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その街のこども

1995年1月17日早朝、私は布団の中で半ば覚醒していた。窓の外はまだ暗く、起きるには早いなあとうすらぼんやりと考えていたら、部屋がユラリ、と揺れた。私は(あ、地震だ…)と思った。当時私は築50年以上の、それこそ表通りをダンプカーが通るだけでも窓枠がカタカタ鳴るようなボロ家に棲んでいた。枕元の時計を見たら、蛍光色の針が午前5時45前後を示していたことを覚えている。それからまた眠りに落ちて7時ちょっと前に起きた。トーストを焼いて珈琲を啜り乍らテレビのスイッチを入れたら、街のあちこちから煙が上がり高速道路が倒壊している映像が映し出された。ちょっとの間、何のことなのかよくわからなかったが、早朝に京阪神地区を襲った大地震で壊滅的な被害を受けた神戸市の映像だということを、アナウンサーが落ち着いた声で伝えていた。「…本日午前5時46分頃、神戸を中心とする地震が発生…マグニチュードは7と推定され…」(あ、今朝の地震…)後で知ったことだが東京の震度は1を記録していた。

『その街のこども』(2010)を観た。阪神淡路大震災から15年が経った冬、神戸の街で出逢ったふたりの男女(森山未來、佐藤江梨子)が、お互いの震災体験を語り乍ら地震が起きた日から15年目の早朝を迎える。美夏(佐藤)は神戸で行われる震災追悼集会に参列するため、13年ぶりに神戸の地を踏んだ。建設会社に勤める勇治(森山)は広島へ出張する途中で神戸に途中下車した。勇治と美夏はともに神戸で震災を経験し、ふたりともその後神戸を離れて東京に移り住んだ。そしてあの日から15年、ふたりはふとしたことから神戸の街で初めて出逢った。勇治も美夏も震災の記憶に背を向けてきた。ふたりとも震災で家族や友人、生活を失い傷つき故郷を離れた。終電を逃したふたりは美夏の祖母が住む御影まで夜の街を歩く。歩き乍らふたりは震災の記憶を語り合う。歩き乍ら語り乍らふたりは再び震災に神戸に向き合い始める。

殆ど森山未來と佐藤江梨子…どちらも当時神戸に住んでいて震災を経験している…ふたりの語りでドラマは進行していく。ふたりは過去に背を向けてきたが、次第にふたりの気持ちは辛かった過去に向き合い始める。喪失と再生の夜は過ぎ夜明けはもうすぐそこまで来ている。鼻の奥がツーンとして、ふと涙が出そうになる。東日本大震災からそろそろ1年が経つ。再び「その街のこども」がおおぜい生み出されてしまったことを憂うとともに、いつの日かあの日のあの記憶に向き合い乗り越えていってほしいと思う。そのために、残された私たちには何ができるだろうか。

オフィシャルサイト http://sonomachi.com/

首が飛んでも動いて見せまさァ

久しぶりに映画館に出かけた。たぶん2年ぶりくらいだと思う。かつては毎週映画を観に行っていた時期もあったのだが。まあそれはおいといて、今日は『幕末太陽傳』(1957日活)の特別上映を観に行った。これは日活創立100周年記念特別上映作品として、最新技術でリマスターされたデジタル修復版の上映である。全国のテアトルシネマ系映画館で上映され、首都圏では新宿、有楽町と大森で上映される。私は10年ぶりにキネカ大森に出かけてきた。

第1回(10:10)上映なのでさすがに観客は少なく100席の館内に20人くらいだったろうか。予想通りご老人率が高く8割が70歳以上だった。懐かしい映画を観に来たのであろう。私が座って上映を待っているとすぐ前の列にご高齢のご婦人が7〜8名並んでお座りになられた。これはイカンと映画上映直前にそそくさと一番後の隅っこに移動。絶対、上映中に「フランキー堺」「あれまあ」「若いわねー」「南田洋子」「えーと誰だっけこの役者」「懐かしいわ」「岡田真澄!」などと、誰に言うでもなく自動的に呟き出すに決まっている。

もうご存知の方も多い有名な映画である。時は幕末、文久2年というから1862年、明治の御代まであと数年という時代設定。場所は東海道品川宿の岡場所、相模屋に登楼した佐平次(フランキー堺)一行は呑めや歌えのどんちゃん騒ぎを繰り広げる。翌日勘定を貰いに来た若い衆を煙に巻き、いよいよ懐には一文の銭もないと開き直って遊廓に居残りを決め込んでしまう。そしてこの佐平次ときたら、お膳の上げ下げから客の揉め事ヒマつぶしのお相手、女郎衆の恋文の代筆から起請文の印刷、おまけに勤王の志士たちから借金のカタを取りあげてくるわの大活躍…

実はこの佐平次、居残りを稼業にしている男なのである…とくれば落語好きにはお馴染み『居残り佐平次』を下敷きにした映画。ストーリーはこの佐平次を中心に進んでいくが、はめ込まれるピースはみな落語ネタ。『品川心中』『三枚起請』『文七元結』『お見立て』…ところどころに『だくだく』や『付馬』まで出てくる。どんちゃん騒ぎの場面で、芸者のバチを取りあげて、ドラムスティックよろしくくるくる回してゴキゲンな佐平次。さすが元・与田輝夫とシックス・レモンズのドラマー。勘定の心配ばかりしている西村晃、呑気に騒ぐ熊倉一雄も良い感じ。

閑話休題。相模屋に居残りを決め込むのは佐平次だけにあらず、総髪に二本差しの勤王の志士たちもここを根城にしている。居残り役は高杉晋作(石原裕次郎)でその他小林旭、二谷英明も勤王の志士たちを演じている。板頭(ナンバーワンね)の座を争う遊女のおそめ(左幸子)とこはる(南田洋子)、劇中で演じる肉弾相打つキャットファイトは迫力満点! 博打好きの父親の借金のカタに奉公しているおひさ(芦川いづみ)と、稼業を嫌う相模屋の若旦那徳三郎(梅野泰靖)の恋物語、常に苦虫を噛み潰している相模屋伝兵衛(金子信雄)とお辰(山岡久乃)は徳三郎に手を焼いている。爆笑を誘うのは何と言っても川島雄三映画常連の小沢昭一。今回は貸本屋の金蔵…おそめに心中を持ちかけられて、最後はすげなく品川の海に突き落とされる情けない男を見事に演じている。場内のご婦人方は小沢昭一の怪演に爆笑していた。さすが。

高杉たちは横浜にある異人館の焼き討ちを計画しているのだが、何としてもその異人館の絵図面が欲しい。最後は佐平次が思わぬところから絵図面を手に入れてくるのだが、ここに至るまでの傍若無人の暴れっぷりは極めて壮快。小林旭も、つい先日鬼籍に入った二谷英明も若さいっぱいの演技だ。佐平次から勘定を取りはぐれたばかりか、その後の佐平次に悉く祝儀を取られ続ける廓の若衆(岡田真澄、高原駿雄)、番頭の善八(織田政雄)も適材適所。やり手婆の菅井きん、そうとは知らず息子の馴染みの女郎に入れ込む殿山泰司、願人坊主の井上昭文と榎木兵衛(いよっ!日活名脇役!)最後に登場する杢兵衛旦那の市村俊幸はジャズピアニストあがり、ラストシーンでのやりとりは、ドラマーあがりのフランキー堺と火花を散らすセッションといったところか。

何遍も観ているのだが、今回久しぶりに映画館で観て、改めてこの映画の素晴らしさを実感した。いつも陽気で気の回る佐平次は、実は労咳(結核)を病んでいるという設定。廓の中で元気いっぱい走り回っていても、いったん自分の行灯部屋に入るとその表情が一変、一瞬、鬼気迫る暗い表情を見せるところは背筋がゾクゾクっとする。死と隣り合わせの明るさということなのだろう。品川沖の舟の上で石原裕次郎と駆け引きするシーンでは「てめぇ一人の才覚で世渡りするからにゃ、へへっ、首が飛んでも動いて見せまさァ」という、あの有名な啖呵を切るところなんざ、何遍観ても「いよッ!フランキー!」と大向こうから声がかかろうってもんだね。

今まであまり気にとめなかったのだが、女郎に売られるのを佐平次に助けてもらいたいおひさが、タダとは言わない十両払いますと言うシーン。十両はいっぺんには払えないから一年に一両ずつ、十年かかって払いますと言うと、佐平次が「十年たったら世の中も変わるぜ」と返す。これに続くおひさのセリフ「時代が変われば私も変わります」…なんだかしみじみと心に沁みた。「時代が変われば私も変わる」…私は少しは変われたのだろうか。最後は、墓場から東海道をひた走って画面から遠ざかっていく有名なラストシーンでエンドマーク。

監督は鬼才川島雄三。ちなみに映画の冒頭は現代(昭和32年当時)の品川宿が映し出される。実はこのシーン、売春防止法成立前夜の品川遊廓を撮影しているのである。現代の品川遊廓から江戸時代の品川遊廓へとカメラは遡る。そしてラストシーンも、実は川島監督は、佐平次が墓場のセットを通り抜け撮影スタジオの扉を開けて、現代の品川遊廓の通りを、着物を着たまま走り去って行き、それを映画の登場人物たちが現代の服装をして見送っているというシーンにしたかった。しかしあまりに斬新過ぎるということでスタッフや役者たちの猛反対に遭い、やむなくそのラストシーンは幻と消えたという有名なエピソードがある。後にフランキー堺は、あのとき監督の言う通りにやらせたほうがよかったと思う、と述懐していたそうである。

幕末太陽傳公式サイト http://www.nikkatsu.com/bakumatsu/

2012年が始まる

立川談志がいない時代が始まった。
とはいえ時代はどんどん先に進むし私もまだまだ死にそうな気配はない。
今年もよろしくお願い申し上げます。

訃報2題

談志ショックも覚めやらぬうちに訃報が続く。
森田芳光監督死去。やっぱり『のようなもの』が印象的だった。
上田馬之助死去。プロレスが泥臭い芸能だった頃を象徴するような悪役レスラーだった。
この2人の死はキツいわあ。

長野電鉄屋代線を行く

長野県には長野電鉄、上田交通、アルピコ交通、しなの鉄道、と民間鉄道会社が4社(いずれも株式会社)ある。長野電鉄は長野線(長野ー湯田中)、屋代線(屋代ー須坂)、上田交通は上田市にあり、上田と別所温泉を結ぶ単線運行、アルピコ交通は松本交通から社名変更され、松本から新島々を結んでいる。しなの鉄道(軽井沢ー篠ノ井)はかつてのJR信越本線だったのだが、長野新幹線開通によりJRから経営が移管されて誕生した。篠ノ井からはJR長野駅に乗り入れており、実質的に長野ー軽井沢往復運行となっている。

今回は長野に出かける用があったので、ついでに長野電鉄屋代線に乗りに行ってきた。実は来年の3月を以て屋代線は廃線となってしまうのである。屋代線はしなの鉄道屋代駅の構内にホームがある。ここから乗るのもいいのだが旅の都合上、長野線で須坂まで行き、須坂から屋代へ向うことにした。

長野線長野駅はJR長野駅前の地下にある。地下鉄っぽくてかっこいい。
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実際長野から善光寺下までは地下鉄でそこから地上に出る。長野線にも桐原、朝陽、柳原、村山と素晴らしい木造駅舎が点在しているが、今回は屋代線に乗るのが目的なので今回はパス。須坂で屋代線に乗り換える。屋代線ホームにはカメラを提げた鉄道ファンがちらほら、まあ私もその一人だが。

須坂を出て井上を過ぎてまずは最初の目的地・綿内で降りる。ここも歴史を感じさせる木造駅舎なのだ。ほぼ一時間おきに列車が通る無人駅なのでひっそり閑としている。そもそも屋代線は屋代と須坂、松代以外はすべて無人駅だ。
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暫く滞在してから屋代行きに乗って信濃川田駅で降りる。ここも歴史を感じさせる木造駅舎だ。線路の向こうに紅葉した山々が見える。
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日が傾いてきて寒さが厳しくなってきた。ここで撮影を終えて暫くぼんやりとしていると、屋代方面から列車がやってきた。時刻表ではこの時間に運行はないので回送列車だろうか、と思って眺めていたら、なんと成田エクスプレスがやってきた!と言ってもこれは元成田エクスプレスの特急2100系で、長野電鉄では「スノーモンキー」という名前の特急車輛として親しまれている。長野線を走っているスノーモンキーが、なんで屋代線を走っているのかと思ったが、どうやらイベント運行のようであった。
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すっかり日が傾いた頃に松代駅に到着。やはり駅員がいる駅は暖かみが違う。駅が生きている。
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しかもここにあるものは駅舎も含めて悉く日本の鉄道遺産だ。正式には何と言うのか、硬券切符を指してある棚も、かつては日本中の駅員が改札でカチカチやっていた改札鋏も現役だ。
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屋代行き列車の到着時間が迫ってきた。乗客がぞろぞろ(そんなにいないがw)ホームに集まっていると、駅舎から駅長さんが出てきて叫んだ。「すいませーん、屋代行きが15分ほど遅れてまーす。申し訳ありませーん」構内放送じゃないところがなんとも楽しいというかなんというかww
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今回は時間が足りず昼間の松代駅やその他鉄道施設を堪能できなかった。また年末年始に訪れることにしようと思っている。
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談志が死んだ

以前書いた文章を再掲します。

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2005年3月1日(火)晴
■定時に職場を抜け出して桜木町へ向かう。野毛のにぎわい座で演藝研究会会長と待ち合わせ。今日は『立川談志不完全落語会』なのだ。

「チケット発売直後に予約しようと思って電話かけたんだけど、なかなかつながんなくてさ、15分後ですでに二階席(苦笑)」
「まあいいよ、ここはちょうどいい箱だから、、、こないだの練馬市民会館にくらべたらぜんぜんマシだよ」
「まったくなあ、、、ロックコンサートじゃねえっての(笑)」

めくりは最初から「立川談志」、、、今日は前座もなし、まったくの独演会だな。これは楽しみである。会場はコアな談志ファンで満員、ってわれわれもそうなんだけどネ。ロビーで家元自作手拭いを求める。わはは。

開演前に係員が携帯電話の電源を切ってくださいとアナウンス。「携帯電話を開くと電話の絵が書いてあるボタンがあります」客席失笑。「それをしばらく押したままにすると電源が切れるようになっております」客席爆笑。係員が笑いをとってどうする。下手な噺家より上手いネ、こりゃ。

お馴染み「木賊刈」の出囃子に乗って家元登場。仏頂面でよろよろと、まったくファンの期待を裏切らない出だ。理屈をこねながら延々と小咄を続ける家元ったらまったく憎めない。「今日はいままで演ったことない噺を演るヨ(拍手)、ナニ、あんまり好きじゃネエんだ(笑)」とかなんとか言い乍ら噺に入る。あきらかに落語ではなく講談調の語り、間合い、家元の講談好きはつとに知られるところ。幕末から文明開化の明治にかけて、青龍刀の刺青を彫ったチンピラと謎の怪紳士が繰り広げる活劇調の『青龍刀権次』。家元も次第に調子をあげてきて噺が佳境に入ったところで「ここから先はまだおぼえてネエ」。満場の拍手。

仲入りの後、高座に姿を現した家元は開口一番「不完全落語会って、最初から逃げ打ってあるんだ、ざまあみろ(笑)」客席は家元ファンだらけだからもう大喜び。ホリエモンをこきおろしたりして毒舌を吐きまくった後、お得意の『天災』に入る。女房と母親に三くだり半をつきつけようという乱暴者の八五郎と、長谷川町の心学のセンセイ紅羅坊名丸が繰り広げる珍妙な問答。ふつうは乱暴者の八五郎が、紅羅坊先生の理屈にぐうの音も出なくなるという演出なのだが、家元が演ると八五郎が屁理屈をこねまくり、常識派の紅羅坊先生が押されっぱなしになる。家元は異常なまでにハイテンションで屁理屈をこねまくってもうおかしいのなんの。自由自在の落語、立川談志の面目躍如。最後はこれまたお得意の『落語チャンチャカチャン』で幕。

「やっぱり談志は独演会に限るな」
「そうだね、一席目で調子が出てきて二席目の出来ときたら凄いよな」

まったく立川談志は天災、いや天才だ。
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孤独な散歩者の戯言

糖尿病になって思ったことは、死が一歩近づいてきたということだ。何を大げさなという声もあろうが、合併症や糖尿病由来の病気のことを、主治医から縷々講義されると、死ぬことがリアルに意識される。

四十を過ぎると、定年まで残りだいたい20年というリアルな数字が見えてくる。もちろん定年まで勤められる保証はない。せいぜい残りの人生30年と考えたほうがいい。これでも楽観していると思う。

東日本大震災が実際に起こった今、東海地震や南海地震が起きないという期待は無くなった。われらが偉大なる政権与党と産業界は、原子力発電所にしがみつくこと驚きの限り。人の命より経済優先という狂気を世界に誇って恥じるところが無い。

それこそ1年単位で生きる、という年齢に近づいたのだろう。災害に見舞われて食事もままならぬ状況になれば、食事療法という贅沢など叶う筈も無いのだ。

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デジタル・イミグレイトは電子書籍の夢を見るか?

このブログを開設する前はいわゆる「ホームページ」というかたちで運営していた。HTMLをいじってはせっせと作っていたのだが、まあそれはそれで掲示板のような静かなページではあった。ブログのようにさまざまなテンプレートが用意され、カスタマイズも更新も容易になってきた。しかしいま私のメインコンテンツはTwitterとfacebookなのでブログはあまり更新していなかった。mixiもやっているのだがこちらも同様。この他、読書メーターという、読書に特化したブログのようなmixiのようなサイトがあって、読書記録はこちらに集約している。おまけに最近スマートフォンを持つようになったらTwitterは殆どこっちでやっている。もう私のメインコンテンツが何なのかよくわからない状態だw 

1995年にWindows95に象徴されるパソコンブームが巻き起こり、日常生活にパソコンがどどっと入り込んできた。インターネットとか電子メールとか、それまではまだまだマニアのものであったパソコン通信が一気に標準化、大衆化された。それからわずか15年、ポケベルは携帯電話やPHSに駆逐され、やがてPHSも絶滅危惧種になった。馬鹿でかいディスプレイのパソコンも、液晶モニタになり、iMacになり、iBookになり、iPadになり、ポケットに入る小型サイズになり、とうとうスマートフォンが標準になりつつある。これ以上どういう進化が想像できるか。私にはよくわかりません。

図書館界…特に大学図書館界では、資料のデジタル化が進んで当たり前になっているので、電子書籍や電子ジャーナルはごくふつうに存在する。利用者はごく自然にこれを使って勉強したり研究したりしている。とはいうものの、私の見るところ、昨今の学生は、当たり前にデジタルツールを使いこなすタイプと、いまだにケータイとインターネットしか使えないタイプに二分される。私たちから見て、絶対デジタルだろうおまえという学生が、ワードの使い方やエクセルの使い方について質問してきたり、聞いてみるとそれがまた初歩の初歩的なことだったりして吃驚というわけだ。

早い話が彼らはワードやエクセルなるものは知っているが、あれを使ってレポートや報告書を書くとか、エクセルでデータを分析するとか、パワーポイントでプレゼン資料を作るとか、そういう経験をしてきていない。そういうことは「お仕事」の範疇であって、決して彼らのやりたいことややるべきことではないのである。だから、大学生になるといきなりレポートや分析、発表という課題が目の前にストンストンと落ちてきて、やむなくマイクロソフトオフィスを使うはめになる。ちょっと気の利いた子はすぐに慣れて、マクロやらアニメーションやら達者な仕事をする。気が利かない子は、一生懸命ワードで表を作ろうとして苦戦していたりする。そんなものエクセルで作ってワードに貼付けるとか、いっそのことエクセルで文書を作ってしまえばいいのに、そういう発想の転換ができないのだ。「え?エクセルって、ワープロじゃないですけど…」ちょっと考えればわかりそうなものだけどねえ…

閑話休題。電子ジャーナルも電子書籍も、これから主流になってはいくだろうが、紙の本はたぶんなくならないだろう。それは、どうしてもデジタルに馴染めない、あるいは馴染もうとしない人々が一定数存在し続けるからだ。更に言えば、デジタル環境を必要としない人々と言い換えてもいいだろう。あればあったで便利なのだが、あえて使わないだろう人々である。音楽だって、デジタル配信が主流になればCDすら売れなくなるし、実際そうなりつつある。ひょっとすると、現在の書店やCDショップは…古本屋と中古レコード店がそうであるように…マニア向けの店として棲み分けて生き残っていくのかもしれない。

新聞も、現在のような紙媒体での宅配がどれだけ生き残るのかわからない。大手の新聞社ではすでにデジタル配信での購読スタイルが登場している。いやいやデジタルメディアの最大のデメリットは、電力がないと機能しないことだ、停電になったら使えない、だから紙が良いんだという意見がある。だからデジタルはダメだという極論に賛成する人は少ないだろうが、併存していけばいいのである。デジタルタブレットにソーラーパネルを組み込めば済む話であろう。それに、紙の材料となる森林資源や、製紙工程で消費されるエネルギーだってバカにはならないはずだ。

デジタル媒体に最も拒否反応を示すのは、紙媒体に慣れている私たちデジタル・イミグレイトの年代以上の人たちであろう。産業構造だって大幅な転換を余儀なくされる。ヘタすると仕事がなくなりかねない。まあそんなことを言ったって時代は止まらないし、そのうちデジタルネイティブの子どもたちが大人になれば、嫌も応も無くデジタル社会になって、私たちは退場を余儀なくされるのだ。心配したってムダ、ムダ(苦笑)

検診と図書館総合展の日

今日は検査のため仕事はお休み。

朝食。イギリスパン2枚。ジャムとマーガリン少々。牛乳200ml。
昼食。ごはん。サバ缶詰。アスパラガス。トムヤムクン。みかん1個。
夕食。ごはん。蕪と鶏肉の唐辛子煮込み。冷や奴。プチトマトとアスパラガス。

午前中は病院。内科検診も眼科検診も異常なし。糖尿病と緑内障どちらも経過良好。この調子で食事&運動療法を続ける。HbA1cの数値をもう少し下げるとベストなんだよな。無理せずがんばる。

検診の後、いったん帰宅して昼食を済ませ横浜へ向う。自由が丘から東横線でみなとみらい下車。テクテク歩いてパシフィコ横浜まで。今年の図書館総合展、フォーラムには参加せずブースを見学。今年は知っている顔が殆どいないなあ。ポスターセッションに参加していた大学生グループと話す。素晴らしい活動をしている大学生たちだった。東北の被災した図書館の写真展示も静かに胸に迫ってきた。やっぱり無理してでも行ってよかったな。来年も行こうっと。

今日は寒くてコートを着た。今年の冬はちゃんと寒いのだろうか。

鉛色の海

朝食。イギリスパン2枚。ジャムとマーガリン少々。オニオンスープ。牛乳200ml。バナナ(100g)。
昼食。ごはん。さつま揚げ。魚肉ソーセージ1本。アスパラガス。ホウレン草。プチトマト2個。ひじき。
夕食。ごはん。サバ缶詰(水煮)半分。さつま揚げ1枚。隠元豆とコンニャク、キノコ煮物。アスパラガス。ホウレン草。


本を読んでいるうちに自殺のことが気になって、徒然なるままに日本の自殺者数の統計を調べてみた。ソースは『平成21年地域における自殺の基礎資料(内閣府自殺対策推進室)』の「都道府県・政令指定都市別単純集計(居住地)」である。

自殺者数最多は東京都の2,995人、次いで大阪府2,103人、神奈川県1,914人と続く。それぞれ人口の多い都道府県でありなんとなく納得、という結果だ。次にこれを自殺率でみるとこうなる。

まずトップは秋田県の37.7%、続いて青森県37.5%、岩手県36.1%、高知県32.3%、新潟県31.0%…秋田、青森、岩手、新潟と冬が長く厳しい地域が目立つ。特に秋田と新潟は日本海側なので、冬は殆ど太陽が出ないという陰鬱な気候も影響しているのだろうか。青森も南部以外は日本海側の気候だ。

こんどは政令指定都市でみると、自殺者数トップはここでも東京都2,075人、続いて大阪府728人、横浜市735人、名古屋市546人、札幌市486人…やはり人口が多い都市は自殺者も多い。これが自殺率になるとこういう結果になる。トップが新潟市で30.9%、続いて仙台市29.3%、大阪府28.8%、北九州市28.6%、、福岡市26.2%…新潟、北九州、福岡は日本海側の都市。やっぱり長く陰鬱な冬は自殺を誘発するのだろうか。

逆に自殺者数が少ない都道府県はというと、最小の鳥取県157人を筆頭に、徳島県175人、福井県198人と続く。年間自殺者数が200人を下回っているのはこの3県だけだ。また自殺率となると、トップが奈良県20.4%で、次いで滋賀県と香川県が21.2%、石川県21.3%となり、いずれも西日本。やは西日本よりも東日本が、しかも太平洋側よりも日本海側が、自殺者が多くなる傾向にあると言える。

自殺率全国第5位は新潟県、自殺率トップの政令指定都市は新潟市…おお、わが故郷は日本で自殺率が最も高い地域だったのか。そんなに死んでいるかなあ…確かに鉛色の空と海、白い吹雪と波の飛沫がコントラストを為す冬の日本海を見ていると死にたくなるけどねえ、この不況も影響しているのだろうが、やはり長く暗い冬は人の心を蝕むのだろう。ああそういえば…曾野綾子の『長い暗い冬』という短編小説があった。筒井康隆が絶賛していた恐怖小説の傑作。恐怖というよりは残酷と言った方がいいかな。ともかく救いの無い寒気のする作品だった。

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