夫をまともに受けると衝撃で寝込んでしまったり、はなはだしきは死に到るという(笑)、まるで生物兵器のような義太夫なのである。『寝床』はこの主人の義太夫を巡って大騒動が起きるという噺。寄席でも落語会でもよく演じられる噺なのだが、これを昔昔亭桃太郎が演じるとどうなるか? 

かつて落語会でまともに桃太郎の『寝床』を聴いたことがあるが、そのときもクスクスどころかところどころで爆笑失笑を禁じ得なかった。「提灯屋はどうした?、来ないのか?、豆腐屋は?、ガンモドキの大量注文が入って来られない?、鳶のカシラはどうした?…」というお馴染みの段は、さらに「ローカル岡はどうした?、高田先生はどうした?、昇太はどうした?」と延々と続く。もちろんローカル岡(故人)は漫談家、「高田先生」は放送作家の高田文夫、「昇太」というのは弟弟子の春風亭昇太である。

昔昔亭桃太郎といえば、知っている人は知っている、知らない人はまったく知らない、故春風亭柳昇の惣領弟子で、今や日本を代表するベテランの新作落語家。その桃太郎が古典落語を演じるのだが、これがちゃんとした古典落語になっているところが凄い。ちゃんとした、どころか、古典落語の作法をきっちりと踏まえたうえで、桃太郎独自のダジャレの絨毯爆撃とくだらなすぎるギャグを散りばめて、余人の追随を許さない桃太郎落語に仕上がっているのである。

それなりに綺麗になった部屋の中でぼんやりと落語を聴く。また今年もせわしなく過ぎていき、また慌ただしい来年が来るのだろう。まあ、いいか(苦笑)

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ダラダラと15年

いつの間にやら冷たい木枯らしがぴゅうぴゅう吹き始めた。早いものでもう師走も半ばである。今日は演芸研究会納会なので新宿へ。昨日までは寒かったのが嘘のように暖かい。甲州街道沿いの増田屋で蕎麦をたぐって演芸研究会会長と与太話。早くもビールと板ワサでいい気分である。

新宿末広亭の木戸をくぐると国分健二がドスの利いた声で漫談を喋っていた。今日は芸協(落語芸術協会)なんだなあ。三遊亭右紋、北見マキ(奇術)、古今亭寿輔、三笑亭夢太朗、桂歌若、三遊亭円丸……今日は桂南なん『河豚鍋』、トリの春風亭小柳枝『抜け雀』がよかった。大神楽の翁家喜楽が演じた卵の芸、これは立川談志が若い頃、奇術師のアダチ龍光が高座で演じたというあの演目だ。へえ、初めて観たなあ。立川談志の『談志楽屋噺』(文春文庫)にも書いてある。木戸が跳ねて表に出ると深夜寄席の開場待ちの長い行列が新宿通りまで続いていた。深夜寄席目当ての行列が長くなってきたな、と感じたのはいつ頃だったろうか。以前はせいぜい50人も来れば盛況、という感じだったのに。

会長と近所の焼肉屋で忘年会…「来年は名古屋に行こう」「ああ、大須演芸場か、いいかもね」「韓国に行くってのはどうだ」「寄席なんかあるのかよ(笑)」「そうだなあ…金正日のそっくりサン芸人なんかいるんじゃない?」「平壌放送の女性アナウンサーの形態模写芸人なんかもいるかな」「あとは射撃場だな」「行くなよ、そんなとこ(苦笑)」「いま釜山が『熱い』ってね」「熱すぎだ」「焼肉は必須だよなあ、釜山焼肉…、あっという間に焼けます」「おいおい」…ロクな会話じゃない。

こんなダラダラとしまりのない演芸研究会もすでに15年続いているのであった。

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駅舎の記憶

早朝から長野新幹線に乗って上田へ。今日は上田交通別所線の魅力的な駅舎を探訪するのである。

まずは終点の別所温泉の手前、八木沢で下車。別所線の駅で古い駅舎が残っているのは別所温泉、中塩田とここ八木沢である。水色のペンキがいい具合に色褪せている。早朝の薄曇りだが夏の午後あたりだと雰囲気がありそうだ。
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別所温泉から折り返して来た列車に乗って中塩田で下車。きれいに修復されているが駅舎じたいは昔ながらだろう。事務室は閉鎖されており、切符売り場の痕跡しか残っていないが、広々とした待合室はかつての風景を彷彿とさせる。
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上り列車に乗って大学前で10分ほど待ち、下り列車で終点の別所温泉に向かう。別所温泉は昔ながらの駅舎が残り事務取扱いもしている。駅舎は中塩田と同形で、これが別所線駅舎の標準だったのであろうか。
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しなの鉃道で小諸。駅前の食堂で昼食を取ってから小諸始発の軽井沢行きに乗る。
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軽井沢の大賀ホールで親友つたえつが所属する「マンドリン合奏団 玄」の演奏会。開演前のロビーでずいぶんとひさしぶりに古い親友のタマコに会う。

バレエ組曲「眠れる森の美女」ワルツ
交響曲第9番「新世界より」第2楽章
歌劇「魔笛」序曲
交響譚詩 第一譚詩
彷徨える霊〜間奏曲〜
幻想曲「華燭の祭典」

演目で印象に残ったのが伊福部昭の「交響譚詩 第一譚詩」だ。近代日本音楽史に聳え立つ巨人、伊福部昭(1914〜2006)は北海道出身。幼い頃よりアイヌ音楽や文化習俗に親しみ、土俗的かつ民族主義的な重厚なオーケストレーションを得意とした。特撮SF映画音楽も得意とし『ゴジラ』(1954)の音楽も担当している。

今回演奏されたこの作品はその他の演目とは異色の雰囲気、おお、ここには『ゴジラ』のモチーフがふんだんに盛り込まれている。土俗的なリズムとリフレインのなかにエンターテインメント要素もある。ロシアと蝦夷はやはり相通じるものがあるのかなあ。

タマコと軽井沢駅のカフェで暫し歓談。赤ん坊だった息子は高校1年生だそうな。今回つたえつはこちらも同じ高校1年生の息子と舞台で共演。嗚呼、光陰矢の如しとはまさにこのことである。呵々。

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鐵路便當

臺灣では駅弁(便當)を食べるのも楽しみのひとつ。もちろん日本のようなバラエティに富んだ駅弁はなく、ほとんどがパターン化されている。豚角煮または排骨肉(揚げたバラ肉)、香腸(ソーセージ)、揚げた豆腐、ゆで卵、炒めた野菜、高菜漬けなど、だいたいこういうものがご飯のうえにどかん、と乗っている。これは臺灣何処に行ってもだいたい同じである。ただし日本の駅弁と決定的に違うのはご飯もおかずも暖かいこと。これは嬉しい。どうも列車の運行ダイヤに合わせて作っているらしい。乗客はもとよりお昼時だと乗務員も買っている。ときどき先頭車輛で車掌のオッチャンがワシワシと便當をかっこんでいる風景が見られる。


福隆駅の便當売り風景
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ここは『福隆便當』という有名な駅弁があり乗客はだいたい買い込んでいる。


瑞芳駅の便當売り
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ここでは若い便當売りの「べーんとー」という売り声が聞ける。なんだか懐かしい…

ああ、便當食べたいなあ…

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床屋のチントンシャン

森繁久彌が96歳で大往生したわけだが、きっとこれからミニシアターやBS、CSでは森繁映画特集が企画されるだろう。

『社長シリーズ』『駅前シリーズ』『次郎長シリーズ』といった定番から東宝、新東宝、東京映画、日活などのカルト作品、『夫婦善哉』『猫と庄造とふたりのをんな』『小早川家の秋』といった文藝作品、映画産業が斜陽になった70年代以降の『小説吉田学校』とか…作品を選定するだけで骨が折れるだろうなあ。

楽しさとバカバカしさでは『駅前シリーズ』に軍配があがるが、笑いのなかにシニカルな視点がある『社長シリーズ』も良い。『喜劇駅前旅館』は井伏鱒二の原作をもとに豊田四郎監督が当時の風俗を大胆に取り入れた意欲作。もちろん原作者の井伏鱒二は大激怒したそうである。映画と原作は別物だから怒るこたぁないのだが、当時の小説家は権威があったからしょうがないだろう。その後の『駅前シリーズ』は森繁・伴淳三郎・フランキー堺のトリオに三木のり平が絡んでどんどん脱線していく。

『喜劇駅前飯店』では中華街の華僑に扮し怪しげなポコペン言葉を駆使して大騒動。ゲスト出演した当時売り出し中の王貞治に向かって、床屋に扮した三木のり平が「ワタシ、床屋ノチントンシャン、王サンノ頭刈リタイヨ!」と迫るところはいつ観ても吹き出してしまう。

しかし森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺、三木のり平、加東大介、山茶花究、みんな逝ってしまったのだなあ…健在なのは淡島千景、淡路恵子、小林桂樹……嗚呼、昭和は遠くなりにけり…

ところで『スラバヤ殿下』『グラマ島の誘惑』『伴淳・森繁の糞尿譚』などは、映画館ならともかくテレビ放映はできるのだろうか?

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堤さんちの晩酌

昨晩は嵐かと思うような木枯らしが吹き寒さに震え乍ら帰宅。今日は朝から空気がひんやりとして気持ち良い。そろそろ立冬だから一足早い冬晴れってところか。

ふらりと神保町に出かけて古書店巡り。今日は神保町古本まつりの最終日ということで、靖国通り沿いには古書店の露店が立ち並び通り抜けるのもひと苦労だ。血眼になって古本を探すような情熱もすっかり薄れてしまったなあ。ひとまずぶらりと古書店巡りでもしよう。

小宮山書店で獅子文六の『海軍』を見つける。ひとまずこれを買おうと棚から抜いたら、すぐ近くに『箱根山』を見つけてしまう。数年前に巻き起こった獅子文六マイブーム再燃か?と思う間もなく持病の発作が起きてしまった…

獅子文六『海軍』(中公文庫)、『箱根山』(講談社大衆文学館)、今日出海『山中放浪』(中公文庫)、カフカ『ある流刑地の話』(角川文庫)、小松左京『地球になった男』(新潮文庫)、幸田文『闘』(新潮文庫)、佐伯一麦『ア・ルース・ボーイ』(新潮文庫)、ジョンストン『紫禁城の黄昏』(岩波文庫)、平山蘆江『蘆江怪談集』(ウェッジ文庫)、秦孝治郎『露店市・縁日市』(中公文庫)、朝日新聞新潟支局『越後の停車場』(朝日新聞社)、宮脇俊三/原田勝正編『奥羽・羽越JR私鉄1800キロ』『関東JR私鉄2100キロ』(小学館)、月刊カドカワ編『少女漫画家は眠れない:私の日常生活1』(角川文庫)、芳崎せいむ『鞄図書館』(東京創元社)、小池昌代編著『通勤電車で読む詩集』(NHK新書)、竹内一正『グーグルが本を殺す』(飛鳥新社)、稲葉振一郎『経済学という教養』(ちくま文庫)、橋本健二『「格差」の戦後史:階級社会日本の履歴書』(河出書房新社)、『四元康祐詩集』(思潮社)……

古本新本取り混ぜて以上が本日の収穫。いつものことですが病気です、病気。

小松左京の短編集は新潮文庫や角川文庫でたくさん出ていたのに、今ではすっかり絶版になってしまったなあ。私が中学生の頃は小松左京、筒井康隆、星新一、眉村卓、光瀬龍と日本SF黄金時代の名作・傑作がふんだんに読めた。おかげでハマったハマった。現在は角川春樹のハルキ文庫で過去の傑作群が復刊されているのでそちらでも読めるのだが、やはり新潮文庫版の装幀や手触りが懐かしい。

『少女漫画家は眠れない:私の日常生活1』は、昭和60年から『月刊カドカワ』に連載されていた、当時の女性著名人の日記をまとめたもの。執筆陣は楠田枝里子、大貫妙子、矢野顕子、沢口靖子、山田詠美、戸川純、原律子、松苗あけみ、新井素子、群ようこ、氷室冴子、黒木香、EPO、松任谷由実……黄金の80年代です。他には堤麻子(西武グループ・堤清二代表夫人)石原典子(石原慎太郎夫人)、大宅映子、芳村真理に宇野千代女史まで登場。堤麻子は、主人(堤清二)を門まで送り、経営に携わっていた六本木WAVEにあるカフェバーに行き、地唄舞の勉強会の準備をし、帰宅した主人(少々ゴキゲン)といつもどおり、二人でビールをお飲みになられている。優雅ですねえ。

凄いラインアップだなあと思っていたら、当時の『月刊カドカワ』編集長は見城徹(現在の幻冬舎社長)だった。なるほどねー、と納得する文化の日でありました。

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牛肉麺

臺灣でよく食べるのが牛肉麺(ニゥロゥミェン)。手軽で美味しいし食堂でも屋台でも食べられる。
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基本的要素であるところの麺、スープ、牛肉それぞれがちゃんとしていればいいのだが、面白いのはそれぞれがちゃんとしていても、組み合わせの妙で微妙に変わることがある。スープと牛肉は美味しいのだが麺がいまいちボソボソで…とかコシのあるいい麺なのにスープがねえ…とか。

これは宜蘭の街で食べた。麺、スープ、牛肉がみごとなハーモニーを響かせる名品。付け合わせの辣椒醤と生ニンニクが嬉しい。
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続いて蘇澳の街で食べた牛肉麺。ちょっと薄味のスープと上品な味の牛肉片が良かった。
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最後は臺北の裏町で食べた四川牛肉麺。見た目のとおりスープが真っ赤。ひどく辛いのだがちゃんと美味しいところがまた凄い。臺灣の裏町で汗かきかき食べる牛肉麺は美味しい。
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おまけは臺灣名物・臭豆腐(チョウトウフ)…この臭いは好きな人にはたまらない。油で揚げると臭いは軽減されるが馴れると美味しい臭豆腐。
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脇役のような主役のような

南田洋子死去。享年76。

私の南田洋子映画ベスト3は、1位が『幕末太陽伝』、2位が『競輪上人行状記』、3位が『盗まれた欲情』、次点が『続拝啓天皇陛下様』ですね。

1位(川島雄三監督の傑作)ではフランキー堺や左幸子と絶妙のからみ、2位(小沢昭一主演の隠れた傑作)で見せた恐ろしい女の二面性、3位(長門裕之との共演というか今村昌平監督デビュー作というか)での活き活きとした演技が好きです。次点は小沢昭一と中国人夫婦をポコペン言葉で熱演。

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温泉は世界だ

ふと思い立って列車に乗って蘇澳から礁渓に行ってみた。礁渓は温泉街として有名でご覧の通り温泉旅館だらけの街。
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温泉といえば日本、ということなのか日本の地名を冠した旅館が目立つ。まずは福岡
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長崎
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山口
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東京
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イタリア 
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トロント
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銀座…これは食堂。後に見えるはラブホテルらしい。
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福岡がやたらと目立つのだがこれはチェーン店らしい。躍進する福岡グループ。
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私はとりあえず足湯に浸かって礁渓を後にしました。
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サヨンの鐘

蘇澳から一駅の蘇澳新で降りて北廻線に乗り換える。蘇澳新はかつては南聖湖という駅だったそうだ。北廻線は主に自強號、莒光號、太魯閣號など特急列車が頻繁に往来するが區間車(普通列車)はあまり運行しない。
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複雑な地形のため海沿いや断崖絶壁、トンネルと車窓もバラエティに富んでいる。二年前には絶滅寸前の普快車に乗って花蓮まで行ったが、普快車の旧型オンボロ車輛での旅は今でも忘れがたい思い出である。
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(2007年夏に乗った普快車の車内)


もちろん北迴線での普快車運行は消滅しており今回はお馴染みのEMU500區間車での旅。蘇澳新を発車して永楽ー東澳ー南澳を過ぎて無人駅の武塔で下車。ここに何があるのか全然知らないのだが地図を見て武塔から南澳まで散策するのもいいかな、と思っていたのである。
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さて武塔であるがここは無人駅であるどころか駅舎すら無い。断崖絶壁の下にあるホームから外に出ると夏草そよぐ殺風景な所だった。一緒に下車した都会から来たらしい若者の一団がいたがキャンプにでも来たのだろうか。
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あてもなくうろうろと歩いているうちに北迴線の高架の先にある小さな集落にたどり着いた。歩いているうちに堤防らしき所の上にある小さな石碑が目に留まった。碑文には「愛国乙女○○遭難之碑」とあるが、うーん、何だろうこれ? なんで○○の部分が削り取られているのだろう? 
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夏の暑さにぼおっとし乍らまた歩き出す。武塔の駅に戻り更に南澳方面に進むと『莎韻紀念公園』という小さな公園があった。
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「莎韻之鐘」??? ああ、これは『サヨンの鐘』だ! そうかあ、するとさっきの石碑は「愛国乙女莎韻(サヨン)遭難之碑」だったのか! 
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昭和13(1938)年、南澳の辺りに駐在していた日本人の巡査に召集令状が届いた。彼はふだんから現地の人たち(当時は高砂族と呼ばれた臺灣原住民)の面倒をよく見ていたため村人から慕われていたそうである。彼が村を出るときに見送りに同行した青年たちのなかにサヨンという少女がいた。ところが悪天候の中、サヨンは足を滑らせて激流に転落し命を落としてしまう。この事件が愛国美談として伝わりサヨンを讃える石碑が建てられた。
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さらにこの美談は『サヨンの鐘』という流行歌(詞:西条八十/曲:古賀政男/歌:渡辺はま子)になり李香蘭主演で映画化(1943年)もされた。戦後、国民党支配下にあってこの石碑も「植民地時代の象徴」として碑銘を削られ川底に捨てられてしまったのだが、近年の民主化とともに石碑も川底から引き揚げられ元に戻されたのだという。そうかあ、それで○○の部分が削られていたのだな。

『サヨンの鐘』の故事は知っていたがまさかここに石碑や公園があるとは知らなかった。適当に降り立った駅からこういうドラマにたどり着くとゾクゾクするなあ。こんなところにも臺灣と日本を巡る近代史が脈々と生きているのである。
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臺灣風ミントアイス

蘇澳の朝は暑い。ひええ、朝からこんなに暑いのか。それはそうと今日は蘇澳の街から南方澳へ行くのだ。地図を見てもらえばわかるが宜蘭線の終点である蘇澳の街は海からやや引っ込んだところにある。

蘇澳からタクシーで10分くらい走ると南方澳という港に着く。ここは遠洋漁業の重要な基地であり航海の神様である媽祖を祀った南天宮がある。水揚げされたばかりの新鮮な魚介類を食べさせる食堂が林立していて観光客で賑わっている。もちろん魚介類を安く買って帰ることもできる。
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蘇澳の駅でヒマそうなタクシーのオッチャンに声をかけて南方澳まで行く。「あんた日本人か、そうかそうか、蘇澳は暑いって? そうなんだよ、今年は特別暑いんだ(笑)颱風は来なかったから被害はないよ、それにしてもあっち(高雄縣)の被害はひどいもんだね、怖い怖い」明るくてよく喋るオッチャンだった。
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まずは南天宮にお参りをしてから港をぶらぶらと歩く。外海から深く陸地に切り込んでいる南方澳は素人目でみても優れた港だ。これじゃあ海が荒れても港は安全、だと思う。
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魚河岸を歩くと水揚げされたばかりの魚がたくさん転がっている。どれもこれもカチンコチンに凍っているから遠洋漁業の船なんだろうなあ。獲物はマグロなのかなあ。私はさかなくんじゃないからよくわかりません。
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食堂の前には水槽の中に放り込まれた蟹や海老がのたくっている。これから観光客の胃袋に収まる運命なのだ。
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暫くブラブラしてから花生氷淇淋を買ってみた。溶かした砂糖にピーナッツをまぜてカチンカチンに固めた「大きなピーナッツの板」(?)をカンナで削る。春巻の皮にバニラアイスの塊をひとつ、ふたつ乗せて、例の鉛筆の削りカスみたいなやつをバラリ、と乗せて、更に更に香菜(パクチー)を乗せて(!)くるくると巻いて出来上がり。冷たいバニラアイスの甘みとピーナッツと香菜の香りが口の中でえも言われぬ味わいを…おお、これは美味しい。

まあアイスクリームにミントの葉を添えるくらいだからこういうのもアリか…しかし香菜嫌いにはたまらないアイスだろうなあ(苦笑)
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蘇澳冷泉

宿のすぐそばに蘇澳冷泉公園というのがあり、ここには冷泉を利用したプールと個室浴場がある。プールに入る気はないので迷わず個室浴場の券を買って入場。臺灣にはたくさんの温泉があるのだが日本と違って基本的に水着着用(例外有り)である。見ず知らずの他人と全裸で湯に浸かるなどという習慣はないのだそうだ。ま、日本の銭湯文化は必ず外国から奇異の目で見られるというからねえ。
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ゲートから中に入ると大きなプールがあって家族連れなどがワイワイキャーキャーと楽しそうに遊んでいる。
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プールの脇を歩いていくと長屋みたいな個室浴場棟がある。券を見せると受け付けのオネエチャンが案内してくれた。
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個室浴場はおよそ十畳くらいの広さで大きな冷泉の浴槽がある。裸になってさあ入浴、その前に身体を洗って入浴することという注意書きが……公衆浴場の基本中の基本、痩せても枯れても日本人、冷泉どんとこい!……冷たい…うだるような暑さに火照った身体には20度くらいの水はとても冷たい。ご丁寧に手桶があるのだがこれで水を浴びる気にはならぬ。しかたがないのでタオルを濡らして全身を拭くのだがこれがまた冷たい! 
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なんとか身体を洗ってからそろそろと足を浴槽に浸ける……冷たい……我慢して足先から太ももまで冷泉に浸けて暫し冷たさに慣れるのを待つ。徐々に腰まで浸かり、胸まで浸かり……うひょー、冷たい! 足下からシュワシュワと気泡が湧いている。見る見るうちに身体に気泡がまとわりついてまるでサイダー風呂に入っているみたい(笑) 暫く浸かっていると不思議なことに身体の芯からジワジワと暖かくなってくる。額には汗が浮き出してくる。ふーん、やっぱり温泉なんだなあ……隣室からは団体で入っているらしい歓声が聞こえてくる。ああ、今私は臺灣の冷泉に独り浸かっているのだなあ。
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暫く冷泉を堪能してから外に出た。だいぶ夕日は傾いて夕暮れが蘇澳の街に訪れてきた。不思議な湯上がり気分でサッパリしたら小腹が減ってきた。ぶらぶらと散策して街道沿いの食堂で担仔麺と炒空芯菜を食べ宿に戻って寝てしまう。
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王さんの映画

臺北のDVDショップで『感恩歳月(Honor Thy Father)』(1990)というDVDを見つけた。コレは何かというとあの王貞治の伝記映画だ。正確に言うと王さんの父、王仕福の伝記映画であり、王家の伝記映画でもある。原作は王さんの母、王登美著『ありがとうの歳月を生きて』なので、王さんファンにはたまらない映画。私はタイガースファンでアンチジャイアンツなのだが、王さんは別。


昭和15(1940)年、東京の下町墨田区で「五十番」という中華そば屋を営んでいた王仕福(午馬)と登美(鈴鹿景子)のあいだに双子が誕生、姉は広子、弟は貞治と名付けられた。すくすくと育つ広子に対して貞治は病弱で両親を心配させていた。ある日貞治は高熱を出し医者にも匙を投げられた両親は途方に暮れて帝釈天の住職から祈祷をしてもらい奇跡的に貞治は回復した。ところが貞治が1歳半になった頃、姉の広子が悪性の麻疹で急死、その後広子の魂が乗り移ったかのように貞治はメキメキと元気に育っていく。

やがて戦争が終り兄の鉄城(梁修治)の影響もあって貞治(馬景濤)は野球にのめり込んで行く。地元の野球チームで「王というすごいヤツがいる」と噂になった頃、ある日の試合中に一人の男が姿を現した。男の名は荒川博(石雋)。当時毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテ・マリーンズ)の選手であり実家が浅草だった荒川はスカウトの意味も込めて少年野球チームに注目していたのである。荒川は王が左投げなのに右打席に立つのが気になり、試合中にもかかわらず左打席で打ってみるよう指導…この演出はやり過ぎかなと思ったが事実(鈴木洋史著『百年目の帰郷 王貞治と父・仕福』)である。首を傾げ乍らも素直に従った王は強烈なヒットを打つのであった。後に一本足打法を生み出す師弟コンビの邂逅である。


王仕福は中華民国(当時)浙江省青田縣から日本へやって来た。死にものぐるいで働いて小さい乍らも自分の店を持ち日本人の登美と所帯を持った。長男の鉄城はじめ子どもたちにも恵まれた。戦争中は苦労もしたがしたたかな仕福は空襲で焼けた店も戦後に復興させた。仕福の夢は兄の鉄城を医者に、弟の貞治を電気技師にして故郷に連れて行き、故郷のために恩返しをするというものだった。

兄の鉄城は仕福の期待どおり慶應大学医学部に入学しやがて医者になったが、弟の貞治は野球に夢中になり周囲も認める才能を開花させつつあった。最初は貞治の野球狂いに渋い顔をしていた仕福だったが、やがて貞治が早稲田実業に入学し甲子園大会で大活躍するようになると、近所の人々とともに貞治の活躍に目を細めるようになる。


仕福を悩ませたのは家族の国籍である。言うまでもなく仕福は中国人、妻の登美は日本人だ。前述の『百年目の故郷』によれば、中華民国籍だったのは仕福だけで、登美と子どもたちは日本国籍のままだったという。もちろん戦前の日本に於いて中華民国籍による不利益を被ることを回避するという理由もあった。しかし戦争が終り登美の兄弟が相次いで戦死、戦前に両親もこの世を去っているため、登美は子どもとともに仕福と同じ中華民国籍を取得したという。

戦争中も中国人、支那人と侮蔑の言葉を投げつけられることもあったが仕福はじっと耐えてきた。しかし戦争は終り中国人は戦勝国民になった。もちろんそれで増長する仕福ではない。仕福の夢は子どもたちを故郷のために働く人として育てあげることであった。王家はみな中華民国籍になり仕福の夢は一歩前進したかに見えた。しかし兄の鉄城は中華民国籍という理由で慶應大学医学部の試験を受けられない。仕福は医学部を訪ねて平身低頭し受験させてくれるよう頼み込む。甲子園大会で活躍した貞治も「日本国籍を有するもの」という大会規則に阻まれ秋の国体に出場できなかった。仕福は悩み兄の鉄城を訪ねて勤務先の大学病院に行く。


「ワシはおまえたちに国籍のことで迷惑をかけているのかな、ワシはどうすればいいんだろう・・・」苦悩する父に鉄城は困惑するが、父さんが貞治のことを想っているならプロ野球選手にしてはどうだろう、プロ野球なら国籍なんか関係ないさ…でも貞治を技師として祖国に連れていくという父さんの夢は…と呟いた。わかったよ、それじゃあな、と立ち去ろうとする父に向かって鉄城は叫ぶ。「父さん、ホームランを打てば日本人も中国人も関係ないよ。立ち上がって手を叩く観客には国籍の区別なんかないんだ!」心無しか安堵の表情を浮かべて帰路に着く仕福。

そして貞治は読売ジャイアンツに入団するがプロの壁に阻まれてなかなか芽が出ない。そこにジャイアンツの打撃コーチに就任した荒川が現れた。荒川は王を徹底的に鍛える。何千回もバットを振ったため足下の畳が擦り切れた…精神集中のための日本刀での素振りなど、伝説の猛練習が再現される。ついにあの一本足打法が完成。下町の野球少年は世界のホームラン王へと成長してくのであった。


臺灣映画なので登場人物(日本人)が全員中国語を話しているとか、ロケ地がどう見ても東京の下町ではない(京都みたいだ)とか、「日本」をアピールするためか、何かというと村田英雄の『王将』(考えようによってはいい選曲)がバックに流れるとか、荒川博が目つきの鋭い求道者みたいだ(実際の荒川博は中小企業の課長みたいな人)とか、貞治が甲子園から凱旋してくる小さな小さな「上野駅」(どこのローカル線だよ)とか…いろいろとツッコミどころは満載。

王仕福が日本にやって来た背景とか、戦後の中華民国と中華人民共和国の政治的対立とか、そういう生々しいところは描かれていない。もっと詳しく描いてもよかったかな、とも思う。でもなぜか私は観ているうちに涙が滲んできた。国籍のはざまで揺れ動く王仕福。家族を愛して止まない王仕福。望郷への想い断ちがたい王仕福…お涙頂戴のホームドラマと言ってもいい映画なのだが、とても暖かい気持ちになる映画。興味があれば是非ご覧あれ……と言ってもDVDを入手するほかにまず観られる機会はないけど(苦笑)

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臺北から蘇澳へ

午前中にホテルをチェックアウトし區間車に乗って東海岸の蘇澳という港町へ向かった。高雄縣と臺東縣は颱風と土石流で滅茶苦茶になっているが東部地域は何も影響がないらしい。いつもの東部幹線で臺北を発ち愛しの基隆へ向かう支線と別れ八堵を過ぎ宜蘭線に入る。立っている乗客もいた列車も平渓線と別れる瑞芳の駅で多くの乗客が下車。みなここから九份に向かうのだろう。一気に空いた車内でぼんやりとしているうちに區間車は三貉嶺に停車。いつも乍ら断崖絶壁にへばり着いた駅だ。便當で有名な福隆を過ぎるトンネルを出ると海が見えて来る。海岸線ギリギリに走る石城~大里~大溪辺りで若い女の子たちが嬌声を挙げて写真を撮り始めた。
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頭城から線路は緩やかにカーブして宜蘭平野に入って行く。温泉で有名な礁溪を過ぎると東部地区では最大の都市である宜蘭に停車する。今回は宜蘭にも行ってみなくてはならない。ここは一昨年、絶滅寸前の普快車に乗るために来たので駅しか行っていないのだ(苦笑)
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宜蘭から羅東を経て蘇澳新に到着。蘇澳新駅は宜蘭線と北廻線が分岐する。北廻線はこのまま南澳を経て花蓮に向かうのだが私が向かう蘇澳はここ蘇澳新から分かれた宜蘭線の終点になる。
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蘇澳は臺灣東部どころか臺灣でも有数の港湾を有しており昔から日本の船舶が盛んに往来していたということだ。かつては蘇澳駅構内には転車台があり列車はここで向きを変えて再び臺北方面に向けて発車していたという。しかし北廻線の花蓮以南への延伸に伴い分岐駅として蘇澳新駅が設置されたのだろう。蘇澳は宜蘭線の終点ではあるが自強号も花蓮、臺東行きが目立ち、どうしても支線扱いのイメージは否めない。そういえば蘇澳新ー蘇澳間は未乗車だったのだ。林口線に続いて宜蘭線も乗車完了ということになる。
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これで臺灣鐵道乗車計画は臺灣高速鐵道(新幹線)の臺北ー桃園間及び嘉義ー左營間、内灣線の新竹ー竹東間、阿里山森林鐵路奮起湖ー沼平間を残すのみとなった。臺灣高速鐵道はなんとかなるとして、内灣線は新竹ー竹東間の高速化工事が終わるまでは乗れないし、阿里山森林鐵路に至っては今回の集中豪雨で線路がメチャメチャになり修復がいつになるかわからないとのこと。よし、これからはMRT臺灣捷運乗りつぶしをすることにしよう(苦笑)

さて區間車は終点の蘇澳に静かに滑り込んだ。改札を抜けて駅前に立つと臺北よりもずっと陽射しが強烈で暑い。うう。さて朝方に屋台で朝粥を食べただけなので腹が減った。何か食べようと駅前の通りを歩いて福隆便當の店に入る。売り場の姐ちゃんに「ここで食べるか?」と聞かれたので「ああ、ここで食べるよ」と答えて店内のテーブルに座りぬるくなったペットボトルのお茶を飲む。豚肉の煮込みと煮玉子、炒めキャベツ、干豆腐が乗ったボリュームたっぷりの福隆便當は美味しいなあ。
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駅前にある金華冷泉旅館にチェックインする。小さいけれど清潔そうな部屋である。老板は日本語を操る初老のオジサンだったので日本語で話をしているうちに、実は私の國語(中国語)くらいに適当な日本語ということがわかった(笑)國語の方が会話が成り立つことがわかったので以後は國語で通す。ここは駅前だしすぐ近くにセブンイレブンもファミリーマートもあるし蘇澳に滞在するならここがベストなのだろう。重い荷物を置いて身軽になって蘇澳の街を散策。そろそろ夕暮れだというのに相変わらず陽射しは強烈で暑い。
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蘇澳は冷泉で有名な街。冷泉というのは冷たい温泉のことで、温泉成分が含まれていれば水温が20度であろうと温泉であり、これを特に冷泉と呼ぶのだそうだ。しかも蘇澳の冷泉は炭酸泉(サイダーみたいに絶えず気泡が出ている)であり世界でも珍しいのだそうだ。さてこれから名物の冷泉に浸かりに行こう。
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臺鐵林口線に乗りに行く

ときどき小雨が交じる臺北。今日も油飯の屋台で遅い朝食を食べる。今日も美味しい。屋台のおっちゃんは(あれ、また来たの?)って笑顔で油飯を出してくれた。

臺灣捷運に乗って龍山寺まで行き寺廟にお参りする。龍山寺は臺北でも最も古い街のひとつで東京で言えば浅草みたいなところ。こんどは夜に来てみようかな。
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公園の一画で爺さんたちが何やら熱中している。縁台将棋でもやっているのかと思って眺めていたがそれにしては異様な熱気。しかもみな片手に金を握ってああでもないこうでもないと言っている。目つきの鋭いオヤジがときおり周囲を気にしている。おお、これは賭博だ、賭博。ふらふらと近づいて覗き込んでみたら、何やら字が描かれた丸い牌を積み上げて出た目で勝ち負けが決まる仕組みらしい。目が出る度に勝った爺さんはニヤリと笑い負けた爺さんはチッと舌打ち。やっぱり金を賭けなきゃ面白くないよね(笑)
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さて今日のメインイベントは臺鐵林口線に乗ることなので午後はテツ活動。臺北車站から區間車に乗ってまずは樹林で下車。特に理由は無いが樹林は大きな操車場があり東部幹線など樹林が起点・終点になる編成が多いので降りてみただけ。暫く構内で写真などを撮り次は山佳に行く。臺鐵でも有数の古い木造駅舎なのだが構内は大工事中。建設資材に囲まれてあの木造駅舎は健在だった。続いて陶器で有名な鶯歌に降りる。駅を出てぶらぶら歩いていたら雨が強くなってきたので川沿いの四阿で雨宿り。そしていよいよ桃園に到着。念願の臺鐵林口線に乗るのだ。
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林口線というのはもともと工業地帯を走る貨物線。臺鐵の桃園から終点の林口を結んでいるため桃林鐵路とも呼ばれている。沿線にもたくさん人が住んでいるため沿線住民から旅客運行の要望が高まり、2005年になって漸く旅客運行が開始された。現在は桃園から海湖までが旅客運行対象で海湖から終点の林口までは相変わらず貨物線だ。ところでこの林口線、朝夕の2往復しか運行されない。まだまだ貨物線としての需要がメインのためこれ以上の運行は今のところ難しいらしい。しかも林口線は2009年8月現在で無料で乗ることが出来る。つまり試験運行扱いなのでタダなのだ。別に無料だから嬉しいわけではないが(苦笑)朝は6:55、夕方は17:10桃園発の2往復しかないのでなかなか乗るのが大変なのである。
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臺鐵桃園車站を出て右側に歩くとすぐに桃林鐵路という看板がある。
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さらに歩いていくと駐車場に入り込む。
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線路沿いのさして広くもないこの駐車場のどん詰まりに目指す林口線乗り場があるのだ。小さなプラットホームに10人くらいの人がぼんやりと列車の到着を待っていた。みな沿線住民なのかな?
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私も写真など撮り乍らブラブラしていたらお馴染みの區間車DR1000がやって来た。2輛編成なのだが1輛はロングシート、1輛はボックスシートという編成が泣かせる。気が利いてます。
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まずはボックスシートに座って終点の海湖を目指す。ガッタン、と動き出したDR1000はゆっくりと住宅街を走る。線路のすぐ脇に露地や玄関や裏口があったりしてなんか都電荒川線みたいだなあ。列車はすぐに桃林高中(高校)に停車。ここから高校生がぞろぞろ乗り込んできた。うん、これは通学の足として便利だね。寳山、南祥、五福を経て長興に停車。実はついこないだまで旅客運行の終点はこの長興までだったのだが、2009年6月のダイヤ改正で更に海湖まで延伸されたのだ。
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長興の辺りから風景が工場地帯や野原と郊外らしくなってきた。しかも曇天から薄日が射す夕方なので荒涼とした風景に…桃園国際空港が近いので時折離発着するジャンボジェット機の姿も見える。海岸近くでは海も見える。
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私はただ終点まで行って折り返してくるだけの旅人なのだが、私と同じように「ただ純粋に乗りにきた」という臺灣人もたくさんいるようだ。もちろん途中で降りたり乗ってきたりする、つまり生活の足として利用している人々もたくさんいるのだが、やはり無料ということもあって一種の観光列車みたいな認識になっているのだろう。小さな子どもを連れた家族や孫の手を引いたお爺さんもいる。「お爺ちゃん、電車乗りたい!」「よしよし、お爺ちゃんと電車乗ろうな」などというわけなのだろう(笑)
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やがて列車は終点の海湖に到着。さてここからどうするのかと思っていたら列車は更に前方に向けて走り始め周囲に何も無い野原で停車した。そして運転手が最後尾の車輛に移る。おお、ここで折り返して桃園に戻るのだな。さてさてと立ち上がり先頭車輛から眺めると線路は更に続いている。この先に林口線終点の林口車站があるのだなあ。行ってみたいけど列車はここから先は行かないのであった。どうしても行きたければ此処で降りて歩くかタクシーで行くしかないけどそういうことはしません。
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復路はロングシート車輛に移って列車の振動に身を任せるうちに車窓はどんどん暗くなり街の灯りが瞬き始めた。
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沿線風景も住宅街から郊外へ、鉄橋を渡ったり工場地帯や人気の無い野原を通ったり、終点辺りでは海も見えればジャンボジェット機も飛んでいるから退屈しない。わざわざ乗りに来る価値ある片道40分ほどの小さな旅である。次は早朝に乗りに来よう(笑)

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雨の臺北

桃園国際空港から臺北市内へ。今回は最初に臺北市内に二泊するので國光客運の長距離バスで市内へ向かう。颱風の影響で雨が降っているがホテルに荷物を放り込んで市内を散策。小腹が空いたのでウロウロしていたら晴光市場という小さなアーケード街の中に油飯(おこわ)の屋台があった。早速ここで油飯と花枝羹(イカ団子スープ)を食べる。美味しい(笑)

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臺北捷運(MRT:Mass Rapid Train)の民権西路車站(駅)から臺北車站へ向かい駅周辺を散策。広い臺北車站の二階部分は微風臺北車站食尚中心という巨大なフードコート。ここで臺灣の腕自慢料理人たちが店を出してその味を競っている一画があり辣牛肉麺を食べてみた。まあ味はそれなり…かな。

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8時頃にホテルに戻りシャワーを浴びてテレビを観る。颱風「莫拉克(Morakot)」が臺灣南部に驚異的な集中豪雨をもたらし各地で水害や土石流災害が発生している。毎年の夏には颱風が何処かで水害をもたらしているのだが今回はかなり深刻だ。一日で1000㎜近い雨が降るとは…毎年街が水浸しになったり屋根に非難したりしている映像を観ているが、そのうち臺東の知本温泉が映し出された。金帥大飯店という6階建てのビルが河の中に倒れて行く映像が何度も流される。

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おや、ここは一昨年に朋友の車で通過したところじゃないか。それにしても河沿いに建っているとはいえ6階建てのホテルが土台から傾いて倒れ込んでいく様の凄さ。これはひどい。さらに高雄縣の山間の村がまるごと土砂に埋もれ村人600余人が生き埋めか?という衝撃的な報道が…今回は南東部には行かないのだがそれにしても臺東の朋友はだいじょうぶだろうか? 昨年南投縣に連れていってくれた朋友の実家はだいじょうぶなのだろうか? 

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映像は次々と濁流に流される建物を映し出す。南東部は颱風の度に豪雨で水害に遭う地域なのだけどねえ。案の定、政府や行政の対応の遅れを非難する声がテレビの画面から聞こえてくる。臺灣はチャンネル数が100以上あり、ニュースチャンネルだけでも30近くあるから報道合戦が凄い。だいたい同じような映像なのだがこれでもかとばかりに深刻な被害状況や民衆の怨嗟の声を報道する。

もともと政府への非難ということでは遠慮がないお国柄、こんなに被害が拡大しているのに政府は何をやってるんだ! 家族も家も失ってしまった、オレはコレからどうすりゃいいんだ! 父さん母さんが濁流に流されてしまったの…まだ見つからない、どうしよう! いやあこんなにひでえ洪水は初めてだよ、何しろあっという間に村が水浸しだからな…とかなんとか。政府への非難から悲痛な叫びからボヤキから、どのチャンネルからも倒れるホテルの映像や雨にずぶ濡れになった被災者の姿。こりゃ馬英九政権は大変だナ。

「莫拉克(Morakot)」というのはタイ語でエメラルドを意味する言葉だそうだが、いやはやなんとも罪なエメラルドである。

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アジワン in 臺灣 2009

今年もやります臺灣のアジワン2009。
まずは恒例の昼寝犬、名付けて臺灣睡狗 (Sleeping dogs in Taiwan)…いつでも何処でも昼間は寝るのが臺灣流。
もうホント何処でも寝てます。死んでるのか?と思うくらい寝てます。
これが日本なら「あら大変!ワンちゃんが倒れてる!」と大騒ぎでしょうな(笑)

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長野点描

JTB時刻表祝1000号はっこう(発行;発酵)弁当。
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発酵食品が素材のなかなか美味しい駅弁でした。
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長野駅前のマンホール。リンゴですね。
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湯田中駅構内の龍。日光の鳴き龍かと思って手を叩いたけど、鳴きません(笑)
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以前、千曲川さんに連れて行ってもらった店の長嶋茂雄も絶賛という蕎麦。
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ふと横の壁を見ると江頭2:50の色紙が(苦笑)
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長野電鉄長野線

長野電鉄1000系ゆけむり号=小田急ロマンスカーに乗った。
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平日の昼間なので前面展望席ゲット!
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しかし駅には東急電鉄8500系が停まっている。ここは何処だ?
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湯田中駅舎は臺灣の駅舎の雰囲気がある。
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改札の雰囲気なんかとてもよく似ている。
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長野電鉄2000系マルーン色に乗り換えて長野へ戻る。
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素晴らしき篠ノ井線

諏訪に住む先輩を訪ねる旅に出た。と言っても最初に向かったのは長野だけど…(笑)

長野で一泊してから翌日篠ノ井線で諏訪へ向かう。今日も姨捨でスイッチバックだあ、と楽しみに長野を出発。列車は篠ノ井からしなの鉃道と別れて稲荷山を過ぎる。すると何と桑ノ原信号場で特急の通過待ちでスイッチバック! ウヒャヒャ、と独りで喜ぶ私。

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向こう側に見えるのが本線。


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スイッチバック線はこの先で途切れている。


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長野行き特急電車が走り去って行った。


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もちろんこの先の姨捨でも当然のごとくスイッチバック。

これだから篠ノ井線通いは止められない。

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